ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.10.31 乳がん患者さんのための瞑想ヨーガクラス12月、1月コース開講

2019-10-31 20:32:50 | お知らせ
 
 毎週のように台風が到来し、各地に大変な被害をもたらしました。沢山のかけがえのない命が奪われ、家を流され・・・。その復旧作業にどれだけ時間がかかることか、胸が痛みます。
 皆様いかがお過ごしでしょうか。
 秋晴れの日があまりなかった今年の10月も、今日で終わりですね。

 今年最後のクラスとなる12月、新しい年最初のクラスである1月、患者会ASHAREさん主催の「乳がん患者さんのための瞑想ヨーガクラス」のお知らせです。
 10月、11月開催の秋のクラスも、おかげさまで毎回キャンセル待ちをして頂くほどご好評を頂き、申し訳なくも大きな励みとさせて頂いております。

 これまで同様、とても素敵な広報の頁が出来上がりましたので、下記にリンクさせて頂きます。リラックス効果の高い精油で芳香浴をしながら、ストレスリリースして頂けると思います。さらに嬉しい<アロマ&ハーブプチギフトつき>です。

 もしご興味がありましたら、是非ご覧ください。そしてご都合がよろしければ、どうぞお申込みください。

 気圧の変化、一日の寒暖差、急な冷え込み等で不調が出やすい季節であると同時に、冬の間どうしても身体を動かす機会がなくなって、凝り固まってしまうのも心配です。上手にリラックスしつつ、身体を温めながら気持ちよくストレッチしてまいりましょう。多くの方とお目にかかれるのを今から楽しみにしております。

 乳がん患者向け瞑想ヨーガクラス12月、1月コース
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2019.10.30 採血レントゲン後腫瘍内科診察、パージェタ・ハーセプチン12クール目

2019-10-30 21:34:33 | 治療日記

 昨夜はほぼ定時に職場を出て、ボディバランスヨガのクラスに参加した。気温が低く、1日デスクワークをするとどうしても身体が凝り固まってしまう。股関節回りを重点的にアプローチするクラスで、すっかり温まり、気持ちよくたっぷり汗を流した。その後夫と合流して、駅前で夕食。お泊り荷物とヨガウェアを交換し、病院最寄り駅前の宿を目指す。

 車内で芦沢央さんの「バック・ステージ」(角川文庫)を読み始める。帯には「『まさか、こうきたか!』最注目作家の教学・痛快ミステリー! 幕が上がったら一気読み!」とあったが、なるほど序幕から惹き込まれる展開であった。

 本に没頭している間に駅に到着。この調子で最後まで読んでしまったら、明日の読み物が足りなくなるし、疲れも眠気もあり、チェックイン後は早々に入浴。お風呂上がりに飲もうと買いこんだペットボトルの蓋がどうやってみても開けられず。がっかりしてベッドへ。

 6時間近く眠って、お手洗いで目が覚めた。モーニングコールまであと1時間半ほどあるので、またウトウト。夫にモーニングラインをしようと思ったら、とんでもない情報が目に飛び込んできた。
「母からの留守電が入っていたのに今朝気づいた。"オレオレ詐欺のような電話があり、交番に行ってどうのこうの・・・"と話が長すぎて途中で留守電が切れてしまった」というもの。驚いて夫から今朝電話をかけてみたところ、被害に遭ったわけではないというが、詳細が不明。私からも電話をかけ直すことにした。

 通院前の忙しい朝にまたトホホなことである。普段、実家では電話は留守設定にして「知らない番号には出ない、こちらから名乗らない」等と書かれた貼り紙をしているのだけれど、1か月も自宅を留守にしていてそのあたりが甘くなっていたのだろう。こんなことでは心配で一人暮らし等させておけない、としこたま叱ると、母はシュンとするし、こちらも朝からすっかりエネルギーを消耗。痺れと痛みのある足をマッサージしながら足湯を済ませ、身支度をして階下のレストランへ。

