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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

『話し言葉で読める方丈記』

2007-01-10 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、行きかえり、休み時間等で『話し言葉で読める方丈記』(長尾 剛著、PHP文庫)を読んだ。原文の10倍位の量だが、新井 満さんの詩の「自由訳」も面白いが、こういう古典随筆の「現代語訳」の試みも面白いと思った。長尾さんの努力が表れている。
先だって、吉武泰水先生が晩年、京都で『方丈記』の「方丈」の場所を探しておられたとブログに書いたが、これを読むと、推定できる色々な叙述がある。京都の東南「日野」の小高い山の中腹である。降りていくと宇治川にも行ける。「方丈」の平面図(想像)もあって興味深い。西山卯三先生も『徒然草』と共に『方丈記』を住宅を考える古典のひとつに数えておられる。少し時間が取れたら、その「方丈」の辺りを散歩するのも興味がある。誰か一緒にやりませんか。
また、人生論としても『方丈記』は我々に訴えかけてくるものがある。原作者の鴨長明は下鴨神社禰宜の家柄に生まれたが、「地位相続紛争」に巻き込まれお父さんの禰宜(ねぎ)の地位を引き継ぐことが出来なかった。20歳代に大火や大風、平家による福原遷都などにも遭遇し、現世の無常を深く感じる。(それらに飢饉、地震を加えて五大災厄としている。それらの描写もルポルタージュとして素晴らしいようだ。)30歳代で家族も「捨てて」出家し、大原に「隠遁」するが「出家社会」のごたごたに又失望、50歳になりようやく「日野」に「方丈」を作って心の平安、生活の喜びを得る。「方丈」(丈=10尺四方の家)にはお経を唱える場所、琵琶等の音楽の場所・和歌を詠む場所がある。長明は現世への執着を捨てた、と言っているがお経や和歌や琵琶や、何よりも自分で工夫した「方丈」に執着しているようにみえる。前にブログに紹介したジェームス・三木さんが言っていた「マイナスする人生」を見事に実践ー地位・財産を捨て家族を捨て・・-しているようだが、最後の「方丈」は捨てられなかった、というところに人間臭さが出ている。まあ、その「方丈」は当時の究極の住居とも言えるが、現代の「方丈」(分りやすく「四畳半」あるいは「八畳」)というか、「私の方丈」は何だろうか。亡くなられた吉武先生も、大家の地位を捨て、「吉武泰水」の「方丈」を最後に探しておられたのかもしれない。

煙草と酒の経験

2007-01-09 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日は「成人式」だった。で、煙草と酒の話をする。私が煙草を吸いだしたのは学校を出て豊田高専に就職してからで「奥手」である。名工大の服部千之先生が「HOPE」(10本入り)を吸っておられたので真似で吸い出した。1966年頃である。以後、ニコチンの少ない方向に段々なるが、途中、奈良女子大の扇田 信先生の影響で「パイプ煙草」も何年かやったことがある。イギリスに10ヶ月ほど行っていた時も「イギリス煙草」(SILK CUT等)を吸っていた。40歳代から50歳代にかけて「チェーン・スモーカー」(チェーンのように次から次から吸う人)のようであった。途中、禁煙は何度もしたが長続きしなかった。最後に禁煙したのは56歳頃でほぼ10年前で現在まで続いている。きっかけは奈良女子大で学生部長になって、部長室には重要な書類が一杯で、煙草の「失火」で燃やしたら責任問題と思ったためである。で、あっけなく止められた。禁煙して10年経ったら「延命効果」はどうか、禁煙専門家の高橋裕子先生(奈良女子大保健管理センター所長)に聞いてみたい。
次に酒を飲みだしたのは、大学生時代(未成年19歳頃)の「コンパ」からだが、「弱く」て、就職した時に名工大の近くのビヤホールへ「服部ゼミ」の皆と行った時、皆は中ジョッキーや大ジョッキーなのに、私一人小ジョッキーで真っ赤になっていた。だから元々アルコールに強いわけではない。徐々に「強く」なってきた。最近は毎日のように飲んでいる。何でも飲むが量としては焼酎の湯割り2杯位だが少し「休肝日」を設けねば・・と思う。ブログにも紹介したが、脚本家のジェームス・三木さんが言うように、これからは「悪いことは止めていくマイナスの人生にすべし」だとしたら、酒も少しマイナスにし、先に書いたように休肝日を設け、二次会も断わっていくべきだろうな、と思っている。ジェームス・三木さんの記事ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/9c32c8845446a0ac2bebe1b1c9ad4b30

