西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

窓ー外からの視点より内からの視点へー

2008-04-25 | 思いつきから仮説へ
今日、建築史の教科書の古典『建築史』(堀口捨己、村田治郎、神代雄一郎、相川浩、川上貢共著、オーム社)を少し読んだ。東大、京大建築学科出身の建築史の先生方の共著である。この本は、西洋建築史、日本建築史、近代建築史の3章構成になっていて便利である。

で、西洋建築史のギリシャ建築のところにこういう説明がある。「天候が恵まれたギリシャでは市民の生活はおもに戸外で行われたので、アゴラと呼ばれる広場を中心として、神殿、官庁、劇場、列柱廊などが設けられた。このような生活は必然的に主要建築を外から見るものとして扱う傾向を強めた。」(p.23)

ギリシャは地中海気候に属し晴れた日が多い。上記の建物のうち、劇場は野外劇場であった。人々は外で日光を浴びて楽しみ、逍遥しつつ哲学もしたのである。オープンスペースのアゴラに集まって直接民主主義の政治も行っていたのである。その外見の一番の建築がパルテノン神殿だったのである。(写真)

一寸時代は飛ぶが、気候が余り良くなく雨も多いイギリスではどうだっただろうか。人々は家にいて内から外を見ていることが多かったのである。そのために窓辺に寄って広角に外が見れるベイ・ウインドウとかボウ・ウインドウのような出窓が発達したのではなかろうか。

では、日本はどうか、晴れも雨もはっきりしている風土である。ということは、外から、内から両方が重要だった。(地域によっても違うと思われる。要研究)

しかし、最近の高齢化に伴い、病院や家で「居たきり」「寝たきり」の総時間も長くなってきている。ということは「内からの視点」がより重要になってきていると言えないか。窓に向かっての景観だけでなく窓からの眺望もより大切になってきている、と言えるのではないか。

そのために窓を再考していこうではないか。
「まあどう」でも良いものではなく、「まど」わずに「窓」に進め!

ある町内20数軒の半世紀

2008-04-25 | 金沢の思い出
私は、金沢市桜畠三番丁(現・寺町三丁目十五番地)で赤ん坊の時から高校を卒業するまで18年間過ごした。(1941~1960.3.)

その頃に住んでいて、代は替わったかもしらないが、半世紀近く経って相変わらず、その町内に住み続けているのは、当時の21軒の丁度1/3の7軒である。

しかもその7軒を含め全部が、その間に建て替わってしまった。「うーん」である。私が「自分史」で思い出して、昔の姿を叙述しても、行って見ると全くそういう情景が見当たらないことになる。まあ道の幅などは変わっていないが・・・。

大通りの寺町に出てみても、昔の面影のある建物は、ポツリポツリで、当時全くなかった鉄筋コンクリートのマンションも幾つか建っている。

これが「伝統都市・金沢」の現実である。それでも記録や記憶は、どうしてこうなったのかの解明も含め大切と考えている。

訃報:志村正順アナウンサー94歳

2008-04-25 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
今朝の『朝日新聞』訃報欄に、元NHKアナウンサー志村正順さんが07年12月1日心不全で亡くなっていたことが写真入りで報じられた。享年94歳。

私のブログで「志村正順」を検索すると五つも出てくる。私が少年時代に憧れていたスポーツアナウンサーだったからだ。最近のを一つだけ引用する。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/1c4ac5c26f11a75951426ab57375b77f

野球では小西得郎さん(まあ、何と申しましょうか・・・)相撲では神風正一さんとの「掛け合い」が絶妙だった。ご冥福を祈りたい。