ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.10.31 採血後腫瘍内科診察、急遽レントゲン撮影後ハーセプチン203回目(3倍量再開14回目)、マーカー上昇、さよならゼローダ

2018-10-31 22:03:58 | 治療日記

 昨日は勤務終了後、一旦帰宅してから食事の支度をして、その後帰宅した夫と一緒に夕食。なんとなく疲れ気味なので、早めに家を出て(夫が荷物を持って送ってくれた)、そのまま病院最寄り駅に近いホテルに向かった。行きの車内でNHKスペシャル取材班による「がん治療革命の衝撃 プレシジョンメディシンとは何か」(NHK出版新書)を読みだしたら止まらず、チェックイン後もそのまま一気に読み終えてから入浴。安眠ピロースプレーのおかげか、あっという間に眠気が襲い、普段より2時間近くそのまま寝てしまった。

 明け方1回お手洗いに起き、あと2時間眠れると寝直したのが運の尽き。モーニングコールがうんでもすんでもなく、なぜか採血が上手くいかずに何度も刺されて血が止まらないと困っている夢を見て、目を覚ますとなんと7時である。気づけばいつもモーニングLINEを入れる夫から先にLINEで「大丈夫?」とある。慌てる。  モーニングコールの設定が中途半端で、最後に押すボタンが押せていなかったようだ。うーん、取説どおりに設定したし、初めて泊まったわけではなく。前回はどうしたっけ、と思いながら慌てて身支度を整えて1階のレストランへ。エレベーターがなかなか来ないので非常階段で降りる。なんだか大阪北部地震に遭遇した時のことを思い出す。

 ぱっぱと朝食を済ませ、新聞を持って部屋に戻り、朝の連続テレビ小説を視てからチェックアウトして病院へ向かった。

 朝夕冷え込むようになった。それでも空気が乾いて青空が広がる気持ち良い朝だ。ここの所ようやくお天気が安定してきて嬉しい。日中は20度を超えて過ごしやすい気候になるという予報。病院に到着し、少し並んでIDカードを通してから、採血の受付番号を取る。40番。月末だからなのか採血待合が空いている。電光掲示板には7分待ちとあったが、すぐに室内に入ることが出来て、大荷物を整理する間もなく順番になった。今日は初めての男性。名札を付けていないので名前もわからない。紙テープにしてもらったけれど、何本取ります、という確認もなくいきなり刺される。痛い。今日はフル検査なので5本なのだけれど、採血中ずっとチリチリ痛み、抜針も痛んだ。あれは正夢だったのか、ちょっとついていないスタートだ。
 止血しながら向かいの腫瘍内科へ移動。

 今日のお伴は、小池真理子さんの「モンローが死んだ日」(新潮文庫)。それぞれの孤独を生きる男女の心の揺れを描いた濃密な心理サスペンス、ということで700頁弱の厚みに挑戦したが、もう序章を読みだしたら止まらない。なんとなく舞台である軽井沢に近い場所も想像出来て、どんどん読み進めた。
 今年は読書のペースがかなりダウンしているけれど、折しも今週は読書週間で昨日新刊を色々買い込んだ。やはり本を読むのは楽しい。読書の秋である。
 
 小一時間の待ち時間、かなり集中して本を読んでいたので中待合へどうぞの番号が出てから慌てて呼吸を整えて血圧測定。119-70、脈拍は74。

 それから30分ほどして先生がお顔を出された。
 ご挨拶して椅子に座る。私の顔を見て開口一番「うーん、しんどくなっているように見えますね~」と言われる。
 「はい、ちょっと疲れ易くて怠いです。」と言うと、「マーカーが上昇しているんですよ。」と言われる。画面に検査結果が出ている。赤字が目に入る。5月から連続して上昇中で、先月より2割増し、ゼローダを始めた今年の初めよりも高くなってしまった。(帰宅して確認すると、この10年の間で最も高い・・・)「肺の病変も大きくなっているし、マーカーも上がる勢いだし、治療もしんどそうなので、もうゼローダで治療を粘るのはやめたいです」と仰る。

 ああ、今回は1年持たせられなかったか、とちょっとガックリ。「ただ、9月にCTを撮影したばかりですし、CTを撮るには早い。それほど非常事態というわけではないと思うが、ゼローダの次の治療の当てが全くないならもう少し頑張るのもありかもしれない。が、まだ選択肢があります。1番目はハーセプチンにハラヴェンとパクリタキセル(タキソール)、2番目はハーセプチンにパージェタと同じくパクリタキセル。ただ、出来ればドセタキセル(タキソテール)がいい。そして、3番目は大胆に久しぶりにハーセプチンにホルモン剤フェマーラ等をやってみる。2,3か月試す価値はある。間が空くと効く人もいるので。腫瘍量が多くなるとこういう博打は打ちづらいが今ならやってみる価値はある。」とのこと。

