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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

喫煙、禁煙歴

2007-08-09 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
子供の頃、小学生の高学年の時だったと思うが、留守番をしていて祖父の「煙管煙草」を盗み吸いをしたことがある。その時が煙草を口にした最初である。その時はむせて「大人はなんでこんなのをうまそうに吸うんだ」と不思議に思った。高校生の時、金沢から九州に修学旅行があり、友人の中には先生の目を盗んで煙草をふかしていたのもいたが、私は止めておいた。大学に入っても多くの友人は、当然、という感じで煙草をふかしていたが私は何故か吸う気がしなかった。まあ「奥手」である。で、本格的に吸い出したのは豊田高専に就職した時だった。先輩の名工大の服部千之研究室に出入りしていたが、服部先生が格好良く「ショート・ホープ」を吸っておられるのをみて「真似」で吸い出した。以来56歳まで32年間ほど吸い続けたと言える。奈良に来て扇田 信先生の感化でパイプ煙草を試したこともある。1982年~1983年にロンドンにいた時もイギリス製の「SILK CUTシルク・カット」を吸っていた。紙巻では世の中もニコチンの弱いものにシフトしてきているが、私自身もその傾向だった。奈良女子大では、教授会でもずっと喫煙可だったが、前・生活環境学部長で、この3月に退職された上野邦一さんが1992年頃に赴任された時の教授会第一声が「教授会で煙草を吸うのは止めて欲しい」であり、その時、一斉に灰皿は片付けられた。以来、教授会は禁煙となった。でも私は未だ「喫煙可」の研究室などで吸っていた。それが56歳の時に、学生部長に選任された時にピタリと禁煙、以来10年間禁煙が続いている。学生部長になった時に何故止めたかというと、喫煙から失火するとえらいことになる、との「責任感」が強く出たことによる。最初の三週間位は苦しかったが、ピタリとやまった。
禁煙運動のリーダーの一人・高橋裕子先生が保健管理センター長に赴任される前だったのでよかった。もし、その後なら何を言われるか分からなかった。
10年禁煙でも、その前32年も吸っていたので「影響」が完全に払拭されたとはいえないだろう。まあ気長に禁煙を続けていきたい。次は、禁酒だが、そう簡単にいかないだろう。まあ節酒かな。酒を飲むのは「避け」られまい。

青木正夫先生逝去、83歳

2007-08-08 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
青木正夫先生(九州大学名誉教授)が昨日8月7日に福岡で心不全で亡くなられた。享年83歳だった。青木先生は、山口県出身、東大建築学科卒、吉武泰水先生門下、鈴木成文先生の兄弟子にあたる。建築計画学を確立するのに尽力。西山記念文庫の顧問もしていただいた。建築学会の折りなどにお会いすると、飲みながら色々な昔話もしていただいた。戦後、東京で、ダイニングキッチンを生み出したことを、京都の西山先生に報告に来られて喫茶「進々堂」で話されたのを西山先生が細かくメモしておられたのを目撃しておられ、西山記念文庫が出来たとき、その際のメモ、日記がないか調べに来られたが、その時は見つからなかったようだ。後日、西山先生は『すまい考今学』などで、ダイニングキッチンを評価しておられるが、青木先生が報告に来られた昭和20年代には、西山先生は余り評価されなかった、と青木先生から伺ったことがある。どうしてだろうか。そういう話とか他の「学界史」に関する話をしてあげるから「島(能古島)の別荘」に何時でも来なさい、と言ってもらっていたが、ついに行けなかった。残念だった。戦後の「計画学史」は我々の課題の一つであろうに・・。
あちらでは、青木先生は、西山先生、吉武先生と昔話を始められたかもしれない。ご冥福をお祈りする。

