ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.4.30 ABでもOK!

2013-04-30 20:31:01 | 日記
 昨日の後日談。朝日新聞の今日の記事で、チョイ太でも問題なし!の心強いエビデンスを見つけたので、以下転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

禁煙太りでも健康効果大、心血管疾患のリスクが半減に【桜井林太郎】(朝日新聞 2013年4月30日)

「禁煙しても太るから、逆に病気のリスクが大きくなる」。そんな喫煙者の苦しい言い訳が通じない研究論文が出た。禁煙で体重が増えても、心筋梗塞(こうそく)や脳卒中などの発症リスクは喫煙し続けるより約半分も減るという。米マサチューセッツ総合病院などの研究チームが米医師会雑誌(JAMA)に発表した。
 1984~2011年に米マサチューセッツ州フラミンガムの3251人を対象に、喫煙者▽禁煙して4年以内の人▽禁煙して4年超の人▽非喫煙者、のいずれかを4年ごとに自己申告してもらい平均で25年を追跡。その結果、631人が心筋梗塞や脳卒中などの心血管疾患を発症していた。
 糖尿病患者を除くと、禁煙して4年以内の人は、4年平均で3キロ増え、喫煙者より1.8キロ多かった。一方、心血管疾患の発症リスクは喫煙者の0.47倍だった。同様に、禁煙して4年超の人は喫煙者の0.46倍、非喫煙者は喫煙者の0.30倍だった。
 研究チームは「禁煙で体重が増えても、心血管への健康上の影響は全体としては利益が大きい」としている。

(転載終了)※  ※  ※

 とにかく食事が美味しく摂れて、良く眠れて、毎日通勤電車に揺られながらバテずに仕事に行けて。若い時は痩せて風邪ばかりひいて蒲柳の性質(たち)と称されていたのが嘘のよう。とても健康体になったのだろう。夫の禁煙成功には素直に感謝したい。
 あとは血圧が上がりすぎないようにお醤油をかけすぎないように、塩分を摂りすぎないように随時チェックしていけばいいのかな、と思う。
 私がこんな状態だから、息子のためにも当然私のためにも、夫には何としても長生きしてもらわなくては。

 余計なお世話かもしれないが一言。いまだ禁煙が出来ないとお嘆きの愛煙家の方々、どうかご自身とご家族の健康と幸せのために、この連休から禁煙にトライされてはいかがだろうか。
 禁煙がそう簡単にできるものではないことは、夫を見ているからよく分かる。彼の禁煙は何度も挫折し続けての結果だ。最後は禁煙外来のお世話になって=それも3回目!=やっと達成できた。煙草を吸わなくなってから「もう大丈夫だと思う。」と言うまでに1年以上かかっている。私には想像するしかないけれど、それほど苦しいものなのだろう。
 とはいえ、始めなければ結果は得られない。ご家族のため、それと何よりご自身の健康のためにも禁煙されることをお勧めしたい。

 連休の狭間、今日は勤務先の大学では全学休講日(その分、曜日合わせのために今年度は祝日授業開講日がやけに多い。)。
 そのため、学生食堂も臨時休業で静かなものだ。息子のお弁当のついでに自分の分も作ればよかったのだけれど、新緑を眺めるために散歩かたがた学外へと繰り出した。強風でまたもかつらが飛びそうであった。もちろん本当に飛ばされることはないのだろうけれど、気づくと頭に手をやっている私だ。
 天候が不安定なのか、またも右の奥歯が疼き出したのがちょっと気になる火曜日である。

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2013.4.29 発熱で始まったGW前半、いよいよABデビュー!

