ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.12.31 2016年総決算、どんな1年だったか

2016-12-31 23:58:58 | 日記
 2016年大晦日。昨日今日の記事のとおり、現在親子3代で南九州旅行中。賑やかな年の瀬を迎えている。
 今日も心は穏やかだ。振り返れば、今年も公私ともに実に色々なことがあった。そして昨年に続き、相変わらずよく動き回っている。

1月
 新しい学びとの出逢い、瞑想ヨーガの師でもあるSさんのヒーリング基礎コース受講。
再発が判った時にはとても迎えることが叶わないだろうと思っていた息子の成人を記念して、夫とともに宮古島へ2泊3日の旅。
2月
 初発手術から11年経過。再発治療も8年目を迎える。
 1月の学びをきっかけにヒーリング応用コース受講。さらに体質改善の効果を睨んで深呼吸ダイエットヨガ合宿に参加。
 息子が学年末試験と部活の合宿を終え、月末1週間慌しく里帰り。
3月
 母の術後経過観察に加え、父の脳神経外科付き添いなどが増える。
4月
 瞑想ヨーガ指導者養成コース前期スタート。
5月
 連休は息子と合流し、家族3人で和倉温泉と金沢に旅行。のっけからトラブル続き。
 月末は夫と2泊3日の北海道旅行。
6月
 息子の定期演奏会を聴きに京都へ。指導者養成コース出席の関係で1泊のとんぼ返り。
無事55歳を迎えてアラ還に。
 瞑想ヨーガ指導者養成コース前期100時間修了。
 月末、父が腰椎圧迫骨折のため、救急車で整形外科入院。長期戦を覚悟。
7月
 父の生まれ故郷四国へ夫と2泊3日の旅。金比羅様までの階段を無事登りきる。
 父が肺炎を併発し、入院後10日ほどで急逝。葬儀等一連の行事で母ともども憔悴。
 OB・OG合唱団の練習参加を断念。以降、土日ごとに実家様子見の生活が続く。
8月
 息子の帰省に合わせて父の四十九日法要。親子三代箱根一泊旅行。
 月末には夫と2人でインドへ4泊6日の旅。夢にまでみたタージマハルを見ることが出来て感動。 
9月
 淡々と治療。読書、映画、ヨガなど少しずつ自分の時間を確保してそれなりに楽しむ。
10月
 瞑想ヨーガ指導者養成コース後期スタート。
11月
 カドサイラ(T-DM!)の副作用か投与後の気持ち悪さが悪化する。
12月
 瞑想ヨーガ指導者養成コース後期100時間修了、全米ヨガアライアンス200取得。
 父母の墓完成。夫慰安旅行は九州の温泉に1泊。
 腫瘍マーカー上昇、画像上両肺腫瘍の増大が認められ、年明けから薬剤変更確定。
 クリスマス定期演奏会の為、今年2回目の京都行き。大学時代の友人も同行。精力的に楽しい時間を過ごす。
 年末年始は親子三代で南九州温泉巡りの旅。

 と、こう書きながら、今年も腰を落ち着ける暇もなく、ひたすら動き回っている。今年最大のニュースはやはり父の急逝、そして瞑想ヨーガ指導者養成コース修了だろうか。
 通院は3週間に1度のペースのままだが、読書量はさらに少なくなった。僅か72冊。昨年は87冊、一昨年は84冊、それ以前は少なくとも100数十冊、300冊を超えていた頃が遠い昔のようだ。レビューもろくに書く時間がとれない。当日の治療日記でちょっと触れるだけ。
 映画もそこそこ観てはいる。昨年43本で、今年は45本。観っぱなしで、レビューが書けていないのも去年と同じ。

 京都通いは一昨年の10数回、昨年の6回に比べてめっきり減ったけれど、インド旅行もし、北海道、四国、九州から沖縄の離島まで、ショートトリップにもチョコチョコ出ている。地元のヨガスタジオにはあまり通えなかったけれど、なんといっても指導者養成コースで密度の濃い時間を過ごした。今年レッスンを受けた回数は昨年の180回には及ばないが、ワークショップなども含めて164回。
 
 治療を続けながらコンスタントに運動を続けられること、すなわち体調コントロールが出来ていることは、本当に有難いことだ。治療を続けていくうえで体力維持は必須である。階段の昇り降りがきつくなったり息切れが酷くなったりしたら、とても毎日仕事には出られないだろう。

