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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2025.3.20-21 エスワン6クール^9-10日目のこと 旅は4-5日目 夫不調 ツアー離脱を決意、緊急帰国の途へ

2025-03-21 06:32:18 | 
 昨日は荷物整理もせず(出来ず)、10時過ぎから6時まで泥屋のように眠った。
 そのおかげでスッキリしたが、適当に仮詰めした荷物の探索に手間取る。
夫に体調を訊くと、「悪い」と一言。「ツアーやめて帰る?」と訊くと「「帰ってもいいよ」と。!?「『帰ってもいいよ』じゃなくて帰りたいの」と訊くとうなづく。
 それからが大変。ガイドさんと添乗員さんにその旨伝えるが、今日は病院診察は時間的に無理、明日診察で帰国便は明後日の予定だったが、日本と同じレベルの医療を受けるにはイスタンブールまで行く必要があるし、その保証もないと聞くと、夫は一刻も早く帰りたいモードに。「俺の具合の悪さを全然わかっていない」とまで言われ、やさぐれた気持ちになるわ哀しくはなるわ。わかってあげているつもりだったが、夫はそう感じてはなかったようだ。

 結局帰国後すぐに受診した方が良いだろうと1番早く帰れる便の予約をお願いしたところ、今夜21時台の便でパムッカレに近い空港を出れば、夜中に羽田直行便があり、明日夜には羽田に到着可能というので、お願いする。あいにく今日は日本は祝日、こちらは断食でなかなか連絡が取れない。
 それにしても正規運賃はツアー2人分より高くてびっくり。もちろん体調優先だが、今回はツアー途中離脱オプションもつけていない。嗚呼。
タクシーで空港まで飛ばす。1時間強。断食のため、空港カウンターはすべてクローズ。いつもは3時間前には開くから、早く早くとホテルを4時に出てタクシーできたのだが、待ち時間でどんどんタクシーの追加料金が発生。アシスタントさんもつかまらず、添乗員Mさんがタクシーで空港まで同乗し、車椅子の手配など交渉を全てやってくださる。思いの外時間ぎかかり、ツアーの方々はホテルでの夕食が始まっている時間なのに、タクシーが待てると言った最大限の8時まで付き添ってくださり、最後はハグしてお別れ。リベンジでまた来てくだされば、添乗しますし結婚35周年のお祝いもします、とゆびきりげんまん。添乗員のMさんも私と同じ一人娘。添乗員歴は30年だそう。お母様が亡くなった時はベルギーのテロで帰国出来ず、お父様が倒れた時はエジプトのテロでやはり帰国できず。親の死に目にも会えない職業だと仰る。
 その後も延々と待って、ようやく9時過ぎに車椅子が来て外へ出される。寒い。
インドネシアのバリ島で父が載せられたように車椅子のまま飛行機のお尻からグイーンと上がっていく。
 飛行機はほぼ定刻通りに離陸し、簡単なサンドイッチとジュースを頂く。喉はカラカラでお腹が空いている筈なのに、なんだか変な感じ。
 イスタンブール空港に到着すると、車椅子利用なので席を立たずに待つ。お迎えが来て、再び外に出て震えながら空港へ。
 イスタンブール空港は昨年新婚旅行で訪れた息子曰く新しくてすごく広いよ、とのことだった。ビュンビュン飛ばして下手すれば落ちそうになる若いお兄さんが押す車椅子に乗り、ラウンジまで行ってもらう。既に日付が変わろうとしている。
 ラウンジは広くてどこに何があるかわからず、うろうろしているうち時間が過ぎる。パニーニとミックスジュースを頂くが、夫は水だけ。そんなに具合が悪かったんだ、私の為に付き合って無理をしていたんだ、と思うとなんだか凹む。何度となくボーディングパスのチェックと名前のチェックがあり、搭乗時刻の2、30分ほど前にお迎えの車椅子が到着。夫がお手洗いを済ませ、羽田行き搭乗口へ。既に結構並んでいるが、優先的に搭乗させて頂く。2人で迷いながら歩くのはとても無理だった。帰国便は夫と席が離れてしまう。そして席の並びは2−3−2で来た時の日系航空会社の1-1-1とは違って何やらシンプルだけれど、席数が多く狭い。私は3人席の右側だったが、席脇の小さなボードもとても小さく、ウエルカムドリンクのレモネードを間違って隣の席の方のところに置いたら、直接言ってくれればいいのにわざわざCAさんを呼び、「彼女(私の事)にここは私の場所だと言ってくれ」と英語で言っている。びっくりして謝ってグラスをどける。でも、同じ日本人なのにそんな対応をしなくても、と思う。
 夜間便なので灯を最大限に落としており、あれこれ物入の隙間に落としても見えない。本当に視力が悪くなっていて、暗い所では殆どきちんと見えないのだ。結局隙間に落としてしまったリップクリーム・眉墨等はCAさん達は開けられず、到着してから別の人が対応するとのことだったが、諦めた。
 夕食なんだか夜食なんだかわからない最初の食事のメニュー選択にシェフの姿をした女性が現れる。お願いしたかったメニューはソールドアウトで別のメニューとハーブテイを頼んだが、フルフラットにして横になったらいつの間にか眠ってしまった。既にカツラは外して、既にケア帽子だ。お手洗いには洗面用品の備えもなかった。左側の年配の男性の対応と違って、右隣の若い男性はとても親切で、真っ暗でどのボタンを押せばCAさんが呼べるか、充電器はどこかなど聞くと色々教えてくださり、充電器がコンセントでなくUSBだけだったので自分のモノを貸してくださった。有難いことだった。イスタンブールは年に2,3回あるヨーロッパ出張のトランジットで、とのこと。頑張れ、若い世代と思わず祈ってしまった。

