ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.1.31 シナリオにすれば生きやすくなるか?

2013-01-31 19:58:19 | 日記
 今朝出勤すると、事務室の窓口改修工事が無事終わり、ピカピカの白いカウンターとお揃いのドアにロールスクリーンの目隠しが下がっていた。
 呼び出しのベルの音も、今まではごく普通の音だったのだが、チャイムになっていた。そのチャイムの音、どうも聞き覚えがある・・・と思ったら、実家のインターホンと同じであった。何やら落ち着かない気分である。

 早くも1月最終日。明日からは2月だ。陽射しは日一日と春めいてきているように思う。
 さて、何回かご紹介している毎日新聞のコラム「診察室のワルツ」最新号に、またもなるほど、と思わされたので以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

診察室のワルツ:/42 病と生活するシナリオ=岡本左和子(毎日新聞 2013年01月30日 東京朝刊)

 友人のAさんから電話を受けました。彼女は「左手首が痛くて動かしづらく、今は右肩から手首までも痛くなってきた。2日前からは両足の指の関節が痛くて歩くのもつらい。昨日は夜中に足の裏が痛くて跳び起きた」と言うのです。さらに「内科医から『血液検査もエックス線検査も問題ない』と言われ、整形外科などの専門医に紹介されたが、そこでも原因が分からない」と訴え、最後は「自分はどうなってしまったのか」と泣き出してしまいました。医師の指示に従っていますが、彼女は自分の健康状態を受け止められないうえ、体の不調と病院通いに振り回されているようでした。
 彼女の話を聞き、私は友人のBさんを思い出しました。Bさんは子どものころに若年性関節リウマチを発症し、50年近く病を抱えて生きています。腰骨の置換手術は7回も受け、これ以上の手術はできません。それでも彼女は明るく、人を楽しませることが上手です。病を持ちながら多趣味で、自ら車を運転してどこへでも出かけます。私もBさんの車いすを押して、美術館や買い物、旅行に出かけます。そして、Bさんは助けが必要な時は遠慮なく連絡してきます。
 Bさんが、腰を痛めた友人に楽な車の乗り降りを教えたことがありました。その人が「それでも痛い」と訴えると、Bさんは「私はそういう痛みを抱えて毎日生活しているのよ」と、ほほ笑みながらも戒めていました。BBさんは、病を持ちながら生活する「シナリオ」を持っているのです。痛みがあるからといって消極的にならず、痛みは「あるもの」として生活を組み立てているのです。
 Bさんがユニークなのは、痛みなどの体調と「会話」することです。Bさんは、痛みも自分の一部と認め、それを嫌ったり否定したりすることはしないそうです。「今日は痛みが少し強いけれど、何に気をつけてほしいの?」と「会話」すると、「存在を認められた痛みが落ち着いてくる」といいます。
 「心の持ち方」の問題ですが、病を受け止める方法として一考の価値がありそうです。病や体調を自分の一部と認め、生活のシナリオを持つと、闘病に振り回されなくなります。(おかもと・さわこ=医療コミュニケーション研究者)

(転載終了)※  ※  ※

 もちろん、がん性疼痛は「心の持ち方」などと言ってはいられないくらい強いものかもしれない。けれど、とりあえず今の私は常時痛み止めに頼ることもなく、胸部の圧痛や鈍痛と付き合っている。だから、ここに出てくるBさんの痛みとの会話-岡本さんはユニークと書かれている-も、私にはとてもよく解るような気がする。というのも、知らず知らずのうちに私も同じことをしているからだ。(あれ、今日は随分痛いな、どうしたんだろう、おかしいな~)などと独りごち(変な人に見えるかもしれないけれど)、とりあえずゆっくり深呼吸を繰り返してみる。そうすると、痛みが存在を主張することなく落ち着いてきて、それ以上酷くならないことがある。

 哀しいかな、今後、この病気からすっかり解放されるわけでもなし、体調がいきなり今以上うんと良くなる、とも思えない(これは決して諦めている、というわけではない。)。だから、痛みも体調も半世紀以上生きてきた自分の一部と認めざるを得ない。そう、ここにあるように、病と共存しながら生活する「私のシナリオ」として認めていければ随分生きやすくなるのではないか。

