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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

病名の歴史的変遷

2007-02-07 | 生活描写と読書・観劇等の文化
認知症って昔、何て言ってたのかなあ、と考えてみたら「痴呆症」だったな、と思い出した。じゃ、生活習慣病の昔の名は?「成人病」。ハンセン病は、昔は「らい病」。統合失調症は、昔は「分裂病」。ダウン症は、昔は「蒙古病」。これらは、歴史の進展につれて、正確ではない、差別的名称だ等々の批判で、現在の括弧付きでない名称になってきたのだ。今日、平安女学院大学に、現在おられるが、京大医学部、滋賀医科大に長年勤めておられた野崎光洋先生に伺ったことより、忘れないためメモ的に書いておく。

放射冷却

2007-02-05 | 生活描写と読書・観劇等の文化
私の家のガレージには「屋根」がないので、今日の朝などは放射冷却で自動車のフロントガラスに霜がはりついてお湯をかけてワイパーで拭き取らねば上手くいかない。お隣のガレージには簡便な屋根がついている。勿論、その下は吹き放しである。それでも自動車の「放射冷却」は弱くフロントガラスに霜がついていない。代わりに屋根面が「白く」なっていた。家内と、ガレージに簡単な覆いを架ければフロントガラスの霜は大丈夫だろうが、「景観が悪くなるし・・」「お金も要るし・・」と話し合ってグズグズしている今日この頃です。

日本の三大エッセイ

2007-02-01 | 生活描写と読書・観劇等の文化
日本の三大エッセイと言えば、書かれた順で清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』そして兼好の『徒然草』である。三冊とも私の愛読書である。でも『枕草子』が一番読めていない本である。で、ちょっと別の読書をしていて「へー」と思ったことがあった。それは橋本 治著『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(ちくま新書)を読んだ時である。橋本さんは、1948年生れの団塊の世代、東大卒だが駒場祭のポスターで「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへいく・・」を描いて注目された人物だ。この本で「へー」と思ったのは橋本さんは「春は曙。やうやう白くなる山際、少し明りて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。・・・」に始まる『枕草子』を高く評価しつつ、「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」で始まる兼好の『徒然草』を「しょうもない」と言っていることだ。兼好は清少納言のような明快な主観による断定(春は曙。夏は夜。秋は夕暮。冬はつとめて。等)が出来ず「うだうだ」書いているとのことだ。兼好は清少納言に「コンプレックス」を持っていると言う。私は必ずしもそうは思わないが、これを読んで別に思ったことは、当然のことだが、後世の作者は自分以前の作者を意識せざるをえない、ということだ。読書も「つながり」でやると面白いと改めて思った。
(写真は、1968年の東大駒場祭ポスター)

「肺がん」は最後が一寸違うみたい・・・

2007-01-30 | 生活描写と読書・観劇等の文化
前にブログで「がんになって良かったですね」というのを書いた。:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b8eb95e39ffeb306a1b5f50b08dee87d
昨日、女医さんがいる席で、その話をしたら、その女医先生は、「がんと言っても肺がんは一般に最後が苦しくて、そんな穏やかなものではないですよ。」と言われた。そういえば、前の話は泌尿器科系統の癌の話なのだろうか。とにかく、その場で煙草をスパスパ吸っていた男連中は首をすくめていた。

京大総合博物館訪問ー湯川秀樹・朝永振一郎生誕百年記念展ー

2007-01-28 | 生活描写と読書・観劇等の文化
湯川秀樹・朝永振一郎生誕百年記念展が今日までだったので一寸出かけてみた。京大に行くのも久しぶりだ。百万遍の角部から本部構内に入れる曲がった斜路がついていた。帰りにそこを通ってみたが、行くときは東山通りを少し下がっていき左手に京都大学総合博物館がある。入場料400円、入って階段で上がった2階が件の企画展である。最終日の日曜のせいか、結構の人出である。科学少年、少女とおぼしき小学生も保護者同伴で来ている。理科離れを防ごうと、京大も京都市教育委員会等と提携して小学生向き講座もやっているらしい。この総合博物館に来たのは2回目である。展示を見て、当時の旧制の中学、高校、大学は学生の数も少なく「悠長な」雰囲気が感じられる。また、湯川さんや朝永さんが先ず活躍する場が、京大(や東大)ではなく新興の阪大であり、また大学の外の理化学研究所の仁科研究室というところも面白い。新理論は縁辺部からかな、とも思った。帰りに湯川さんの半生の自伝『旅人』を文庫本で買って電車で読みながら帰ったが、ふと西山卯三先生が『住み方の記』という自伝を書かれるのは、『旅人』が『朝日新聞』に載り公刊されて大分後であるが、西山さんは京大でも湯川さんより3、4年後輩であり、この『旅人』にも触発されたからでは、と思った。湯川さんは、案外、住いや京都の町のことも描いている。「西山卯三日記」(資料のまま、未整理、未公刊)を読む課題が又一つ出来た感じだ。
関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/cecc086ffa94bf76a2da1c879a051882
(写真は、京大総合博物館)

