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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

3月は人を送る月

2007-03-11 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
3月は人を送る月だ。卒業式はその最たるものだが、定年等で辞められる方を送る機会も多い。今日、T居住地の私の「窓のある書庫の家」に2002年、2003年の日記ファイルを運んだのだが、その中に送る記事があった。前に書いたかも知れないが、私は1988年2月10日に「ワープロ日記」を書き始め、以来一日も欠かさず今日まで19年間書いている。最初から、2000年までは厚み5cmのファイルを使っていたが、21世紀に入って2001年は厚み6cmとなり、2002年、2003年は厚み8cmにもなってきた。今日は、その2002年、2003年の二冊だけふうふう言って運んだ。で、その2003年の3月あたりを眺めたのだ。4年前のことだ。
・丹羽雅子学長が退官・・歓送会が3月26日(水)に「春日荘」にて行なわれる。
私のスピーチの中の575「手触りも目にも優しい庭の櫻(はな)」注:丹羽先生の研究は、京大の川端先生と共に布などの手触り具合を工学的に数値化する方法の開発、その測定器も作られた。これで紫綬褒章を貰われた。だから「手触り」である。「庭」は奈良女子大の中庭だが、丹羽に通じている。丹羽先生はわが国国立大学初の女性学長であった。
・吉村篤一教授が退官・・Professor Architectとして5年間勤めていただいた。「吉村先生を送る会」が3月29日(土)に「月日亭」で行なわれた。私のスピーチの中の575「コルを越え地平の彼方吉の村」注:コルは建築家コルビュジェではあるが、同時に山の鞍部の意味もある。CorとColでスペリングが違うが・・。
お二人とも以後も元気にご活躍である。
(写真は、丹羽雅子さん)

NPO法人関連、奈良女非常勤関連へのお出かけ

2007-03-10 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日の土曜日、午後から、奈良県内のNPO法人の今年度報告書、決算書等の書き方説明会が奈良県主催であって、出かけた。NPO地域支援研究フォーラムなら をやっているからである。満2年で今度4月から3年目に入る。奈良地域でもう少し存在感を示したい。また地域SNS的なネットワーク構築もしていきたいものだ。
15時から奈良女子大学生活環境学部住環境学科での非常勤の集まりがあった。私は、この3月で奈良女非常勤を「卒業」なのでけじめで参加した。2年の間で殆ど非常勤の先生方は入れ替わった。後の懇親会で聞くと、今年は住環境学科は入試で「苦戦」したようだ。別の非常勤の先生に聞くと天下の早稲田大学建築学科でも180人の定員が埋まらなかったようだ。姉歯問題、談合問題で全国的に建築・住居系の受験生は右肩下がりのようだ。Jabee導入で「理科系」という旗を出したのも影響している。私の在籍の頃は文科系でユニークな学生がいたのだが・・。
来年度から「非常勤では行かない」が、頑張って欲しいと思う。
写真は再来年に百周年迎える伝統的な奈良女子大学の正門と記念館(旧本館)・・明治建築

『奈良女子大学百年史』に寄せて

2007-03-06 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、奈良女子大学から手紙がきた。それは、再来年には奈良女子大学は奈良女子高等師範学校創立から数えて百周年になるので、名誉教授の先生方には在任中、印象に残ったことを6月末までに1200字以内で書いて欲しい、百年史に載せたいから、との依頼であった。私は1974年4月から2005年3月まで満31年間、奈良女子大学にお世話になった。100年間の1/3弱、在籍したことになる。最後の7年間は、最後の学生部長、最初の副学長の一人(もう一人は今の久米健次学長)以上3年間、住環境学専攻主任を1年間、生活環境学部長を3年間つとめた。その間、大学は国立大学から国立大学法人に替わった、そのためもあり、奈良女子大学の四つの理念をつくるのにまとめ役をした。又、生活環境学部改組のため学部で初めて外部評価を実行した。そして四学科体制への改組基本方針を決め、先ず管理栄養士養成コースを持つ食物栄養学科を独立させた。まあ、時間との競争、施設整備のお金や人(助手等)をどこから出すか等々、命が縮まる思いで取り組んだ。これら全部を1200字で書くのは至難の業、でも6月末までに取捨選択して何とかしよう。

