ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2009.10.30 造影CT検査(胸部~骨盤)

2009-10-30 20:46:52 | 治療日記
  今日は午後からCT検査。午前中仕事をして昼休みに職場を飛び出し、電車を乗り継いで1時間半近く。お昼抜きで検査に臨んだ。早足で歩くと汗ばむくらいの陽気だった。胸部から骨盤まで造影剤を入れての撮影。前回5月復職直前に行った検査は胸部から肝部までだったので、息を止めている時間がちょっと長いかも・・・と思いながら目をつぶってこれまでのことを思い出す。

 最初に造影剤CTを撮ったときは初発の時、かれこれ5年近く前になる。その時はうつ伏せで、左胸部限定(ちょうど乳房を入れるカップ状の穴が開いていてそこに固定)だったので、結構辛い体勢を長時間続けなければならなかった。手の甲の血管から造影剤が入ったときには本当にあっと言う間に体がかーっと熱くなった。造影剤を入れるといつもしみじみ(こんな速度で体の中を血が流れているんだなあ・・・)と実感する。その後何度も受けてきたCT検査は胴体部分なので、万歳をしてただじっと仰向けで寝ているだけ。造影剤を入れなければ全く苦痛はない。

  病院によって造影剤の入れ方は違うようで、前の病院では機械の寝台に横になってから注射だったが、今の病院ではまず血管確保のために生理食塩水を点滴で落としつつ点滴台をひきずって検査室に向かう。今や毎週の点滴は中心静脈埋め込みポートからなので、右腕の血管に針を刺しにくいといわれる私(しかも左腕は腋下リンパ節郭清をしているため使えない)としてはいつも恐縮してしまう。それでも造影剤を入れるために太い針を使うので、失敗すると結構つらい。今日は一回でOK、ラッキーだった。

 去年の今頃は頭痛がひどく(もともと頭痛持ちではあるのだが)、ハーセプチンは脳まで届かないからか、もしや脳転移では・・・と脳のCT検査もして頂いた。結果が出るまではたまらなかった。冗談で「脳がスカスカだったらどうしよう。」とか「皺がなくてツルツルだったらどうしよう。」とか精一杯強がりを言っていたけれど、本当は「サイバーナイフが効かないほどだったらどうしよう。」「全脳照射で認知症が出たらどうしよう。」などなど、不安は尽きなかった。先生から「大丈夫。」と結果を聞いたときには本当にほっとした。

 不安を抱えていたのは私だけでなかった。帰宅して夫に無事を報告したとき、夫は男泣きした。夫もすごく心配していたんだ・・・と今さらながら思い知らされた。

 普段は年相応にかなり涙腺がゆるくなってテレビを見ては泣き、映画を見ては泣き、の私なのだが、不思議と病気になってから病気にまつわることでは殆ど泣いていない。はっきり覚えているのは2回だけ。別に無理に気丈に突っ張ってええかっこしい、をしているわけでもないつもりなのだが・・・。

  1度目は初発の術後治療開始早々のこと。ノルバデックスを飲み始めて1週間ほどした3月初め、副作用で顔中に発疹が出て、顔がパンパンに腫れた時。主治医も「こんなケースは初めて。」と首をかしげるし、これから長く続く治療に向かい合っていかなければいけない、と思っていた矢先、一体これからどうなるのか、といきなり目の前が真っ暗になった。夫は「どんな顔になったって俺もちび(息子)もいいと言っているんだから、いいじゃないか。」と言った。けれど「私はこの薬を5年間飲むのよ。飲み続ける限り、ずっとこれじゃあとても職場になんか行けないじゃない。」ーと言った途端、涙が止まらなくなった。
当時まだ小学校3年だった息子が「あああ、泣いちゃったよ。」とポケットからしわくちゃのハンカチを出してくれた。(ハンカチ王子にはとてもなれそうにない息子である。)

 その後はその年の暮れ、夫からクリスマスカードをもらった時。「今年は本当にいろいろあったけれど、みんなで乗り越えたね。これからきっといいこともあるから、一緒に頑張っていこう。」そんな内容だった。4月から職場復帰し、ずっと張り詰めて我慢していたものが一気に溢れた。