 すかさず、「今も手足の痛みや痺れがあり、この状態でタキサンを加えるのは(嫌です)、ハラヴェンも白血球が下がって予定通り治療が出来るかどうか不安だし、出来れば(脱毛のある)タキサンなしで、ハーセプチンとパージェタだけでやりたい。ドセタキセルはトラウマですし」と訴える。
 先生が仰るには、ハーセプチンとパージェタだけでの効果があるのは1次治療の人で(エビデンスがある)、(私のように)色々前治療歴がある人に本当に効くかどうかわからない、とのこと。ただ、(身体を休ませるという)お得感を考えれば(私がお得が好きなのをよくご存じである!)ハーセプチン+内服でフェマーラ、アリミデックス、アロマシンのどれかかな、と。

 「とりあえずすぐにレントゲンを、今日は正面と側面2枚撮ってきてください。」と言われ、ご挨拶して診察室を出、腫瘍内科受付に事情を話して2階のレントゲン受付にダッシュする。

 2階のレントゲン受付はそれほど混んでいなく、すぐに受け付けてもらえて中待合で座って待つ。ほどなくして名前を呼ばれる。嗚呼、まさかレントゲン撮影になると思わなかったので、ワンピースを着ている。普段なら検査着を使わないのに、男性の技師さんが「ああ、ワンピースですね、ではズボンも」と上下の検査着をお借りすることに。トホホ、申し訳ない。
 急いで着替えて撮影に。正面、左側面から撮影して無事終了。再び着替えて1階に戻る。所要僅か15分。
 腫瘍内科受付に戻ったことを伝え、再び中待合で待つ。

 10分ほど待って名前を呼ばれると、既にPC上に前回2か月前と今回の正面の画像が並んでいる。先生が仰るには、レントゲン画像上では2か月前とあまり変化なし、とのこと。見てわかるレベルの増悪ではなさそうだ。ただマーカーは上昇を続けており肺の病変がゆっくり大きくなっているのは事実である。
 そこで先生が5月以降のマーカーのグラフを普通に表示させる。一見グングン上がっているように見えるが、y軸を対数に置き換えるとそれほどの急勾配ではなくなる。そして、時系列も同様に対数表示にするとまあ微増を続けている感じに見えなくもない。ペースとしてはゆっくりです、と仰る。いつも仰るように、マーカー値の上昇よりも画像上と体調(の変化)が大切だとのこと。

 体調は、といえばここのところ左のわきの下が痛んだり、乳房の横にぽっちりとした部分が気になっていたのだけれど、レントゲンでは問題なさそうなのでほっとする。下痢も収まっており、痛みも朝のロキソニンプラスアルファで収まっている。それほどの体調の悪化は感じないが、まあ気持ち悪いこともあり、その都度ドンペリドンのお世話になっているし、仕事を終えるとぐったり怠いし、疲れ易いのは間違いない、とご報告。

 一番期間が開くとすると、タモキシフェン(2008年の再発前に3年近く内服)かフェマーラだが、閉経後と考えればフェマーラの方が期待できるという。フェマーラは転院して再発後にすぐに使ったけれどあまり長く続けられなかった。アロマシンは飲んだことがあるが、アリミデックスは飲んでいない。
 ということで、飲んだことのないアリミデックスを処方されることになった。今度悩まされるのは関節痛やホットフラッシュか。念のためアリミデックス、ハラヴェン、パクリタクセル、パージェタのガイドブックも頂いた。

 「手足は痛いし、どす黒いくて猿のようだし、あちこち色素沈着がこのまま続けていると顔まで黒くなってきそうで・・・」と言うと、「確かにそうですね、それで結構しんどくなっているのが判るし、うんと効いているわけでもないので、ゼローダはもう止めて良いです。もちろん増悪のペースはゆっくりなので、効果がゼロというわけではないから絶対止めるというタイミングではないけれど、しんどい思いをしてあまり効果がないのはもったいないし、ここぞという時にちゃんとした体調で治療を始めたいので」と。

