西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

代替セラピー論序論(位置づけ、意味、方向性)

2008-04-09 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
今日、今年度のオムニバス講義の「代替セラピー論Ⅰ」(生活福祉学科1回生の必修科目の一つ)の初回、生物学のT.先生が話をされた。

T.先生は、1年以上前の我々担当教員の研究セミナーまで遡って、この講義の位置づけや意味、内容概要を話され、私としても「目からうろこ」のところがあった。

西洋近代医学だけでは治らない病もあり(例:リュウマチ)、それに対して西洋近代医学+代替・相補医療及び伝統医療(東洋医学)による「総合治療」がある。代替セラピー論は、このうちの「代替・相補医療」に関連するものを扱う。音楽療法、アロマセラピー、笑い療法・・・等多い。

T.先生が、西洋医学は(薬も手術も)万人に効くということであるが、代替セラピーは、個人的で、個人にとって効くのも効かないのもあるのではないか、と言われた。笑い療法って言ったって、ノーマン・カズンズさん(岩波現代文庫『笑いの治癒力』の著者)のように効く人とそうでない人がいよう。そして、T.先生は、嫌なことも忘れさせ元気に楽しくさせることが、その個人にとって「セラピー」なのだ、とし、T.先生自身の「楽しみ事」は、生物学・生理学で論文を書いて、全世界の研究者と議論することだ、と言われた。フーン、研究者なら、そいうことあるよな。私だって、このブログに皆さんの反応(コメント)あるだけで大喜びだもの・・・。

そして、学生達が今後の各先生方の講義を聞く方針として「この先生は、何が楽しいのか。ストレスを吹き飛ばすくらいの楽しみ事はあるのか」を聞き取るように、とT.先生は言われた。

このことは、将来、自分自身の「代替セラピー」は何か、対するに相手、例えば子供達や高齢者や障害者の個々人にそれぞれ効く「代替セラピー」は何かの発見に繋がるだろう。

それは、つまり自分と相手とのコミュニケーションが成り立つことだ、と締めくくられた。コミュニケーションツールとしての「代替セラピー」である。「なーるほど」だった。流石ベテランのT.先生、いい講義だった。

こういう講義を互いに聞きあうのが実質的FDになるだろう。2回目以降の講義がやり易くなった、と感謝している。