ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2017.2.25-26 プレミアムな週末、男2人は引っ越し作業でてんやわんや

2017-02-26 21:12:34 | 日記
 土曜日。
 息子がキャンパス近くの寮に引っ越す日。3年間の部活命!生活から脱却し、真面目に大学に通ってもらうための措置である。これまでお世話になっていた寮は、キャンパスが移転したことで通学にはバスと私鉄を乗り継いでたっぷり1時間以上かかっていた。今度は自転車数分で通うことが出来る距離だから、「1限は寝過ごしました、テヘヘ・・・」はなくなるだろう。卒業がかかっているわけだから、もう冗談を言っている場合ではないのだけれど。

 そんなわけで、初めてのプレミアムフライデーの金曜日。2年前、息子に任せた引っ越しのとんでもなさ(息子の尊厳にかけて詳らかにするには忍びない・・・)に懲りて夫が手伝いに遠征中である。こちらは久しぶりに独身貴族の週末である。

 予想通り、息子の引っ越し作業を殆ど一人でやる羽目になった気の毒な夫には申し訳ない限りだけれど、こちらはおかげさまで好きな時間に起きて、のんびり掃除・洗濯。好きな時間に手抜きの食事を摂って、好きな時間に寝て、のごくごくマイペースなこれぞ、プレミアム!な週末である。

 好中球減少によるだるさは大分抜けた感じがするけれど、疲れると必ず出てくる重苦しい胸痛が気になっている。10日前にジェムザールの前に投与した制吐剤アロキシの副作用である便秘が、日に2度のマグラックスをもってしても改善されない。

 予定より早く移転先の寮の部屋が空いたことで、3月末よりまだ空いているうちにと引っ越しを1か月繰り上げてみたものの、今月から既に単身学生の引っ越しピークは始まっているそうだ。最初の業者には夜9時からの積み込み作業開始なら、などと言われ、それでは搬入が夜中になってしまう。とんでもないと断った。

 結局、午後2時から6時の間で、と言うところと手を打ったのだが、実際には当日限りなく6時近くに到着するとの連絡があり、時間潰しに近所の老舗和菓子店でお抹茶と生菓子を頂いているという写真等がLINEされてくる。

 漸く作業開始になったのは夜になってから。積み込み終了後、夫と息子は電車で先着したが、トラックが寮に到着したのは8時を回ったとのこと。それから搬入だけなんとか終わらせて、寮で夕食を摂り(夫は草臥れすぎて食欲がなかったというが、息子は完食とのこと。相変わらずの大物ぶりである。)、寝る場所すら確保出来ずに、夫が予約していた駅前のホテルに急きょ息子も追加で泊まることにしたと連絡があった。

 そして今日、日曜日。
 2人はホテルでバイキングの朝食を摂ってから寮に向かい、再び片づけで一日が暮れたようだ。

 私は予約していた月1回のマッサージに出かけて、メンテナンス。Wさんから背中一面がかなり硬くなっていると言われる。体調不良のせいで、今までのようにヨガスタジオに行けていないことと、ずっと続いている便秘のせいかと思う。それでも丁寧にゆっくりほぐして頂いて、大分スッキリ楽になった。

 マッサージの後は母と待ち合わせをして、Wさんサロンの近くのレストランでランチ。毎日ご機嫌伺いの電話だけは欠かさずしているものの、治療変更以降は実家詣でも出来ていない。電話では済まない話したいことが沢山あるせいか、実によく喋る母だ。

 母はここまではバス一本なので、そのまま帰った方が良いだろうと気を利かせたつもりが、私さえよければ買い物をしたいので我が家の最寄り駅まで来たいという。それなら、と付き合うことに。

 日曜日のアウトレットモールは人出が多く、地元民としてはわざわざ混んだ店を訪れるのは避けたいところ。とはいえ買い物をして気分転換になり、かつ元気になってくれるなら親孝行の一環か、と荷物持ちとアドバイザーを兼ねる。一人ではなかなか決められないので、あれこれ買えて、ちょっと疲れたけれどとても楽しかった、とご機嫌の母をバスに乗せて見送って、帰宅した。