 機内としては十分3,4時間熟睡したのだろうか。お手洗いに起きる。またしても薬の数のチェックやらあれこれ探し物をゴソゴソ。アイスクリームとフルーツを頂いたが、フル―ツサラダと言いつつモンキーバナナ1本とマンダリンオレンジ1個、洋ナシのようなものが3点ごろんとお皿に乗ってきたのでびっくり。その後も何となくウトウトごそごそ。後ろの席の夫のところにも離れているのでなかなか行きづらい。いつのまにか到着間際のお食事の時間になり、最初のプレートが運ばれた後、ポーチドエッグをチョイスした。なんだかお腹が一杯なのか空いているのか分からないが、食べないと体重減少が怖い。
 夫がやってきて「財布がない」と言う。!?食事の前まではあったが、お尻のポケットに入れておいたものがなくなったと言う。CAさんにもお手洗いで一緒に探してもらったそうだが、まさか流す筈もないし、」と。暫くしてCAさんとお礼を言いながら話しており、無事見つかった。めでたしでめだたし。

 到着すると、すぐに車椅子の案内が来る。2つの予約が通っており、イスタンブル空港での高速とは違って航空会社のグランドスタッフの女性が優しく押してくださるのでほっとした。
 そしまた携帯がないと言い出す困った私、捜索を開始したところ、無事見つかった。本当にどうかしていると思うが、致し方ない。本人はいたって真面目なのだ。
 今度は税関だ。飲んだMSコンチンのガラとまだ飲まなかったものを用意して、書類も準備して、その場でキャリーケースを開けて確認して頂く。特に問題なく通ったが、黄色い用紙を書くのを失念していた。それもフォローして頂き、車椅子を押して頂いていなかったら、自分で歩きながらはとても無理だったと思う。席でお手洗いに立つ時もよろめいてふらついたし、やはり心拍数が上がっているし、SpO2もいつになく低かった。パスポートコントロール等無事全ての手続きが終わり、夫と二人、車椅子姿で到着ロビーに出る。息子が迎えに来てくれていて、荷物を宅配に出そうとしたら、車に入るのでOKということで(宅配チケットもわざわざ別に避けて置いたはずなのに、それが見つからなかったので、)ほっとする。
 6階の駐車場までフルに車椅子のお世話になった。病院以外で乗るのは初めてだったが夫ともども本当に有難かった。お手洗いを済ませ、息子の車に乗り込む。高速が混んでいるから下道でもいいか、と買っておいてくれた紅サケのおにぎりが美味しかったこと。夫にはウイダーインゼリーとなかなか息子ながら気が利いている。おにぎりのおかげでまたお腹が空き、途中のコンビニでもう一つおにぎりを買って、ペロリと2個平らげた。日本茶とおにぎり、美味しい。まさか旅の途中でこんな日本食が食べられるとは。

 無事帰宅。リムジンバスで帰宅しても駅からタクシーだし、2階の我が家までスーツケースを2個上げないといけない。今の夫にはそんな力はとてもない。それを仕事帰りで疲れている筈の息子がやってくれたのは本当に神の助けだった。月曜日の午前中遅い時間にがんセンターの予約も入れてくれたという。母にも予定より5日早く帰国する旨連絡しておいてくれたそうだ。
 ということで、6日ぶりの我が家。夫はいきなりリビングでぐったりと座っている。ほっとしたのだろう。息子が残念なお知らせがあります、リビングのエアコンがつけっぱでした。と。なるほど暖かい。

