昨日は荷物整理もせず(出来ず)、10時過ぎから6時まで泥屋のように眠った。
そのおかげでスッキリしたが、適当に仮詰めした荷物の探索に手間取る。
夫に体調を訊くと、「悪い」と一言。「ツアーやめて帰る?」と訊くと「「帰ってもいいよ」と。!?「『帰ってもいいよ』じゃなくて帰りたいの」と訊くとうなづく。
それからが大変。ガイドさんと添乗員さんにその旨伝えるが、今日は病院診察は時間的に無理、明日診察で帰国便は明後日の予定だったが、日本と同じレベルの医療を受けるにはイスタンブールまで行く必要があるし、その保証もないと聞くと、夫は一刻も早く帰りたいモードに。「俺の具合の悪さを全然わかっていない」とまで言われ、やさぐれた気持ちになるわ哀しくはなるわ。わかってあげているつもりだったが、夫はそう感じてはなかったようだ。
結局帰国後すぐに受診した方が良いだろうと1番早く帰れる便の予約をお願いしたところ、今夜21時台の便でパムッカレに近い空港を出れば、夜中に羽田直行便があり、明日夜には羽田に到着可能というので、お願いする。あいにく今日は日本は祝日、こちらは断食でなかなか連絡が取れない。
それにしても正規運賃はツアー2人分より高くてびっくり。もちろん体調優先だが、今回はツアー途中離脱オプションもつけていない。嗚呼。
タクシーで空港まで飛ばす。1時間強。断食のため、空港カウンターはすべてクローズ。いつもは3時間前には開くから、早く早くとホテルを4時に出てタクシーできたのだが、待ち時間でどんどんタクシーの追加料金が発生。アシスタントさんもつかまらず、添乗員Mさんがタクシーで空港まで同乗し、車椅子の手配など交渉を全てやってくださる。思いの外時間ぎかかり、ツアーの方々はホテルでの夕食が始まっている時間なのに、タクシーが待てると言った最大限の8時まで付き添ってくださり、最後はハグしてお別れ。リベンジでまた来てくだされば、添乗しますし結婚35周年のお祝いもします、とゆびきりげんまん。添乗員のMさんも私と同じ一人娘。添乗員歴は30年だそう。お母様が亡くなった時はベルギーのテロで帰国出来ず、お父様が倒れた時はエジプトのテロでやはり帰国できず。親の死に目にも会えない職業だと仰る。
その後も延々と待って、ようやく9時過ぎに車椅子が来て外へ出される。寒い。
インドネシアのバリ島で父が載せられたように車椅子のまま飛行機のお尻からグイーンと上がっていく。
飛行機はほぼ定刻通りに離陸し、簡単なサンドイッチとジュースを頂く。喉はカラカラでお腹が空いている筈なのに、なんだか変な感じ。
イスタンブール空港に到着すると、車椅子利用なので席を立たずに待つ。お迎えが来て、再び外に出て震えながら空港へ。
イスタンブール空港は昨年新婚旅行で訪れた息子曰く新しくてすごく広いよ、とのことだった。ビュンビュン飛ばして下手すれば落ちそうになる若いお兄さんが押す車椅子に乗り、ラウンジまで行ってもらう。既に日付が変わろうとしている。
ラウンジは広くてどこに何があるかわからず、うろうろしているうち時間が過ぎる。パニーニとミックスジュースを頂くが、夫は水だけ。そんなに具合が悪かったんだ、私の為に付き合って無理をしていたんだ、と思うとなんだか凹む。何度となくボーディングパスのチェックと名前のチェックがあり、搭乗時刻の2、30分ほど前にお迎えの車椅子が到着。夫がお手洗いを済ませ、羽田行き搭乗口へ。既に結構並んでいるが、優先的に搭乗させて頂く。2人で迷いながら歩くのはとても無理だった。帰国便は夫と席が離れてしまう。そして席の並びは2−3−2で来た時の日系航空会社の1-1-1とは違って何やらシンプルだけれど、席数が多く狭い。私は3人席の右側だったが、席脇の小さなボードもとても小さく、ウエルカムドリンクのレモネードを間違って隣の席の方のところに置いたら、直接言ってくれればいいのにわざわざCAさんを呼び、「彼女(私の事)にここは私の場所だと言ってくれ」と英語で言っている。びっくりして謝ってグラスをどける。でも、同じ日本人なのにそんな対応をしなくても、と思う。
夜間便なので灯を最大限に落としており、あれこれ物入の隙間に落としても見えない。本当に視力が悪くなっていて、暗い所では殆どきちんと見えないのだ。結局隙間に落としてしまったリップクリーム・眉墨等はCAさん達は開けられず、到着してから別の人が対応するとのことだったが、諦めた。