 漢方2種を飲み、今朝もデニッシュとスープ、ジュースの定番朝食。電話の一件で、なんとなく食欲がない。食後もしっかり4種類の薬を飲み、部屋に戻り、新聞を読み、朝の連続テレビ小説を視てからチェックアウト。
 外は雲一つない快晴。昨日の雨はどこへやらのいいお天気である。日中は気温も23度まで上がって過ごしやすいという。皮膚が弱くなっていることもあり、紫外線防止のために今も日傘のお世話になっている。

 今月2回目の通院だ。IDカードを通して、まずは採血の受付へ。7分待ちと出ていたが、私が番号を取るとその番号がすぐに電子掲示板に出て、すぐに採血室へ入れた。コートを脱ぎ、ストールを取り、エコバッグに入れて態勢を整えていると、何度もお世話になっている臨床検査技師のYさんから呼ばれる。今日はフル検査なので5本。ちょっとチクリとして問題なく終了。

 止血をしたままエスカレーターで2階に上がり、レントゲン受付へ。ここでも殆ど待たずに待合い廊下へ行くように言われる。本を開く暇もなく名前を呼ばれる。今日もブラトップと無地の薄手のニットだったので、そのまま撮影できるつもりでいたが、ニットは脱ぐように言われる。検査着は汚すこともないので、と辞退する。かつらを被っているので被りのニットの脱ぎ着は気が重かったのだが仕方ない。正面からと左側面からの2枚撮影して無事終了。

 ここまでで20分ほど。再び1階に降りて腫瘍内科の受付へ。月末だが、待合い椅子がそれほど埋まっていない。定位置は確保できなかったがすぐ後ろに荷物を置く。受付を済ませ、クラークの方に「毎度申し訳ないのですが・・・」とペットボトルを開けて頂く。本当に情けないほど老婆の如き握力なのである。

 昨夜の本の続きを読む。今日は第一幕からスタート。第二幕、幕間、第三幕、第四幕、終幕、カーテン・コールという構成だ。いや~生のお芝居など随分観ていないが、堪能した。解説は劇作家・演出家の成井豊さんが書いておられるが、これは「バックステージもの」と呼ばれるジャンルだそうな。

 7つの章の主人公はばらばらだが、2幕以降全ての章に登場するのが故・蜷川幸雄さんを彷彿とさせる演出家の芝居であり、この芝居の周辺で起きた7つの出来事が収められている。どの幕(章)も面白かったが、第二幕にはまんまと引っかかったし、第三幕の舞台俳優の心理描写も秀逸。ここでも故・樹木希林さんでは、と思わせる女優が登場する。マネージャーが自分と同年齢ということもあり、興味深く読んだ。ラストの小品では主人公2人のほっこりと明るい未来を感じさせられ、読後感も良かった。

 ということで、読書没頭により待ち時間は何の苦にもならず。本の区切りが良いところで採血から1時間ほど経過したので血圧測定に向かう。112-66、脈拍は76。
 10分ほどすると「中待合いへどうぞ」に番号が出る。1番目だ。荷物を抱えて中待合いへ移動。ほどなくして、先生が扉を開けて、「どうぞ」と呼んでくださった。
 
 ご挨拶をして席に座る。「さあ、どうでしたか。」と問われ、「母の手術後のこともあり多忙でしたが、相変わらず台風等で気圧の変動もあり、胸痛が続きロキソニンは今回も3度3度飲み続けています。それでも痛みが消えず、コデインを数回飲みました。下痢は相変わらずで、手足の痺れや痛みも軽減しません。痺れは腿の上まで、痛みも常時あり、時折突き刺すように痛いです。足裏は真っ赤でテカテカしており、手の爪の調子も悪いです。」とご報告。

 「やはり皮膚障害はありますね。」と「痺れや痛みがなかなかしつこいですね。」と前回と同じコメントである。診察室での検温は6度8分。
 「さて、採血は肝臓の数値も特に問題ないし、マーカーは微増ですが、横ばいと言える範囲内です。」とPC上のグラフを見せてくださる。痛みもあるし、ちょっと無理をしたので結果が悪いのではと心配したが、取り越し苦労だったようだ。