 暮れなずんだ頃にようやく夫から電話。何とか概ね片付けることが出来たので、これから夕食を摂りに行くとのこと。夫は引っ越しの準備から片づけまで、自分対息子が8対2と言い、息子は7対3と言うが、私は、実態は9対1だと思っている。まあ、ともあれ無事に済んで良かった。案の定、二人で焼肉パーティである。

 暫くして、息子から「Skypeに出て」との連絡が。部屋のあちこちを映してくれたのだが、納まるものは納まるところへ、納まらないものは高く積み上げて、とりあえず一段落した模様が映し出されていた。まあ、とにかくこれで一安心である。

 明日からまた新しい1週間。週半ばからは早くも弥生3月である。息子も来月には帰省の予定だ。
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2017.2.23 昨日の通院日に読んだ2冊

2017-02-23 21:27:46 | 読書
 昨日は2冊読めた。
 1冊目は又吉直樹さんの「火花」(文春文庫)。
 言わずと知れた第153回芥川賞受賞作。月末からはNHKドラマ放映されるともいう。何より話題作だったし、文庫になったら読もうと思っていた。書店で平積みされているのを見つけ、迷わず手に取った。

 ドラマ化のタイミングでスペシャルカバーがついていた。「狂おしいほど純粋すぎる、この二人。」とある。裏表紙には「売れない芸人の徳永は、天才肌の先輩芸人・神谷と出会い、師と仰ぐ。神谷の伝記を書くことを乞われ、共に過ごす時間が増えるが、やがて二人は別の道を歩むことになる。笑いとは何か、人間とは何かを描き切ったデビュー小説。芥川賞受賞記念先輩芸人・神谷と出会い、師と仰ぐ。神谷の伝記を書くことを乞われ、共に過ごす時間が増えるが、やがて二人は別の道を歩むことになる。笑いとは何か、人間とは何かを描き切ったデビュー小説。芥川賞受賞記念エッセイ『芥川龍之介への手紙』を収録。」とある。

 実は私はいまだ又吉さんのお笑いコンビ「ピース又吉」さんとしての姿を見たことがないのだけれど、お笑いという世界が大変な世界であるには間違いないだろう。もちろん、どの世界も大変でないところはないのだろうけれど、「笑い」を職業にすることは極限まで自分を追い込み、身を削ることなのだろう、というのは凡人の私にもなんとなくわかるような気がする。主人公徳永の18歳から28歳の10年間、そして4つ先輩の神谷の同じ10年間。ラストシーンにも圧倒された。
 私にとって土地勘のある懐かしい街も随所に登場するこの原作が、ドラマでどう料理されているのか日曜日からが楽しみである。

 2冊目は瀬尾まいこさんの「春、戻る」(集英社文庫)。
 瀬尾さんの小説は何冊目だろうか。いつもほっこりさせて頂くので、今回も春らしい装丁を見て、思わず手に取った。
 帯には「突然現れた“おにいさん”は年下のひとでした。結婚前夜、心の奥をくすぐるハートフルストーリー」とある。ふむふむ、最初からいったいどういうこと?という出だしである。

 裏表紙には「結婚を控えたさくらの前に、兄を名乗る青年が突然現れた。どう見ても一回りは年下の彼は、さくらのことをよく知っている。どこか憎めない空気を持つその“おにいさん”は、結婚相手が実家で営む和菓子屋にも顔を出し、知らず知らずのうち生活に溶け込んでいく。彼は何者で目的は何なのか。何気ない日常の中からある記憶が呼び起こされてー。今を精一杯生きる全ての人に贈るハートフルストーリー」とある。