 診察室での体温は6度6分。採血結果はマーカー以外は特に問題なし。PCを覗くと白血球は4,300あり、好中球も1,600あった。肝臓も今のところ大丈夫そうとのこと。

 次回は3週間後にレントゲンとフル採血の予約が入る。年内はあと2回だ。「薬はアリミデックス3週間分、ロキソニンはどうですか。」と訊かれ、「まだ残っていますので大丈夫です。ミヤBM錠ももういらないでしょうか。」と訊くと、「念のため5日出しますので、適当にやめて良いです。」とのこと。実にシンプルになった。

 ご挨拶して診察室を後にした。化学療法室に入ると、待合椅子が一杯。ひとまずお手洗いを済ませて呼ばれるのを待ちながら夫やお友達に報告LINEしながらやり過ごす。
 しばらくして助手さんから窓側の一番奥から2番目のリクライニング椅子に案内される。

 15分ほどしてヘルプのSさんが針刺しに見えた。お名前の通り針刺しが静かで上手なSさん、お久しぶりだ。「わあ、嬉しい。Sさんで良かった。朝の採血がついていなかったので」とお話している間にすっと痛くなく針が刺さる。「お母さまはいかがですか。」と問われ、なんとかヘルパーさんの助けを借りながら一人暮らしを続けていること、来月からデイサービスを考えていることなど近況報告。「それがいいですね。」と言って頂く。無事逆血も確認。

 もう15分ほどしてOkさんが薬をセットしにきてくださった。今日の状況報告をして「今の調子ではとてもタキサン3剤はきついので、次は是非ハーセプチンとパージェタの2剤でと先生に訴えましたけれど・・・」と言うと、「(今回の選択は)いいと思います。でも粘りましたね。最初の副作用の様子ではこれほど続かないだろうなと思っていました。大分減らしはしていたけれど。」とのこと。「ジンジン痛くて皮が薄くなって赤くあちこち黒い点になっています」と言うと足裏を触って確認してくださる。私はゼローダも出来れば1年は粘りたかったけれど、確かに最初の状況を考えれば10か月も繋げたのは良かったのだと思う。お墨付きが頂けてほっとする。

 ハーセプチンと生理食塩水で1時間半。終了間近に血圧を測って頂くと、120-64、脈拍は60。
 抜針もOkさん。ちょっぴりの衝撃で相変わらずの早業である。ずっと根を詰めて本を読んでしまったので、ちょっと疲れるが、たっぷり眠ったので眠気はない。
  
 総合受付で会計。ほどほどの混み方だったけれど、本が佳境に入っているので待ち時間はあまり気にならず。30分ほど待って病院滞在時間は5時間ほど。採血・レントゲンと点滴の3割負担の3万円強をカードで支払う。
 外は陽射しがあり、いいお天気。かなり暖かい。
 薬局は数人が待っていたので待ちを覚悟する。30分ほどで済む。治療の変更を説明し、アリミデックスとミヤBM錠のみで3,000円ちょっとをカード払い。こんなに安かったっけ、と思う。これではミヤBM錠がなくなると現金払いになる。

 病院と薬局の合計滞在時間は6時間弱。ちょっとぐったり。まだそれほど空腹を感じなかった。JRが人身事故で運転は再開したけれど遅れている模様だった。ひとまず来た電車に乗り、途中駅でランチと読書の続き。

 夕飯のお弁当(ハロウィンの可愛い手巻き寿司等があったのでゲット)等買い物をして最寄り駅まで戻った。御贔屓の会社のタクシーがいたので、迷わずそれに乗り無事帰宅した。運転手さんがとても感じよいので、実家でも我が家でもいつもここに決めていると褒めたらキャンディまで頂いてしまった。荷物も多いし、疲れていたがいい気分だった。

 生協からの食品を運び入れてから、あと少し残った本を読んでいると夫が帰宅。味噌汁を用意してくれて、本を無事読み終えた私は買ったお弁当やサラダを並べて味噌汁を盛り付けただけ。

 夜はミヤBM錠を試しにやめてみた。明日からはちっちゃいアリミデックスを朝1錠飲むだけ。2か月でも3か月でも身体を休めて体調回復に励みたい。悪い細胞が久しぶりのホルモン剤にびっくりしてなんとかおとなしく休眠してくれますように。
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2018.10.27-28 久しぶりにのんびりまったりの2日間

