昨夜は夕食から戻ったらもうぐったり。早めに入浴させてもらい(お風呂椅子は便利だった。)ひょろひょろ抜ける髪の毛を横目に見ながらお風呂から上がる。そのままベッドに入ってしまったらMSコンチンを飲む時間まで起きていられず、夫に起こしてもらう。またすぐに眠りに落ちたのだが、日付が変わる頃、腹痛で起きる。スインプロインク、効き目あり過ぎである。夕焼けは部屋の窓から拝めたが、フラワームーンという満月は方向が違ったのか拝めなかった。
今朝は普段通りの起床。昨日調達した朝ごはんを2人で頂く。朝ドラを視て、少ししてからチェックアウト。キャリーケースを預けタクシーを呼んでもらったらスイスイと進み、予約時間20分前に病院に到着した。
再来受付はすんなり。腫瘍内科で受付もすんなり。後は自分の番号が掲示板に出るだけ。長く読みかけの阿川さんの本の続きを読んで待つ。予約時間から10分ほど遅れて廊下で待つこと10分、一番で呼ばれる。夫とともにこの診察室に入るのは2回目か。1回目は17年前のタキソテールの緊急入院時だった。
まずはた自力歩行で診察に来られたことのお礼から。睡眠はとれているが、咳と喘鳴が気になることをお話しする。先生が4枚のCT写真を並べて下さる。去年2月、10月、今年2月と昨日の分だ。
「(今出ている症状は) 右の気管支が狭くなっているせいだ。」と仰る。なるほど、黒い穴が腫瘍に押されてかなり小さくなっている。そして、右の肺の腫瘍が一回り大きくなっている。
「これはエスワンを1クールお休みしたから、というわけではないと思う。一時的にエスワンが効いていた時期もあるが、限定的な効果だったと思われる。」とのこと。
「息苦しいながらも左が無事なのでエスワンを再開する手もあるが、使ったからといって劇的効果はないと思われる。この小さい穴が塞がるとかなり苦しくなる。」と。
「今後の選択肢として①エスワンを続ける。②いかに穏やかに過ごすか、無理に抗がん剤を続けず気管支が詰まらないように、若しそのような事態になればすぐに対応できるように酸素を使うなどして補いたい。左肺はしっかりしているのでうまくいけば普通の暮らしが続けられる。」と仰る。
つまり抗がん剤はここで終了、こちらの病院まで長い通院をせず訪問看護にして、家で対応した方が私らしい日々が送れるのではないかとのご提案だ。
例えば、久しぶりに使うとまた効くことがあるというハーセプチンだけ繋ぎでお願い出来ないか、としつこく訊くと、「通院でやっていくのは状態が悪くなった時に難しい。呼吸は突然変化するので自宅にいて起こったら命に係わるし、その状態ではこちらまで通えない。抗がん剤と同様ギャンブル要素があるので、上手くいかなかった時、変化を待つのでは後手に回る。家で安心できる体制を訪問治療で確立した方が良い。患者相談センターのO看護師が全て調整するといっているので電話があると思う。今の元気を保つのがベストである。次の一歩、新たなリスク対策として3週間後、レントゲンだけ撮っておきたい。ポートはもう使えないが、(漏れている)ポートフラッシュもなし。抜去することもないので存置で良い。」とのこと。
血糖値が今も100ちょっとで高めだが、と訊くと、今迄が低血糖だったので100はあってよい、とのこと。夫のことがあってつい神経質になる。脱毛が始まったことも取り合えずご報告。
今後の治療の流れについては恐らくそうなるだろう、と判っていたので私はそれでOKだったが、夫はエスワンが効いているならもうちょっと頑張ろう路線だった。けれど、実際にはエスワンがもう効いていないことがわかったので、無理に頑張って続けるのは無駄だと納得してくれた模様だ。それでも3か月地味に効いてくれて有難かった。
