ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.6.19 夜中は余震が続き・・・おかげさまで無事帰京

2018-06-19 22:10:08 | 
 昨夜は、息子には寮で夕食が提供された。ガスが止まっている中、電気で調理出来るものとのことで、おにぎりとワンプレートのおかずのみだったというが、温かいものを準備して頂き本当に有難い、と胸をなでおろした。
 夫と2人、小さな畳の部屋で、選択の余地もなく買い求めたコンビニのお弁当をレンジで温め、息子の電気ケトルを借りて熱いお茶を頂くことが出来た。やはり暖かいものがお腹に入ると人はほっとするものだと実感する。

 ガスが止まれば給湯器も使えず、当分お風呂に入ることが出来ない。私たちは帰宅すれば入浴出来るが、いくら若者でも簡単に身体を拭いただけでは疲れもとれないだろうし、ストレスフルだろうと思う。

 大学は施設の安全確認のため、今週中の講義は中止、校舎棟は全面立ち入り禁止になったとのこと。そのため、お昼も生協食堂で摂ることが出来ない。夕食後、寮で簡単に食べられるものと明日の朝食、を調達しに近隣のコンビニやスーパーを数件巡ってみたが、ものの見事に水やパン、冷凍食品のラックは空っぽ。最低限の水を自動販売機で買い足し、残り物のカップ麺等を浚うしかない状態だった。

 飲食店が全てクローズしている中、全国展開しているわけではなさそうなファミレスが営業していた。訊けば朝もモーニングセットの提供があるという。ひとまず明日はここで食事が出来そう、とほっとして寮に戻った。

 ずっとテレビニュースを流しっぱなしだったが、実際に目にした場所の被害状況が画面に流れると何やらいたたまれない気分になった。寮の夕食を頂いたのに、買い物から帰ってきたら、コンビニでゲットしたカツカレーもペロリとたいらげた息子は頼もしい。腹が減っては戦は出来ぬ、である。彼の好物の´びわ´を買ってきて皆でデザートにした。

 ゲストルームは2人分のお布団を敷いたらもう一杯で、足の踏み場もない。夫の鼾が憂鬱だが、逃げ場もないし、とにかく畳の部屋できちんと眠れることに感謝しなくては、と言い聞かせる。一応頭と足を逆にして、離して布団を敷いてみたけれど、果たして結果は不眠であった。

 よほど疲れていたのだろう。夫はあっという間に高鼾。こちらは興奮しているのか疲れ過ぎているのか、なかなか眠れない。寝返りを打って足先が布団に触れる度に激痛が走る。少しウトウトしたかと思うと余震が来る。その度に目が覚める。
 震度4ほどの余震があっても夫はどこ吹く風で鼾をかき続けていた。ある意味、羨ましい。息子も怖かったようでその都度起きたと言っていたのだが・・・。
 寝付きが悪く、足先の痛みやお手洗いで何度も起きてしまった私は、都合3時間ほど寝ただろうか。お天気は曇天。蒸し暑いが昼からは雨が降り出すという予報だ。

 当初の予定では早めの昼食を京都駅で食べて、息子は午後からの講義に出るということになっていた。けれど、私は疲労困憊しているし、あまりに爪囲炎が痛いので、クリニックに寄って木曜日で切れるフロモックスを追加で出して頂きたい、ということでなんとか夕方のクリニック受付終了前に自宅最寄り駅に到着したい。

 そのため、息子には申し訳ないけれど、昨日下見していたファミレスでモーニングセットを頂いたら、すぐに寮を出ることにした。
 かくいう息子は今朝も寮で食事の提供をして頂けた。寮母さんが、(ご両親には)お出しできなくてすみません・・・と恐縮されていたけれど、緊急事態に突然転がり込んだわけだし、水が濁り、ガスが使えないという非常事態の中、精一杯の食事を寮生に提供してくださることに頭が下がる。

 ファミレスでは「本当にこちらがオープンしていて助かりました。」とお礼を言う。「古いお店なので都市ガスでなくプロパンを使っています。却って良かったね、と皆で言っていました。どうぞ気を付けて」と見送ってくださった。

 ガスが出ない、お風呂が使えない、水も不安という非常事態に、沢山の方たちが働いて支えてくださっていることに、胸が熱くなり、誰彼かまわずお礼を言いたい気持ちになる。

 寮に戻ってパッパと荷物を整理し、寮長さん、寮母さんご夫妻にご挨拶して寮を後にする。普段なら寮の最寄り駅から京都駅迄30分とかからない。テレビ情報では線路を使い分けて走行しているため、快速は運行中だが普通は見合わせ中という。
 JRが動いていないようなら私鉄を回って行こう、とひとまずJRの駅を目指す。到着すると90分ほど遅延してはいるが運行はしている。駅には待ち人がかなりの数。ラッキーなことにホームを降りるとほどなくして電車が到着した。
 発車はしたものの、びっくりするほどの徐行運転で、後から来た電車を先に行かせたり、時間調整をしたり。結局、京都駅まで1時間半近くかかった。情報が錯綜している様子で、その都度アナウンスする車掌さんもお気の毒だ。