2013-04-29 20:18:44 | 日記
 緑も陽射しも眩しい爽やかないいお天気だったGW前半の3連休が終わった。
 金曜日の夜、息子の急な発熱でいったいどうなることやら、のスタートだった。
 土曜日の朝はなんと9度1分の高熱。汗も全くかいておらず、頭痛と体中の痛みを訴えていたので、これはもうインフルエンザに間違いないと覚悟していつものクリニックへ。
 だが予想に反してお腹の風邪との診断。午後になってまだ熱が下がらないようならもう一度来るように、ということだった。お腹を壊しているわけでもないがどうしたものか。本人はうつらうつらと眠っており、水分を摂るのもやっとで、朝昼とも固形物は殆ど摂れずじまいだった。
 この日は夫と義母の見舞いに出かけ、北海道から見舞いに来てくれている義母の妹(夫の叔母)に挨拶をする予定だったが、やむなく夫一人に出向いてもらうことになった。
 午後、再びクリニックへ付き添った時には8度6分に下がっていたが、本人はぐったり。今度はインフルエンザの検査をしたが、A、Bともに陰性とのこと。その後こんこんと眠り、夕食もいつもとは比べ物にならないほど少量しか摂れなかったが、その後、熱が下がり始め、夜寝る前には7度台後半になった。
 昨朝、ほぼ平熱に戻ったが、さすがに予定されていた塾のテストは欠席の連絡をし、一日のんびりと過ごし体調回復に努めさせた。
 私も午後からヨガに出かけただけで、2日間たっぷり読書の時間をもらってしまった。
 小さい頃は良く熱を出したから、こうして息子の様子を見ながら一日籠城蟄居というのは決して珍しいことではなかったが、今やすっかり丈夫になってくれた。インフルエンザでもないのにこんなに高い熱を出して寝込んだなどということは、いったいどのくらいぶりだろう。
 しみじみ“息子元気で外(留守)が良い”などと思ってしまう母である。

 そして今日。今日に延期してもらった塾のテストに出かけ、午後は楽しみにしていたアニメの映画を愉しみ、すっかり復活した。塾のテストも滑り込みで合格。不合格だったら明日から一週間通い詰めて復習し、来週再度テストを受けなければならなかったらしい。だから必死だったのだな、と苦笑い。それにしてもこういう時は本当にスレスレのところで合格してくるのだから、大したものだ。

 こちらは夫と2人で都心まで買い物に出かけた。夫と2人で買い物だけのために都心に出かけるなどどのくらいぶりだろう。一昨日、義母の見舞いの帰りに、と考えていた夫のスーツの新調だった。さて、これこそ本日のお題の“ABデビュー”である。決してAKBの類ではなく、スーツのサイズである。この20数年でY、YA、Aと着実に体格が良くなってきた夫だが、とうとう今日はABデビューだ。
 夫がA6、と言うとさすがに店員さんはプロで、「まずウエストをお測りしましょう。」と一言。一目見てA6では無理と思ったのだろう。確かにAB6の方が変な皺も出ず、かえってスッキリ見えた。そして当然ズボンのウエストは・・・。昨年新調した時はまだA6セーフだったが、一着は細めだと言われてウエストをお直ししたことを思い出した。
 「お父さん、とうとう“当たり前だけどぶた”=かつて夫から教わった男性スーツの略称の覚え方は、Y(痩せている)、YA(痩せているけれど当たり前)、A(当たり前)、AB(当たり前だけどぶた)であった=デビューなのね~。」とからかうと、慣れたもので店員さんが「いえいえ、皆さんAだとおっしゃるんですけれど、ご主人だけじゃありませんよ。皆さんそうなんですよ。私もあっという間に10キロ太りましたから・・・」と。うーん、慰められているのか何やらちょっと微妙な感じ。

 とりあえず目的は果たし、自分の洋服もしっかりゲットし、ランチを楽しんで帰宅した。

 早くも明日は4月最終日。3日仕事をすればまた4連休、ではなく初日は出勤予定。それでも3連休が控えている。いい季節の有難い連休である。 
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2013.4.26 理想は「7対3」?