「がんになって良かったですね」

2007-01-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
患者に凄い言葉を言える医者がいたもんだ!「がんになって良かったですね」だって・・、「エーーー」と思った。香川県立中央病院泌尿器科主任部長の朝日俊彦さんだ。1946年生まれだから今年還暦かな。1983年から「がん告知」をはじめたようだ。上記はラジオ深夜便「こころの時代」での発言だ。(2006年9月10日、11日、雑誌に概要採録)インタビュアーに「どこからそういう言葉が出てくるのか」と聞かれて、朝日さんは次のように答えている。少し長いが、ポイントなので引用する。「どんな病気になるかというのはくじ引きみたいなもので、日本人ならば確率が高いのはがん、心臓病、脳卒中の三つです。心臓病の場合は心筋梗塞などで割りとぽっくりいくことが多いのですが、ぽっくりいったらいいかというと、本人はいいかもしれませんが、残されたほうは大変です。遺産相続などの問題があるし、遺族の方も非常に愛している人が突然死んだとなると、心の痛手がかなり強いわけですよ。「自分が死んだらもう終わり」という考え方もあるでしょうが、人間と言うのは支えあって生きているわけですから、病気になってこの世から旅立たなければいけないことになったら、良いお別れの場を整えて、本人も気持ちよく送られ、周りの者もしっかりお見送りするほうがいいと思うんですが、ぽっくり死ぬと、そのお別れができません。また、脳出血や脳梗塞で倒れて寝たきりのような状態が続きますと、あえて申し上げれば、看病する側が「飽きて」しまうんですね。介護の年数が長くなると、どうしても愛情が憎しみに変わってしまいます。その点、がんという病気はふだんはわりと元気で、いよいよ悪くなってから亡くなるまで二、三か月です。これは看病する側も送られる側も、ちょうどいい長さなんですね。看病する側にしてみたら、二、三か月なら「がんばろう」という気持ちになりますし、本人も二、三ヶ月の間に身の回りの整理をして、気持ちよくみんなとお別れするんだ、と考えることができます。・・・僕は泌尿器科の医者ですから男の患者さんが多いんですけれども、そろそろあの世に旅立つ時期が近づいてきたら、患者さんに「奥さんの手を握って『一緒になれて良かった。幸せだった。ありがとう』と一言言ってください」と言うんですよ。そうすると、ほとんどの患者さんは奥さんに「お母ちゃんありがとう」と言われます。先日亡くなられた方はかなり年配の方でしたけれども、「お母ちゃんありがとう」と言った後、奥さんの顔をまじまじと見ながら「母ちゃん、べっぴんや」とおっしゃったんですよ。すると、奥さんの頬がポッと赤くなりましてね。」「言われた奥さんも、きっと満足されているんじゃないかと思います。僕は奥さんに、前もって入れ知恵をしておくんです。「だんなさんはこういうふうに言いますから、お返しの言葉を言ってください」とお願いして、「私はお父ちゃんのことを心から愛していますよ」と言ってもらいます。お世辞でもお芝居でも、臨終まぎわの人が奥さんからその一言をもらいますと、それはもう満ち足りた気持ちで亡くなることができますし、さらに「あなた、先に行ってよい場所を取っておいてください。私もあとから行きますから」という言葉があれば完璧ですよ。こんなふうに、いかにして「終わり良ければ全て良し」というところにもっていくかという視点が、僕は非常に大事だと思っています。」
こういうことが言える医者だから、頃合いを見計らって治らない患者に「がんになって良かったですね」といえるのだな、と思った。
(写真は、朝日俊彦さん)

熱燗(あつかん)

2007-01-25 | 生活描写と読書・観劇等の文化
皆さん、今晩はどういう酒を飲んでいますか。私は日本酒の熱燗1合の後、焼酎のお湯割り1杯です。とにかく温かい酒です。やはり冬は熱燗に限りますね。勿論、私は日本人、とにかく雑食性、雑飲性(それが長寿に通じている)ですから年間を通して言うと、ビール、ワイン、ウイスキー等も飲みますが、冬はやはり温かい酒ですね。

