ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2024.9.20 旅は最終日 無事帰国するも長~い一日

2024-09-20 23:25:06 | 

 今朝のモーニングコールは3時15分だったけれど、念のため夫も私も自分のスマホアラームは3時にセットする。昨夜、ブログアップ後、あれこれ片付けをし、入浴したらあっという間に11時を廻る。せめて4時間は眠りたかったと思うが、そうもいかなかった。日付が変わる迄はなんだかんだ眠れない~と悶々として、ちょっとトロリとしたかと思ったら無情にもアラームが鳴った。2時間眠れたのかどうか。

 それでも気が張っているのか、すぐにベッドから飛び起きて顔を洗って身支度スタート。15分後にはしっかりホテルからモーニングコール。味気ない録音ではなく、男性の肉声で「○○(私のファーストネーム)さん、3時15分、おはようございます。モーニングコールです」だったので驚く。
 昨夜のうちにほぼパッキングは済んでいたので、夫が最後にチェックして蓋を閉めていく。忘れ物がないか部屋の中を総点検して、出発時間の10分前に部屋を出る。チェックアウトのためフロントに降りると、他の方たちはホテル前のバスに向かっているようだった。

 ガイドさんから今朝のお弁当が渡される。ホテル製のサンドイッチ、ヨーグルト、青りんごと飲み物が2人分セットされていちる。有難く頂き、バスに乗り込むとすぐに出発。4時。当然外は真っ暗だ。
 寝不足で早朝で、とてもお腹にモノを入れようとは思えないが、夫はしっかり完食していた。凄い。小一時間で空港に到着。近くに、自宅最寄り駅の前にあるのと同じアウトレットモールがあったのに苦笑い。異国で同じロゴを見つけるとは。
 
 カウンターでチェックインし、大きなスーツケースを預け、チケットを頂いて、ガイドのRさんとはここでお別れになる。搭乗時間迄1時間半。この後の流れと場所を聴いて、皆、イミグレーションを通過。顔認証で問題なく8人が通過したが、お一人だけうまくいかず、係の方を呼ぶことになった。
 手荷物検査では、お弁当の紙袋に入っていたオレンジジュースが倒れて悲惨なことになった。そのまま搭乗口ターミナル行きのバス乗り場へ移動する。びっくりするほどゴージャスな空港バスだったが、夫が仙台のご夫婦と話している時に、急ブレーキだったのか手持ちのキャリーケースが倒れ、ハンドルが壊れてしまった模様。嗚呼。

 ここからラウンジを探す。広いし、親切なサインが殆ど出ていなくて、尋ねながら歩く。判りにくくて皆でうろうろ。ターミナルの一番奥にあるラウンジに到着したら、搭乗時間まであと1時間ほどしかなくなっていた。
 広々と天井が高く、ホテルのロビーラウンジという風情。成田や羽田のようなビジネスライクな感じではない。
 仮眠室もシャワー付きのお手洗いもあり、スタッフの数も凄い。食事もかなり本格的だった。
 とはいえ、後生大事に持ってきたホテルのサンドイッチもあるし・・・で、カプチーノだけ頂いて、サンドイッチを少しだけ齧り、ヨーグルトをお腹に入れる。夫はここのスイカは甘いと嬉しそうだ。

 搭乗口まで結構距離がありそうなので、お手洗いを済ませ、少し早めに席を立つ。予定時間より若干遅れて搭乗が始まり、離陸は20分ほど遅れたか。
 席に着き、ウエルカムドリンクにピンクグアバジュースを頂き、往路に気になっていた映画を1本。高畑淳子さん主演の「お終活 再春!人生ラプソディ」を観ながら、食事。前作は全く知らなかったが、実に楽しめた。
 今度は夫が洋食、私は和食を。往路と違ってアミューズがなく、シンプルに1つのトレーに全て載っていただが、あまり食が進まず。寝不足が祟っている。2時間の映画を観終え、カツラを外して、席をフルフラットにして2時間半弱横になる。実際には1時間ほど仮眠出来たかどうか。

 あと2時間ほどで到着とのこと、お手洗いでカツラを装着し、もう1本の邦画「帰ってきたあぶない刑事」を観ながら、軽食を頂く。食後にアイスクリームをお願いしたけれど、硬すぎてタイムアップ。夫は某有名店のラーメンを頂いていた。
 そんなこんなで、映画2本と食事と仮眠でほぼ定刻に着陸した。母には心配しているだろうと何回か無事到着した旨伝えようと電話をかけるが、繋がらず。一歩外に出ると、もわっと熱気が身体を包む。KLより暑い・・・。
 荷物もすんなり出てきて、夫がWi-Fiボックスを返還しに行っている間に、私はリムジンバスのチケットを購入し、自宅最寄り駅に繋がるターミナル駅にまで向かった。上手くすれば1時間半ちょっとで、とのことだったが、とんでもない大渋滞に巻き込まれ、2時間半以上かかった。
 ターミナル駅でお手洗いを済ませ、予約したライナーに乗り込むと満席御礼だった。車内で母から電話をキャッチ。到着したら折り返すことに。
 最寄り駅に到着したのは予定時間より9分ほど遅れてのことだった。折り返しからの車両点検の遅れだったようだ。母に連絡し、眼の様子、補聴器の様子を確認する。なんとか無事でよかった。

 成田到着から既に5時間近くが経過。駅前のイタリアンレストランで遅い夕食を摂る。ゆっくりお茶までしていると帰りが遅くなるので、ぱぱっと食事だけして退散する。
 それにしても、日本に帰ってくるとどこもかしこもお手洗いが綺麗でほっとする。
 タクシーで帰宅した。成田到着から6時間。長い1日だった。
 手分けをしてスーツケースを2つカラにする。満杯の洗濯機を廻すのは明日にして、最低限の片づけとメールチェックをしただけでもうこんな時間だ。