1999年2月10日の日記よりー絶品、別品、逸品・・ー

2007-03-04 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日は、いい天気、T居住地の私の書庫に1997年~1999年の日記ファイル3冊を運んだ。で、1999年2月10日のページを何気なく読んで面白かった。この頃になると、「考察」という項目が途中に挟まって、そこに当時考えたこと、面白いこと等が書いてある。当日、上野邦一さん(現・奈良女子大生活環境学部長)と駄弁った記事がある。私が『毎日新聞』の余禄に載っていた亡くなられた哲学者・久野 収さんのエピソードで久野さんは「自閉症」という言葉に対して「他に家閉症、社閉症、国閉症もある」と言っていたらしいよ、と言うと、すかさず上野さんは「学閉症もある」と言ったので二人で大笑いになった。その時、私は別の「新聞知識」も披露した。「中国では皇帝が美術品選定のため「一品(天下一品)、二品、三品・・」と等級付けしたが、付けられず素晴らしいものが「絶品」、別カテゴリーの素晴らしいものを「別品」(別嬪に通ず)、少しずれているが面白いものを「逸品」としたようだ・・」と言うと、上野さんは「面白い、(逸品の話)」と言ってくれた。後で考えて、これを景色に適用すると、「一景、二景、三景・・、そして絶景、別景、逸景」となるのかな、と思った、と書いてある。へーそんなことを当時考えていたんだ、とすっかり忘れていたので「日記の効用はある」と言わざるをえない。

磯田憲生先生、生活環境学部を宜しく!

2007-01-30 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
この3月に、現在、奈良女子大学生活環境学部長である上野邦一先生が定年退職となり、4月からは住環境学科の磯田憲生先生が学部長になられるようだ。まあ、予測の範囲内といったら叱られるかもしれないが、順当なところだろう。日本家政学会の副会長もやっておられるので「ご苦労さん」と言いたい。宮崎県延岡出身の九州男児、大学は関東に行き千葉工大卒、その後、東工大助手を経て関西の奈良女子大に来られた。今年、還暦過ぎたかな。温熱環境の専門家で、私のOMソーラーのデーターも採っていただいた。最近は、窓際の植物の「熱的効果」を調べておられる。緑の葉っぱが太陽熱を吸収し、夏季クーラーがなくとも室内温度が数度下がることを明らかにしておられる。省エネに沿っている。
とにかく私の前の三好正満先生の頃から、学部長はそれまでの「額縁用」ではなく、中の絵画のように「かいがいしく」働かされている感じだ。
磯田先生にも、間違っても「おめでとう」ではなく「ご苦労さんですね」と声をかけたい。
磯田先生紹介記事:http://www.nara-wu.ac.jp/life/resed02/news/news015.html

岩崎雅美編著『ウイグル女性の家族と生活』受取る

2006-11-08 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、奈良女子大学の岩崎雅美教授から岩崎雅美編著『ウイグル女性の家族と生活』(東方出版)を受取った。カラー写真もふんだんに使った綺麗な楽しい本だ。著者は、岩崎先生のほか、宮坂靖子(ジェンダー論)、服部範子(生活福祉学)、村田仁代(まさよ、故人、服飾史)、中田理恵子(食物科学)、久保博子(住環境工学)、瀬渡章子(住環境計画学)さんで皆、奈良女子大学を出たか勤めている。前からウイグルと交流していた一つの成果である。まあ、研究としては何をやってもいい「自由」なので、面白いことをやれば良いのだが、しかし、次には現在の我々日本人の家族と生活に示唆を与えて欲しいと願っている。(ちゃんと読めば書いてあるのかな。斜め読み、失礼!)
(写真は、ウイグル女性)

伊藤セツさん頑張る

2006-11-08 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
『学士会会報』で次に読みたかったのは、伊藤セツさん(昭和女子大学大学院教授、北大経・昭和37年卒)の「女子大学での大学院生教育現場で思う」だった。伊藤さんは私より2歳上、日本家政学会の役員を一緒の時期にしたり、一緒にシンポジュウムに出たりして知り合った。元々は北海道函館の出身で大学も北海道大学だった。私が奈良女子大の生活環境学部長の時に初めて「外部評価」をすることになって、伊藤さんを6人の評価委員の一人にお願いした。その時は、かなり厳しい意見を頂いたと思い出している。今回、小論では昭和女子大の大学院で何人も博士を生み出して来られた苦労を述べておられ、女性論も専攻されて主張されていることを身をもって実践しておられると思った。最近は、家政学会の役員も互いにやめ、やや疎遠になっているが、会ったら又「男女共同参画社会の現状と将来」の話を縦横にしてみたいものである。(右から二人目が伊藤教授、昭和女子大学位授与式にて)