 そんないつも励ましてくれていた夫が男泣き。私たちは来年の1月で結婚20年なのだが、もちろん彼も年相応にテレビだの映画だので涙ぐむことはある。それでもあんなに号泣したのは記憶にない。1度職場の不本意な異動で悔し泣き、は見たことがあったけれど。それほどのことだったのだ・・・、と唇をかんだ。
後で聞いたら「(脳転移であとどのくらい、ということを)覚悟していた。」と言われた。ごめんなさい。さすがに予後がよりいっそう良くなくなることだから・・・。

 まあ実際のところ、皺の様子とか中味の充実度については「年相応」ということで、どういうことなのかちょっと微妙・・・な結果ではあったけれど。

 そんなことを考えつつ、「今日は水分をたっぷりとって早く造影剤を体の外に出しましょうね。」と看護師さんにも言われ、遅いお昼を食べて家路についた。結果は週明け次回診察時のお楽しみ。

 今日は往復とランチタイムで乙一さん、恩田陸さん、北村薫さんほか4人の連作集「七つの黒い夢」と絵國香織さんの「ウエハースの椅子」(ともに新潮文庫)を読んだ。連作集一番最初のお話「この子の絵は未完成」。想うだけでにおいのする絵が描けるなんて、なんて素敵だろう。本当に子どもは魔法使いなのに、だんだんそういう力がなくなってしまうなんて・・・。絵國さんの作品は「神様のボート」に続く傑作恋愛小説、との帯。これは確か旅行中機内で読んでいて涙が止まらなくなったお話だった、と選んだ。恋することの孤独と絶望・・・実生活とは無縁だけれど、小説は実にいろいろな世界に連れて行ってくれるものだ。
今年もあと2ヶ月。あさってから11月だ。
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2009.10.27 ハーセプチン65回目

2009-10-28 19:23:27 | 治療日記
 台風一過、雲ひとつない青空でとても暖かく気持ちの良い日だった。
今日は4週間ぶりの皮膚科診察。右親指の爪が落下していまだ伸びてこない。剥がれた爪の残骸が岩のように厚くごつごつしており、触れるととても痛いので、普段は弾力包帯でカバーして靴を履いている。先生に診て頂くと、「サリチル酸ワセリンより一段マイルドなケラチナミンを朝夕つけましょう」ということになった。ラップでくるむ必要はないようだ。根元の2ミリ程度の新しい爪が早く伸びてくるとよいのだが。まぶたの軟膏はまだあるので、このまま続行。手指の爪は弱々しいけれど、手袋もとうにはずしてぶつけたりひっかけたりしないように注意している、とご報告。

 1階に降りて内科へ。「今週も特に変わったことはなく、胸の重い痛みは相変わらず、指のこわばりも夜中にふと目覚めたときなど曲げられないほど酷いけれど悪化はしていない」、とご報告。来週は文化の日で祝日なので、翌日の水曜日に予約を入れて頂く。月初めなので採血後の診察。今週金曜日のCT検査の結果も聞くことになる。
 
処置室で待つこと小一時間。無事点滴開始。

 待ち時間も含め点滴中に今日は2冊の本が読めた。唯川恵さんの「愛に似たもの」(集英社文庫)。短編集で読みやすかった。帯の「女は不幸ばかり数えたがる」、というコメントで手に取ったが、各編のラストの1行がゾクッとくる。 2冊目は軸丸靖子さんの「ルポ 産科医療崩壊」(ちくま新書)。自分が14年前に妊婦だった頃にお世話になった産科医の言葉が載っており、その頃にワープした。あの頃より一層厳しくなっているのだ、と思う。

 今日から読書週間。子どもの頃から図書館通いが日課だった私だが、就職して、結婚して、子育てをして、の間はとても自分の好きな本を読むどころではなかった。日々に追われ本当に軽い本をたまに眺める程度だった。
それが昨年の休職時、もちろん本当に具合が悪かったときは本を読むことすら出来なかったけれど、通院日以外毎日家にいて、見たいテレビもなく、ネットで注文すれば即日、遅くとも翌日に届けてもらえることがわかり、あっという間に読書に嵌った。以来復職後もマイペースで読書が続いている。特に治療日はコンスタントに好きな本を乱読している。読書も映画も旅行もそうだけれど、読まなければ、観なければ、行かなければ、別にどうってことなく過ごせるのだけれど、いざ始めると次から次へ、とのめりこんでしまう単純な私だ。