誕生日と努力目標

2007-06-26 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日6月26日は、私の誕生日だ。6.26は「露天風呂」の日であり、626はモーツアルトのケッヘル番号最後(レクイエム)である、と前に書いたことがある。で、太平洋戦争開戦の1941年(昭和16年)生まれなので満66歳である。「ぞろ目」である。実は、66歳というと母方の祖父・西村由森(よしもり)が亡くなった歳である。それをようやく越えようとしている。祖父は、金沢郊外の農村の三男坊、金沢に出てきて銀行づとめ、55歳の定年後、仲間と金融会社をおこし、死ぬまでそこで働いた。営業という仕事の関係もあり、付き合いでお酒を無理に飲んだことも影響して、肝臓がんで亡くなった。私が中3(15歳)の時だった。後に祖母、母、妹と女三人、私の男一人残され、私の責任も重大だったのだが、母と祖母の援護の下、のほほんと過ごした感じだ。前に書いたが母親が洋裁学校をおこして頑張ったのだ。それには、祖父の由森が借家不動産を少し残したお蔭もあった。祖父、祖母(すすむ)、母(愛子)、父(瓜生留雄)ももうこの世にはいない。しかし、苦労して私や妹を育ててくれた祖父、祖母、母に改めて感謝すると共に、バトンタッチで、妻、娘、孫3人をしっかり見守っていきたい。次なる「目標」は、祖母、父の亡くなった84歳であろうか。それは少し大変なので、もう一寸手前に何かクリアしやすい「目標」も考えたい。例えば、古稀(4年後、70歳)、孫(長孫、現在11歳)の成人式(9年後、私75歳)、我々の金婚式(11年後、同時に私の喜寿77歳にあたる)とか・・。先ず、元気に次の1年を過ごしていこう。

本日より、諸般の事情により「節ブログ」を実行させていただきます。

『奈良女子大学百年史』回想原稿を書き出す

2007-06-21 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
奈良女子大学は、再来年2009年5月1日をもって、開校100周年を迎える。それを記念して『奈良女子大学百年史』編纂事業が久米健次学長、坂本信幸・編纂専門部会長(図書館長)の下で進められており、この3月に6月一杯締切で名誉教授宛に200字詰め6枚以内で回想記を書いて欲しいとの依頼があった。今日それをふと思いだして書かねば、と思った。私の勤めた31年間を書き出すと大変なので、『八十年史』以降の直接関わりのあった主なこと、家政学部から生活環境学部への改組(1993年10月)、奈良女子大学の理念制定(2000年11月)そして2005年3月までの3年間の生活環境学部の内部改組の話に絞って書こうかな、と決めて書き出したが、1200字以内に収めるのが中々難しい。ブログのように気分によって好きなだけ長くも短くも書けるのがいいなあ、とフト思った。

奈良女子大学の学位(博士)論文中間発表会に行く

2007-06-20 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、夕方から奈良女子大学の学位(博士)論文中間発表会に行った。私は、もう奈良女を2年一寸前に定年で離れているので学位論文審査の主査にはなれないが、副査の一人にはなれるため、ある院生の論文審査の副査を依頼された。で、昔の院生達の学位論文の中間発表会に招かれて行ったのだ。5人の発表があり、興味深く聞いた。以下、それらに対する私の印象である。
(1)吉田美穂子さん(宮城俊作教授主査)「空間設計における「美」を表現するためのデジタルデザインの研究」・・黄金比、螺旋等に美を見出す研究。増井正哉教授も発言していたが、黄金比に美を見出すのは古くから研究されているのだから、そういう既存研究と何処がどう違うのか。私は、螺旋もいいが、単純な○□△と美の関係は?と聞いてみた。(2)澤田知香さん(増井正哉教授主査)「クメール建築における木工事の復原的研究ー宗教建築物を中心として」・・クメールの例えばアンコールワット遺跡には木造の痕跡があるとは普通思わないが、良く調べると、材木を使った痕跡が残っている。それらを手がかりに木工事を復原してみようとの試みで面白い、と思った。しかし、彼女は中々その核心に入らずクメールの政治体制の話などをして、いらいらした。この研究は、今年の3月に退職した上野邦一さんが元々主査だった。今井範子教授は、建築学研究科の論文でないので、ソフトな生活、文化にも触れたら・・、と示唆していた。(3)奥山純子さん(中山徹准教授主査)「高齢者の地域居住を保障する日常生活圏の在り方に関する研究」・・主に自治体調査を丹念にしている。それはそれで良いのだが、今後の課題として地域住民に直接調査して欲しい、と言っておいた。(4)小松 牧さん(中山徹准教授主査)「地域の外国人旅行者受入体制整備と通訳案内事業に関する研究」・・受入体制整備は必要で調査の意味もあるが、その中で通訳案内事業を中心に据えるのは良く分からない。海外旅行の究極は「郷に入れば郷に従え」でその国の言葉でコミュニケーションすることでは・・、と言ってみた。(5)澤田洋子さん(中山徹准教授主査)「大正時代の市区改正と須磨町西代耕地整理の考証ー神戸市街地の拡大に伴う田園小都市の地域づくりについての研究ー」・・丁度、耕地整理から区画整理に移る頃の事例分析、資料が大量にあったために可能となった研究。これも地方自治のことにむやみと触れずに耕地整理の特徴分析に徹するべし、と中山徹准教授も指摘していた。井上教授、瀬渡教授も来ていた。私は久し振りにon the spotで頭を使って楽しかった。院生の皆さん、来年2月頃まで頑張ってくださいね。