2013-04-26 20:06:57 | 日記
 昨日の朝の朝日新聞の「天声人語」を読み、息子とのやりとりから我が身に置き換えてまた唸ったので、以下転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

朝日新聞「天声人語」(2013年4月25日)

 話し上手に聞き上手、世の中には様々な「上手」がいる。変わったところをあげれば「叱られ上手」か。叱責(しっせき)や小言をうまく吸い取る。〈うつむいてしかられぶりのよい女房〉という古い川柳がある。火に油を注ぐような態度は、しないのが賢い▼「叱り上手」もいる。これも江戸の句に〈異見巧者(いけんごうしゃ)の蔵へ呼び込み〉とある。叱り上手は人前で面罵して恥をかかせたりはしない。蔵へ呼んで、人払いをして意見する。うちの課長もそうだったら――。ぼやく人もおいでだろうか▼もっとも昨今は、パワハラを恐れて上司が萎縮ぎみという。「鬼」と呼ばれる管理職は、もはや昭和が薫る骨董品(こっとうひん)らしい。原稿を破り捨てて「書き直し!」と怒鳴る鬼デスクも、新聞社では絶滅した模様である▼骨董品を弁護するなら、実に上手に「雷を落とす」人もいた。そんな上司は、ほめ上手でもあった。ほめるから、叱られて省(かえり)み、叱るから、ほめられて喜ぶ。太陽と雨で木が育つのに、どこか似ている▼先のアエラ誌によれば、「ほめる」と「叱る」の理想比は7対3から8対2の辺りらしい。太陽だけでは干からび、雨ばかりでは根が腐る。照って、降って。その塩梅(あんばい)と上手下手が人づくりを左右する▼さて、今月入社した新人諸氏も、勤めてひと月が近い。少し慣れたか、まだ緊張が解けないか。まわりで先輩風を吹かせている面々も、みな1年目があった。仕事は人に風格を与える。叱られ、ほめられ、一日一日、枝を伸ばしていってほしい。

(転載終了)※  ※  ※

 つまるところ、「自分の」子供、だと思っているから上手く叱ったりほめたり出来ないのかな、と反省する。
 夫には「いつも同じ手を使わずに、たまには自分の子だと思わないで接してみればいいんじゃないか。」と言われる。そう、これが他人(ひと)様であれば、ちょっとしたヨイショの言葉も無理なく口をついて出てくるし、まあこの人に言っても仕方ないと見切りをつければノーコメントでスルーも出来る。
 もちろん仕事上一言叱らなければならないこともあるけれど、最近ではちょっとしたことでもいきなりパワハラ委員会に届け出ということもあるようで、辺りは戦々恐々としているのも事実らしい。けれど、どうでもいいと思っている奴には叱ったりしない。叱るのにはパワーが要る。どうしたらうまく伝わるか頭を絞るのだから。言うまでもなく感情に任せて怒るのと叱るのは全くの別物。ちゃんとしてほしい、やれば(あなたなら)出来るだろうから、と思っているからこそなのだけれど。

 息子にはこうした思いがなかなか通じないのがやるせない。
 試験前夜のこと、ようやく自室に入ったかと思えばリビングにやってきてスマホをチェックし、落ち着かずトイレに行ったり飲み物を取りに来たり。果ては早々に「もう終わった。」と入浴に向かう息子に「もう?じゃあ結果が楽しみね~」と言ったところ、いきなり「お母さんはモチベーターとしては無能だ。プレッシャーばっかり与えて一体どういうつもりだ。」と返された。そっか、私って無能なんだ~、と思う。
 まあ、私は親に対してたとえそう思ったことがあっても口には出さなかったけれどなあ、と。

 いつかも書いたけれど、自分が子どもをやっていた頃、親から7対3や8対2で「ほめ」られたり「叱ら」れたりすることは決してなかった。むしろその逆で、圧倒的に「叱ら」れる割合が高かった。だからこそ本当にごくたまに「ほめ」られると嬉しかったのだけれど。今や好々爺のようになった両親の「ほめ」と「叱り」の塩梅が上手だったのかどうかはわからない。

 つくづく職場の人育てよりも子育ては難しい。プレッシャーを撥ね退けるメンタルが弱い、と自分で気付いているならば、もっとしたたかにしなやかになれないものか、と忸怩たる思いにため息をついてしまう私がいる。
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2013.4.25 がんと生きるために大事なこと

2013-04-25 21:22:28 | 日記
 昨年、読売新聞の医療サイトyomiDr.に連載された高野先生のコラム。この4月から再開され、楽しみに読んでいる。これまでの3回は(1)腫瘍内科とは、(2)腫瘍内科は機能しているか、(3)腫瘍内科医への道、というものだったが、そろそろ患者にとって一番知っておきたい内容に入ってきたので、長文ではあるが、以下に転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

