ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.3.31 平成22年度の大晦日に寄せて=やっぱり生きたい=

2011-03-31 21:00:53 | 日記
 先日、あけぼの会の講演会に行った時のこと。私たち再発患者に完治はない、ということを認めながらも、今それぞれがそれぞれの治療に頑張っているのは、他でもなく、とてもシンプルな理由だ。やっぱり「もっと生きたいから」なのだ、と今更のように思った。

 治療が長期にわたってくれば(というか、再発したのだから治療は生涯続くわけで)当然辛いことはあるし、精神衛生上良くないことも沢山ある。いつもあきらめず前向きに頑張ろう、と思ってはいる。けれど、哀しいかな、いろいろな検査結果や普段はないちょっとした症状にその都度動揺し、薬のチェンジの必要があるか、そのタイミングはいつか、などなど悩みは尽きない。当然滅入ることもあれば後ろ向きになることも、ある。そんなことをものともしない強靭な精神力の持ち主は、そうはいないのだ、と思う。

 それでも、うつ病の診断のための9つの身体症状・精神症状の1つの項目である「希死念慮」・・・いわゆる死にたい・・・と思ったことは、能天気と言われるかもしれないけれど、不思議なことにこれまで一度もなかった。

 事務局のTさんもそうおっしゃっていた。プチ虹サロンのメンバーのSさんも「生きたいから、私たち、こんなに頑張っているんだよね。」と、Kさんも「(ここまで頑張ってきたからには)中途半端に死ねないよね。」と。全く同感だった。

 そう、当然ながら人間は生身だから不死身ではない。メメント・モリ・・・“死を想え”は言わずと知れたラテン語の警句である。それは今回の大震災で嫌と言うほど繰り返し突き付けられた事実だ。

 けれど、生きているからこそ、ということは沢山ある。私は46歳で再発・遠隔転移したから、いくら頑張ってみても、日本女性の平均寿命である85歳まで生きることは望むべくもないだろう。けれど、それでも1日でも長く、そして自分らしく精一杯生きたい。「3.11」以降、とりわけそう思う。

 やはり一日でも長く生きたい。なぜって生きているって素晴らしい!と思うから。
 だから、これからも休まずきちんと治療を続けよう。治療日にきちんと薬を投与して頂けるように体調を整えていこう。そうして命を一日でも長く繋いでいくことが、こうしてブログで発信している私の使命、そして襟持だと思いたい。

 今朝の読売新聞の編集手帳が目にとまった。以下転載させて頂く。

 ※  ※  ※  ※ [転載開始]

3月31日付 編集手帳
 生まれてまもない君に、いつか読んでほしい句がある。〈寒き世に泪(なみだ)そなへて生れ来し〉(正木浩一)。君も「寒き世」の凍える夜に生まれた。列島におびただしい泪が流れた日である◆震災の夜、宮城県石巻市の避難所でお母さんが産気づいた。被災者の女性たちが手を貸した。停電の暗闇で懐中電灯の明かりを頼りに、へその緒を裁縫用の糸でしばり、君を発泡スチロールの箱に入れて暖めたという◆男の子という以外、君のことは何も知らない。それでも、ふと思うときがある。僕たちは誕生日を同じくするきょうだいかも知れないと◆日本人の一人ひとりがあの地震を境に、いままでよりも他人の痛みに少し敏感で、少し涙もろくなった新しい人生を歩み出そうとしている。原発では深刻な危機がつづき、復興の光明はまだ見えないけれど、「寒き世」は「あたたかき世」になる。する。どちらが早く足を踏ん張って立ち上がるか、競争だろう◆原爆忌や終戦記念日のある8月と同じように、日本人にとって特別な月となった3月が、きょうで終わる。名前も知らぬ君よ。たくましく、美しく、一緒に育とう。(2011年3月31日01時21分 読売新聞)

[転載終了] ※  ※  ※  ※

 あの日から私は今までよりも他人の痛みに少し敏感で、少し涙もろくなった新しい人生を歩み出している、と思う。
 平成22年度の大晦日、職場では期せずして今日をもって勤務終了になり、涙した方もいる。
 そして明日から新しい平成23年度が始まる。誰しもが忘れられない悲しみの3月を胸に抱えつつ、日本人で良かった、生きていて良かった・・・と皆が思える新しい年度にしたい、と思う。