2018-10-28 20:43:34 | 日記

 土曜日。朝の連続テレビ小説をベッドで視た後、しつこく2度寝。久しぶりに朝寝坊出来る幸せな朝である。とにかく、この2日間は絶対に電車に乗って出かけないことを誓う。
 ノロノロ起きたら、夫がブランチだといって結構ボリュームある食事を用意してくれた。これではとても昼食は要らない感じ。お腹一杯頂いてから掃除と寝具等大物の洗濯に励む。

 もろもろ懸案事項の家事を済ませ、夫と久しぶりに自宅のダイニングテーブルでお茶をしてから、最寄り駅前のヨガスタジオへ。
 初めて2つ連続でレッスンを予約した。ホットヨガの普通のクラスだと汗ダクになり、とても2つ連続などは考えられないが、1つ目はマスターレッスンの愛の瞑想クラス。常温で1時間半、殆ど座ったままのクラスだということで。トップインストラクターのTさんが担当された。まずは瞑想のお話を20分ほど。ヨガマットとバスタオルを駆使して楽に座っていられる環境を整える。

 続いて完全呼吸法、カパラバディ、カウント呼吸(8拍で吸って、2拍で吐く→2拍で吸って、8拍で吐く)と種類の呼吸。カウント呼吸では、 “吸う”より“吐く”方を長く行う(たとえば4拍で吸って8拍で吐く)のに慣れていたので、長く吸って短く吐く最初のものはちょっとやりにくかった。30分ほど座っていただろうか。動かないでいるのは結構辛い。

 ここで10分間シャヴァーサナ。ひたすらくつろぐ。眠ってもいいです、とのことだったので、あたりからは寝息が。
再び座り直して、瞑想タイム。呼吸に集中する瞑想の後、イメージ(自分が生まれてから節目節目でこれまで会った全ての人を出来る限りリアルに思い出し、その人が自分の名前を嬉しそうに呼んでくれるのをイメージする)の瞑想、祈りの瞑想を30分ほど。シャヴァーサナ後に座り直した時にはちょっと足が辛くなったが、なんとか組みなおすことはしないでいられた。

 瞑想ヨーガでキールタンを3回歌ったり、3回祈ったりする時には、1回目は自分の幸せ、2回目は自分の大切な人の幸せ、最後、3回目に世界の幸せを祈るのだけれど、今回は自分、自分の周りの人、生きとし生ける者に加えて、自分が嫌いな人、自分を嫌いな人にまで対象が増えて5回になっていた。けれど、不思議なことに自分が嫌いな人や自分を嫌いな人についてはリアルにイメージできなかった。
 終了後は隣の方と感想をシェア。「座っているのが辛かった、修行だった」ということだった。確かに座り慣れていないとこれほど長時間はきついだろう。私も途中辛くなかったといえば嘘になるけれど、イメージ瞑想はとても楽しかったとお話した。

 すっかりリラックスして、2つ目のレッスンはリンパリラックスヨガ。ずっと座っていたから、ちょっと身体を動かしたいと思ったところでちょうど良い強度のレッスンだ。かつてリンパプラスヨガという名称だったものがリニューアルした模様。そして、スタジオでみっちり4時間近くを過ごし、シャワーでさっぱりした後夫と合流した。

 アウトレットモールをウインドーショッピングした後はイタリアンの夕食を摂り、久しぶりに夫の趣味のレイトショーを観て帰宅した。
 朝が遅かったせいかちっとも眠くならず、2時間近くハラハラドキドキしながら。このまま悲惨なラストだったらどうしようと思ったけれど、ひとまずほっとするラストで良かった。ちなみに観たのはブルース・ウィルスの「デス・ウィッシュ」。
 帰宅後はあれこれ片づけて、就寝したのはすっかり日付が変わってからになった。

 日曜日。今日も少しだけ寝坊。とはいってもそうそう長く寝ていられるものでもない。朝食の支度をした後は、ずっと手付かずだったインテンシヴコースのノートの記入。息子からのややこしいお小遣いをねだるの電話にも時間が取られる。
 昼からは美脚ヨガのクラスに参加した。たっぷり汗をかいてすっかりリフレッシュ。シャワーを浴びてさっぱりしてから夫と待ち合わせてランチを摂り、その後は買い物に。1点だけ買うつもりが2点買うと割引!に釣られて、またしても散財をしてしまった。トホホ。

 お茶をしてから食料品の買い足しを済ませ、のんびり帰宅した。再び洗濯機を廻して、久しぶりに日曜日に夕食の支度をして、ゆっくりと夜を過ごした。

 こんなにまったり夫と自宅にいたのはどのくらいぶりだろう。そもそも休日に家で朝食と夕食以外の食事やお茶をする時間がなかった。
 この2日間、たっぷり時間があったので、年末の旅行や来年の夏の旅行の手配まで早々としてしまった。
 さあ、これでまた目の前に人参がぶら下がった。それに向けて体調管理をしながらしぶとく生き延びたいものである。
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2018.10.27 祝・ブログ開設9周年!