奈良女子大学記念館と上野邦一さん『描いて学ぶ』

2006-10-06 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
第58回の正倉院展にあわせて10月24日から11月12日まで明治の木造建築で重要文化財である奈良女子大学記念館が一般公開され、中で上野邦一さんの『描いて学ぶ』特別展示がある。「記念館」はパリのノートルダム大聖堂と比較するのは一寸おこがましいかもしれないが、同じくフロントシャン、サイドシャン、バックシャンそしてインナーシャンであることは間違いない。「シャン」とは昔の学生用語、ドイツ語の「schon(oはoウムラウト)」のなまりで「美人」ということだ。一度ご覧あれ!
上野邦一さんは現在、生活環境学部長・教授で来年3月に定年退職、その記念に建物のスケッチ集『描いて学ぶ』を発刊、その原画などが展示されるのだろう。私は昨日、上野研究室で一冊買った。上野さんとは、名古屋時代(彼が名古屋大院生、私が豊田高専助手・講師)から一寸知っているが、上野さんが奈良文化財研究所に来たころから本格的に知り合った。建築史家である。その後、奈良女子大学に来ていただいた。上野さんのスケッチは、主に日本建築であるが、ラフなところと細かいところがあり、彼の注意点は、柱と屋根組の境あたり、「ときょう」、垂木、軒裏のあたりだと思う。その辺りが細かく描写されている。これも一度ご覧あれ!だ。

かっての学生から学位論文二通受け取る

2006-07-26 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
先だって博士学位=足の裏の飯粒論を言ったが、最近、かっての奈良女子大学学生・院生から二通の学位論文が届いた。大変おめでたく嬉しい気がした。
一通は、中村久美(旧姓・深沢)さんの『ライフスタイルからみた住宅計画のあり方に関する研究』で、奈良女子大学から「学術博士」の学位を得ている。主査は今井範子教授である。もう一通は、亀崎美苗(旧姓・赤木)さんの『ネットワーク居住の空間的広がりと居住コストに関する研究』で、東北大学から「工学博士」の学位を得ている。主査は、この3月に定年退職した近江 隆教授であった。近江さんの定年退職については、ブログ06年6月26日に書いたので見て欲しい。そこで「教え子」が世話になった、と書いた「教え子」がこの亀崎さんで、東北大学大学院博士課程に社会人入学して、闘病しつつ学位論文を仕上げたようだ。頑張りに敬服する。中村さんは亀崎さんより奈良女子大・同大学院修士課程では少し上だが京都ノートルダム女子大に勤めつつ社会人入学で奈良女子大学大学院博士課程を終えたのは似ている。彼女も良く頑張ったと思う。二人ともおめでとう。ゆっくり読んでコメントしたい。同窓生よ、続け!

レストラン「玉ろ」に行く

2006-07-22 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、夕食は家内と奈良の奈良町の「玉ろ」に行った。元々は寿司屋のようだ。場所は数日前に行った「まんぎょく」のすぐ近くである。カウンターに座って魚や肉を食べ寿司も食べた。ビールと日本酒も嗜んだ。この店は「まんぎょく」と親戚らしく「絹谷」さんと言う。東京芸大教授・画家だった絹谷幸治さんも親戚だ。私は京大時代に絹谷祐規先生に習ったと話したが、絹谷先生の実家は中書島の船問屋だったので話したが、そんな親戚関係は聞いたことがない、と言う。仕方なし。
アルバイトしている若い娘は何処かで見たな、と思ったら女将が「奈良女で先生に習ったと言っています」と言う。聞くと4回生、石川県辰口出身、磯田ゼミ、TOTOに内定と言う。「頑張れよ!」と言っておいた。こういうことまで言ったら奈良女の人は誰かすぐ分かるかもしれない。先日の「まんぎょく」にも福岡県出身の文学部1回生がいた。夜の奈良の居酒屋、レストランでは奈良女の子が多くバイトしているようだ。言葉に気をつけないといけない。