 昨年に引き続き、土日に2日連続で人と逢うために都心に出かけることはしなかった。今年の土日、都心に出たのは1泊で指導者養成コースに行っただけ。自分のために使わせてもらった。
 それでも、物理的に時間が足りない。家の掃除もろくに出来ない。断捨離も根を詰めて行うと、すぐにグッタリくる。曲がりなりにもフルタイムで働いて、家のことを丁寧にやろうなどというのはやはり欲張りな話だ。寝る時間を削って家事をやる元気は今の私には、ない。

 クリスマスもお正月も何の準備もしなかった。いや、正直出来なかった。普段の手抜きの家事だけで既にオーバーフローしている。丁寧な家事仕事は全くもって出来ない。大掃除も無理。それでも仕方ない、と思えるようになった。それが嫌なら仕事を辞めるしかないのだろうと思う。

 大学卒業後、32年近く産休と6ヶ月の休職以外休みなく働いてきた。働くことは当たり前だと思ってきた。けれど、最近、平日のゴールデンタイムを全て取られていると、家のことは二の次になっているという当たり前のことに気付くことが多くなった。まあ、家にいられる方たちと同じように自宅を綺麗にキープしておくのは、健康な働き手でも難しいことだろう、と開き直ってしまっている。

 明日からの2017年はどんな年になるのだろう。来月からの治療変更にも必要以上に気負うことなく、心穏やかに潔く精一杯生きていきたい。私なりに、私らしく、細く長くしぶとく。

 長々と書き連ねてしまいましたが、今年も一年お付き合い頂きまして、どうもありがとうございました。
 来年も気力・体力が続く限り細く長く綴っていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
 皆様にとって、来たる2017年がより健やかで穏やかな1年でありますことをお祈りして、今年最後の記事としたいと思います。


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2016.12.31 旅行2日目、大晦日もお天気に恵まれ、砂風呂初体験!

2016-12-31 21:44:18 | 
 昨夜は大浴場と露天風呂とサウナを愉しんだ後、キューバタン。一度お手洗いに起きたけれど、再度ぐっすり。疲れ過ぎて今日の観光に支障が出てはまずいので、今朝は朝風呂に入るのは我慢。部屋のお風呂で足湯のみ済ませた。
 東京より1時間ほど遅い日の出。窓の外は朝焼けの山々が圧倒的に美しく、神々しさすら感じる。さすが数々の神話の発祥の地である。
 
 朝食もバイキングであれこれ目移り。お腹一杯になって、大晦日の今日もいざ、元気に出発。
 まずは坂本龍馬が妻おりょうと新婚旅行に訪れたという名所、西の日光と称される九州最大の神社、霧島神宮へ。
 パワースポットの入り口では、硫黄の匂いの湯煙立つ滝と池が迎えてくれる。樹齢800年のご神木には自然に出来たという神官の姿をした枝があって目を見張る。濃い緑の木々から溢れるような酸素を胸いっぱいに吸い込み、元気がチャージされていくのを感じる。朱塗りの社殿にお参りすると、既に明日の初詣に備えた飾りつけ。
 展望台からは遠く開聞岳までがくっきりと見渡せる。今回の旅は何よりお天気が強い味方である。ショップではここでしか頂けないというニッキ味の鉾餅を頂き、再びバスに乗り込む。

 続いて都城市、霧の蔵ブルワリー。黒霧島などの本格芋焼酎や地ビールを製造している工場見学へ。さすがに大晦日、工場は操業休止している。私たちだけのために時間より早くオープンして頂いて、申し訳ないくらいだ。レセプションルームの大型スクリーンで紹介ビデオを見せて頂き、説明を伺う。

 霧島焼酎の美味しさの源泉という霧島裂罅水の水汲み場には、地元の多くの方たちが大きなポリタンクを持って賑わっている。早めのランチを頂いたレストランは私たちツアーで貸し切り。創作だという霧の蔵和洋会席料理は美しく盛り付けられ、とても美味で皆、大満足。

 隣接したショップでは焼酎もろみを用いたパンに目が行く。各種焼酎の試飲もOKで、飲兵衛の人たちは嬉しそうにあれこれ飲み回っている。夫も息子も赤い顔をして楽しそうである。息子に至っては、酒造オリジナルの黒いTシャツやロック用のグラスまでゲットしてご満悦。うーん、誰に似てこんなに酒飲みになったのだろう。