夫は風袋毎で61キロ、私も41キロだった。とりあえずキープ出来たのでほっとする。

 息子が帰ったのは日付が変わる頃。無事に最寄り駅について帰宅したという。
明日はまた用事がある中、本当にありがとう。

 予定外の大出費はあったが、命あってのものだねだ。夫はさっとシャワーを浴びて先に寝てもらった。私はカカムッパレの石灰棚で足が洗いたかったので、入浴。

懸案だった紛失したかも、という家のキーケースは無事見つかった。後はパスケース。これは息子が初任給でプレゼントしたもので、毎日身に付けていた。中には免許証を入れていたが旅前にそれを抜き、中身はPASMOとヨガスタジオの会員カードだが、とにかく今朝コートの左ポケットにあったのを確認して、それをどこに入れたのか。また明日ゆっくり探したいと思う。

そんなことで大変な思いをしつつも無事帰宅した。
 明日以降昨日の観光等について追記したいと思う。おやすみなさい。

 

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2025.3.18 エスワン6クール7日目のこと 旅は2日目 ブルサ観光後エーゲ海を望むエドレミットへ

2025-03-19 04:13:59 | 

 昨夜はブログアップ後、殆ど正体不明で入浴し、夫が一時間おきにお手洗いに起きるのにも気づかずにモーニングコールが鳴る前に目が覚めお手洗いへ。スインプロイクのおかげで今朝も快便。そして電話が鳴る。夫も起きて、身支度と荷物整理。昨夜は夫ダウンのためチェックイン後荷物整理どころではなかった。それにしても充電器を見たのが今朝最後になるとは・・・)

 朝食のため、階下のレストランへ。フランス系のホテルだけあってとてもシックでおしゃれ。7時スタートというが早い方たちはもう食事を始めている。色とりどりのブッフェだが、あまり食欲もなく、オレンジジュースとツナサラダ、スクランブルエッグと甘いデニッシュを少しずつ頂いて、食後はカプチーノ。相変わらず夫は食欲がないようだ。夜薬を塗るのに口の中を見て驚いた。 口の中があれほど口内炎まみれでは痛いのは当然、更に味覚異常だととても食べる気はしないのだろう。朝の薬を飲み、時間的に母が家にいるかもとMeet通話。出ないので諦めて息子に無事着いたことだけ連絡するようにお願いする。

 8時の時間どおりにチェックアウトを済ませ、バスに乗り込む。私達が最後だった。席は自由。前しか空いてなくて2列目と3列目に座った、バスはVIPバスで3列。私達は今回19名様ご一行なので5列目までしか使わない計算だ。Wi-FiもOKとのことだったが、調子が悪いようで、繋がらないと困っている方がおられた。Wi-Fiボックスを用意していてよかった。夫はバスに乗った途端船を漕ぎ出す、私も眠いが、なんとなく外の風景を見る。雨模様のでけぶったオリーブの木が見える光景だ。今日の目的地ブルサの気温は1度から10度と、曇り時々雨の予報。体感気温はもっと寒い感じ。風が強い。
 途中お手洗い休憩が間に合わず、夫がバス内のお手洗いを借りたいという。 去年私もイタリア旅行中バス内のトイレをお借りしようと思ったらドライバーからダメと言われて青くなった。下痢が酷かったので、最悪だったが、夫の事情を話し、借りられてほっとした。が、添乗員さんから一言緊急事態に限ります、大の場合は匂いがこもるので外で、となっています、と言われてのけぞる。外で大?一体どこで?である。なんということ。

 ガソリンスタンドで1回目のお手洗い休憩。今日の目的地ブルサはイスタンブールから156キロ、高速道路を通るので揺れるから走行中のお手洗いは危ないとのこと。それでも排出できなければ、そこで粗相をしろということになる。なんという紋切型な対応。
 何回か母に連絡したけれど、出ないので諦めていたら、なんと向こうからテレビ電話がかかってきて、無事到着して今はバスの中、夫の具合が悪いので心配していること、母が変わりないか確認出来た。今日はヘルパーさんが来る日だったが、その後、Wさんのマッサージに行ったら留守で大分待ったが戻ってこないので、電話をしたら、母の勘違いで明日の予約だったそう。トホホである。Wさんからも連絡があり、無事にお帰りになられたかどうかというのでLINEでお詫び方々連絡。無事でよかった。

