ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.4.30 網棚にご注意

2011-04-30 22:44:46 | 日記
 連休2日目。4月最終日。息子は平常の土曜日で普通に登校したので、いつもどおりの土曜日の過ごし方ということで、家事を済ませて朝ヨガに参加した。しっかり汗を流して帰宅後、一休みしてから乗換駅で息子をピックアップして都内のホテルまで一泊に出かけた。
 珍しく息子と時間通りに合流。都心のターミナル駅で無事に降りて、お昼をとろうとレストランに入った時、息子が鼻血を出したためにティッシュを出そうとした夫が、持っていたはずのショルダーバックがないことに気付いた。

 子供の頃から“忘れ物大王”の異名を持つ夫だが、とにかく荷物を持つのが嫌いなのですぐに荷物を網棚に乗せる。そして、忘れる。これまでにも京都や鎌倉や鹿児島等、旅先でナップザックを置き忘れ、お財布をポケットから落とし・・・、この手の出来事は数知れず。だが、さすが治安のよい国日本というか、単にこれまでが幸運だったせいなのか、気づいて連絡すれば必ず拾得物として管理してもらって無事手元に戻ってきていた。

 そんなわけでいつもは電車を降りるときに、私は必ず「荷物は持った?」と聞くのだが、今日は息子が別の車両に離れていたことに気を取られて特に確認せずに降りてしまった。さらにホームに降りた時に、夫がキャリーケースとショルダーバックの2つをきちんと持っているかどうかを確かめずにエレベーターに乗ってしまった。後の祭りだ。

 気づいたものの相当空腹だったと見えて、「でもまず食事をしてからで・・・」という夫を、息子と2人で「とにかく届けてこないとだめでしょうが」と、レストランから追い出した。待つこと15分ほど。終点駅にはまだ着いていないため、それまではわからない、ということでそのまま帰って来た。

 いつもお世話になっている私鉄だと、降りてすぐに忘れ物に気づけば、2つ隣の駅あたりでピックアップしておいてくれたりするのだが、今回は既に相互乗り入れしている地下鉄線内に入っていたため、私鉄の管理範疇ではないとのこと。
 バックの中に何が入っていたかといえば、お財布と携帯はズボンのポケットに入っていたのが不幸中の幸いだったが、デジカメ、家の鍵、自転車の鍵、常備薬、ビクトリノックスのアーミーナイフ等。自宅が特定されるものは入っていない、とは言っても、家の鍵を変えなくてはいけないかも・・・といきなりブルーになってしまった。
 あと30分くらいして終点で確認ができた頃にもう一度電話をかけるように言われて、その時間にかけてみたが、届いていない、とのこと。仕方なくそのままバスに乗ってホテルにチェックインした。

 このホテルに泊まるのは3回目。1回目は夫と2人で去年の夏、2回目は息子も一緒に3人で紅葉の頃。庭園がきれいなので今回はツツジかな、と楽しみにしていた。そしてグレードアップしてもらってお部屋も良かったのに、残念ながらデジカメがないため、写真も撮れず、仕方なく携帯で最低限の撮影。
 夕食前にスパに出かけた。前回はガラガラでほとんど貸切状態だったプールも、今日はさすがにゴールデンウィーク中ということで家族連れで混雑しており、なんとなく落ち着かなかった。夕食の予約の時間もあるので、早々に出て、プールに隣接する温泉に入り、部屋に戻った。
 結局どうしても気になり、もう一度駅に電話をしたが、今日各駅で入力されたリストにはそれらしいものはない、という答えだった。

 夕食に和食を堪能して今しがた部屋に戻ってきた。
 明日もう一度確認の電話をしてもらわなければ。もちろんデジカメ以外は拾った方にとって何も嬉しいものはないかもしれないし、家の鍵に自転車の鍵・・・心ある人ならこれは失くして困っているだろう、と思ってくれるのでは・・・と祈る気分だ。あるいはトイレのごみ箱にでも捨てられているのだろうか。

 せっかくの連休がいきなりブルー。これからはたとえ嫌われても五月蠅がられても、今まで以上にしつこく荷物確認をしなければならないな、と思う。そしてこんな夫と息子を2人遺しては逝けないよな・・・と気が気ではない。