【がんと向き合う~腫瘍内科医・高野利実の診察室~】がんとともに生きる方法とは(2013年4月24日)

 がんと診断されたとき、患者さんは、不安になり、戸惑います。「頭が真っ白」になってしまう人もいます。治療方針の説明を受けても、初めて聞く言葉ばかりで、混乱した頭にはなかなか入ってきません。病気と治療の恐ろしいイメージだけが増幅し、追い詰められた気持ちで治療に取り組みますが、先の見えない不安に副作用の苦痛も加わって、気持ちが落ち着くことはありません。
 すべての患者さんがそうだというわけではありませんが、がんと向き合うとき、多くの方が、このように、「不安」「絶望」「不幸」を感じているのだと思います。医療というのは、そんな気持ちを、少しでも、「安心」「希望」「幸福」に変えていくためにあると、私は思っています。

あふれかえる情報
 でも、現実の社会には、「安心」「希望」「幸福」へ向かうのを妨げる要因がたくさんあります。医療に関する情報はあふれかえっていますが、中には、患者さんの「不安」「絶望」「不幸」を煽ることで利益を得ようとする人たちからの情報もまぎれこんでいて、患者さんは、そんな情報に翻弄されてしまいます。代替療法や書籍の広告では、「医者に殺されない」とか「○○で進行がんから生還した」とか、刺激的な言葉が並び、患者さんの心は乱されるばかりです。
 このコラムでは、これから数回にわたり、「がんとともに生きるための方法」を考えていくことにします。
•がんとどのように向き合うのがよいのか?
•道に迷いそうになったときには、何を道しるべにすればよいのか?
•情報の波に飲まれそうになったときには、どのようにして情報を見極めるのがよいのか?
•重要な判断を迫られたときには、どのようにして意思決定するのがよいのか?

がんと向き合うキーワード
 予告をかねて、いくつかキーワードを挙げておきます。
 情報を見極めるために重要なキーワードは、「エビデンス(根拠)」と「エビデンスに基づく医療(EBM)」です。
 適切な「意思決定」をするために重要なキーワードは、「治療目標」と「リスク(不利益)とベネフィット(利益)のバランス」です。
 現代社会において、「安心してがんとともに生きる」ことを妨げる要因のキーワードは、「イメージ」と「センセーショナリズム」です。
 そして、すべての場面でいつも大事にしておきたいキーワードは、「価値観」と「語り合い」です。
 これだけだとなんのことやらわかりにくいと思いますが、これらのキーワードを中心に、できるだけわかりやすく考えていくつもりです。

 がんに直面し、医療や、情報や、がんをめぐるイメージに翻弄されがちな患者さんの道案内役になり、「安心」「希望」「幸福」を感じながら歩む手助けをできれば、と思っていますが、私は実は方向音痴ですので、皆さん以上に迷ってしまうことがあるかもしれません。そんなときは、読者の皆さんも一緒にこの問題に向き合っていただき、ご助言などいただければ幸いです。

(転載終了)※  ※  ※

 がん患者として9年目になり、主治医が腫瘍内科医だと(実際、接してみると、悪いものは切り取って治すという外科医とは考え方が全く違うと思う。)、高野先生が示される考え方はとても良く理解出来る。

 思えばまだひよっこ駆け出しの患者だった時、とにかく情報の海に溺れて、何が正しいのかも判らずに、あれこれいろいろな本やサイトを読みまくって一喜一憂したり、とすっかり翻弄されてしまった(今は必要以上にサイトにアクセスすることはない。これを“勉強不足”とも言うかもしれない。何ともずうずうしくなったものだ。)。

 けれど、先生のキーワードにあるように、治療をするならエビデンスのないものは信用してはいけない。ネットの情報はその観点からバッサリ落とされるべきものが沢山ある、と判る。そうなると、センセーショナルな見出しや広告文等にはいちいち動じなくなってスルーすることが出来る。だんだん肝が座ってくるわけだ。

 そして、エンドレスの再発治療の目標は残念ながら「完治」でなく、「少しでも長く今のQOLを落とさずに治療を続けて延命する(生きながらえる)こと」。それさえ押さえておけば、あまりに大きなリスクを冒してまで無理な治療はしなくなる。

