ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.5.31世界禁煙デー

2010-05-31 20:08:52 | 日記
 5月31日は世界禁煙デーというのだそうだ。先日職場に文書が回覧されてきた。既に20年も経つそうだが、恥ずかしながら全く知らなかった。世界保健機関が設立40周年を迎えた1988年4月7日が「第1回世界禁煙デー」と定められた後、世界禁煙デーを毎年5月31日とするとされ、翌年以降この日に実施されているという。

 日本では、5月31日から6月6日までの1週間が禁煙週間とのこと。今年の禁煙週間のテーマは「女性と子どもをたばこの害から守ろう」。参考までにWHOの標語は「ジェンダーとたばこ~女性向けのマーケティングに重点をおいて~」(Gender and tobacco with an emphasis on marketing to women)だそうだ。

 厚生労働省のHPの趣旨には「たばこが健康に悪影響を与えることは明らかであり、禁煙はがん、循環器病等の生活習慣病を予防する上で重要である。「健康日本21」やがん対策基本計画の目標でもある「未成年者の喫煙をなくす」ためには、喫煙による健康影響を認識させることが重要である。また、「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」に基づく第2回締約国会議において、「たばこの煙にさらされることからの保護に関するガイドライン」が採択され、我が国もより一層の受動喫煙防止対策が求められていることから、平成22年度においては、喫煙及び受動喫煙による健康被害等についての普及啓発を積極的に行うものである。」とある。

 昔に比べて愛煙家にとって肩身が狭くなっているのは事実だろう。電車でもほとんどが禁煙席となったし、駅では全面禁煙が一般的になった。オフィス内でも基本的には禁煙だろう。かつて煙もくもくの中で仕事をしていた20代の頃を考えると、本当に今では空気が美味しい。

 そうはいっても「灯台下暗し」で、我が家は夫がいまだに禁煙が出来ない。禁煙パッチを処方してもらったりもしたのに、さっぱり成功しない。息子と私がかなり悪し様にああだこうだ、と言ってもどこ吹く風、である。息子が「(ママが既にがんであるのに)これでパパまで肺がんにでもなったら、僕は一体どうすればいいんだ。」と詰め寄ってもしかり。

 結婚したら止める、妊娠したら止める、子どもが生まれたら止める・・・・、そして今に至っている。

 もちろん私が嫌煙者であることは夫も百も承知の上なので、私や息子の前では吸わないし、家ではベランダの蛍族もしくは換気扇の下で。外で食事をするときにも禁煙席に陣取って吸いたいときには必ず席をはずす、のではあるが。

 さすがに私がこの病気になったら止めるのかなあ、と思っていたけれど、トライはしたもののダメ、だそうだ。さらに再発してもダメ、なのだから、もう一生禁煙は出来ないのだろうな、と思っている。息子には「私の葬儀の折には必ずそのこと(ずっと禁煙が出来ずじまいで妻が亡くなったこと)をきちんと公表してね。」とまで言っているのだけれど。まあ本人が喫煙が原因で発病するのは致し方ない、と自分でも言っているが、息子への影響を考えると実に悩ましく困ったものである。ちょっとした値上げは関係ないそうだ。

 40歳の頃に禁煙を試みたときは、10日を過ぎたあたりから不眠症となり、それが2週間も続いた頃には、もうこのまま死ぬんじゃないかというくらい疲労が激しかったという。そんな恐怖体験(?)から、「自分の体細胞はニコチンによってつながり、コントロールされているため禁煙することは人として成り立たなくなる」というのが夫の言い分である。実になんともはや、の言い分である。

 息子は「絶対にタバコは吸わない。」と言っているのがせめても、である。
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2010.5.29 人生の楽しみ方

2010-05-29 11:31:40 | 日記
 先日、大学内のレストランでばったりN先生にお会いした。N先生は息子が小学校1年から3年の夏休みまで学童保育が終わった後の受け皿として、住んでいる団地内の集会場(我が家の隣の号棟の1階だったので、歩いて1分という好条件の教室だった。)で開かれていた学研教室の先生だ。勉強が目的というよりも、とにかく学童が終わって1人で家でお留守番をしているよりも、私が教室終了ぎりぎりの時間=学童終了時間の1時間後=に迎えに行ければ、少しでも仕事の時間稼ぎが出来るという理由からの入会だった。

 先生も息子さんと娘さんを育てていらして、母親としても大先輩だった。息子は当時週2回国語と算数を見て頂いていたが、当時から新しいことは好きだけれど、繰り返しややり直し、復習の類が大嫌いな息子は、学童帰り、母が帰宅するまでのこの時間を、プリントのやり直しを素直にこなすよりも教室に置いてあった「ドラえもん」を読んだりお昼寝をしたり(!)と実に自宅にいるかのごとくリラックスして過ごしていたようだ。