 体調だが、やはり、昨夜以来お腹は気持ち悪いし、食欲はない。火照ってもいる。涙は年中滲んでいるし、鼻水も出てうっとうしい。けれど、こうした副作用も全て生きているからこそ、だ。

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2011.3.30 ハーセプチン132回目、ナベルビン11クール1回目

2011-03-30 21:58:40 | 治療日記
 今日は私鉄の時刻表が変更されてから初めての通院日。私鉄もJRもほぼ通常運転ということだったが、節電のためエスカレーターやエレベーターが止まっており、乗換にも時間を要した。結局JRでは病院の最寄駅まで全く座ることが出来ず、憔悴した。

 何とかいつもどおりの時間に病院に入り、採血受付。月末だからかとても少なく、わずか10人ほどの待ち人数。15分ほどで無事終了。今日は白血球のチェックだけなので1本。針刺は痛くなかったが、抜く時になぜか痛かった。
 内科受付に移動して、1時間ほど待って中待合へ入り、診察室に呼ばれたのはその30分後だった。検温しながら前回からの2週間の様子を報告。投与後翌々日まではお腹の気持ち悪さと火照りが相変わらずだったこと、その後いつもの胸の圧痛・鈍痛があった後に、1日右胸のずきずきする痛みがあったこと。その後治まっている。座っていたり横になっているとなんともないが、立ったり歩いたり重いものを持ったりということがきっかけで痛みが出ることをお話しした。そのほか、目の周りと鼻の周りがそれぞれ涙、鼻水のためにただれて痛いことをお話しすると、「花粉症が怪しい。(私の住まいが)花粉が多く飛ぶ地域なので、飛散が多い年には出る人が多いですね。普通の涙や鼻水に比べて、花粉症等アレルギーで出る涙や鼻水は組織障害物質があるので皮膚を荒らすのです。」とのこと。いよいよ私もか・・・、とがっかりする。「まだ飛散は続くので、近々近所のクリニックで診てもらった方がいいですね。」と言われた。
 今日は白血球が2700と少なめだが、次回はもう少し上がっているだろうということで、予定通りハーセプチンとナベルビン投与となる。また「胸痛等の症状があるので、久しぶりにCTを撮ってもいい時期だと思います。被爆の話はありますが、だいぶ間隔が空いているし大丈夫でしょう。今回のクールが終わってからがいいです。」とのこと。来月の11日に予約を入れて頂き、その場で同意書に署名して診察室を後にした。

 化学療法室へ移動。窓側の椅子は満席で、内側の椅子に案内されるまでに15分ほど待つ。これでは今日もランチタイムには間に合うまい、と売店でお昼を調達して戻った。
 血圧測定をし、ベッドに移って針を刺した後、本を読みながら薬が届くのを待つ。
 お昼過ぎに無事スタート。ハーセプチン、デキサート、ナベルビン、生理食塩水の4本で3時間ほど。再度血圧測定の後、抜針。今日は抜ける際の衝撃はなかったが、ジリジリと時間がかかって抜かれる感じでチクチクした。
 会計を済ませ病院を出た。今日の病院滞在時間は6時間半。
 花粉症の可能性が濃厚だということなので、これからはまたマスクをしっかりしなければ、と強い風の吹く中、帰路を急いだ。

 今日は2冊読んだ。
 谷村志穂さんの「海猫(上)・(下)」(新潮文庫)。
“島清恋愛文学賞”受賞作だという。選考委員の一人であった小池真理子さんが解説を書いておられる。「最初の十数ページを読み進んだあたりから没入していく自分を感じ、やがて気づくと選考する立場であることも忘れ、一読者として夢中になって読みふけっていた。」とある。
 確かにグイグイと読ませられた。膨大な時間のうねりの中に描かれる、何世代にもわたった人間たちの織りなすドラマ、しかもなんとも悩ましくも瑞々しい色香に満ち満ちた作品・・・と書かれている通りだった。谷村さんご自身が札幌生まれで北大出身だ。本作でも北大でのキャンパスライフ、函館の風景=特に正ハリストス教会は我が家にも小さなミニチュアがある=等の描写にも引き込まれた。

 それにしても今月は地震の影響もあり、本当に本が読めなかった。本を読む気分になれなかったというのが大きい。普段はとても見ないほど長い時間、テレビのニュースを流しっぱなしにしてしまったので、とても小説等本の世界に感情移入できなかったのだ。
 ふと昨年と読んだ本の数を比べてみたら昨年は3月末現在で100冊だったが、今年はまだ60冊。3月だけで比べれば34冊対17冊で実に半分だった。
 それでもだんだん気持ちが落ち着いてきて、また本を読みたくなってきた。自分のペースで読んでいきたいと思う。