 お腹が一杯になってバスに乗りこんだら、またしても瞼は重くなる。1時間半ほどこっくりこっくり。バスは山道と高速をひた走る。気づけば遠くに見えていた桜島が圧倒的な大きさになって目前に迫っている。青い海に鳶が輪を描きながら飛んでいる。澄み切った濃い青の波一つない錦江湾には生け簀が一杯。道の駅では、日本最大級全長約60mという足湯に目を見張る。時間がないので、足湯用のオリジナルタオルだけお土産にゲット。

 遊びに来ている子供たちが海に向かって「イルカさ~ん、こっちにおいで~!」と声をかけている。遠くの水面を見れば、たしかにイルカの背びれが2つ見え隠れしている。夫婦イルカだそうだ。うーん、こんなに暖かい大晦日。なんと幸せなこと。ここでも息子はボンタンアメのお酒やらしろくまのお酒やら、いつのまにか各種のお酒をゲットしている。

 バスは桜島の中を走る。珍しい屋根付きのお墓や避難豪を車窓から見る。思えば息子がまだ小学校3年生の夏休み、ただただ当時大好きだったムシキングジェットとチンチン電車に乗りたいがために鹿児島の地を訪れたのだが、今日ほど桜島の山肌がクッキリと見えた記憶はない。ガイドさんがおっしゃるには、これほどよく見えることも珍しいそう。角度を変えて見上げる桜島は随分雰囲気が違う。

 桜島港から錦江湾をフェリーで横断。わずか15分だがバスの旅は船の旅に変わって気分も一新。群青の海の上をフェリーが白い波を立てながら進む。海風が気持ちよく頬を撫でる。あっという間に鹿児島港に到着。
 西郷さんやザビエルの像を見ながら街中を走り、目指すは今日の宿泊地、指宿温泉だ。

 途中、屋久杉工房に立ち寄る。工場で職人さんの熟練技を見た後は、店内でショッピング。樹齢4500年という世界一大きな屋久杉のこぶを見てびっくり。長寿を祈願しつつ、記念に樹齢1000年は超えているという男女ペアのお人形を買い求めた。

 無事ホテルに到着。全室ウオーターフロントのお部屋からは、フェニックスの木々、指宿枕崎線の列車が見える。そしてお楽しみ、指宿温泉名物「砂蒸し風呂」初体験だ。

 母は以前父と訪れた時に、迷って入らなかったというが、今日はせっかくだから、とチャレンジ。砂の上に横になると、じんわり熱い。首の下から頭の先まで、砂がかけられていくと、結構重い。そして暑い。

 ホットヨガのおかげで汗がかきやすくなったせいか、あっという間に顔から汗が滲み出てきて、目に染みる。じわじわと温まり、心拍数が上がってくる。10分が目安ということで母は7分で終了。私も10分でタイムアウト。夫と息子は一足先に10分を終えていた。
 露天風呂で砂を落として大浴場でサッパリした後は、お待ちかねの夕食。年越し料理は伊勢海老、松茸土瓶蒸し等々珍味が沢山でこれまた大満足の大晦日の宴になった。

 今年もあと2時間余り。ほどなくして年越しそばを頂きに(本当に食べてばっかりである)レストランに向かう予定である。

 明日も1日観光を楽しんで、鹿児島空港から羽田に向かう。
 母は頑張ってついてきているけれど、このツアーでは最年長のようだ。私と同い年だという添乗員さんが色々気を遣ってくださって、とても有難い。3歳年下だという2人組の女性から「お姉さん」と呼ばれているけれど、結構青息吐息かも。今日もゆっくり寝かせてあげなくては。
 

 
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2016.12.30 南九州名湯を巡る親子三世代の旅スタート!

2016-12-30 20:08:38 | 
 昨日は息子が母を迎えに行ってくれて、4人で夕食を囲んだ。明朝のタクシー予約を試みたが、どの会社も早朝は既に予約打ち切りとのこと。歩くのを覚悟して皆で早々にベッドに入った。

 そして、今朝。あと1時間で目覚ましが鳴る、という時間にお手洗いに起きてしまい、その後眠れないまま4時半を迎え無常にも目覚ましが鳴る。
 朝食はリムジンバスの中で、ということにしてお茶だけ頂いて出かける準備。ダメモトでタクシー会社に電話したところ、本当にラッキーなことに数分で回せます、ということで大助かり。
 
 リムジンバス停留所には20分前に到着。1番乗りだ。日の出前、さすがに寒い。待っている間、体が冷えてくる。定刻に出発し、2か所で客をピックアップしているうちに朝日が眩しく昇ってくる。今朝は2週間前の渋滞が嘘のように順調。1時間半ほどで空港に到着した。