 さすがにN先生は各々の子どもたちをある程度自由にさせつつも、見るところはしっかり見ておられて、個人面談のときに「○君が行くことになる公立中学は(粒ぞろいで)激戦区です。真面目にやれる女の子と違って、提出物が出せなかったり、宿題を忘れたり、と男の子は僅差でなかなか内申が揃えられない。結果として都立の上位校に行けないとなると、学力だけで勝負できる中学受験がお勧めかもしれません。どちらにせよ、公立中学に行ったら行ったで、すぐに3年間いきなり塾通いになりますからね。」のお話があった。「そしてもし中学受験ということなら、ここに通っているのではだめで別の進学塾に行かないと・・・」と。

 私たち夫婦はずっと公立育ちだったし、それまで中学受験の「受」の字も考えていなかったので、びっくりして夫にその話をした。ただ息子の日々の様子を見ていて、確かに先生のおっしゃることに一理あるな、と思った。たまたまその後、物見遊山で3年生の6月にお試しで受けてみた大手の中学受験塾のテストのおまけ(ゲームソフト)につられて、新しい物好きの息子は進んで週1の塾通いを始めてしまった。

 結果は何度も書いたとおりだが、3年生3学期に私がかかった病気のことも、その後の再発のことも先生は全くご存知ない。そのドタバタで結局まだ先生には進学した中学校についてご報告すらしていなかったことに気づかされた。

 ちょうど席に案内される前の待っている間わずか5分くらいだったけれど、「早いもので中3になりました。受験結果が思うに任せず、今は○○中学に通っています。一時は高校でリベンジということも考えましたが、本人はすっかりゆるみきっているので、そのまま高校に進学することになりますが、どうなりますことやら・・・。今思えば、先生の教室にうかがっている頃が一番楽しかったです。」とお話した。

 先生がおっしゃるには「そんな超一流の秀才校に入ったって・・・。あの頃から○君は自分の楽しみ方を知っている感じがしましたから、大丈夫ですよ。これでいい学校に入って・・・と大学まで行ったとしても、ダブルスクールだなんだと、ずっと続きますからね。可哀想ですよ。」

 まさにおっしゃるとおり、である。「今は希望だった鉄研に入って乗り鉄、撮り鉄、食べ鉄、とだらだらやっています。」「楽しみですね。」「青春でいいですね。」とお話しているうちに、順番が来てお別れした。

 そう、誰のものでもない息子の人生だ。きちんと自分の楽しみ方を知っていると知らないのではきっと人生の醍醐味が違うのだろう。息子を見ていると、小心者の私などより実のところよっぽど人生の楽しみ方を知っているような気がしてちょっと羨ましく思う。

 などと書いていたら、試験期間中だというのに友人と喧嘩をしたそうで、担任の先生から電話がかかってきた。試験が終わってから方針が決まるそうだけれど、また校長厳重注意だったら・・・と思うと頭が痛いことである。

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2010.5.28 自分を表現すること

2010-05-28 20:55:42 | 日記
 当初あけぼの会HPの「治療日記」を引き継ぎ、治療を中心軸にすえながら、読んだ本、ちょっと嬉しかったこと等、前向きに治療を続けていく上で日常の出来事等も加えながら、細く、長く綴っていきたいと始めたこのブログだが、最近、治療以外の身辺雑記等の話題で更新することが当初よりかなり増えていると思う。

 夫からは「よくまあそう毎日のように書くことがあるね。」と言われる。確かに自分でもそう思う。ごく普通の平凡な人間だから、そうそう他人(ひと)様に読んで頂くほどのネタなど持ち合わせていないし、基本的には治療のことだけで、あとはそれに関わる歯科検診とかかつらのお手入れのこととか書ければ十分・・・と思っていた。けれど、書き始めてみると、今まで心の中で暖めていたことが思いのほかあったのだな、と気づき、我ながら驚いている・・・というのが本当のところだ。

 私は2年半前に完治が難しい遠隔転移のある再発乳がん患者になったのだけれど、当然のことながら365日朝から晩まで患者としてだけ生きているわけではない。毎週水曜日の通院日以外週4日はフルタイムでこれまでどおり働いているし、息子を出産したときも、育児休業も取得せずに産休だけで職場復帰した。今思えば実に無謀であったが、これは“知らぬが仏”でやってしまった、という感じ。もちろん保育園時代はお迎えの時間等には勝てなかったけれど、就職した時から定年まで細く長く(ともするとのめりこむ傾向が強いのを抑えるための私の基本的なスタンスだ。)働くつもりで選んだ職業だったので、病気になるまでは仕事のウエイトはかなり高かった。(息子がゼロ歳児だった頃には、仕事と育児の両立どころか共倒れ・・、という感もよぎったことがあるが。)これまで実にいろいろな仕事をさせて頂き、それなりに活用して頂いてきた、とも思っている。