 新幹線の指定席を振り替える京都駅のみどりの窓口は長蛇の列。普段ならもうとっくに新幹線の中にいるくらい出発から時間が経っているのだけれど、今日はそうもいかない。駅員さんたち、窓口の方たち、皆一生懸命だ。赤字で『地震のため・・・』とコメントを入れてホチキス止めした珍しい切符が手元に戻ってきた。
 こうしてようやく新幹線の切符を手に入れ、乗車予定の新幹線出発まで30分弱。息子も入場券を買って構内に入り、美味しいお弁当等親切に案内してくれる。お薦めの物を買い、大急ぎで職場や母等へのお土産も買い揃えた。

 息子には、私たちが出発したら好きなお昼を食べて、駅前のスーパー銭湯に行って汗を流すと良いのではとサジェスチョン。その後のLINEの連絡によれば大好きなラーメンを食べてお風呂でさっぱり出来た模様。

 新幹線は全く問題なく定刻通り、2時間弱で到着したが、息子の方はより遅延状況が悪くなっており、大変だったよう(帰宅は私たちと変わらなかったそう)だ。車内は混雑しており、夫とは横並びではなく縦並びの席になった。心配してくれていた友人知人にLINEで無事新幹線に乗った旨連絡し、お弁当を完食。
 帰路は瀬戸内寂聴さんの「わかれ」(新潮文庫)を読んだ。
 寝不足が祟って眠かったけれど、隣席の名古屋での出入りもあり、なかなか眠ることも出来ず、面白く読み進めた。帯には「愛した人は皆、この世を去った。それでも私はまだ、書いて、生きる。終世作家の粋を極めた名品集」とある9つの短篇集だった。

 とにかく無事に新幹線の駅に到着し、すんなりJRの在来線に乗り換えることが出来た。まだ時間も早かったので夫と2人席を確保して私鉄乗換駅まで。『地震のため・・・』とコメントが記された切符は記念に頂いた。寮を出てから5時間半弱だ。

 そして、皮膚科クリニックへ。幸い待ち人は数人で、診察券を持っていなかったのにすぐ診て頂けた。「うーん、巻き爪もあるし、圧迫されているから痛いなあ、これは。可哀想だなあ。少しずつ良くはなっていると思うのだけれど」と仰る。かといってゼローダを止めるわけにはいかないし・・・。また2週間分のフロモックスを追加で出して頂き、階下の薬局で薬を頂き、カフェでお茶をして待っていた夫と、タクシーで帰宅した。

 関西は雨降りだったが、こちらは明るく気温が高い。梅雨の晴れ間の一日だったようだ。風もあるし、気持ち良いくらい涼しい。2人で頑張って片づけを進め、大洗濯をしてベランダ一杯に洗濯物が翻った。

 こうして思いもよらず天災に遭遇した長い長い3泊4日の旅から帰宅した。
 帰ってきた自宅最寄り駅界隈では、何もなかったように普通の生活が回っていた。何やらキツネにつままれたような、夢だったのかというような不思議な気分である。
 ともあれ、一日も早く余震が落ち着き、ライフラインが復旧して被害の大きかった市内の方たちがゆっくり自宅のお風呂に入ることが出来ますように、と今は静かに祈りたい。

 初日に息子とコンビニから送った冬物一杯のスーツケース等が先ほど届いた。ベランダは一杯で干すスペースもないし、今晩は仕分けだけに留める。明日から大車輪で頑張るために、今夜は早く休んでおかなくては・・・。
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2018.6.18 震源地直下の震度6弱に遭遇、今日は足止め

2018-06-18 19:18:23 | 
 昨夜はブログを書いてから入浴したり片付けをしたりで、ベッドに入れたのは日付が変わってから。スパイシーでボリューミーな夕食だったのでお腹の調子が心配だったけれど、5時間連続で眠ることが出来た。今日は、夕方には新幹線で帰宅する予定である。

 お天気が崩れてくるという予報で、昨朝ほど日差しが眩しいわけではなかったが、目覚ましをかけた時間より結局2時間ほど早く目覚めた。二度寝は出来ず、うだうだしてベッドでニュースを見て、朝ヨガと瞑想をし、さて、夫を起こして朝食に行こう・・・と思ったところで突き上げるような揺れがきた。
 えっ?何?地震!?と思っているうちにいきなり物凄い揺れが襲う。揺れている最中にようやく緊急地震速報のアラートが鳴る。シングルルームで狭いし、テーブルの下に隠れる暇もなく、中腰になって揺れが収まるのを待つ。長い時間の揺れではなかったけれど、とにかく大きかった。