 「レントゲンも前回7月と比べて右下のあたり、ポートの裏のあたりが心持ち薄くなっているように見えます。ハラヴェンを止めてもまあ良い状態が維持できていると言えますね。」と予期せぬいいコメントが返ってきた。「骨の病変はレントゲンではわからないので、まあ急がないけれど年末か年明けにCTを撮りましょう。」とのことだった。 
 増悪かも、とちょっと身構えていたので、肩透かしを食った感じ。今年も次回3週間後、6週間後と2回(もしくは年末にCTでプラス1回)通えば通院納めである。有難いことだ。

 薬は、今回もロキソニンを毎食後3回ずつ。全ての薬を3週間分フルに出して頂いた。「痺れや痛みに漢方やビタミン剤がもう少し効いてくれると良いのですが、止めてしまうのは怖いですが、リリカやサインバルタに替えるのはちょっと・・・」と言うと「リリカほどの副作用がないものも出たようなので、それを試してみるのもありかもしれませんね。」とのこと。「ランマークは明らかに骨の病変が増悪しているのが画像上確認出来れば再開を考えるが、そうでなければ、あまり使いたくない。顎骨壊死等何が起きるかわからないので。」とのこと。やはりコデイン等で凌ぐしかなさようだ。 

 ご挨拶をして診察室を後にし、化学療法室へ入る。待合い椅子はお一人座っているだけ。
 少し待つと、Okさんから窓側の通路脇の椅子に案内される。かつらを外してケア帽子に替え、夫やお友達に報告LINE。リクライニングシートに足を伸ばして読書の続きに入る。
 刺針に見えたのは今回もKdさん。殆ど痛まずスッと入ってラッキー。
 その後15分ほどして薬が届く。2剤併用の治療12クール目。今日も点滴棒には2本の薬液パックと生理食塩水の小さなパック、シリンジ。点滴の順番もいつものとおりパージェタ、ハーセプチン、最後に生理食塩水である。

 2冊目は堀越英美さんの「女の子は本当にピンクが好きなのか」(河出文庫)。帯には「無意識の刷り込みに立ち向かう 生まれつき?それとも、社会がつくりだしたもの? ピンクが『女らしさ』『男らしさ』にもたらした功罪を、国内外の事例をたどり、徹底的に掘り下げた唯一無二の決定版」 とある。リカちゃん人形やらバービー人形やら、レゴにランドセルの色、リケジョの話・・・実に興味深く読んだ。うんうんと頷くもの、目から鱗の話、これまた堪能した。私自身は文学部出身ではないが、単行本未収録エッセイ「女の子が文学部に入るべきでない5つの理由」も楽しめた。

 始まる前にお手洗いに行かなかったせいか、点滴途中で席を立つ羽目になった。化学療法室内に1つしかない女性用・車いす用お手洗いが使用中マークのまま10分ほど。心配になって「大丈夫でしょうか?」とKdさんに訊くと、Kdさんがノックをするが返事がない。私もちょっと辛かったので、「空いていますからどうぞ」と言われて男性用・車いす用お手洗いをお借りする。それがなんとペーパーが全くなく、慌ててお願いする。冷や汗をかいてしまった。女性用お手洗いから出ていらしたのは高齢の方で、お腹の調子が悪かったようだ。
 
 最後の生理食塩水になったところで、Kwさんが血圧測定にみえる。終了時の血圧は104-79、脈拍は67。上と下の間隔が少し小さいような気もするが、問題なし。Kwさんが私の自宅近くに遊びにいらして、美味しいケーキ屋さんの話を嬉しそうにされた。うーん、自宅と職場の往復しかしていない私が行ったことのない場所である。スマホで調べて訊いてみたら、「そうそう、ここです!」と仰る。歩くにはちょっと遠そうなので今度夫に自転車でチョイと買ってきてもらおう。
 抜針もKdさん。衝撃も殆どなく、無事終了した。化学療法室に滞在した時間は3時間強。ほぼ普段通りの時間だ。ご挨拶して部屋を後にした
 