歩くこと、感じること

2007-01-09 | 生活描写と読書・観劇等の文化
二、三日前に山折講演(ブログ参照)聞いた訳ではないが、通勤の行き帰りに自宅から高の原駅まで自動車で送り迎えして貰っていたのを、とりあえず「半分」やめて行きは専用歩道を歩くことにした。普通に歩いて20分である。今日からはじめる。前もここは何百遍、あるいは千遍以上は歩いているが、最近、風景が大きく変わってきた。「イーオン」の出現である。向こうの方に見えた昔からある建物や、小高い山並みが見えなくなって、「巨大戦艦」が立ちはだかっている感じとなっている。未だ覆いが取れないが、4月にはオープンと言っているので、そのうち「生身」が現れてくる。何か別の歩道がないのかな、とも思うが、大分回り道になるようだ。まあ、休みなどに他の緑溢れる道を歩いたりして「お口直し」というか、「お足直し・お目直し」をしなければ、と思った。

『憲法九条を世界遺産に』を読む

2007-01-08 | 生活描写と読書・観劇等の文化
三連休の最後に何を読むか、机の上の「積んどく」の中から選んだのが太田 光・中沢新一著『憲法九条を世界遺産に』であった。集英社新書で薄く読みやすそうなこともある、一寸話題になっていることもある、今年は憲法にとって正念場になりそうなことも頭をよぎった。この書名の言い方は、「爆笑問題」の太田 光(おおた・ひかり)さんが発明したものだ。中々「光」を放っている。世界遺産は、放っておけば破壊されるので世界全体で保存していこうというものだ。本は二人の対談が中心だが、中沢さんが色んな本を読んでいることは当然として、太田さんがこんなに勉強家とは知らなかった。序章の宮澤賢治の解釈について、不勉強で知らなかったこと(田中智学や石原莞爾達の思想に傾倒していったことなど)もあるが「ほー」と思った。太田さんの仏教も御釈迦さんの教えが全てではなく、中国、朝鮮を通って日本に来て日本人が練り上げたもの(色んな人々の合作)が凄いように、あの時点を除けば恐らく出来ないようなアメリカと日本のいわば合作の日本国憲法、その九条は、日本だけで創るものより素晴らしく60年も生きてきたではないか・・、といった言い方も心に残った。何故なら「あれはアメリカに押し付けられたから改正すべし」論が横行しているからである。
過去の私の関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ed4c0e06b091349497d947cabefb363e

生きる作法、死ぬ作法(山折哲雄講演より)