 先週週初めからインフルエンザの感染拡大防止のため学年閉鎖だった息子がようやく今日から登校した。今日もまたメールで「学級閉鎖継続」の連絡が来るのでは・・・と点滴椅子に座りながらはらはらしていたけれど、とりあえず大丈夫そうでほっとした。
延期だった体育大会も息子の学年抜きで平日に無事終了した模様。ホームページには楽しそうな写真がアップされていた。確かに中1生初めての、中3生最後の運動会が中止になるより中2生が不参加でも仕方ないのかもしれないけれど、ちょっと残念なことだ。

おまけに昨日は夕方「熱が出た」と電話があり、近くのクリニックにかけこんだ。幸いインフルエンザ検査は陰性で、今朝はすっかり平熱だったが、当分インフルエンザには悩まされそうだ。

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2009.10.20 ハーセプチン64回目、ゾメタ26回目

2009-10-28 19:18:09 | 治療日記
今日は15分ほどの待ち時間で中待合に入ると、すぐに名前を呼んで頂いた。「日曜日に大学のホームカミングデーがあり卒業25年目ということで四半世紀ぶりに人前で合唱をしてきました。頑張りすぎてちょっと疲れています。手指のこわばり、胸の鈍痛は特に変わりないですが、右親指の剥がれた爪がなかなか元通りにならず痛みがあって困っています。来週は皮膚科で診て頂けますが。」とご報告。「大分アクティブに動けるようになりましたね」と言って頂く。

学生時代4年間合唱団に所属していた。卒業以来本当に四半世紀ぶりだったが、体調と相談しつつ思い切って7月から月2回OB・OG合唱団の練習に参加してきた。最初は当然声が出なかったし、ぐったり疲れて、とても最後までもたないのでは、と思ったが、旧友・先輩の励ましや指揮者の先生の不思議な力に引きずられるように無事本番を迎えることが出来た。

当日は、これまで私の歌うところを見たことがなかった夫と息子が最前列に陣取って聞いてくれた。「とても幸せそうな顔をして歌っていてよかった」と夫。「ママの真剣な顔が見られて良かった」と息子。嬉しかった。このまま小康状態が続けば、また来年も参加したいと思っている。

2ヶ月続けての腫瘍マーカー上昇は少々心配ではあるが、先生からも「正常範囲内での上昇だから念のためですよ」、と言って頂きつつ30日にはCT検査が控えている。

あけぼの会治療日記の掲載が中止になるだろうこともご報告した。看護師さんには「あら、時々見ていたのよ」と言われた。気持ちを建て直してこれからも治療に臨みたい。

今日はゾメタも含めて4本の点滴。3週間に1度、も本当にあっという間だ。今日のポート刺針もあまり痛まず、針の固定テープをはがすのもそれほど往生せずに順調に終了した。

今日の読書は2冊。宮台真司著「日本の難点」(幻冬舎新書)。首都大学東京の過激派・宮台先生もお嬢ちゃんには本当にめろめろで、ほほえましい。
星新一著「ボッコちゃん」(新潮文庫)久しぶりに読み直したけれどショートショートは本当に面白かった。

アロマシンを30日分処方して頂き、帰宅した。

息子の学校では昨日の2時間目から新型インフルエンザのため、木曜日まで学年閉鎖。先週末の体育大会も同じ理由から木曜日に延期になっていたため、結果として不参加になってしまった。我が家にウイルスがやってくるのも時間の問題か。

インフルエンザウイルスは、人への感染を繰り返すたびに、人の体内で効率的に増殖できるように変化していく、つまり毒性が強まるとのことだ。ワクチンは間に合いそうもないから、この際早くかかってしまった方がいいのかもしれない。

あけぼの会東京支部からおしゃべりサロン、新春お食事会のお葉書が届いていた。
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2009.10.13 ハーセプチン63回目

2009-10-28 19:15:48 | 治療日記
11日はあけぼの会全国大会に参加。事務局の皆様、本当にお世話になり、ありがとうございました。
20代の6年間職場が有楽町だったので、とても懐しいマリオン界隈。周囲がすっかり変わっていてびっくりした。おニューのピンクのスカートに久しぶりにピンクのヒールを履いて、ちょっぴりお洒落をして出かけた。講演をされたのは去年の2月、サードオピニオンを頂いた先生。お話はその時と同じくとても分かりやすく易く勉強になった。とにかく乳がんの薬は日々進歩している。次の手、また次の手、と新しい薬が開発されている。少しでも長く生きていれば、きっともっと長く病気と共存していけるのだ、と心強く思う。再発治療中会員としてパネリストで登場していたNさんの前向きな発言にも胸を打たれた。そしてまたアドレスの輪が広がった。