 2014年に世界遺産登録されたブルサは町全体が博物館のよう。標高2543mのウル山の麓に広がる緑多き温泉街。オスマン帝国最初の首都がおかれた町で、現在も初期のスルタン(皇帝)の言廟が残されているトルコ第4の都市である。1時間半の観光と訊いて、夫はバス内にとどまるという。かなり体調が悪そうだ。心配だけれど、ひとまず動けそうな私は外に出る。最初はウルモスク。グリーンモスクと言われるモスクは9月に訪れたマレーシアのように塔が何本も立っておらず、教会のようだ。靴は置いておくと履いていかれるということで靴袋を頂き、中に入る。ローブではなく、ストールを髪に。外す時にカツラにひっかかったな、と思ったが、なんとか其の場を取り繕って外に出る。緑のじゅうたん、緑のタイルで統一されておりとても綺麗だった。続いて向いの階段を上り、霊廟へ。こちらもグリーンで統一れておりとても綺麗。そこからシルクバザールへ。ハイブランドのスカーフやストールを値段を付け替えて提供しているとのこと。確かにエルメスのスカーフと訊いてびっくりするほど安価だった、本物と偽物を触らせてもらい、その手触りを実感する。ウインドーショッピングだけだったけれど、中庭がある素敵な造りで、テラスではあいにくのお天気なのに、街の人はたばこを吸ったり、お茶を飲んだり寛いでいた。
 バスに戻ると、なんと夫はドライバーさんにお茶に連れて行ってもらい、おごってもらったとのこと。さらには翻訳アプリでかなり色々話がもり上がったそう。退屈していなくてほっとする。親切なドライバーさんで良かった。お礼を言う。
 そこから、少し歩いてランチのレストランへ。可愛らしい造りの場所だ。豆のスープ、ケバブのヨーグルトソースかけ、焼きプリンのスリーコースだった。アイランと呼ばれるヨーグルトジュースに挑戦したが、甘みがなく、プレーンヨーグルトを薄めた感じだった。プリンはとても美味だったが、夫はイマイチだったよう。渋滞になる前に今夜の宿泊場所エーゲ海沿いのリゾートホテルを目指す。ドライバーさんと仲良しになって、病気のことも話して、トイレはいつでもOKの許可を頂いた夫はほっとしている様子。

 ガソリンスタンドでお手洗い休憩の時、昨夜お隣になった都内からおいでの奥様が自動ドアが急にしまっておでこの上を酷くぶつけて氷で冷やしておられたが、もしやの発熱に備えて持ってきていた冷えピタをお渡ししてとても感謝して頂けて良かった。夏は人口が50万も増えるというエーゲ海近くの別荘地には驚いた。

 ホテルに寄る前にアルコールが出ないレストランが続いたので、とお買い物タイムとでスーパーに寄ることに。外は寒い。風が冷たい。普段ならスーパー大好きな夫だが、今回もバス内で留まるというので、ちょっと様子を見て写真だけ撮って戻ることに。帰りはところが、似たバスがいて、あわや間違いそうになった。ようやく探したが、随分遠回りをしてしまった。本当に馬鹿だ。

 抗がん剤治療はつくづく老化促進剤だと思う。小さい声でもそもそ話す夫の声が聞き取れず、何度も聴き直すし、眼は涙でぴんとが合わないだけでなくしょぼしょぼして本当に見えにくい。匂いはわかるが、味覚異常が出れば食事の味も分からない。手足も痺れて感覚がダメになっている五感がほぼ全滅だ。さらにこの短期記憶障害とでもいえるようなすぐに忘れ物、落とし物をすること。これでQOLが保てているのかと思うと悲しくなってしまう。

 あまりに夫が元気がないので旅行を中断して離脱するかとも聞いたが、ようやくがんセンターから返事のメールが入り、旅行中は薬を休んでよいことになった。日曜日で事務作業が遅れ、今日ファックスを見て頂いたという。主治医ではなく副院長からのメールだった。少しずつ副作用が消えてきてくれると良いのだけれど。

それにしてもなんとタイミングが悪いことか。3月初めの診察ではどうぞ行ってらっしゃいと笑顔で主治医に送って頂きながらそれと入れ替わりにの翌日から発熱や頻尿、味覚異常に口内炎と副作用のオンパレード。あまりにひどいことだ。旅行会社にも私のことばかり伝えていて夫のことは何も言っていなかったので、添乗員さんからはもし病院に行くことになったら何もわからないでは済まない、と言われ英文の診断書と処方箋のコピーをお渡しすることに。


