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西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

黒川伊保子著『日本語はなぜ美しいのか』読書録ー2「Good morning」

2007-03-03 | 生活描写と読書・観劇等の文化
「語感だけでいっても、「Good morning」は「おはよう」に比べると、暗く物憂げなのは事実だ。英語圏(ウン、英国?-小生注)の人たちの朝は、日本人の朝より、少し静かに始まるようである。考えてみれば、このことばを生んだ英国は日本よりずっと緯度が高いので、日本のように、年中、朝の光が眩しいわけではない。冬などは、子どもたちの登校時間になってもまだ暗い。実は、ことばは、このように風土とも無関係じゃないのである。眩しい朝を迎えることの多い日本人は、朝にアサASaということばを与えた。喉も口も開けるAに、舌の上に息をすべらせて口元に風を作るSの組み合わせ。まさに、爽やかな開放感のことばである。オハヨウも、ハの開放感が目立つ、弾むような挨拶語である。黎明の中や、穏やかな陽光の中で一日を始める緯度の高い英国に住む人たちは、くぐもった発音の「Good morning」で挨拶をし合う。いたわり合いつつ、徐々に活動を開始するイメージだ。・・鮮烈な朝日で迎える日本の朝には、日本語のアサ、オハヨウがよく似合う。日本に生まれ、日本の朝日の中で「アサヨ、オハヨウ」と言われて抱き上げられる赤ちゃんの脳には、素直に、ことばと情景の感性リングが成立する。もちろん、英国の薄暗い朝に、穏やかな低音で「Good morning」と言われて抱き上げられる赤ちゃんの脳にも、素直に、ことばと情景の感性リングが成立する。こうして、その国の風土と人々の意識とによって、長く培われたことばが、母国語である。」(12-14頁)だから、日本人が日本という風土では、早期教育か何か知らないが、赤ん坊に英語教育をしてはいけないのである、と彼女は言っているのだ。(続く)

防火御触書

2007-03-03 | 生活描写と読書・観劇等の文化
近所に相楽中部消防署西木津出張所があって、消防車、救急車が見えていて一寸安心だ。今日、その前を散歩していたら、その出張所前の塀に「高札」がかけられているのに気付いた。前からも気付いていたが、じっくり見ていなかった。
防火御触書と書いてあって、以下五項目があげられている。出張所の人に頼んでメモ用紙と筆記用具を借りてメモした。以下、実際は縦書きだが横書きしておく。

一、たばこの投げ捨て禁じ候
一、寝たばこ禁じ候
一、火の始末は責任をもって取り扱うべし
一、火付けされないよう日頃から整理整頓に勤めるべし
一、天ぷら中はその場を離れるべからず
               木津西防火奉行

聞くと、『京都新聞』にも取り上げられたようだ。こういう面白い町の「表示」なら皆気をつけて読んでくれるのではないか。

黒川伊保子著『日本語はなぜ美しいのか』読書録ー1「朝よ、おはよう」

2007-03-03 | 生活描写と読書・観劇等の文化
この本特有のキーワードは色々あるが、最もベーシックには「発音体感」というコンセプトであろう。発音と同時にその時感じる体の状況(気持ち)である。最初に「朝よ、おはよう」という日本語があげられる。「アサという発音体感には、爽やかな開放感がある。・・「朝よ、おはよう」と声をかけた母親は、無意識のうちに自分の発音体感によって、爽やかな、弾むような開放感を味わっているのだ。さて、注目すべきは、赤ちゃんの脳である。赤ちゃんには、目の前の人間の口腔周辺の動きを自らのそれのように感じとる能力がある。このため、母親が無意識に感じている、爽やかな、弾むような開放感に赤ちゃんは共鳴して、一緒に味わっているのである。アサ、オハヨウということばは、これとともにある情景、すなわち、透明な朝の光や、肌に触れる爽やかな空気や、抱き上げてくれた母親の弾むような気分とともに、脳の中に感性情報としてインプットされていくのである。」(10-11頁)と。この情景から、日本語の他の言語との比較しての特徴、12歳まで「美しい日本語漬け」にする必要性が展開していくのである。引用の最後の方も含めて、別のところで次のように述べられている。「母親の発音体感と、母親の気持ち、その時の情景と、母親の所作。この四つに共鳴することで、赤ちゃんは、ことばの基礎を作り上げる。したがって、母親は、発音体感が自らの意識や所作と密接に連携していることば、すなわち、母親自身の母語を使うべきである。(我々は日本語だ。英語を格好いいなんて思ってはいけない!)母親の発音の心地よさをたっぷり経験した赤ちゃんは、やがて、何かに興味を感じたとき、その対象物と共鳴し合うために音声を発するようになる。その音声に母親が反応して、意識の共有、すなわちコミュニケーションの体験が始まる。」(69頁)発音体感に関連して、その時の意識、情景、所作もキーワードと言えよう。(続く)