グーグルとヤフー

2007-01-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
マイミクのFUTANさんが引用しているサイトで昨日のNHKTVの「グーグル革命の衝撃」を冷静に多角的に扱っているものがある。http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070122_google_change/
これによると、グーグルが今までメディア取材を拒否していたのに何故NHKの長期取材を許したのか、について、実は日本ではグーグルよりヤフーが親しまれているため、それを覆そうということだ。一つ昨日の取材で「へー」と思ったのは、突然、恐らくグーグルの操作で検索情報から消されることもあると言う。極めて恐い事態だ。まあ、もう少し慎重に見守る必要があろう。

お粥

2007-01-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、私は夕食にお粥を食べだしている。その一つの理由は、先だっての「人間ドック」の結果、胃が荒れていて胃炎だと言われたということだ。お粥にすれば、第一に柔らかく温かく胃にいいのではないか。第二に「量」が増えるので食べた気がする。しかし、温かいと言っても熱すぎる感じになることもある。冬は、まあいいが、夏はどうなるだろうか。今でも、温かいお粥の「トッピング」に冷たいキムチ、若布などを載せて熱さを中和する工夫をしている。昔は、奈良の朝粥のように貧乏たらしい感じのしたお粥だが、今やリッチな健康食品では、と思っている。
(写真は、グーグル・イメージ検索の「お粥」5100件より選択、トッピングあり)

初弘法

2007-01-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、1月21日(日)は東寺の初弘法であったが、大学センター試験の業務のため行けなかった。21日が大学センター試験に引っ掛かっていなければ行ったかもしれないのに・・。
今日、知り合いのH.さんに近鉄車中で会って「昨日は初弘法に両親や子どもを連れて行ってきました」と言われた。車中から東寺が見えたためもある。
毎月21日が「弘法さん」(東寺境内での定期市)の日だから、何時か行ける何時か行けると今日まで来てしまった。H.さんの話を聞いて、暦を調べると、21日は4月、7月が土曜日、10月が日曜日、まあ12月の「終い弘法」は金曜日だが、どこかで今年中には一度行ってみたい、と思っている。
(写真は、日本一ノッポの東寺五重塔、二番は奈良・興福寺五重塔)

OMソーラー補助暖房直る

2007-01-19 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、D工務店のYさんらが来てくれて、我が家のOMソーラーの補助暖房が直ってほっとした。やはり、暖気を下方の床下に強制的に下ろすファンが作動していなかったのだ。本来のOMソーラーもこれで大丈夫だ。それまで電気ストーブで室内温度10℃ちょいだったのが15℃位までになって寒い日は「息」がつける。まあ、板塀が白蟻にやられたり、OMの調子が悪くなってきたりなので、前から考えていた、家全体の12年目の「計画補修」は必至となってきた。Yさんに春になったらやってほしい、と家内が再度言ってくれたようだ。

エンゲルス『猿が人間になるについての労働の役割』

2007-01-16 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今夕、帰りに『日経』夕刊で厚生労働相の柳沢伯夫さんが「こころの玉手箱」でエンゲルス「空想より科学へ」を書いているのを読んだ。まあ、どの世代までか、長じて保守政治家になる人でも学生時代にはマルクス、エンゲルス、レーニン、毛沢東などをいわば教養として読んだものと思う。最近は、どうもそういう読書が細っている。このブログを読む若い人でまだ読んでいない人は、是非、賛否の如何にかかわらず岩波文庫等でそれらを読んで欲しいものだ。で、その新聞記事を読みながら自分としては、エンゲルスと言えば『猿が人間になるについての労働の役割』ではないか、と思った。勿論、ダ・ウイーンの進化論を下敷きにして二本足で立った人間が「自由になった」手をものづくりの労働に使うことが脳にも反作用して脳を発達させ人間になっていくという物語を分かりやすく叙述している。こういう「歴史とのつながり」の他、森林の無自覚的伐採が砂漠をつくったという「環境とのつながり」にもふれており、まあ私の考え方の一つの源泉になっている、と改めて思った。