佐保会京都支部報へ原稿書くー京都の住まい変遷ー

2006-07-05 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
佐保会(さほかい)というのは、万葉集に出てくる佐保川(奈良女の横を流れる)に因み奈良女子大の同窓会だ。お茶の水女子大の同窓会は「桜蔭会(おういんかい)」と言う。戦前らしい名前だ。そこで小話:「桜蔭会の会員は、多いんかい?」「さほどでもないよ!」
その佐保会京都支部から「恩師のたより」で何か書いて欲しい、とのこと、未だ退職したばかりなので、先輩が沢山いるでしょう、と言ったのだが、是非、と言われ「京都の住まい変遷」を書いた。学生時代は除いている。吉田のアパートに始まり、松ヶ崎の建売住宅、向島ニュータウンのテラスハウス、そして現在の精華町の戸建てと「おまけ」で奈良のコーポラティブ「つなね」である。いつか西山卯三先生のように『住み方の記』が書けたら良いな、とふと思った。

論客を特別講師に招いた思い出

2006-07-04 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
奈良女子大学時代、大学院生のために特別講師を招いて集中講義をしてもらった。皆ユニークな論客である。大抵は冬休みの頃である。順不同に先生方を思い出してみる。延藤安弘さん(千葉大時代)、鳴海邦碩さん(阪大、奥さんと一緒に来られて奈良に泊まられ奈良を堪能された)、中村攻さん(千葉大)、重村 力さん(神戸大)、布野修司さん(京大時代)、安藤元夫さん(近畿大、最近亡くなられた。安藤先生にはJabeeのことも色々教わった)、塩崎賢明さん(神戸大)である。他にもおられたかもしれないが、主に私から声をかけさせていただいた諸先生方である。大抵は、講義の後、先生を交えて院生も誘って生協食堂とか外のレストランとかで交流会(飲み会)もしたのも院生達の良い思い出になっているだろう。布野先生などは京大からアメリカ(?)からの留学生まで連れて来られた。自己紹介で、マイケルですと言ったので、私はすかさず「冗談(ジョーダン)だろう?!」と応えた。

私の誕生パーティ関連

2006-06-18 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
私はこの6月26日で満65歳になる、晴れて「公式高齢者」、「年金満額世代」、そしてジパング倶楽部(JRの高齢者利用クラブ)に仲間入りだ。日程の都合もあり、今日6月18日に1週間ほど早い「誕生パーティ」をしてもらった。奈良女子大の最近の卒業生、修了生8人が「つなね」集会所に集まってくれたのだ。「つなね」の住人で奈良女子大に勤めていた田中智子先生(現・兵庫県立大学助教授)もデザート持参で覗いてくれた。現・奈良女子大教授の瀬渡章子先生もちらっと覗かれたが、大学院の仕事で出かけられた。住人のO.さんにも参加して貰った。聞くと、O.さんは大学一期校二期校選択の最後の世代、1978年に一期校に奈良女子大、二期校に大阪外大を選び、結局、大阪外大朝鮮語学科にすすまれたようだ。皆に近況も聞けて良かった。私も名刺を配り近況を話した。昨日の新井 満さんの『千の風になって』講演についても詩を朗読して話した。皆からのプレゼントは何と「サッカー・ワールドカップ」に日本代表が着る公式ユニフォーム(上)だった。早速着てみたが今晩の対クロアチア戦をこれで応援しないといけないだろう。ところで、私の誕生日は何時か知っているか、と聞くと何と田中智子先生が「露天風呂の日、6.26でしょう」と言う、その通りで覚え方もそれでよい。しかし、もう少しアカデミックな覚え方があるよ、と言って、モーツアルト作曲の整理をしたケッヘルに因んで言うと、最終曲がケッヘル626番でレクイエムである、と話した。
他にこの夏にフランスにル・コルビュジェ作品を訪ねての旅をしよう、となった。日程調整、アポイント等、結構難しい問題が含まれているが、何とかクリアして進みたい。

旧学生レポートの扱い

2006-06-11 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
私は奈良市の平城ニュータウンの「つなね」に「書斎」を持っており、昨年3月に奈良女子大学を定年退職した際、研究室から30数年間に溜まった150箱ほどの段ボール資料を運び込んだ。ほんの一部は精華町の家に運んだ。運ぶのに定年前1年近くかかった。それから1年3ヶ月近く経過した。家内が木工教室で整理のための本棚やパソコン置きテーブル等を作ってくれた。私は毎週という訳にはいかないが日曜日には出来るだけ「つなね」に行って段ボールの積みあげた状態を整理し崩してきた。しかし、未だ半分も崩していない。本やレポート類は本棚のおかげですぐ整理というか収納できる。問題は二つ、一つは「バラ資料」、もう一つは「旧学生レポート」だ。両方、整理・処理に時間がかかる。後者は10箱以上ある。捨てるわけにはいかないし、皆返すとなると「大仕事」だ。まあCDロムあたりにコピーして徐々に返そうかな、と思っている。去年から奈良女子大学卒後30周年の同窓会に出始めた。8月頃にある。そこで徐々に返せたら、と考えているが、どうなるだろうか。