 会計へ移動すると珍しく空いている。受付も待たずに番号札を頂き、処方箋を薬局に送って待合い椅子に腰かけると、ほどなくして会計番号が出た。こんなにスムーズにお支払いまで出来たのは珍しい。今日は採血レントゲンが加わり3割負担のお支払いはカードで11万弱。

 病院を出ると、陽射しが暖かい。昨日の寒さに備えたいでたちだったが、荷物になるのでコートもストールもまとったところ、暑い。薬局に到着し、「病院内から処方箋を送りました。」と申告すると、「今準備していますので、お待ちください。」と番号札を渡された。なるほど、今日は病院から処方箋を送って20分ほどしか経っていない。いつも会計で1時間近く待つのに。「今日も全6種類3週間分ですね?」と確認され、現金でお支払い。本日の病院と薬局の滞在時間は合計で6時間弱。

 大荷物で駅に辿り着く。なんとなくお腹がもたれていたので、そのままJRに乗って乗換駅まで移動した。駅前のゆっくり出来るレストランでランチを摂り、本の残りを読んだ。

 乗換駅のスーパーで夜のお弁当等を調達し、さらに大荷物になった。私鉄に乗り換え、最寄り駅に帰り着く。さすがに歩く元気がなく、ご贔屓の会社のタクシーがいたので、迷わず乗車した。

 帰宅して生協のお届け品を取り入れ、母の留守電を聞き直す。朝電話で聴いた話を総合するに、やはり納得いかず心配なことがあったので、実家最寄りの交番に電話をかけてみた。昨日対応してくださった方の名前もわからないし、調べて折り返しますということだったが、対応してくださった方が非番で連絡がつかず、明日また連絡をすることになった。病院でも交番でも、辛抱強く高齢者の相手をする方たちには本当に頭が下がる。

 洗濯機を廻し、あれこれ片付けているうちに夫が帰宅した。
 明日は出張はないが、午後から会議である。週末からは霜月11月。早いものである。 
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2019.10.28 20年以上経っても泣いてしまうこと

2019-10-28 21:51:15 | 日記

 夫は息子の小さかった時のビデオを見るのが好きだ。
 これを見始めると、あっという間に何時間も経ってしまって何も出来なくなる。だから私は、よほどのことがない限り腰を据えて付き合うことはない。
 
 たまたま昨日はのんびり過ごせたので、ダイニングテーブルで用事をしながら、なんとなくチラチラと見ていたら、いつのまにかついつい見入ってしまった。
 息子が2歳半前後のもの。おむつはしているが、片言のお喋りがずいぶん上手になり、大分人間らしくなって実に面白い。喜怒哀楽が激しく、嫌なものは嫌、もはっきりしている。

 今は亡き父や母と小旅行に行ったものも含まれていた。父は退職して10年ほど、すっかり好々爺になっている。母はまだ60代で髪の毛も真っ黒。ずいぶんと若い。まあ今の私と10歳も違わないので当然か。

 私は出産後、今の職住近接の職場勤めにはなっていたが、昇任後で繁忙職場にいた。一方、夫は本庁勤めで平日は毎晩帰りが遅かった。だから、保育園の送迎は私の仕事で、どんなに仕事が残っていても時間が来ればすべて放り出してお迎えに駆け付けなければならなかった。そんなわけで、帳尻合わせのために土日に出勤するのは日常茶飯事のことだった。
 
