私が豊田高専にいた1966年から1970年にかけて、高専から何度か猿投山(さなげやま)に登った。わらび取りにも行ったと思う。名前も面白く記憶に残った。豊田高専の私のゼミの1回生の金子 宏君はホームページで山登りを楽しんでいる様子を綴っているが、何時も「いいなあ」と思って眺めている。私が今までに登った最も高い山は御嶽山ぐらいで世に「百名山」(ひゃくめいざん)などと言うが、全部登るのは到底無理で、少なくとも郷土の白山や隣の立山あるいは日本一の富士山位は登りたいと思うが、はたしてどうなりますか。
あとは猿投山のように低い近くの山には、時々「散歩」の延長の積りで行きたい。明日も奈良の春日原生林の山に行く予定だ。今後とも高い山は幾つかにして低い山を中心に「百My山(ひゃくまいざん)」で行こうかな。
さて猿投山は、約600m強の山である。豊田高専からも北の方に見えている。山の向こうが瀬戸市である。600mといっても結構きつかった記憶がある。猿投神社の辺りから登る。写真は途中の200段ほどの段を登るところだ(インターネット検索)。当時の豊田高専校長の須賀太郎先生は、名古屋大学工学部教授を定年で辞められた後に来られたので、70歳近くではなかったか。日本山岳会東海支部初代支部長であった。木の杖をついて私の前をゆっくり着実に登られている先生の姿は今も思い出す。私としては、もう一度、豊田高専の卒業生と登るのが一つの夢である。
あとは猿投山のように低い近くの山には、時々「散歩」の延長の積りで行きたい。明日も奈良の春日原生林の山に行く予定だ。今後とも高い山は幾つかにして低い山を中心に「百My山(ひゃくまいざん)」で行こうかな。
さて猿投山は、約600m強の山である。豊田高専からも北の方に見えている。山の向こうが瀬戸市である。600mといっても結構きつかった記憶がある。猿投神社の辺りから登る。写真は途中の200段ほどの段を登るところだ(インターネット検索)。当時の豊田高専校長の須賀太郎先生は、名古屋大学工学部教授を定年で辞められた後に来られたので、70歳近くではなかったか。日本山岳会東海支部初代支部長であった。木の杖をついて私の前をゆっくり着実に登られている先生の姿は今も思い出す。私としては、もう一度、豊田高専の卒業生と登るのが一つの夢である。
以前、先生のブログの中に猿投山の記事があったのを思い出し、報告させてもらいます。
猿投山は現在東海自然歩道のルートとなっていて、登山道もよく整備され週末など大勢の中高年ハイカーで賑わっています。
山頂近くには日本武尊の兄弟である大碓命のものと伝えられる古墳もある霊山。
ツガの原生林も見事です。
市街地近くの山でありながら、自然がよく守られています。
そんな猿投山ですが、今は東海環状自動車道の猿投山トンネルが山腹を貫き、三河と東濃を僅かな時間でつないでいます。
時代の流れですね。
昨年末からの雪で雪化粧した猿投山の山頂往復が今年の小生の「山歩き初め」です。