 築年数が経っているホテルの5階にいたので余計揺れが酷かったのかもしれない。隣の部屋にいる夫に内線電話をして安否確認の後、寮にいる息子に携帯をかけるが、なかなか繋がらない。ようやく繋がると「物は落ちたがガラス類が割れたこともなく無事」とのこと。ほっとした。

 彼の寮は新築3年目だし、2階の居室なのでこちらよりは安全だろう。チェックアウトの時間にホテルに来る約束をしていたが、ひとまず朝食を終えたらこちらに来るように申し合わせる。電話をしているうちにも弱い余震があった。部屋には殆ど何もなかったけれど、サイドテーブルに置いていたスマホが落ち、浴室のシャンプーやコップが倒れ、クローゼットの消臭剤が床に散乱していた。
 ほどなくしてテレビニュースで地震を知った実家の母から電話が入り、とりあえず全員無事を伝える。

 7時58分、大阪北部が震源地、マグニチュード5.9(のち6.1に訂正)の地震だという。滞在している市では震度6弱。1923年に観測開始以来、大阪でこれほど大きな地震があったのは初めてとのこと。もちろん私も東日本大震災時の震度5がこれまで経験した最大規模の地震だったので、これほどの揺れは初めての体験。

 ニュースで情報を得てから30分ほどしてエレベーターホールに行くと、鉢物が落下して散らばっている。1階のレストランに移動しようとするも、当然のことながらエレベーターは止まっており、非常階段で降りる。レストランに入ると、和食ならお出し出来ますとのこと。

 ちょうど食事中に揺れに遭遇した方がお椀などが倒れたまま席を立った様子がありあり。誰もいない。地震後僅か40分ほどで、グラスやお酒の瓶が割れているのを片付ける時間もなかったようだ。ほどなくして食事が提供され、2人だけでレストラン貸し切りの朝食を頂く。とにかく空腹では動けない、としっかり完食する。

 食事を終えて再び5階まで息を整えながら階段で上がる。ああ、高層のホテルでなくてよかった、と思う(この体調で数十階の階段を上り下りするのはとても無理だ。)。

 部屋に戻ってテレビを見ると、どんどん被害の状況が明らかになっている。道路が冠水していたり、生き埋めになっている方がいるとか、壁の下敷きになって小学生の女の子が心肺停止だ等、痛ましい情報が流れてくる。
 息子がホテルに向かっているというのでチェックアウトのため1階へ降りる。
 ロビーで無事を確認しあい、30分ほど過ごしたが、交通機関が全てストップしている状態では、今日の予定を済ますのは到底無理に思える。このままここにいても仕方ない、ショッピングモールにでも行ってみるかと夫が言うので、荷物を預けてホテルを後にした。

 ホテルの前の通りでは、普通に歩いていたり自転車に乗っている人がいたりで、能天気に「映画でも観て時間を潰すか」などと言っていた夫だったが、途中のファミリーレストランも閉まっているし、これは・・・、と段々雲行きが怪しくなってくる。ショッピングモールに到着すると、放置されていた自転車やバイクが軒並み倒れている。

 「ちょうど1階の食品売り場だけただ今オープンしました、専門店街は全てクローズです。」とのこと。店内に入ると、出勤できる店員さんたちだけで大急ぎで散乱した食品を立て直した感じがリアルに伝わってくる。それでもリカーコーナーではお酒の匂いが立ち込め、割れたワイン等のガラスの破片が散乱している。どんどんお客さんが増えてきて、皆お水を箱買いしたりやパン、お弁当等カゴに詰められるだけ詰めている。なんとなく悲しくなってくる。

 食料品売り場に隣接したベーカリーがオープンしていて、イートインスペースが解放されていたので、ひとまず珈琲を買ってソファに腰を下ろし、友人知人にLINEで無事をお知らせする。2人が小腹が空いてきたというのでスーパーでパン等を買いに戻ると、もの凄い長蛇の列。最後尾は一体どこ、といった状況だ。レジは数か所しか開いていない。店員さんたちも出勤できないのだろう。

 結局30分ほど待って、ようやく最低限のパンと飲み物を購入したが、ぐったり。お昼のお弁当を買いに出てきた近所のお勤めの人たちも困り果てている。それでも2時間ほど過ごしただろうか。相変わらずJRも私鉄も全て運転見合わせ中。お友達との久しぶりの再会もキャンセルになり、ひとまず今日指定をとっている新幹線の乗車変更に駅まで行ってみることに。途中ニュース等でも流れていた、線路上には止まっている電車の姿が。さすがに既に誰も乗客は乗っていなかったが、ああ、皆さん線路を歩かれたのだなと思う。