黒川伊保子著『日本語はなぜ美しいのか』を読む

2007-03-02 | 生活描写と読書・観劇等の文化
黒川伊保子さんは奈良女子大学理学部物理学科のご卒業だ。1959年長野県生れで栃木県育ち、大学は関西で理系、しかし、この本はどうみても表向きは文系、こういう文化の融合が面白い。東と西、理系と文系。私がmixi「奈良女コミ」に「奈良女卒で社会的に活躍している人」というトピを立てたら早速この黒川伊保子さんがあがってきた。1980年代のご卒業だから私が学部は違うが奈良女にいた頃だ。コンピューターメーカーに就職は、理系だから分かる。そこでAI(人工頭脳)の開発に携わり、脳と言葉を研究。現在は、(株)感性リサーチ代表取締役だ。
この本は集英社新書である。中身についてのポイントと感想はおいおい書くが、この本の社会的主張としては、小学校に英語教育を導入するのは馬鹿げている、美しい日本語が駄目になる、3歳、8歳、12歳に注目して創造的日本人を育てるなら12歳まで美しい日本語をきっちり家庭でも学校でも伝え、しみ込ませるべきだ、というものである。藤原正彦さんも『国家の品格』その他で小学校への英語教育導入反対、先ず日本語を、と言っているが、黒川伊保子さんの主張の根拠が新しくて、面白かった。日本語は数少ない母音を重視した言語、英語、アラビア語等大多数の言語は子音重視の言語、これらをごちゃごちゃにすると拙い、日本人のアイデンティティ(日本人らしさ)が失われる、12歳を過ぎたらどんな言語でもどんどん教えても構わないが、12歳までは日本語の美しさを徹底して教えるべきとのことだ。まあ我々が今まで何気なく中学校から英語を習ってきたことが正当化されている。面白いポイントや感想は次回に・・。
黒川伊保子さんのホームページ・プロフィール:http://www.ihoko.com/f_profi.html

近鉄特急19時発奈良行きに乗る

2007-02-26 | 生活描写と読書・観劇等の文化
平安女学院大学(高槻)からの帰りにしばしば近鉄特急19時京都発奈良行きに乗り高の原まで行っている。京都発で高の原に止まる特急は、夕方の19時以降にしかない。まあ、高の原には結構な「サラリーマン」も住んでいて、東京から新幹線で19時以降に京都駅に着く人も多いから需要があると近鉄は考えたのだろう。で、私は何時も3号車に乗る、そのように言って指定券を500円で買う。一番で3号車の指定券を買うと9番席になることが殆どだ。そういう切符販売ソフトになっているのだろう。3号車の後ろの扉のほぼ前が高の原駅では階段、エスカレーターの前だ。
この特急では色んな人と一緒になった。薬師寺の管主、京都教育大学のNatukawaさん(丹波橋より乗車)、その他色々だ。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b922c3f210d9581fa83231bbb32e7f00

近鉄特急関連洒落:近鉄特急に横綱・朝青龍が乗ってきた。車掌は、貴方は禁煙車に乗れません、と言った。どうしてでしょうか?