 たまたま持病を持たずに元気に生まれてくることが出来たけれど、40年を過ぎたところで、あちこちに綻びが出てきてしまった。が、ここに出てくるBさんが、半世紀以上リウマチと付き合いつつ、明るく積極的に生きていらっしゃるように、いろいろな病と共存しながらも幸せな人生を送っている方は沢山いると思う。

 「辛い、痛い、何で私だけこんな目に・・・」と言い続けていても、体調や病状が改善するとは思えない。もちろん辛いことも多いし痛いことだってある。けれど、それも自分の一部、と思って生きたい(・・・言い聞かせているところもあるけれど。)。
 これからもしぶとく治療を続けながら、決して闘病に振り回されない生き方を出来るだけ長く続けていきたい、と強く思う。
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2013.1.30 フェソロデックス2回目

2013-01-30 19:43:11 | 治療日記
 今日は息子の誕生日。今日も塾に行くことになっているのだと思っていたら、誕生日なのだから今日は休んで普通の時間に皆と食事がしたいという。ケーキもあるよね、と念押しして出て行った。5年前は息子の17歳の誕生日を一緒に祝うことが出来るのだろうか、と本当に思っていた。
 そんなわけで、朝のうちに本人リクエストのメニューを算段し、病院に向かった。

 今日は診察とフェソロデックス注射だけの日で、予約時間も朝一番ではなかったので、いつも出勤する時間に家を出れば十分だった。
 乗り換え駅で始発の電車に乗り込み、しっかり席を確保して読書タイム。これまた引き込まれて、あっという間に病院最寄駅に着いてしまい、あわや乗り過ごしそうになる。本の紹介についてはまた後日。

 受付でIDカードを通し、腫瘍内科へ。自動血圧測定器の結果は115-57、脈拍は81。気付くとプチ虹のサロンのSさんから息子の誕生日祝いのメールが入っていた。いつもながら気にかけて頂いて本当に有難い。お礼のメールを返信した。
 予約時間になってもなかなか「中待合へどうぞ」の番号ランプが点かず、結局、一時間ほど待ってようやく中に入った。が、その後は早く、10分もしないうちに先生が顔を出された。

 「さて、どうでしたか。」といつもの質問から始まる。「おかげさまで副作用らしいものは殆どありませんでした。当日は右の注射跡が痛み、痺れのようなものがあって帰り道はちょっと心配でしたが、その後は、翌日に火照りがあったこと以外痒みが出ることもなく、硬くなることもなく、本当に楽でした。」とお答えする。その外には、いつもの胸部の鈍痛・圧痛があることをお話ししながら検温。36度4分。
 そして、気になっている左目の痛みのことをお話しする。一昨日に比べれば大分改善しているが、という前置きをしつつ、フェソロデックスの副作用の薬剤性白内障が心配だ、と訴えてみる。先生がおっしゃるには、普通は片目だけでなく仲良く両目に出るとのこと。あまり心配しすぎるのは止めておく。

 さらには、今ハーセプチンをお休みしていることについての確認。先生がおっしゃるには、ハーセプチンの再開は悩ましい所であるそうだ。ホルモン剤+ハーセプチンはホルモン剤が内服の場合は良いと言われているが、フェソロデックスの注射は(新しいので)ハーセプチンと一緒に使うと問題があるかどうかまだ不明だそうだ。また、ハーセプチンは3週に1度だが、フェソロデックスは4週に1度なので、一緒に出来るときは良いが、ずれてしまって通院日が多くなるので大変になる、と心配してくださっている様子。
 もちろん再開することは十分考えられるので、とりあえず今はフェソロデックス+ゾメタで行き、フェソロデックスが効かなくなった段階で、ハーセプチン+内服のホルモン剤にするかどうか考える、とのこと。
 「このままこの治療が出来れば本当に有難いです。」と言ったところ「すべてのホルモン剤を使い尽くした患者さんでも、結構うまくいっているケースがあるので期待しましょう!」と、嬉しいお言葉を頂きつつしっかり納得させて頂く。今日は2回目の注射をし、次回は2週間後に採血、レントゲンの後、フェソロデックス3回目の注射とゾメタを再開しましょう、と予約が入り、診察室を出た。

