ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.1.31 次の3カ月に向けて

2012-01-31 22:02:03 | 日記
 早くも1月最終日。お正月気分に浸る暇もないままに、1カ月が過ぎてしまった。今年はオリンピックイヤーの閏年だから、2月はいつもより一日長い、・・・とはいえ、ともすれば日々に流されてすぐに逃げてしまう2月、そして去ってしまう3月だ。 あっという間に新年度が来そうな気配。心してかからなくては、と次なる3カ月目標だ。

 前回11月から1月までは、
 11月 ちょっぴり親孝行をし、夫の離島への長期出張中、息子と2人無事過ごし、勤労感謝の日の休日出勤もこなす
 12月 一昨年、クリスマス休暇に突然、北海道旅行をしたように、3人で旅行に出かける
 1月  夫と22回目の結婚記念日を祝い、月末には息子の16歳を家族写真撮影とともに祝う
だった。

 振り返ってみれば、
 11月最初の土曜日、56回目の結婚記念日のお祝いに両親を都内ホテルに招待し、喜んでもらえた。勤労感謝の日の出勤もこなし、夫の小笠原出張も無事終了した。
 12月のクリスマス休暇には、3人揃って寒波の京都2泊3日の旅行が出来た。
 1月の結婚記念日を、夫と2人、素敵なフレンチで祝い、息子の誕生日には恒例の家族写真撮影も出来た。
ということで、ミッションコンプリート!

 今回は2月から4月だ。

 2月 11月の旅行を楽しんだ両親が、今度は息子の誕生日祝いをしたいとのことで、都内ホテルで1泊。
    プチ虹のサロン月例会。3カ月ぶりのつぼみの会出席。体調を見ながら義母お見舞い。
 3月 予定通り治療を続け年度末の繁忙期を乗り切る。プチ虹のサロン月例会。体調を見ながら義母お見舞い。合間を見て読書や映画も。
 4月 予定通り治療を続け年度初めの繁忙期を乗り切る。プチ虹のサロンお花見会。体調を見ながら義母お見舞い。合間を見て読書や映画も。

 どうも仕事色が濃いし、目新しさがないが、まあ、この時期は仕方あるまい。とにかく今の治療が奏功し続け、元気で働けていることが何より、という意味を込めて。

 明日から2月。まだまだ寒い日が続くようだ。
 日本海側では平成18年豪雪と並ぶ降雪になるそうだ。雪国にお住まいの方たちの無事を祈りたい。

 明日から、息子が通っている中高一貫校の入試が始まる。(4年経過してもまだ“2月1日”を思うと心臓がキュンとなる小心者の私である。)そのため、在校生は中学、高校の入試期間2週間にわたってほぼ開店休業状態、だ。友人と遊びに行ったり、・・・と、自宅学習期間はどこへやら、ルンルンの16歳である。
 今日は午前中の短縮授業で帰宅した後、朝靄の中で多摩川の鉄橋を渡る電車を撮りたいと、そのために便のいい私の実家まで、夕方から1泊の予定で出かけてしまった。そもそも一体自分で起きられるのだろうか・・・。

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2012.1.30 その一言が・・・

2012-01-30 20:44:31 | 日記
 先日、プチ虹のサロンで伺った話題から一つ。
 新年最初の診察に出かけたメンバーの一人が、「娘が16歳になったので、成人式を目指して頑張ります。」と言ったところ、主治医から「まあ、あまり欲張らずに1年、次の1年、と過ごしていきましょう。」という返事が返ってきたそうだ。

 以前にもこのブログで、主治医の一言は私たち患者を天にも昇る気持ちにさせることもあるし、地獄に突き落とすこともある、と書いた。
 長くがん患者をやっていれば、生身の人間相手に医師が100%絶対大丈夫、などと言うことがないのは重々承知の上だ。けれど、間髪を入れずに胸を張って「大丈夫!」とは言えなくても、どうして「そうですね。今年も一緒に頑張っていきましょう。」くらい言ってくださらないのか。それは患者サイドの一方的な望みなのだろうか。

 その一言、なのである。
 いきなり否定しないで、とりあえずまずは一旦、受けとめて頂ければ、と思う。
 もちろん4年が過ぎて無事に成人式を迎えることが出来るということは、1年、1年を大切に重ねた結果ではあるだろう。
 けれど最初から、あと4年は欲張り過ぎ・・・、というニュアンスを感じてしまうと、「結局、先生は同じ病気を抱えているわけでもないし、私たち再発患者の気持ちなんて本当のところ、わからないのよね・・・」いうことになってしまう。
 結果としてそれまで築いてきた信頼関係が崩れてしまうとしたら、これからずっと続いていく治療に良い影響が出るとは思えない。
 もちろん、この話をしてくれた彼女が主治医とうまくコミュニケーションが取れていない、ということでは全くない。新しいことを始める時に迷っていた彼女をサラリと応援してくださったり、と心温まるエピソードも沢山聞いている。