 昨日見ていたビデオも、休日に私が仕事に出かけてしまい、それを追って玄関に座り込んだまま短い足をバタバタさせて泣き叫ぶ息子のもの。夫がビデオを回しながら困り果てているのが伝わってくる。どんなになだめてもすかしても、息子の不機嫌は治らない。ひたすら「ママママママママママ・・・・」と顔を真っ赤にして泣いて怒っている。夫は「ママはお仕事に行ったけど、またちゃんと帰ってくるからそれまでパパと遊ぼうよ」と言っているのだけれど、涙声で「パパバイバイ(パパはいなくなっていい)」を繰り返すのみ。「本当にパパもいなくなっちゃっていいの?」と訊くが、お構いなしでギャオギャオと泣き続ける映像が延々と続く。

 ああ、こんなもの見せないで欲しい。
 20年以上経っても、こんな切ないものを見せられれば、自然と泣けてくるではないか。
 もちろん、息子はこんなことはもうすっかり忘れているのだろうけれど。
 こんなに掛け値なしに人から全面的に頼られて、必要とされて、なんと幸せなことだろう。

 先日、瞑想ヨーガの師匠であるSさんがスタジオをクローズさせる時のご挨拶で、「自分を必要としている息子が可愛くてたまらない。自分の仕事は、誰かが悲しい時、その人の話を聞いて、誰かが嬉しい時、その人とともに喜ぶことで、子育てと同じことをしていることに気が付いた。誰かを悲しませてまで場所を変えて同じこと(仕事)を続けることが自分にはどうしてもしっくりこなかった。だから暫く仕事のペースを落とす決意をしました。」と仰っていたことを思い出した。

 それほど恋い焦がれられていたのにも関わらず、私はその息子を振り切って仕事を続けてきた。それが良かったのかどうか今もわからない。
 それでも、その時に出来る精一杯の愛情を持って息子に対峙してきたつもりだ。だから、今そのことについて仕事を辞めて息子と付き合えばよかった、と後悔しているわけではない。が、やはり20年以上経ってもこういうものを見せられれば、どうしても涙がこぼれてしまう。胸がチリチリと痛むのである。ああ。

 今朝、早起きのお花屋さんから今月2回目のお花が届いた。深紅が2本、橙が3本の薔薇、白い星のような形をした花が愛らしいオーニソガラムが2本、名前の通り淡い青の星型の花、ブルースター、ユキヤナギが1本ずつとミスカンサスの葉。折り悪くその時間はまだかつらを装着しておらず、身支度途中だったので、申し訳ないけれど、玄関まで出られず居留守を使う羽目になった。出勤前に玄関に置かれた花を取り込んで、水につけて家を出た。
 花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「潔癖」、「信じあう心」、「愛らしさ」、「変わらぬ想い」だという。前回のお花はちょうど昨日処分したところで、玄関がまた華やかになった。

 さて、新しい1週間が始まった。母は午後から退院後初めての泌尿器科の診察だった。付添が出来なかったが、暖かかったし、ゆっくり歩いて一人で行ってきたそうな。特に問題はなく、安心したそうだ。
 少しずつ今までの生活のペースを取り戻していってほしい。

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2019.10.27 祝・ブログ開設10周年!継続出来たことに感謝

2019-10-27 19:54:09 | 日記

 自分で「祝!」もないものだが・・・、の書き出しで例年書いてきた10月27日の記事。今日は記念すべき10周年である。

 一口に10年といっても開設からの日数を見れば3,657日である。文字通り私がこれまで10年間生き永らえてきた証である。その間、毎日とはいえなくとも2,711の記事を書き続けてきた。今日で2,712番目の記事、思えば遠くに来たものだ、である。

 今年は、再発後1年目に最初で最後のつもり(結果として恒例の・・・になってしまったが)で参加を始めた校友会音楽祭と、同日に行われるアリーナ竣工記念の第九演奏会があり、身の程知らずにも参加表明してしまった。母の左腎がんの摘出手術とこれらの練習が重なりながら、今では記憶があちこち途切れ途切れになるほど、とんでもないハードな1か月間を過ごした。
 その母が10日間のショートステイを経て、無事帰宅して再び一人暮らしを始めたのはまさに昨日の記事に書いた通りである。