 そのまま夕方早い時間にホテルに到着。温泉プールやあジム、かすり体験などリゾートホテルらしいサービスがあるが、とてもそんな元気はなく、夕食までアラームをかけて横になる。

 夕食はブッフェ。色々あったけれど、どれも似たようなお肉の煮込みで、ちょっとがっかり。それでも夫はアハわからなかったけれど、甘い物も食べられてカロリーは取れた、と言ってくれたのでほっとする。1人参加の女性2人と一緒のテーブル。

 部屋に戻って私の充電機が見当たらないことに気づく。昨夜充電して、朝充電しているのを確認して片付けた時、手の痺れでコードがうまくまとめられなかったのは覚えているが、どのスーツケースに入れたか、全くわからないのでひっくり返して探したが夫の荷物からも出てこない。ベッドサイドテーブルに置いたままだったんじゃない?と訊かれるが、全くわからない。嗚呼。どこかに紛れ込んでいないだろうか。明日こそすこし夫が回復して一緒に歩けますように。


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22025.3.19 旅は3日目 エスワン6クール8日目のこと 古代都市エフェソスからイズミールへ

2025-03-19 04:13:59 | 


 昨夜も夕食後は荷物整理(捜索)をし、ブログを書いたらもうヘトヘトのよれよれ。夫が先に寝付いてなんとか10時半には眠りたかったが、充電器等探し物に明け暮れて入浴を済ませ、ベッドに漸く入れたのはもう日付が変わる頃だった。
 充電器はベッドに於いたビニール袋ひっく返したら出てきた。これにはほっとしたが、本当にこういう手戻りが多すぎてとても疲れる。なかなか寝付けない。疲れすぎているのか、
 それでもお手洗いに目が覚めたら2時近く。息子から時差を考えないLINEが入る。東京は雪だそう。
 2時間ほどは眠ったようだった。夫がお手洗いに行くのを確認して二度寝。その後もなかなか眠れず、4時近くにまた夫がお手洗いへ。漸くトロリとしたらもうアラームが鳴った。
 6時起床、7時荷物出し、出発が8時のスケジュールはずっと変わらない。あと30分出発が遅ければ思うが、そうも言えず。
 なんとか身支度を終えて、朝食レストランへ。もう戻らないように荷物を持って出るあまり触手を動かされない。珈琲等の配置も分かりづらく無駄に歩いてしまう。今日の目的地の気温は2から13度。曇り時々雨という。これは暖かくしていかないと、としっかり着込む。あまり足元が悪いようならエフェソスの遺跡の観光もバスの中でいようと決めて出かける。
 時間通りにバスが出発。今日は昨日より1列下がった。相変わらず夫のテンションは低い。
 エーゲ海最大の遺跡群が眠る古代都市エフェソスへ向かう(移動距離は300kmで約3時間30分の行程だが、添乗員のMさんから今回は特別にお手洗い休憩を1時間に1度にして頂きますと何度も言われるとなんとなく肩身が狭い。出発して1時間後にガソリンスタンドでお手洗い休憩。風が冷たい。弱った身体を突き抜ける。お天気は良く青空でオリーブの木,桃の花等の景色を視ながらバスは順調に進む。日差しが強くサングラスが欲しいほど。眼が痛い。強い風のおかげで体感温度実際の気温よりかなり低い。また1時間後に2度目のお手洗い休憩もガソリンスタンド。それぞれトイレチップが不要だ。

 トルコ西部に位置するイズミル県セルチュク近郊のエフェソスは紀元前7000年以上前から人々が住んでいた地。海岸線が東から西へ移動するという独特の地形で港は常に西に移動しているという。紀元前10世紀頃に現在の場所に人々が住むようになり、周辺には紀元前700年前にアルテミス宸殿が建造され、月の女神アルテミス信仰が盛んだったそうだ。ここでの観光前にアルテミス宸殿跡で写真タイム。この時だけせめて夫にバスから外に出てもらい、今回初めてツーショット写真を撮る。今では柱は一本だけしか残っていないがその上にコウノトリが佇んでいた。こんなことはラッキーと添乗員さん。何かいいことがあればよいのだけれど。
 そこからランチレストランへ。素敵なレストランで、野菜スープ、チキンの串焼きシシカバブ、チュロスのランチをご一緒したのは中学受験の褒美に小学校卒業記念旅行としておじいちゃまおばあちゃまとお孫さんの3人で福岡から参加しておられる3人連れ。まだお若いので、お爺ちゃんというイメージはなく、グランパと呼ばれていた。なんと100か国を旅してきたそう。添乗員さんの147か国も凄いけれど。