 空港は早朝にもかかわらず、帰省客や旅行客でごった返している。
 チケットを手にして、手荷物を預け、保安ゲートに並ぶ。なんと40分も待つらしい。出発状況を知らせるの電光掲示板には5分間隔で出発便名が並んでいる。ラッシュである。
 無事荷物検査を終え、出発のゲートへ。穏やかないいお天気だ。

 飛行機は定刻通り、と思いきや離着陸のラッシュで離陸は20分近くの遅れ。強い向かい風もあり、結局、遅れは取り戻せず15分近い延着となった。
 帰省の家族連れ、赤ちゃん連れ、ちびっ子連れが目立つ。私もお隣は赤ちゃん連れのお母さんだった。いやはや、息子の時を思い出し、お母さん業は本当に大変だと思う。

 文庫を読んでいるうちに宮崎ブーゲンビレア空港に到着。この空港には15年前の年末、息子がまだ保育園児だった頃、シーガイア目的で訪れて以来だ。あまりに暖かく、コート要らずでびっくりしたのを覚えている。

 荷物もすぐに出てきて、添乗員さんのお迎えに合流。昼食を摂る時間がないので、お昼を調達してくださいとのお達しで、おにぎりやらサンドイッチやらを買い込み、いざ出発。今回のツアーは27人様ご一行である。
 南国の澄み切った青空である。蘇鉄の木が出迎えてくれる。この3日間は晴れの予報で、とても暖かいという。

 バスが出発すると、夫と息子はそそくさと昼食。母と私は、まだ空腹でもないし、と見送り。20分ほどで第一の目的地、青島に到着。
 青島神社の鳥居は近くに見えますが、結構歩きますという添乗員さんのお話。トゥクトゥクの存在を教えて頂き、母の足を考えて4人で乗り込む。しんがりを歩いていたのに、あっという間に弥生橋を歩くツアーの皆さんを追い越し、島内を海岸沿いに半周する。遠くにシーガイアやマリンスタジアムが見える。残念ながらシーガイアは今取り壊し中とのこと。ちょっと寂しい。

 空も海も実に青い。風も波もなく静かな観光日和である。ちょうど干潮で鬼の洗濯岩と呼ばれる奇岩が見事である。初めてのヨガ・リトリートで訪れた久米島の畳石を思い出した。ジオワールドここにあり、という感じ。海風が気持ちよく、手足をうんと伸ばしたい衝動に駆られる。

 父の喪中だから、細かいことを言えば、鳥居を潜って神社のお参りをするのはご法度かもしれない。が、気の持ちようだし、ということでよいことにする。海積神社は縁結び、航海、交通安全の神様。夫や息子の贔屓の球団がキャンプに訪れた時にお参りする場所でもあるそうな。

 境内には熱帯植物雨林が生い茂り、東南アジアにでも舞い降りたような気分になる。夫と息子がかわらけを投げて見事に的に当てる。息子は生まれて初めて祈り的に挑戦し、弓矢の難しさを知る。
 トゥクトゥクは皆さんの善意で、ということで料金はお任せだそう。相場をうかがってお札を入れたけれど、帰路もお迎えに来てもらって、とても助かった。母に最初から無理をさせては明日以降の旅が大変になってしまう。

 続いて南国ムード漂う太平洋を一望できる絶景ポイント、堀切峠へ。ここでも鬼の洗濯岩が見渡せて、素晴らしい。水平線が見渡せ、まるい地球を感じる。ここ日南海岸は伊勢海老漁で有名だそうで、ここでしか食べられないというエビソフトクリームを頂く。ガイドさんによれば、カッパえびせんのようなお味ということだったが、なかなかどうして濃厚でクリーミー、美味だった。

 そして今日最後の観光スポット、珍しい下り宮の参拝。鵜戸神宮である。鵜戸岬の突端にある洞窟の中に、朱塗りのご本殿がご鎮座している。
 聞けば階段は上り下り合わせて300段は超えるという。母は10年以上前に父と訪れ、大変な思いをしたので、今日はバスで待っているという。私も途中できついと思ったら折り返すことにして、いざ出発。海風が寒いし、とコートを着ていったが、夫も息子も元気にセーター姿である。

