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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2025.8.29  作業療法士さん来訪 今日もだらだらうとうと

2025-08-29 22:07:05 | 治療日記

 昨夜は早めに記事をアップした後、ドラマの録画を視て、薬を飲んでから入浴した。外は少し涼しくはなったけれど、室内は28℃。やはり冷房除湿なしでは眠れずにタイマーをセットしてから消灯した。

 今朝もアラームが鳴る前になんとなく目覚めてしまう。お手洗いを済ませる。目がしっかり開いているわけでもない。BS朝ドラが始まる5分前にアラームを鳴らし、クッションで体勢を整えて咳込まないようにする。地デジの朝ドラも視てからリビングへ移動する。今朝も35.2キロあった。嬉しい。
 洗濯はお休みで、夫と朝食を摂る。食後は作業療法士のIさんがリハビリに見える準備だ。

 身支度をして、カツラの代わりにバンダナを被ってお待ちする。夫は暑い中DIYまで出かけた。Iさんと階下ですれ違ったという。Iさんから「暑いのに自転車でお元気ですね~と」言われたそうな。元気も何もマイカーがないから仕方ない。

 定刻にピンポンが鳴る。「思いのほか体調が良さそうですね~」と言われる。何とか義母の13回忌のお勤めを終え、月曜日に帰京したこと、火曜日からはこれ迄通りのソファと一体化して寝たり起きたりのぐうたら生活をしており、昨日初めて駅前まで散歩に出たこと等報告する。
 法事当日から3日間の過ごし方に加えて、今後起きるであろうことの心の持ち方等深い話もしているうちに、「では、身体を動かしていきましょう」という時間はなくなってしまう。残念だけれど、そんな日があっても良いだろう。

 Iさんは私と話すのが楽しいと言ってくださるが、私もIさんとお話するのが楽しい。本音を話すのに近すぎず、遠すぎず、関係の距離感が丁度良いのである。出かけた後のコンディションを整えるのが上手く出来ていると言って頂く。私のように、何でも自分で決めて納得していくタイプの末期患者はそうはいないらしい。
 勿論、私も最初からこうだったわけではないけれど。人は、自分で納得して決めないと、上手くいかなかった時に○○さんがそう言ったから・・・と必ず人の所為にするという。それでは哀しすぎるではないか。

 さて9月からは合唱もスタートですね、と言われるがちょっと欲張り過ぎかな~という気がしないでもない。まぁ色々な方たちが応援してくださるし、前泊も手配したのでひとまず14日には行ってみなくては。

 血圧とSpO2等の測定。体温は6度6分。SpO2と心拍数は94-89。血圧もいい感じで95-67だった。
 話を続けていると、息切れはしてくるけれど、酷い咳込みがなかったのでレスキューのオプソも飲まずに済んだ。
 
 玄関までお見送りして朝のMSコンチンを飲み、ソファと一体化して休息。窓の外は太陽燦燦で暑そうだ。録画したドラマを視ながらだらだらしていたら、夫が買い物をして「暑い~」と帰って来た。
 テーブルブーケを買って来てと頼んだら、今日の色合いはとても私好みで素敵だった。ブルーのガーベラやトルコキキョウ、リンドウ、ワレモコウ等淡いピンクからラベンダー、濃い青紫。早速水切りをしてダイニングテーブルに飾る。気持ちが華やぐ。
 今月は切り花はお休みで4週目にミニ胡蝶蘭が届くことになっていたが、ちょうど帰京する日だったのでキャンセルした。そのため、残念ながら家に花がなくなってしまった。切り花は持たないけれど、それでも何もないとちょっと寂しくて。

 お昼はレンチンだよ、と言われて夫と同じ担々麺を作ってもらった。以前は好きだったのだけれど、どうも喉に刺激が強すぎて咳を誘発するので、これからは厳しいかもしれない。半分近く夫に横流しして、りんごやブドウなど果物だけたっぷり頂く。

 その後、録画していた「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」を観た。アンソニー・ホプキンスが主演、ナチスの脅威から669人の子どもたちを救ったイギリスの人道活動家ニコラス・ウィントンの半生を描いた伝記ドラマ。
 実際にニコラスに助けられたかつての子どもたちやその親族も撮影に参加しているという。シンドラーのリストや杉浦千畝さんのことを思い出す。
 いつの間にかうとうとしてしまう。それを見て夫がビデオを消してくれていたが、またしつこく観直していたらタチが悪いと言われた。
 