門脇禎二先生の思い出

2007-06-12 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
古代史の大家・門脇禎二先生が肝内胆管がんのため亡くなられたと聞いた。享年81歳。門脇先生は、私が奈良女子大に32歳で勤めだした頃、奈良女子大の学生部長をされていた。40歳代後半だったが「大人(たいじん)」の風格だった。私が赴任する少し前『奈良女子大学60年史』の編纂責任者を勤められ、「女子大の意義」として「共学では女子は男子の蔭に隠れざるをえないが、女子大では女子は全てのことで企画、実行、後片付けをやらねばならず実行力が涵養され自立して良い面がある」と理論付けられた。この線で奈良女子大学は今まできていると言ってよい。その後、黙っていると奈良女子大の学長に押し上げられる「危険性」を察知して、京都府立大学に転じられたが、そこで学長の押し上げられた。以後、京都橘女子大(現・京都橘大学)の学長もされた。私が奈良女子大の学生部長、副学長、生活環境学部長の時、奈良女子大学の運営諮問会議の議長をしていただいた。勿論、古代史では数々のユニークな業績をお持ちである。「大化の改新否定論」もその一つ。地方史、出雲や吉備の歴史にも詳しかった。女子大にいるということで女性史も鋭意やられていた。現在、私の住む「けいはんな市」地域の歴史編纂にも携っていただいた。先生監修の『けいはんな風土記』は地域での「歴史バイブル」である。
お酒は好きで、良く飲まれていたと思う。お嬢さんが慶応の学生の頃、「娘と家内等の女性に囲まれて飲むのは気分が良い」と聞いたこともある。しかし、去年は「脳梗塞で入院」と聞いたことがあるし、まあ、やはりそのお酒が「たたった」面があるかもしれないが、男性の平均余命の79歳を越えて生きられた。先生、ご苦労さん、そして色々有難うございました。安らかにお休み下さい。

通夜:15日(金)午後19時より
葬儀:16日(土)午後13時より いづれも京都駅南口 公益社南ブライトホール
喪主:門脇幸子(奥さん)

クラス会の余韻

2007-06-10 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、ブログにも少し書いたが、20年前に奈良女の住居学科を卒業した20人の元学生達の話を聞いていると、昔の学生時代の初々しい乙女達が、確実に仕事に、子育てに逞しくなっていることを実感する。一人5,6分位の「喋り」だが足りない感じだった。まあ個々人とブログ等で会話が出来るとはいえ、皆とは10年後に会うを約した。どのように成熟していくのか楽しみである。

