ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.2.29 如月 晦日、昼から介護休暇

2016-02-29 20:55:10 | 日記
 あっという間に2月も最終日。今年も6分の1が過ぎたと思うと、背中がちょっとゾワゾワする。
 相変わらず左右ともシャンシャンと鳴り続ける耳鳴りと眩暈、しぶとい手足の痺れで冴えない体調だ。

 朝の定例会議を経て、メールや電話や窓口対応とあれやこれやしているうちに、あっという間に職場を出なければならない時間になってしまった。
 電車を乗り継いで、お昼過ぎの父の診察に付き添うことになっている。一台乗り遅れると間に合わないかもということで駅まで急ぐ。
 昨日実家に顔出しをする予定がお友達との約束先行の息子は、今日は駅で落ち合って、その後一緒に付き添いをすることになった。

 時間通りに最寄駅に現れたのは良いけれど、心配が的中した。出がけに持ってくるように念を押して玄関に置いた荷物を持たず、手ぶらである。はァ?荷物は?と訊くと、直前に確認してくれればよかったのに、と言う。ギリギリまで仕事をしていたのだから直前の確認連絡など出来ない。結局、息子は無駄に自宅と駅を往復する羽目になり、私は一足先に脳外科クリニックがある最寄駅まで向かった。

 初めて訪れるクリニックだが、駅と直結でホテルのロビーのような豪華なエントランス。話には聞いていたけれどビックリである。予約時間の20分程前に到着したが、待合には両親の姿は見えない。母の携帯を呼び出すものの出ない。ちょっとキョロキョロしているうちに母が入口から入ってきた。父は、といえば介護タクシーのドライバーさんが車椅子を押してくださっている。

 いつものことながら、母は私が付き添うとすっかり両手ダランになってしまい、診察受付から何から全て代行することになる。帰りのお迎えの時間を打ち合わせして、ドライバーさんにご挨拶。父は私に気づいているのかなんだか、挨拶もろくに返ってこないし、ありがとうの一言もない。

 予約時間どおりに呼ばれ、診察室へ。父は「先生、大分良くなってきました」などと言っているけれど、主治医のK先生は、初めて見る私にちょっと怪訝な様子。そして父に「後ろにいる方はどなたですか」と訊いている。これもまたテストの一環だろうと私は黙っている。「娘です」と正解。そして次に「娘さんはどこに住んでいますか」との質問があり、これまた正解。まだらなのかどうなのか、よく判らない。

 そして改めてご挨拶をする。1月の脳出血前と今と様子はどうですか、と問われるが一緒に暮らしているわけでもないし、微々たる変化となると良くわからない。母は相変わらずメモをとるわけでもなく、ただなんとなくいるだけになっている。そのため、先生は私を相手にいろいろ質問される。先生も1月以前を見ているわけでないので、なんとも診断のしようがないようだ。そりゃそうですよね、と思う。

 とりあえずこれまでの“記憶の(認知症とはおっしゃらない、患者たる父への配慮だろう)薬”を増やしますとのこと。そして次回は再度CTを撮影し、記憶のテストもしてから診察することになった。3週間後は祭日なので、2週間後か4週間後と言われたが、自分の通院やら会議の予定やらとにかく年度末なのでそうそういつでも休めます、というわけでもなくカレンダーと睨めっこになる。曜日を替えて、なんとか予約を入れて頂いた。

 そして、母の話ではよく判らないので、と申し訳ないが再度画像診断の結果を説明して頂く。後頭葉に3センチほどの脳出血があり、これは3カ月程度で脳内で吸収されるだろうが、脳の委縮との関係で、どこまでが認知症の症状でどこまでが脳出血の症状なのかが判断しがたいため、これからも認知症の薬を飲んでもらうとのこと。

 MRIに映った脊椎は本当にグシャグシャに潰れて歪曲しており、ここまでになってしまうとどうにもならないとのこと。あとは騙し騙しにしていくほかないそうだ。高血圧ではないから今後は脳出血が起きない、かというとそれも判らないとのこと。齢も齢だし、経年劣化ということだろう。
 
 会計を済ませ、ビル内にある薬局まで薬を取りに行く。1割負担だから本当に申し訳ないほどの支払いだ。今のところ副作用も出ずに薬が飲めているので何よりとのこと。私が薬局にいる間に、息子からLINEで到着したとの連絡。

