ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2017.9.29 そういうふうにできている

2017-09-29 21:41:52 | 日記

 さくらももこさんの著書に今日の標題と同じエッセイがあった。
 これは妊娠・出産を経験してのお話で、自分も母になった頃、興味深く拝読したと記憶している。一方、今日の記事はヨガの智慧も絡めて、の話題である。

 ヨガの世界では自分が言葉にしたこと、行動したことは全て自分が種を蒔いたこととして、全ていつか自分に戻ってくることになっている。
 幸せや優しさ、ポジティブな種を蒔いておけば、そういう種が育って周りまわって花や実になって自分にやってくる。逆にネガティブな発言や行動をすればその時は同様に・・・、ということだ。

 何か虫の居所が悪かったり、心に闇を抱えるような状態であったとする。その時、周りの人にネガティブな言葉をぶつければ、その時はああ、スッキリした!と思うかもしれない。けれど、その言葉は結局のところ巡り巡って自分のところに戻ってくる、というわけ。
 だから、そうした言葉は出来る限り口にしない、そうした行動も取らない。
 同時に理由なくそういう言葉を人様から向けられても、それを必要以上に重く受け止めて反芻したり、落ち込んだりする必要は、ない。
 この智慧を知り、実践することが出来るようになって随分楽になった。

 もともと小心者だから、人から何か言われれば落ち込むし、気に病んでいた。何故だろう、何がいけなかったんだろうと考えて、その理由が思い当たらない場合でも。
 でも、ヨガの考え方では、それについて自分がその人に対して何らかのジャッジをしたり、怒ったり、恨んだりすることは必要ないのだ。
 その時その時、自分が出来ることを精一杯、ただ素直に幸せに行っていればよい。後は世界に委ねるだけ。

 あらゆることは必ずその種を蒔いた本人に戻っていくように出来ている。
 “そういうふうにできている”からだ。嬉しくない言動を受けてそれに対して仕返しのようなことをしなくても大丈夫、逆にそういう言動をとれば自分に戻ってくる。だからお任せすればよいということだ。

 先日、ある方のブログの記事を読んでいて、おお、良くぞ言ってくれました!というものがあった。
 私はこのブログでその分野の話題は避けるようにしている。けれど、このところ書きたくても書けなくてちょっと悶々としていたまさにそのことを、それこそ痛快なまでに一刀両断に文字にしておられたので、わあ、凄いな!と思ったのだ。

 けれど、上の考え方によれば、コメントで「良くぞ書いてくれました。私もそう思っていて・・・」と色々毒を吐いてしまったら、結局、自分がいつかその毒の種を刈り取らなければならないと気付いたのだ。

 最近ではPCに向っているより、ヨガをしたり本を読んだり映画を観たりすることに余暇を割いているので、読ませて頂いているブログもごくごく少なくなった。体調管理しながら仕事と家事に取られる時間を引くと、自分のブログを書くことさえ毎日時間が取れないくらいなので、人様のブログにコメントを入れるエネルギーや時間はすっかりなくなっている。
 なるほどな、と思ったり、え?そうなの、と思ってもただ読ませて頂くだけ。それに対してコメントするのは、今の私にとって結構大変なことだ。

 文字を打ち込んで送信ボタンをポチッとするだけではないかといっても、それが共感だったり賛辞だったりポジティブなものならまだしも、ポジティブでないことを、頭の中で思っているだけでなく、文字という形にして残すという作業はハードルが高い。その一線を超えるにはやはり負のエネルギーが必要だ。これを敢えて言葉にし、文字にしてしまうとそれが自分の中でダークな形で定着してしまうと感じる。

 世の中には本当に色々な人がいる。
 皆が幸せになるには、まず自分が幸せで穏やかな気分でいなければ、と思う週末である。


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2017.9.26 職場婦人科検診結果到着雑感

2017-09-26 21:26:00 | 日記
 日中は汗ばむほどの気温でも朝夕はすっかり涼しくなってきた。学内の彼岸花は既に花の盛りを終え、気付けば金木犀の香りが鼻をくすぐる。秋まっしぐらといった風情だ。