 するすると読み終わり、読後感は実にさわやか。書評家の江南亜美子さんが解説を書いておられるが、「登場人物たちの善人さは、非現実的に思われるかもしれない。しかし隠したり忘れたりしたい、しんどい記憶がひとつもない大人などいない(お兄さんだって相当な過去の持ち主だ)以上、そこから解き放たれる希望を見せてくれる本書は、大人の読者にこそ沁み入るはずだ。人生の滋味。瀬尾まいこの作品がひろく支持される理由はおそらくそこにある。」と結ばれている通り、気づけば元気が出る、旅立ちの春に相応しい物語だった。

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2017.2.22 採血後診察、ジェムザール2クール2回目中止

2017-02-22 21:23:59 | 治療日記
 昨日は、冷たい風が骨身に染みるほど強く吹き荒れた1日だった。帰宅後、夕食を整え、洗濯機を2回廻してゴミ捨て等を済ませた後、病院近くのホテルに前泊した。

 この時期、毎年のように涙目と瞼の爛れが酷かった。昨日のような強風では間違いなく症状が悪化する筈だけれど、カドサイラ(T-DM1)を中止して1か月半ほど経ち、大分症状が軽くなってきたのを感じる。やはり涙目と目の痛みはカドサイラに拠るところが大きかったのだな、と思う。

 今日はジェムザール1クール2回目である。夫にモーニングコールをしてから、お約束通り熱めの浴槽足湯でじんわり汗をかく。今回は、ジェムザールによる吐き気よりも、制吐剤アロキシによる便秘のせいで食欲不振だった。きちんと排出出来ていないのか体重はほぼ変わらず。今日投与したらまた2,3日は思う存分食べられなくなってしまう、とビュッフェの朝食をしっかり頂く。チェックアウト前にマインドフルネスの鐘の音の瞑想をしてから病院へ向かった。

 今日は2月3回目の通院日。これからはコンスタントに月3回通院なのだな、とちょっとため息。外はかなり冷え込んでいて、風が冷たい。それでも日差しは春の色が日一日と濃くなっている。

 自動再来受付機ではすんなりとIDカードを通せたが、出てくる筈の受付表のスリップが出てこない。隣の機械で試したところ大丈夫。IDカードの異常ではなく、ただ紙が切れたのが原因のようで、係の方にご連絡する。これで使える機械が3台から2台になってしまったので、あっという間に受付の列が長くなる。

 採血受付でもIDカードは待たずにすぐに通せたが、座る場所がないくらい混んでいる。電光掲示板を見ると、15人ほど待っていて11分待ち。コートをエコバッグに入れたりしながら態勢を整えて待つ。待ち時間どおりに自分の番号が出て採血室へ入る。今回も、2クール2回目の治療が出来るかどうかを確認する白血球等のチェックだから1本のみの採取。何度もお世話になっている女性技師さん。1本だけだとあっという間だ。

 止血しながら腫瘍内科受付に移動。定位置の待合椅子が空いていたので、読書を開始。
 今日は薄い文庫本を2冊読めたが、読書日記についてはまた別途。3週間前、1本のみのチェック採血時は“中待合へどうぞ”が電子掲示板に出るのが早かったので30分ほど待ったところで、血圧測定へ急ぐ。98-59、脈拍は89。

 それから30分もしないで、“中待合へどうぞ”の番号が電子掲示板に出た。中待合に入って、30分ほどで先生が名前を呼びながらお顔を出された。
 「さて、どうでしたか?」と訊かれ、「前回ほど(のキツさ)ではありませんでした。吐き気止めのおかげで吐き気は大分楽でしたが、いきなり翌日から便秘で、マグラックスを夜と朝飲んでやり過ごしています。それでも今日もなお“うさぎ”状態です。だるさはそれほどでなかったですが、金曜日は夕方早退し、土曜日はほぼ眠って過ごしました。日曜日からは大分動けています。」とお答えする。

 気になる採血結果は「うーん、やはり、下がりますね」とのこと。白血球は3,500だが、肝心の好中球は2割に達せず600強。投与OKの下限1,000にはほど遠い。
 「というわけで、今日も中止ですね。次回はもう少し減らして6割にしましょう。」とPCの計算式を見ながら「1,100mgですね」とのこと。なんとかそれで行けると思いますと仰る。次回こそ3度目の正直。8割でダメでも6割ならOK、となって治療が安定的に行えるようになると良いのだけれど。