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2011.4.29 ドラマ、文庫、映画~八日目の蝉

2011-04-29 20:15:40 | 映画
 連休初日。今日もいいお天気だ。
 案の定早朝覚醒してしまった後、いつのまにか二度寝をしてしまい、いつもよりだいぶ遅い起床となった。水曜日の投与後、いつもなら土曜日の午前中あたりまで残る気持ち悪さが大分おさまっていたので、思い切ってベーシックヨガに出かけて汗を流してきた。さらには欲張って、午後から今日封切りの映画「八日目の蝉」を一人で観てきた。

 さすがに封切り初日ということもあり、小さなスクリーンは結構混みあっていた。ご存知角田光代さんの原作で、去年壇れいさんが、育ての母であり誘拐犯である希和子役で、NHKドラマ化されたものを観ていた。早く原作を読みたかったが、文庫になるまで指をくわえて待ち、発売早々読んだ。ドラマは本当に原作に忠実に作られていたのだ、と思った。息が詰まるほどの逃亡劇でまるで一緒に逃げるように一気読みしたのが記憶に新しい。

 そしてゴールデンウィークには映画化されることを予告篇で見、出産後の初仕事の永作博美さんが希和子役と知り、封切りを楽しみにしてきた。
 映画のキャッチコピーは「優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした。」。=土砂降りの雨の中で起きた誘拐事件。犯人は父の愛人。連れ去られたのは、私。私はその人を、本当の「母」だと信じてきた。=というのが主人公・恵理奈(薫)の背景。2つの名前に引き裂かれた分裂したアイデンティティだ。

 そしてタイトルの八日目の蝉―これは、蝉が、何年も土の中にいて、地上に出て七日間で死ぬというが、もし、七日で死ななかった蝉がいたら・・・。もし八日目まで生きた蝉がいたとしたら、その蝉は幸せなのだろうか。何もかも失い自分は「からっぽ」の「がらんどう」で、まるでほかの人が知るはずもない“八日目”を生きているようなものだと思っていた女たちが、哀しみと孤独を乗り越え、自分の足で一歩踏み出していく姿をイメージしている、という。

 舞台となった小豆島には学生時代に友人と一度行ったことがあるが、寒霞渓から望む瀬戸内海の風景は本当に美しかった。フェリーで食べたさぬきうどんも美味しかったなあ、などとタイムスリップしてしまった。

 映画は147分と長編だったが、長さを感じさせないほど巧みだった。逃走劇とその後の2章に分かれていた原作とは違い、回想と現実が交互に入り混じりながら進む作り。最初は、産みの母と育ての母の2人の法廷シーンからのスタートだった。産みの母役の森口瑤子さんも、これまでの綺麗なお姉さんタイプと違い、凄みさえ感じ、母という業を思った。
 朝のNHK連続ドラマでヒロインを演じている井上真央さんが娘の恵理奈役を演じていたのには、ちょっとイメージにギャップがあり、最初は違和感を覚えたが、ラストは希望を感じる作りになっており、救われた。
 何より幼馴染の千草役を演じていた小池栄子さんが結構はまり役で、前かがみの姿勢がやけに印象に残った。
 そして、希和子役を本当に体当たりで演じた永作さんがインタビューで「血がつながっている家族なんだから、一緒にいるのは当たり前。それはすごく乱暴な言い方だと思います。それは決して、当たり前のことじゃない。自分の愛する者が、今ここにいることは、当たり前なんかじゃなくて、とても大事なことなのだと思います。」は母となった彼女の実感なのだろう、と思う。

 私は普通の蝉が生きる七日間を全うできずに五日間、いや六日間で死んでしまう蝉かもしれない。それでも、その五日間か六日間を七日間に負けないくらい大切に生き抜きたい、と改めて思った。

 今日、息子は入学祝に買ってほしいとねだっていたテレビゲームを夫と一緒に買いに出かけ、しっかり買ってもらって帰ってきた。
 夕食後に、自慢げにテレビの前に張り付いて早速プレー中である。こちらはいろいろ説明されてもさほど興味はないけれど、あまりに本物のように良くできているので驚いた。テレビに釘づけになってこれ以上目が悪くならないとよいけれど・・・。 
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2011.4.28 「乳がん夜間学校」受講開始