 今朝電話をしてみたら、昨夜は入浴後10時半にはベッドに入り、朝6時過ぎまで一度も目覚めることなく熟睡出来たそうだ。ゆっくり起きて、自分で洗濯も干したとのこと。焦らずのんびりしてくれればよいのだけれど、自宅に戻れたということが元気とやる気を後押ししているのは間違いなさそうだ。

 私はこれまでの疲れを来週に持ち越さないために、今朝は久しぶりに目覚ましを掛けずに寝坊を決め込んだ。昼からボディバランスのヨガクラスに参加してたっぷり汗を流し、カフェで夫と遅いランチを摂った後は買い物と掃除・洗濯をするだけのごくごく普通の一日になった。駅前ではハロウィンのパレードに参加する可愛らしいちびっこたちの仮想に目を細めさせてもらった。
 
 ヨガについては、育休中だったSさんが9月末でスタジオを一旦クローズされたので、都心のスタジオに定期的に通うことがなくなってしまった。9月、10月とM先生のインテンシヴコースに2回、聴講生としての参加を許されたが、別の新しいスタジオに行く気力は今のところ、ちょっとまだ湧いてこない。平日、仕事を終えてから都心に出向くほどの元気も体力もない。
 このところの仕事、母のケア、合唱のスケジュールをこなすだけで精一杯、地元のヨガスタジオにすら殆ど通えていなかった。もちろん行けば気持ち良いのは間違いないし、スッキリするのも分かっているのだけれど、身体もさることながら気持ちがついていかなかった。

 街路樹は赤に黄色に染まり、落ち葉を踏んで歩く季節になった。日暮れは更に早くなり、定時で職場を出ても真っ暗。冷え込みも厳しく冷たい雨が降ったりして気圧が変動すればしつこい痛みもあるし、一旦帰宅してから再び出かけるハードルは一層高くなっている。

 さて、昨年の記事によると、9年間で記事の数は2,462だったので、この1年で書いた記事は250ということになる。更新ペースは相変わらず3日で2つ程度だ。特別なネタもない、平々凡々で淡々としたアラ還女性の生活を考えれば、十分だろうと思う。

 11年半にわたる通院化学療法を続けながら、仕事も趣味も諦めることもなく、私にとってごく普通の生活を送ることが出来ている。その体力と環境に、そして、家族、友人、職場の方たちを含めた沢山の方たちに支えられてこれまで生き永らえてこられたことに、今年も素直に感謝したい。毎年、平凡でも同じことを繰り返していけることがどれだけ奇跡に満ちて幸せなことかを改めて噛み締めている。

 繰り返しになるが、振り返ればブログを綴ってきたこの10年の治療期間には、言葉には尽くせないことが多々あった。冷静に考えれば、使える薬がどんどん減り、後がなくなってきている。けれど、再発治療を始めた頃のような「何が何でも今は死ねない」的な切羽詰まった悲壮感はなくなっている。これもヨーガの智慧、そして、私なりに私らしく日々精一杯生き切れていると体感出来ているからだろう。心は不思議なほど穏やかで、凪いだ海のようである。

 今、自分が出来ることを精一杯やったら、後は世界に委ねる。あらゆることはなるべくしてなる、そして、それはきっと最善の結果になる、と信じるだけで良いのだ。

 ともあれ、今年もこうしてこの日が迎えられたことの喜びを改めて思う。10周年。正直ここまで続けてこられるとは思わなかった。同じ病の友人たちを何人見送ったことか。
 10年一区切りとすれば、明日から2度目の1年目が始まる。頑張りすぎずに頑張って、ゆっくりとでもその歩みを止めないで丑年らしく我慢強く地道に生きていきたいと心に誓うとともに、全てのことに感謝する今日の日である。
 
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2019.10.26 母、無事帰宅の日、メンテにも勤しむ