 青い海の崖沿いに赤い鳥居が現れ、そのコントラストが美しい。階段は沢山の参拝客のおかげですっかりすり減っている。お天気が良かったからよいけれど、雨模様だったらこれは滑って大変だろう。下りの階段で膝が笑ってくる。
 男性は左手、女性は右手で願いを込めながら運玉を投げ、亀石と呼ばれる岩の枡形に入れれば願いが叶うといわれているが、トライして運試し。息子は見事にビンゴ。私は届かなかったし、夫も残念ながら外したので息子は鼻高々。
 岬のまわりには奇岩、怪礁が連なり太平洋の荒波が打ち寄せて、美しい景勝地だが、トンネルをくぐったあたりから「サスペンス劇場の最後の種明かしの場所にふさわしい」と言いつつ、皆で励ましあって戻ってきた。

 すっかりくたびれ果てて、その後、2時間近くのバスの中、頭をがっくんがっくんさせながら皆で眠りこけた。起きてから既に12時間近く過ぎている。
 ようやく大自然に囲まれた約100万坪という温泉リゾートホテルに到着。

 隣り合わせの2部屋にチェックイン。部屋からは遠く桜島が見える。暮れなずんでいく空に山々の稜線がとても美しく心が洗われる思いだ。荷物を整理して体制を整え、大浴場などをチェックしてから皆で夕食。熊本、鹿児島、宮崎3県の県境に位置する地の特産物などに舌鼓。

 長い1日になった。
 これからひと風呂浴びたら、早めに休み、明日の観光に備えたい。
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2016.12.28 無事仕事納めを迎えて

2016-12-28 21:54:30 | 日記
 仕事納めの今日は、雲ひとつない澄み切った青空。窓越しに見る陽射しは柔らかいが、外に出てみれば風の冷たいこと。頬を突き刺すようだ。意識的に猫背にならないように胸を開き、背筋を伸ばして深呼吸する。

 今年も無事仕事納めを迎えることが出来た。早々と年末年始休暇に入った職員もそこそこいるので、職場は人口密度が低い。
 仕事のことも家のことも、あれもこれも充分に時間をかけて丁寧に処理することが出来なかった。ひたすら振ってくる課題をこなし、必ずしも満足のいく出来栄えではなかったかもしれない。けれど、少なくとも今の私にとってその時その時出来ることを精一杯やってきた、という自負はある。

 まずは1年間治療を続けながら、入院せず、予定した以外に病気休暇を取らないで済んだ。父の葬儀で慶弔休暇は頂いたが、それ以外は体調を崩して仕事に穴を開けることはなかった。このことについて、自分を労い、及第点を与えたい。もちろんそれを支えてくれた夫をはじめ、周囲の方たち、それを許してくれた沢山のことに改めて感謝したい。

 さて、演奏会を終えた息子。新幹線片道の旅費を送った筈なのだけれど、鉄男よろしくのんびりと青春18切符片手に10時間近くの時間をかけてご帰還(浮いた旅費は色々使い道があるらしい)。
 久しぶりに3人での遅い夕餉を囲んだ。

 明後日からは母も加えて4人で温泉旅行に出かける。喪中だし、父の納骨もまだではあるが、一人でだだっ広い木造の家にじっと篭っているよりも、ということで思い切って連れ出すことにした。当初は体調に不安があったけれど、なんとか同行出来るところまで元気になったのでほっとしている。こうした親子3代、4人での旅行だってこれから先何回出来るかわからない。
 早朝の出発なので、母には明日、こちらに前泊してもらうことになっている。息子には母を迎えに行ってもらうミッションがある。

 そんなわけで母も今日がヘルパーさんの年内最終日。
 思えば、今の団地に越してきてから22年以上経つというのに、母が我が家に泊まるのはこれが2度目。何分、亡くなった父が一人で何も出来なかった(やろうとしなかった)人なので、母が家を空けるというのは我が家の辞書にはなかった。そのたった一度、は息子が赤ちゃんだった頃、夫が仕事で不在、私が研修でどうしても家を空けなくてはならなかったことがあり、義母にも来てもらえなかったときだったかと。

 その後20年近い時を経て、かつて毎年義母が長逗留していた和室に泊まってもらうことになる。義母が泊まらなくなってからこの部屋は殆ど物置状態。本当はもっときちんと綺麗にしておきたかったけれど、いかんせん時間切れで、諦めた。

 出来る時に出来る事を、でこれからもやっていきたいと思う仕事納めの夜である。

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2016.12.26 ねねの寺と市場を訪ね、無事帰京

2016-12-26 21:38:28 | 
 昨夜、ブログアップが日付が変わってからになってしまい、ベッドに入ったのは1時近くのこと。そのタイミングで「打ち上げを終えて、今、無事帰宅しました」との息子からのLINE。OB・OGや顧問の先生方、保護者たちの前では緊張の連続だった若者たちは、すっかりリラックスして大いに盛り上がった模様。皆にお礼を言いながら一度出始めた涙は止まらなかったようだ。ああ、いいなあ、青春。羨ましいことよ。