 化学療法室へ移動し、夫に報告メールを入れると、まもなくベッドに案内される。
 支度をしてうつぶせになって待つと、今日はHさんが準備をして入ってこられた。「前回はどうでしたか。」と問われ、先生にお話ししたとおりの回答をする。注射跡が硬くなっていないことなども確認して頂き、まず左のお尻から注射。前回はなんとなく(ちょっと怖くて)見そびれたのだが、今日はしっかと太くて大きい注射針を見てしまった。まぁ、お尻だからこんな針が使えるのだそうだ。やはり針を刺される瞬間より、薬液がじわじわと注入されている時間が2分ずつと長いので、その分痛みとだるい重さが長く続く。
 今日も2本目の右側の方が痛みが酷いように感じた。2本目だから予測性の痛みだろうか。とりあえず無事終了。時計を見るとまだ午前中というのが嬉しいことだ。
 次回2週間後からゾメタ開始ですが、11月22日以来ポートを使っていないので、と言うと「あら、そんなに空いていたのですね。お水流していませんでしたっけ・・・」と、先生に確認に行ってくださった。

 その後、針刺し名人のOさんが来て下さって、ポートに生理食塩水を流し、詰りがないか確認して頂いた。「無事、問題なく流れます。大丈夫ですよ。」ということでほっとした。折角これまでポートの調子が良かったのに、次回の治療までだと3カ月近く空いてしまい、そこでまたトラブル発生というのは避けたかったので。
 「フェソロデックス注射は、今までのEC治療に比べてその時だけの痛みを我慢すればよいので、極楽です。」と言ったところ、Oさんがおっしゃるには、この注射を打つのにはうつぶせになって10分ほどじっとしていないといけないので、高齢の方や、浮腫みがある方はその姿勢になってじっとしているのが大変なんですよ、とのこと。
 何のこれしき、全く問題ありません、という感じで御礼を言って化学療法室を後にした。

 会計もそれほど待つことなく、お昼前に病院を出ることが出来た。本日の病院滞在時間は2時間半ほど。これなら午後からお仕事だってOKですか、という感じだけれど、今日は無理せずゆっくりランチを楽しんでのんびりと家路に付いた。帰途に、息子の好きなジェラートやらケーキやらを調達しながら明るいうちに帰宅した。

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2013.1.29  通院日に読もうと買って、待ちきれずに読んだ1冊

2013-01-29 20:45:24 | 読書
 昨夕から左目が痛く、何やら眩しいし、目を開けているのが疲れる。かすむとか見えにくいというわけではない。早く寝たかったのだが、夫もイマイチの体調で、息子が帰ってくる前に2人で寝てしまうわけにもいかず、とりあえず撮りためたビデオを見ながらリビングでうつらうつらと待つ。
 一晩眠れば治るかしらと思ったが、さにあらず。今日も一日何となく鬱陶しく痛む。とりあえず目薬をさしてみたけれどすっきりしない。
 まさかフェソロデックス一回の注射で薬剤性白内障になるわけでもないだろうし、明日は通院日。まだ不調なら相談してみようと思う。

 さて、読書の話は宋美玄さんの「内診台から覗いた 高齢出産の真実」(中公新書ラクレ)。
 新書という性格から、標題は“内診台”などという結構ショッキングな言葉が躍っているが、これは愛読している読売新聞の医療サイト・ヨミドクターに連載されていたブログ「宋美玄のママライフ実況中継」の1年目を一冊の本にしたものだ。
 ブログの初回は2011年11月30日。“そろそろ臨月”でスタートし、2012年1月1日に無事第一子の女の赤ちゃんを出産された、彼女自身の体験談。

 この本の紹介記事には、「テレビや雑誌でも活躍する産婦人科医の宋美玄さんが、“高齢出産”と位置づけられる34歳にして初めて体験した妊娠と出産を、医師らしい分析を加えながらつづっています。今回の本にはこうした体験談のほか、“卵子老化”などセンセーショナルに取り上げられがちな高齢出産について、医学的知識に基づいて解説する記事が採録されています。さらに、卵子提供、出生前診断、カンガルーケアなど、妊娠と出産をめぐる様々な話題も幅広く取り上げています。ブログで大きな反響のあった“私らしい出産”“豊かな出産”などメディアをにぎわす“キーワード”について宋さんが率直に意見を述べた回も入っています。 」とある。

 既に出産から17年が経過している私も、高齢出産ギリギリの33歳妊娠、34歳出産だった。当時を懐かしく思い出しつつ、まだまだ変わっていないのだな、と思うことと、随分変わったんだな、と思うことと、毎週いろいろ感じながら楽しみに読んでいたものだ。