 お天気が悪ければ足元が心配なので私もバス内で過ごすつもりだったが、風は強いが、お天気なのでしっかり着込んで世界最大級といわれるエフェソス遺跡観光に向かう。入口を入ったらお手洗いもないし、座る処もない、1時間半歩きっぱなしだが、坂道も階段もゆっくり行くというのでしんがりからついていくことに。学生時代の卒業旅行でポンペイ遺跡は見たことがあるが、もっとずっと大規模で驚いた。それでも風は強く、大理石はつるつると滑る。これは雨だったらとても無理だったなと思いながらへっぴり腰でゆっくり歩く。ガイドOさんの説明を聴きながら震え上がる。
 強風にさらされて1時間半が長く感じる。さらにサプライズとしてミュージアムで3篇の短いプロジェクションマッピングのような映像上映があった。エフェソスがここに決まった理由、栄えた時代のこと、アルテミスの話等。館内は暖かかったが、たちっぱなしでかなり疲れた。這う這うの体でバスに戻り、その後、80キロの距離、1時間バスに揺られて本日の宿泊地イズミールへ。

 夕方にはホテルチェックイン。こちらもエーゲ海のリゾートスパホテル。マーケットが階下にあるので覗いてみてくださいとか、ジムや温水プールサウナ利用もOKというが、なんといっても疲れてそれどころではない。夕食まで1時間、荷ほどきもせず、アラームかけて2人でベッドに横たわった。

 
夫にはがんセンターらまた電話とメール入ったようで、出来れば受診をという提案は乗れないが次善の策として27日羽田空港に到着したらその足で午後、受診可能かどうか問い合わせした。
 予約は電話のみメールは不可ということで、明後日開院時間内に連絡することになった。いやはや。

 夕食は大森からご参加のご夫婦と。野菜のクリームスープ、魚のフライ、チョコレートプリンにチャイを付けた。あまりにボリューミーで半分以上頂けず。プリンもとんでもなく甘いチョコクリームという感じでとても無理だった。夫はカロリー摂取のため頑張ってお腹に入れていたし、一生懸命会話していたけれど、部屋に戻ってきたら、あっという間に一人で寝てしまった。

 イスタンブールでの車いす観光もホテルにいるのでいい、というので添乗員さんに1人キャンセルの連絡をした。嗚呼。なんだか私が強引にひき連れて来たような感じになってしまい、ちょっと落ち込む。が、今、冷静に考えればもう少し副作用が安定するのを待ってからの方が良かったのかもしれない。結果論だけれど。


※※※お読み頂いている方々へ※※※
いつも応援やいいね、のリアクションを頂き、どうもありがとうございます。そしてコメントも頂き、ありがとうございます。
今回はかなり余裕のない体調での旅になってしまい、一日の終わりホテルに戻ってくるとヘトヘトのヨレヨレです。普段なら記事を書いた後にコメントのお返事もすぐにするところですが、今回はちょっとしんどく、申し訳ありませんが、旅行中に頂いたコメントのお返事は帰国後になってしまうことをお許しください。本文だけはなんとか書き続けたいと思っていますが。


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2025.3.17 エスワン6クール6日目のこと 飛んでイスタンブール♪ 13時間半のフライトを経てイスタンブール空港到着いよいよ旅の始まりです