 私も疲れ過ぎたのか、興奮したのか、なかなか寝付けず、ようやく寝付いたと思ったら3時間ほどで目が覚める。夫は気持ちよさそうに寝ている。その後も眠れず、結局、そのまま朝を迎えた。

 昨年は、友人が午後出勤するため朝早く新幹線に乗るということで、前の晩のうちに別れたのだった。今回は一緒の新幹線で帰京出来るということで、足湯を済ませ、ゆるゆるとパッキングをしてからともにチェックアウトした。

 今日はあいにく曇り空。夕方からは雨が降り出すという予報だ。荷物を預け身軽になってホテルを出発すると、早くもポチポチと雨が落ち始めている。ここで風邪をひいたらたまらない、とホテルに戻ってお守り代わりにビニール傘を借りる。駅ナカの落ち着けるお気に入りのカフェでモーニングセットを頂く。

 昨夜撤収作業中だったクリスマスツリーは影も形もない。駅ナカの商店街には門松が飾られ、迎春のタペストリーが。いまだ全く実感がないが、今年も余すところあと5日なのだ。ホテルも百貨店のショーウインドーも、昨日までのクリスマス飾りは姿を消し、お正月へ準備万端である。

 まずはタクシーで秀吉公とねねの寺、鷲峰山高台寺に向かった。幸い人影はまばらで、タクシーの運転手さんからは「独り占めでお楽しみください」と送り出される。
 入口には恋愛成就祈願のピンクのハートの形の絵馬が沢山連なっており、びっくり。実際には一歩入ると全く別の渋く落ち着いた佇まいである。小堀遠州作という庭園の石組みがとても見事。桃山時代を代表する庭園だそうだ。方丈前庭の砂盛りが素晴らしい。

 秀吉の没後、その菩提を弔うために北政所(ねね)が開創したこの寺は、度々の火事にあって多くの堂宇を喪ったという。今日残っているのは、高台寺第一世の住持を祀る開山堂、秀吉とねねを祀る霊屋(おたまや)。厨子内左右には2人の木像が安置されているが、ねね自身は実際その木像の下に眠っておられるという。須弥壇や厨子に施された高台寺蒔絵と称される漆工芸の素晴らしさに目を見張る。そのほか、利休の意匠による茶席と言われ、伏見から移建した茶室の傘亭と時雨亭、楼舟廊の中央に位置する観月台など、見所が満載。国の重要文化財に指定されているのにも頷ける。

 茶室の上の展望台まで息を切らして石段を登りつめると、八坂の塔や京都タワーまでが見渡せて絶景。帰路の石段を下りながら膝がだんだん笑ってくる。竹林を抜ければもう出口は間近。すっかり満足して、ねねの道をぶらぶら歩いて八坂神社を抜け、祇園方面へ。

 四条大橋を渡って新京極を超えれば、お目当ての錦市場である。ここは夫のお気に入りの場所で毎回訪れている。お正月準備の珍しい食材やお花など、活気溢れる市場は沢山の人たちで大賑わい。友人とあれやこれやと立ち止まりつつゆっくり時間をかけて楽しんだ。ここで再びポツポツと雨粒が落ちてきた。傘を持っていてよかった、と思う。

 四条から地下鉄に乗って京都駅まで戻り、駅ビルでお土産を調達したら、ホテルに戻ってランチタイム。
 ちょっとずつ色々の中華レディスランチコースを楽しんでいるうちに、新幹線の時間が迫る。フロントで荷物をピックアップし、信号を渡ればすぐ京都駅。新幹線の構内で買い残したお土産を調達し、無事に新幹線に乗り込んだ。

 夫が気を利かせて友人と隣の席を譲ってくれて、2時間の間、殆ど喋りっぱなし。さすがに昨日3時間睡眠で、もう眠くて眠くてたまらなかったのだけれど、次にまたいつ会うことが叶うかもわからず、意識が飛びそうになりながら必死に応答する。あっという間に私たち夫婦が降りる駅に到着した。ドアまで友人が見送りに来てくれて、定刻通り発車し、3日間の3人旅は終了。

 明日の夜遅くには息子も久しぶりに帰宅する。あと2日、働いたら晴れてお正月休みである。今日はぐっすり眠れますように。
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