2018-10-27 10:27:49 | 日記

 自分で「祝!」もないものだが・・・の書き出しで例年書いてきた。一昨年は、気付けば1日過ぎてしまったのだった。そのため“来年もまた、あまりナーバスになることなく、ふと気づけば、あれ、開設から8周年過ぎていたな、と思うような感じでゆる~く過ごしていければと思う。”と結んでいたが、昨年は無事思い出して当日に記事をアップしていた。

 今年は気付けばこれでもか、と言うほどあれこれ予定を突っ込みヘロヘロになって過ごしつつも、事前にこの日に気づくことが出来た。恒例の校友会音楽祭も終了し、母の術後3年検査も無事クリアし、夫の内助の功(!)も果たせ、ようやくの土曜日だ。さすがにこれまでの疲れが溜まりに貯まっているので、今週末は電車に乗らず(遠くに出かけず)家事に勤しむことにしている。
 このところ土日(三連休もいくつかあったのに)といえば殆ど潰れていたので、本当に久しぶりに家にいる感じだ。まあ何を言ったところで自分が決めているスケジュールなので自業自得であるが。

 産休中のSさんのスタジオには、月1度のインテンシヴコース以外殆ど通えなくなっている。通院日前夜のクラスがほぼなくなってしまっているし、それ以外の平日、仕事を終えてから都心に出向く元気も体力も到底ない。地元のヨガスタジオにだけ細々と通えているレベル。行けば気持ちよいのは分かっていても、いつのまにか街路樹は赤に黄色に染まり、日暮れは更には早くなり、あっという間に真っ暗。気温も冷え込んで夜に出かけるハードルは高くなっている。

 さて、この9年間で記事の数は2,400を超えた。今日の記事で2,462を数える。昨年の記事によると、8年間で2,241だったので、この1年で221だ。まるで今書いておかなければ二度と書けないかもしれない・・・と衝かれたように、まるで追いまくられるようにほぼ毎日書いていた以前に比べ、更新ペースはすっかり落ちている。けれど、それでも3日に2日弱は書いている計算だから、特別なネタもない、平々凡々かつ淡々とした50代後半女性の生活を考えれば、十分だろうと思う。

 10年半にわたる通院化学療法を続けながら、ごく普通の生活を送ることが出来ている体力と環境に、そして、家族、友人、職場の方たちを含めた沢山の方たちに支えられて生き永らえてこられたことに、今年も心から感謝したい。毎年、同じことを繰り返せることがどれだけ幸せなことかを噛み締めている。

 繰り返しになるが、振り返ればこの9年の間には言葉には尽くせないことが多々あった。冷静に考えれば、使える薬がどんどん減り、後がなくなってきている筈なのに、不思議と再発治療を始めた頃のような悲壮感はなくなっている。これもヨガの智慧、そして、日々自分らしく精一杯生き切れていると実感出来ているおかげだろう。心は穏やか、凪いだ海のようである。今、自分が出来ることを精一杯やったら、後は世界に委ねるだけ。なるべくしてなる、そして、それはきっと最善の結果になる、と思うだけで良いのだ。

 ともあれ、今年もこうしてこの日が迎えられたことの喜びを改めて噛み締めている。9周年。来年を迎えることが出来れば10周年。これからは15周年を目指して、などと余り欲張るつもりはないけれど、それでもまだまだ頑張りすぎずに頑張って、その歩みを止めないで済む限り地道に生きていきたい。
 次に目指すところは1年後の10周年。正直ここまで続けてこられるとは思わなかった。
 丑年の私、望むべくはたとえ牛歩の歩みであろうとも一歩一歩、一年一年の積み重ねである。

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2018.10.25 ゲゲゲの“奥”様同伴!