答:No Smo-king(ノー相撲キング)

ブログの背景(テンプレート)

2007-02-21 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、ブログの背景を「コロッセオ」から「梅に鶯」に変えた。一寸、季節が「早いかな」と思ったが暖冬で梅も咲き始めているので「いいか」と思った。隣の紅梅も咲いている。うちの白梅はまだだが・・。「コロッセオ」は時間によって日が翳ったり真夜中になったり変化するのが良いと思っていたが、ブログ読者から、字が黒っぽくて読みにくい、というコメントが別に入ったので、少し早いが「春の気分」で変えてみた。一応これらの背景は「Gooブログ」が準備したものから時々選んで変えている。まあ自然指向だが、感想があれば言って欲しい。

「10年の記録」を書こうかな

2007-02-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、1996年の日記を見ていたら、9月14日(土)に初めて日本家政学会の本部の理事会に出席したことが書かれている。関西支部長として出たのである。以後、副会長、監事として通算10年間、年に6,7回東京通いとなる。2006年5月までである。会長は大野先生(日本女子大)、島田先生(お茶の水女子大)、酒井先生(放送大)、江澤先生(日本女子大)、片山先生(日本家政大)だった。この行き帰りの新幹線車中での「車中考察」という項目が日記に出てくる。これらをづっと読むと、「へー当時はこういうことを考えていたんだ」と分かって自分ながら面白い。
「10年」というと、この年以前の10年間、今度は日本建築学会の建築計画委員会の「懇親会」に毎年欠かさず出ている。初回は確か神戸で吉武泰水先生も西山卯三先生も参加された。どうしても「吉武スクール」が中心になるせいか、二年目から西山先生は、来られなかったのではないか。ここでの会話もインフォーマルだけど面白い。今後、日記そのものをおいても、これら二つの「10年史」は書いてみたい。

増田 進医師の話をラジオで

2007-02-19 | 生活描写と読書・観劇等の文化
ラジオ深夜便「こころの時代」で宮古の太郎病院院長(元・国保沢内病院長)増田 進さんの地域医療の話を聞いた。40年ほど前に東北大学医学部卒業、外科医、長年、沢内村で医療活動、岩手県沢内村は長野県佐久市と共に地域医療の先進地だ。増田さんは、今の検査データーは見るが人間の顔を見ない診断、薬は沢山出すがちゃんとした手当てが薄い治療に批判を持っておられる。「治療という言葉より手当てという言葉が好き」と言われる。聴診器は主に内科医使用だが今でも大事、五感でみることが大事、話を聞いてあげただけで楽になったといわれることもある、と言う。鍼も西洋医学の観点で勉強し使っている。地方で頑張れるのは、外科出身が多いのでは、と言われる。佐久総合病院の若月俊一先生(故人)もそうだ、と言う。何故なら、外科医は患者とのスキンシップが元々大事だから、とのことだ。こういう先生が多いといいのだが・・。
手当て:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/fccc6184f617245de4f89ca1b8bc4636

「音声ロボット」

2007-02-18 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、近商で大阪ガスがガスコンロの展示をしていたので一寸見学した。その中で、ガスコンロにスイッチを入れると、「右奥のガスコンロに点火します。火の強さは弱です・・」と言ったことを音声で知らせてくれるものがあった。まあ「そうか」と思うが、一々言ってくれるのもうるさいものだ。それなら、聞き逃したときに「えっ何だって?」と聞き返したら返事して欲しい。家に帰るときに「カーナヴィ」をonにしたら「後300メートルで右に曲がります・・」などと言っている。分かっている、うるさいなあ、と思う。ここでも初めての所だったらそれでも良いが、少し慣れたら、むしろこちらから「次の辻だったかな?」と聞いた時に「いや、もう一つ先です」等と答えて欲しい。
で、家内がロボット研究のモニターをしているので、聞いてみると「朝起きると、今日は何日、何曜日、天気予報は、電車の時間は、今日の予定は・・、と言ってくれるロボットがある」とのこと、私は「大きなお世話だ、そういうことを覚えていたり手帳でチェックしたりするのが大切、・・どうしてもロボットを置くなら、忘れたことを聞いたら、それだけに答えて欲しいものだ」と言っておいた。