2025-03-18 03:57:27 | 

 6時15分集合に備え6時に集合カウンターへ。昨夜寝たのは日付が変わるかどうかの頃、夫が1時間おきにお手洗いに起きる。やはり5時間で3、4回か。大荷物でターミナルの端から端まで歩き、それだけでへとへと。親子と思しき方たち2名、女性一人参加の方の次3;番目の到着で4、5番のタグを頂く。そしてチェックイン。期せずして前から2番目の王様席と呼ばれる人気の両脇にテーブルのある席を頂いた。夫は隣の外が言える席だけれど、今回は数席しかない王様席の方が良かったみたいだ。セキュリティチェックを終えて、税関へ。既に頂いた医療用麻薬輸出許可書を見せ、実物の薬を出して数を数えてチェックして頂いたら、全くノープロブレムでそのまま夫と合流。離陸時間の30分前に搭乗口に行くとなるとそれほどラウンジで時間はないかと思ったけれど、思いのほかスムーズで小一時間寛ぐ時間があった。ごくごく軽い朝食を済ませ、朝日の眩しさに目を細めながら搭乗口を目指す。
あれこれ落とし忘れたりする私に「今までは出来たけれど、今は出来ない人になったことを認めないと」という。それは十分わかっているが、「ばかだ」とか何かミスをすると舌打ちをされると涙がこぼれそうになる。お願いしてやめてもらうようにする。色々なことが思うようにできなくなったのは自分が一番よく分かっている。
 そしてほぼ定刻に機上の人となる。すぐにウエルカムドリンクのオレンジジュースとシャンパンが出てくる。のどがカラカラで冷えたジュースが体に染み込む。今日はスインプロイクのおかげで朝、午前、午後と3回もお通じがあった。体制整備しているうちに、無事着陸。ほどなくして食事のリクエストにCAさんが見えて、和食をチョイス。夫は洋食にした模様。そんなわけで朝便は乗ったらすぐに食事が出る。去年のイタリア旅行のパリ便もそうだった。なのでラウンジで食べ過ぎるとまずいと今回はちゃんとわかっている。それでも春の前菜、小鉢もうかなりお腹一杯。次に主菜とご飯のセット等が出てきたが殆ど頂けなかった。デザートは美味しかったので半分以上頂く。食後はすぐにツラも外して足を延ばしていつでも横になれる体制にしてリラックス。見たいと思いつつ駅前のシネコンで短い期間の上映だったため、見逃した「侍タイムトリッパー」、「本心」を2本続けてみた。これで4時間経過。食事をしながら映画を愉しんだ後は、昨日の読みかけの文庫を読む。色々頷ける部分もあり、眠気に負けまた読みかけになってしまった。2時間の爆睡の後、夫がカスピ海が凄いよ、というので覗きに行くと、本当に綺麗なブルーが広がっていた。あまりに大きくて境界がわからない。
 途中リフレッシュメントでアイスクリームやジュース、レモンドレッシングのガーデンサラダとフルーツを頂く。その間鼻血が出てナフキンを汚すわ、ジュースをひっくり返して台ふきをお借りするやら、とんでもなくご迷惑をかけてしまう。離陸前最後の食事は洋食にした。結構食べられた。夫は何を食べても美味しくなさそうで気の毒だ(口内炎が悪化して酷いことになっている)けれど、私はこの旅行で体重を少し増やして帰りたい。
 定刻にイスタンブール空港に到着。曇天だけれど、コートなしでは寒い。ツアーで一緒に税関を抜けますとのことで、あれほど心配して英語で想定問答を考えていたにもかかわらず、何のチェックもなく、スルー。案ずるより産むがやすしとはこのことか。それにしても沢山の薬を抱えていたのでほっとする。
 空港からはレストランで夕食を摂ってからホテルに入るということだったが、30分で到着予定が酷い渋滞で全然到着しない。しかもイスタンブールでお洒落な場所の新しいお店らしくガイドさんも初めてとのことで、場所が定かでないらしい。ナビに従い、かなり遠くでバスを降りて延々と歩かされて、皆寝不足と疲れでブーイング。なんといっても60代、70代夫婦が半数以上、孫連れ、女性おひとり様のゆったりツアーなので、これはとんでもないと皆でぶつぶつ。料理はスープとケバブライスにフルーツと簡単なものだったが、夫が頼んだスプライトは1000円、隣のご主人が頼もうとしてキャンセルしたワインはグラスで4000円、添乗員のMさんがスーパーで6本お水を買ったら5000円だったそう。かつての感覚でいると大変なことになりそうだ。羽田で若干の€を両替し、ここではトルコリラに両替したがなり割が悪くなっているようだ。コロナ後、世界的な物価の根上がりはここも変わらない、と言った感じ。

 その後、15分ほどバスに揺られて今日宿泊するホテルにチェックインした。お部屋はかなり素敵だけれど、6時間の時差で日本はまだ夜もそれほど遅くないが、こちらは殆ど完徹の状態。映画を見た後2時間は眠ったが、それ以外は殆ど横になっただけ。寝不足で気が遠くなっている。明日は6時モーニングコール、7時朝食、8時出発の予定だ。
 夫がかなり疲れている感じなのが心配だ。先に休んでもらったのだけれど。


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22025.3.16 エスワン6クール5日目のこと明日から文明の十字路トルコ周遊11日間の旅 ぽんコツ2人組、行ってきます

