ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.10.31 1と2の間

2010-10-31 19:00:42 | 日記
 夫と話していて、なるほどな、と思ったこと。
 私は予定にある1番目のことを済ませたら、すぐ2番目、3番目とぱっと移れる、のだそうだ。自分ではそれほど割り切っているとか切り替えが早い方だ、とは思っていないのだが。
 一方、夫は1と2の間に1.1、1.2、1.4・・・と、間の数が沢山あってようやく2に達する、という。 そして自分の目から見て息子もそうだ、と。だから2人(私と息子)は相容れないし、相性悪いよな、とのこと。
 息子と私は全く違う人格である、ということは十分判っているはずなのに、どちらかと言えば見た目が私に似ていることと、私のお腹から出てきた、ということで、あまりの性格の違いに割り切れなさが残る。
 夫はさすがに別人格だし、最初から1と2の間でいろいろ寄り道する、つまりスイ、スイと物事が進むわけではない、という人であることが判った上で長年一緒にいるので、その分、別にイライラしないのだけれど、いざ息子がダッチロール続きで物事が一向に進まないと、どうしても苛立ってしまう自分がいて情けない。
 昨日の塾の講師との面談でも、「とにかく受験まで最低限のことだけはしっかりやらせることにしました。」と言われ、見た目は私、中身は夫ということを再確認することにした。
 もちろんどんなことも整数だけで割り切れるわけではなく、間の数、小数点、エトセトラが組み合わさっての毎日の出来事なのだけれど・・・。
 
 さて、この土日もかなり冷え込んでいる。おまけにお天気も悪い。
 ナベルビンの2週連続投与が叶って初めての週末。(規定量の8割投与で)欲張らなければ予定通りに出来たことは喜ばしいことだけれど、これまで2回分が体にたまって週末を迎えることがなかったので、副作用は大丈夫、という気でいた。金曜日の午後少し具合が悪くても、土曜日の午後にはもう元気、という状況だったので。さすがに今回はそうはいかず、昨日も今日も調子が悪い。
 昨日はなんとなくだるく、熱っぽい感じ。今日はかなり寝坊をしたのに、疲れが取れておらず、体が重く沈んだ感じ。筋肉痛というか肩のまわり、上半身が凝り固まっていて痛む。食欲は普通にあるが、食事をすると、その後がなんとも胃がもたれる感じ。ただ、これまでの胸痛の原因が逆流性食道炎だとすれば、食後すぐには横にならないほうが良い、ということなので、安易に横にもなれない。
 何もする気がない・・・とも言っていられず、洗濯はたまっていたので片付け、足りない食料品の買出しには出かけたが、掃除はパスしてしまった。(前回のタキソテールのときのように)寝たきりになっていないだけ、立派だ、と夫は言ってくれたけれど。
 夕食の支度も夫が代わってくれるというので、お任せ。作ってもらえると本当に美味しい。何とか復活していることを願って、文化の日は家事に賭けるつもりだ。
 遅く起きて、せっかく金曜日に買い込んだ11月の新刊文庫本も読めず、あっという間に暗くなってしまうのでは、ということで午後から思い切ってリンパヨガに出かけたけれど、途中で貧血になって座り込み、早めに退散した。

 昨日、10年以上お付き合いしている知人の女性から、妹さんに赤ちゃんが産まれた、というお話を聞いた。かれこれ10年近く前、彼女の初めての妊娠のときに、息子のベビー服からグッズまで全てお譲りしていた。彼女のお嬢さんは今年小学校2年生、その後に生まれた坊ちゃんが4歳になったところ。その2人がしっかり使ってくれて、さらに今度は妹さんの赤ちゃんにまで回してくださった、ということにちょっとびっくりした。胸元に相変わらず息子のフルネームが書いてあるそうだ。(保育園児だったので何から何までフルネーム入りだった。)ここまで大切に4人の赤ちゃんに使ってもらえるとは、ベビー服冥利に尽きる、といったところだろう。

 早くも明日から11月。2ヶ月続きのカレンダーは残り1枚になった。近隣の木々もずいぶん色づいてきた。
 明日から勤務する大学では大学祭だ。

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2010.10.30 いろいろあらぁな

2010-10-30 09:37:37 | 日記
 かつては人生50年だったが、今や平均寿命は80歳を優に超え、50歳では、まだまだ親もしっかり生きているし(100歳を超えた祖父母世代が生きている、という方もいる)、とてもじゃないけれど人生の幕引きとは程遠い現役世代、である。