 さて、今月初めに受診した職場婦人科検診の結果が届いた。
 とりあえず、術側の左乳房が要医療継続であった以外異常なし、ということでほっとした。

 子宮がん検診:頚部細胞診、内診、経膣超音波
  総合所見 特記すべき所見なし。
       細胞診(頸部)NILM(陰性)
  総合診断 異常なし 今後も検診を受けてください。
     
 こちらはその場でのコメントとほぼ相違なしである。

 乳がん検診:視触診、超音波
  総合所見 視触診(右乳房)今回の検査では異常所見は認められませんでした。
       (左乳房)手術瘢痕 かかりつけ医の指示に従って医療を継続してください。
       超音波(右乳房)今回の検査では異常所見は認められませんでした。
       (左乳房)手術瘢痕 かかりつけ医の指示に従って医療を継続してください。
   総合診断 かかりつけ医の指示に従って医療を継続してください。

 昨年に引き続き“検診レベルでは”ということを差し引いても健側に明らかに異常所見がないということに胸をなでおろす。もちろん過信してはいけないけれど、先日の健康診断の結果も含め、ひとまず急ぎ対応しなければならない健康上の大問題はなし、今のペースで多発転移乳がん治療に専念していいですよ、という一安心を頂けたということだ。
 まあ、このところの両肺の影の増悪を考慮に入れ、年内にCT撮影が予定されているので、年明けからの治療薬変更も視野に入れてということだけれど。

 先日ホスピスに入られたと伺い、患者仲間とともにショックを受けていたMさんのこと。ほどなく旅立たれていたことを知った。勉強熱心で患者会ではいつも最前列に座ってメモを取っておられた姿が忘れられない。
 「ありがとう。思い残すことは何もありません。」という潔くも天晴れな最期だったとのこと。テレビを見ながら「疲れた」と仰ってそのまま眠るような旅立ちだったとも聞いた。苦しまれずに、ということが分かって、救われた思いだ。

 こうして長く治療を続けてきて、ともに頑張ってきた同志だと勝手に思っていた仲間たちが一人、又一人とその闘いを静かに終えている。
 けれど、誤解を恐れずに言えば、だから私も・・・、次は私かという発想は、したくない。ネガティヴに考え出したらきりがない。いつもいつも病気のことばかり考えたくない。

 確かにステージ4歴がもうすぐ10年の患者であることは厳然たる事実だけれど、治療の副作用でダウンしている時以外は至って元気に好きなことをさせて頂いている。そのことに感謝してもしきれない毎日である。
 
 帰宅すると、今月2回目のお花が届いていた。ピンクとオレンジ、クリーム色の薔薇が合わせて4本、白、オレンジ、赤、淡いピンクのガーベラが1本ずつ、ドラセナの葉。花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「神秘」であるという。
 華やかな組み合わせ、Mさんの訃報で沈みかけた心が少しだけ晴れやかになった。
 こうして少しでも健やかな気持ちで日々が送れたら、病気も少し大人しくしていてくれるのではないかと改めて思う秋の夜である。
コメント (6)
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2017.9.25 見えないものを見る、内観にチャレンジ~ハタフローヨガ・インテンシヴコース3日目

2017-09-25 20:54:51 | ヨガ
 瞬く間に9月も最終週、ハタフローヨガ・インテンシヴコース3日目を迎えた。
 今回はレポート提出の課題があった。このところいつも気になっていて、チョコチョコと教科書にメモはしていたものの、投与後体調不良の時はそれどころではないのが正直なところで、まとめて取り組めたのは昨夜になってからのこと。どの程度のレベルが合格水準なのかわからないけれど、とりあえず書いたもののコピーを取ってからベッドに入ることが出来た。

 今日は一日残っていた夏休みを頂いた。夫が出張で直行直帰ということで、いつもより出かけるのが遅く、月曜の朝というのになんとなくまったりムード。朝のうちに先回りして出来る家事を済ませ、昼食時間も摂れるようにゆとりを持って家を出た。