2019-10-26 23:45:15 | 日記

 昨日の寒かったこと。朝から土砂降りで、レインコートとレインブーツで備えても出勤時は濡れ鼠だった。間抜けなことに携帯を充電器に差し込んだまま出かけてしまい、終日不便、かつ気圧の変化と寒さで胸痛や痺れもしぶとくあり、トホホの一日だった。
 夫が宴会で夕食不要というので、久しぶりにヨガクラスを予約していたのだけれど、スマホを取りに一度帰宅したら、再び外出するのが嫌になってしまい、適当な食事をして撮り溜めたビデオを観ながらソファでウトウトウトウト。夫が帰ってきた後もソファで転寝をしたまま、追い立てられるようにお風呂に入って、そのままバタンキューだった。やはり疲れがべったりと身体に張り付いているようだ。

 そして今朝。朝の連続テレビ小説をBSで視てからノロノロ起き出して朝食の支度。洗濯機を廻して、今日も午前中はメンテナンスからスタート。5週間ぶりのリフレクソロジーの日である。
 いつものようにオーナーにサロン最寄り駅までお迎えに来て頂く。昨日の寒さに懲りて、いよいよタイツ解禁、ニットにジャケットとしっかり着込んで出かけた。ところが、いいお天気で気温も上がりそうな気配である。

 車内で母の入院・手術のもろもろをお話ししている間にサロンに到着。今日はいつもの下半身スッキリコースとハンドリフレにヘッドマッサージも付けて頂いた。オイルはオレンジ、イランイラン、ローズウッドのリラックスブレンド。どこもかしこもコリコリバキバキと硬く凝り固まっていて、痛いこと痛いこと。それでも終わればぐんと楽になる、と我慢しながらいつの間にかウトウトウトウト。足も冷えていたようで、施術している間に一旦は温まったが、すぐにまた冷えてしまいそうだった。

 施術後は身体ポカポカブレンドのハーブティを頂き、来月の予約を入れる。先日購入してとても履き心地が良かったオーガニックの竹の繊維で出来たソックスを母と夫のお土産に買い求め、再び最寄り駅まで送って頂いた。

 途中乗換駅のショッピングモール内レストランでランチを摂り、ショートステイ中の母を迎えに行くためにJRを乗り継いで施設と実家の最寄り駅へ向かう。夫と駅で合流する予定だったが、私の乗り継ぎが良く、予定より1台早い電車に乗れてしまったので、ショッピングモール内のスーパーで合流した。
 スーパーで母からのリクエストの果物や野菜等を、フラワーショップで父の仏花と母の退院祝いにビタミンカラーのフラワーアレンジメントを買う。

 施設前で一旦夫と別れ、夫には実家に先着してもらった。当初の予定では先に一人で実家に行ってもろもろ整えた後、お迎えに行こうと思っていたのだけれど、夫が一緒に行ってくれるというので、では、と甘えることにした。荷物もあれこれ重くなってしまったので、有難かった。

 施設エントランスで面会票を書いて、約束した5分前に母のいるユニットへ上がる。ちょうど女性たちがダイニングでおやつを頂いているところだった。一瞬母がその中にいるのに気づかず、部屋に行くともぬけの殻。荷物もすっかりまとまってベッドの上に置いてある。「あれ、お手洗いでしょうか?」とスタッフの方に訊くと、「あちらでおやつを召し上がっています。」と言われる。母を見落とすとは我ながらぼーっと生きている・・・ああ、チコちゃんに叱られそうである。

 初めてお目にかかる方ばかりだったが、86歳の母が一番若いというのだから恐れ入る。大正生まれの94歳、父より一つ年下の90歳と錚々たるメンバーである。あれこれお話しを聞き、席を立って部屋に戻る。スタッフの方の手を煩わせずに自分で荷造りをしたというので、びっくり。