確実に学生期(がくしょうき)より家住期(かじゅうき)へ昔乙女子今熟女へと 市路

奈良女子大1987年(昭和62年)卒20周年クラス会に参加

2007-06-09 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、奈良女子大住居学科1987年(昭和62年)卒20周年クラス会に招待され参加した。34人中20人の参加だった。皆「不惑」を一寸出た年齢で、子供のいる人は、中、小、幼で大変な時期だし、働いている人は、中堅で大変な時期なのに20人も参加したのはえらいなあ(体も「えらいなあ」?)と思った。先生では、近藤公夫先生、高口恭行先生が参加された。女性の先生方は、何か今日「佐保会」(奈良女同窓会)行事があるらしく残念ながら欠席だ。集まった場所は大阪の土佐堀川通の一つ北の通となにわ筋の交差点を東に入った北側の「リストランテ・サリーレ」という旧銀行を改装した建物で、さすが住居学科卒業生の選択と思った。20人の卒業生の20年間と近況報告を聞いていると、皆、自分の考えをベースに発展させているな、と感心した。20年前は、私が教授になったばかりの時である。我々先生三人も近況報告したが、私は、つい「駄洒落挨拶」になってしまった。「今、平安女学院で、へい、あんじょうやってます」等々。料理と共に赤白ワインも堪能、12時半から3時間の楽しい会も15時半に終わり、集合写真を撮った。二次会に誘われたが、同期生「水入らず」が良いと思い、我々3人は10年後、30周年、奈良ホテルで会うことを約して失礼した。
(写真は、リストランテ・サリーレ)

写真家・井上博道さんに会い旧・加茂町の話をする

2007-05-26 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今朝、京都行きの近鉄車内で奈良に本拠を置く写真家・井上博道(いのうえ・はくどう)さんに久し振りに会った。井上さんは1931年生れで私の10歳上、龍谷大学卒業後、産経新聞に入り、写真部、独立して奈良で活躍していた写真家・入江泰吉さんに師事、奈良にまつわる様々な写真集を出している。大阪芸大教授も歴任された。私も「MANYOUSHU」など頂いた。私と井上さんは奈良市建築文化賞選考委員会委員として長年同席したが、最近その委員会は廃止されてしまった。今日聞くと、東京へ、写真家協会の「寄り合い」で出かけると言う。風貌は歳相応に変化しているが元気そう。「けいはんな」地域で写真以外の店(喫茶併設)も経営している。今度、一度行こうと思った。井上さんとの会話で、強く「そうだな」、と思ったことは、旧加茂町(現・木津川市)は、京都ー奈良ラインから一寸それているだけで大分損をしている、ということだ。井上さんもそのことを強調しておられた。そこは、旧恭仁京跡地(旧国分寺跡地でもある)もあり、浄瑠璃寺本堂、海住王寺五重塔など国宝級のお寺もある。実は、かく言う私も行っていない。現在、私は旧加茂町に接する所に住んでいるので、是非、近いうちに訪れたい、と思うのだった。
(写真は、旧加茂町にある浄瑠璃寺本堂)

奈良女子大学構内をグーグル・マイマップで紹介

2007-05-10 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
ロンドンのグーグル・マイマップに続き、32歳から63歳まで31年間を過ごした奈良女子大学構内をグーグル・マイマップで紹介する。これはグーグル・マップの一部を「指定」して矢印で主な地点を示し説明した「私の地図」である。だから、これを「大きく」拡大、接近も出来るし、「小さく」して回りの奈良市街を見ることも出来るし、それこそロンドンに飛んでいくことも出来る。写真の貼り付けは、やりかたをFUさんに教えてもらい、ほぼ出来そうだが次回、このマイマップ上に貼り付け編集をしたいと思っている。

http://maps.google.com/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&msid=117469149049471677079.000001127406b5d27cf29&ll=34.687763,135.828019&spn=0.002197,0.003862&z=18&om=1