 そもそもジェムザールは2投1休の薬なので、3週に1度だけ規定量を投与するより、レジメン通り2週連続で投与するリズムが作りたいのだ。血中濃度を出来るだけ均一に保ちたいので、3週間に1度では間隔が長すぎるし、3週に1度10割を投与するより6割でも2週連続で投与出来れば、薬の総量としては2週連続の方が当然多くなる。

 ジェムザール単独投与の方なら隔週という選択肢もあるようだが、私はハーセプチン併用なので3週間に1度が大前提(本来は5週に1度のランマークも、そのために6週に1度で勘弁してもらっている。)。3週に1度のハーセプチン、隔週のジェムザールを組ませると休暇は増えるし、スケジュール調整が難しくなるでしょうと先生がお気遣いくださっているわけだ。
 
 前回のように好中球200台というわけでもないので、今後発熱の恐れはなさそう。抗生剤を出して頂くこともなく、ランマーク注射もなく、化学療法室に行くこともなく、あっけなくここでおしまい。白血球、好中球以外の数値は問題なし。診察室での検温は6度6分。「次回2週間後、3度目の正直でまた出直します。」とお礼を言って診察室を出た。
 
 会計へ向かい、夫やお友達に報告LINEやメールをしてから自動支払機へ移動。採血だけでなんと300円。色々お手数だけおかけして申し訳ないくらいだ。現金で支払い、外に出る。 昨日より風が弱く暖かい。先週1,100しかなかった好中球が1,000を維持するとは考えられず、正直今日も投与は難しいかなと思っていたが、そのとおりになってしまった。

 病院の滞在時間は2時間ほど。乗り換え駅のレストランでゆっくりお昼を頂き、本を読み切ってから帰宅した。
 夕食はお弁当でお茶を濁そうと思っていたが、治療中止とあってはそうもいかず。帰宅後は洗濯物を片付けて普通に夕食の支度を。

 明日は珍しく会議や出張のない木曜日。前回よりは良いとはいえ、好中球が低いことには変わりない。引き続きうがい手洗いをしっかりと、よく食べてぐっすり寝て、体力回復に努めたいと思う。
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2017.2.18-19 ジェムザール2クール1回目投与後の週末雑感

2017-02-19 18:49:58 | 日記
 金曜日は定時まで仕事をする元気がなく、2時間早退して帰宅した。目一杯働いて帰宅したら、生協の食材の取入れやら夕食の支度をやり遂げる自信がなかったからだ。
 夕食はなんとか簡単に鍋焼きうどんを作って、食後は入浴して早々にベッドに入った。

 土曜日。
 ベッドの中で朝の連続テレビ小説を見て、若者たちの門出に涙し、二度寝。夫から「食事はしないの?」と起こされてブランチ。制吐剤アロキシのおかげで前回よりも吐き気はかなり楽だが、それでも便秘でお腹のモタモタ感が強く、食欲はイマイチだ。何よりだるい。

 少な目に頂き、洗濯を済ませてからリビングで横になる。横になると、いつのまにかウトウトする。ビデオを視ているつもりが気づけば終わっているという体たらく。本を読んでみてもいつのまにかウトウト。

 寝たり起きたりを繰り返し、起きると、夫がおやつは?夕飯は?とすぐに食べる支度をしてくれるので、動かないわりには何やら食べてばかり。とはいえ、まだ食欲旺盛というわけではないので、チョコチョコ口にする感じ。

 もし行ければ、と予約していたリンパプラスヨガのクラスもキャンセルし、結局、新聞を取りに1階のポストに降りることすらせず、一日中籠城蟄居床とお友達、眠り姫の土曜日だった。
 いったい何時間眠ったものやら・・・。