 介護タクシーのドライバーさんが他のお客さんの送迎をして、こちらに戻ってくるまであと1時間半近くかかるとのことなので、階上のレストランで4人で遅い昼食を摂った。
 父はお正月に私達家族と食事を摂って以来、外食は初めてとのこと。食欲はあるので頼もしい。母は診察が終わったら父を連れてそのまま帰って家で食事をしようと思っていたらしく、思いもよらず孫や娘と外食が出来たのが嬉しそうだった。息子は祖父母の分まであれやこれやと分けてもらってお腹を満たしていた。

 さて、そろそろ帰る支度を、と思うと、母が先生に診察の場で書いてもらったデイサービスに提出する書類を返してもらわなかったという。がっくり脱力して、一人クリニックへ戻り、事情を説明して待ち、無事受領して会計を済ませてレストランに戻った。

 今度は母が介護タクシーのドライバーさんの名刺をどこかに入れてしまったという。慌てるとますます見つからないし、こういう時に黙っていればいいのに父が横からああだこうだと上から目線で母を咎める。聞いている息子も私もどんどん気持ちが滅入ってくる。

 結局、私が母のバッグを受け取って小さな内ポケットに入っていた名刺を見つけて連絡。あと15分か20分でそちらに迎えますので、クリニックの入り口で待っていてくださいとのこと、皆で移動する。

 今日は私が荷物を持って息子に父の車椅子を押してもらったが、母が33kgの小さい身体で父の車椅子を押すのは大儀そうだ。今はコート等荷物も多いし、2人だったら途方に暮れるのだろうなとも思う。
 とはいえ、毎3週間毎に付き添いのために休みを取るわけにもいかない。前途多難である。

 ようやくドライバーさんと合流し、車椅子のまま父はタクシーに乗せて頂き、母と息子が同乗して私は見送った。
眼の下にはクマ、顎が出てぐったり・・・である。予報通り雨も降り出しトホホの気分。しつこい耳鳴りの不快感も相まってなんだかなあ・・・とため息が漏れる。

 再び電車を乗り継いで最寄駅に到着。歩いて帰宅する元気がなく、タクシーに乗ってしまった。少し早めに帰宅出来たので、洗濯物を片付けたり、夕飯の用意をしたり。

 今週もまだ始ったばかり。そして明日からは弥生三月。テンプレートもお雛様に変えてみた。桃の節句も目前である。

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2016.2.27 帰っては来たけれど・・・やっぱりシャンビリ

2016-02-27 22:08:49 | 日記
 昨夜遅く、春合宿帰りでそのまま新幹線に乗った息子が、スーツケース一杯の洗濯物を抱えて帰宅した。なんだか年末に帰省した時より一層髪の毛の色が明るくなっていた。
 こちらはサインバルタ減薬の離脱症状の所為か、1週間の疲れが溜まってイマイチの体調。話し相手にもならずに果物と軽食だけ用意してさっさと就寝。

 来週末からまた練習が始まるので、週半ばまでしかいられないという。こちらに滞在する間は予定が一杯だ。
 まずは花粉症が酷くならないうちに、と今日は耳鼻科クリニックへ。それほど朝寝坊もせずに出かけたけれど、既に患者さんで溢れていて3時間くらい待つと言われた模様。お昼に都心でお友達と逢う約束をしているから、とさっさと諦めてそのまま出かけてしまった。辛いのは自分なのだけれど・・・。

 そしていつもながらの鉄砲玉、いまだ帰ってこない。結局、まだ3人で夕食を囲んでもいない。大学生と同居なんてするもんじゃないなと思うが、自分が学生時代も両親にはそう思われていたのだろうか。

 さて、私はと言えばやはり“シャンビリ”である。シャンビリとは、SSRI(サインバルタもその一つ)の減薬・断薬時に認められる離脱症状の俗称。なぜシャンビリと呼ぶかというと、耳鳴りがシャンシャン鳴り、手足がビリビリしびれるという症状からきているらしい。
 子どもの頃中耳炎を患った所為か、今でも疲れが溜まると片方の耳鳴りがすることはあったが、今回は両耳。しかもちょっと頭を動かしたり振ったりすると酷くなる。立ち上がる時にめまいもある。吐き気は出ていないものの、相変わらずのふわふわふらふらである。