 明日は1日、洗濯と片付けと休養に充てる予定である。
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2024.9.19 旅は4日目 ショーアラムとKL市内観光でフル回転、お楽しみ様でした

2024-09-19 23:22:06 | 

 昨夜もブログアップ後、バスソルトをたっぷり入れて入浴し、手足ケアだけ済ませたらバタンキューで就寝。
 今朝は平日仕様のアラームを15分ほど前倒しにして起床。今日も無事6時間弱眠れた模様だ。身支度を済ませて朝食会場へ向かう。完全にパッキングをしなくて済むので気分的に随分楽だ。
 朝食のラインナップはとても素敵。見ているだけで楽しい。けれど、オムレツを焼いて頂き、温野菜と生野菜をちょっぴりお皿に載せて、ヨーグルトを少々、小さなクロワッサンを1つ、スイカとパイナップル、バナナを一切れずつお腹に入れ、ピンクグアバジュースをグラスに半分、紅茶を飲んだらもう十分だった。
 お腹の調子がまずまずなので、食べ過ぎないに限る、である。頻尿と残尿感も随分軽減してきた感じ。
 出発30分前には席を立って部屋に戻る。

 ロビーで9人が揃い、お迎えのバスに乗り込む。今日もいいお天気で、朝から暑い。最高気温は32度の予想。午前中はKL近郊のショーアラムへ。ここには通称ブルーモスクと言われるスルタン・サラフディン・アブドゥル・アジス・シャーモスクがある。世界4番目の規模の大きなモスクで、ドーム型の青い屋根が特徴的。142mを超える4本のミナレットは世界屈指だという。

 1時間ほどバスに揺られて到着。澄み切った青空に青いモスクと4本のミナレットがすっくと映えて美しい。
 ここでも女性はローブを無料で借りられる。昨日よりもかなり厳格で、ローブと頭からすっぽり被るストールの2つに分かれていた。
 ガイドさんがグループの方たちの着替えのお手伝いをしてくれていたが、ストールは、布に小さい穴が開いているつくりで、顔を出すのに頭からぎゅーっとひっぱっていた。あれではカツラがずれてしまうこと必至。私は借りずに持参のストールにしておいてよかった・・・。

 それでもピンバッジでしっかり襟元を止めるようにとのお達しで、自前のストールをしていた者達は、ピンバッジを借りることに。その後、ボランティアのガイドさんが顔廻りを整えてくれたけれど、ストールの上から髪の毛も触られて、カツラを被っているのが途中でばれてしまったかな~という感じだった。夫曰く、一瞬顔色が変わったらしい。そりゃ、びっくりしますよね。

 それはさておき、片言の日本語混じりのほぼ英語、のボランティアガイドを1時間ほど聞きながら歩く。お清め場の入り口の青いタイルはとても美しい。ステンドグラスから溢れる優しい青の光がモスク全体を包み、とても幻想的。
 暑さにめげずに階段を上って礼拝堂に入ると、青い絨毯が敷き詰められ、天井からは巨大な美しいシャンデリアが。収容人員24000人だという。毎週金曜日にはその半分ほどが集まるとのことだった。

 ボランティアさんが写真を撮ってくれたり、ポーズを指示したり、サービス満点。中には結婚式場まであって、さすがゆりかごから墓場まで、の宗教なのだと実感する。
 暑さで脱水になりそう、とぼやきながら1周。ようやくストールを外し、長袖のカーディガンを脱いだら、なんと快適な。
 さらに一人一人にペットボトルの冷えた水がサービスされた。なんという太っ腹、ただの観光客にこんな振る舞いをするとは。これは皆お布施から出ているのだろうか・・・と夫と顔を見合わせた。

 再びバスに乗り込み、ブルーモスクを後にする。KL市内に入る前、最初の立ち寄り場所は新王宮。2012年までの古い王宮しか知らなかったので、新装あいなった王宮を拝むのは初めて。今日は国旗が上がっていて、王様はご在宅の印とのこと。
 門番は両脇に4名。2人は馬に乗っている。しっかりそこでも写真撮影。黄色いドーム型の屋根が青い空に映えた。やはりお天気だと写真を撮るのが楽しい。暑いのを忘れてついつい頑張って歩く。
 足腰が丈夫でないと、観光は出来ないと改めて思う。皆さん、暑さの中での階段の上り下りでかなりばて気味で、下車して見学するのをパスする人がちらほら出てきた。

 続いて国家記念碑へ。第一次大戦、第二次大戦、国内戦争の3つの戦争慰霊碑の奥には、ピューターで作った蓮の花が浮かぶ噴水池があり、その更に奥には7人の兵士の像が聳え立っている。アメリカ人作とのことで、顔は皆マレー人には見えないのがうーん、といったところ。

 3か所目は国立モスク。皆さんブルーモスクでローブを着込んだ暑さに懲りたのか、もう礼拝堂には入らないで済まそうということに。外観からの写真撮影のみになった。傘を広げた形の礼拝堂と傘を畳んだ形のミナレットがなかなか奇抜だった。因みにここで借りられるローブは紫色だった。
 奥には旧クアラルンプール駅が。ここは30年以上前に、オリエント急行と称したシンガポールまでの鉄道旅行の出発地点だった。ここから電車に乗ったね~、と懐かしい記憶を呼び覚ました。

 続いて4か所目へ、とバスに乗ったり降りたり、かなり忙しい。
 独立広場・旧連邦事務局はかつて訪れた時とは、後ろにひしめく高層ビルの数が違って、随分印象が変わった。それは当然だろう。30年経過したのである。ひと昔10年、東京だって30年前とどれほど変わったか、という話だ。
 クアラルンプールゼロ地点で写真を撮った後は、クアラ・ルンプール(濁った川、の意味)発祥の地へ。そこでは、昔ながらのマスジットジャメが望めたが、記憶よりもなんとなくこじんまり感じられたのは、周囲に大きな建物が増えているせいか。