 ネットの記事には毎週、お嬢さんの可愛い写真が掲載されていて、どんどん人間らしく可愛らしくなっていく様子に微笑ましく暖かい気持ちになっていた。が、さすがにこちらは写真抜きの字ばかり。同じ文章とはいえ、随分雰囲気が違うことに驚いてしまう。
 もちろん、ブログをそのままもってきただけではなく、「このブログの記事にネットには書けなかったこと(本音)を加筆して一冊の本にしていただきました。」というご本人のコメントがあるとおり、記事の後に一言ずつコメントが追加されている。
 記事をアップする前に同業者からいろいろな意見等があったとも書いてあったが、確かにこれだけのことを書くのは勇気がいっただろうな、という部分も結構ある。

 女性のドクターだからこそ、内診台の“あちら側”と“こちら側”の両方を経験することが出来る。男性のドクターなら“あちら側”にいることしかあり得ないし、医師ではない私たちは“あちら側”に行くことは出来ない。あのカーテンで仕切られた内診台の“こちら側”・・・、いくつになっても何度行っても冷や汗滲むいや~なものなのだけれど。

 おまけの話。
 息子が「クラスに同じ誕生日があと2人いたんだよ!」と教えてくれた。これまで彼は、自分と同じ誕生日の人に会ったことがなかったそうだが、何とも灯台もと暗しだ。クラスメートの一人が「明日、誕生日なんだよね~」と言うので「え?1月30日?俺と同じだ!」と言ったら、それを聞いていたもう一人が「えーっ、俺もだぜ~」だったそうだ。1年365分の1の確率の誕生日。クラス40人の中で3人もいるというのは凄いことだ。

 私が全く同じ誕生日の方と出会ったのは息子の保育園だった。ゼロ歳の時の副担任の先生。小中高から大学を経て就職しても、同じ誕生日の人にはお目にかかったことがなかったのに、本当に生年月日全てドンピシャ。同い年で同じお誕生日だった。お互いにびっくりしたものだ。
 アメリカの俳優と日本の芸能人に、全く同じという人はいるのだけれど、当方は知っていても先方は全く知らないわけだから、これはもう、どうでもいい話になってしまう。
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2013.1.28  雪は降っても少しずつ春の足音?

2013-01-28 20:38:53 | 日記
 朝起きて、お弁当を作っていたら、眠気まなこの息子が「おはよう。いや~、雪が降ったんだね。」と声をかけてきた。
 それまでキッチンに籠っていたので、遮光カーテンは開けたものの外が暗くて気付かなかった。「えっ、そうなの?」と見てみれば、外はまたも一面の銀世界。既に止んではいたけれどどこもかしこも真っ白だ。
 誰も歩いていないし、まだ雪かきもされていない。危ないから、と自転車で出かけるのは控えさせて徒歩で送り出した。

 私が出かける頃にはすっかり青空になり、陽射しが眩しいほどに。寒いけれど、一時のような頬を突き刺すような寒さではないように感じる。少なくとも陽射しは随分春めいて来たように思う。あと1週間もすれば暦の上では春なのだな、と思う。
 立春-2月4日―は初発の手術記念日だから忘れられない日なのであるけれど。

 もう一つ、我が家で小さい春の訪れは昨年に続き胡蝶蘭の蕾が花開いたことだ。
 一昨年の8月に届いた白い胡蝶蘭が咲くのは3回目。今回は2又に分かれて、それぞれ6つずつ蕾をつけた。今、1つが咲き、2つ目の蕾が花開こうとしている。そして、昨年の夏に届いた濃いピンクの胡蝶蘭はちょっと不思議な蕾の付き方だ。太い茎の途中にいきなり大きな丸い蕾をつけ立派な花が咲いた。すぐ下になぜか小さい葉まで携えている。
 恥ずかしながらろくに世話をしていない。リビングのカーテン越しの窓辺に置きっぱなし。日当たりは良いのかもしれないけれど、ごくたまーに水をやるだけなのに、何とも健気だ。

 今日は育休中の職員が赤ちゃん連れで職場に挨拶に訪れた。3か月半の男の子だったけれど、おとなしく終始ご機嫌。テーブルの上に寝かされても泣くこともなく、沢山の職員から入れ代わり立ち代わりあやされながら、大物ぶりを発揮していた。
 久しぶりに赤ちゃんの腕のくびれを見て、思わず差し出した人差し指を小さな可愛い爪のついた手で握ってもらって、思わず相好を崩してしまった。もうすっかり孫でも見る気分である。