 私はカドサイラ(T-DM1)の副作用である手足の疼痛緩和のためにサインバルタを服用したが、そもそもこの薬は抗鬱薬である。抗鬱薬中断症候群とは、少なくとも1か月以上投与されていた抗鬱薬を、突然中止(または著しい減量)した後に発現する一連の症状で、一般に2~4日以内に現れ、光の点滅、“電気ショック”感覚、嘔気、音や光に対しての反応性亢進などだそうだ。

 抗鬱剤は依存性物質ではないため、正確に言えば離脱症状には当てはまらないようだが、離脱症状も中断症候群も、薬を減量・中止した反動で生じる症状という意味では同じであるため、現場では明確には区別されずどちらも離脱症状と呼ばれているらしい。

 この離脱症状は、抗鬱薬の血中濃度が急に下がったことに身体が対応しきれずに生じると考えられているが、その詳細な機序はいまだ不明なところもあるという。
 副作用を止めるために飲んだ薬の所為でこんなこともあるわけだ。薬は正作用だけでなく必ず副作用も伴う。判ってはいるけれど、なかなか切ない。

 今日は朝の大洗濯の後、息子を送り出してから、ずっとサボっていた掃除を片付けた。昼は適当に済ませ、午後から気分転換に都心の常温ヨガスタジオまで出向いた。Oさんのクラスは本当に満ち足りた感で一杯。気温は低かったけれど、窓からの陽射しが眩しく、とても気持ち良かった。これも夫が夕食当番を引き受けてくれたからこそ。せっかく腕を振るったのに息子が不在というのはちょっと寂しいだろうけれど。
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2016.2.26 全てのことには理由がある

2016-02-26 21:02:56 | 日記
 朝日新聞で連載中のモデル・女優である杏さんの「杏の気分ほろほろ」。いつも興味深く拝読しているのだが、最新号に本当にそうだなと思ったので、以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

モデル裏舞台あるある(杏の気分ほろほろ:37)2016年2月26日09時30分

 モデル、という言葉をフランス語で言うと「マヌカン」。デパートの洋服売り場で並んでいるマネキンのことだ。つまりモデルとは服を表現するための存在だ。私は生きたハンガーのようなものではないかと思う。
 思春期にすこしずつ背が伸びてきて、「やってみれば?」と言われたときは、まだ身長は160センチ台後半だった。最終的に174センチまで背は伸びたが、それでも世界の舞台の中ではギリギリの身長。当然、始めたばかりの160センチ台の私はショーモデルになるとまでは夢にも思わなかった。
 雑誌のモデル、ショーのモデル、国内外、色々なモデルのお仕事を経験させていただいている。最近は女優業もやってバラエティー番組で話す機会もあるせいかあまり言われなくなったが、初対面の方には「もっとクールで話しづらい人かと思った」と言われることが多かった。
 そもそもモデルというとマネキンなわけだから、表現上、個人の人間的な背景はあまり必要がない(あってもデフォルメされ、言葉無しのビジュアルだけで表現できる範囲)。
 それにしても「モデル=近寄りがたい」という図式は依然と存在する。日常を超越した夢の世界の表現者である側面も考えるとあってしかるべきだとも思うが、イメージが先行して独り歩きしすぎている部分は少し訂正してみたい。
 華やかな世界だが、実際は季節も逆転、気候と戦い汗にまみれたり凍えたりする、想像よりはずっと地味な仕事である(こんなことを言うと夢がない!と言われてしまうのかしら)。
 昨今、バックステージと呼ばれるファッションショーの舞台裏の様子がテレビなどで興味深く紹介される機会も多いので、そのなかに映るいかにもモデルらしい姿や態度が高飛車と誤解される一因なのではないかとも思ったりする。
 そんな誤解されやすい行動にも幾つかは理由があったりする。
 まずつんとすまして靴を履かせてもらっている構図。スタイリストやアシスタントの方にかしずくような体勢にさせてしまうことで、「靴くらい自分で履けないのか?」と思われるかもしれない。
 しかし、自分で靴を履こうとかがむと、それまでにつくったヘアスタイルが崩れる可能性があり、またてこずって時間がかかると頭に血が上り、顔に余計な赤みがさしてしまい、メイクのカラーバランスが崩れる可能性もある。ひも靴やリボンの装飾がある場合、結び目の美しさなどのバランスを鑑みると最初からスタイリストがやったほうが話が早かったりする。そういうわけで、なるべく顔の水平を保ちながら私たちは靴を履かせてもらうのだ。
 手の指のネイルが塗りたてだったりすると、それを守るためにボタンすらも閉じていただくこともある。
 撮影の合間やショーの舞台袖で本番直前の最終的なヘアメイク、服の直しをされている時、モデルの腕を組んでただ突っ立っている姿に「あの非協力的な態度は何だろう」と思われるかもしれない。しかし、座ったりかがんだりすると服にシワがよるため、いくら高いヒールを履いていても、背を合わせようと座るわけにもいかない。頭のテッペンや顔、服など至近距離にヘアやメイク、スタイリストが来るので、自分の手が彼らの身体に当たったりして気を使わせないように、手先を上に上げている姿が自然と腕を組む形になるのだ。
 ほんの少し例を紹介してみたが、いかがだろうか。そういえば見たことあるようなモデルっぽいあの舞台裏の姿にも、一応理由があったりするのだ。
 一方で10代で親元を離れ、様々な目的のために気を張って、遠い外国の地で働こうと奮闘しているモデルの子はどの国にも(もちろん日本にも)たくさんいるので、自然と強気にならざるをえないんだなぁ……と感じることも多い。というわけで、高飛車な(そうならざるを得ない心境の)子も、そうでない人も、どちらもいる。ということでざっくりと「モデル・裏舞台あるある」を〆たいと思う。
 同じ職業の中でも様々なタイプの性格がいるのは、どの職種でもきっと同じなのだ。