  母への定期連絡時間だと起こされる。ぼーっとしている。遅いお昼を食べた後、ひたすらゴロゴロウトウトしていたので、空腹でもなく食欲もない。
 今日はヘルパーさんがいらした日。母は午後からタオルケットを洗濯したらちゃんと乾いたと言っていた。既に食事も適当に済ませたとのこと。
 明日は夫と出向くのでよろしく、と伝える。なかなか出向いてあれこれ世話を焼いてやれないのが申し訳ないけれど・・・。 

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2025.8.26 大洗濯後訪問看護師さん来訪 午後はだらだらいつものペースに

2025-08-26 23:16:39 | 治療日記

 昨夜は帰宅が予定より1時間遅れたこともあり、記事アップが既に日付が変わる頃。その後、入浴(半身浴しか出来ないとはいえ、やはり我が家のお風呂が良い。)を済ませ、旅の間は丁寧に出来なかったケアをしてベッドに入り、眠りに就いたのは1時過ぎだったか。

 そして今朝は寝坊が出来ないと思っていたせいか、6時過ぎにお手洗いで目が覚めた。再びベッドに戻ったが二度寝は出来ず。ニュースを点けて、洗濯物が溜まった洗濯機のスイッチを押し、朝ドラが終わるタイミングで洗い上がるようにしておく。
 起きてリビングに移動したら、洗濯物が仕上がって夫が干し始めていたので、慌てて一緒に干す。流石に普段より量が多い。それでも今日も猛暑日というからちゃんと乾きそうだ。

 朝食を摂り、夫はまた喪服を着て後輩の告別式に向かう。すい臓がんで亡くなられたという。
 夫を見送ってほどなくしてから、目を疑う。ダイニングテーブルにスマホが置きっぱなし。戻ってこなかったので、そのまま諦めて出かけたのだろうが、今日の告別式会場はJRやら私鉄やら乗り換えが何度もある。交通系カードを持っていればまだしも、持っていなかったらさぞや大変だろうにと心配する(実際そうだったようで、切符を買って乗り継いだようだ。)が、連絡のしようがない。途中で電話もなかなかかかってこなかった。

 ほどなくして定刻通りピンポンが鳴る。訪問看護師のMさんが2週間ぶりの訪問だ。
 寝不足で眠いし、疲れは身体に重く纏わりついている。やはり今日は外して明日か明後日にしてもらえばよかったかな、と後悔するも後の祭り。ひとまず時間通りMSコンチンを飲む。無事に法事から帰京したことを喜んで頂く。体重はと問われ、今朝は34.6キロと答えると、2週間前と全く同じ、キープしていて素晴らしいと言われる。

 旅の間は普段よりずっと食べた量が多かったが、活動量も多く、途中で下痢をしたのも大きかったか。いかにも悪液質とは感じないそうで、夫が作ってくれる最強の野菜スープや抗がん剤治療を止めたことで、これまでがん細胞とともにずっと痛めつけられてきた元気な細胞たちが活性化しているのではないかとのこと。
 人参養栄湯に加え、ステロイドを上乗せするタイミングについて訊くと、今は自分の免疫力が発揮されているので、ステロイドを投与すると自然な免疫力を妨げることになってしまうから、投与のタイミングではないと仰る。

 体温は6度4分、SpO2は97、心拍数は86。朝自分で計測した時には92-93だったので良い値だ。血圧もやや低めだが91-64。右胸の音は、先週K先生が仰ったのと同様、そういう(良くない)音が聞こえる筈という先入観を持って(注意して)聴かないとわからないくらいの雑音だという。
 今日も途中咳込むことは何回もあったけれど、オプソを飲まなければいられないほど酷いものではなく、気づけば1時間40分もMさんと話をした。
 
 来月は第2火曜日の同じ時間、第4は祝日なので木曜日の同じ時間に変更した。玄関までお見送りしたら、さすがに草臥れてソファと一体化。
 知らない番号の携帯から電話が入る。夫は公衆電話を見つけられず、出先で知人に会って電話をお借りしたようだ。携帯を忘れて出てきたということだったけれど、それはは判っているので、あまり意味のない電話だったけれど。