2018-10-25 20:55:32 | 日記

 夫のことを他人様の前で話題にする、もしくは呼ぶ際に、一度たりとも“主人”と呼んだことがない。相当な跳ねっ返りなのかもしれない(いや、そうなのだろう)。あくまで私にとって夫は主人ではなく、配偶者であり、連れ合いである。だから夫、である。

 そんな私が生まれて初めて奥様同伴で、という夫の会合に同席することになった。
 我が家では私は“奥”様なんて存在ではない。奥に控えて内助の功などということは30年近くやってきた覚えがない(威張っていうことではないだろうが・・・)。息子が家を出てからは、あちこち好きなところを飛び回って、さながら“外”様といった感じか。かえって再発後から今日まで、夫の内助の功でうんと支えられているのが実態だ。

 その夫が、長年の仕事としてきた分野で功労者として表彰して頂けることになった。最初、白封筒を見せて「奥様同伴っていうけど、休めないよね、行けないよね?」と夫から問われた。うーん、その週は母の介護休暇も取得するし、どうしようかしら・・・と迷ったのだけれど、こんなことは一生に1度あるかないかのこと、これまでの不義理を詫びるつもりで、思い切って休暇を頂いて同行することにした。

 せっかくだから、と調子に乗って、ブラウススーツとバッグ、靴も新調した(夫にはこれが目当てだったかと言われている。)。夫も(では、と口封じのために)先日百貨店で誂えたスーツをお召しになることになった。夫のふるさとの言葉を使えば、夫婦揃って、普段はありえない平日に“じょなめて”のお出かけであった。
 
 ところが、昨日の昼食辺りから俄然体調不良になった。昼食はあまり食欲がなく、なんとか少しだけお腹に入れたけれど、席に戻ってからは生唾が出るわ、生あくびが出るわ、気持ち悪く怠く、たまらない。前日に休暇を取っていたせいでメールも仕事も結構溜まっていて、午前中かなり根を詰めて仕事をして疲れたせいか。休薬の最初の数日は服薬中よりも却って体調が悪いのはいつものことなのだけれど。なんとか夕方、定時までやり過ごし顎を出しながら帰宅した。

 それでも帰宅すれば生協のお届け物はあるし、洗濯を取り込んで畳まなければいけないし、食事の支度も、とやることは山積。あれこれやっているうちに夫が帰ってきて、途端にガックリきて、火にかけた料理もあとは宜しく…私は食べられません、になってしまった。
 全く食欲がなく、吐き気が酷い。ソファで横になって夫が食事をするのを横目で見る。昼も軽かったので空腹には変わりない。それでも生唾が止まらないし、無理に入れたらまた嘔吐になりそう。空腹のせいで胃は痛くなってくるし、下腹部はゴロゴロしてきてお腹も調子が悪い。何も食べないと薬も飲めないし、とドンペリドンを飲んで少しだけ夕食を摂り、早々に入浴してベッドに入った。

 夜中に2度お手洗いに起きたけれど、嘔吐と下痢にはならずにほっとした。いつもより早く起床。やはり身体が重い。朝食もこわごわ頂く。
 都内横断なので長丁場。慣れない朝の通勤電車でずっと立っていく元気はとてもないので、2駅先の駅からの始発に乗って座って行こうと言うと、夫がこの電車なら途中で絶対座れるから、という電車に乗った。ところがどっこい、確かにポツポツと空いた席はあったが、私たちの前はさっぱり。結果的に地下鉄乗り入れ駅までの小一時間全くの立ちん坊。夫にブツブツ文句を言いつつガックリ項垂れ、地下鉄乗換駅で始発に乗り換えて30分弱。会場最寄り駅に到着した。
 いいお天気。真っ青な空、秋晴れの快晴である。駅に到着して楽なカバさん靴から黒のヒールに履き替える。

 会場前は、開会30分前というのに既に人混みで凄いことになっている。各県の垂れ幕やらのぼりやら賑やかだ。全国各地から1,000名を超す人たちが集まっているという。
 早速、夫がいつもお世話になっている職場の方たちにご挨拶、広報担当の方から夫と一緒に看板前で記念写真を撮って頂き、受付へ進む。ロビーの人混みの中、あちこちで夫から「○○の○○さん」などと紹介され、ずっとお辞儀。到着するまでに既に疲れ果てていたから、かえって大人しそうに見えて良かったのかもしれない。

 指定席は中央の前方でまさにS席。定刻に式典が始まり、大臣や会長挨拶の後、大臣表彰、会長表彰と続く。
 人数が多いので表彰状授与は代表の方お一人だったけれど、巨大なスクリーンに各都道府県の受賞者の名前が映し出され、なかなか壮観だった。
 各賞ごとに該当者が起立。横で夫が立って、なんとなく誇らしいようなくすぐったいような。