2011-04-28 18:11:05 | 日記
 朝日新聞社の医療サイト「アピタル」が先週1周年を迎えたことで、新企画、インターネット動画番組「アピタル乳がん夜間学校」が始まった。最近乳がんになる方が増えており、治療や予防について正しい情報をわかりやすくお伝えしよう、という試みだという。
 ご存知の方も多いかと思うが、以下サイトから転載させて頂く。

 ※ ※ ※ ※(転載開始)

 乳がんについて正しい知識を知ってもらい、少しでも患者さんたちの不安を和らげたい――。こんな思いから、アピタルは、乳がん夜間学校をスタートします。毎月第三水曜日の夜、午後9時から1時間半を掛け、2コマの授業をアピタルトップページ(http://www.asahi.com/apital/)で、ライブ中継をします。時間になれば、自動的に動画画面に切り替わります。

 講師陣は、乳がんの治療や研究でトップクラスの医師の方々です。4月にある初回(20日夜)の授業は、「乳がんについて知っておくべきこと」をテーマにしました。この回は、聖路加国際病院ブレストセンターの山内英子センター長が担当します。毎月違うテーマを取り上げます。乳がんの原因、手術、放射線治療、病理、ホルモン剤や抗がん剤、分子標的薬といった薬物療法、さらに、心のケアもテーマとしていきます。1年を掛け、計12回で乳がんの全体像がわかる構成にしました。
 授業は、毎回2コマ。1時限目は、先生から専門のお話をうかがいます。2時限目は、アピタル編集長の平子義紀と、モデルのMAIKOさんが加わります。先生の説明の中で、専門用語をどう考えるとわかりやすいか、患者の不安、生活はどう変わるか、などについて、突っ込んだやりとりをします。MAIKOさんは、乳がんを発症、手術を受けた乳がんサバイバーです。平子の代わりに、乳がん体験者で美容ジャーナリストの山崎多賀子さんが担当する授業もあります。
 2時限の授業のあと、ほんのちょっとした「放課後」があります。ちょっとした息抜きになります。
 夜9時スタートというのは、2つの面から考えました。まず、講師陣の方々は、昼間は診療に当たっていることが多く、これだけの顔ぶれにそろっていただくのは、かなり手間のかかる作業です。そのため、比較的時間の取れる夜間に設定しました。一方、乳がん患者の方々も、お仕事をもっていらっしゃる方も多いでしょう。このため、夜間の方がじっくり観ていただけると判断しました。
 患者やご家族の方に限らず、知人や職場に体験者がいらっしゃる方もどうぞ、ご覧になってください。また、中継中は、ツイッター #bcnight で、ご意見やご質問をお寄せください。つぶやきは、番組の中で使わせていただくことがあります。
 第1回がある4月20日は、1年前にアピタルがスタートした「誕生日」でもあります。1周年を迎えるアピタルは、これからも「患者のための医療サイト」として、役に立つ情報の発信に努めます。これからのアピタルに、どうぞご期待ください。

 (転載終了)※ ※ ※ ※

 年間スケジュールは下記のとおりだ。

第1回 4月20日 乳がんについて知っておくべきこと 山内英子先生 聖路加国際病院・乳腺外科
第2回 5月18日 乳がんの原因と予防・検診・診断について 土井卓子先生 湘南記念病院・かまくら乳がんセンター
第3回 6月15日 乳がんの手術について 中村清吾先生 昭和大学医学部・乳腺外科
第4回 7月20日 乳がんの放射線治療について  唐澤久美子先生 順天堂大学医学部附属順天堂医院・放射線科
第5回 8月17日 乳がんの病理について  堀井理絵先生 がん研有明病院・病理部
第6回 9月21日 乳房の再建について  岩平佳子先生 ブレストサージャリークリニック
第7回 10月19日 乳がんの薬物治療(ホルモン剤)について  佐治重衡先生 埼玉医科大学国際医療センター・腫瘍内科
第8回 11月16日 乳がんの薬物治療(抗がん剤)について   佐々木康綱先生 埼玉医科大学国際医療センター・腫瘍内科
第9回 12月21日 乳がんの薬物治療(分子標的薬剤)について  清水千佳子先生 国立がん研究センター中央病院・乳腺・腫瘍内科
第10回 1月18日 乳がんの再発後の治療について 清水哲先生  神奈川県立がんセンター・乳腺内分泌外科
第11回 2月15日 乳がんの心のケアについて 大西秀樹先生  埼玉国際医療センター・精神腫瘍科
第12回 3月21日 乳がんのサバイバーシップについて  桜井なおみ先生 NPO法人・HOPEプロジェクト