(転載終了)※   ※   ※

 要はどのくらいその人の立場になって物事を考えられるか、相手に対して敬意を表して思いを致すことが出来るかだろう。先入観で多少でもネガティブなイメージがあれば決して良い解釈は生まれてこない。

 けれど、例えばモデルという人種は自分の美しさを鼻にかけてツンとしたイメージで、といういかにも紋切り型の発想はあまりに貧相で哀しいものではないか。
 暑い夏に汗もかけずに来るべき秋冬シーズンの撮影をし、逆に冬に寒さに震えることもできず春夏の撮影をする。考えただけで大変な仕事だ。当然のことながらそれをおくびに出さず、体調を整えるのだから。プロ意識がなければとても勤まらないだろう。

 杏さんの最後の一文が利いている。―どんな職種の中にも色々な人がいる。
と同時に、靴を履かせてもらうには、それなりの理由がある-どんなことにも必ず理由がある。-にも頷ける。

 この二つのことを忘れずに、思ったことをすぐに口に出すことなく、ちょっと一呼吸置いて自分の周りを見つめることが出来れば、世の中そう住みにくいことにはならないのではないか。
 何よりも、自分の解釈で勝手に相手のことを決め付けてしまうことはとても残念なことだろうと思うけれど、どうだろう。

 さて、今日は1936年に起こった二.二六事件からちょうど80年の日。
 日本が暗く切ない時代に突入するきっかけとなった日だ。その日は雪が降りしきっていたという。そこに生きた若人は何を思っただろうか。

 翻って、今日は朝から久しぶりの快晴。日中の陽射しが真冬に比べて大分柔らかくなってきたとはいえ、今朝の冷え込みも厳しかった。その厳しい寒さも今日で底だという。
 このところ日一日と日の出は早くなり、日の入りは遅くなり、間違いなく春の足音が聴こえてくる。
 国公立大学の二次試験前期日程も終了。精一杯頑張った受験生たちには文字通り嬉しい春の知らせが届くだろう。
 そしてつい3年前に大学生の仲間入りをした新4年生たちは、あっという間に就活始動の春である。

 遠く80年前の事件を想いながら、若い人たちにとって希望の春でありますように、と願わざるを得ない夜である。
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2016.2.25 ふわふわ、ふらふら、なんでだろう