 さて、今日のお昼はインド料理である。小洒落た1軒家のレストランに案内され、4人と5人で2つのテーブルに分かれた。サラダ3種、タンドリーチキンにお芋のフライ(若草色のほうれん草のソース)、ほうれん草、豆、魚のカレー等がテーブル一杯に。焼きたてのナンがとても美味しかった。デザートのアイスクリームを頂いてお腹一杯だ。夫はマンゴーラッシーを美味しそうに飲んでいる。

 そして、お腹が膨れたところで観光再開だ。お腹一杯になったら、なんだかぐったり疲れて眠くなる。次の立ち寄り場所はチョコレート工房。カカオの大きな木が出迎えてくれる。マレーシアは良質なカカオ豆が獲れてチョコレートが美味しいのだそう。
 工房というので、チョコレートの作り方等が観られるのかと思いきや、試食は色々あったけれど、残念ながらチョコレート売り場が延々と続くだけだった。特に買いたい商品もなく、皆、手持ち無沙汰で集合時間まで過ごす。

 次は民芸品店。こちらもマラッカのお店とあまり変わらないラインナップで、くるりと一周したらもうすることもなく。欲しい物もなく、長椅子に腰かけたら船を漕いでしまう始末。皆がそのようで、ガイドさんは予定より早く出発する羽目に。
 その後の立ち寄り先は、チャイナタウン内KL最古のヒンドゥー教寺院マハ・マリアマン寺院。写真撮影だけですぐにバスに戻ったが、ガネーシャ神の姿も見えてしっかりツーショットを撮ってきた。

 今回の旅、最後の観光先であるペトロナスツインタワー展望台の予約は17時ということで、それまでの時間調整が必要と聞いていた。大分時間が余るのでは、と心配したものの、渋滞でわりと長い間バスに乗ることになり、そのおかげで、お昼寝が出来た。
 ようやくペトロナスツインタワービルに到着すると、再集合までは40分ほど。待ち合わせ場所を確認し、スーパーやお手洗いの位置を教えて頂いて、解散。ハイブランドのショップが並んでいる中に日本のファストファッションが軒を連ね、ちょっとびっくりしてしまうのは昨日の繁華街のショッピングセンターと同じ。

 まずはエスカレーターを降りてスーパーへ。夫は昨日見たスーパー同様、シャインマスカットが中国産ではあるが大きな房が400円という安さに驚いた様子で、写真に収めていた。
 幾つかお土産を調達して、草臥れたのでお茶でもして時間調整しようとカフェに行く。とにかく何事ものんびりしているので、時間がどんどんなくなっていく。注文してから受け取りまでなぜにこんなに時間が・・・とイライラしているうちにお腹が冷えて腹痛に。
 夫の分だけテーブルに持ち込み、私は諦めてそこで分かれてお手洗いに直行し、夫とは現地集合することになった。残り時間あと7分である。

 なんとか集合時間に間に合って、いざ、展望台へ。予約時間の20分前に集合し、予約レーンに並ぶ。ビジターのペンダントをもらい、5分前になったらようやくエレベーターに案内される。41階にある、2つのタワーを繋ぐ長さ60mほどのスカイブリッジ部分まであっという間。ここは170mの高さがあり、高所恐怖症の夫は悪趣味極まりないといった顔をしている。見れば開業から25周年の垂れ幕が。となると、前回来た時には既にこのタワーはあった筈だが、そのあたりの記憶がかなりあやふやである。

 続いて2番目のエレベーターで85階まで、更に小さなエレベーターに乗り換えて88階、高さ370mのオブザベーションデッキまで上がる。さすがに風景が大分違う。見下ろす街はミニチュアそのもの。ここでは15分ほど過ごすということで、間近に見えるもう一つのタワーとツーショットを撮ったり、模型等を視たり。

 そのタイミングでいきなり母からLINE電話がかかってきてびっくり。かけようとしてかけたのか、間違えて押したのか定かではないが、キャッチ出来たので良かった。随時LINEで写真を送っていたので、それを視ようとしたのかもしれない。まさか88階の天空で、日本の母とテレビ電話が出来るとは、いやはや凄い時代である。

 今日は眼科でレーザー治療をしてきたという。無事に終わったとのことだが、1週間ほどは飛蚊症のような症状があるらしい。補聴器は練習して細かい作業は出来るようになってきたが、まだ左右の耳に上手に入れることが出来ないらしい。頑張って、と励ます。

 夕暮れが近づくにつれて来訪者がどんどん増えてくる。そろそろ時間、と呼ばれて小さなエレベーターに乗り、85階まで降りると、そこはカフェやショップになっていた。あれこれスーベニールはあったけれど、何も買うものもなく、ぼーっとソファに座って体力温存だ。暮れなずむ時間にいられなかったのはちょっと残念。
 
 これで観光は終了。最後の晩餐は中華料理だ。9人の丸テーブルにスープから炒め物、揚げ物等8品がどんどん並ぶ。明日朝が早いこともあり、夫もお酒は我慢してお茶だけに。今宵は残念ながらデザートもなく、あっという間に夕食が終わった。

 ホテルに戻り、明日の集合時間と場所を再確認して皆同じエレベーターに乗り、それぞれの部屋に戻った。
 昨日より断然早い戻り時間だったけれど、明朝のモーニングコールは3時15分。4時の出発だから、あと7時間もない・・・と言ったところ。
 てんこ盛りの4日間、あとは明日帰国の途に就くだけとなった。部屋に戻ると、ホテルからターンダウンサービスのチョコレートケーキが届き、夫と珈琲で一服である。