 駅へ行く途中で、チェックアウトしたホテルともう一つのホテルに寄り、「今晩素泊まりでいいので泊まれますか。」と頼んでみるが、「あいにく予約が取れない状況です。」とお断りされる。もしや、と息子の寮のゲストルームに「予約が入っていなければ泊まらせて頂けないか」と息子に連絡してもらう。嗚呼、天の助け、幸い空いているし寝具も2セット用意して頂けるとのこと。タクシーやバスでの大阪脱出も考えたが、長蛇の列だし大渋滞は目に見えている。今日無理に帰るのは得策ではないのでは、という結論に達し、明日も休暇を頂くことになりそうです、と職場の上司に事情説明のメールをする。

 駅では駅員さんたちが大勢改札の前に立ち、お客さん対応に追われている。「運転見合わせ、復旧の見込みなし」のホワイトボードが出ており、界隈の全線が止まっていることを示す電光掲示板が赤く点滅している。電車に乗ることが出来ず、どこにも行けず、コンコースや階段にそのまま座っている人たちも沢山。明日もどうなるかわからない。乗車変更は、状況が状況なので、明日でOKと言われる。

 もう一つの私鉄の駅まで歩いてみようと歩き出す。被害の状況を目の当たりにするにつけ、だんだん気持ちが滅入ってくる。瓦が落ちたり、道路のブロックが盛り上がって崩れたり、塀のタイルがバラバラに割れて落下してコーンが置いてあるクリーニング店もあった。

 それでも空は青い。何もなかったように太陽が照らしている。予報よりずっとお天気が良く、気温が高い。
 どうやらJRの駅近辺よりも、私鉄の駅付近の方が被害が大きい模様だ。駅の天井からは水漏れもしていた。
 駅前飲食店にはどこも「臨時休業」の張り紙が出て、シャッター商店街と化している。そして、市役所関連施設では「臨時避難所・休憩所として開放中」の看板。
 自分たちも地震に遭遇しつつ、人々の安全を守る鉄道関係者、公務の方たちには本当に頭が下がる。来春から鉄道会社に就職予定の息子もその思いを強くしたようだった。

 暑さと湿気と被害の状況を見ることで精神的に疲れてくる。大きな硝子が割れてしまったビデオショップの惨状を見ながら、思うこと感じることは後から後から湧いてくる。
 なのに、お腹が空いてくる哀しさよ。ファーストフードのお店が開いていることを確認して、軽食を摂る。食後お手洗いを借りようと思うと、使用禁止になっている。やむなく大きなスーパーに行くと、こちらも1階の食料品と2階の薬売り場のみのオープン。お手洗いはお借りすることが出来て、そろそろ荷物をピックアップして寮に戻って靴を脱ぎたくなる。

 再びJRの駅を目指し、夫はホテルへ荷物のピックアップに、息子と私は一昨日出したクリーニングを取りに行ってみたが、予想通り臨時休業だった。

 寮ではガスが止まっており、今晩の夕食の提供はできないかもしれないとのこと。コンビニで夕食を調達しようと思うが、1軒目はラックはほぼ空の状態。2軒梯子してようやくなんとか食べられそうなものを見繕う。隣の市では水が濁っているとのことで、水を買おうとするが2リットルは全て完売。やっと500mlのものを自動販売機で息子が買ってきてくれる。

 這う這うの体で寮に到着。おかげさまで畳の部屋で足を伸ばすことが出来、寝具も洗面用具も全て2セットずつ準備してくださった。下着等の着替えが尽きていたが、ランドリールームで洗濯も無事済ませることが出来た。
 内服薬も余分を持ってきているし、ゼローダは今晩で内服終了なのもタイミングが良かった。

 夫は相当草臥れたと見えて、既に鼾をかいてお夕寝中。息子も一緒にひっくり返ってリラックス中。期せずして家族3人で濃密な3日間を過ごすことになってしまった。何より家族全員が無事であったことに感謝したい。
 もし私たちが東京にいてテレビの情報だけだったら、息子の安否が心配でいてもたってもいられなかっただろうから、こうして一緒に過ごせたのは不幸中の幸いだったかもしれない。
 それにしても、昨日までの状況がこの地震で一変した。穏やかな一日は決して当たり前ではなく奇跡の積み重ねであることを痛感する。

 ガスの復旧には最長10日ほどかかるという。この季節、汗っかきの息子がお風呂に入れないのは辛そうだ。大学も施設の安全確認が出来ないため、今週末まで入構禁止だとのこと。
 なんとか無事に乗り切ってほしいと思う。

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2018.6.17 トリプル祝いの日曜日、朝から晩まで出ずっぱり