 空腹を感じてナンドックを頂く。デザートはプリンとアイスクリーム。ぼーっとして昼の薬を飲みそびれてしまった。録画したドラマを視ていたら何となく口寂しくなり、喉も乾いたのでオレンジジュースを飲み、冷凍しておいた小さなふりかけおにぎりをチンして頂いた。ここで昼の薬も飲めた。
 その後、むわっとする外気にやられないようにさっと洗濯物を取り入れて、畳む。量が多いので畳んでも畳んでもなかなか片付かない。畳み終わって、すぐに収納が出来ず、またお休みを挟む。漸く収納が終わったところで夫が帰って来た模様。急いでお塩を持って玄関へ向かう。

 予想にたがわず、スマホなしの電車乗り継ぎはなかなか大変だったようだ。今日は忘れずに数珠を持たせたのだけれど、神式だったので不要だったとのこと。トホホである。上手くいかないものである。

 草臥れてなかなか動けない。気づけば寝落ち。「おばあちゃんに電話する時間だよ」と夫に起こされる。あわわ、もうそんな時間。2時間弱寝てしまったようだ。
 母に電話すると、今日先日カタログから選んだ杖を届けて頂いたという。カタログでは小さくてあまり良く柄も分からなかったが、今日着ていた洋服と合っていて「お似合いですね」とお世辞を言われたそうな。朝一番でヘルパーさんがいらっしゃり、夕方涼しくなってから一番近いドラッグストアにちょっとだけ出かけたとのことだった。こちらの報告をし、これから食事なのでと通話を切った。

 冷房の風に当たったせいかまた腹痛だ。夫は、私が昨夜ラーメンが食べたかったと言ったら、色々トッピングの食材を買ってきて本格的な塩ラーメンを作ってくれた。
 美味しかったが、途中で腹痛。またしてもあっという間に下痢になった。胃腸も疲れているのだろう。残念ながら全部は頂けず。食後は今日の道中でゲットしたという高級果物屋さんのシャインマスカット。びっくりするほど立派な1粒の大きさ。美味しかった。

 明日は午後ケアマネさんがいらっしゃる。それ以外は何もないので、少しずつ普段の生活に戻していこう。


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2025.8.22 洗濯後 作業療法士さん来訪 引き続きオンライン交流会 午後はパッキング てんこ盛り金曜日

2025-08-22 21:52:55 | 治療日記

 昨夜は記事アップ後、薬を飲んでから入浴する。もろもろのことを済ませてベッドに入ったら、残念ながら日付が変わってしまった。それにしても暑い。部屋の熱気が夜迄冷めない。冷房除湿タイマーは5時間になった。寝ている間はほぼ点けっぱなしの状態だ。

 今日もアラームが鳴る小一時間前に目覚めてしまう。グズグズしながらニュースを点けてBS朝ドラを視て、涙ぐんでしまう。「一生懸命やってきたつもりだけれど、自分は何者にもなれなかった」という台詞がとても他人事に思えなかった。病気にならなければ等と、思っても詮無き事を考える自分が情けないという涙だったのかもしれない。
 夫にそんなことを呟いたら、あれこれ励ましてくれた。息子を育て上げた、病気を抱えながら20年勤めた、同じ立場の患者さんたちを沢山励ましてきた、それだけで十分凄いんだ、と。有難うございます。
 洗濯機を廻しながら、朝食を摂る。洗濯物を干したら、作業療法士のIさんがリハビリに見える準備だ。

 朝食を終えたタイミングで洗濯物が出来上がり、身支度をして、カツラの代わりにバンダナを被ってお待ちする。夫は明日からの旅で必要なバッテリー等を買いに行く、とIさんの到着前に出かけた。毎日々々、暑い中マメに出かけて偉いことだ。

 今朝も頭が痛い。頭の中でまた何か起こっているのか。さらにここ数日、今迄落ち着いていた胸部痛が再燃している。これまで左だったが今は右だ。骨の痛みなのか、内臓の痛みなのか。明日からなんとか大人しくしていて欲しい。オプソを飲むのは様子見。ほぼ定刻にピンポンが鳴る。