 それでも、前にも書いたけれど、インターネットで自分の名前を検索してみたところで、こうしてなんとか続けてきた仕事に関しては一切ヒットすることはなく、まるで“再発乳がん患者”という属性だけで自分が存在している、ということになんとも言いようのない哀しさと焦りを感じたことは事実だ。

 そこで、最近ではこれまで仕事をしてきて想うことなどもぽつぽつと書き留めている。「治療日記、闘病記ブログ」と思ってそうした内容を期待して訪れてくださる方にとって、なんだかなあ・・・、かもしれないけれど。
 そういうときは、遠慮なくどんどん読み飛ばして頂いて全く問題ない。

 私は25年間仕事を持ってきたのと同時に、妻であり(これについては大したことは何もしていないので、夫に対して申し訳ない、という気持ちもあるが、ともあれあまり書くことがない・・・。)、中3の1人息子の母である。妻としてよりは、母として息子が生存していく上で最低限のことをしているつもり・・・、なので、それなりに思いや書くことがある。
 そして子どもの頃から描くこと、書くこと、つまり筆記用具を持って(今はこうしてタイピングしているが)何かすることが好きで、旅行が好きで、読書も映画も絵もお芝居も見ることも好きで、学生時代まではずっと音楽になんとなく関わってきた、という人間である。

 これからも出来るだけ自分の“表現したい”という思いに正直に、細く長くこのブログに綴って行きたい、と強く思うこの頃である。

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2010.5.27 Reconfirmとホウ・レン・ソウ

2010-05-27 19:00:02 | 日記
 仕事をしていて最近、なぜかなあ、と想うことが多い。
 人から何か頼まれて(そういうお願いに限って結構時間ぎりぎりで、とか実に無理なお願いだったりする。)その結果が何の報告もされないまま、何日も過ぎる。こちらの気持ちもなんだか宙ぶらりんで、ところであの調整してあげた件は大丈夫だったかなあ・・・と心配してしまう。

 もう20年以上前の、まだ新規採用に毛がはえたくらいの頃。
 当時の上司から“ Reconfirm(再確認)”の大切さについて叩き込んで頂いた。大昔は、“Reconfirm”しなければ、国際便の飛行機の予約さえ取り消されていたものだ。特に自分が直接痛い目にあったわけではないけれど、“Reconfirm”を謳う上司と日々接するにつけ、しっかり骨身に沁みて何をするにも“Reconfirm”である。習慣になってしまえば全く煩わしいことなどないし、これほど双方心強いことはない。思い込みはやはりとても危険だ。「~だと思っていたので(その後確認しませんでした。)」では、世の中取り返しのつかないことが沢山だ。

 うるさいと思われるかもしれないけれど、私は何か依頼をしたら再確認される前に必ず結果を報告しているつもり。今は何でもメールでお手軽にお願いしてそれっきり、が多いけれど。そうした中で電話をかけてきてわざわざお願いする、ということはよっぽどだろう・・・とこちらも無理をして手配する。が、こちらもそれっきり。

 「その後、いかがでしょうか。」と気になって落ち着かない。電話ではさすがに押し付けがましいだろうから、とメールで遠慮がちに問い合わせてみる。まだ「おかげさまで無事に済みました。」なら良いけれど、しれっと「ああ、まだ確認していません。どうだったっけ。」などという答えが返ってくると、どっと脱力する。そんなに何日も確認しなくて大丈夫なことを、さも重大事のように他人に依頼してくるのは、果たしてどうなのか。便りがないのは良い知らせ、というのは人の手を煩わせたのであれば、あまりに不親切だろう。

 年長者としてきちんと叱ってあげないといけないのだろうが、先方がとにかく焦っていて、まず落ち着かせないと何を言っているかわからないようなときには、なかなか難しい。いちいち「それでは、どうなったかちゃんと報告してくださいね。」とまでは、直接の上司でもなければ言いにくい。