2007-01-08 | 生活描写と読書・観劇等の文化
夕べ、ラジオ「講演会」で宗教学者の山折哲雄さん(東北大出身、国際日本文化研究センター長歴任、75歳)の「生きる作法、死ぬ作法」を聞いた。まあ宗教学者らしいテーマだ。色々と含蓄のある話だった。
・山折さんは、60歳代までは同級会に行かなかったが70歳代になって行くようになった。皆の話を聞いていると、「老・病・死」に関する話で盛り上がり、「生前葬」の趣である、と言う。
・信長の時代からごく最近まで「人生50年」だったのが、ここ数十年で、寿命が20~30年延びた。老・病・死がゆっくりやってくるが、その時期における「生きる作法、死ぬ作法」のモデルがない。だから全体的に「ウツ状態」になっているのでは・・、と言う。(思い当たるところがある)
・「抗ウツ」の「生きる作法、死ぬ作法」の(山折さんの)仮説を三点述べられ、説明された。(1)歩くこと。山折さんは最近は京都の下京区に住み、朝は作務衣を着て下駄で散歩する。そこで、道元禅師御入滅碑と親鸞上人御入滅碑を発見、散歩の喜びである。(私は「人も歩けば情報に当たる」と言っている。)で、御釈迦さんはどれ位歩いたのだろうと山折さんは考えた。片道500kmを2往復していて2000kmとなる。イエス・キリストは、ナザレからガラリア湖、ヨルダン川沿いに南下、エルサレムまで150kmは歩いた。道元や親鸞は1500kmという。(そういえば、古人で長距離歩いた人が頭に浮かぶ。西行や芭蕉などである。最近では司馬遼太郎か。『街道を行く』)
話の途中で、富士山の素晴らしさや北斎・広重の「逆遠近法」、山岳信仰の話が入る。道元や親鸞の書き物には、しかし、道中に富士山を眺めたであろうに何も書かれていない。これは、何故であろうか、と問われつつ「答え」がなかった。(2)座ること(座禅)。永平寺での修行。ピンと背中が伸びた座り方、精神の明浄性の確保。サンフランシスコの禅センターでもパリに10ヶ所もある禅道場でも日本式でやっていたらしい。最近、家庭でちゃんと座る作法(座禅に限らず)が教えられているのだろうか、と問われる。(立ち居振る舞い(礼法)は確立していない、と言えるだろう)余談で、うるさい学生達を静かにさせるのに、背中を伸ばしてきちんとすわらせ、瞑想させる、と言う方法を試したことがあり、上手くいったと言う。座禅した後で飲む茶は誠に美味しいとのことだ。やってみようかな。(3)断食。宗教家の往生には断食はつきもののようだ。(死ぬ1週間位まえから「予測」して断食に入るのであろうか・・) 山折さんの「最後」の理想は、西行の「願わくは花の下にて春死なんその如月のもちづきの頃」であるという。

歩くことは、まちづくりからも前から私も推奨している。まち自体が「歩いて回れる町」であることと、町の研究でもゲデスやマンフォードのように歩いて現地主義で研究すること、である。釈迦なども単に歩いたのではなく、途中で説教し、瞑想したに違いない。歩く途中の人々とのつながり、環境とつながり(富士山に心を洗われる・・)も大切だろう。

日野原重明さん今年96歳年男

2007-01-04 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今朝、出掛けにテレビNHKで日野原重明さん今年96歳の「健康秘訣」みたいのをやっていた。私は9時前に家を出る必要があり、それまで見た。日野原さんは、成人病という言葉を「生活習慣病」に改める提案をされた先生、京大(医学部)卒の大先輩、生活の質ということから、家で最後を看取ることが大事といっておられ、聖公会系の聖路加国際病院長を長くされていた。そして、日野原先生自身の言い方で、長生き人生の「ご褒美」という「文化勲章」を一寸前に貰われた。私のブログでも何度か登場しているが、今日特に印象に残り、やってみようか、と思ったことを書く。それは、寝方である。うつ伏せに寝ておられるのだ。四足動物は皆うつ伏せに寝ている。人間は何時ごろか、大方は仰向け寝になったが、本来、人間も元はと言えば「四足」だったし、内臓の配置、構造からしてうつ伏せが合理的なのでは(寝る前に食べても良く消化する・・)、現に「私」がその証拠、と言いたげだった。うつ伏せに寝るために顔を置く枕、胸・腹の下に置く枕、足に挟む枕等を工夫しておられる。私は、大抵右向き横になって寝ている(食べ物が胃から腸に移行しやすい、心臓を圧迫しない)が、今度、日野原式うつ伏せをやってみようかな。
日野原記事(過去):http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/049fedd7faa114973088d6ab8407d90b
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/54c767edbb251d86e954c83202d2b068
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/8681d5682ee10c1f6bfe519510ea2504
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/7384814a56512ce71f0afa377b2de702

