ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2022.5.3 GW家族旅3日目 今日もてんこ盛り、青森満喫の後は盛岡へと南下

2022-05-03 23:16:04 | 

 昨夜は遅い時間だったのにお風呂が混雑していて、ちょっと残念。結局、日付が変わってからの就寝となった。

 今朝は、朝湯はせず部屋で浴槽足湯を済ませる。隣同士のシングルとツインの2部屋に別れたけれど、行き来は便利で、部屋の直ぐ傍のエレベーターで待ち合わせをして階下のレストランへ。早めの時間だったが、既にレストランは混雑している。隣同士の2人席を合体させて朝食を済ませる。ちょっとずつ色々ビュッフェでエネルギーチャージ。

 昨日受け取ったキャリーケースに不要品や洗濯物を詰め込んで、再び各自宅へ送り返す手配と同時に、チェックアウトして観光スタート。さすがに外気はひんやりしているけれど、青空が広がっている。
 青森ベイブリッジを望みながら、青森駅前ビーチの砂浜を歩いて最初の目的地、日本初の鉄道連絡船ミュージアム青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸へ向かう。
 夫は子どもの頃から青函連絡船には何度か乗船しているので懐かしい様子。それにしても、貨物列車をそのまま船に乗せるとは凄いことを考えついたものだと思う。海沿いの風は強い。青森港から下北半島、津軽半島がくっきりと見える。その間の先は北海道だ。本州の最北端に来ているのだなと改めて思う。

 紫外線が強いので日傘を差すと、海風で飛ばされそう。津軽海峡冬景色の歌謡碑があり、石川さゆりさんの歌が流れている。終戦間近に米軍に撃沈された津軽丸等3隻が現在も海底に沈んでいるという、青函連絡船戦災の碑も隣接している。
 9時オープンとともに入場。同じような早起きグループの観光客が複数、既に並んでいる。ねぶたの家ワ・ラッセとの2館入場券をゲットしていざ見学開始。
 青函連絡船80年の歴史やその構造を学びながら、ほぼ就航当時の状態を圧倒的なスケールで展示。昭和30年代の青森駅前を再現した「青函ワールド」も、登場人物のプロフィールまで記載されて実に凝っている。

 操舵室やエンジンルーム、当時の鉄道車両を搭載した広大な車両甲板など、本物の迫力は圧巻だ。鉄男の息子はただただ興奮している。甲板の上の煙突展望台まで上がれば、そこは360度見渡せるパノラマ。沢山の階段を上ったけれど、私自身とても満足。ちょうどGWのイベントで鉄道模型ショーも開催中で、そちらもしっかり拝見してきた。

 続いて市の文化観光交流施設ねぶたの家ワ・ラッセへ。昨日は弘前のねぷた村を訪れたが、ワ・ラッセは青森市が世界に誇る「青森ねぶた祭」の保存・伝承と市民・観光客、ねぶた関係者が集い、様々な交流が出来る施設だという。八甲田丸でゲットした観光手形のスタンプラリーも出来て、幸福の鈴を家族3人頂いた。とても良い音がする。

 館内に入り、ねぶたの起源や歴史等が写真や映像などで紹介されているトンネルエリアからスタート。階下のホールには実際に祭りで運行された大型ねぶたが圧倒的な迫力を持って展示されている。息子は何やらねぶたの3Dお絵かきなども体験していた。なかなか上手だった。

 ねぶたの衣装を着た女性とツーショットの写真を撮らせて頂いた。訊けば、今年の夏は3年ぶりに開催の予定だそうで、既に17のねぶたの準備が進んでいるとのこと。コロナで去年、一昨年と中止になったこの地だけでなく、全国各地の祭りやイベント関係者の思いを想像して「応援しなくては」と強く思うと同時に、うるっとしてしまった。一度夏に本物のお祭りを見に来られたらな、と思う。

 そうこうしているうちに新幹線の時間が近づく。ねぶたのオリジナルグッズをいくつかゲットして、以前から買いたかったiPhoneケースに津軽塗の素敵なものを見つけて、夫と柄違いのお揃いを衝動買いで買ってしまった。
 ホテルに戻り、荷物をピックアップして駅へ。今回は観光施設2カ所ではあったけれど、実に中身濃い半日で満喫出来た。

 青森駅を出発し、奥羽本線で新青森へ移動し、はやぶさ号で盛岡に移動だ。45分ほどの乗車なので、お弁当を頂くにはちょっとせわしない。息子にはやぶさ号を形取ったケース入り限定のお弁当を買い(お子様ランチである。)それを小腹の足しにして、ランチは盛岡到着後にする。

 そして岩手県に入り、盛岡到着。ホームではこまち号との連結のため、息子は先頭車へ走る。同じような鉄道ファンが待ち構えている。無事連結作業を確認し、ホームを後にする。さて、ホテルへ荷物を置いて・・・、とふと通路のポスターを見ると、連結作業を見た人は何やら特別なカードが貰えるイベントがあるという。
 息子は再び改札を目指し、嬉しそうにゲットして帰ってきた。では、と私も夫と2人分の新幹線の切符を携えて改札でカードを頂いてきた。これには思いがけず駅ビルクーポンもついており、その恩恵に預った。