 いいお天気。スタジオへ向かう坂道を上ると汗ばむほどだ。ランチを済ませ、開始30分ほど前にスタジオに到着。今日もM先生がお出迎え。開口一番「宿題やってきましたか?」と。「はい、一応。(レベルに達しているかどうか)自信はありませんが・・・」とお答えすると、「あー、良かった、大丈夫!」とニッコリ微笑まれる。

 一つ前のクラスの後片づけが済んだところで、早めに到着した数人でマットの準備をする。今日は2名が体調不良のため、19名の出席とのこと。それでも心は皆が一緒にいると思って学びましょうとM先生。
 まずは宿題のレポートを提出。胡坐を組み、合掌をしてチャンティング(マントラの詠唱)からスタート。M先生にリードされて19名が声を揃えてパタンジャリの祈りを唱える。今習っている先生に敬意を払い、その学びを分けて頂くために行うものだ。M先生が師事するK先生流だという初めてのメロディだったが、とても音のバイブレーションの調和がとれた良いチャンティングだったとお褒め頂く。

 初回、2日目は座学が多かったという声があったので、今日はいよいよ実際に動きます、とM先生が仰る。それでも座学の部分を伝えないとインテンシヴコースが他のクラスと同じになってしまい、コースをやる意味がない。このコースの後にレギュラーレッスンに参加した方を見ると、確実に身体の動きが変わっている、伝えたことが身体に影響するのだということを実感している。自分ではすぐに分からないことも例えば1年後に突然ワーッと判る日が来るので、それを楽しみに待ちながら練習してほしい。とはいえ、期待し過ぎたり求め過ぎたりせずに粛々と練習を積み重ねてほしい、というお話があった。うーん、楽しみだけれど奥が深い。

 今回提出した宿題はクラスを構成する上でウォームアップの部分になる。M先生が学ばれたアシュタンガヨーガでは太陽礼拝自体がウォームアップだというが、太陽礼拝を毎日行うことが出来る人ばかりではない。そうなるといくら基本的な動きとはいっても、難しく深いものだから、初心者にとっていきなり太陽礼拝をやりましょう、では酷である。
 長く楽しくヨガを続けてもらうためには、太陽礼拝は少し横に置いておくことが必要とのこと。なるほど、細々とではあるが、10年以上ヨガを続けている私にとって、いまだ太陽礼拝はハードルが高い。難しいし、苦手意識満載なのである。

 なんとなく気持ち良くフローで動くクラスは、パッケージとしてはヨガらしくて良いものだけれど、慣れてくると身体がイマイチきちんと動いていないことに気づく。より細かく身体の動きにフォーカスして、その動きが身体にどういう影響があるか実感出来ることが重要だ。身体がよく動いてポーズが出来るのは嬉しいこと。だからこそ、身体を動きやすい状態にしてから(ウォームアップしてから)太陽礼拝を行うという進め方である。

 そんなわけで今日は太陽礼拝に行くまでの準備の動きをたくさん教えて頂いた。ただやみくもに練習しない。美しく優雅に動きながら、それらが自分の身体のどこに影響がある動きかを感じる。どこにどんな伸びがあるのか、それが理解出来たらどうしてこの動きを入れるか、動きの繋がりや流れ、順番等も考えながら行うことでクラスの効果を受け止められるようになるという。

 実際にガイドされる一つ一つの動きを皆で確認しながら行っていく。太陽礼拝に必要な肩、背骨、股関節の動きに加え、前屈やルックアップ、片足伸ばしのポーズ等々。
 今日私が一番大きく実感したのは、四つん這いになった時の両手重心の置き方。手の平ではなく、より手首寄りに重心を置き、力を入れて突っ張るのではなく、そっと置くようなやり方でバランスよく骨で立っている感じを得ることが出来た。今まで踏ん張っていてストレスを感じていたのが嘘のように自然にダウンドッグのポーズが取れたのに驚く。