 まずは先週からの体調報告。今週は夫のがんセンター付き添いから始まり、火曜日はK診療所の往診、水曜日はリフレに行って疲れたのか昨日はヘルパーさんが見えたが殆ど動けずじまい、で今日になったこと。
 明日からは夫の郷里へ出向いて義母13回忌の法事であることは既にご存知で、どうぞ無事に行って来てください、と言われる。9月もお披露目会やら合唱練習やら、あれこれ日程が詰まっていますね~と。

 加えて患者会の瞑想ヨーガクラスの日程が決まったことをお話する。前回も「出たかった~。」と仰っていたが、来月の夜のクラスもお子ちゃまたちは既に寝室に行っている時間なので、是非、とのこと。11月のハイブリッドクラスも参加したいと仰る。有難いことである。

 血圧とSpO2等の測定。体温は6度9分。SpO2と心拍数は95-97。自前の機器で起床後すぐに測ったら93-105だった。血圧は低めで79-68。ふらつきや立ち眩みはなかったが、頭痛はこの所為なのかもしれない。
 黙って静かに話をしている分には酷く咳込むことはないが、廊下を往復するだけでどうしても息切れして咳込みを誘発する。
 それでも今日はレスキューのオプソも飲まずに何とかお話出来た。ついつい喋り過ぎるので普段より少し早めに切り上げたのだが。
 
 「では、今日もちょっと身体を動かしていきましょうか」の時間だ。
 いつものように呼吸を整えて座り、深呼吸兼ストレッチからスタート。呼吸に合わせ片手を上げ、肋骨を広げるように倒れて脇腹を良く伸ばすこと左右3回ずつ。両腕をクロスして右左に捩じる動きも呼吸に合わせて左右3回ずつ。左手は術側だがどうも上がりが悪い。以前より身体を動かしていないので硬くなっているようだ。

 今日は上半身を捩じる時もそれほど喘鳴が酷く出なかった。座ったままで足上げを片足10回ずつ。足首を上げてキープを片足10回ずつ。足指を開いてグーパーを繰り返す。爪先上げと踵上げをそれぞれ10回ずつ。呼吸に合わせて、椅子から立ち上がる、座るを3回繰り返して、いつもより早めに終了。
 玄関までお見送りして朝のMSコンチンを飲み、自室に移動して、キャンソルさんのオンライン交流会に遅れての参加だ。

 今日で丸2年、第14回のキャンソルさん主催オンライン交流会。前回は7月初めの開催で咳込みが酷く耳だけ参加だった。今日も余り喋らずに静かにしていようと思ったのだけれど、色々発言したい内容でついつい喋り過ぎてしまった。
 今日はスタッフ4名、参加者がTさん、Iさん、私の3名で7名の参加。Tさんの近況報告が始まっていた。
 薬の止め時についてなかなか決断できないということのようだった。Tさんのお芝居にいらした話や、Iさんが緊急入院後わずか1か月でカナダに2週間滞在された話など、今やすっかり引き籠りの私としては眩しい刺激を受ける。

 カナディアンロッキーには独身の頃、母とツアーに参加したことを遠い目で思い出す。後にも先にも母と2人で海外旅行に出かけたのはこの時だけ。おんぶにだっこの母を連れて、ハネムーン客の中に混じって大変だった・・・という記憶しかない。
 スタッフの方たちからはお仕事やキャンプ、不調についてのお話等様々。
 私は脳転移後、無治療になって4か月だが、先日の訪問診療の状況を報告した。
 再発治療に正解はない。それぞれが自分の身体の声を聴き、自分をよく観察して納得した上で治療を決めていく。普段なかなか話が出来ないことまで突っ込んで話せるのはこの場の素晴らしいところだと思う。思いのほか、発言をしたものの咳込むこともなくほっとした。
 気づけばお開きの時間。夫が途中で帰宅して、顔を出した。結構早かったと思ったら、遠くのDIYには行かずに駅前で用が足りたそう。
 次回は10月を予定しているとのこと。その時も体調が落ち着いていて参加出来たらいいなと思う。

 「昼食はどうする」と訊かれ、レンチン焼きそばを頂く。完食は出来ず、夫に少し横流したけれど、頑張って7割は頂いたと思う。食後は桃。

 疲れてしまって、すぐには明日に向けてのパッキング作業が始められず、録画したドラマを視ながらソファと一体化。 
 重い腰を上げて夕方近くになってパッキング開始。喪服や黒い靴、バッグ等も持っていくのでそれなりの量だ。夫は白いワイシャツがない、とまたしても駅前まで買いに出かけた。お疲れ様である。
 私自身は和室と自室を何往復もして荷物を運んでいたらあっという間に息が上がってゼェゼェハァハァ。直ぐに心拍数が上がってしまう。
 がっくり疲れておやつはロイヤルミルクティとアイスクリームをお腹に入れてからソファでウトウト。
 
