ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.7.30 旅行2日目、ハロン湾クルーズと水上人形劇鑑賞

2012-07-31 00:13:58 | 
 朝起きてカーテンを開けると、そこにはハロン湾の絶景が広がっていた。
 ホテルでゆったりと朝食を済ませた後、今日は10時出航で世界遺産ハロン湾のロングクルーズへ。ベトナム随一の景勝地を、私たちのツアーメンバーだけの貸切船で、奇岩の間を縫うように巡るクルーズが本日のハイライト。約1,530㎢の海域に浮かぶ奇岩のうち半分には名前が付いているそうだ。

 静かな海で、心配だった船酔いも全くない。船には6人がけのテーブルが7つあるのに、その半分も使わない贅沢さが申し訳ないくらいだ。ガイドさんによると、ここ1週間で晴れたのは今日だけで、本当にラッキーとのこと。これまでは曇りや雨が続いていたそうだ。
 1時間ほどして、湾内の魚介類養殖場で下船。カニ、シャコ、巨大なアサリなどをその場で購入すると、ランチ用に料理してもらえるという。早速、お薦めのシャコとアサリを購入。カブトガニまでいて、皆でしっぽを持ってツーショットという体験も。その隣で水上生活をしている人たちの家をちょっと見学させてもらう。電気がないので自家発電。練炭で火を起こして調理をするようだった。
 船内に戻ると、テーブルには各種お土産が店開きしていた。クルーの女性はドルと円が混乱していて、まとめ買いすると逆に高く値段を言ってしまったり、というやりとりが楽しい。

 日焼け止めクリームが汗で目に入って、沁みて涙が止まらず、湾のシンボル的存在という闘鶏岩等の絶景地はそのままスルーしてしまったのが残念だったが、どこを見ても本当に絵葉書のような景色だった。

 ティートップ島に上陸。現地の人たちはビーチで海水浴を楽しんでいた。なんと合計430段の急な階段を上って360度のパノラマ風景を見ることが出来た。さすがに父は船内で留守番。私もとてもではないが無理だろうと思っていたのだが、79歳の母がスイスイと登っていくのを見て、つられて登り切ってしまった。さすがに帰路の下りは膝が笑ってガクガク。前に山があると登ってしまうという困った性格は治らないものだな、と苦笑する。
 船に戻るとテーブルに白いクロスがかけられており、新鮮なシーフードランチに舌鼓。先ほど買い求めたシャコや巨大アサリもテーブルに上った。

 さらに船はスンソット(サプライズの意味だそうだ。)洞窟へ。ここも200段あまりの階段。残念ながら歩き始めたら一方通行なので、途中で脱落は許されないとのこと。内部面積1万㎡というスケールが圧巻。コンサートが出来るほどの広さがあり、巨大な鍾乳石がライトアップされていて「わー、凄い」を連発した。
 洞窟を出て船着き場に戻ってみると、折しも満潮時間。船が停泊した場所が悪かったようで、桟橋が水没して乗船できず。水に浸かっていないところに係留されている船に上り、そこから3艘の船を渡って自分たちの船に行く、というサバイバルゲームまでおまけについてしまった。

 6時間の予定のクルーズが、そんなハプニングやら潮と風の関係で、1時間ほど長い乗船となった。
 予定では、ホテルで2時間休息をとって、夕食と水上人形劇鑑賞の予定だったが、1時間弱の間で何とかシャワーを浴びて気を取り直して出かけた。その間、みるみるうちに窓の外が暗くなりスコールがやって来た。クルーズ中は本当に良いお天気で、風もあり気持ち良かったので、つくづく幸運だったと思う。

 夕食は今夜もベトナム料理。12人全員が一つのテーブルというのもなかなかストレスだが、絞りたてのフレッシュジュースが美味しかった。レストランの向かいが水木偶(ウオーター・パペットシアター)になっていて、伝統芸能の水上人形劇を鑑賞した。ホン川北部で収穫祭や儀式の際に行われたのが始まりの伝統芸能だという。上演時間は40分ほどで、演目は全12編。水面をステージにして、農家の日常生活、龍や獅子が登場する伝承などが操り人形で演じられる。言葉が全くわからなくても迫力たっぷりで、思わず笑いを誘われる場面も。
 終了後、水上に出てきた人形使いと人形の大きさのギャップが面白かった。

 明日はハノイへ移動、観光した後、夜フエに飛ぶ。長い々1日になりそうだ。早く休まなくては。
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2012.7.29 旅行初日 ハノイからハロン湾へ、甲子園出場決定!