2025-03-15 23:20:16 | 


 昨夜も結局、日付が変わってからの就寝。
 日曜日仕様のスマホアラームが鳴るまで起きずにたっぷり眠ったが、夫が部屋に入ってきて、状況は変わった。あまりに頻尿が酷く、今朝は体重が62キロまで減ったという。治療開始時には69キロだった。
私と同じに、いやそれ以上に体重が短期間で10%も落ちている。アフィニトールの休薬について至急相談したいが、お世話になっているがんセンターに連絡したところ、日曜日ということで宿直の先生しかいらっしゃらず、主治医の判断がないと回答は出来ないとのこと。


 仕方なく自己判断で3日間アフィニトールを休み、状況についてのメモをファックスで送り、メールアドレスと携帯番号をお知らせする。明日のフライトが8時15分なので、先生が出勤する8時半より若干早いのだ。
先生がファックスを早めに見てくださって連絡が来ると良いのだが。
 確か、前回の診察で、もしなんだったら旅行の間は休んでも、ともごもご仰っていたような記憶もある。とにかく1時間ごとのお手洗いでは夜もろくろく眠れていない筈。食事は殆ど満足に摂れないし、こんなにひどい副作用に、見舞われる事態は本当に想定外だった。

 ひとまず洗濯機を廻し、朝食の支度をするが、夫には~と溜息をつかれると、こちらもは~となってしまう。
 とりあえずなんとかお腹に入れて、洗濯物は乾燥機と浴室乾燥機に仕分け。2人とも体力が落ちていてとにかく疲れやすいので、なかなか作業が進まない。機内持ち込みのキャリーけースを夫に確認してもらってパッキング終了。

 私は昨日持ち出した自宅と実家と母の施設の鍵がついているキーケースが見つからない。いつもの収納場所にないと言われて初めて気が付いたいつも使っているバッグを探したが見つからないので、諦めてタクシーで駅まで。冷たい雨が降っている。
 心当たりに連絡するが見つからないとのこと、多分ちゃんとしまっているのだが、それがわからないのだ。一事が万事、こんな感じで我ながら情けなくて涙が出る。いつから私はこんなダメダメになってしまったのだろう。

 タクシーを呼び、信号にかなりひっかかって結構ギリギリの到着。乗る予定の電車に乗り、今日の車内のお供は初めましての飛鳥井千砂さんの「見つけたいのは、光」。ワンオペ育児をしていた産休最後の1か月を思い出すと、今でも胸が苦しくなる。

 眠いけれど、眼をしょぼしょぼさせウトウトしながらなんとか読み続けてしまった。だが、夫が途中でお手洗いに降りる。やはり家を出てから1時間だ。その後も1時間でまたお手洗いへ。結果、予定していたより羽田空港の駅に到着したのは30分ほど遅くなってしまった。 それからターミナルでWi-Fiボックスを取り出し、送ったスーツケースを受け取り、2人とも大荷物にヨタヨタしながらターミナルの端から端まで歩いてホテルにチェックイン。これはポーターさんがいないとかなり厳しい。がっくり。

 部屋はグレードアップして頂いて、滑走路が見える部屋になったのだが、天気が悪いので、なんだかな、の感じ。荷ほどきして中身の調整をする元気もなく、パソコンを開く元気もなく、暫し放心状態。
母への定期便の時間になり、Meet通話。「大丈夫?寒かったでしょう?疲れたでしょう?と言われ、頷く。今日は何もせずに家にいたようだが、お父さんを支えながら気を付けて行ってきて。と言われる。明日は早朝出発なので、現地に到着して時さを考えつつ連絡をすると言って切る。

 その後も疲れて動けず、暫くして階下のレストランへ。夫はお勧めのステーキ重をとホットのウーロン茶、私はクロックムッシュとレモンティーを頂くが、2人とも食べきれず。夫は大好きな牛肉が塩の塊のように感じるという。
口内炎も酷いし、本当に可哀想だけれど、なすすべがない。せめて明日から11日間薬が休めたら少しは良くなるだろうか。うがいも真面目にやっているのだけれど。
 ゆっくりと食事を摂り、今しがた部屋に戻ってきた。
  今日はこの後、荷物や薬、書類の最終チェックをしたら入浴、時間を遅らせたMSコンチンを飲んでそのまま眠る予定だ。
明日のアラームは4時45分の予定である。ラウンジで軽食が摂れるし、飛行機に乗れば2時間もせずに昼食が出るので、朝ご食はパスで、荷物を持って早々のチェックアウトだ。

 こんなに2人とも体調に不安があって出かけるとは我ながら酔狂だが、これで遠距離の旅行は最後になるだろう。無理せず、無事に帰ってくることだけを目標に、ポンコツ2人組のや弥次喜道中、行ってきます。


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