「通り道」の「イオン・サティ」

2007-04-26 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日は、午前中に眼科に点眼薬を貰いに行き、午後に「T.居住地」の書斎に出かけた。眼科は近商の横、高の原中央病院の向かいにある。4週間有効の点眼薬はまだあるが、連休に入るので、新たに貰いに行った。そこに行くには、専用歩道を通って高の原駅前に出、近商の横を通って行く。で、途中500メートルほど巨大な「イオン・サティ」建物に沿って歩かないといけないが、巨大壁の横を歩くのは気分が良くないので昨日開店の内部を歩いて行った。急いでいたので2階の専門店街通路を通っただけである。診察が終わり点眼薬も貰っての帰りは、少し余裕があったので3階に上がり「未来屋書店」に行ってみた。午後は、少しゆっくり4階まで見てみた。1階は喫茶店、ペットショップと巨大な駐車・駐輪場である。「サティ」と「専門店街」は、2階、3階、4階にある。「サティ」の2階は食料品、3階は婦人服(若者向け)、4階はキッズプラザである。レストラン街は2階、ワーナー・マイカル・シネマズは4階で九つの上映館がある。
考えてみると、私の自宅から高の原駅への行き来の途中に、この「イオン・サティ」の馬鹿でかい建物がある。外観は、一寸いただけない。内部は新しいせいもあるが歩いていてまずまずだ。これからの夏や冬も内部は空調しているだろう。まあ行き来は(特に帰りは普通急いでいないので)「壁に沿って」よりも「内部散歩」「時には買い物」でいこうと思った。

今井範子さん、立松麻衣子さん受賞おめでとう!

2007-04-06 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日来た『日本家政学会誌』3月号(Vol.58 No.3)によると、1月の理事会で今年度の家政学会賞に今井範子さん、長尾慶子さん、奨励賞に杉原寿美さん、立松麻衣子さんが決まったようだ。「おめでとう!」と言いたい。特に今井範子さん立松麻衣子さんは奈良女子大学住環境学関係者で、私も良く知っているので「良かった」と思う。今井範子さんは、住生活学講座の扇田 信先生、私に続く教授で若い頃から住様式の研究をづっと重ね、最近は『日本家政学会誌』に良く論文が掲載されていたので「そろそろかな」と思っていた。立松麻衣子さんは、私が地域居住学講座に移ってからの大学院生で、学位(論文名『高齢者居住支援につながるショートステイのあり方に関する研究』)を取得後、現在、九州女子大学講師である。院生時代から日本家政学会を一つの中心学会と考えて投稿を続けていた。
お二人とも、これが一つのステップで、更に前進して欲しい、と思う。
今度、5月の岐阜での大会で二人に会えると思うが、私のブログは案外、奈良女関係者も読んでいるので、早めにお知らせしておきたい。

地歴の先生達との会話

2007-03-18 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
上野邦一さんの退職記念パーティで、地理の出田(いでた)先生(次期文学部長、棚田の調査研究もしておられる)、歴史の館野先生(古代日本史、COEリーダー)と駄弁った。私は、平安女学院大のK.先生から聞いた話を少し私流解釈も入れて話してみた。たまたまお二人が地歴の先生だから、と意識して話したわけではない。「大学に入ってから伸びる子というのは、数学や国語が得意というより、面白がって地歴を勉強した子、といわれるが、私もそう思う。」「但し暗記物みたいに勉強した子は、大学に入っても金輪際こういうのは嫌だ、と言って近づかない傾向あり」「しかし、心高ぶる物語(Hi-story)として歴史を勉強し、地理を学ぶと旅行が楽しい、と言った具合の子は伸びる・・」で、私もどんな学問も最後は「学問史」ではないか、と言ってみた。
又、地歴も細かく分けて、それらの領域を護るのではなく、相互に乗り入れて議論すべきでは・・、とも言ってみた。歴史にも、長短のレンジがあることは言う暇がなかった。お二人は「理科系でも、そういうことを言ってくれる人は少ない」と言っていた。そうだろうか。とにかく、何事につけ、地理は空間、歴史は時間の具体像でもあるのだ。