 メール連絡が主体になって、確かにうんと便利になったけれど、一方、ホウ・レン・ソウー=報告、連絡、相談=が本当にやりにくくなったと思う。電話や口頭での連絡がメインだった頃は、なんとなく耳を澄ましていれば分かった周りの状況が、今やたとえ宛先はccにしてでも入れておいてもらわないと、さっぱり経緯が分からずじまい。しかもかつて紙で資料が送られてきたときには、それこそ何度か“Reconfirm”して出したはずの文書も、今やちょいとドラッグして添付するだけで簡単に大量に送れるから、かなりいい加減で間違いが多いものばかり。そして小さいミスの訂正のために何度も再送されるからますます混乱する。

 「その後、いかがでしょうか。」と聞き直したときに、少しでも(あ、それっきりになっていて、申し訳なかったな・・・)とひっかかってくれれば、そして(次回からは気をつけよう。)と思ってくれれば、良いと思う。報告がない依頼には丁寧に(嫌味なオバサンになっているだろうか。)「その後、先日ご依頼があった件はいかがでしょうか。」と日をおいて連絡するようにしている。

それでも全然気がつかないとなると、やっぱりきちんと仕事をしていく上で大変だろう、と思う私である。

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2010.5.26 ハーセプチン94回目

2010-05-26 19:46:35 | 治療日記
 早くも5月の最終週になった。
 今日は内科受付後30分ほどで診察室に入った。女性の研修生さんが一緒だ。「あの後、電車の中で痛くなったときのようなことはありますか。」との質問があり、そうした痛みはないが、昨日、一昨日と夕食の支度時に息苦しくなって横になったことと、明け方嫌な夢を見たときに緊張したのか傷口が痛んで目が覚めたこと、最近胸骨の上あたりに鈍痛、圧痛とは違った重苦しさ、違和感がある旨お話する。指先の酸素量は異常なし。胸部を触診して頂いたが、「腫瘍が皮下を這ってくるようになると皮膚は硬く厚くなるが、柔らかいままなので大丈夫でしょう。」とのこと。「症状が出ては消えたり、マーカーが上がったと思うと下がったり、珍しい患者さんで、難しいですね。」と首を傾げられた。いずれにせよ、「次週採血、再来週レントゲンとマーカーの結果でホルモン剤変更について決めましょう。」となった。ロキソニン(痛み止め)の手持ちがないので、次週ホルモン剤と一緒にお出しいただくようにお願いする。

 処置室に移動、一番手前の点滴椅子を確保。血圧測定後、刺針、小一時間して昼前には点滴開始。点滴をチェックしながら、看護師さんが私の指を見て「浮腫んでいますね。」と。「確かにずっと指輪が入らないし、足もずっと下げていると浮腫むので投げ出しています。」とお話する。爪も大分元通りとはいってもずっと縦線が消えない。ハーセプチン投与を長く続けている患者さんは爪の不調を訴えるそうだ。皮膚も弱くなる、と聞いているが(ポートに針を刺してテープでしっかり固定すると、赤くなってかぶれるので最近は一番マイルドな紙テープにしてもらっている。)爪も皮膚のうちだなあ、と納得する。2時間経って、無事終了した。

 今日は3冊読めた。
 1冊目は南淵明宏さんの「医者の涙、患者の涙」(新潮文庫)。著者は日本が誇る心臓外科医のスペシャリスト。裏表紙の「命の源を見つめ続けてきた男が、日本医療の現実を鋭く抉り、医師と患者の理想の関係を熱く語る」に惹かれて手に取った。紹介されていた患者さんやご家族からの手紙や、著者あとがきの「人は大きな責任を背負ったとき、本当の力が備わるとも言える。それは病気に打ち勝つ患者にも言えることだ。」に勇気をもらった。
 2冊目はリッカ・パッカラさんの「フィンランドの教育力―なぜ、PISAで学力世界一になったのか」(学研新書)。著者はフィンランドの基礎学校教諭で2児の母。ヘルシンキで10年間子供たちを教えた後、5年前に夫の転勤に伴って来日。OECDによる学習到達度調査(PISA)結果により、日本はゆとり教育見直しのきっかけをつかんだが、フィンランドの教育現場についてさすがにいきいきと語られており、実に興味深く読めた。
 3冊目は中山庸子さんの「毎日がすっきりする本」(新潮文庫)。「気分がくすみがちな日は、身の回りを見直してみましょう。」と、手ごたえのある毎日にする方法、すっきりきれいになる方法、小さな冒険ですっきりする方法、すっきりした空間にする方法、すっきりと人付き合いする方法、これからの毎日がすっきりする方法を、6章に分けて66の文章で伝授。“中山式・暮らし快適レシピ集”というとおり、これまた沢山元気をもらった。

 帰りはすっかり雨模様。日は長くなったけれど、そろそろ梅雨の季節だ。5月の風薫る爽やかな季節は本当に残念なくらい短い。

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