 出発時間の10分ほど前に携帯が鳴る。見ればこの施設からである。「?」と出ると、先日迎えに来てくださった男性スタッフMさんだ。「今、母の部屋におりますが・・・」と言うと、「これから伺います。」と仰って今回の施設計画サービス書類を持ってきてくださる。「準備が出来たらまたお迎えに来ます。」ということで、暫し部屋で母とお喋り。時間になってもなかなかお呼びがかからず、待ちくたびれて母がお手洗いに行ったところでお迎えが来る。
 なんとも間の悪いことよ。荷物だけ先に預け、母が戻ってきたところで皆さんにご挨拶しながら施設を後にした。皆さん週末の2泊3日のステイが多く、母のように10日連続で、という方はなかなかいないそうだ。

 夫にLINEで「ようやく出発します。」と連絡を入れて、バンに乗り込み、あっという間に自宅に到着。母は1か月ぶりのご帰還である。

 夫が門まで出てきてくれて施設のMさんから荷物一式を受け取り、母は一人で歩いて家に入る。「まずは、ご挨拶でしょう?」と父の仏壇に行くように促す。私は買ってきた仏花を花瓶に生け、”退院、帰宅おめでとう”のフラワーアレンジメントをダイニングテーブルに飾った。

 そして、母の目の前であれこれ買ってきた食料品を冷蔵庫に納める。夫は私たちが予定の時間になってもなかなか帰ってこないので、持ってきたかぼちゃで煮物を作ってくれていた。なんとマメな。
 買ってきた和菓子で一服しようというと、母がいそいそとお茶を淹れてくれた。半世紀以上使い慣れた台所なので、身体が自然に動くのだろう。施設にいる間は食べるだけで全然動かなかったので、すっかり鈍ってしまったとのこと。それでは、とこちらはお任せする。

 一服したところで、出かける時はまだ薄掛けだった寝具を秋冬仕様にし、エアコンのリモコンを冷房から暖房に切り替え、留守中お世話になったご近所に無事帰宅しました、と手土産をもってご挨拶周りを済ませた。
 まずはお世話になったヘルパーセンターのケアマネさんにお礼の連絡をし、母から伯母宅や友人宅に報告の電話を入れてもらい、従姉妹たちには私からLINEで写真入りの報告を済ませた。夫はその間靴下を濡らしながらお風呂も洗ってくれた。

 「1か月間、一度もパンを食べられなかったので、今夜はパンが食べたい。」という母に、「夕食は一緒に摂れないけれど、片付けはゆっくりマイペースで明日からでいいからね。」と、2時間ほどあれこれ世話を焼いて実家を後にした。本当に真っ暗になるのが早い。お天気は徐々にまた下り坂だが、昨日に比べて大分暖かい。

 JRと私鉄を乗り継いで最寄り駅まで戻り、夫と別れて私は本当に久しぶりにヨガスタジオでリラックスヨガのクラスに参加した。フロントのAさんには「随分お久しぶりですね。」と言われる。すっかり身体が凝り固まっていたけれど、ゆっくり呼吸をしながらじんわり身体を動かせてとてもリフレッシュ出来た。シャワーを浴びてスッキリして夫と再び合流して買い物を済ませ、母に「お休みなさい」の電話をし、遅い夕食にお寿司を頂いて帰ってきた。

 こうして1か月にわたった母の入院とショートステイが無事終止符を打った。どうなることかと案じたけれど、母も私もなんとか乗り切ることが出来た。色々支えてくれた夫にも改めて感謝である。
 こんな中でも気持ちがささくれ立たずに済んだのは、ちょっと無理はしつつも好きなことを諦めずに済んだことだと思う。歌があって、ヨガがあって、仕事があって、本当に良かった。
 明日は久しぶりに何の予定もない日曜日だ。お天気もイマイチのようだから、のんびり家事をしながら過ごしたいと思う。

 一方関西の息子は一昨日の夜、喉が痛いと言っていたところ、昨日は朝から微熱で夜は8度まで熱が出たとのこと。インフルかも?とクリニックに行ったところ、陰性だった模様。カロナールを処方されもう熱も下がったとのこと。若いと回復も早いものである。
 かくいう私は月曜日の夜から昨日の夜まで葛根湯を飲み続け、ようやく今朝から止めたところであるが・・・。



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