1996年(平成8年)卒の元学生達に会う

2007-03-18 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、上野邦一さんの奈良女子大定年退職記念パーティ、これも大学会館の生協食堂が工事中だったので二階の大集会室で、学生の手作りで行なわれた。そこで、上野さんが住居学科におられた頃の上野ゼミ出身の元学生達に会った。顔は分かるが名前が出てこない。一人から名刺を貰った。一級建築士で自営、名前を見ても思い出さない。結婚して姓が変わっているのだった。皆に、私の講義覚えているかい?と聞いたら「道は未知に満ち満ちている」「歳をとるところは廊下(老化)」「恐いところは階段(怪談)」「静かなところは寝室(シーン室)」・・と次々出てくる。全て私が講義中に時々(?)言っていた洒落(駄が付くか?)ばかり、図に乗って、その後の「都道府県シリーズ」も言っておいた。帰ってから名簿を見て「西村ゼミ生」もチェックしてみた。彼女等は卒業11年目だから卒業30年まで後19年ある。それまでは、元気にしていたいもの、と思った。
都道府県洒落例:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b6823ca04d62cd7ad86b5749b2a1c385

上野邦一さんの定年退職記念パーティに参加

2007-03-18 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、奈良女子大学生活環境学部長の上野邦一さんの定年退職記念講演及び定年退職記念パーティがあり参加した。記念講演は重要文化財の記念館で行なわれた。別の急用のため終わる頃に行った。上野さんは私より2歳年下で1944年(昭和19年)の早生まれ、中国東北部(旧満洲)の生まれだ。お父さんは満鉄勤務、戦後、昭和20年末に帰国、その後、お父さんに付いて全国各地を回る、高校は高松高校出身、大学は名古屋大学工学部建築学科一期生、1962年(昭和37年)入学、何処で1年遅れたのか分からないが10年ほど名古屋在住、学部を卒業し大学院(建築史の研究室)を経て、1972年に博士課程を単位取得退学して奈良国立文化財研究所に勤務、1992年に奈良女子大学家政学部住居学科の教授として赴任、家政学部を生活環境学部に改組した時に「生活文化学専攻」に移籍、現在に至る。私は、1966年に京大大学院(修士)を出て豊田高専に赴任して週一日の研修日に名古屋大学(都市計画研究室)にも時々出かけたので、多分、廊下ですれ違っていたと思う。実際に面識になるのは、私が京大より奈良女子大に赴任した頃だ。1974年以降である。上野さんとの思い出は沢山あるが、今思い出すのは(1)数冊本を貰った中に奈文研時代のイタリア留学時代のスケッチ集、現代詩大系(中に上野さんの詩3編収録)そして『建築史の想像力』があり、最後の本は上野さんの指導教官だった小寺武久先生が名古屋大学を退官される時の記念論集の面も持つ。一期生の上野さんと小寺先生の後任の片木 篤さんが共編している。これらの三冊は、上野さんの別の面を覗かせていて面白い。最後の本に、建築の形の「四角、三角、丸」を扱った上野さんの小論があり、私の当時の小論(習作)と良く似た論旨を持つ。全く独立に考察した結果である。何時か共著を、と提案しておいた。(2)奈良町で空き家活用のアイデアで私は、各大学、各分野(奈良に関連した・・)のセミナーハウス群に、と言い出していたのを、実際に私が奈良女を退職した後に実際に実現(奈良女子大学セミナーハウス)の力になって頂いたこともある。(3)私の後、しんどい法人化後の学部長を2年勤めていただいたこと。
これらに対して、ご苦労さん、定年おめでとう、と声をかけたい。
今後は、東南アジアの遺跡保存の仕事を続けていかれるようだが、私も「暇」になったら、上野さんの案内でアンコールワットに行きたいと申し出てある。また、私のやりつつある「NPO地域支援研究フォーラムなら」にも協力していただいているが、是非一緒に前進させたいと思っている。
私のブログには過去、上野邦一さんの登場する記事が多数あるが、幾つか上げておく。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/67a854c397585a61732751a870b6d790
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/04abd8586e454f0b92cf5d6ee9786076
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/28842fff5144ea781c2a62ecaabc97f5
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/1a7529e1411ced6adef271230eb199d6
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/a9d603775efa17c7093734bff6821bc4