訪問診療にしたらこの病院とはバッサリ関係を切られるのでは、と心配だったが、今後も様子を話しに体調の良い時には診察室で、と言って頂けてほっとした。会長さんが是非主治医の先生にも渡して、と仰った患者会のニュースレター(私の文章と写真が5頁掲載されている)をお渡しし、お礼を言って診察室を出る。
さらに化学療法室のKrさんに、病室に来て頂いたお礼方々ニュースレターを渡してきた。喜んでくださってこちらが恐縮した。
門前薬局に処方箋をLINEで送付。また診察室で30分以上が経過していた。いつもながら丁寧にご説明くださるが、今日は治療方針の大きな舵取りだったので、ある程度時間がかかるのはやむなしか。
会計に時間がかかりそうだったので、先日お世話になった5階の脳神経外科のナースステーションにもご挨拶に。私がいた個室は既に男性が入っており、満室だった。既に退院から10日以上経っていたので、すぐにわからなかったようだけれど、Oさんを呼び出して頂いてご挨拶するとともに、こうして自力で来られました、お世話になった皆様によろしくお伝えくださいとお伝えした後、500円ほどの(申し訳ない)会計を済ませる。
結果的に病院に2時間近くいたけれど、薬局に寄ってもまだお昼には早い。薬局ではほどなくして薬剤師のIさんが長椅子まで来てくださり、立っての対応が免れた。これまでの報告をして9000円ほどカード支払い。今後の方針も話してお礼を言って薬局を後にした。
帰路、銀行に寄りながらランチまで時間調整でカフェに入る。夫がご馳走してくれるというので私がホットレモンティをお願いしたら、どうしてそうなるのか、自分のアイスコーヒーと私にもアイスレモンティをトレーに載せて帰って来た。「ん?ホットじゃないの?」と訊くと、「そうだった・・・。」とホットレモンティを注文してくれて、自分がアイスティとアイスコーヒーどっちも飲むから大丈夫と。実際しっかり飲み切っていたけれど、氷だらけの飲み物をあんなに飲むなんて・・・考えただけで寒くなる。
お昼になって3度目の正直、焼肉屋さんのランチへ。夫へのお礼なので、お昼では一番いい御膳を夫に、私は焼肉サラダ御膳を頂いた。ほぼ個室のようなテーブル席でゆっくりマイペースで食事が出来て良かった。食後はミルクのアイスが出た。可哀想に夫は一口だけ、私がほぼ二人分を頂いた。
会計を済ませて駅ナカでちょっと買い物をして快速電車に乗った。若い男性から席を譲って頂き、有難かった。夫もなにやら隣の席が空いて座ることが出来た。ようやく本を読み終わり幸せにウトウトする。
最寄り駅に到着してタクシーで帰宅。もろもろ片付けて洗濯機を廻す。まだ風もあり、乾きそうなので外干し。
その後、患者サポートセンターのOさんから電話連絡があり、切った途端に今度はケアマネOさんからも電話。本当に対応が早いことと言ったらない。本当に有難い事だ。明日は訪問介護の看護師Mさんが見える予定なので、そこで色々お話をしようと思っている。
郵便物を見ると、運転免許の更新通知が来ていた。前回はコロナ禍の中、試験場までわざわざ行ったのだった。さて、今回は更新するかどうか迷っている。先日、マイナンバーカードの更新をしてきてもらった(夫代理)が、なんと令和30年まで有効だそうだ。そんなに生きているわけが・・・
それが済んだら眠くてたまらず、2時間ほど爆睡。
いつもの時間に母に連絡するもなかなか出ない。出たと思ったらなぜか切れる。それを20分くらい繰り返してだんだんイライラしてくる。家電で漸く通じてまたお小言である。「なんかわからなくなって赤いのを何度も押した。」つまり、通話が終了したら押す赤い電話マークを、通じた途端に押し続けていたよう。
最近は漸く携帯電話に出たり掛けたりが出来るようになったと思っていたが、今日はうまく出来ず、母曰く「精神的に不安定で・・・」という。
私の方が精神的に不安定だと言いたい。本当に困ったもので、多分考えても自分では解決方法が見つからない私のことを、あれこれ考えて悩んでいたのではないか。