 今日も朝から晩までよく歩いた。万歩計は11,000歩超え。このホテルで、今回初めてヘルスメーターに乗ったけれど、相変わらず43キロ台。なかなか増えないものであるが、減らなかっただけ良しとしたい。
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2024.9.18 旅は3日目 マラッカからプトラジャヤ経由KLへ、アフタヌーンティーの後は・・・

2024-09-18 23:19:10 | 

 昨夜は、残念ながら中秋の名月は拝めず。ブログアップ後はバスソルトを入れた大きな浴槽で、あわや沈みそうになりながら手足を伸ばし、日付が変わる前に何とかベッドに入った。
 久々に万歩計は1万歩を超え、さすがに疲れ果てていたのか、夫より先に眠りにつけた。

 今朝、平日仕様のスマホアラームが鳴るまで6時間、珍しくお手洗いに起きることもなく眠った。明け方左のふくらはぎが攣って寝ぼけ眼でマッサージをした記憶があるが、それも夢の彼方。

 朝6時半。外はまだ真っ暗だ。日の出が遅いのに驚く。
 だんだん明るくなってくる。身支度をしてパッキングをあらかた済ませ、朝食レストランへ降りる。リバーグリルという名前だけあって、テラス席をチョイスしたら、まさしくリバーフロントだ。
 昨日のホテルより品揃えが断然素晴らしい。フレッシュオレンジジュースを頂き、今朝もオムレツを注文した。夫は目玉焼き専門だ。オリジナルの麺も作ってもらって、美味しいと満足そう。朝日が眩しく顔の右半分が焼けそうな感じはあるが、ロケーションは抜群。優雅な朝食である。
 眼が卑しくて、取ってきたものの食べ切れず残すのは申し訳ないし、お腹がいまいち心配だから、つい味見程度になる。今回はコデインだけで酷い下痢に見舞われずに済んでいるのが救いだ。食後はホテル周りを少しだけ散策して部屋に戻り、最後の身支度とパッキング。

 チェックアウトしてカードキーを返す時、「素敵なホテルで楽しい滞在だったけれど1泊で残念」と言うと、「是非またいらしてください」と言われる。うーん、そうしたいのは山々だけれど・・・。

 9人が揃い、バスは定刻に出発。所要2時間のプトラジャヤへ向かう。プトラは王子、ジャヤは成功とか勝利という意味で、○○ジャヤ等と、色々な街の名前の最後についている。6時間眠ったので、今日は元気だ。
 1時間ちょっと揺られ、サービスエリアで10分のお手洗い休憩。相変わらず和式もどきが断然多いお手洗いである。

 再びバスは1時間弱走り、橋を渡り、ピンクモスクと呼ばれるプトラ・モスクが見えてくる。可愛い。既に行政の中心機能の5割がこの地に移転しているとのこと。プトラ広場から真っ直ぐ走る道路の両脇は、全て官公庁の建物。広場では観光客が大勢記念写真を撮っている。正面から首相官邸が官公庁の仕事ぶりを監視しているという図式だそう。
 官邸の建物は中央がイスラム式屋根、左右対称の両脇が中国式の建物、間に挟まる柱は象がいるインド式。ここでも3つの国が共存している。

 モスクは人工湖に浮かぶように立っている。昨日、水上モスクが礼拝中で見られなかったのは残念だったが、まぁ言ってみればこちらも水上モスクか。このプトラ・モスクは全てがピンクで統一されているので女性に人気だという。
 今日こそ、ストールと長袖のジャケットの重装備で礼拝堂まで入場。暑い。入口で服装チェックがあり、不足だと判定された方には無料でピンク(というか殆ど赤)のローブを貸してくれていた。可愛かったけれど、かなり暑そうだった。

 天井のドームに施されたステンドグラスは美しく、アラベスク模様やカリグラフィーが描かれている。靴を脱いで礼拝堂に上がると、ピンクの絨毯が敷き詰められている。礼拝の方法を教わり、ピース!とか万歳!とか馬鹿なポーズを取らなければ記念撮影もOK。

 見学を終えて、広場に出るとなんだかまたしても雲行きがおかしい。お手洗い(ここも水浸し・・・)から出ると、スコールだ。降る前に観光出来てラッキーだったとバスに乗り込む。
 高速を飛ばして首都クアラルンプールに向かうが、前が見えないほどの横殴りの雨が場所によって突然止んだり晴れたり、猫の目のようなお天気。途中、セレンバン等昔聞いたことのある地名の看板が出てきて懐かしく感じる。
 小一時間走ると、前方にペトロナスツインタワーやKLタワーが見えてくる。いよいよ首都入りだ。

 今日から、今回の旅で初めて2連泊するホテルのロビーラウンジで優雅にアフタヌーンティー、というのがこのツアーの売りだ。だからこそ女性の参加が多いのかも。お部屋の準備が出来るまでクロークで荷物を預け、9人で2つの丸テーブルに案内される。

 ホテルオリジナルブレンドだというグリーンティが注がれるが、「もしやこのままずっと緑茶?紅茶はないのですか?」と訊いてもらい、ガイドさんが交渉してようやく紅茶がサーブされる。フリーフローではないようだ。日本とは勝手が違うらしい。3段重ねのティースタンドにはパイ、サンドイッチ、スイーツ。別皿でスコーンを味わうが、パンがちょっとパサついて残念な感じ。夫はこれでは足りないかも、と半分ずつ横流しする。
 仙台から参加のご夫婦や、お一人参加の新潟出身の女性とご一緒で、庄内出身の夫が加わり、なんとなく東北話に花が咲く。
 お腹がお茶でチャポチャポした頃、チェックインタイムより小一時間早く部屋の準備が出来たということで、ガイドさんから鍵をもらい、それぞれが部屋に散ることに。12階の角部屋はシックで機能的な造りだ。