 今日はなんとなく体調が悪いから、と休暇をとってクリニックに行った夫は、お腹の風邪との診断だったようだ。職場でも、インフルエンザや風邪で休んでいる職員が増えている。せっかく薬の副作用がなく体調が良い時に、風邪などひいてしまったらもったいない。年末年始に既に一度、風邪をひいたので、厄払いは済んでいる筈。手洗いうがいの励行と、ウイルスブロッカーでこの冬を無事に乗り切りたいと思う。

 少し残業して帰宅すると、夫が夕食を作って待っていてくれた。家に帰って食事が出来ているほど有難いことはない。息子は塾とスポーツクラブ遅いことがわかっているので、2人で早々と夕食を終えた。
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2013.1.27 今年も無事に家族写真撮影終了!

2013-01-27 22:37:52 | 読書
 昨夜、夫は口数も少なくガックリ疲れた様子で、いつになく早くベッドへ直行した。私もさっさと休みたかったのだけれど、息子が寝る様子がなく、最後に寝室に行けたのは、日付が変わる頃になってしまった。
 今朝は体が重くぐったり疲れていて、なかなか起きられなかった。
 息子が試験のため昼前に出かけるので、何とか起きて朝食の支度をした。
 わかってはいるものの、往復6時間の移動は堪える。翌日が仕事の日にはお見舞いには行けないな、と思う。

 さて、3日後は息子の17回目の誕生日である。羨ましき哉、17歳青春真っ盛り!である。
 生後100日の記念写真以降、毎年1月30日の誕生日には写真館で家族写真を撮ってもらっている。
 今から8年前、息子が9歳の誕生日の写真だけは、私が初発の手術を2月4日に控えていたため、退院した後の3月に撮った。私は何とか入院前に撮っておきたいと言ったのだが、夫が元気になって戻ってきてからが良いと言ってきかなかった。縁起でもないけれど、遺影にでもなったら・・・と思っていたらしい。
 
 息子は17年生きているうち、8年間は母が病を患っている(そしてこれからずっと健康体に戻るわけではない)わけだから、ちょっぴり可哀想といえば可哀想だな、と思ったりもする。
 今年は暦の関係で少し早いが、平日の撮影は難しいため、今日、日曜日の夕方に撮影の予約をしていた。
 私は写真撮影の前に、マッサージでメンテナンスとリラックス。一人至福の時を過ごさせてもらい、ピカピカつやつや(のつもり)で、カメラに向かった。

 写真を選んでから、その足で息子のリクエストによりシーフードレストランへ移動した。早めの誕生日の夕食会を愉しみ、買い物をしながら帰宅した。

 あっという間に土日が終了。明日からまた新しい1週間が始まる。早くも週末は2月だ。いつものとおり、1月は行ってしまい、2月は逃げてしまわないようにきちんと捕まえておかなければ・・・。

 今日も、先日通院日に読んだ本1冊をご紹介。
 香山リカさんの「若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか」(朝日新書)。
 久しぶりに香山さんの新書を読んだ。「最近の若者は・・・」がリアルに理解できる 香山リカ、待望の若者論!」とある。
 ふと気付けば平成も25年、四半世紀を迎えることになった。
 “平成生まれの大卒が社会人になっている。中高年の多くが「最近の若者」の気持ちがわからないという悩みを抱えている。”・・・と中表紙にはあるが、まぁ、これは私たちが社会人になった時も“新人類”と称され、「東京オリンピックが記憶にないだって?」とか「お風呂屋さんの閂の刺さった下駄箱を知らないだって?」とか言われてのけぞられたのと同じ順繰りのことだと思うけれど。
 携帯電話を持っていると待ち合わせは本当に便利だなあ、と思うけれど、まえがきで書かれていた大学生のレポートに「その昔、携帯電話がなかった時代があったという。その頃の人は、いったいどのように待ち合わせをしたのだろうか。」という文章に釘付けになった・・・という香山さん(昭和35年生まれで私より一つ年上)の衝撃にも頷ける。
 若者に特有のプライド、コンプレックス、恋愛や人間関係等について40のキーワード(SNS疲れ、愛されキャラ、自己満足系の自分みがき、ヘルシー志向、コピペ、貯金好き、生業不安、ほどほどの自分・・・)をもとに、私たち中高年と若者の心理の違いを綴っている。するするとあっという間に読破。
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