禁煙、21世紀の都市像、木造建築

2006-12-31 | 生活描写と読書・観劇等の文化
年末に来た『学士会会報』最新号(No.862)をつらつら眺めた。表題の三つ「禁煙、21世紀の都市像、木造建築」は別に三題噺ではなく目に付いたものだ。禁煙については「禁煙のすばらしさ」という題で「日本禁煙科学会」の副理事長の奈良女子大教授の高橋裕子さんが書いている。高橋さんは奈良県出身、京大医学部(昭和53年)卒、現在、奈良女子大学保健管理センター所長である。私が奈良女の現役の時、うつ病の相談をしたり、生活環境学部長の時、理学部長だった高木由臣さんと三人で会食し、大いに盛り上がり駄弁ったこともある。禁煙運動専門家として『朝日新聞』にも取り上げられた全国区の才女である。元気に活躍していることが分かり心強い。
「21世紀の都市像」を書いているのは大阪市大・創造都市研究科教授の小長谷一之(こながや・かずゆき)さんである。京大理学部(昭和57年)卒の異色である。都市空間を都心、インナーシティ、内郊外、外郊外の四つに分け、放っておくと都心以外「衰退する」と予測している。「コンパクト・シティ」や「創造都市」についても言っている。先日mixiでFUTANさんから聞いた言葉だ。「創造都市」とはシリコン・ヴァレーのように衆知が創造につながる仕組みを持っている都市だ。我々が「市民」の「けいはんな市」はそうなるだろうか。
「木造建築という文化の危機」を書いているのは藤井恵介さんである。東大大学院助教授で建築学科(昭和51年)卒業と思われる。私も全く同感だ。私の京大学生時代は金多 潔先生(本来、鉄骨構造の専門家)が助教授で木構造を教えておられた。木構造普及、材木利用(特に国内材利用)は大変重要な課題である。日本建築学会でも本格的に取り上げるべきである。
(写真は、高橋裕子教授)

大掃除や買い物

2006-12-31 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、今日と年末大掃除等であるが、以前ほど「大」でなくなった感じだ。昨日は少し暖かだったので外に出て窓拭きをし、玄関上の小屋根のフラット部の苔を洗い流した。買い物にも行った。窓拭きはガラスが大きいので拭くのに三段の脚立を立てて上がって拭く。拭く雑巾は使い古しの下着やパジャマを切ったものだ。1階南側の窓部だけで畳8枚分位で大汗をかいた。玄関上の小屋根の部分はトタン板でほぼフラットになっているので水の流れが悪く、苔むしてくる。それを二階の脱衣室から出て、箒の先で、お湯をかけながら掻き落し洗い流す。樋の部にも溜まっているので、そこも洗い流す。ここも畳4枚分位で結構な仕事だ。今日も残った窓拭き、家中のカレンダーの取り替え等がある。「紅白」までに一応終わりたい。別に私は「紅白」を熱心に見るわけではない。ちびちびやりながら炬燵で本を読んだり、mixi見たりする「楽しみ」が待っている。

今年の顧みーブログと日記などー

2006-12-30 | 生活描写と読書・観劇等の文化
ブログを書き出して1年半ほどになる。コンテンツは2200を越えている。平均して日に4つ書いていることになる。前にもう少しペースダウンしたいと言っていたが中々「慣性の法則」が働いてブレーキが効きにくい。だが、最近は漸くブレーキがかかってきて落ち着いたペースになりつつある。ブログにその日の出来事を書くと、勢い日記は「手薄」になる。ここ1年半の日記を見ると、日に数行、あったことしか書いていない。日記は1988年2月頃よりワープロ(OASYS)で書き出して、パソコン(WORD)になってきた。日に400字×3,4枚の字数であった。1990年頃から2005年3月までの15年間位の「個人史」(奈良女子代時代の後半)なら、ばっちり書ける基本資料と思っている。
でもブログは、色々なメモの面もあって、日平均の4コンテンツ合わせるとそれまでの日記以上の字数となる。カテゴリーも20あるので事象の整理にもなっている。
来年は、もう少し、日記、ブログ、mixiコメントを統一的に考えていきたい。