2016-02-25 20:12:01 | 日記
 先日の深呼吸合宿の途中から、何となくふわふわふらふらした感じがあった。その時は「食事量が普段より減っているのでミネラル分が不足しています。意識してスープやおかずに良質な塩をかけて頂きましょう」という先生のお話を守って対応していた。
 帰宅してからは哀しいかな、合宿中のような、作るのにも食べるのにも時間がかかる食事を摂れていない。ゆっくりよく噛んで食べることは意識しているが、食事内容は今までどおり、アイスクリームも解禁という体たらくだ。

 それなのに、相変わらずふわふわふらふらが続いている。座っていると余り気にならないのだが、立った時、歩いている時、階段の昇り降りなどヒヤッとすることがある。
 昨日の通院帰りは、治療が出来ないという想定外の事態に少なからずショックだったからか、なんだか体調が悪かったし、身体がシャンとしていないのも感じていた。

 だが、待てよ、手足の疼痛対策として飲んでいるサインバルタ錠の離脱作用ということもあるのではないかと考えたのだ。

 この薬を飲み始めてから、2錠のうち1錠を就寝前に飲み忘れたことが1度あったきりで、1錠になってからは、2日間連続して全く飲まなかったというのは合宿中が初めて。痛みはないから飲む必要はないとはいうものの、このふわふわふらふらはそのためではないか、と思い当たった。
 合宿から帰宅した夜、2日空けて1錠飲んで、また昨夜まで2日飛ばしている。その所為ではないか。ちなみに、サインバルタの半減時間は10.6時間。血中濃度はおよそ1日で4分の1に、2日で16分の1になる計算だ。

 早速調べてみた。
 サインバルタは1錠(20mg)ずつ減量して問題がなければそれでよいが、そうでない場合には10mgずつ減量するようだ。2錠(40mg)を1錠(20mg)にする時には何も感じなかったけれど、20mgを0mgにする時(脱カプセル・断薬)にはこうした症状が出ることが多いらしい。
 離脱症状は、薬を止めて1~3日頃から2週間の間に見られるとある。頭痛、めまい、吐き気、だるさ、しびれ、耳鳴りといった身体症状の他、イライラ、不安、不眠、そわそわ感といった精神症状など。

 うーん、判断に迷うところだが、今晩飲まないで過ごすことが出来れば3日空けることになる。となると血中濃度は64分の1以下。

 飲み始めたのは昨年の7月下旬からだから7ヶ月前。最初は1錠からスタートし、症状が完全には改善されなかったので9月から2錠に増やしたところ、効果が見られた。ところが、朝食後に飲むと午前中の眠気が酷く、夕食後に飲むと不眠になったりと、睡眠障害の副作用が出たので、飲む時間を調整しながらやり過ごしてきた。
 このところすっかり症状が落ち着いてきたので、3週間前から1錠に減薬したわけだ。主治医も出来ればこの薬は止めたいとおっしゃっていたので、渡りに船の気分で。けれど、もしこのふらふらふわふわのめまいが薬を止める時の離脱症状だとしたら、はたしてどうなのか。昨日の通院でしっかり確認してくればよかったと後悔しきり。

 とはいえ、痛みが治まっているのにあえて主治医が出来れば止めたいと思っておられる薬を飲み続ける必要はないし、副作用止めの薬も別の副作用があることを考えれば、飲む薬は少ないに越したことがない。また痛みが出たら頓服しても良いということだったので、とりあえず様子見をしたいと思う。それにしてもふらふらふわふわと身体にチカラが入らないので情けない感じ。

 加えて今朝は落ち着いていた目の痛みも酷く出て、出勤してからPC用眼鏡をかけても涙が止まらず、PC作業に支障をきたし、まいった。
 処方された目薬を何度も差して、ようやくなんとか収まってきた。やはりこれは花粉症のアレルギー症状ではなさそうだし、昨日点滴を見送ったカドサイラ(T-DM1)の副作用というわけでもないのではないか。これまた一体なんでだろう、である。

 さて、勤務する大学では今日から2次試験。とても冷え込んだ朝、地面には夜中に降った雪がうっすら残っていた。受験生たちは白い息を吐きながら、握り締めた参考書に目を落として開門を待っていた。
 息子が受験生だったあの冬から2年が経つ。本当に早いものだ。本人は今、部活の合宿中。普段に比べ朝昼晩と3食しっかり食べて学生生活をエンジョイしているのようだから何よりだけれど・・・。
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2016.2.24 採血・レントゲン後診察・ランマーク15回目、カドサイラ(T-DM1) 18回目(減量8回目)中止