夕食なんだか夜食なんだかわからない最初の食事のメニュー選択にシェフの姿をした女性が現れる。お願いしたかったメニューはソールドアウトで別のメニューとハーブテイを頼んだが、フルフラットにして横になったらいつの間にか眠ってしまった。既にカツラは外して、既にケア帽子だ。お手洗いには洗面用品の備えもなかった。左側の年配の男性の対応と違って、右隣の若い男性はとても親切で、真っ暗でどのボタンを押せばCAさんが呼べるか、充電器はどこかなど聞くと色々教えてくださり、充電器がコンセントでなくUSBだけだったので自分のモノを貸してくださった。有難いことだった。イスタンブールは年に2,3回あるヨーロッパ出張のトランジットで、とのこと。頑張れ、若い世代と思わず祈ってしまった。
機内としては十分3,4時間熟睡したのだろうか。お手洗いに起きる。またしても薬の数のチェックやらあれこれ探し物をゴソゴソ。アイスクリームとフルーツを頂いたが、フル―ツサラダと言いつつモンキーバナナ1本とマンダリンオレンジ1個、洋ナシのようなものが3点ごろんとお皿に乗ってきたのでびっくり。その後も何となくウトウトごそごそ。後ろの席の夫のところにも離れているのでなかなか行きづらい。いつのまにか到着間際のお食事の時間になり、最初のプレートが運ばれた後、ポーチドエッグをチョイスした。なんだかお腹が一杯なのか空いているのか分からないが、食べないと体重減少が怖い。
夫がやってきて「財布がない」と言う。!?食事の前まではあったが、お尻のポケットに入れておいたものがなくなったと言う。CAさんにもお手洗いで一緒に探してもらったそうだが、まさか流す筈もないし、」と。暫くしてCAさんとお礼を言いながら話しており、無事見つかった。めでたしでめだたし。
到着すると、すぐに車椅子の案内が来る。2つの予約が通っており、イスタンブル空港での高速とは違って航空会社のグランドスタッフの女性が優しく押してくださるのでほっとした。
そしまた携帯がないと言い出す困った私、捜索を開始したところ、無事見つかった。本当にどうかしていると思うが、致し方ない。本人はいたって真面目なのだ。
今度は税関だ。飲んだMSコンチンのガラとまだ飲まなかったものを用意して、書類も準備して、その場でキャリーケースを開けて確認して頂く。特に問題なく通ったが、黄色い用紙を書くのを失念していた。それもフォローして頂き、車椅子を押して頂いていなかったら、自分で歩きながらはとても無理だったと思う。席でお手洗いに立つ時もよろめいてふらついたし、やはり心拍数が上がっているし、SpO2もいつになく低かった。パスポートコントロール等無事全ての手続きが終わり、夫と二人、車椅子姿で到着ロビーに出る。息子が迎えに来てくれていて、荷物を宅配に出そうとしたら、車に入るのでOKということで(宅配チケットもわざわざ別に避けて置いたはずなのに、それが見つからなかったので、)ほっとする。
6階の駐車場までフルに車椅子のお世話になった。病院以外で乗るのは初めてだったが夫ともども本当に有難かった。お手洗いを済ませ、息子の車に乗り込む。高速が混んでいるから下道でもいいか、と買っておいてくれた紅サケのおにぎりが美味しかったこと。夫にはウイダーインゼリーとなかなか息子ながら気が利いている。おにぎりのおかげでまたお腹が空き、途中のコンビニでもう一つおにぎりを買って、ペロリと2個平らげた。日本茶とおにぎり、美味しい。まさか旅の途中でこんな日本食が食べられるとは。
無事帰宅。リムジンバスで帰宅しても駅からタクシーだし、2階の我が家までスーツケースを2個上げないといけない。今の夫にはそんな力はとてもない。それを仕事帰りで疲れている筈の息子がやってくれたのは本当に神の助けだった。月曜日の午前中遅い時間にがんセンターの予約も入れてくれたという。母にも予定より5日早く帰国する旨連絡しておいてくれたそうだ。
ということで、6日ぶりの我が家。夫はいきなりリビングでぐったりと座っている。ほっとしたのだろう。息子が残念なお知らせがあります、リビングのエアコンがつけっぱでした。と。なるほど暖かい。
夫は風袋毎で61キロ、私も41キロだった。とりあえずキープ出来たのでほっとする。
息子が帰ったのは日付が変わる頃。無事に最寄り駅について帰宅したという。
明日はまた用事がある中、本当にありがとう。
予定外の大出費はあったが、命あってのものだねだ。夫はさっとシャワーを浴びて先に寝てもらった。私はカカムッパレの石灰棚で足が洗いたかったので、入浴。
懸案だった紛失したかも、という家のキーケースは無事見つかった。後はパスケース。これは息子が初任給でプレゼントしたもので、毎日身に付けていた。中には免許証を入れていたが旅前にそれを抜き、中身はPASMOとヨガスタジオの会員カードだが、とにかく今朝コートの左ポケットにあったのを確認して、それをどこに入れたのか。また明日ゆっくり探したいと思う。
そんなことで大変な思いをしつつも無事帰宅した。
明日以降昨日の観光等について追記したいと思う。おやすみなさい。