 今回、朝に夕に何度も母にMeet通話をトライしていたが、なかなか繋がらず。LINEで写真を送ると、一応既読にはなっていた。今日は水曜日で何もない日、とダメ元でかけたところ、やっと繋がった。
 先週お願いしたレンタル補聴器の用意が出来たとのことで、眼鏡屋さんまで取りに行き、付け方を練習して今、帰ってきたところだという。土砂降りの雨に降られて大変だったそうだが、繋がってよかった。

 昨日は眼科にも行き、レーザー施術を予約したら、なんと急遽明日に予約が入ったそう。出来れば施術の日は付き添いたいと思っていたが、普通の診察同様で全く心配ないし、付き添いも必要ないとドクターは仰るし、私の旅行中になってしまったので、致し方ないのでデイサービスをお休みして行ってくるとのこと。

 ホテルで数時間の小休止を挟み、皆さん、隣接するショッピングセンターに繰り出した模様。
 断捨離を経て、今は買い物には殆ど触手を動かされない私だが、夫は散策したくてうずうずしているようなので、こうして暫しブログの下書きをしている間少しお昼寝をして休息してもらっている。
 夕食兼夜景観賞までの間初めての自由行動である。

 繁華街にある巨大なショッピングセンターへ徒歩5分もかからず到着する。ハイブランドからカジュアルファッション、駄菓子からフードコート、スーパーマーケットやらなんでもござれである。
 ひとまずスーパーで、お土産用にメイドインマレーシアのお菓子を探して購入したら、あとは冷やかすのみ。階を上がると“東京ストリート”なる一角があり、びっくり。物見遊山で行ってみる。
 到着すると、濃いピンクの桜の木と招き猫、浅草の名入り提灯が迎えてくれる。和牛にお寿司、ラーメン・たこやき・デザート等々が軒を連ね、若い人たちが長い列を作っている。なんといつもお世話になっている100円ショップまであって笑ってしまう。均一料金は大体日本の倍だった。それでも便利なのだろう。こちらもレジでは列を作っていた。

 ということで、今回の旅、初めて2人歩きをして、暫し気分転換。
 ホテルの中はとんでもないほど冷えている(部屋の温度は19度だった。)が、外は30度ちょっと。蒸し暑いけれど曇天なので日傘もサングラスも必須という状況ではない。今日東京は35度というから亜熱帯のこちらの方が涼しいといったところか。
 あっという間に万歩計は8,000歩を超えた。

 再びロビーに集合して、夜の部観光スタートだ。ホテル前から少し歩いてバスに乗り込み、まずは夕食を摂るホテルへ向かう。私は全く記憶になかったのだが、夫がホテルの名前を聞いて、かつて息子も一緒に泊まったところではないかという。
 中に入り奥の中華レストランへ案内される。今夜はマレー風水炊き鍋。ガイドさんが、大皿に綺麗に並んだ具材の説明をしてから、スタッフの方たちが隣のテーブルで調理してくれて、取り分けてからサーブされた。海鮮、豚肉、お野菜たっぷりで温かく優しい味。夫はチリソースやら唐辛子やらを追加して食べていたけれど、私はあっさりそのままで。

 1鉢目でもうお腹がかなり膨れているのに、2鉢目、3鉢目迄次々と。〆は卵入りラーメンとチャーハン、デザートはグリーンの甘いスープに浮かぶパイナップルとタピオカ。初めての味だった。
 私にはとても量が多くて半分ほどでギブアップ。お腹一杯のままホテルを後にした。訊けば何年か前に改装したそうで、やはり宿泊したのは間違いなかった模様。

 次は街のシンボル・88階建てペトロナスツインタワーの夜景とサロマリンクブリッジ鑑賞。かつて訪れた時、既にツインタワーはあったけれど、ライトアップされている姿を間近で見ると浮き出てくるように見えてなかなかの迫力。一つは日本の企業が、もう一つは韓国の企業が、それぞれ建設したとのこと。それにしても地震も台風もない国だからこそ、だなぁとしみじみ。

 あちこちで写真撮影する人で大混雑の道路を縫って歩く。全長68mのサロマリンクブリッジもライトアップされて青や緑、国旗の色等に光っている。なんだか魚が口を開けているような姿に見えたが、シレーの葉をモチーフにしているそう。中を通って反対側からもう一度ツインタワーを眺める。KLタワーも美しくライトアップされている。

 バスに戻り、最後はKL屈指の屋台街のアロー通りへ向かう。100mほどの通りは、日中はひなびた感じらしいが、毎日夕方5時から夜中12時まではとても賑わっているのだそう。全くのオープンエアなので、いきなりスコールが来たら悲惨なことになりそうと心配になる。
 十分凄い人出だと思うが、土日はもっと大変らしい。観光客が殆どだが、地元の人たちも利用するという。苦手なドリアン(夫は大好物・・・)臭と、発電機のガソリン臭、それに加えてタバコと、雑多な匂いで頭が痛くなってしまう。ガイドさんが、カットしたマンゴーを買って私達にご馳走してくれたが、丁度良く熟れていて美味しかった。

 その後、リフレクソロジーやマッサージサロンが並んでいる街を抜けて、バスが泊まっている所まで歩く。マッサージサロン等の激戦区のようだが、値段は本当にリーズナブル。足はパンパンだからついついふらっと入りそうになる。

 ということで、3時間半の夜のお出かけ。かなり良く歩いた。万歩計は14,000歩近く。爪囲炎を抱えていたらとても無理だったなと思う。足の痺れは相変わらずだけれど、朝からよく頑張った。

 実質最終日の明日は、午前中がシャーアラム観光、午後はKL市内観光である。今日よりさらに30分出発が早いので、早めに休まなくては・・・。
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2024.9.17 旅は2日目 中秋の名月の日 約30年ぶり古い町並みが立ち並ぶ世界遺産マラッカ満喫