2012-07-30 00:27:48 | 
 旅行初日。いよいよ「ロマン溢れるベトナム縦断紀行7日間」に出発。
 オープンと同時に行った朝食会場は、既に中国人団体旅行客で溢れかえっていて大混雑。早くも海外旅行に出かけたかの環境に圧倒されっぱなしで、全く落ち着かないままそそくさと朝食を終えた。

 7時半のシャトルバスで空港へ。早朝から旅行客でこちらも大混雑だった。今回のツアーはわずか12名。添乗員さんをプラスしても13人の小さなグループだ。杖を突きながら広い空港を急ぎ足で歩かせるのはちょっと難しく、父にはこの際初めて車いすに乗ってもらうことにした。すっかりVIP待遇で出国手続きも搭乗もフルアシストしてもらうことになった。
 私は、と言えば、昨夜からちょっと歩き過ぎて疲れが出たせいか胸痛がぶり返してしまった。最近調子が良かったため見込みが甘く、ロキソニンは数回分しか手持ちがない。空港で調達できるつもりが、早朝で薬剤師さんが不在のため、買えず仕舞い。別の鎮痛剤をとりあえず購入し、不安を残しつつ飛行機に乗り込んだ。

 青地に金の蓮の花をあしらった飛行機で、約1000年の歴史を持つベトナムの首都ハノイへ。離陸後の飛行時間は僅か4時間40分。真紅のアオザイのユニフォームに身を包んだ細身のCAさんたちに昼食のサービスをしてもらった後は、免税品の販売もなく、“お休みなさい”モードで灯りが消され、窓の日よけも下げるようにとのこと。そうはいってもなかなか眠ることも出来ず、文庫本を1冊読み終わった。
 予定より40分近く早く到着したが、ターンテーブルで荷物が全く出てこなかったので、1時間ほど空港に足止めになった。時差が2時間あるのでちょっと得した気分。機内アナウンスではお天気は小雨、気温は28度とのことだったが、東京の酷暑と比べれば陽射しがなく、だいぶ楽に感じた。

 空港からは、バスに3時間半ほど揺られて今日の宿泊地ハロン湾を目指した。
 車窓からは田園風景が延々と続き、田植えをしている農家の人たちが円錐形の帽子をかぶって作業中。ここ北部では田植えをしての二期作だが、南部に行くとただ種を蒔くだけの3回だそうだ。人も牛も水牛も、高速道路を平然と横切るほどのどかな雰囲気に驚いてしまう。また、蓮の畑や食用の養殖アヒルの姿も。バスの車内では、草臥れて眠いはずなのに、なんとなく胸痛が気になってなかなか舟もこげなかった。生きたままの鶏を100羽ほどバイクに括り付けて高速道路を走る姿に圧倒される。
 途中1度、お土産物屋さんで休憩。蓮のお茶やリスコーヒー、蓮の実やドライフルーツのお茶請けで一服。どこでも米ドルが問題なく使えるが、ベトナムドンと円とドルの関係がまだちょっとピンとこない。

 夕食は現地時間で18時半から、ホテル近くのレストランで。体は20時半なのだから空腹だし、朝から12時間以上移動しているわけだから、当然かなり疲れている。北部ベトナム料理ということでフォー等を頂いたが、中華料理にとても似ている感じ。現地の女子会も行われていて、賑やかな夕食時間であった。

 そして、ハロン湾のホテルへチェックイン。今回の旅行で2泊するのはここだけ。日々パッキングが忙しくなりそうだ。もちろん既に真っ暗なのだが、明日の朝が楽しみなほど、真正面が海のお部屋だ。
 ハロンとは「龍が降りる地」という意味だそうだが、静かな海面から2000もの奇岩がそそり立つ風光明媚な景観は幻想的で「海の桂林」と形容される。
 明日は貸切船でロングクルーズの予定である。

