子供の頃、小学生の高学年の時だったと思うが、留守番をしていて祖父の「煙管煙草」を盗み吸いをしたことがある。その時が煙草を口にした最初である。その時はむせて「大人はなんでこんなのをうまそうに吸うんだ」と不思議に思った。高校生の時、金沢から九州に修学旅行があり、友人の中には先生の目を盗んで煙草をふかしていたのもいたが、私は止めておいた。大学に入っても多くの友人は、当然、という感じで煙草をふかしていたが私は何故か吸う気がしなかった。まあ「奥手」である。で、本格的に吸い出したのは豊田高専に就職した時だった。先輩の名工大の服部千之研究室に出入りしていたが、服部先生が格好良く「ショート・ホープ」を吸っておられるのをみて「真似」で吸い出した。以来56歳まで32年間ほど吸い続けたと言える。奈良に来て扇田 信先生の感化でパイプ煙草を試したこともある。1982年~1983年にロンドンにいた時もイギリス製の「SILK CUTシルク・カット」を吸っていた。紙巻では世の中もニコチンの弱いものにシフトしてきているが、私自身もその傾向だった。奈良女子大では、教授会でもずっと喫煙可だったが、前・生活環境学部長で、この3月に退職された上野邦一さんが1992年頃に赴任された時の教授会第一声が「教授会で煙草を吸うのは止めて欲しい」であり、その時、一斉に灰皿は片付けられた。以来、教授会は禁煙となった。でも私は未だ「喫煙可」の研究室などで吸っていた。それが56歳の時に、学生部長に選任された時にピタリと禁煙、以来10年間禁煙が続いている。学生部長になった時に何故止めたかというと、喫煙から失火するとえらいことになる、との「責任感」が強く出たことによる。最初の三週間位は苦しかったが、ピタリとやまった。
禁煙運動のリーダーの一人・高橋裕子先生が保健管理センター長に赴任される前だったのでよかった。もし、その後なら何を言われるか分からなかった。
10年禁煙でも、その前32年も吸っていたので「影響」が完全に払拭されたとはいえないだろう。まあ気長に禁煙を続けていきたい。次は、禁酒だが、そう簡単にいかないだろう。まあ節酒かな。酒を飲むのは「避け」られまい。
禁煙運動のリーダーの一人・高橋裕子先生が保健管理センター長に赴任される前だったのでよかった。もし、その後なら何を言われるか分からなかった。
10年禁煙でも、その前32年も吸っていたので「影響」が完全に払拭されたとはいえないだろう。まあ気長に禁煙を続けていきたい。次は、禁酒だが、そう簡単にいかないだろう。まあ節酒かな。酒を飲むのは「避け」られまい。