 こうしたウォームアップだけで1時間かけたクラスを行っても良いけれど、それはなかなか大変なこと。だから一日の始まりである朝、5分早く起きてその日を健やかに過ごすための動きとして、バランスのとれた快適な動きを自主練習にすることが必要だという。なるほど、前日の疲れが溜まっているのに朝から太陽礼拝を頑張ってやり過ぎて、ますます疲れてしまっては本末転倒である。

 後半は具体的なクラスの組み立て方。今日のように内観して集中して行うのは初心者には難しい。あまりヨガをやっているという感じがしない地味な動きなので集中力が持たない。飽きたなと思ったら太陽礼拝を入れてみる等工夫が必要だ。クラスの組み立ては予定していっても、その時のクラスの参加者を見ながら、やるべきことをやるという瞬時の方向転換が理想であるという高度なお話も出る。

 続いて、見えないことに光を当てることに話が及ぶ。例えば「上に伸びて」といった時には土台がきちんと沈んでいないとフワフワ飛んで行ってしまって成り立たない。つまり、見えていない部分(土台)に光を当てないと成立しない。
 現実世界で生きていれば、楽しいことだけではなく苦しいことも多々あるわけだが、楽しくないことも糧になるのだから、安定的に“そこにいる”ことが大切である。ヨガは現実逃避ではないので、クラスの時だけ、スタジオの中だけ楽しいのでは不十分で、現実をより楽しくすることこそ必要だという。
 これぞ陰陽の世界、ハタヨーガのお話に繋がる。ポーズやアライメントなど、外に出ているものは分かりやすいが、自分の中のものをコントロールすることで感情や思考など内にあるものも、見え易くなるわけだ。

 皆で自分に集中して太陽礼拝を行なった後、正座や胡坐になって目を瞑って自分の内面を見る時間を過ごした。終わった後、静けさ以上に繊細な部分に触れられた、あるいは、止まっていることで却って不安定さを感じた等々、皆が身体の感覚を微細にすることで味わえた感覚をシェアした。

 というわけで今日もあっという間に3時間が経過。
 今日の課題は、今日以降練習を重ねていく上で、目に見えないといわれるもの、身体の中、自分のうちにある感覚、エネルギー(ヨガではプラーナという。)を出来るだけ多く見てきて、それを書き留めてくること。
 見えないものはモノでなくとも良く、感じることなども含める。あえてハッキリさせないということになった。ヨガをしていない時、すなわちヨガマットの上でなくても出来る時があるというが。うーん、難しい。

 明日からの1か月、これまで以上に自分を見つめながら身体の感覚に丁寧に寄り添いつつ過ごしていければと思う。
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2017.9.23-24 お彼岸の土曜日と一人静かな日曜日

2017-09-24 21:37:55 | 日記
 土曜日。
 いよいよ最終回まで残り1週間の連続テレビ小説をベッドの中で視た後、二度寝。1時間だけ・・・のつもりが2時間近く寝てしまう。相変わらず投与後の気持ち悪さと怠さで動きが悪い。
 ノロノロ起きて適当に朝食を摂り、クリニックに出かける夫を送り出して洗濯機を廻す。出かけたと思ったらほどなくして戻ってきて、どうしたかと思ったら、クリニックも薬局も何の貼り紙もなく閉まっていた、先生がまた具合が悪いのだろうか、と。私から今日はただの土曜日ではない、秋分の日で祝日だと言われ、ようやく納得した夫である。

 洗濯を干し終わって、ぐったり。リビングのソファに横になりながらダラダラウトウト。
 お昼はどうすると問われ、全然要らないんですけど・・・とも言えず、自分でテキパキと準備する夫から分けてもらって軽食。