2018-06-17 23:52:13 | 
 昨夜はすっかり草臥れて、日付が変わる前に眠りに落ちた。そして珍しくお手洗いにも起きずに6時間ほど連続で眠ることが出来た。目が覚めたのは、目覚ましをかけた時間より2時間も早かったが、日の出が早いので、カーテンから漏れる朝日が眩しい。ベッドでうだうだしていたけれど、結局そのまま眠れずじまい。
 身支度をして朝ヨガと瞑想をして、レストランへ。日曜日は寮の食事が出ない息子がホテルまでやってきて、3人揃って洋食セットメニューをのんびり頂く。

 食休みもたっぷり取って、足のケアも済ませていざ出発。今日も良いお天気。暑くなりそうだ。息子は準備よろしくサングラス着用である。まずは新大阪の駅までJRで移動して、水族館と市内全線の地下鉄1日乗り放題のセット切符をゲット。

 コースは息子に全てお任せの一日だったが、まず国の重要文化財に指定されている市の中央公会堂を目指す。中之島のシンボル、文化・芸術・学術が響きあう場であるこの公会堂は、今年、開館100周年で様々な記念イベントが行われているようだ。ちょうど結婚式もあり、お洒落をした若い人たちが沢山いて華やかだ。ショップでも洒落たグッズが色々並んでいる。限定デザインのお菓子を買った後は館内を自由に見学。
 大正時代貴賓室として使用されていた特別室は、今では映画のロケや挙式会場として使用されているという。窓一面に広がるステンドグラス、壁や天井、大理石の床等内装は実に見事。

 リバーサイドの遊歩道は市民の憩いの場といった風情で、お散歩する人たちの姿が。東京でいうなら日本橋なのだろうか、立派ななにわ橋を渡り、再び地下鉄を乗り継いで次なる目的地は大阪天満宮。湯島天神で就職守りを頂いて、お礼参りは家族揃ってこれからお世話になる土地の天満宮で。菅原道真公もお許しくださるだろう。来月のお祭りの打ち合わせの寄り合いがあるようで、沢山の威勢のいい人たちが続々と境内に入って来てちょっと圧倒される。

 暑くて喉が渇いて草臥れてくる。水分を補給してちょっと一休み。足が痛んでは今日一日が台無しになってしまう。地下鉄の階段の上り下りはひたすら避けて、エレベーターとエスカレーターのお世話になる。

 3つ目は息子が内定を頂いている私鉄の本社ビルへ向かう。気温もぐんぐん上がっているようで、まるで真夏のよう。さすがに日曜日でビル内には入れなかったけれど、4月からお世話になりますと、外観をバックに記念写真を撮って来た。

 お昼も大分過ぎ、隣接するショッピングモールのレストラン街で遅めのランチタイム。夫と息子はお寿司を所望したのだけれど、お腹がイマイチ心配な私は、遠慮させていただく。フードコートでそれぞれが好きなものをチョイス。

 最後の目的地は、以前から訪れてみたかった水族館、海遊館だ。地下鉄を乗り継ぎ、大阪港へ移動。4年前に遊びに来た時には遊覧船サンタマリア号に乗ったり、観覧車に乗ったりしたけれど、今日は海遊館のみの訪問だ。沢山の家族連れやカップルで溢れている。レゴで作った巨大なキリンがお出迎え。

 大阪港に隣接したこの水族館は「地球とそこに生きるすべての生き物は互いに作用しあうひとつの生命体である」という“ガイア仮説”をテーマにしているという。太平洋を取り囲む環太平洋火山帯と、環太平洋生命体の2つのリングをコンセプトに、自然環境を再現したそうだ。

 入館ゲートを通り抜け、旅のスタートは魚の通り抜け・アクアゲートから。カラフルな魚やエイがお出迎えしてくれる海中トンネルを潜る。長いエスカレーターで最上階の8階まで登り、螺旋状のスロープに沿って降りながら4階まで降りてくる構造になっている。日本の森と水辺で暮らすカワウソやオオサンショウウオ、アメリカ西海岸のカリフォルニアシカやゴマフアザラシ、アカハナグマやハリセンボンがいると思えば、熱帯雨林のピラルクやカピバラの姿も。カピバラはちょうどお食事中で、飼育員のお姉さんに頭を撫でられるところりと寝てしまって可愛いこと。

 ペンギンたちの雪と氷のパラダイス南極大陸では、アデリー、ジェンツー、オウサマペンギンが自由に泳いだり、ヨチヨチ歩いたり、すっくと立って私たちを見つめたり。カマイルカも間近で高速で泳ぎ、時にジャンプし、水しぶきに目を見張る。グレートバリアリーフでは世界遺産のサンゴ礁の中、カラフルな魚たちが泳ぎ回っている。まだ息子が小さかった頃、グレートバリアリーフの海でシュノーケリングをしたことを懐かしく思い出す。