 早くもお腹の気持ち悪さが始まった。また不眠にならないようにゆっくりぬるめのお風呂に入って早く休もうと思う。
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2011.3.29 送る春

2011-03-29 19:53:46 | 日記
 昨日、4月1日付異動の内示が出た。大地震があっても、計画停電があっても、異動は通常通り行うのだな・・・とぼんやりと思う。もちろん地震が発生する前に異動にかかる準備はほとんど終了しているのだから、それを反故にして止め置くということは、これからの長期戦を思えばあまりに非現実的だったのだろうけれど。

 私は異動希望を出していなかったけれど、今は1~2年で動くということも決して珍しいことではないので、内心ちょっとハラハラしていた。とりあえず残留。首がつながった感じだ。本当に有難いことに今のポストなら、週1の通院を続けつつ、超勤をすることもなく仕事と家庭と治療を両立することが出来る(と自分では思っている)からだ。
 だが、来年はまた悩むのだろう。3年はひとつの異動のタイミングだ。平日に通院する代わりに、その分を土日に出勤して補てんする等の無理をすることなく、自らの職責を果たすことの出来るポストが、この厳しい時代にどのくらい残されているのだろう。

 そんなわけで、今回も見送る役となった。異動することになった何人かの方と、先週末から今日にかけて、営業を再開した学内のレストランでランチもすることが出来て、とりあえずほっとしている。地震以降、なかなか通常営業が叶わなかったのだ。

 明日はまた通院日で休暇を取らなければならない。
 今年度で退職する方、最終日をお休みにされる方等、今日を最後にお目にかかることのない方も数多くいるだろう。他のキャンパスからこちらに戻ってくる方も、別のキャンパスに異動する方も、派遣が終了して本庁に戻る方も。そして新規採用者も。
 自分は同じ席に座っていても週末からは新しいメンバーとの新しい年度が始まる。言い古された言葉だけれど、春は別れと出会いの季節だ。

 形式的なことではあるが、派遣法に基づき、明後日付で知事宛に、あと3年間の派遣延長に同意するという書類にも署名して提出した。次回、3年後にも元気にこの同意書にサインをして出すことが出来るだろうか。

 久しぶりに今日は暖かい一日だった。これで平年並みだという。日差しは明るく春らしい。花粉は「非常に多い」と、天気予報では関東地方は真っ赤に塗り潰されていたけれど、やはり嬉しい。

 14日以来続いている計画停電についても、平日としては初めて全面中止となった。ほっとした。
 どこを見ても地震前には考えられなかったほどの大胆な節電をしているのは事実だ。だが、私たちがこの環境に慣れることが出来れば、そして、これまでのように湯水のように電気を使わなければ、今年の夏が猛暑かどうかは別として、頻繁に停電しなくとも乗り切れるのではないか、と考えるのは甘いのだろうか。


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2011.3.28 止まった時間

2011-03-28 20:36:55 | 日記
 地震の日にテーマパークに足止めになり、翌日の夜に帰宅した息子は、何度も書いた通り、それ以来1日も登校できていない。中学校からは、4月4日までは登校禁止の通知が来た。4月5日が臨時登校日で、中学時代の荷物を持ち帰ると同時に学年末テスト、成績表、卒業証書等をいっぺんに頂いてくることになっている。
 そして、翌日は新入生オリエンテーションで高校の教科書等を頂き、さらにその翌日が入学式の予定だ。

 当たり前だけれど、地震翌日以来お友達とも一切会うことが出来ない。これが地元の中学校ならもっといろいろ行き来があるのだろうけれど、なにぶん近くに住んでいる友人は本当に少ない。同じ最寄駅の子が唯一一人、次に近い子は電車で3駅+バスという感じだ。そのため、息子の中ではテーマパーク以来時間が止まっている感じだ。何か話し出すと、そのことしか話題がない。可哀想だけれど、もういいよ・・・、とこちらは食傷気味だ。