 今日は父の納骨後初めてのお彼岸の中日。体調が許さなければ明日、出来れば今日と思っていたが、思い切って仏花を買い求め、最寄り駅発のシャトルバスに乗って父のお墓参りへ。さすがにお彼岸だ。いつもは2,3人しか乗らないマイクロバスが満席でもう一台出るので、そちらに乗るようにと言われる。2台目もあっという間に満席になり、定刻に発車。

 いいお天気のお墓参り日和なのか、墓地は混んでいる。どこのお墓にも新しいお花が供えられたばかりで、お線香の燃え殻も残っている。駐車場も一杯だ。
 夫と一緒にお花を供え、ラベンダーの香りのお線香を炊く。母にお参り報告の電話を入れ、再び最寄り駅まで戻ってきた。帰りもあっという間にバスが一杯になり、1台目が予定時刻より早めに出発。助かった。

 駅前で買い物を済ませてから夫と別れ、夕方からのリラックスヨガのクラスに参加。来月から地方転勤になるというYさんのクラスを予約したつもりだったのだけれど、インストラクターが変更になっていてちょっと残念。身体を動かすのが1週間ぶりなので、汗の出が悪く、代謝が落ちているのを感じる。
 帰宅後は夫が用意してくれた夕食を有難く頂く。さすがに朝も昼も軽かったのでお腹はぺこぺこだ。ドンペリドンを飲みはしたが、4日ぶりに空腹を感じて夕食を摂った。毎度のことだけれど、体調が復調してくると俄然気持ちが前向きになる。

 まだ時間が早いし、ということで、夫の眼鏡を新調しにアウトレットモールまでお散歩。すぐに出来るのが売りのお店だけれど、さすがに遠近両用の完成は10日後とのこと。その後お茶。暑くなく寒くなく夜風が気持ちいい。夕食後に夜遊びが出来るこんな季節はごく短い。ちょうど今日封切りの邦画が面白そうだ、と夫が言うので「ナミヤ雑貨店の奇蹟」をレイトショーを観てきた。豪華なキャスト陣、様々なエピソードでピースが繋がったラストシーンはなかなか良かった。でも、こういうお話は本で読んだ方がいいかも・・・。

 日曜日。
 今日もいいお天気になるようだ。夫が日曜出勤というので、寝坊もしていられず。夫を送り出した後は元気があるうちに夕食の仕込み。洗濯物を片づけ、合唱の音取音源をバックミュージックに復習しながら掃除を手早く済ませる。

 昼からは久しぶりにヨガベーシックのクラスに参加する。以前こちらのスタジオにいらしたKさんがヘルプで担当だった。お久しぶりですとご挨拶。人気なのか満員御礼、両手を伸ばすとお隣の方とぶつかりそうだ。ガイドする声がとても穏やかで、気持ちがゆったりして心地よく汗を流せた。良い1時間だった。参加する度に思うのだが、ベーシックのクラスは起承転結がとても上手く出来ている。

 夫から頼まれた買い物を済ませ、帰宅後はもう一度洗濯機を廻しながら一人で遅いランチ。ドンペリドンを飲まずに頂けた。今回は酸化マグネシウムも3度3度飲まずに便秘になっていない。
 洗濯物もカラリと乾いて、畳みながら録画しておいたがんの特集番組を見始めたら、結局、最後まで3時間も視てしまった。嗚呼、本当は夫が帰ってくる前にハタヨガインテンシヴコースの宿題をやろうと思っていたのに・・・。
 そうこうしている間に夫はいつもより早めに帰宅。さすがに疲れた模様だ。このところ、土日の夕食当番は総じて夫頼みだったので、久しぶりに日曜日に夕食の支度をした感じ。

 また明日から新しい1週間が始まる。9月も最終週。今年も余すところ100日を切ったと思うと、なんだかお尻がもぞもぞする日曜日の夜である。

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2017.9.22 オレオレ詐欺はすぐそこに

2017-09-22 20:48:40 | 日記
 毎夕のようにNHKニュースで注意が呼びかけられているオレオレ詐欺。
 銀行のATMにも街頭にもそうした注意喚起文やらポスターが貼られている。
 冷静に聞いてみれば、どうしてそんな変な話に引っかかるのだろうと思う。まあ引っかかることはもとより、数千万単位でお金を持っている(から渡せる)という高齢者の存在が一人や二人ではないことにも驚くのだけれど。
 けれど、その手口たるや、どんどん巧妙になっているようだ。ちょっとした違和感やひっかかりがあっても、ついつい自分に都合のよいように解釈してしまう、そんな高齢者の弱みに付け込む酷い話だ。