 メインは太平洋を模した世界最大級の水槽。悠々と泳ぐジンベエザメやアカシュモクザメ、マアジの大群やゲイラカイトのようなエイに、マンタは泳いでいるというより滑空している感じ。時間を忘れて目を見張る。
 お馴染みの真鯛や真蛸、伊勢海老等瀬戸内海の海を見ながら、息子は「さばいたら美味しそう」とのたまう。マンボウとアオリイカが同じ水槽で泳ぎ、カタクチイワシたちの銀色のカーテンのような群れも圧倒的だ。

 時になると照明がライトダウンしてブルーを中心とした幻想的な夜の海に変わる。クック海峡ではアカウミガメが優雅に泳ぎ、日本海溝ではタカアシガニがゆっくりと歩いている。ぼーっとして椅子に座っていると、自分も海の中の生き物になったような不思議な気分になってくる。だから水族館が好きなのだ。

 そろそろ現実に戻るかと思えば、クラゲに包まれる海月銀河が待っている。漆黒の宇宙のような世界に、美しい透明なクラゲがふわふわと浮遊している。いつか訪れた加茂水族館のクラゲの種類には及ばなかったけれど、今はクラゲがトレンドらしい。

 北極圏を模したスペースではあまりの寒さに肩をすくめて早々に退場。次に待っていたのはイワトビペンギンのリアルな暮らしを再現したというフォークランド諸島。声やむっとした匂いにちょっとたじろぐ。よく見ると、巣で卵を温めているつがいが沢山。赤ちゃんペンギンが生まれたばかりの巣もあり、餌をねだる姿の可愛いこと。

 隣のふれあい体験水槽では、目の前を泳ぐサメやエイのザラザラ、ヌルヌル感を肌で感じられますというコーナーになっており、22歳の息子もちびっこと混じって楽しそうに触っている。出口近くの顔博では顔に特徴のある魚を集めてあり、いくつかの質問であなたのタイプはこれ、というクイズをやっており、息子も挑戦。ハリセンボンの凄い顔に重ねて写真を撮り、ダウンロードが出来るというおまけがついている。

 ショップでもカプセルやUFOキャッチャーで、ペンギンやらジンベエザメ、ダイオウグソクムシといった、私にはちょっと?の生き物のマスコットをゲットしご満悦の息子。これで来年4月から社会人…大丈夫だろうか、と一抹の不安が。
 気づけば2時間以上を過ごしてしまった。疲れているのに楽しい時間は何故だかこんなに頑張れる。

 再び地下鉄に乗って、息子が見せたいという激安スーパーを見た後、予約してくれたタイ料理のレストランを目指す。

 そう、今日は私の誕生日であり、父の日であり、息子の内定とトリプルのお祝いの記念すべきディナーである。季節のコースに一品追加して、トムヤンクンやパッタイやカレー等に舌鼓。お腹はもうはち切れそうだったけれど、デザートは別腹ということで、皆でお腹一杯になってレストランを後にした。

 明日はゆっくり起きてチェックアウトをしたら、大阪で久しぶりにお目にかかるお友達とランチ。息子と夫はその間どこに行く予定だろうか。夕方には帰京し、明後日からはまたお仕事開始である。

 朝から晩まで12時間以上出ずっぱりだったが、良い日曜日だった。今年もこうして年を重ねることが出来た。ラインでお誕生日おめでとう、と送ってくださった方にも感謝である。57歳、まだまだ細く長くしぶとく生き抜くぞ、と思う夜である。
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2018.6.16 久しぶりの関西へ、掃除洗濯一段落

2018-06-16 22:25:53 | 
 ようやくの週末。今週は体調がイマイチでいつにも増して長く感じられた。
 木曜日には、2日間の休薬期間を挟んでゼローダ再開。朝から定例で東京横断の出張。午後も臨時会議が続いた。帰路、ターミナル駅に到着直前に急に腹痛になり、大慌てで百貨店のお手洗いに飛び込む。脂汗で暫し個室に籠りっぱなし。落ち着くまで様子見して、恐々と電車に乗り何とか最寄り駅まで辿り着いた。夕食を作る元気もなく食欲もなく、スーパーでお弁当を買ってお茶を濁す。

 昨日もお天気が悪く、冴えない1日だった。ゼローダとフロモックスの併用でお腹の調子がずっと良くない。少し食べるとすぐにお手洗いへ、を繰り返している。さらに泣きっ面に蜂で爪囲炎が悪化。とにかく痛くて痛くて、何もしなくても頭に突き抜けるようにズキズキズキズキ。やむなく夕食後にロキソニンを飲んだけれど、あまり効かず、足先がお布団に当たらないように気を付けてベッドに入った。