 初回は、おりしも通院日。一日仕事の治療にかなり疲労しており、夜9時からのライブ中継を見損なってしまった。(やはり、投与当日には帰宅後家事とブログ更新だけで精一杯であり、+αの1時間半の間PCの前に張り付くのは情けないが、正直厳しい。)残念に思っていたところ、メール会員であるため、先日その動画が送られてきたので拝見した。

 こんな取り組みが始まるほど、患者さんとそれを支える家族、医療関係者の数はどんどん増えているのだな、と実感する。そして、私が初発手術をした6年以上前に比べて病理等がどれだけ進歩したのかも、痛感する。
 講師の先生方はこれまでも講演会等で話を伺ったことのある、または記事を読んだことのある錚々たるメンバーばかり。
 来年の3月21日まで、後追いでも良いので、出来る限り聴いてみたいと思う。

 さて、昨夜の雨風がうそのように今日の朝はいいお天気。ようやく今の季節らしい気温だ。雨が降ったせいで緑が一段と眩しいほど輝いているし、鳥のさえずりも気持ち良かった。
 通勤路では、鈴蘭のような白のドウダンツツジが可愛らしく咲いている。紫外線も本格的に強くなってきているから、ちゃんとUVケアをしなくては・・・、と思うほど。

 さすがに昨日の投与で体調は本調子ではない。お腹の気持ち悪さから食欲がいまいち。食べてもお腹がすいてもいつもお腹の中をぐちゃぐちゃかき回されている感じだ。それでも昨夜は足も攣らなかったし、不眠もそれほどでもなかった。

 そしてなにより明日から3連休。体調と相談しながら目いっぱいリフレッシュしたい気持ちの良い季節である。




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2011.4.27 ハーセプチン135回目、ナベルビン12クール2回目、ゾメタ52回目

2011-04-27 20:20:49 | 治療日記
 今日も最寄駅で4分の遅延があったため、乗換駅で予定の電車に乗れず、10分待った。さらに強風のため速度制限ということで、病院の最寄駅に到着したのはいつもより15分遅れ、病院到着も15分遅れてしまった。確かにすごい風で、駅前のペディストリアンデッキでは飛ばされそうだった。
 今日は診察前の採血もレントゲンもなかったので、待ち時間もあまりなくスムーズに終わるかな、と思っていたが、受付後中待合に入るまで30分、診察室に入るまでさらに30分近く待った。

 診察室では、いつものように先週1週間の状況報告。気持ち悪さも火照りもいつもどおりで、ロキソニンだけ飲んでやりすごせたこと、痛みは殆どなかったが、昨日あたりから右の腋がひきつれるように痛むことをお話しした。「食欲はどうですか。」と聞かれ、「投与翌々日くらいまでは控えめにしているが、土曜日午後からはごく普通にしっかり食べています。」とお答えする。
 腫瘍マーカーはじわじわ上がっているが、今回の0.5の上昇が意味のあるものかどうかはわからない、気にしなくて良いということだった。ほっとした。いつものようにロキソニンを処方して頂き、次回は連休明けで採血後の診察予約。胸部レントゲンは、今月CT撮影したばかりなので6月にしましょう、ということになった。

 化学療法室へ移動し、ここでも待合椅子で15分ほど待ってから点滴椅子に案内された。先週に引き続き東北出身のがん認定看護師のKさんが針刺してくださったが、あまり痛くなくほっとした。連休には帰省できる、と伺い、お見舞いの気持ちだけお伝えした。