2024-09-17 23:20:12 | 
 昨夜、ブログアップ後は、映画館で見損なった邦画を2本(「かくしごと」と「違国日記」合計で4時間半・・・)観て、夕食(夫は和食を、私は洋食をチョイス、3月のイタリア旅行の時より食事は美味しかったが、ボリューミーで半分ほどごめんなさいする羽目に。)を頂き、何回かお手洗いに立ったと思ったら無事到着した。

 座席をフルフラットにして眠るほどの時間はなかったけれど、食後は4時間ほどカツラを外してケア帽子でリラックス出来たので有難かった。夫は1時間ほど眠ったそうだ。リフレッシュメントでアイスクリームも食していたが、私はジュースを頂くので精一杯。やはりヨーロッパ便14時間とはわけが違う。

 着陸後、冷房が効いた広い空港内を延々と歩く。20数年前に降り立った時のことは全く覚えていない。案内されるがままバスを乗り継いてイミグレーションへ。真夜中だというのに空港というところは全く時間を感じさせない。お店は開いているし、お子ちゃまが一人で、カフェでパンをかじっていたりする。
 イミグレーションではパスポートをスキャンして、写真認証をしたら無事するりとドアが開いた。ターンテーブルから荷物もすんなりと出てきて、迎えのガイドさんもすぐに分かって名前を伝えた。

 今回の旅の一行は9名。見ると、ご夫婦が私達を含めて2組、母娘と思しきお2人、女友達か姉妹かのお2人、そしておひとり様の若い女性が一人である。男性が2人だけというのは珍しい。この9名だけで45人乗り大型バスに乗り込んだ。席は選り取り見取りだ。
 空港からホテルまでは40分ほどということだったが、バス内で両替をしたり、あれこれ説明を聴いたりで、眠いとは言っていられないほど忙しかった。ガイドは中国系三世の頼さん。ドライバーさんはマレー人。

 ホテルに到着したのは着陸から1時間半は経っていたか。日本時間では夜中の2時半だ。最低限の荷ほどきをして、浴槽にお湯を張ってざっと入浴し、消灯したのは現地時間で3時近かった。時差を考えればほぼ完徹状態だ。
 今朝の出発は遅めの10時だったので、7時半にアラームをかけて5時間近く眠れる算段だったが、またしても30分以上前にお手洗いで目が覚めてその後は眠れず。4時間睡眠。

 のろのろと支度をしてほぼパッキングを終えてから、階下のレストランに向かった。
 好きなオムレツも焼いて頂いたけれど、インド人も多く住むイスラムの国とあって、ソーセージもハムも全てチキンだった。果物もジュースも種類が豊富だったけれど、そうそう頂けるものでもなく。
 なんといっても、バスに乗るのにお手洗いが心配というのがネックだ。どうも過活動膀胱という感じがする。こんなことは初めて。お手洗いが近くなるというのはフェスゴの副作用にもあるようなのだけれど。

 部屋に戻り、暫し休息してチェックアウトを済ませ、いざ、2日目、観光スタートである。
 今日はバスで2時間半ほどかけて古都マラッカに向かう。いいお天気だ。かなり気温が上がりそう。それでも今年の猛暑で身体が蒸し暑さに慣れているのか、それほど苦痛に感じない。
 1時間半ほどバスに揺られている間、殆ど首が折れそうになるほど爆睡した・・・気がする。途中、サービスエリアで10分ほどのお手洗い休憩。
 こうして海外のお手洗いを使うにつけ、日本のお手洗い事情は実に天国だと思う。こちらでは洋式はせいぜい半分あるかないか。和式の変形のようなものが殆どだ。そしてペーパーの備え付けはほぼない。さらに床はびしょ濡れ。皆ホースの水で汚物を流すから、という。これも郷に入れば郷に従え、であるのだけれど。

 再び小一時間バスに揺られてマラッカに入る。まずは昼食。マレーと中国が融合した名物ニョニャ料理だ。9人で1つの丸テーブルを囲む。大皿料理がいきなりどんどん運ばれてくる。8品あったか。デザートのチェンドル(緑豆ゼリー入り黒蜜とココナツミルクのかき氷)がさっぱりしていて美味しかった。お腹が心配なので小さなお茶碗の半分だけ味見。昼からお酒を飲む方はおらず、夫も遠慮してソフトドリンクで我慢していた。周りには別の旅行会社のバッジをつけた日本人グループの姿も。

 1時間ほどゆっくりランチを愉しんだ後は、観光スタートの前に、雑貨店に立ち寄る。雑貨店のビルの向かいには、コロナ禍の影響で、建設途上でそのまま放置された建物が。世界中どこもかしこもこういう事態が起こっていたのだな、となんとなく気分が滅入る。
 立ち寄った雑貨屋さんは、広い一室に雑然と置かれたテーブルの上に、30年前に私達が買ったものと同じバティックやら手芸品やらが無造作に並べられ、まるでひと昔前にワープしたかのような古さ。時が止まっている感じ。

 パシュミナのストールやシルクのシャツ等、交渉すればディスカウントしてくれるようだったが、結局どなたもお財布を開くことはなかった。なんだか申し訳なかったけれど。あんなに多くの店員さん、インバウンド相手に日々どうしているのだろう、とこれまたちょっと胸が痛む。

 気を取り直して、古都マラッカの史跡を船から愛でるリバークルーズからスタート。マラッカ川の名物だそう。川の両側に点在する美しい町並みを見るのが楽しい。川の水は茶色だが、頬を撫でる風が心地良い。行き交う船のお客さんと手を振ったり会釈したり。色とりどりの、形も様々な橋が面白い。途中には遊園地や今日宿泊するホテルも見える。片道30分ほどだったが、強い日差しに負けそうになる。長袖のカーディガンを羽織っていてよかった。