 それにしても半世紀近く生きてくれば本当に“いろいろあらぁな”である。
 同い年の友人の話を漏れ聞くと、自分の親も配偶者の親も病を得ての入院生活。毎日複数もの病院に看護に行くのはとても身が持たないから同じ病院に入院してもらった、という。なるほどな・・・、と思う。これは実に賢い自己防衛策だろう。

 一方で、遅くに子供が出来た友人(私も含む)はまだまだ子育て真っ最中。親に孫の面倒をみてもらうどころか、小さい子供を抱えつつ老親の介護、とてもじゃないけれど体が持たない・・・。
 働きながら早くに1人目の子供を授かり、そのあと2人目、3人目・・・、同じように面倒をみてもらえる算段でいたら、そうはならず、親も老いるし、一人目と違ってそれほど頑張ってもらえない、という話も聞く。さもありなん、だと思う。

 はたしていつ子供を持つのが一番いいのかな、と思うこともある。
 若いうちにとにかく続けて複数産んでしまい、職場の視線や待遇、遊びたい気持ちはじっと我慢。なんとか子供の手が離れてきたら徐々に軸足を仕事にシフト。それならまだ体力もあるし、自己実現もできる。子供の思春期だってまだまだ自分の若さとエネルギーで乗り切れる。早くに成人してくれれば、孫に会えるのも早いだろう・・・。そこで孫育てをあてにされるかどうかは別として。
 かたや、職場である程度実績を作ってから満を持して出産。それなりにキャリアも年を重ねているからお給料もあがり、経済的な基盤はしっかりしているし、精神的には大人になって落ち着いている。それでも体力面では若い時と違って、24時間コンビニ状態の子育てはやはり身にこたえる。更年期障害の頃にちょうど子供の思春期にあたるのも結構辛い。なんとかくぐり抜ければもう気力体力かなり落ちて、下手をすれば病の一つや二つ、という状況。

 私は2つ目のパターンだったけれど、それでも子供は授かりものだから、授かった時が心身ともに一番いいとき、と考えるのが幸せなのだろう。
 息子は両親にとっては初孫だったし、今から15年近く前、父も母も60代だったから、50代の若いおじいちゃんおばあちゃんには敵わなくても、まだまだ十分元気だった。父などは病気がちだったのに孫が出来てからは逆にしゃんとしてしまい、毎週車に乗って買い物やらなんやら手伝いに来てくれた。が、続けて子供が授かればまだしも、数年後に実家の両親に同じサポートをしてもらえたか、と思えばとても無理だったと思う。私自体が結果として一人で手いっぱい(今やもてあましている・・・)だったけれど。

 今のところ、実家の両親は老いたとはいえ2人でなんとかやってくれているし、義妹宅にお世話になっている年が明ければ90歳を迎える義母は、今年の夏の暑さにほとほと懲りて来年はまた夏の間北海道に行く、と極めて元気だ。そんなわけで、とりあえずは切羽詰まった介護問題には直面していないのだが、それにしても明日は我が身、である。

 そしてとにかく、よもや老親に私の介護をしてもらう、ということだけはないように順番だけは守ってなんとかこのまま頑張り抜きたい、と決意を新たにするのである。

 昨夜より胃がもたれたような気持ち悪さとだるさが強い。
 今朝は台風の接近により早朝に休校の電話連絡。本人は全く知らずに白河夜船で熟睡し、夫に「自覚が足りない。いつになったら起きるのかと放っておいたけれど、大遅刻だぞ!」と起こされて、今頃のっそり起きてきた。挙句の果ては、「土曜日は普通に授業がある日と出席カウントが違うから、遅刻しても大丈夫で、良かったね。」とのずれた台詞。今日は休校だとようやく知って、「なんだ、また寝よう」とのたまい、脱力してしまう。

 私はこれから塾の担当講師との面接。この雨の中、なんと気の重いことか・・・。
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2010.10.29 好感度ダウン