2016-02-24 20:48:59 | 治療日記
 今月になって2回目の通院日。

 昨夜は仕事帰りに瞑想ヨガのクラスに出席した。折しも満月で、一斉ヒーリングにも参加することが出来た。いつもは、クラス最後の瞑想の時間には腰痛でずっと座っていることが出来ず、早々と安らぎのポーズになってしまうのだけれど、不思議なほどとても安定して体のどこにも痛みを感じることなく幸せに静かに座っていることが出来た。
 沢山の大切なお友達に明日の通院がうまく行きますようにと祈って頂く。Sさんの言葉を借りれば、深く息を吸って肺がクスクス笑っているような幸せな気持ちのまま、病院近くの常宿に前泊した。
 今朝は、熱めの浴槽足湯で汗をかいた後、焼き立てのデニッシュやクロワッサンの朝食を頂き、深呼吸合宿と瞑想ヨガとヒーリングのトリプル効果で最強のメンタルで病院を目指した。
 
 今朝も冷え込んだ。ホテルから病院までの途中にある保育室では登園の時間。お父さんやお母さんに連れられて「おはよう」と保育士さんの腕に抱かれるチビッコを見ながら、目を細める。懐かしくも素敵な時間だったな、と思う。

 いつもより1時間ほど早く病院到着。自動再来受付機でも採血受付でも殆ど並ばずスムーズ。採血も私の前の番号の方が既に中待合に入っていて、7分の待ち時間と表示されている。ほどなくして入室すると、早手回しに紙テープを準備してくださっており、いい感じと思ったのだけれど、なぜか痛点に当たってしまい、差してから抜くまでずっとチリチリ。今日はマーカーとアレルギーチェックもあるので4本の採血。

 ダウンコート、スヌードを紙袋に入れ、ヨガとお泊りセット一式の手提げを持ち、止血しながら診察ファイルを脇に挟んで2階のレントゲン受付へ。こちらも殆ど待つことなく10分もかからず終了。再び1階に降りて腫瘍内科受付へ移動。朝早いのでそれほど混みあっていない。いつもの席を確保して読書開始。

 今日の1冊目は、齋藤美奈子さんの「名作うしろ読み」(中公文庫)。帯には「『雪国』『ゼロの焦点』から『赤毛のアン』まで 文豪は「お尻」に命を懸けた!古今東西の名作132冊をラスト一文から読み解く」とある。読売新聞のコラムに連載されていたので、よく読んでいたけれど、こうしてまとめ読みをすると圧巻。確かに本を読んでいなくても名作文学の書き出しはなぜかみんなが知っている。
 けれど、ラスト一文となればなかなか思い出すことができない。では、調べてみようという目の付け所がなんともユニーク。「はじめに」で齋藤さんが書かれているように「つべこべ文句をいっていないで、読もうよ本を」、「本の話は『既読の人』同士でした方が絶対面白い」には同感である。かつて読んだことのある本も、ストーリーは情けないほど忘れている。読み返したいと思いつつ、ついつい新しい本に手を出してしまうのにちょっと反省。

 1時間ほど待って、“中待合へどうぞ”の番号が電子掲示板に出る。毎度のことながら読書に夢中で血圧測定が後回しに。番号が点いて中待合に荷物を置いてから、慌てて測定に行き、108-66、脈拍は90と高かった。
 
 中待合で30分ほど待つと、先生がいつものように名前を呼びながらお顔を出された。
 「さて、眼の痛みはどうですか。」と問われ、「PC用の眼鏡を買い、スマホにはブルーライトカットシールを貼り、処方して頂いた目薬を差して随分落ち着きました。」と応える。
 「それは良かった、他は?」には「概ね元気です。お腹は快調ですし、手足の痛みも収まってきているのでサインバルタをスキップした日もありました。それで問題なければ、徐々に止めていきたいのですが、痛くなってから飲むという形で問題ないでしょうか」と訊くと、「いいでしょう」とのお返事。合わせて漢方も一日3回を2回にしても問題なしというお答えが返ってきた。胸の痛みも酷くなく、頭痛で頓服にロキソニンを使った以外は朝1回で過ごせています」とお話する。