 大臣やら議員やらの来賓祝辞が終わり、2時間の式典が無事終了。
 食堂で和食のお弁当を頂き、夫の知人と一緒に写真を撮ったりしているうちに午後の観劇会開始の時間に。観劇会は某人気歌手のお芝居と歌謡ショーがセットになっている。昨夜と今朝の体調を見て、食事をしたらさっさと帰らせてもらおうと夫が言っていたのだけれど、ドンペリドンを飲んでお弁当もそこそこ頂けて気持ち悪さも軽減。折角だから、とひとまず観劇させて頂くことになった。

 役者さんたちの台詞が受賞者たちに大サービスだったし、劇より歌が本職だからか、後半の歌謡ショーも派手な演出で光と音、ご本人の強靭な喉に圧倒された。ご本人はいつも妙齢の女性たちから○○くーん♡と黄色い声で呼ばれるのに慣れているのに、今日は男性がやたら多くて、最初は戸惑っていた様子。それでも最後は皆で大きな拍手で幕が閉じた。

 会場にいたのはなんと7時間近く。そこから再び最寄り駅まで延々と帰ってきた。それでも今度はちゃんと席を確保していたので、本を読んだりウトウトしたり。
 最寄り駅に到着したのは普段仕事が終えて帰宅する時間より遅くなり、すっかり真っ暗だったけれど、夫もお友達とのグループLINEに「妻が同行してくれていい思い出になりました」などと打っていたので、まあ良かった良かった。

 帰宅後は洗濯して簡単な食事を作って、さあ、あと1日頑張ればようやく予定のない土日である。もうひと踏ん張り。
 ゲゲゲの女房ならぬゲゲゲの“奥様”同行の木曜日であった。

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2018.10.23 術後3年、無事クリア

2018-10-23 23:08:28 | 日記

 今日は短期介護休暇を頂き、朝から母が通う病院へ向かった。3年前に直腸がんの手術をした母が、先週受けた各種検査の結果を伺うことになっている。
 昨日までの秋晴れとは打って変わってお天気は曇天。気温も低く、今にも雨が降り出しそうだ。相変わらず晴雨兼用傘は持ち歩いているので、荷物にはなるけれどお守り替わりだ。こういう不安定な天気だと胸痛が気になる。今日からゼローダ休薬期間に入り、ほっとしたところなのだけれど・・・。

 実家に寄って出直すとあれこれ大変なので、予約時間に病院で直接待ち合わせにした。ところが、乗り込んだバスが大渋滞。途中でびくとも動かなくなった。降りて歩ける距離ではないから、バスの中でイライラしても致し方ない。病院に向かっている母に携帯電話で連絡を、と思ったが電話を取り出すのにモタモタして、それがきっかけで転んだりしたら大変なので止めておく。

 結局、病院到着が診察予約時間より15分ほど遅れてしまう。母には外科の前の待合椅子に座っているようにと言ったのに、探してもどこにもいない。私が遅いので心配になってエレベーター前をウロウロしていたようだ。うーん、こういう時はじっと動かず同じ場所にいてくれた方がよいのだけれど・・・。
 予約時間の5分後に呼ばれたが、私がまだなので後回しにして頂いたとのこと。中待合で看護師さんに到着を告げて、暫し待って母のとりとめもない話を聞く。
 15分も待たずに呼んで頂けた。
 
 7月にお目にかかって以来3か月ぶりのS先生だ。遅れたことを詫びてご挨拶。母が先生の前の丸椅子に腰かけ、私は脇のベッドに座らせて頂く。PCには採血結果が表示されている。

 「お加減いかがですか」と訊かれ、母は「はい、なんとか・・・」と応じている。まずは「どの検査も特に問題はありませんでしたよ。」と言って頂く。すぐに採血結果をプリントアウトしてくださったけれど、私なんぞよりずっと立派な数値だ。白血球も5,300あり、ヘモグロビンも12.5。前回の健康診断で悪玉コレステロールが高いといわれ、たんぱく質を控えた方が、とかかりつけの内科医に言われてすっかり気にしていた母。私が「体重が34㎏しかない80代半ばの高齢者なのに、これで食事をしなければあっという間に低栄養、フレイルになってしまう、気にしなくていいよ。」といったのですが・・・と言うと、S先生も「そのとおりです、気にしないで大丈夫ですよ。しっかり食べた方がいいと思いますよ。」と言ってくださる。ようやく母も納得した模様で、ほっとした。