 初発治療であれば、我慢してキツい治療を乗り切れば、がん細胞を完全に叩けて完治が見込めるかもしれない。が、再発治療となればそうはいかない。強い抗がん剤でたとえがん細胞が死んでくれても、本人がその副作用で廃人のごとくダウンしてしまっては何にもならない。そうはいってもバランスも大切で、ここは頑張りどころ、とかここはあまり無理しないでよい、そういう局面が必ず来る(実際私にはこの5年間ちょっとで何度もそういうことが訪れている。)。

 イメージとセンセーショナリズムについて先生がどんなお話をしてくださるのかは、実際に掲載されてからのお楽しみにしたい。

 何より、自分の「価値観」に基づいて生きること、これが何よりも大切だと思う。
 他でもない自分の人生だ。誰かの為だけに生きるのではない。まずは何より自分のために(もちろん、家族や大切な人のために、も自分のため、の一部である。)、残された自分の時間をどう過ごしていきたいのか、どうすれば長さでなく中味で満足出来る日々が送れるのかを考える。そのためにこそ主治医ときちんと「語り合って」、自分がどんな人生を送りたいのか、常に言葉にして確かめながら前に進んでいくこと(当然その場その場での微調整、進路変更はあり)が必要ではないだろうか。
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2013.4.24 上がったり、下がったり・・・

2013-04-24 20:06:52 | 日記
 ようやく週も半ば。早いもので、週末からはゴールデンウイークが始まる。受験生を抱えている我が家は、このお休み中例年のようなお泊り計画はなし、だ。
 ちょっと淋しいけれど仕方あるまい。受験が終わったら、という壮大な旅行計画を夫と息子は着々と進めているようなので(私は同行出来るかどうかわからない。)、頑張って来春、大学生になってもらうしかないだろう。
 そして、こういう何も予定のないお休み期間こそ遊ばず、ひたすら断捨離に励めばよいのだ!(・・・と頭では分かっている。)

 さて、ハーセプチン上乗せ治療開始後、おかげさまで概ね良好な体調が続いている。が、寒かったり、気圧が変化する時には間違いなく胸部の痛み-圧痛と鈍痛-が酷くなる。
 それに加えて、昨日から右下の一番奥の歯が疼き出した。忘れもしない、昨年秋、EC初回治療の副作用による好中球減少症による高熱で緊急入院した時、“免疫抑制による急性歯根膜炎”で食事も摂れなくなるほど酷い目に逢った。退院後暫くの間ゾメタを休薬したけれど、EC治療を中止したのと引き換えに再開し、抗がん剤からホルモン治療に変更したことで白血球も3000台はキープしているので、いきなり歯の状態が悪化しているということはないのだろう。けれど、気になっているのは下顎骨の壊死だ。ゾメタを新薬のランマークに変えたところでこの副作用はあると聞くので、これからも骨転移の治療を続けている限りずっと気にしていかなければならない。
 下顎骨の壊死という副作用は何の前触れもなく突然起こり、一旦起こると止めることが出来ないので、その後の治療がとても厄介になる-ゾメタ治療はおろか抗がん剤治療が出来なくなる-とのこと。つまりはそこで、治療中止、その後はどうなる・・・?
 考えても仕方ないが、憂鬱なこと甚だしい。

 そんな落ち込みがちな気分でも、朝のひと時、4月から始まった連続テレビ小説で毎朝頭をからっぽにしながら大笑いさせてもらっている。オープニングのテーマ曲も元気印で乗りが良く、一日の始まりにふさわしい。ヒロインのなんともアンバランスな訛りも可愛いし、周りを固める俳優さんたちの芸達者なこと。
 前作が最後の最後までちょっとどうなの・・・という展開だったので(先日BSで放映されていたスペシャルバージョンを録画してみたけれど、これまたかなりの肩すかし、だった。)今回は余計なことを考えずに、朝の時間を笑って過ごせるのが良い。

 上がったり下がったりしながら、それでも日々を愛しく感じながら暮らしていけたら、と思う。
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