 薬が届き、今日はハーセプチン、デキサート、ナベルビン、生理食塩水、ゾメタ、生理食塩水6本のフルコース。点滴台に薬が所狭しとぶら下がる。11時過ぎから点滴開始。ハーセプチンが短縮したことで、ランチタイムに間に合うだろうと踏んで、お昼を調達せずに読書に集中。2時過ぎに終わり、抜針もほとんど衝撃がなかった。抜いてくださったSさんも「こんなにすっと抜けたのは初めてです。」とのこと、今日はラッキーだった。
 会計を済ませて病院を出たのは2時半を回った頃。今日の病院滞在時間は5時間半弱。
 ところが、薬局が大混雑。たっぷり30分以上待ち、薬を受け取ったのは3時を大きく回り、空腹でがっくりきてしまった。その後、軽食をとり、買い物しつつ帰宅の途についた。

 今日は3冊読んだ。
 1冊目は若林亜紀さんの「独身手当 公務員のトンデモ給与明細」(新潮文庫)。
 裏表紙には「かつて厚生労働省の特殊法人に勤務し、そのあきれる実態に日々接していた著者が、霞が関と全国の自治体を徹底調査!国会議員たちも注目する、役人天国ニッポン告発の書」とあった。それにしても、今時、こんなこと・・・と疑うような話が目白押しで、読みながらとても気分が悪くなった。私が勤め始めた古き良き時代でも、ここまで酷い話はなかったし、少なくとも今、私がいる職場で決してこんなことは通らないはずだけれど・・・と思う。

 2冊目は中田敏博さんの「医療鎖国 なぜ日本ではがん新薬が使えないのか」(文春新書)。
 帯には「日本では、助かる患者も助からない 明日は、あなたの番かもしれない (海外で承認された主要なバイオ医薬品の日本での承認状況の一覧表が掲載)」とあった。ドラッグ・ラグの話は決して他人事ではないので、手に取った。著者は医師として勤務した後、MIT(マサチューセッツ工科大学)でMBA(経営学修士)を取得後、コンサルティンググループ、ソフトバンクを経て、今はヘルスケア領域に特化したベンチャーキャピタルファンドの運営会社を創業したという変わり種。
 もろもろの先入観、情報操作によりどれだけ勘違いをさせられているか・・・なんだか溜息が出てしまった。

 3冊目は藤原正彦先生の「日本人の誇り」(文春文庫)。
 帯には「『国家の品格』から6年、渾身の書下ろし『日本人の覚醒と奮起を期待したい』」と、表紙の見返しには「個よりも公、金より徳、競争より和」を重んじる日本国民の精神性は、文明史上、世界に冠たる尊きものだった。しかし戦後日本は、その自信をなぜ失ったのか?幕末の開国から昭和の敗戦に至る歴史を徹底検証し、国難の時代を生きる日本人に誇りと自信を与える、現代人必読の書」とある。
 「はじめに」では近現代史をどう見るかを露わにするということは、自らの見識を露わにすることで、これは誰でも避けたい仕事であるが、一介のおっちょこちょいで無鉄砲な数学者が、右でも左でも中道でもない、自分自身の見方を溢れる恥を忍んで書き下ろしました。歴史を失った民が自国への誇りと自信を抱くことはありません。これこそが現代日本の諸困難を解決する唯一の鍵なのです。そして今、未曽有の大震災に打ちのめされた人々の心を支え、力強い復興への力を与えると信ずるのです。・・・」とあるように、先生らしい日本へのエールの書だった。それにしても、ここに書かれたことが真実であるならば、私たちは日本史の情報操作によりどれだけの勘違いをさせられているか、自分の知っている歴史はいったい何なのかと、下を向いてしまった。

 帰宅するとお花が届いていた。大輪のオリエンタルリリーが2本とワットソニア3本、カスミソウ2本。それぞれの花言葉は「高貴」「豊かな心」「清い心」だという。ワットソニアはグラジオラスを小さくした感じのとても珍しいお花だそうだ。初めてのお花。豊かな心、いい花言葉だ。豊かな心をもって楽しみたいと思う。
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2011.4.26 生きた証