2010-10-29 07:25:38 | 日記
 またしてもやられた、という感じだ。

 体育祭が終わればそろそろ次のクールの小テストだったのでは・・・と気にしていたのだが、息子が年間スケジュール表を隠し持ってしまい、確認が出来ずにいた。折に触れて「そろそろ朝の10分間小テストの週じゃないの。」とか「範囲はもらっていないの。」と聞いていたけれど(そもそもこれが過保護だといえば過保護以外の何物でもないのだが、放っておくと追試になろうが不合格になろうが全然へっちゃらなのである。)「実力テストの後だよ。」とか「まだもらっていない。」と答えが返ってきていた。

 週の初めに塾の学習報告シートがファックスされてきた時のこと。これまでは本人にしつこく言って出させていたのだが、何度言ってもなかなか出さないし、出された宿題は答えと一緒に渡されてしまうと答えをただ写して持っていくだけ、という信じられない体たらくなので、面倒は面倒だし過保護以外の何物でもないのだが、ファックス送付をお願いして、本人がやったものを答え合わせしてやってからやり直しをさせている。本来は自力でやって答えを確認し、解き直すまで自分でやる、というのが理想なのだが。学習報告シート自身は本人が帰るまでに先生の書き込みが間に合えば直接本人に渡してくれるのだが、今回は間に合わずにファックス送付になったようだ。
 そのファックスが届いたのは息子が帰宅して2時間近く経っての夜10時半。私はその夜体調が悪かったので、プリントアウトは明日でいいや、と思って先に寝てしまった。

 今から思えば自分にやましい部分があるので「今のは塾からのファックス?」とわざわざ寝室にいた私に自室から聞きに来ていた。我が家のファックスは不要なものは印刷しない“見てから印刷”にセットされているので、送信先を確認してからプリントアウトする。夫はどうも”臭い”と感じてすぐにプリントアウトしたようだ。
 「10分間小テストの勉強があるということなので、宿題は少なめにしました。」との記載があったので(こういう交渉には実に長けている。)、すぐに息子に確認したそうだが、まるで臆することなく「小テストじゃなくて来週の実力テストのこと、先生の書き間違い!」というので、すっかり信じて、それ以上追及しなかったという。
 翌朝、私も同じことを聞いたのだが、同じ答えしか返ってこなかった。来週の実力テストの範囲表はあいかわらずリビングのテーブルに置きっぱなしなので、とても勉強しているとは思えなかったのだが・・・。

 昨日、今週末にある塾の面談についての確認電話があり、担当の先生と話したところ、やはり今週は小テストウイークだということが判明し、大恥をかいた。既に半分以上のテストが終わっている。塾には以前に年間スケジュールをファックスしてあったので、再度それをファックスしてもらうという不始末。「コントロール不能ですみません・・・」と小さくなった。

 しれっと夫と私をだましていたのだ。テスト範囲が記載されたプリントが渡されると塾にファックスしているのだが、それすら全く見せずに、何気なく月曜日から毎日受けていたことがわかった。先生いわく、たまたまこの日だけは満点だったようだけれど。そして私が先生からの電話を切るか切らないかのタイミングで何食わぬ顔で塾から帰宅した。夫と私に「どういうことか?」と詰め寄られた次第。

 それでもぶんむくれて謝りの言葉は一切出ない。食事の途中だったが、夫に「そんな嘘つきは出ていけ!」とまで言われ玄関にしぶしぶ行った。外は寒かったのを思い出したのかジャンバーを羽織ろうとしたところ、夫から「それはお父さんが買ってやったのだから、お前が自分で買ったものだけを持って行け、それがなければそのまま出て行け!」と言われているのが聞こえる。さすがに風邪をひいて寝込まれても困るし、と割って入った。
 しかし空腹状態で寒空のもとに「出ていけ!」と言われ、なんとか許してもらおうと弁明することもなく、出て行こうとするとは・・・。どうしても謝りたくない、それなら出ていけと言われたので売り言葉に買い言葉で出ていく、という選択肢。うーん、どうしたものか。

 その場での彼の言い分は、私から「範囲のごく狭い小テストくらいきちんと準備をして20点満点を取って来てね。」と言われるのが嫌だ、20点取れないと、「やはり(親が)見てやらないとだめだ。」と言われる。仮に20点取ってきたって褒めてもくれない。だから今回は自分で自分のやり方でやろうと思った。だから黙っていた、とのこと。そんな嘘はすぐにばれるのに・・・。