 オランダ広場の船着き場を降りると、多くの観光客や、ぬいぐるみや色とりどりのモールで煌びやかに飾り付けられたトライショー(人力三輪車)が行き交っている。ここには30年ほど前に一度訪れたが、この広場で写真撮影だけしてろくに散策はしなかったので、今日がほぼ初めての街歩きだ。
 マラッカのシンボル、東南アジア最古のオランダ建築であるスタダイス、赤いキリスト教会は写真映えするスポットだ。急な階段を上り、右手のないザビエル像が立つセント・ポール教会へ。
 ザビエルの遺骨はここに9か月安置された後、インドに移送されたという。教会は外観のみが残り、かつて訪れたマカオの聖ポール天主堂跡を彷彿とさせた。
 階段はかなり登りがいがあり、ガイドのライさん曰く、適当な造りなので高さが一段一段違う。いきなり高くなると足を取られそうになる。かなり高台まで上がり、振り返れば、赤い屋根の街の向こうにはマラッカ海峡が広がっている。素晴らしい光景だ。
 足の裏は痺れているが、痛みがないので、もうひと踏ん張り、今度はサンチャゴ砦まで降りる。オランダとの闘いに備えるためポルトガル軍が建造した砦跡。暑いし、よく歩いてかなり顎が出ている。

 姉妹だというお2人が、ここには既に何度も訪れているし、きつい階段を上るのは辛いので、とオランダ広場からは別行動されていたのだけれど、待ち合わせ場所である筈のファストフード前に姿を見せない。
 ガイドさんは私達7人をその場に残し、探しに行くが、暑い中、皆、階段の上り下りをして、昨日の寝不足が祟っているわけで、だんだん疲れてイライラしてくる。
 30分近く待ったところで、お2人らしき姿が見える。まだ名前を知らないので「おーい!」と呼んでなんとか合流する。いやはや、であった。少し離れた同じファストフードで待っていたらしい。
 私は途中で腹痛になり、ファストフードでお手洗いをお借りできたのがせめても、だったけれど、団体行動中の自由行動は待ち合わせ場所と時間をきちんと決めておかないと、とつくづく思う。少人数だし、用意が出来たらなんとなく出発、みたいな緩い感じだったのが、仇になったか。

 なんだかかなり憔悴した感じで、マラッカタワーへ向かう。遊園地の乗り物のようだが、360度回転しながら上がっていく。高所恐怖症の夫を心配したけれど、座っていられるのでなんとか無事だった。外の行列で待っていた時は正直どうでもよくなっていたけれど、上がって観れば景色は素晴らしく、少し冷房が効いている中で座れたので、ちょっとほっとする。

 次は水上モスクへ。
 “モスクのルールが変更となり、下車観光の案内の場合も女性のお客様は、 胸元が広く開いておらず、身体の線が出ない十分丈の長袖、かかとまで隠れる長 ズボン、髪の毛全体を覆うスカーフが必要となりました。ノースリーブ、スカート、レギンス、スリムタイプのパンツは 不可とみなされる場合があります。服と スカーフは現地でレンタルもできます。男性のお客様は、肩とひざが隠れている服装であれば問題ないとされておりますが、念の為、長ズボンの着用をお願い申し上げます。”という直前連絡がきていた。
 そのためにストールやらカーディガンやらを持参したのだが、あいにくお祈りが始まってしまい、見学ができるのは45分後とのこと。
 とてもそんなに待つことは出来ない、とモスクをバックに女性はストール姿で写真撮影のみ。けれど、水上にある、という姿はそこからは全く分からなかったので残念。

 そこから今度はチャイナタウンへ向かう。雲ゆきが怪しくなってくる。まあ10月からは雨季だというから、乾季もあと半月足らずだし無理もない。目抜き通りのジョンカーストリートは土産店や飲食店、アンティークショップ等が軒を連ねている。
 目指すはマレーシア最古の中国寺院青雲亭寺院。資材は中国から運んできたという。屋根の上の動物や人の小さな像が美しい。お線香が香る中、観音様、交通安全、商売繁盛の3人の神様にそれぞれお参りする。
 続いてイスラム寺院カンボン・クリン・モスクにも立ち寄る。ミナレットもあり、様々な建築様式が融合していて興味深い。さらに同じ並びには最古のヒンドゥー寺院まで。僅かの距離に3つの宗教のシンボルがあるのは凄いことだ。

 豪邸が立ち並ぶ通り等も元気ならちょっと歩いてみたい気もするが、雨がぽつぽつしてくるし、かなり草臥れている。夕食までの小一時間、ホテルで小休止をすることを8名が選択(母娘連れのお母様はまだ散策したいようだった。)。そのまま歩いてホテルのロビーへ向かう。
 バスが既にホテル前につけてくれていて、荷物を持ってチェックインを待つ。素敵なリゾートホテルだ。ウエルカムドリンクと称してレモンシャーベットがふるまわれ、その美味しさに生き返った心地。夫も私もちゃっかりお代わりをした。

 部屋には広いベランダがあり、リバーサイドに面しているだけあって景色は素晴らしい。室内は、絢爛豪華なプラナカン文化とスペイン文化が融合したかのようなエレガントな風情。プールもスパも完備されており、1泊だけでは勿体ない。
 荷ほどきをする元気もなく、暫しカツラを外し、ベッドで横になったらもう夕食会場へ出発の時間。出がけには、中秋の名月ということで、ホテルからの立派な月餅のプレゼントがあった。
 ところが、いきなりスコールだ。前が見えないほどの土砂降り。降る前にベランダで写真を撮っておいてよかった。
 バスは濡れないようにホテルロビー真ん前に付けてくれたけれど、とんでもない雨風に吹き飛ばされそうだった。30分弱揺られて夕食はマレー料理のレストランへ。こちらでも大皿料理がどんどん出てくる。ボリューミーだし、疲れていてあまり食が進まない。夫はタイガービールを飲んでご機嫌だ。デザートのスイカが美味しかった。

 ということで、帰りはスコールもやんでいたが、雨風で大木が根っこから倒れて通行止めになっており、迂回してホテルまで戻る羽目になった。

 明日は今日より1時間早い出発だ。プトラジャヤ経由でクアラルンプールへ向かう。
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2024.9.16 今日から少し遅めの夏休み、20数年ぶりに夫の好きな国へ行ってきます!