2011-04-26 20:12:47 | 日記
 先日、プチ虹のサロンのメンバーと話した時のこと。

 友人に体外受精で妊娠したことが分かってわずか1ヶ月後に、乳がんの骨転移が判明した方がいる、という話題が出た。
 ご主人もご両親もそうした状況での出産を大反対されたようだが、ご本人はあくまで出産優先を貫き、出産後治療に専念するということで、現在は妊娠中でも投与出来る抗がん剤治療をし、ホルモン治療は中断して妊娠継続中だそうだ。そして今は出産に向けて、これまで見たこともないほどとても光輝いているのだという。

 本当に心から待ち望んだ妊娠だったのだろう・・・ということは、そのお話を少し聞いただけでも容易に想像できる。一般に、術後のホルモン治療が終了するまでには短くても5年かかり、その後概ね2年は妊娠を避けるように言われるから、確かに出産のリミット等の問題もあったのかもしれない。
 だが、初発で治療が無事終了しての妊娠・出産というわけではなく、すでに骨盤転移が判明している厳しい状況である。妊娠が判明する前も松葉杖で歩くような状況であったのに、転移のことは疑わずにそのまま過ごして、主治医に驚かれたのだという。そして今現在は、普通に歩くことが出来ず、車いすで生活をしているそうだ。

 それを聞いた他のメンバーも私も唸った。
 後にも先にも息子1人しか妊娠出産経験のない私ですら、子どもは産んだらおしまい、というわけではないし、お腹の中にいる時はいる時でそれなりに大変だったけれど、それよりも何よりも身が2つになってからの方がよほど大変だ、ということをいやというほど経験した。再発治療と待ったなしの新生児の世話の両立が、どれほど大変であろうかは目に見えている。いつでも手足になってくれる人がいる、というわけでもないようだ。今はご主人が通院の送迎をしてくれているそうだが。
 たとえ健康な体であっても、まとまった時間眠ることもできないほどハードなのが育児だ。初めてのお子さんであれば、どこまで手を抜いていいのかもわからないから、なおさら厳しく感じるのではないだろうか。しかも新米のお母さんは車いすで再発治療中。出産はご主人の強い希望で、というわけでもなく、あくまでご本人の強い意志だという。産まれた後の厳しい状況が今から目に浮かんでしまう。

 生きた証を残すこと、自分の命のリレーをどうしてもしたかったのだ、と思う。
 誰だって唯一無二の存在、尊いたった一人の自分だ。だからこそ、その自分が生きた証を残したいと思うのは当然のことだ。

 独身でおられるメンバーからは、ご自身が出産という形で生きた証を残せなかったということについてのお話も出た。
 かくいう私も、まずは「完治しない」という厳然たる事実を受け入れることで始まったエンドレスの再発治療が一段落した時、はて、このまま闘病の末に人生をフェイドアウトすることになるであろう私という人間の生きた証は何だろう・・・と思った。こうしてブログを始める前までは、四半世紀近く続けてきた仕事においても、何か名前が残せるほどのことが出来たわけでないことに内心忸怩たる思いがあった。
 今ではほぼ毎日のようにブログを書きながら、夫や息子に何かメッセージとして遺しておく、ということとともに、他でもない自分のために、自分が生きた証として、記録として、日々を綴っている、と思っている。
 そして息子という存在が私の生きた証と言っていいのかは、正直なところ今でもよくわからない。

 人は二回死ぬ、と言う。1回目は生命体としての死、そして2回目は他の人たちに忘れられ、思い出してもらえなくなった時。

 ふと、ああ、ずいぶん長いこと闘病しながら、太くはなく細かったけれど、それでもしぶとく生きていたこんな友人がいたな、こんな知りあいがいたな、と思い出してもらえるなら嬉しい。そんな形でちょっとでも思い出してもらえるのだったら、生まれてきた意味があった、生きた証が遺せた、と思ってもいいのではないか、と考えている。

 気づけば本当に日が長くなった。まだこの季節としては気温が低めだけれど、新緑が美しい。つつじも咲き始めた。週末からはゴールデンウィークが始まる。そして明日はまた通院日だ。

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