結婚披露宴スピーチ、2000年卒、2002年修了の高岸亜衣子さん

2006-05-21 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、奈良女子大学・住環境専攻を2000年卒、2002年修了の高岸亜衣子さんの結婚式が奈良であったので参加し、披露宴でスピーチした。05年11月19日に前田真子さんの時以来である。(ブログ05年11月19日参照)本人と相手の峯 繁治さん(鍼灸師)にも同意していただいたので本名で書いておく。奈良女卒業生も10人ほど来ていて久しぶりの交流になった。皆、私の「洒落」を期待している雰囲気だったが割と真面目に話した積りだが・・。少し長いが読んでいただくと幸いである。

結婚披露宴スピーチ
○ 高岸亜衣子さん(2006年5月21日 於:ヒルトップテラス奈良)
峯 繁治さん、亜衣子さん、ご結婚おめでとうございます。ご親族の皆様にもお祝い申しあげます。結婚式および披露宴にお招き頂き有難うございます。私は亜衣子さんが奈良女子大学の4回生および大学院修士課程の時の指導教官を勤めました。
今日は、亜衣子さんの奈良女子大学時代を思い出しながら、人生の先輩として今後のことについても一言述べたいと思います。四つのことを言います。最初の二つは亜衣子さんの学生時代と現在の仕事のこと、後の二つはお二人の現在と将来のことです。
まず亜衣子さんのこと。亜衣子さんは、奈良女子大学の卒業設計では、春日井の国道に面する建物や駐車場の設計でしたが、駐車場のロットに番号をつけて建物から見えるようにし、番号あわせのビンゴを楽しむという仕掛けを考えましたがユニークでしたね。大学院の修士論文では研究室で取り組んでいたテーマの一つ「戸建て住宅地」の問題に取り組み、見事書き上げましたね。その成果は本の一部に使わせてもらっています。(その本『これからの郊外戸建て住宅地』(前田真子さんと私の共著、せせらぎ出版)を持ってきましたので一部差し上げます。)学生時代は、アイデアもあり同時に着実に進んできたと思います。結婚後も、何事につけそのようであるだろうと想像し期待しています。
次に、現在の仕事、コンサルタントについてお話します。亜衣子さんが春日井発祥の玉野総合コンサルタントに勤めているからです。これは何かと言うと、根気の要る「コン」、次に創造的に越したことはないけれど、要領よくやる必要があるので猿真似でもよいの「サル」そしてお金が「タント」儲かるという意味です。まあ、これは洒落で言っているのですが、長い間には、ある意味で「軽いのりも必要」ということです。
では、お二人の結婚と今後のことについて。まず結婚式は、日柄と場所を選ぶと言いますが、今日5月21日は24節気の一つ小満(小さく満つる)で万物が成長してくる良い季節になった初っ端なのです。おめでたいと思います。次に場所ですが「ヒルトップテラス奈良」ですよね。お二人の馴れ初めが奈良なので、当然、奈良なのですが、それが「ヒルトップテラス」とは「丘の上の高台」という意味ですね。お二人の元々の名前(姓)が峯さんと高岸さん、全く名前どおりの場所をスタートラインに設定したお二人の「謎かけ」を解いた積もりですが、如何でしょうか。良いスタートを共に喜びたいと思います。
最後に、今後のことですが、是非幸せになってほしい、と思うのですが、英語で幸福は、happiness と言いますね。これはhappen  happening と通じていると思います。どういうことかと言うと、何度も起こること、例えば美味しい食べ物を何度も食べることは、快楽ではありますが、幸福とは言わないと思います。幸福とは、happen 一度だけ起こることの中にあると思います。この結婚式も、将来の例えば一人目の子供が生まれることも、銀婚式も あるいは金婚式も一度しか起こりません。そう言えば、これからのお二人の毎日毎日も一度しか起こりません。是非そういう毎日を幸福とかみしめて、そして毎年着実に進級し(鍼灸師)て、幸せになってほしいと願って、私のお祝いの言葉といたします。
(写真は「人前結婚式」の行われた「チャペル」)