浮世床

2006-12-25 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日の日曜日、今年最後の散髪に行った。ここのマスターは、四国から出てきて大阪で修行して、この辺りに三店舗持っている「やり手」の部類に入ると思う。私は、なぜか、いつも、このマスターにやってもらっている。私より数歳年下、でももう年金貰っているという。60歳は越えている。で、そのマスターが言うに「お客さん、お客さんの頭にあたるのも今日が最後です、今年で「引退」して別のことをやります。でも、何?と聞かないで下さい、2,3年して「芽」が出たら息子から言って貰います」とのこと、二の句がつげなかった。息子が新年から社長のようだ。洗髪、髭剃りは別の若い衆がやってくれるのだが、彼が言うにも「マスター(社長)にいくら聞いても何をするか、教えてくれない。奥さんにも聞いたが知らないと言われた」とのことだ。まあ2,3年後を楽しみにしよう。月一回のこの散髪屋での一時間の駄弁り、居眠りは私のリラックスした「至福の時」である。

名門オーケストラを救え 佐渡 裕と「歓喜の歌」

2006-12-22 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今夕、NHKハイビジョンで「名門オーケストラを救え・パリに響く佐渡裕の歓喜の歌」を見た。佐渡 裕さんは京都出身、45歳。京都芸大出身、小澤征爾さんに師事。12月なのでベートーベンの歓喜の歌かな、と思った。歓喜の歌(詩)はシラーの作、原語でAn die Freuide(歓喜に寄せて)と言う。私は大学2年の時、同じクラスの加藤肇彦(かとう・はつひこ)君に教えてもらった。彼は大人びた教養人でドイツ語フランス語なども得意だった。日立製作所を経て湘南工科大学にいるのではないか、と思う。番組ではパリの名門オーケストラが企業の寄付、文部省やパリ市の補助金等がカットされて解散の危機に瀕していたのを「歓喜の歌」(ベートーベン交響曲第九番)の演奏活動を推進する過程で、文部省の補助を復活させた物語である。最後に本当に歓びに満ちた「歓喜の歌」が響いた。
「Freude, schoener Goetterfunken,
Tochter aus Elysium!
Wir betreten feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligtum!
Deine Zauber binden wieder,
was die Mode streng geteilt,
alle Menschen werden Brueder,
wo dein sanfter Fluegel weilt.」
(歓喜よ、美しい神の閃光よ、
楽園からの娘よ、
われらは情熱に満ち、
天国に、なんじの聖殿に踏み入ろう。
なんじの神秘な力は、
引き離されたものを再び結びつけ、
なんじのやさしい翼のとどまるところ、
人々はみな兄弟となる。(大木正純訳))
これを聞くと、歳末だな、と思う。
(写真は、佐渡 裕さん)
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/c871a663bf32e8054b97831e01fff901

「死生学」の視点 アルフォンス・デーケン

2006-12-21 | 生活描写と読書・観劇等の文化
『日経』夕刊のインタビューで上智大学名誉教授・PHDのアルフォンス・デーケンさんが、いかによく生き、良き死を迎えるか、学際的に考える「死生学」について語っている。デーケンさんが日本でホスピス運動を始めた時(1982年)、一つしかなかったホスピスが現在160余に増えたと言う。だが質的点で課題が残っている、心のケアが十分でない点とのことだ。1932年ドイツ生まれ、74歳。「ドイツ語では動物が『死ぬ』のはフェアエンデン(verenden)、人間が『死ぬ』のはシュテルベン(sterben)と言葉が異なります。前者はただ消えるという意味で、下降するのみです。後者は肉体的に衰弱しますが、精神的にはまだ成長できる可能性があるというニュアンスが込められています」定年後の豊かな第三の人生には六つの課題がある、と言う。(1)『手放す心を持つこと』 過去の業績や肩書きに対するこだわりを捨て、新たな出発をするつもりで積極的に生きること。(2)『許しと和解』 死にいく人も、残される人も互いに許し許されること。(3)『感謝の表明』これまでの人生を謙虚に振り返ると、自分がいかに多くの人に支えられてきたかを感じるはずです。素直に『ありがとう』と言えることが大切。(4)『さよならを告げる』こと。死は旅立ちです。別れのあいさつをきちんとしたい。(5)『遺言状の作成』財産争いは意外に少なくありません。法律的に適正な遺言状を作っておくことは、残される人への心配りです。(6)『自分なりの葬儀方法を考え、周囲に伝えておく』これも周囲の人への配慮、思いやりです、と言っている。行き届いていると思う。これら六つをきちんとやれれば「死生学」の単位、「優」に違いない。
最後に「限りある「生」をより良く生きるには(ジョークではなく)ユーモア、笑いが重要だ」と言っている。ユーモア(HUMOUR)は、YOU MOREでもあるだろう。(写真は、柔和なデーケンさん)