 だからこそ、コミュニケーションは難しい。別に患者対医師という関係でなく、人として、相手の気持ちになって本音を口に出す前にちょっと待てよ・・・、と思って頂きたい。そして、それを望むと同時に我が身を振り返って自分もそうありたい、と思う。
 結果として同じことを言っていても、受ける印象は全く違うはずだ。
 まずは、一度受けとめてほしい。目標を立てて患者が前向きになっている時に、寄り添ってくれるはずの主治医がその気持ちを削ぐようなことは言うべきではないだろう。

 新しい1週間が始まった。今日も寒い。休み明けでもあり、朝の事務室は冷え切っていた。厚着をするからまた肩がこる。週末、節分まではこの調子で寒さが続くという。何とかこのまま風邪もインフルエンザもひかずに乗り切りたい。日が長くなってきたので余計感じるのかもしれないけれど、春の訪れが待ち遠しい。

 今日は息子の誕生日。生まれたのは夜9時少し前のこと。昨日のお昼に前倒しで美味しいお料理を頂いたので、今日はスピード勝負のごく普通の夕食。それだけではちょっと可哀想なので、リクエストどおりのホールのチョコレートケーキに、「Happy Birthday ○○(名前)16歳」と書いてもらったチョコレートプレートとキャンドルを付けてもらって、食後に3人で祝った。

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2012.1.29 今年も家族写真

2012-01-29 19:46:03 | 日記
 昨日の朝は、何とか起きて食事の支度をしたものの、ベッドに逆戻り、ではなくリビングでそのまま玉砕という感じで、結局、昼まで寝込んでしまった。今回、吐き気止めで新しく追加してもらったトラベルミンは、とにかく飲むと眠くなってだるくなって、身の置き所がなくなるほど。どうしようもなかった。
 昼にようやく起き出して、朝用意した食事をぼちぼちと口に入れた。

 夫と息子は、午後から、前から行きたかったという高尾山「冬そば」スタンプラリーに出かけてくれたので、私は食事の支度から解放され、ひたすら体力回復を待った。

 そんなわけで、昨日はパソコンに向かう気力がなく、更新することができませんでした。毎日出来るだけコンスタントに更新したい、と思っているのですが、実際はなかなか難しいことで、訪れてくださった方々には大変失礼いたしました。

 さて、今日。昨日も早めに休み、今日もたっぷり朝寝坊をした。大分体調が戻った感じだ。夫が朝食の用意をしてくれた。有難いことだ。
 ようやく食欲も出てきたが、外を歩いてみると、まだ何となくフラフラふわふわ頼りない感じだ。今日はとにかく強風であまりの寒さに驚いた。頬がキリキリするほどの冷たい風で吹き飛ばされそうだった。

 今年も息子の誕生日が明日に迫った。16歳になる。
 1歳の誕生日から、親子3人で記念写真を撮るのが我が家の習わしとなっている。
 昨年、一昨年は誕生日当日が日曜日、土曜日とドンピシャにお休みにあたったので、当日に撮影が出来たが、今年は月曜日ということで、一日前倒しで今日の撮影となった。
 いつものように皆でおニューの洋服を着て写真撮影。家族3人の全身、半身と息子1人の全身、半身と全部で5ポーズ撮った。「また大きくなったね~」と、カメラマンさんたちにおだてられつつ冷やかされて、相変わらずペチャクチャといろいろお喋りしながら、撮影終了。 さすがにプロが撮ってくれると、綺麗に撮れていて嬉しい。息子が一人で撮った写真は、2月に写真スタジオ横のスペースで催される展示会に参加することになった。
 その後、一日早い誕生日のお食事会ということで、夫と息子のリクエストだった蟹三昧のランチコースに舌鼓を打って、満足して帰宅した。

 私は、思い切って、午後のリンパプラスヨガに参加。たっぷり汗をかいて、また1週間、頑張ろう、とリフレッシュすることが出来た。

 一方、夫は昨日寒い中、雪が残る山頂等に行ったため、どうやら風邪をひいた様子。夕食後熱を測ると微熱だという。明日はどうしても休めないらしい。酷くならないとよいけれど・・・。