 夫がお前の言い分もわかる、ということで「出ていけ!」発言は撤回され、食事に戻った。
 それにしても他に出す話もないので、私が自分の中3時代の頃のことを引き合いに出すと「自分は出来る、と自慢している。お前は馬鹿だと言われているのが悔しい。」のだそうで、なんともしがたい。当分黙っていることにした。こうした小さな積み重ねを大切にしていればきちんと力がつくのだから、と良かれと思って言っていた事が息子にとって実際には大きなストレスになっていた、と反省した。15年近く母業をやっていても息子の気持ちを組んでやれない。なかなか成長しないのはこちらかもしれない。
 もちろんいちいち舌打ちされ、睨まれる中、こちらだって勉強しろ、としつこくうるさく言いたくなどない。受験生なのだから、自分からやってくれれば何にも問題はない。が、言い方がふるっている。
「そうして人の嫌がることをしつこく言うと、どんどん好感度がダウンするから。」

 「好感度が下がることを恐れて親なんかやっていられるか!」と私は言いたい。
 「誰が好き好んで人から嫌われることを言うのだ。それでも言ってやるのは親だからではないか。」と言ってみても、息子には当分届きそうにない。

 祖父母の家に行くと、私はいつも勉強々々と五月蝿い教育ママの悪者になっているらしい。受験まであと100日あまり、どうしたものか。言わなくて済むようになってほしい、だけなのだ。

 が、私からすればこの感覚のずれたとしか言いようのない好感度ダウン発言には、(また、ブログのネタが出来た!)と思わずにやりとしてしまった。我ながら私も変な奴である・・・と思わずにはいられない。

 なんとなくぽっぽと顔が火照るような感じはあるけれど、ステロイドのおかげで吐き気も気持ち悪さも殆どないし、まだ体調は悪くない。相変わらず胸の鈍痛はあるが、酷くはなっていないのでとりあえず様子見だ。
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2010.10.28 根菜の威力

2010-10-28 22:50:15 | 日記
 本当にいきなり寒い。今日は最高気温が11度だそうだ。わずか1ヶ月前は夏日だったような気がするのだが。
 昨日よりさらに5度低いということで、11月が来ないうちに突然の12月の到来、といった感じ。しかも冷たい雨。帰路は傘を持つ手が赤くかじかむほどだった。

 早くもタイツ解禁だ。これでもうストッキングには戻れない。タキソテールの副作用以来足のむくみが気になり、着圧ストッキングのお世話になって久しい。そしてタイツにも着圧ものを見つけた。これが気持ち良いし暖かいので、すっかり気に入っている。一日座って足を下げていれば当然ながら、どうしても足はむくんでしまう。もちろん立ち仕事の方たちに比べれば贅沢な話だろうけれど。あとはブーツを解禁すれば足元は完全な冬支度だ。最近では、若い人たちは一年中いろいろな素材のブーツを履いているけれど。

 気になるのは病院に行く時。冬はやはり寒いので、基本はタイツアンドブーツなのだが、脱ぎ履きが大変。すっぽり履けるタイプならまだしも、ファスナーの着脱があればいちいち開けたり閉めたり。ブーツを脱いで点滴椅子に座ってしまった後、点滴が数時間にわたればどうしても1度はお手洗いに立ちたくなるから、不自然な格好でブーツを履いたり脱いだりすると、足が攣ったり、体をひねったり。暖かさを取るか、便利さを取るか、所詮両方は成り立たないのは美しさと効率性が成り立ち難いのと同じ話か。

 さて、この季節、やはり活躍するのは鍋や煮込み料理である。
 本当にありがたい。何しろ用意は簡単だし、野菜はたっぷり食べられるし、体は温まるし、食後の洗い物はごく少なくて済むし、といいことづくめである。夏の間はさすがに鍋ものというわけにはいかないし、汗をふきつつ火を使うから、それなりに食事の支度に時間がかかるが、それに比べれば働く主婦の味方こそ鍋!である。