 母への定期連絡時間。今日も暑かったけれど、夕方、近くのドラッグストアにだけちょっと買い物に出たそうだ。明日から2泊3日は会食時間に定期連絡時間がバッティングするので、その時間に連絡は難しい事を説明して納得してもらう。
 合間を見て連絡はするつもりなので、取れたら取って、とお願いするが、どうだろう。従姉から連絡があって明日立ち寄ってくれるという。有難いことである。

 夫が夕食を用意してくれた。少しずつだったけれどそこそこお腹に入れることが出来た。出かける前に冷蔵庫の中があれこれ片付いて良かった。

 とにかく明日から2泊3日、明日が朝から晩まで一番のハードスケジュールだ。何とか乗り切らなくては。


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2025.8.19 猛暑日続く 訪問診療6回目 無治療ですが・・・

2025-08-19 23:21:53 | 治療日記

 昨夜は記事をアップした段階でかなり遅くなってしまい、さてさっさと入浴して寝なくては、とリビングに行くと、夫が「こんな凄いのをやっている」とBSの番組を指さす。アマゾンの未開民族イゾラドのドキュメンタリー。
 2003年に放送されたものの再放送だったが、2人だけしかわからない言葉を話す部族が映し出される画面に釘付けになってしまって動けず、結局最後まで視てしまった。本当に、いくつになっても知らないことばかり。かなり疲れていたのにベッドに入ったのは2時過ぎというとんでもない1日になった。

 今朝は平日仕様のアラームが鳴る1時間ほど前に目が覚める。お手洗いを済ませ、ベッドに戻って暫しウトウト。7時のニュースを点け、そのまま寝てしまわないようにBS朝ドラ、地デジ朝ドラを続けて視てから、しつこく二度寝を決め込む。
 夫が「もう起こしに来ないからね」とカーテンを開けに来て、私がリビングに移動出来たのは10時をすっかり廻っていた。トホホ。

 遅い朝食を頂く。今日も朝からとんでもなく暑い。昨日に引き続き猛暑日の予報だ。
 この調子で10月まで暑いという長期予報を聞いてげんなりする。今日は、洗濯はお休み。何となく眠り足りない。やはり夜更かしはまずい。
 午後になってK診療所の看護師Hさんから電話がある。「今日はK医師と伺います。14時半くらいになります。」とのこと。朝食が遅かったので空腹ではないが、そのまま食べずにいるとタイミングを逸してしまうので、夫に素麺を茹でてもらってささっと頂く。

 いらっしゃる時間の少し前にインターフォンの赤いランプが点灯しているのに気づく。夫に言うと、電池切れのようだとのこと。そこからチェックだのなんだのやっているうちに本当にピンポンが鳴っているのかどうかわからなくなり、廊下を行ったり来たり玄関ドアを開けたり閉めたりを繰り返したら、あっという間に息があがって心臓がバクバク。咳が出始める。
 三度目の正直くらいのタイミングで看護師Hさんがお見えになる。K先生は下で電話中なので、まずはバイタルを測ってしまいましょう、と。ゲホゲホと咳込みが止まらず涙目になってくる。

 体温は6度3分、SpO2と心拍数はベストのタイミングで97-98。さすがに血圧は129-95といつもより大分高くなってしまった。K先生は初回訪問以来2か月ぶり2回目の来訪。今日も血色良くお元気そうだ。
 咳込んでいては会話にならないので、オプソを飲む。今日はシャープに効いてくれて10分ほどして大分落ち着き、話しやすくなった。「すぐにぱっと効いていいですね」とその様子を見ていた先生は仰る。

 「最近何かお困りのことはありますか」と訊かれるも、とにかく暑いのでほぼ引き籠りであること、安静にしていれば咳込みも以前ほどでなく、出掛ける時にはカツを入れるためにオプソを飲んでいるとご報告。概ね1日に1回から多くて2回だが、2回飲むことは殆どない。
 昨日は夫の付き添いでがんセンターまで8時間の外出をしたことをお話する。週末から法事に出かけることは引き継ぎがあったようでご存知だった。