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2012.1.27 バランス感覚

2012-01-27 18:55:21 | 日記
 抗がん剤治療を長く続けて行く上で、いつも絶好調の体調でいたい、というのは望み過ぎかな、と思う。
 もちろん、薬が効いていて、副作用止めも最大限うまく使えて具合の悪い期間はせいぜい投与当日くらいで、翌日からはごく普通に次の投与日まで元気に過ごせる、というのが今思いつく一番有難い状況だ。
 譲れない前提条件としては、“薬が効いている”こと。
 それでも現実はそううまくはいかない。
 となれば、具合が悪くてじっと我慢の期間と動き回れる元気な期間がほぼ同じくらい、というバランスを保ち続けていられるうちは、精神的にも身体的にもなんとか大丈夫な状況か。
 こうして回を重ねるたびに強くなってくるように感じる副作用にその都度めげつつも、とにかく都合3日我慢すれば、昨日までの気持ち悪さが嘘のようになくなって、普通に食事が出来、普通に眠れる。そして、ああ、それじゃあまた頑張るか、ということになるわけだ。
 いつもいつもその繰り返し。なんとか大丈夫いう段階の、一番低いレベルで辛うじて踏みとどまっている感じだ。

 具合が悪くなれば、正直、ああ、もう次回の治療はお休みしてしまいたい、と思う。実際、休薬週の体の楽さ加減を想うと、その誘惑はいつもある。けれど、薬を辞めたら副作用の気持ち悪さやだるさから解放されるのと同時に、また悪い細胞が活発に動き出す、と考えるとそれは恐怖だ。
 だから、なんとかかんとか自分で自分を鼓舞しながら、次回の投与に臨み続ける。
 主治医や看護師さんたちは、投与日の朝には体調が復活して、一番元気な私しか見ていないから、投与後の具合が悪い週末を知らない。

 けれど、いずれ薬は効かなくなって副作用だけが強く出て、具合の悪い期間が長くなり、復活するまでに時間がかかり、つまりは元気な期間が短くなり、すぐにまた投与日・・・という日が来るのだとしたら、正直なところ、やはり心身ともにかなりキツいだろうな、と思う。
 もちろんいずれはそういうことも起きるのだ、ということは、どこかで受け容れないといけないのだろうけれど。

 昨日ご紹介した「だから死ぬのは怖くない」というMOOKによると、「抗がん剤が効かなくなったら・・・最後まで闘いたがる男、スパッとやめる女」というように、女性と男性は止めどきが違うそうだ。男性は最後の最後まで頑張るという。たとえ抗がん剤投与の副作用で命を縮めることになろうとも。逆に、女性はこれ以上続ければ逆に命を縮めることになるという一歩手前のタイミングで、それは上手に潔く抗がん剤治療を辞めるという。結果として抗がん剤を辞めた方が寿命を伸ばすことになるわけだ。女性の方が現実的で、その死に時と、場所を自ら選びとることが出来るそうだ。

 一昨日も採血の時に看護師さんから言われた。どうしても皆さん頑張っちゃうから、頑張り過ぎないことも必要よ、と。
 自分の体の声をきちんと聴くことが出来れば、自然とその感覚・・・少しでも寿命を延ばしながら生きる感覚・・・が得られるものだ、と思いたい。

 体調だが、やはり今日は辛い。歩いていても力が入らず、フラフラする。昨夜もぐったりとだるく眠く、早寝した。今朝は目覚ましが鳴る1時間前には目覚めたが、起き上がるのが辛い。食欲がないままお弁当づくり、朝食の支度で匂いを嗅ぐのが辛い。それでも仕事に行く、ということで何とか身支度を整える。働いていなかったら、夫と息子の二人を送り出した後は、一日パジャマで寝たり起きたりする生活になるのだろうな、と思いつつ。
 そして、余り味が分からない中で最低限をお腹に入れて、イメンド80㎎、ロキソニン、マグラックス、トラベルミンを飲んだ。

 今日は夫が宴会で夕食は不要という。部活で遅くなるという息子と2人、何も作る元気がないので、冷凍食品オンパレードでもいいか、と思っている情けない母である。何はともあれ、明日はお休み。本当に待ち遠しい週末だ。