 日曜日。
 あまりに眠り過ぎたのか、身体があちこちきしんで痛む。投与後4日ぶりにようやく普通に朝食を摂ることが出来た。それでも相変わらずフラフラしている。

 今夜は高校最寄り駅にあるホテルで、高校時代の恩師を偲ぶ会が開催される。治療中につき体調によってはドタキャンになる可能性が高いのですが、出来れば出席したい、と同期の幹事さんに連絡をしていた。けれど、やはり片道1時間以上かけて出かけて、会場で立ったままやり過ごす自信がなく、申し訳なかったけれど気持ちだけ偲ばせて頂くことにして、欠席のメールを打つ。

 とはいえ、このまま動かずにいてはまずいだろう。そろそろメンテをして明日からの1週間を迎えなくては、と先月予約していたリフレクソロジーに出かけることに。

 いつものようにオーナーが最寄り駅までお迎えに来てくださり、このところの体調の報告をしている間にあっという間にサロン到着。今日はフェンネル、ゼラニウム、マジョラムのリフレッシュブレンドオイルでお願いした。ヘッドマッサージ、ハンドリフレと下半身すっきりの症状別コースの2時間弱、施術が始まるや否やすぐに眠りに落ちた。

 かなり足が冷えているのを感じていたが、その通りで、足裏の面からはどこの内臓の調子が悪いというのはあまり感じられなかったが、やはり左側が特に冷えていて流れが滞っていたとのこと。

 施術が終わってから、からだポカポカブレンドのハーブティを頂き、酵素ジュースも頂戴した。身体に染みわたる美味しさだ。来月はマクロビの出張ランチ会も企画されているということで、予約してきた。今月のお楽しみプレゼントはかかとケアクリーム。先月頂いたリップバームもとても良かったと言うと、やはり好評だったそうだ。

 再び最寄り駅まで送って頂き、かなり身体がシャッキリしたので、さらなるメンテのためにハタヨガビギナーのクラスでゆっくり身体をほぐして汗を流した。夫と待ち合わせ、最低限の買い物をして帰宅。夕食は夫が準備してくれるというので、簡単に掃除を済ませた。

 明日からまた1週間が始まる。2日仕事をしたら、また治療日だ。採血結果で実際に2クール2回目の治療が出来るかどうかは神のみぞ知るだが、焦らず諦めず、自然体で臨みたいと思う。
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2017.2.17 決して運だけではない

2017-02-17 20:55:14 | 日記
 拝読している押川勝太郎先生のブログ「がん治療の虚実」で、とても嬉しい記事を見つけた。以下、かいつまんで転載させて頂く。

 ※  ※  ※(転載開始)
有用記事の紹介: 乳がん再発して10年たっても元気(2017-02-13 21:50:05)

(前略)
 さて、当初の予定はどんどん遅れて恐縮だが、有用情報は優先すべきだという精神に従って、今回は乳がん再発患者さんの長期治療成功例を紹介する。
 がんそのものあるいはがん治療でひどい目に遭ったという証言は広がりやすく、テレビドラマなどでも選択的に悲惨な例ばかりが紹介されている(その方が視聴率が取れるからだ、困ったことに)。
 こういった「がん」に対する世間的な悪いイメージの刷り込み現象を改善するには、がん治療でうまくいっている人がもっと発言すべきなのだろう。
 しかし、ひどい目に遭った人のような怨念的な動機付けがないために、治療成功者が広く発言することは少ない。
 近藤誠氏のがん放置療法関係本が一般的に売れていても、医療関係者にあまり賛同が得られていないのは、がん治療がうまくいっていないケースを見てはいるが、うまくいっている例も多数見聞きしているからだ。
  一方民間療法でがん治療がうまくいったという記事が多いのは、その関係施設が商売用広告のために意図的に証言を公開しているため。(ただし、医師から見ると信憑性に疑問符が付くことが少なくない)
 保険診療でできるがん標準治療は、もっとも可能性の高い治療法だが、個々の患者さんの治療がうまくいくかどうかは
①運
②本人の努力
③治療環境
の順で決まる(と自分は感じている、身も蓋もないが)。