 まずはホテルで荷物を預け、身軽になってからランチである。名物のじゃじゃ麺をお昼に、冷麺を夜にということになり、じゃじゃ麺のお店に並ぶ。待っているのは2組だったし、麺類なので早いかな、と思ったのだけれど、実に間が悪く、全く席が空かない。
 結局、外で立って待つこと40分ほど。ようやくテーブル席に着けたけれど、そこから30分ほど待っただろうか。人出が足りなくて店内はてんてこ舞いだった。初めて頂いた本格的なじゃじゃ麺はラー油、酢、にんにくを沢山トッピングして頂いた後は、生卵を割ってスープを入れて頂く“ちーたんたん”という通の食べ方があることを知る。
 夫と息子はその食べ方にトライ。セットメニューでついてきた水餃子や杏仁豆腐も美味だったけれど、食事が終わったらもう3時になっていた。嗚呼。

 その後、大急ぎでカーシェアの駐車場へ。息子が14時から予約していたので、実際の乗車は1時間遅れになってしまう。まずは“もりおか啄木・賢治青春館”を目指す。途中、車窓から県庁を見、石割桜も見つけた。岩手銀行の赤煉瓦館も素敵だ。
 駐車場もいい位置にあり、そのまま青春館へ。ここは旧第九十銀行を保存活用していて、入場は無料だ。昨日訪れた旧東奥義塾外人教師館もそうだったけれど、なんと太っ腹なことだろう。

 啄木と賢治が青春を育んだ盛岡の街とその青春時代を紹介しており、喫茶室「あこがれ」の珈琲の香りが漂い良い雰囲気だ。27歳で(なんと息子と同い年である!この1ヶ月前、母も亡くしているのだけれど)早世した啄木の処女詩集や歌集、賢治直筆の書簡なども見ることが出来てとても満足した。岩手山も見えて、盛岡の街も良いね~と3人で話しながら駐車場に戻る。

 さて、この後どうする、と夫のアイディアでドライブがてら小岩井農場に行ってみようということに。訊けば30分ほどで行けるという。助手席でちょっと緊張したけれど、無事到着した。普段は夕方で閉まるのだけれど、GWの1週間だけは夜まで開園しており花火も実施するとのこと。

 到着したのは夕方。まきば園に入園し明治時代からの酪農風景を今なお留める上丸地区へ行くときには、既に牛たちは牛舎の中に入る時間になっていた。牛舎等の建物は、どれも重要文化財に指定されている。
 どこまでも青い空、雪を被った岩手山、牧場の緑、サイロの赤がとても絵になる風景だ。入り口は桜並木で、もう少し早かったら満開の桜がそれは綺麗だったことだろう。

 再び広場の方面に戻り、お茶にする。ここで2人は瓶牛乳を、夫はさらにソフトクリームを、私はのむヨーグルトを頂く。さすがに美味しい。農場限定のお土産売店を目指したらいきなり雨が降り出す。実にお天気が不安定だ。
売店にいる間は雨宿りが出来た形になったけれど、冷えてきたし、夜までいるのも、とイルミネーションが始まった牧場をバックに写真だけ撮って6時には退散する。帰路は30分ほどで無事戻ってきた。
 息子が免許を取ってくれたおかげで信じられないほど行動範囲が広がった。夫と2人なら街歩きをしておしまいの旅行が、ドライブまで加わって、実に有り難いことである。

 さて、今夜の冷麺を頂くレストランを見ると、長蛇の列で50組も待っているという。整理券をゲットして一旦ホテルに戻り、チェックイン。部屋は同じ階にはなったけれど、昨日と違って離れてしまった。荷ほどきをして、母にDuo通話をして息子も一緒に今日の報告をして、レストランからの電話が来るまでブログでも書こうか、とPCに向かったら「あと2組で着席できますよ」の連絡。息子が急いで出かけ、私達も急ぎ追いかけた。

 見ればレストランは1階だけでなく3階席まであった。3階の広いお座敷で息子が待っていた。GWで帰省している家族連れが多く、ちびっこたちでとにかく賑やか。冷麺だけでなく前沢牛など岩手三昧焼き肉もたっぷりたいらげて、息子に至っては冷麺のハーフまで追加。
 夫はそもそも焼き肉には白飯の人なので、冷麺はいまいちだった模様。昼のじゃじゃ麺もスープ麺ではないので、今日の昼夜は多分不完全燃焼だったろう。

 ということで、ホテルに戻ってきた。明日は再び南下の予定だ。
 本日の万歩計は17000歩弱。これから大きなお風呂でまた手足を伸ばしてぐっすり眠りたい。
コメント
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