 さて、ホテルにチェックインするや否や、息子がインターネットを繋いで、母校の決勝戦での勝利を確認し、テンションが上がりまくっている。
 6年間の在学中、高校2年という同級生がエースの年に甲子園に行けるなんて、本当に何とも羨ましいことだ。高校時代に、ブラバンで応援に何度も出かけた私も、体力があれば行ってみたい気もするのだが、無謀なことはせずにテレビで静かに観戦したい。
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2012.7.28 旅行前日、明日は決勝戦

2012-07-28 18:14:47 | 日記
 明日から実家の両親とともに1週間ベトナム旅行に出かける。

 集合時間が朝早いこともあり、大事をとって今日は成田のホテルに前泊することにした。当初は5人一緒のリムジンバスに乗る予定だったが、息子が通う高校の野球部が県大会準決勝に進んだということで、急遽、全校応援に行くことになった。
 去年は決勝戦で惜しくも敗れたが、ちょうど義母との旅行中。特急の中、ワンセグで観戦した記憶がある。
 来年は受験生なので、学校からも応援のお呼びがかからないという。おりしも、今年のエースは息子と同学年。息子の口から初めて「同じ学年が投げるんだから、1度くらいスタジアムに行きたい。」とのリクエストが出た。これまではずっと「暑いし~面倒くさいし~。」とパスしていたのだが、少しでも愛校心が芽生えたのならそれはそれで嬉しいことだ。
 急ぎ息子の分のリムジンバスをキャンセルし、夫と2人で息子の分のスーツケースも転がし、息子は試合終了後、一人で空港まで直行してもらうことにした。

 空港からのホテルバスに揺られながら、息子が小さかった頃には良くこうして前泊したものだと懐かしく思い出す。
 そういえば去年の今頃は、息子のホームステイ前の僅かな間を縫って、義母を連れて国内旅行中だった。あの時は、元気印の義母が今のような(施設に入所している)ことになるとはゆめゆめ思わなかった。
 やはり「行く」となったら、あまり悠長に先延ばしにしてはいけないのだな、と思う。

 実家の父が「死ぬまでに一度ベトナムに行きたい。」と言っている、と母から聞いた。
 両親は一時期、本当にそんなに出かけて大丈夫?と旅好きの私すら呆れるほど、毎月のように海外旅行に出かけていた。私たちだって時差と長時間飛行は辛いのに、ヨーロッパにも平気のへっちゃらで今月は西欧、来月は南欧等と果敢に出かけていた。もう行き尽くしたのか、さすがに体力に自信がないのか、6年前に私たちとオーストラリアのゴールドコーストに出かけて以来の海外旅行である。

 南シナ海に沿って南北に長く伸びるベトナムは、私も以前から訪れてみたいと思っていた国だった。生春巻きや米粉の麺のフォー等、食べ物も美味しいし、アオザイも着てみたいし、プチ・フランスの香りのする雑貨天国のイメージだ。この後、おそらく再び訪れることはないだろうから、と思い切って一都市滞在ではなく、ちょっと贅沢な周遊ツアーに申し込んだ。
 来年は息子も受験生だし、こうして実家の両親も一緒に揃っての海外旅行は最後かな、と思っている。

 さて、今日の結果はエースが完投して勝利ということで、明日は決勝戦。この際、甲子園に行ってくれればそれこそ一生の思い出になるのだろうけれど。
 私たちがバスに揺られ始めて1時間ほどして、快速の、生意気にもグリーン席(!)でのんびり空港に向かった息子は、私たちが部屋に入って一服していると、真っ赤に日焼けしてホテルの部屋までやって来た。

 空港の気温は35.6度を指していた。朝からじりじりと焼けつくような陽射しの中、声を限りの応援では熱中症になるのでは・・・と心配したが、無事に到着してくれてほっとした。さすがに疲れたとみえて、いきなりベッドに倒れこみ、お夕寝中である。
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2012.7.27 患者であることに夢中になってはいけない

2012-07-27 20:30:29 | 読書
 与謝野馨さんが「全身がん政治家」という本を出されたのは新聞広告で目にした。
 何とも凄い題名をつけることよ・・・と思ったが、実際に書店で手に取ってみたわけではなかった。