 そして今日。予報通りお天気は悪い。小雨で、昨日よりもさらに肌寒い。結局、長袖のニットとパンツ、レインコート、ストールという重装備になった。タクシーで最寄り駅まで向かう。
 今日から、1年ぶりに関西在住の息子を訪ねることになっている。ここ数か月の間、就活で何度となく帰省したので、会うのが久しぶりというわけでは全くない。

 夫は昨秋の父母会役員会の折に訪れて掃除をしてくれたというが、私がやって来たのは昨年のゴールデンウィーク以来のこと。部屋がどれだけ凄いことになっているのか、想像するだけで気分が滅入ってくる。すんなりタクシーが来て、スムーズでよかったね、と言った途端、彼から頼まれていた夏服を入れたバッグをリビングに置き忘れたことに気づく。トホホ、また宅急便で送ることに。爪囲炎の足をかばっているので、腰は痛いし、何かスッポリ忘れるのである。乗り換えたJRが遅れていてハラハラしたけれど、無事に新幹線の駅に到着してほっとする。

 東海道新幹線では、先日に殺傷事件があり、昨日は飛び込みが出たということで、通院時に降り立つ新幹線の駅がちょっと違って見える。うすら寒く黒雲が立ち込めるお天気だが、新大阪駅行きののぞみ号、席はほぼ満席だ。

 夫はおやつを食べたかと思えばあっという間に舟を漕ぎ始めたが、私は静かに新書を1冊読めた。
 榎本博明さんの「自己実現という罠 悪用される『内発的動機付け』」(平凡社新書)。帯には「『仕事で輝こう』『夢を実現しよう』などの言葉は、政府やあくどい経営者が、都合よく、私たちを低賃金でこき使うための詭弁、過重労働へと駆り立てる“心理”に騙されるな!やりがい搾取の構図を解き明かす」とあったが、まさにそうだなと思う。若い労働力を買い叩いてはいけない。就活を終えて、これから社会人の仲間入りをする予定の息子にも読ませたいと思った。

 外はずっと雲り空。富士山は拝めなかったけれど、名古屋に近づくにつれて青空が広がり、すっかりお天気になって定刻通り京都駅に到着。そこから30分弱在来線に乗って息子の住む街へ。駅まで迎えに来てくれて一緒にホテルに向かう。荷物を預けてホテルのレストランでゆっくりランチを摂る。

 デザートまで楽しんでお腹を満たしたところで、いざ、今回の主目的、寮の生活環境を整えに出陣だ。久しぶりにお会いした寮長さんにご挨拶し、部屋に行くと、さあ大変、である。
 玄関には大好きな皮靴が溢れていて足の踏み場もない。早速掃除機を持ち込む。そして洗濯かご一杯に洗濯物を携えランドリールームに向かい、洗濯機を2台使ってセット。要らなくなった冬物がスーツケース一杯に詰めてあるというので、ただでさえ狭い部屋の場所ふさぎを解消するために、息子と2人でコンビニまで宅急便を出しに行く。さらに就活が忙しくて2か月以上放置していたというクリーニング店まで、ワイシャツを受け取りに行き、汗をかきつつ30分ほどで寮に戻る。空は雲一つない快晴。梅雨空だった東京が嘘のようだ。こちらも2週間くらいお天気が悪かったというので、私はやはり晴れ女だわ、とほくそ笑む。

 夫は掃除機をかけて狭い部屋で汗をにじませて格闘中。洗濯が仕上がり、ベランダで干すが、掃除をしていくにつれて後から後から汚れ物が出現して、けっきょく4回洗濯機を回した。ベランダが広ければもっと洗濯したかったけれど、もう干す場所がないので諦める。シーツやカバーも変えて寝具を整え、ようやく3人が座る場所が出来た。それにしても、これでよく就活の書類を書けたものだと思うが、最初から諦めて寮のラウンジのテーブルにお世話になっていた模様。

 さすがにグッタリしてベッドに座るとちょっとウトウトしてしまう。こちらは日が長いので、まだ外は明るいがそろそろ夕食の時間になるということで、ホテルへ戻り、部屋に入ってお茶を片手に一段落。幸か不幸かツインが取れずに今日はシングル2室で夫の鼾からもフリーである。

 夕食は息子が食べたいというので中華料理だ。あれもこれも沢山注文して、息子は気持ち良いほどよく食べる。私もちょっとずつ色々頂いてすっかり満足。
 そして、またしてもやってしまった。わざわざゼローダ、フロモックス、ミヤBM錠をテーブルの上にセットして、そのまま会計を済ませてレストランを出てしまった。ショッピングモール内のスーパーで飲み物を調達して、ふと、薬を飲んでいないことに気づき、真っ青になってレストランに引き返した。今回は無事レジで保管しておいてくれて事なきを得た。本当に疲れていると、注意力散漫で困りものだ。

 明日は彼が内定を頂いている私鉄の本社を見てから、一日切符を使って足が痛まない程度にあちこち巡り、4月からの引っ越し先の下検分もしてこれたら、と思う。
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2018.6.13 微調整が出来ない!