「会社人間」+「専業主婦」から「居住地人間」パートナーズへ

2007-02-17 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日は土曜日、家内と昼食後に喫茶店に行って駄弁っていたら「へー」と思うことがあった。彼女が行っている「サークル」に会社を定年で辞めた男性もいるらしいが、その男性が「最近、朝食のメニューが以前より貧困になった」と言ったらしい、そこで女性陣は「朝食ぐらい自分で作ったらどうなの」と期せずして同じことを言ったようだ。で、家内の心理分析を聞くと、男性は定年後もそれ以前と同じように「リッチな朝食が出てくる」と思っているかもしれないが、「専業主婦」だった女性の方では、「会社人間を全うするため出来る限り朝もご馳走を出した」が、男性が定年になったら専業主婦も当然、定年であり、一寸のんびりさせてよ、の気分ではないか、と言う。そう言えば、最近、夜の部だが、私が帰宅しても「未だ食事作ってないからね」と「待たされること」がたまにある。私は未だ「完全退職」ではないのに・・、もう「試運転」期間かな。まあ、私は基本的生活力涵養の線でやっているから「大丈夫」と思っている。「会社人間」+「専業主婦」の夫婦組み合わせは、「居住地人間」パートナーズ(複数形)に転化、進化しなければなるまい。

日記とブログ

2007-02-17 | 生活描写と読書・観劇等の文化
私は1988年2月頃から「ワープロ日記」を一日も欠かさず書いている。途中から「ワープロ(オアシス)」から「パソコン(ワード)」に変わり現在に至っている。2005年6月下旬から、このブログを始めて外出の一定期間を除いてほぼ毎日書いている。その替わり日記が「やせ細っている」と何度か書いた。でも、このブログを時間系列に並べると、書いた日付順になるので「日記」を補完するものとなる。で、それ以前の1988年2月~2004年12月(奈良女定年の前年の12月)までの日記は、年ほぼ一冊の厚手のファイル(厚み5cm~6cmのもの)に収まっている。今日、3冊を私の「B書斎」のある「T居住地」に持って来た。これで1988年から1993年まで運んだことになる。これを読み出すと自分として「面白くて止められなくなる」ので本格的自分史等を書く時まで自制したい。「T居住地」に持って来たのは、将来「A書斎」と「B書斎」でやる仕事の区分を頭に置いていることと、「B書斎」のパソコンにだけ「オアシス」「ワード」両方のソフトが入っていて編集作業がやりやすいためだ。再来年、奈良女創立100周年になるので、そこに向け、それから20年前の『1989年日記』を公刊したい、と思っているが・・。

「原始的生活」が基本?

2007-02-16 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、基本的生活力(炊事、洗濯、掃除、育児、おしゃれ、近所付き合い)の話を何人かとしていたらMさんが「家で食器洗い器(食洗器)が故障して、おろおろ、でも良く考えると、単に流しで手で洗えば良いじゃないか、と気付き家族皆でやって結構楽しかった・・」と。それで思い出したのだが、明日香村稲淵に「棚田オーナー制度」の実態を見に行ったとき、田植え時だったと思うが、都会からやって来た子供達も泥んこでやっていて、回りで見ていた私にある子どもが泥んこの手を見せながら「おじちゃん、手を洗う水道何処?」と聞いた。私は「そこの水路で洗えばよいじゃないか」と言ってやったが、まあ手は水道のカランをひねって出る水で洗うもの、と思っているようだった。綺麗な水(そのまま飲めないにしろ)が近くを流れているのに目がいかなかったのかな・・。何もかも文明的になってくると、もともとの「原始的生活」が忘れ去られるのは拙いと思った。