 本人とも相談して、今日から塾のコマを入れた。本当は、今頃はスキーに出かけていることになっていたので、塾に行くのは4月最初の3日間だけという予定だったが、あまりに手持無沙汰であるのに、だからといって一人で勉強するなどとても期待できる状況ではないので、ようやく今週だけ、と説得してOKを得たところだ。
 あまりにどこにも行くところがなく、ひたすら家でお留守番状態。しかも、ひたすら流れ続ける地震や原発関係の映像。映画館もスポーツクラブも計画停電のために変則営業で、様子を見ながらおそるおそる行ってみる感じ。友人とはメール連絡はしているようだけれど、そうそうすぐに返事があるわけでもなさそうだ。
 1人でスポーツクラブに行って走るのにも飽きたそうだ。塾で先生や同じ年くらいの子どもたちに会うことで、少しは気分が紛れてくれればよいのだが。

 そして昨夜、最寄駅が同じお友達と今日の午後に、塾の後でお昼を食べてから遊ぶ、という約束をようやくとりつけていた。遊ぶ、といってもひたすら携帯ゲームの対戦なので、なんだかなあ・・・ではあるけれど。息子は、テーマパークでの武勇伝を私たち夫婦以外の誰かに話したくて話したくて仕方がないらしい。親はその話に辟易しているのだけれど、彼の中では全く不完全燃焼なのだろう。今日は話を聞いてもらうために、テーマパークでお土産にもらってきたクッキーを持っていく、とまで言って張り切っていた。
 今日から少しでも彼の”止まった時間”が動き出すことを願いたい。

 それにしても毎日寒い。青空だけれど風が冷たく、相変わらず冬のコートを着込んでいる。昨日はショートジャケットを着て出かけたら背中がスースーしてそれはそれは寒かったので。

 久しぶりにプチ虹の皆や患者会の方たちにお会いして興奮していたのだろう。昨夜は本当に眠れなかった。3時くらいまで目がギンギンに冴えてしまい、早朝お手洗いに起きてそれっきり。それでも不思議と高揚しているせいか疲れや痛みはない。本でも読めばよかったなあ、とちょっと後悔した。

 休み明けの事務室は、計画停電モード明けで空調が全く入っていない。それにしても寒い。外に出ているのとほとんど変わらない。またもコートを着込んで仕事をした。

 そうはいっても、学内のハクモクレンの花が美しく開き始めている。青空のもと見上げると私まで背筋がすっくと伸びる感じだ。都内では桜の開花宣言もあったようだ。あれほどの大震災があった後にも、植物たちは自分の出番をちゃんと知っていることに今更ながら驚く。
 間違いなく春は近い。立ち止まらずにうずくまらずにきちんと前に進まなくては、と改めて思う。

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2011.3.27 第30回あけぼのハウス講演会参加

2011-03-27 22:46:31 | あけぼの会

 今日は、あけぼのハウスで昨年4月にもお話を伺ったことのある大西秀樹先生(埼玉医科大学国際医療センター・精神腫瘍科教授)による「治療のために必要な心のケア」の講演会に参加してきた。

 直前まで体調があまり思わしくなかったので、今回は見送ろうか・・・と思っていた。が、プチ虹のサロンの二人のSさんと、Kさんも参加されるという連絡が金曜日にあり、お会いできるなら・・・と、遅ればせながら締切ぎりぎりに申し込んだ。
 テーマからいえば、今、聞いておいた方がよい、と思ったのだ。「地震後、ずっと心が痛み続けています。お話を伺うことで、少しでも前向きになれればと思います。」とメールで申し込みした後、会長さんから直々にメールも頂き、とてもありがたかった。「Let’s support each other!」というメッセージだった。

 会場に行く前に2人のSさんとランチをしながら、先月お会いしてからの近況報告等=自分のことも地震のことも=をした。あらためて、ああ、私は地震後のこの半月、ずーっと皆と話したいと思っていたんだと実感した。
 地震後で参加者は少ないのかも・・・、と思ったけれど、とんでもない。先月と同じくらいたくさんの会員の方たちがお見えになっていた。顔見知りのレギュラーメンバーも数多くいらしていた。

 講演は「がん」という言葉の意味するもの=医療関係者とすれば「進歩」だが、患者は「死」を思う=、患者は治療をする中で多様なストレスに晒されるため、100人の患者がいれば50人に精神科の診断がつくというところから始まった。
 誰でも悪い知らせがあれば不安やうつ状態になるけれど、その長さと深さが問題である。正常反応であれば2週間経たずとも消えるが、2週間続けば適応障害、さらに長くなればうつ病となることを、グラフを用いて説明された。うつ病の身体症状が出ているのに化学療法の副作用と間違えることがある。体がだるい、食欲がない、考えがまとまらない、めまい等の身体症状は心の問題の可能性があることを疑う必要がある。がん医療ではうつ病の見落としがある。心と体はつながっている、ということをお話しされた。