 かつて、とても定時には帰れない職場にいたとき、朝のうちに支度できるメニューが定番だった。(帰ってから支度するのでは遅くなってしまうし、あらかた支度が出来ていれば、私の帰りが遅くなっても夫が温めるだけで2人は食事をすることが出来るから。)月曜日から金曜日までカレー、シチュー、ポトフ、おでん、水炊き、しゃぶしゃぶ・・・などと我が家の夕食のメニューを紹介したところ、独身の男性から「○○さんのうちのご主人とお子さんは気の毒ですね~」と言われた記憶がある。一体どこが、気の毒なのだろう。いや、夫や息子は自分たちが可哀想と思っていたのかどうかは、今更怖くて聞けないけれど・・・。
 今頃、その彼は既婚者になったのかどうか。そして冬の鍋や煮込み料理の有難味に気づかなくていいほど、家事をしなくてもよい身分なのかどうか、ちょっと意地悪く気になっていたりするのだが・・・。

 現在投与しているナベルビンは植物性アルカロイド系抗がん剤であり、便秘しやすい、ということで前のクールまでは吐き気止めの点滴がセロトニン拮抗薬(グラニセトロン:カイトリル)だったのを、第3クールからステロイド(デキサート)に変えて頂いた。組み合わせとしてそちらの方が便秘しにくい、というご判断だろう。
 第1回目の投与のとき、便秘が酷いと訴えたところ、便を軟らかくする薬であるマグラックスを処方され、すんなり効いたけれど、2回目はうまく効かずにお腹の気持ち悪さだけが持続してしまった。そのため、今後長くお付き会いすることを考えて、よほどひどくならない限り、すぐに薬に頼らずなんとか自分でうまくコントロール出来れば、と思っていた。

 そこで、根菜の出番だ。圧力鍋を駆使して、ごぼう、大根、にんじん、かぶ、サツマイモ、サトイモ等など、植物繊維たっぷり、ミネラルの宝庫の根菜にご登場頂く。あっという間に軟らかく煮えること煮えること。そしてすっかり秋らしく(というか一足飛びに冬らしく)なってきたため、こうした煮ものや汁ものが美味しくたっぷり食べられること、体も温まるし、一挙両得で、見事に成功。今クールは薬に頼らず快調である。
 夫や息子はもともと快調な人たちなので、効き過ぎかもしれないけれど、まだ苦情は受け付けていない。このまま細く長く上手にこの薬と付き合っていきたい、と思う。

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2010.10.27 ハーセプチン116回目、ナベルビン3クール2回目

2010-10-27 19:27:18 | 治療日記
 今日も採血後の診察。これで連続7週間採血だ。すっかり30分早めの到着が普通のペースになった。今は採血も血圧測定も全て右腕で対応しているので、テープかぶれなどがやはり気になる。
 今朝はあいにく採血が40人以上待ちだったので、1時間待ちを覚悟した。ようやく順番が来て、検査技師さんに「今日は混んでいますね。」と言うと「人数的にはそれほどでもないけれど、急に寒くなったので、血管が出ないで手間取ったり刺し直したりの方が多くて時間がかかっているんですよ。」とのこと。確かに今朝の冷え込みはびっくりするほどだった。しっかり着こんで出かけたがそれでも風がとても冷たく感じた。

 内科へ移動し、受付後1時間ほど待つ。診察室に入り、先週は足の攣り、食後の貧血状態、胸の鈍痛・圧痛が酷かったことをご報告。白血球自体は3800あり、好中球も44%。「やはりナベルビンも8割投与だとどちらもそれほど下がっていない。欲張らずにやれば、出来そうだ。今日は問題なくナベルビン投与はできるが、(胸のしこりも小さくなっているのに)痛むということは他のことも考えなくてはいけない。ハーセプチンも長くなっているので至急心電図をとっておきましょう。」と、すぐに心電図を取りに行き、診察室に戻る。結果は「前回と変わらず特に問題なし。長く痛みが続くというのは狭心症ではないし、心筋梗塞等、心臓ではなさそう。逆流性食道炎ではないか。経過を見て、それでも長引くようなら胃酸を押さえる薬を飲んでみて、それで良くなるなら、やはり逆流性食道炎ということでそれほど心配することはないでしょう。」とのこと。胸焼けなどの症状はないのだが。来週は祝日なので、1度お休みして再来週の予約が入る。次回は腫瘍マーカーも含めた採血、レントゲン、ハーセプチン、ナベルビン、ゾメタとフルコースの予定だ。とりあえずほっとして処置室に移動する。