近所の散歩

2007-01-14 | 生活描写と読書・観劇等の文化
午後、天気も良かったので近所を一寸散歩した。「丘」を北に降りていくと旧村の山田荘である。真ん中を山田川が東西に流れ、東の方で木津川に合流している。上流は西で生駒山の方向である。私は、この川を北に渡って北の小高い丘に向かったが途中、登る道が見つからず、やむなく清流の流れる用水路沿いに上流、西の生駒方向に向かい旧村の道を歩いた。途中にお寺があったので寄ってみた。西山浄土宗西念寺とある。20年前に建て直されたようだ。その前にある集会所が「豆腐を切ったような」モルタル塗りで一寸幻滅だった。やがてその用水路は暗渠となって見届けられなくなった。やむなく左手に知っている精華第二中学が高台に見えたので、そちらに向かい田んぼの畦道を不安定な格好で歩いて山田川を今度は南に渡り国道163号線沿いに戻った。精華第二中学の辺りで「ニュータウン」に入り、約1時間弱の散歩から戻った。旧村内の道(歩道)はそれほどでもないが、国道163号線の歩道は「形ばかりのもの」で本当に肩身が狭く、早く排気ガスから逃れようと「ニュータウン」に駆け込む始末だった。
(写真は、山田川、向こうの丘にに「ニュータウン」住宅地が見える)

『笑いと治癒力』を読む

2007-01-14 | 生活描写と読書・観劇等の文化
ノーマン・カズンズ著、松田 銑訳『笑いと治癒力』(岩波現代文庫)をざっと読んだ。原題は「ANATOMY OF AN ILLNESS AS PERCEIVED BY THE PATIENT」で、直訳すれば「患者に受け入れられたものとしての病気の解剖学」といったもので、特に「笑い」のみを扱ったものではない。ただ、全体をざっと読むと、笑いを含めて患者の人生に対するプラスの積極的姿勢が闘病にとってもプラスで、免疫力も高めるのでは・・、ということ、ある状況下ではビタミンC(動物では人間を含む霊長類とモルモットがビタミンCを体内で自製できず外部からの摂取が不可欠)の「大量」摂取、投与が効果有りか・・、といったことが印象に残る。著者自身が、膠原病(こうげんびょう)から回復する闘病の過程で、理解ある主治医との協力で「笑い」を積極的に取り入れ、ビタミンCを取り入れた等により回復した経験を持っている。プラシーボ(偽薬)という言葉も初めて知った。「これを飲むと治る」と医者に言われて飲むと、薬でないものでも効くという話だ。「幕間」に創造力と長寿の話があり、著者の知り合いのチェロのパブロ・カザルスとアフリカで医療活動をしたアルバート・シュバイツア博士の生活ぶりが描かれていて興味がある。二人とも95歳を越えて生きた。シュバイツアはユーモアの名手で、病院職員の気持ちをいつも明るくしていたようだ。見習いたい。シュバイツアの伝記を読みたくなった。パブロ・カザルスはチェロを引き立てた張本人(バッハの「無伴奏チェロ組曲」を表に出した)、日本の平井丈一朗(たけいちろう)さんの師だ。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/2d2ed7dd08a596477cdfc564a4143353
痛みは究極の敵ではなく、病気のサインと言う。肉体と精神全体で健康を考える「ホリスティック・ヘルス」の考え方、本来、人間には自然治癒力があり、医学はそれを有効に引き出すべきもの、という考え方だ。直接症状対応の薬漬け(例えば痛み止めのアスピリン多用)はかえって副作用の害があるのでは、と言う。大筋で賛成できる考えかただ。カマンズさんはジャーナリスト。1910-1990、享年75歳。

夫婦の会話と・・・

2007-01-13 | 生活描写と読書・観劇等の文化
田辺聖子原作の「芋たこなんきん」を見ていると、家族が寝た後で夫婦が対面して、昔話や家族のあれこれの話題を肴に、さしつさされつ飲みながら、語り合っている。ああいうのっていいなあ、と思う。自分を振り返ってみると、自分は飲んで色々喋っているらしいが、相手の言うことを殆ど聞いていないらしい。で、昨日、「人間ドック」で「酒は控えめに・・」と言われたので夕べは飲まずに、食事をしてから「お茶」を飲みながら少し喋りあった。ああ、こういう形態、時間もいいものだ、と思った。考えてみると娘が「出て行って」、夫婦だけなのだから、喋りあう時間は、なんぼでもある。二人の知り合い、友人も重なっている部分があり、二人の関心にも接点があるので話題に事欠かない筈なのに、今まで何してたんだ、とふと思った。今後どうなるだろうか。それにしても会話もいいが、色々なお茶を(酒の代わりに)飲めたのも良かった。「お茶って、こんなに美味しいんだ」なんて改めて思って言ったら、「近くに福寿園の研究所もあるから、いつでも勉強したり、買いに行けるわよ」と言われた。灯台下暗し、である。
福寿園関連私のブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/160cdd246220571c7b74802e81917a50