 大腸内視鏡では小さな憩室はあるが特に問題ないこと、手術で継ぎ合わせた部分もとても綺麗で、クリップ状のものは見えるが傷跡は全くない。造影CTでも肝臓等他の臓器への再発・転移もみられないとのこと。無事術後3年検診結果クリアである。ひとまず大きなヤマを越えたことになる。私は3年経たずして再発・転移したので、3年クリア出来たことは誠に喜ばしい。こと乳がんは5年経過してもまだまだ再発率は下がらないなんとも深情けの病だが、大腸がんは3年経過で随分その率が下がり、5年で無事卒業出来るようだ。
 それでは次回は3ヵ月後、年明けに採血して診察しましょう、となった。母は夜中にお手洗いに起きると中途覚醒してしまうと言っていたのでそれも説明し、いつも頂いている入眠剤と便秘改善に酸化マグネシウムを処方して頂いた。

 まだ10月で、良いお年を・・・というのも憚られ、「本当にほっとしました。引き続きどうぞ宜しくお願いします。」と診察室を後にした。優しくて穏やかな女医さんで母はラッキーである。

 1階に降りて会計待ち。自動支払機で支払を済ませ、母を病院の待合で待たせて私だけ薬局へ移動する。肌寒い。パラパラと雨が降り出している。困った。母は傘を持っていない模様だ。薬局は混雑しており、待合椅子は一杯。30分弱の待ち時間だった。

 薬局では中途覚醒が気になるようですと言うと、今の薬は入眠剤なので、あまり酷いようなら中途覚醒の薬もありますから先生に相談してみてくださいとのこと。但し、入眠剤のように90日という処方は出来ないようだ。また便秘が酷そうだが、量が多いと下痢をしてそれが怖いようだというと、今は330mgの酸化マグネシウム錠だが250mgもあるのでそれも相談されたら、とアドバイスを頂いた。

 再び病院に戻り、母をピックアップ。まだ霧雨がぱらついていたけれど、あまり酷くはなりそうにない。一旦家に帰って出直すのも大変なので、少し早めのランチにイタリアンレストランに入る。普段一人だとろくに食が進まないようだけれど、相手がいると美味しく食べられるということで、しっかり完食していた。お見事である。

 午後、ケアマネさんと福祉サービス会社の方が自宅訪問してくださることになっていた。前回の介護認定から2年、更新のタイミングである。お茶菓子を買い求めながら帰宅する。先日の台風で壊れたガレージの屋根の応急処置を確認し、裏の瓦の様子を見たりしてから家に入って仏壇で父への焼香を済ませる。

 85歳3か月、曲がりなりにも何とか一人で暮らしているし、認知症というわけでもない。要支援2がランクダウンしたら・・・と心配していたけれど、おかげさまで調査の結果、引き続き要介護2の認定が継続という。

 これまで週3日ヘルパーさんに掃除や洗濯、買い物等のお世話をして頂いていたけれど、何分一人暮らしでそれほど部屋を汚すこともないし、ヘルパーさんの訪問を週2日にして、デイサービスに行ってみようかしら、と言う。人と関わって一緒に何か楽しんだり、食事をしたりするのはボケ防止にもなるし是非行ってみたら?もし嫌ならやめればいいのだから、と背中を押してみる。

 ケアマネのSさんに申し出てみると、Sさんも福祉サービス会社の方もそれはいいですね、と仰る。日々生存確認の電話はしているけれど、誰とも口を利いていないから、となんだか滑舌が悪いことがある。転倒が何より心配だから、自分ひとりでどこかに出かけて行くのはしんどくても、送迎車が玄関まで来てくれるなら安心だ。本人は毛糸も沢山あるから編み物や洋裁もやってみたいという希望。早速該当する場所を見つけて見学に行くことになった。

 父ほど我儘ではないし、集団付き合いもそれほど問題なさそう。見学時には同行して契約等手続きもあるのでまた休暇を頂くことになりそうだけれど、色々なアクティビティ等で気分転換が出来、お友達と一緒に食事も摂り、1日を過ごすことが出来れば何よりだと思う。どうぞよろしくお願いいたします、とお二人をお送りした。

 お二人が帰った後は、保険会社の書類を記入したり、頼まれた事務仕事等を済ませ、お茶で一服。その他何かやることがあれば、と母に確認し、無事お役御免となったので、実家を後にした。

 自宅に戻って洗濯等を片付ける。夫は宴会で遅いのをいいことに、一人で適当に夕食を済ませた。ひとまず懸案事項、ミッションクリア。嗚呼、よかった、と思う満月の夜である。
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