 我が家の母もあわやそうしたオレオレ詐欺に引っかかりそうになったという話。
 それが、たった一人の娘(私)や孫(我が息子)ではなくて、従姉の息子(つまり母からすれば娘より頼りにしている筆頭姪っ子の息子)を名乗って、というのだからその手の込んだやり口にビックリ仰天だ。
 「たまたま仕事で実家の近くまで行くので、帰りに寄ってもよいか?」という電話だったらしい。

 母はあいにく用事があるので、と断ったそうで、後で、その旨従姉のところに悪かったとお詫びの電話を入れたという。昨夏父が亡くなって1年余り。以来、毎日欠かさず実家に生存確認というか御機嫌伺いの電話を入れ続けていた私だが、一周忌が無事済んだあたりから、毎日昼休みに電話を入れるのはそれなりに負担なので1日おき、2日おきくらいにさせてほしい、とお願いしてソフトランディングしつつあるところだ。
 昨日は出張もあり、投与翌日の自分の体調も悪く、電話をしないで済ませた日だった。

 母からの電話の内容を不審に思った従姉が、今朝、独居している息子に本当に電話をかけたのかとLINEで確認してくれたところ「そんな電話はしない、それは呼び出しておいて代理人に行かせるオレオレ詐欺だよ、気をつけて」とわざわざ職場から電話してくれたそうな。それでコトで発覚したのである。

 従姉が母にはくれぐれも気をつけて、と電話を入れたけれど、一応ご報告まで、とLINEがあった。有難いことである。
 犯人にとっては残念ながら未遂に終わり、こちらも事なきを得てほっとしたが、本当に困ったものだ。

 電話を受けるときは決して自分から名前を名乗ったりしないように、とにかく非通知やら誰だかわからない電話は取らないように、知っている相手が話し出したのを確認してから受話器を取るようにと言っているし、夫が作ってくれた注意喚起の貼紙もしてあるが、なかなか大変だ。
 いつだったか、息子が電話したら名乗る前から「あら、◎◎(息子の名前)君?」と応えてしまったという。息子が「おばあちゃん、あれじゃダメだよ~」と言っていた。

 父が生きていた頃、実家周辺でオレオレ詐欺被害が頻発した時に交番の巡回があって、我が家の電話番号も犯人が所持していたリストに入っていたので、気をつけるようにというお達しがあったと聞いた。一体どこで手に入れたやら・・・。
 高齢の母の独居、いつまで続けられるか分からないけれど、気をつけさせて気をつけすぎることはない。
 とにかく関西に下宿中の息子がいきなりそんな電話をすることはないし、都心で働いている従姉の息子からだってそんな電話がある筈もないのだから、と昼に実家に電話してダメ押ししたのだけれど。

 今回のことも母によくよく聞いてみると、「●●(母の名前)おばさん、わかりますか」と言われ、変だなと思った(だいたい母を●●おばさんという呼び方で呼ぶ甥や姪はいないのだ。)けれど、「うーん、わからない・・・○○君?(従姉の息子の名前)」と自分から名前を出してしまったらしい。アチャー、こりゃ息子の言うとおりダメである。次回以降、○○だけど・・・、と名乗って電話をされたら一発だ。

 母の名前は電話帳にも表札にも出していない。とはいえ、悪い輩がその気になってちょいとポストを覗けば名前だって確認するのは簡単なことだ。
 敬老の日が済んでまだ日も浅い。体調も優れず、嫌な世の中であることよ・・・と思ってしまう自分が哀しい秋の夜長である。
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