2024-09-16 18:42:18 | 
 今日から夫誕生日の旅スタートだ。表題に少し早めの夏休み、と書いたものの、一年中休みの私には特に夏休みなどと称する必要はなかったか。
 このところ羽田発着の旅行ばかりだったが、今回は成田空港発である。最寄り駅からリムジンバスの運行も中止になっているので、まずは私鉄でターミナル駅まで行き、そこからどのくらいぶりに乗るだろうか(ブログで検索したら2019年以来だった。便利である。)のNEXを予約した。

 2019年中欧を訪れて以来5年振りの成田空港だ。
 行先は息子が小さかった頃は、よく出向いた国、マレーシア。夫と初めてペナン島を訪れたのは結婚して初めての年末だったか。わちゃわちゃした街の喧騒と静かな海辺のリゾート、一粒で二度美味しいペナン島。夫がすっかり気に入って何度も訪れた。
 息子が生まれてからも、この国のビーチリゾートホテルには随分お世話になった。治安が良く純朴で、物価は安く、食事はインターナショナルで美味しい。ペナン島だけでなくランカウイ島も2回訪れた。数日前、ほぼ四半世紀前、3人でランカウイに訪れたビデオをダラダラと視てしまった。こういうものを視始めるといくら時間があっても足りない。
 
 今回は首都クアラルンプールと古都マラッカ2都市を訪れる。9名御一行様で添乗員はおらず、現地係員のみ。最後にこの国を訪れてから20年以上が経っている。当時も首都には高層ビルがニョキニョキと立っていたが、どの位発展しているのだろう。

 昨夜もブログアップの後、ドラマの録画をだらだら視ていたら日付が変わってしまった。入浴後、手足ケアを終えて就寝。寝苦しくていまだ空調が止められない。そして案の定冷えて夜中の3時過ぎお手洗いで目覚める。
 平日仕様のスマホアラームで目覚めると夫はもう起きて、ぼーっと座っていた。もう一度眠りたいかなとベッドに戻ったけれど眠れずじまい。

 洗濯機を廻し、BS朝ドラを視ながら朝食を摂る。デイサービスに出かける前の母にMeet通話をして「行ってきます」の挨拶を終える。洗濯物が仕上がって干したものは浴槽乾燥に回す。

 朝ヨガをして、ごみをまとめる。毬藻の水を替えて旅行中は冷蔵庫に入ってもらい、花の水切りをする。新聞を止める電話連絡をし、メールの断捨離等チェックやネットニュースを視、お留守番するカツラのシャンプー、トリートメント等あれこれ雑用を済ませる。
 昼前に家を出れば十分なので、かなり色々な家事を済ませることが出来た。浴室乾燥で乾いた洗濯物を畳み、洗い終えた食洗器の食器も食器棚に戻す。
 外は曇天。それでも湿度が高く、動くとすぐに汗がじっとりと湧き出る。なかなか出かける洋服に着替えられない。

 戸締りをチェックし、タクシーを呼ぶ。パラパラと小雨が降り出した。車が走り出したら、夫が「サーキュレーターの電気消したよね?」と。「いや、私知りませんけど・・・」と言うと、「気になるから確かめてくる」と途中で降りて再び家を往復。私は車内で待つ。こういう時は間違いなくちゃんと処理しているのだけれど、無意識の行動はなかなか分からない。
 いつぞやも、タクシーに乗ったら新幹線の切符がないことに気づき、運転手さんに家まで戻ってもらい、慌てて飛び込んできたことがあった。そして家の中でバッグの中をもう一度見たらちゃんと持っていた、ということがあった。再びタクシーに乗り、なんとか新幹線には間に合ったようだったけれど。
 果たして送風機の電源はちゃんと消してあった。今回の忘れ物大王の旅の厄落としはこれで、ということにしたい。

 当初予定していたより1台早い特急に乗り、コンビニで昼食を調達する。
 今日のお供は中村佑子さんの「マザリング 性別を超えて(他者)をケアする」(集英社文庫)。私が出産したのは29年近く前だから、かなり記憶の彼方になってしまっているけれど、当時のことを色々思い出しながら読み進んだ。

 ターミナル駅でのNEXの乗り換えは大変。延々と歩いて一番奥のホームにようやく到着する。指定席に座り、調達したコンビニのサンドイッチとジュースで軽く昼食。揺られること80分ほどで若干遅れて空港駅に到着した。
 予約しておいたWi-Fiボックスをゲットして、旅行会社の受付場所に到着出来たのは集合時間より15分ほど前だった。チケット等を頂き、航空会社カウンターで大きなスーツケースを預け、身軽になってセキュリティチェックを終える。相変わらず持ち物の多い夫は身体中チェックされていた。パスポートコントロールでは、パスポートにカバーをしたままでなかなか顔認証が出来ず、あたふた。外したら問題なく通ったけれど、夫はダメで有人カウンターへ。眼鏡をしていなかったからかどうか。

 ということで、搭乗まで2時間弱、今、ラウンジでこのブログを書いている。夫は早速ラーメンやら稲荷寿司やらを召しあがっている。
 これから所要約7時間半の旅、クアラルンプール到着は日付が変わるか変わらないかの時間だが、1時間の時差だから日本時間では翌日になっている筈。

 明日からまた負担にならない程度、旅行記を書く予定である。行ってきます。

 と記事をアップしようと思いきや、ラウンジのWi-Fi環境がとても悪く、断念。
 今は機内からのトライである。出発機の混雑で小一時間離陸が遅れたけれど、到着時間は変わらない模様。6時間弱で到着の見込みである。

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