人も歩けば情報に当たる

2006-12-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
犬も歩けば棒に当たるという言い方があるが、今では「人も歩けば情報に当たる」ではないか、と思う。私のブログ記事術は、「歩く時に情報を拾うこと」と「新聞、テレビに注意すること」が大きい。人は「居たきり」や「寝たきり」にならないため、あるいは「引きこもり」にならないため、元気な時に、また小さい時から「歩く楽しみ」を身にしみ込ませることが大切ではないか。
それから、毎日「新聞など読みたくない」となったら黄信号だという。現実に関心が薄くなることは生きる元気に翳りが出てきたことに通ずるのだろう。ところで、昔、西山卯三先生は、メモを取りながらテレビを見ておられた。私は不肖の弟子だが、つい真似でメモ帳をテーブルにおいて、取っていて、ああ西山流だな、と思ってしまう。テレビではメモを取らないと情報は流れてしまい、後でキチンと伝えようにも「目も」当てられない状況となる。まあNHKなどはホームページにアクセスして一定のことは分かるが・・。とにかく、だから私のブログ記事にテレビ、新聞、そして通勤行きかえりに「取材」した記事が多いのではないか。最近の自己分析である。

春日若宮おん祭 初めて見に行く

2006-12-17 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、奈良の春日若宮おん祭(お渡り式)に初めて見に行った。31年間、奈良に勤めていたのに恥ずかしながら初めてなのである。家内は数回行っているようだ。午後に行って、春日大社の鳥居に入って直ぐの所で、「大名行列(大和郡山藩)」「南都奉行所行列」を見た後、槍術の型(宝蔵院流)を見た。そして寒い中、稚児の流鏑馬(やぶさめ)もあった。これは馬で走りながら矢を射るのかと思いきや、馬で歩いて的の前まで行って射るので易しいものだ、と思った。両親が和服正装でついて行っている。その後「お旅所」の芸舞台で古来の芸能が奉納されるようだが、寒いので見に行くのはやめて帰った。ああそうそう、もう一つ、東大寺のお水取りにも未だ行っていないな、とふと思った。(写真は、流鏑馬)

NHKTV  千の風になって

2006-12-17 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日NHKTVで16時45分から18時まで「千の風になって」をやっていた。新井 満さんの自由訳と歌で一躍日本でも有名になった詩だ。達観すると「輪廻転生」の詩だ。JR事故で尼崎で亡くなった人、2001年のWTC崩壊で亡くなった人、ネイティブ・アメリカンの人、IRAと戦って亡くなったイギリスの若い兵士等、皆「千の風」になっている。49歳の父親を亡くした(大学に進学するように言った父に抗して女優になった)木村多江さんがアメリカ、イギリスと「千の風になって」を訪問する。で、良く考えてみると、「風になる、千の風になる」のが万民の共感を得るのだ、と思った。千の星でも、千の水でも、千の土でも駄目である。何故なら、風は触覚で感じられるのに星、水、土は主に視覚で感じるものだからだ。勿論、水や土は触覚でも感じられるが意識的に近づいて触れないと駄目である。それに対して「風」は黙っていても誰にでも、視覚障害者にも聴覚障害者にも自然に等しく感じられるのだ。だから「千の風」なのである。ああ、この風が愛する○○なのだ、と五感のベースである触覚(頬を撫でる風)で捉えられるのだ。
 他にこの番組で心に残った言葉:The sadness you feel is the gift! Ⅰ love you! 愛は西洋社会(キリスト教社会)の根源のキーワードだろう。(写真は、ナレーターで主演の女優・木村多江さん)