 紹介文には“初当選翌年の39歳で悪性リンパ腫を発症以来、4度のがんを乗り越えてきた政治家の闘病の記録──。初めての「がん告知」から35年の間に、直腸、前立腺、下咽頭…。妻と秘書にも秘めていた闘病のすべてを明かす。” とある。
 数日前、読売新聞の書評で特別編集委員の橋本五郎さんが「平常心と壮絶な死生観」と題して、この本を紹介していた。

 与謝野さんは「治るんだ」という強い意志の一方で、“患者でいることに夢中になってはいけない”と思い続けてきたそうだ。長く患者をしていると、本当にそのとおりだと思う。
 私は、今は「治るんだ」というよりも、普通の暮らしが続けられるように、ずっとうまく折り合いをつけていこう、とは思っているが。
 そして、長年がんと付き合い、「三重人格」になったと書いているという。「病気と闘っている私」、「仕事をしている私」、「それを冷ややかに見ているもう私」という三人が自分の中にいるようになった、という部分にはとても頷けた。私にもそれと同じような沢山の自分がいるからだ。

 書評を書かれた橋本さん自身も12年前に胃がんを患い、今なお再発に怯えているとのこと。
もちろん12年の間、一時たりとも病気のことが頭を離れない、ということではなかっただろうけれど、何かの加減でふと不安になり、悶々とした眠れぬ夜を過ごし、検査の結果が判ってようやくほっと胸をなでおろす、その繰り返しだったのだろう。
 それほど初発の人たちにとって再発は恐ろしいものなのだな、と今更のように思う。

 再発しても、進行がゆっくりで長い闘病生活を送ることになるがんと、そうではないがん。初発の部位により人により、辿る道は本当に千差万別なのだろう。けれど、そうなるか否かの違いは一体どこから来るのだろう、と“神のみぞ知る”ことについて、ついつい考え込んでしまう。
 けれど、日々を送る上で患者ばかりを演っているわけにはいかない。
 もちろん“患者であること”はもはや私の人生の一部だけれど、病気のことばかり考えていても、決して他のこと全てがうまく転がってはいかないように思う。

 与謝野さんが、偽名で通院までして長年隠し続けてこなければならなかったのは、氏が著名人だから、政治家だからということもあっただろう。でも、この病と闘い続けながらもなお数十年にわたって職業人として充分に職責を果たしてこられたことを、もっと早い段階で社会に知ってもらう必要があったのではないだろうか。それがこの病に対する社会の認識を改めさせていくことになったのではないか。

 もちろんどんな方に対しても是非カミングアウトして、とまで過激なことを言うつもりはない。けれど、社会的な地位が高いあるいは社会への影響力の大きな人ほど、カミングアウトする責任があるのではないか。
 そもそも2人に1人がかかる病である。カミングアウトしたことで周囲が引いてしまうというナンセンスな事態にならない“Know more Cancer”の社会になってほしい、と心から思う。
 “知らない”ということは、哀しいかな、差別と偏見を生みだすものだと思うから。
 がんになっても、今や薬でコントロールを続けながら普通に暮らせ、普通に仕事が出来るのだから。
 そして、生が有限であることは、誰しも同じなのだから。

 ハードカバーの本はなかなか手を出さないようにしているのだけれど、この「全身がん政治家」は読んでみようかな、と思う。
 こんな多重がんを抱えながら病と共存し、ずっと現役でいる人がいる、ということを是非もっともっと沢山の人に知ってもらいたい。

 今日も朝から厳しい暑さ。昼食のため外に出た時、ほんのちょっとの間無精をして日傘を差さずに直射日光を浴びたら、本当にクラクラした。
 折しも今日は土用丑の日。思えば鰻の高騰で、かなり長いこと我が家の食卓に登場することはなかったが、夏バテ防止のために思い切って準備した。
 なにはともあれ明日から休日である。