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2012.1.26 昨日通院日に読んだ2冊と義母のこと

2012-01-26 20:31:01 | 読書
 昨日は2冊読んだ。
 1冊目は山本博文さんほかの「こんなに変わった歴史教科書」(新潮文庫)。
 比較対象になっている昭和を代表する1972年の教科書と、平成を代表する2006年の教科書というと、1974年4月から1977年3月まで中学生だった私、2008年4月から2011年3月まで中学生だった息子、と若干のずれはあるにせよ、重なる時期であり、興味深かった。
 私は受験では日本史を選択したが、年号の語呂合わせ等は、いや、そうだった、そうだった・・・と懐かしく読んだ。聖徳太子像、足利尊氏像として見ていた絵が、実はそうではないとか、世界最大の前方後円墳が実は、とか・・・、踏絵が実は絵踏の間違えだったとか。目から鱗のことが満載だった。
 私が「現代」として習ったものは間違いなく35年前の過去になっているし、歴史研究が進み、教科書がどんどん進化しているのは当然のことだけれど。
 山本博文さんのほかに執筆を担当したのが、「中世」以降は全て私が勤務する大学の院生や卒業生だったのも何やらご縁を感じた。
 今度、息子の歴史教科書をこっそり見せてもらおうかな、と思っている。あの雑然とした部屋に入るのは、かなりの勇気がいるのだけれど。

 2冊目は、週刊朝日MOOK「悔いなき最期を考える『終活』シリーズ第2弾 だから死ぬのは怖くない」(朝日新聞出版)。
 本書は当初、3月発刊の予定だったそうだ。そこへあの東日本大震災が起きた。結局11月初旬の発行になった。被災地のことを考えると「死」について語ることにためらいのある時期だったからだ、という。でも逆にこんなときだからこそ、と編集にはいろいろな思いがよぎったことだろう。もちろん、だからといって自死を薦めている本では、決してない、と編集後記にあった。
 ネットの記事を見て以前から気になっていたのだが、ようやく手にすることが出来た。
 アンケートによる2847人の死生観、帯津良一先生と7名の著名人との健康問答対談、その他、末期がん男性患者の医師・看護師同伴の海外旅行、ホスピス看護師の文章などが満載。写真も豊富な160頁ほどのものだったが、すらすらと一気読み。付録としてエンディング・ノート「死ぬときに後悔しないために書きおくこと22」がついている。
 中でも特に「余命18日(ホスピスに入ってからの患者の平均入院日数)からの死の受け入れ方」という話はストンと心に入ってきた。私たちはどこかで健康な状態が正常で、病気になった状態を異常だと思っているのではないか、と。病気になることは、抗えないものだったかもしれない。治療して良くなったり悪くなったり、そのたびに出てくる自分の体の状態を「これが今の私なんだ」と考え、そうやって死を受け入れていくことが「人生の達人」なのだ、と。
 占いを信じているわけではないが、ふと手のひらを見ると、かつては長く手首まで延びていた生命線が、今はずいぶん短くなっているように見える。手相は変わるというのは本当なのかな、と思う。

 さて、入院中の義母の容体について。
 やはり3分づきでもお粥等固形物が喉を通るようになり、便が大分固くなってきたようだ。輸液だけ、流動食の時はおむつでも間に合わず、汚れものの洗濯が大変で、別に洗濯機を買い、汚れもの専門で洗っているけど大変、と義妹から聞いていたので、とにかく良かった、と思う。私は何も役に立たないので、せめて後方支援と思い、義妹たちが住む市のホームページ等を調べてプリントアウトし、入院中でも出来るので是非介護保険の申請をなさるように、と夫を通じてお願いしていた。
 そして、昨晩、市役所に行ってきた、との連絡があった。良かった。2週間以内に様子を見に来てくれるという。退院して在宅になってから申請するのでは間に合わない。入院中に申請だけでもしておけるということが分かって有難かった。一度繋がれば、ずっと気にかけてもらえるはず。初めの一歩が出来て本当に良かった。これからの回復に向けての、短くはないであろう道程の少しでも手助けになることを願ってやまない。

 体調だが、昨夜はトラベルミンを飲んで就寝。気持ち悪さはちょっとあったが、1時間ほどの早朝覚醒で済んだ。それでも往生際悪くベッドで目覚ましが鳴るまで待機。朝はいつもの半分程度を食べてイメンド80㎎、ロキソニン、マグラックス、トラベルミンを飲む。午前中、なんとなくだるさと熱っぽさ、気持ち悪さが残る。
 昨日休んだ分のたまった仕事を午前中大急ぎで片づけた。お昼は気分転換に学外へお散歩して、薬を飲むために少しだけお腹に入れた。午後もやることが目白押し。暇よりもずっといいが、やはり根を詰めて仕事をすると疲れる。帰宅すると本当にがっくりして、いつもならなんでもなく出来る食事の支度が苦痛だ。

 日なたの雪はほぼ溶け切ったが、日陰はまだシャーベット状。自転車で行き来する学生が滑っていた。朝、中庭には大きなドラえもん等の雪だるまが3体あった。帰りには大分崩れていたけれど。
 大学生とはいえ、雪が降ると、やはり雪だるまを作りたくなるのだな、と微笑ましくちょっぴり崩れかけた顔を見つめた。

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