今日は連休明けということもあって、内科受付はやはり混雑していた。45分ほど待って診察室へ。胸の痛み、手指のこわばりなど特に悪化している症状もなく、三連休は活動的に過ごしたことをご報告。先週の採血結果によると腫瘍マーカーは、正常範囲ではあるもののまた上昇していた。前回の造影CT検査から5ヶ月経過しているので、そろそろやりましょうか、ということになり、月末に予約を入れて頂いた。また、昨年はちょうどタキソテールの投与が始まる前に季節性インフルエンザの予防注射もして頂いたので今年の様子を伺うと、季節性については未定、新型については現在院内で調査中、ということでまだ時間がかかるとのこと、夫と息子の分はかかりつけのクリニックで予約を入れたのだがすでに出遅れて最速で11月末ということだった。慌てて自分の分も帰宅後、予約を入れた。

点滴が開始するまでもやや時間があり、看護師さんとは一昨日の大会のお話などをした。持っていた本も二冊読み終わり少しうとうとしたところで終了。

病院のエントランスには金木犀の生垣。この香りで毎年10月を実感する。もちろん10月はピンクリボン月間なのだが。そろそろ年賀状の早期注文のお知らせ、なども舞い込んできた。本当に早いことだ。

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2009.10.6 ハーセプチン62回目

2009-10-28 19:12:32 | 治療日記
去年の今頃、腫瘍マーカーが上がりだした。当時のメモを見ると、“月初めで採血、レントゲン撮影。関節痛と滅入る感じあり(当時はフェマーラ服用中)。左肺1箇所に大きい白い影。腫瘍マーカーCA15-3 39、TPA60”で前月、正常上限値を少し超えた程度だったのをさらに上回っている。

小康状態が続いている現在ではそれなりに冷静に綴ることが出来るが、この後、毎回数値が上昇する一方の時には精神的に結構きつかった。仕事も繁忙期を迎えていた。7月のハーセプチン開始以降週4日の勤務となったため、出勤日には超過勤務をして仕事の帳尻あわせをしていたので、長期に休むことについてなかなか踏ん切りもつかなかった。あの時、もし同じ患者仲間の相談相手がいたら、きっともっと心強かっただろうと思う。

7月の“初夏のお集まり”で2人の方とメルアドを交換して、時々メールを交わしている。“何の説明もいらない、ただ同じ病気を経験している”という事実がこれほど大きなことだったんだ・・・と改めて実感した。自己紹介で涙ぐむ方もいらしたけれど、事務局・Tさんの「みんな、同じよ」の言葉に癒された。それまで大勢の人の前で病気のことを話したことはなかった私だったが、本当は話したかったんだ、と思った。一人じゃない、って素晴らしい。病気になってしまったことは決して嬉しいことではないし、どなただったかの闘病記で「がんよ、ありがとう」とまで書いた方がいたけれど、私はそこまで人間が出来ていないので、とてもそうは言えない。ただ、心配してくれる昔の友人と四半世紀を超えた旧交を深めることが出来たこと、そしてこの年になって患者会という新たな出会いがあったこと、この2つは病気からの大きな贈り物だと思っている。

あいにく朝から雨。採血は30人待ち。不思議と今日は針を刺す痛みがなかった。そういう時は感謝をこめて「痛くなかったです」と一言。「ほんのちょっとの角度なのだけれど」と看護師さんの弁。その後、結果が出るまで1時間半近く内科の前で読書。診察では「先週以来の胸の痛みは特に酷くなることもなく」とご報告。「こんな天気のせいか眠くて、だるくて・・・」と言ったところ、「(そう言ったのは)今日2人目です」とのこと。日が短くなってきたし、雨降りで暗いお天気なら当然か。ただ痛みで眠れない、というより良く眠れすぎて、のほうがずっと幸せだろう。白血球は3900で特に問題なし。

診察後、点滴が始まったのはお昼頃。今日はポートへの刺針でも殆ど痛みがなかった。どうしても同じ所を刺すので皮膚が硬くなってきているけれど、特に心配はないそうだ。週1回の点滴なので、内出血跡が治らないうちにまた新しく針を刺すことになる。点滴椅子で小説を1冊読み終わり、少しすると終了。今日は会計後、薬局に寄ることもなくそのまま駅へ向かった。
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