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2012.7.26 昨日の通院日に読んだ2冊

2012-07-26 19:28:59 | 読書
 昨日は2冊読めた。
 1冊目は安藤寿康さんの「遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である」(ちくま新書)。
 表紙の裏には「勉強が出来るのは生まれつきなのか?仕事に成功するための適性や才能は遺伝のせいなのか?IQ、性格、学歴やお金を稼ぐ力まで、人の能力の遺伝を徹底分析。だれもがうすうす感じていながら、ことさらには認めづらい不都合な真実を、行動遺伝学の最前線から明らかにする。親から子への能力の遺伝の正体を解きながら、教育と人間の多様性を考える!」とある。

 著者からは、この本を補う3つのメッセージが挙げられている。1つめは「遺伝とは親のもっているものがそのまま子どもに伝わることだ」とか、「遺伝だと勉強や努力や教育をしても役に立たない」という考えは遺伝の法則から導き出されるものではないということに気づく。2つめは、心理学、教育学や人文社会科学全般が、遺伝学や広く生命科学に隷属するものではなく、両者を対等につきあわせることで、生命科学が逆に見落としがちなことに気づく。3つめは、私たちが求め続ける自由で平等な社会とは、遺伝子の制約を乗り越えることによって実現されるものではなく、むしろ遺伝子たちのふるまいをきちんとわきまえ、遺伝子たちと調和しようとする営みの中で実現されうるというもの。

 この本を手に取った時に、“「頭の良さは氏か育ちか。『遺伝vs環境』論争の真実を平明に開示する誠実な筆致に深い感銘を受けた」と福岡伸一さんが推薦!”という帯を見て、生物学者が書いた本なのだろうと思ったのだが、著者は自らを“バリバリの文系”と称する教育学博士である。
 あとがきで、本書は「遺伝マインドー遺伝子の織り成す行動と文化」の続編であり、編集者から依頼されたタイトル「~不都合な真実」が、いかにも新書らしい俗っぽい言い回しで抵抗感を抱いた、と書いておられる。
 が、こうしたタイトルの新書になったからこそ、私などの門外漢が手を取ることになったのだろうな、とも思える1冊だった。

 2冊目は黒川伊保子さんの「いい男は『や行』でねぎらう いい女は『は行』で癒す」(宝島社新書)。
 これまでにもこのブログでも紹介した記憶があるが、「夫婦脳~夫心と妻心は、なぜこうも相容れないのか」や「恋愛脳~男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか」など、とても楽しませてもらっていたので、今回も手に取った。
 著者によると、ことばとかたちを関連付ける脳の力として注目すべきは、発音の体感だという。“日本語の音韻のうち、特に情感を漂わすものを選び、音韻の語感を一つ一つ明らかにして、それらが醸し出す日本語会話の情の文脈を紐解いてまいります。”と冒頭に書いておられる通り、語感辞書の作りになっていて、各節の最後には例文のかわりに書下ろしの「語感エッセイ―美人のくちびる-」が付いている。これが、恋愛エッセイというとおり、何とも艶っぽい内容なのだが、大切なひととの秘め事等の語り口に、いかにも黒川さんの甘え上手な可愛らしさが出ているなという印象だった。
 言葉とは魔法の呪文のように使える、という主張には頷ける(逆に失言でとんでもないことにもなりそうだが)。帯に紹介されている「あいうえお」によれば「ありがとう」は人間関係を築く上で肝心要の言葉、「いじわる」は恋を盛り上げる魅惑的かつセクシーな発音、「うれしい」は溢れる想いを伝える大切なことば、「あなたへ」のエ音は憧れを匂わすことば、「おはよう、おかえり、おやすみ」の“お”は変わらぬ安心感を脳に届ける音、だという。
 
 先日『私の履歴書』をご紹介した米沢富美子先生も物理学専攻だったが、この黒川さんも物理学科卒の理系女子。私などそれこそ“バリバリ”の文系で、物理と聞いただけで暗い過去を思い出すほど物理アレルギーが甚だしいので、それだけで眩しい。だが、こんなふうに脳科学を魅力的に面白く紐解いてしまうなんて、天は二物を与えるものよ、と思わず溜息が出てしまう。

 それにしても今日は暑かった。昼休みに散歩がてら外に出たら、日傘を差してはいても、照り返しでジリジリと焦げそうだった。まさに夏本番、である。

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