旅行の楽しみ

2007-02-13 | 生活描写と読書・観劇等の文化
良く旅行の楽しみは三回、つまり最初に計画の楽しみ、次に実際の楽しみ、そして最後に「反芻」の楽しみがあると言う。そうだろうな、と思う。今年は5月の初めにロンドンのハムステッド田園郊外が設立百周年で、記念のイベントが色々あるらしく、行事の名誉会長のエリザベス・テイラー(子ども時代にHGSに住む)がアメリカからやってくるようで間近に接したいとも思っていたが、色々な事情で行けなくて残念だ。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/9fffbd92c648678c85490d6ac4cc18bfまあ、代わりといったら何だが家政学会が岐阜であるので鵜飼をついでに見に行くことになるだろう。ところで、来年の3月になると我々の結婚40周年になるので記念旅行をしようと相談している。新婚旅行は、思い出の地シリーズで名古屋からスタート、京都に始まり龍野、姫路、倉敷、広島、秋吉台、萩、出雲、鳥取、城之崎、金沢と大体が中国地方で、当時の我々としては、「大旅行」だった。大陸の中国に行けない替わりに日本の中国地方の「長征」だったとも言える。今回は、そんな一週間以上の旅は無理なので、ポイントで2,3日かなと思っている。現在、計画の楽しみ中だ。中心は、萩かな。当時買った萩焼の湯飲みは今も時々使っている。

Skype、car-navi.、iPod

2007-02-10 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近は、色々「分からない言葉(横文字)」が多い。
「Skype(スカイプ)」というのもごく最近分かって「入会」し、実際に二三回使ってみた。これはインターネットを介する「無料電話」で、パソコン同士だと世界中何処までも(ロンドンでもニューヨークでも)時間制限も無く(一日中付けっぱなしでも)無料、でも普通の電話、携帯電話にかけると有料となるのは当然。会員数は700万人ほど、mixi会員数に匹敵する。Skypeでは、グループで10人まで「おしゃべり」「会議」も出来る。今日は、土曜日、午後のひと時、ミク友でもある「FUTANさん」「けたおさん」と私の三人で短時間喋りあってみた。カメラを取り付けると顔を見ながら喋れる。私は「マイクつきヘッドホン」だけだが・・。ウンこれだと、パソコンで同じ画面やデーターを見ながら集団討議が可能だな、と思った。
「car-navi.(カーナヴィ)」は前から知っているが、家内が最近自動車に取り付けたので、今日は、試しに目的地を近くに設定して助手席で見ながら乗ってみた。わざと「カーナヴィ」の指定と違う道を行っても「計算やり直し」して直ぐ修正版を示し音声でも案内してくれる。ラジオ、テレビ、CD、DVDの他、iPodとも接続して音楽等聴けるようだ。
で、その「iPod(アイポッド)」だが、ミク友の「アトムさん」が日記に昔のIGBのiPodが壊れた、と書いてあった。そのコメントに「FUTANさん」が80GBのiPodを「サンタさんから贈られた」とあったので、そういう話題を「凄い時代だなあ」と家内とカーナヴィで行った喫茶店で喋っていたら、「噂をすればかげ」で当の「FUTANさん」がiPodで音楽聴きつつ現れたのでびっくりした。音楽、写真、動画など80GBなら殆ど心配せず、どんどん入ると言う。1万枚も入れた写真からフィレンツエを沢山見せてもらった。今年の冬のサンタさんまで一寸待てないな、という気持ちになった。
(写真は、iPodの例)

義歯ー異物感と喪失感

2007-02-10 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日紹介のバレンタイン川柳100句に「義理チョコを 義歯で噛みしめ てれる義父」というのがあった。「義」を連ねていて面白い。で、私も1/4位ぎしぎしいう義歯なのだが、これを安定的に入れているのが結構難しい。入れていると「異物感」、外すと「喪失感」、まあこれは義歯に限らず、「人工臓器」(?)というものは、そういうものかもしれない。今日は月1回の歯医者行きである。