 胸の音を聴いて頂く。「痰は出ますか」と問われ、「朝はそこそこ出ます。」とお応えする。
 笑いは免疫力をアップするし、ストレスなくリラックス出来れば身体には良い。治そうという気持ちも大切だし、良いと言われることは全てやってほしい、とのこと。「笑って長生き」という本をご紹介頂いた。吉本興業との共同で、笑う効果やがん患者だけでエベレスト登山をするなどの成果が紹介されているようだ。

 2か月ぶりに聴いて頂いた胸の音は、注意しなければ雑音が聴こえないレベルで、良くなっているとのこと。2か月前の方が色々な雑音が聞こえたそうだ。これはI先生とも同じ見解。
 「脳転移の手術以来抗がん剤エスワンは止め、4か月間無治療ですが・・・」とお話するも、「良くなっているということはいいことだ」と仰る。確かに。 一時は訪問診療になって無治療が続けば、最後の経過は早いと覚悟していたので、このまま緩和ケアを続けて最期を迎えることになるだろうと考えていたのだが、どうもXデーはそう間近に迫っているようでもなさそうだ。

 ストレスを溜めない生活といえば、仕事を辞めて人間関係のストレスはなくなったし、(モルヒネの副作用もあり)眠りたい時に眠りたいだけ眠っているし、嫌いな料理は夫に全てお任せだし、言ってみれば贅沢三昧の生活をしているわけだ。本当にこのまま呼吸状態が落ち着いてくれればこんなに有難いことはない。
 まぁ週末からの法事の参列も一時は無理かも・・・と考えていたことを想えば実に驚きである。飛行機に乗ることによる気圧変化による影響については、前の主治医Y先生から100%絶対安全ということはないが、問題ないでしょう、と言って頂いたし、法事の当日さえ乗り切れば、翌日と翌々日はホテルでダラダラ過ごせる。なんとか長男の嫁としてのお勤めも果たせそうである。

 夫(今日は同席した)の状況等もご報告しつつ、和やかに会話をしながら薬の処方もして頂く。1時間ほどでお二人がお帰りになった。来月は1、3、5週目の3回とも、I先生がお見えになる予定とのこと。医師が毎回変わっては落ち着かないだろうからI先生にお願いしているが、自分(K先生)も時々様子を見に来ますよ、とのこと。予定表を見ると午前とあったので、電話で確認の上、午後に戻して頂いた。

 夫と「なんだか嘘みたいだけど、良かったね」と話し、職場の有志の方々に送別会を開いて頂くことになったという夫を見送る。
 一人時間はドラマの録画を視、アイスクリームやフルーツゼリーを頂きつつ、ソファと一体化で過ごす。

 母に定期便の連絡。今日も暑かったので、近くのドラッグストアに20分ほどちょっと買い物に行っただけで一日籠っていたとのこと。明日は先月体調を崩して以来血圧の薬を貰い損ねていたクリニックに行く予定だという。

 夕食はレンチンパスタと冷し茶わん蒸しを完食した。夫の帰りのライナーの予約も済ませて、お風呂も洗い、あとは無事の帰りを待つのみである。


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2025.8.15 終戦記念日 作業療法士さん来訪後、だらだらうとうと引き籠り

2025-08-15 23:02:30 | 治療日記

 昨夜は記事アップ後に入浴し、もろもろのことを済ませてベッドに入ったのはやはり日付が変わってからになった。一時の殺人的な暑さに比べて少し涼しくなったとはいえ、湿度が高く、冷房除湿タイマー4時間は外せなかった。

 明け方、4時過ぎにお手洗いで目が覚める。寝ぼけ眼でベッドに戻り、すんなり二度寝が出来て、平日仕様のアラームが鳴るまでぐっすり寝た。次に目覚めたのは地デジの朝ドラが始まってから。慌てて起きて視聴した後、ノロノロとリビングに向かった。
 洗濯はお休み。今日は2週間ぶりに作業療法士のIさんがリハビリに見える。

 朝食を済ませ、身支度をして、カツラの代わりにバンダナを被ってお待ちする。夫はクリーニング屋さんに行ってくると言ってIさんの到着前に出かけた。
 なんとなく息苦しいし、耳も詰まるが、酷く咳込むわけではないので、オプソを飲むのは様子見。定刻を2分過ぎたところでピンポンが鳴る。