 処置室は大掛かりな改装中で、来年春にはこれまで12床(点滴椅子とベッド)だったところが19床に増える予定だそうだ。今の診察室部分まですっかりぶち抜いて、春からは診察室は隣のブースに移動するとのこと。現在、年明けまで第二期の工事中で、先週までとはすっかりレイアウトが変わっており、10床だけが稼動していた。ラッキーにもすぐに席が確保できたけれど、これまでのナースステーションの部分がベニヤの壁で行き止まりになっており、迷路のような狭いところに看護師さんたちがいらしてびっくり。窓側の点滴椅子はすっかりなくなっており、入り口付近にカーテンで仕切られた個室仕様の点滴椅子とベッドが並んでいた。

 針刺は今日もチクリで済んだ。1時間ほど待って薬が届き、予定通りのハーセプチン、デキサート、ナベルビン、生理食塩水の4本をお昼過ぎから開始。順調に終わった。針を抜いてもらうともうすぐ3時。なにやらカーテンの外では多くの人たちの出入りが頻繁になっており、何があったのか聞くと監査だそうだ。処置室を出ると、中廊下にはドクターが何人も待機しており、私の主治医の先生も忙しそうに小走りに歩いておられた。

 先日の入院診断書を受け取り、会計を済ます。既に3時を回り、駅近辺のランチタイムは終わってしまったし、さすがに空腹だったので、院内のレストランで遅い食事。結局、今日も院内滞在時間は7時間近くになり、疲労感は大きい。

 今日は3冊読めた。
 1冊目は神谷ちづ子さんの「女性の見識」(ディスカバー携書)。裏表紙には阿川佐和子さんの「素敵にスマートに、楽しく年齢を重ねていくための秘訣を、外交官の妻として各国を渡り歩いてきた著者が語りおろした痛快辛口エッセイ。ほんの少し行動を変えるだけで、見た目も意識も見違えるほど変化します。『かつてオバサンと呼ばれ、世の顰蹙を買っていた種族がいたことを、懐かしく思い出す時代が到来する・・・かもね』」とあったとおり、ニヤニヤしたり、いや、そんな、と思ったりしつつ一気読み。「外見と振る舞いに気を配る」の章では、爪と髪のメンテの重要性にとても納得し、最後の章の「胸を張って生きる」にはなるほどな、と思った。

 2冊目は柴崎友香さんの「フルタイムライフ」(河出文庫)。以前に「その街の今は」を読んだことがあったが、大阪府生まれの著者だったのだ、と今回のお話の大阪弁の会話を読みつつ、ちょっと驚いた。新入社員の10ヶ月を描く長編なのだが、忘れていた新人時代をちょっぴり思い出した。私の勤務先は間違いなく丸の内だったけれど、とても丸の内OLらしくはなかったな、と。

 3冊目は山田正人さんの「経産省の山田課長補佐、ただいま育休中」(文春文庫)。解説は勝間和代さん。裏表紙には「『仕事は無制限、無定量』がモットーだったキャリア官僚の山田課長補佐が、三番目の子供の誕生を機に1年間の育休を取ることに。同僚の反応、出世の問題はもちろん、保育園のママ友達との付き合いなど、育休パパには戸惑うことばかり。」とあったが、奥様は大学の同級生で同期入省ということだから、本当に対等にやってこられ、奥様のストレスはかなりのものだったのだろう。2人のやりとりが実に痛快で面白かった。私は産休しか取らなかったけれど、1年育休を取って息子と1対1で対峙しきれたかどうかとても自信はない。やはり、後にも先にも息子しか育てなかった私にとって、保育園は今でも様様である。

 帰宅したのはいつもと変わらない時間。あたりは既に真っ暗で、本当に気持ちが焦る。今日は朝から気合で夕食の支度までしておいたので、少しはゆっくりと夫と息子の帰りを待つことが出来るのだが・・・。つくづく貧乏性の小心者である。

 今日でブログ開設1周年となった。最初は治療日+αのペースでぽちぽちと、今ではほぼ毎日の更新になった。おかげさまで、1年間で延べ5万人以上の方がご覧くださっている。
 感謝の気持ちでいっぱいだ。これからも細く長く、書き続けていきます。
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