 そして大切なことは、悩みを打ち明けることのできる家族や友人の存在である、という。このことは本当に日々実感していることだ。
 一つ驚いたのは、副作用の吐き気を止める薬(ノバミン)が5人に1人の割合でアカシジア(静坐不能症)を引き起こす、ということだった。下肢のムズムズ感、イライラ感等は薬をやめないと治らないという。これにより不眠となるのは本当に辛いようだ。実際に自分が試しに飲んで、一晩中階段昇降を続けたドクターがいらしたとのこと。とてもびっくりした。副作用止めで新たな別の副作用が出るのは本当に辛いことだ。

 家族のケアについては、家族は第二の患者であることを強調された。100人のがん患者の家族がいれば30人に精神科の診断がつくとのこと。ストレスは患者と同じか、家族の方が多いくらいだという。家族に患者がいるということは、肉体的には健康であっても精神的には相当な負担を背負うことなのだ。だからこそ、家族はもちろん医療や社会的な仕組みを通して、皆で協力しないと乗り切れない、ということだろう。

 その後、大西先生と外来で集団精神療法を行い、心理士として働いているという石田さんからお話があった。一番怖いのは決めつけてしまうこと=たとえばもう自分はダメだ等=、とお話を開始された。人それぞれに、これまでの人生で身につけた考え方のクセがある。たとえば、犬の散歩を頼まれたと仮定したときに、「犬がかわいい」と考えていれば、散歩は「ワクワクすること」で「喜んでやること」だが、「犬が怖い」と考えていれば、散歩は「憂鬱」で「どうしよう、無理・・・」という反応になる。
 また、「友人のしが新聞に掲載された」という文章で、「し」の部分は「死」「詩」「師」「志」「滋(賀)」等思いつく字が数多くあるが、最初に思いついたものは1つでも(それがたとえ「死」であっても)、もう少し広くよく考える、思い込まずに他にもあるのでは、と思うことが大切である。
 悩みは深く果てしないかもしれないが、困っていることが漠然としているのか、あるいは具体的にはどういうことか、漠然としたものであってもそれを突き詰めて、不安という大きな石を砕いて小さくしていくことが大切である。
 小さい不安の塊の中には、実はすでに解決しているもの、考えても仕方ないもの等が集まっていることがあり、小さくしてしまえば、それを持ってでも前に進めることに気づく。これを問題解決療法という。できることを探し、できていることに気づくことが大切、と言うお話には素直に頷いた。

 もちろん先が見えないという今後の不安は、私たち再発患者にとってとても大きな不安であるけれど、こうして講演会に出かけることが出来ている、ということはとてもありがたいことだ、と改めて思う。

 講演後、「冷静に考えれば、そうだよねと思えることも、いざ直面すると厳しい」という感想を事務局のTさんがおっしゃった。いつもの弾けるようなパワフルな笑顔がなく、お痩せになっておられ、会長さんもおっしゃっていたとおり、本当にとても心配だ。
 会長さんが最後の閉めで福島支部・いわき市から参加された方に桜の花をプレゼントされていた。一同拍手だった。乳がん患者会として今回の被災地の方たちには何もできないが、個人的にできることはしてほしい、会としては宮城、岩手、茨城県の会員あてにはがきを出そうかと思っている。年会費は自己申告で被災された、とすれば今年は無料である。これまでの阪神大震災、新潟地震の時もそうしてきた、とおっしゃった。

 講演が終わり、現場で合流したKさんと4人でお茶をして帰宅した。今回の地震後、心の痛みが体の痛みを引き起こしたのを実感した。本当に心と体はつながっているのだ。そして情けなくもずいぶん弱気になってしまった。けれどみなさんにお会いして本当に良かった、と心から思った。
 次回の再会を約束して別れた。

 帰路、今日1日の長時間の外出を快く送り出してくれた夫と息子に春物のトップスを贈り物に買い、最寄駅まで出迎えてもらい、また外食してしまった。
 日本の経済活性化のために、ちゃんと消費する、という理由をこじつけつつ。


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