 まずはこの2週間の体調報告。来週、夫のがんセンター付き添いから始まり、夫郷里へ出向いて義母13回忌の法事、と結構詰まっていること、9月初めに息子夫婦の新居お披露目会、10月半ばのOB・OG合唱の舞台を目指し、9月からの練習に参加するため、前泊手配を進めたこと等をお話する。
 いつのまにか8月後半から9月、10月はあれこれ日程が混んできた。まぁ、合唱は9月初回の練習に出てみてあまりに厳しそうなら諦めるつもりではある。 さらには9月に瞑想ヨーガのオンラインクラス、11月に瞑想ヨーガハイブリッドクラス・・・と続く。

 血圧とSpO2等の測定。体温は6度3分。SpO2と心拍数は94-98。自前の機器で起きてすぐに測ったら93-105だった。血圧はやや低めの94-68。
 時折咳込むし、息切れはするが、今日はレスキューのオプソも飲んでいないとお話する。
 
 「では、今日もちょっと身体を動かしていきましょうか」の時間になる。
 呼吸を整えて座り、深呼吸兼ストレッチからスタート。呼吸に合わせ片手を上げ、肋骨を広げるように倒れて脇腹を良く伸ばすこと左右3回ずつ。両腕をクロスして右左に捩じる動きも呼吸に合わせて左右3回ずつ。
 いつものことながら、上半身を捩じるとどうしても喘鳴がゼコゼコヒューヒュー言い始めて息が続かない。それでも呼吸を続ける。息を止めてはいけないのはヨガと同じだ。なんとか酷い咳込みには至らず、ほっとした。

 座ったままの足上げを片足10回ずつ。足首を上げてキープを片足10回ずつ。足指を開いてグーパーを繰り返す。呼吸に合わせて、椅子から立ち上がる、座るを3回繰り返して、終了。
 玄関までお見送りしてから朝のMSコンチンを飲んで、お世話になった方に残暑見舞いを書く。

 夫の帰りが結構遅かったので、訊けばクリーニング屋さんは今日までお盆休みだったそう。そして隣駅まで足を延ばして帰って来たらしい。調べてから行けばよいのにと思うが、暑い中、お疲れ様な事である。 

 昼食はどうする、と訊かれ、バナナと桃とヨーグルトを頂いた。夫は今日もカップ麺に冷凍おにぎりを食している。私が一緒に食事らしい食事を摂れないので申し訳ないが、致し方ない。

 食後はソファでOB・OG合唱の楽譜を読みながら口パク練習。夕方ちょっとお腹が空いて、レンチンご飯を4つに分けて小さなふりかけおにぎりにして頂いたら、久しぶりに美味しく白いご飯がお腹に入れられた。
 夫には申し訳ないけれど、バランス的にもカロリー的にもよろしくなくとも、食べたい時に、食べたい物を、食べられる量だけ食べるのが今の私には一番ストレスが少ない。ドーンと出てきても食べられないのだ。
 
 母への定期連絡時間まではまたソファでウトウトお昼寝してしまった。今日はヘルパーさんがいらした日だったが、朝、フロントへサインに出た以外はどこにも出ずに、洗濯だけ済ませたそう。1日に誰とも話さないというが、フロントの方とお喋りをしたり、ご近所の方と立ち話をすることもなく、引き籠っているようである。色々訊くが要領を得ないので、いずれにせよ、法事が終わったら一度様子を見に行かなければと思う。

 夫が夕食を用意してくれた。あれこれテーブルに並ぶが、どうにも食欲がない。ちびちびと少しずつお腹に入れたらそれだけで食べ疲れてしまう。お昼寝している間、お腹にタオルもかけずにサーキュレーターの風に当たってしまったようで、お腹が冷えて腹痛。食後の果物を食べたかったのに、気持ち悪くてお腹を壊しそうで我慢した。

 葉月折り返し、終戦記念日も籠城蟄居のまま終了だ。ヒロシマ、ナガサキ、御巣鷹山の慰霊の日も今年40年目という節目の日だった。働き出した年の初めての夏休み旅行から帰った日、墜落の第一報を母から聞いた時のことは今でもクッキリと覚えている。敗戦から80年、その倍の年月が経ったということだ。


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