 よって、ゆがんだがん治療のイメージを是正するためには、治療がうまくいった人はもっと積極的に体験談を世に発言すべきだろう。
 こういった趣旨で、高橋 裕恵さんという、乳がん再発して10年以上の患者さんの有用記事を紹介するに至った。

 https://runforthecure.org/feature/pink-magazine/
 P4〜7 生きる力はひととのつながり

2003年12月「乳がん」が見つかって
2005年12月鎖骨リンパ節転移
2014年5月肝臓多発転移

いろいろ苦悩し、大変な思いをしたが、それを乗り切って
現在もこれからも元気に治療中という人生の紹介。
(以下略)

 ※  ※  ※(転載終了)

 ということで、先生も仰っているとおり、再発して10年経っても元気な方は少なからずおられるということ、そういう患者さんはもっともっと声を上げていくべきなのではないか、と常々思ってきた。
 闘病ブログは今や数え切れないほどあり、様々な治療や副作用について報告されるけれど、そうした治療が残念ながら効を奏せず、更新が途絶えたかと思うとご家族やご友人が、旅立たれたという報告をされることが多々ある。
 けれど、今も元気にやっているという方は、それに比べてあまり発信がないように感じている。

 ここで紹介されている乳がんサバイバー・高橋さんの記事をオンラインで拝読したが、以前患者会からの紹介でPiNK Beauty Partyに参加させて頂いたおりに配布されていたオールカラーの季刊無料冊子だ。
 高橋さんは私と同い年でおられる。再発から10年ということなので、私のようにステージ4歴が10年か!と心強く思ったが、実際はそうではなかった。
 2年でリンパ節転移されているが、この段階ではいわゆるステージ3、その後10年近く経って多発肝転移されているので、ここでステージ4。ステージ4歴としては3年弱でおられる。それでも今は寛解状態というのだから、素晴らしい。まだまだ元気に発信を続けて頂きたいと思う。

 私が今回先生の記事を拝読して、一番嬉しかったのは
“保険診療でできるがん標準治療は、もっとも可能性の高い治療法だが、個々の患者さんの治療がうまくいくかどうかは
①運
②本人の努力
③治療環境
の順で決まる(と自分は感じている、身も蓋もないが)。”
の部分だ。

 これ迄私はおかげさまで数々の治療が功を奏してこうして9年間再発治療を続け、フルタイムの職も辞さずに生き長えることが叶っている。
このことについて、運が良かったんでしょうとか、職場環境が恵まれているんでしょうとか言われることも少なくない。努力ということについては決して触れられずに。
 もちろん、声高に「私、こんなに頑張っているんです!認めてください!」と頼んでいるわけではないし、そんなつもりもない。あくまでも私なりに真面目に病気に向き合って、治療をさぼることなく続けてまだ生きていたいと思うから当然のことだ。

 けれど、本当に幸運だったら、ステージ1の段階で出来る治療は全て行った後に、3年経たずして両肺、骨等多発転移のステージ4にはならずにそのまま卒業できたと思うし、そもそも病気にすらならなかったのではないだろうかとも思う。
 病を得、さらにはこうしてステージ4の患者としてエンドレスの治療をすることになったことで、色々手放さざるを得なかったこと、諦めざるを得なかったこともある。
 それでも細く長くしぶとく、とこれまで自分に活を入れてやってきた。そういうことを努力、と言って頂けるなら本当に嬉しいのだ。

 もちろん再発した段階で転院出来、今の主治医と出会え、治療環境にもとても恵まれていると思うし、こうして支えてくれる家族がいて、仕事を続けさせてくれている職場の環境にも恵まれているのは紛れもない事実。このことには、日々心から感謝している。

 けれど、どんな環境であれ、本人がさぼらず諦めずきちんと治療を続けるという努力はやはり必要不可欠なのではないかと思う。
 それを認めて頂けたのが、素直に嬉しく、また前を向く力を頂いた。これからもこのブログで発信することが続けられれば良い、と心から思う夜である。
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