2018-06-13 21:04:13 | 日記
 人の手足というものは実に良く出来ている。
 そして今、私の手足はすっかりその機能が落ちている。
 他でもない、ゼローダの副作用の手足症候群だ。
 それと、これまで10年以上にわたり色々な化学療法を続けてきたことで、完全に軽快しないまま抱えている、今回の手足症候群の相乗作用でより酷くなったと思われる、痺れである。

 足の裏は発赤しており、テカテカで皮膚が薄~くなっている、そして、常時鈍い痛みとビリビリする痛みから解放されない。これは手足症候群。
さらに爪にまで派及してぶり返す爪囲炎。
 足の裏の皮膚はかなり薄くなっている筈なのに、感覚としてはやけに厚ぼったい。鈍く痺れた感じで感度が非常に悪い。

 痺れているので、スリッパが上手く脱いだり履いたり出来ない。ちょいと爪先でひっかけてキープするという動作が出来ない。階段の上りで間違いなく脱げる。実に危ない。家では階段はないけれど、ちょっとした段差でもするりと脱げる。だから足を包み込むようなかばさん靴しか履けない。今年は爪囲炎もあるから、おそらくサンダルもご法度だ。

 かばさん靴を履いていても、足の指が靴の中でぶつかったり重なったりしないようにという細かな調整活動が出来ないから、一度履いて指が重なってしまったことに気付かずに歩き続けていると、下になった爪が圧迫されて内出血する。靴を脱いでから、そういえば痛かったのだとびっくり。それで済まずに、右足中指の爪は脱落したままだ。

 そういった微調整は普通、何の意識もしないで実に上手く出来るのだ。
 ただ、今はそうではないので、まず靴に足を入れるときに注意しないと痛い目にあう。
 今は爪囲炎もあるので、まず上手く履かないと患部に触れて痛い。普通はちょっと痛くても、勝手に足が微調整してくれて、あたらない位置に落ち着くからそんなに気をつけなくてもいいのだけれど、それが出来ないから痛ければ痛いまま、ずっとそれを我慢することになる。

 足の爪が重なっているのがわからないと書いたが、爪囲炎はちょっと触れただけでもあたかも痛風のごとく(経験したことはないので伝聞だが)飛び上がるほど痛いので、靴が履けないことになる。
 そして、石畳の歩道(学内はそれがとても多い。)や視覚障がいのある方のためのサインの上などを歩くと、さあ大変である。普通は足の裏が地面の形状をぱっと察知して上手くデコボコを避けてくれるから痛むなんてことはないのだけれど、それが出来ないからもろにゴツゴツを全面に受ける羽目になる。足は痺れてぼーっとしているのに、そういうときの痛みといったら、ない。

 果たして本当に人の足は上手く出来ているのである。

 手先も情けないほど不器用になった。夫は「いや、そもそも貴女は器用な方ではない。」と失礼なことをのたまうが、針に糸を通すのは不器用や老眼で出来ないのではなくて(齢50代半ばを超えて老眼になっていないのはちょっと自慢である。)、手足症候群のために細かい手先の作業が出来なくて、ダメなのである。保護のための手袋をしているから余計にそうなのかもしれない。

 手足症候群で手の平も足の裏と同じように発赤、てかてか、皮薄、ちりちりびりびりの痛みがあるから、力を入れて包丁で何か切ったりすると指の腹にその跡がくっきりつく。フォークとナイフでも同じ。固いものを切るのは指の腹が凹んで赤く腫れて痛むのを覚悟してかからないと出来ない。夫が一緒にいればもう観念してお願いしてしまうし、一人のときはそういうものは選ばなくなった。ペットボトルの蓋も開けられない。指先にぎざぎざがついてしまう。握力も落ちている。

 というわけで、これまで何の感謝もなく当然のこととして使ってきた手と足に改めてご苦労様でした、と言いたい。
 このまま今のゼローダを続けられる(効果が認められる、増悪しないということ)のは何より有難いことだけれど、ずっと手足がこのままということだから、工夫して乗り切らなければならないと思う。けれど、別の薬に変わったからといって、かつて健常だった頃の繊細な感覚が戻り、微調整が出来るようになることはもうないのかな、とも思う。

 さて、ゼローダ8クール目、プレミアムな飲み方を開始して1週間経った。
 5日飲んで、今、2日間の休薬期間が終わろうとしている。明日から又5日飲んで、2日休み。
 果たして2回繰り返した後の副作用の出方はいかに。そこで3週目に4日間飲めるのかどうか。まあ、そんなに真剣に考えることもなく、なんとなくリラックスして続けていければいいな、と思っている。
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