 先生は「採血結果ですが、マーカー、上がりましたね」と言われる。前回下がった値から比べると3割の増。基準値を超えてしまった。ただ対数にしてグラフを見ると、前回の若干の減少を均せばそれほどの上がり方ではない。倍になるのに(ダブリングタイム)半年かかっているので十分ゆっくりだとおっしゃる。

 ただし、白血球は3,800、好中球が27%と低いので、今日は治療は延期しましょう、と。自分ではすっかり体調が万全と思っていたのだが、ガックリ。ここで無理をして治療をして次回以降も上がってこなくなる方が怖い。この先、次の治療が出来なくなると困るので、今日はお休みにしましょう、とキッパリ。

 せっかくなので・・・と言いかけたけれど諦めた。「カドサイラ(T-DM1)でも白血球が下がるのですか」と訊いたところ、「長く続けていれば下がる人もいます」とのこと。「ちょうど1年になりますが、それは長い部類でしょうか」と畳み掛けると、「充分長いです」とのこと。シュン。

 先月のレントゲン画像と今日の画像がPCに並んでいる。珍しく大きさがマーキングしてある。前回31mmだったものが33mmになっているという。体積では1.2倍だそうだ。他の影は変わらないが、この右下の影は本当にしぶとい。「今回休んで、次回復活したらカドサイラ続行でよいのでしょうか」というと「イエス」だとのこと。

 とにかくしっかり休んだ方が良いという判断で、来週、再来週ではなく次回は3週間後にとなった。ランマークの注射は大丈夫ですかと訊くとそれは問題ないとのこと。それにしても風邪も引いていないし、特に不調は感じていなかったのだけれど、本当に採血結果は判らないものだ。白血球は数的には機能しているが、抗がん剤をやるには少ないということだろう。確かに好中球の割合を計算すれば1,000そこそこ。投与前から感染症注意の値である。

 次回3週間後に予約を入れて頂き、次回は採血でマーカーも測定。今日のアレルギーチェックは外注の為、結果が分かるのはその時だそうだ。次々回、6週間後にレントゲン撮影をするかそろそろCTにするかはまたご相談しましょうとのこと。診察室での検温は足湯効果か6度8分。

 サインバルタは休薬して、今ある手持ち分を頓服にして使うことに。同時に漢方2種を1日2回に減らすのは心配なので、こちらはそのまま飲み続け、その後の痺れや痛みの様子で次回減らせるかどうか検討しましょうということに。その他デノタスチュアブル、ロキソニン、ヒルドイドローションを追加して頂き、ご挨拶をして診察室を後にした。

 化学療法室へ移動すると、今日は注射だけなので中廊下でお待ちくださいと言われる。15分ほどして名前を呼ばれ、新しく2月から遊軍で来られたというKさんに打って頂く。ゆっくりお喋りしながら、とリクエストすると本当に上手に入れてくださった。待っている間に夫やお友達に報告LINEやメール。

 今度は待合で20分ほど会計を待つ。自動支払機へ移動して、採血、レントゲン、注射を3割負担。僅か5,000円ほどの請求で随分安いなと思ったが、よく見ると伝票に化学療法中止になっていたので、ランマーク注射の請求が漏れていた模様。次回の精算になるだろうと病院を出てから気付く。

 外は雪でも降り出しそうな曇り空。薬局は相変わらずの混雑。午前中にここに入るのは、長く通院しているけれど初めてではないだろうか。相変わらずどんどん抜かされ30分待って名前を呼ばれた。今日は大分薬が減っているので、カード払いの下限3,000円に満たず、現金でお支払。

 そんなわけで、今日は病院と薬局の滞在時間は合わせてたったの2時間半ちょっと。まだランチにはあまりに早すぎるので、乗り換え駅まで戻ってからゆっくりお昼を摂った。それまで元気だったのだけれど採血結果を聞いた所為か、なんとなくふらついて頭がぼーっとする感じ。いや~なんとも単純というか現金というか。すっかり草臥れてしまった。

 帰宅後、片付けを済ませ、久し振りにちゃんと夕食を作った。イマイチの食欲でなんとなくダルダル。今日は早く休みたい。明後日には息子が帰省する。あと2日、なんとか頑張らなくては。
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