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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

ロッキングチェア 入院後の経過報告

2025-04-21 22:10:48 | 治療日記

 「ロッキングチェアに揺られて」をお読み頂いている皆様、今晩は。ロッキングチェアの夫です。
 4月15日に行ったMRI検査で脳転移が判明し、17日には緊急入院となりましたロッキングチェアのその後の経過をご報告させて頂きます。

 入院直後から、脳に出来た腫瘍周辺の浮腫みを抑えるためにステロイドの点滴を継続的に行っていましたが、明日、22日に頭蓋骨に穴をあけて腫瘍内部に溜まった水を取り除く手術を行うことになりました。

 私の目からは、じっと座っていられずに左側に倒れ込んでいたものが、ここ一両日は頽れることが少なくなり、「これは回復の兆しか?」と思われたのですが、主治医の判断では「日中、際限なく眠るのは意識レベルの低下」であり、早い対応が必要だということになりました。

 今後は、手術~ドレインチューブによる水の除去~抜糸~放射線治療~腫瘍内科による治療~退院というプロセスを踏むものと思われます。
 決して弱音を吐かず、前を向いて立ち向かう、という妻の性格はここに来ても全く変わることなく、明日の手術も「ドレインチューブが頭から出ているのは人に見せられないなあ。」と怯む様子もなく受け入れていました。

 とはいえ、家族にとってはかけがえのない妻であり、母であるロッキングチェアが、このような試練に見舞われるのはこの上ない辛いことであります。
 手術後、退院までは早くて10日程度とのことでありますが、若し宜しければ皆様も、ロッキングチェアが順調な経過を踏んで無事社会復帰できますようにお祈り頂ければと思います。
 どうぞよろしくお願いいたします。

 お読み頂きありがとうございます。
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エスワン7クール16日目のこと 休薬3日目 支持指示棒が玄関前、リビング、お手洗い、等に設置されジャングルジムのような家に 主治医から電話で昨日の結果 やっぱり脳転移だった 明日から緊急入院

2025-04-16 23:32:18 | 日記
 昨夜も割と早めにブログを書き上げた割に、記事の整理保存に手間取って眠れたのは2時。MSコンチンとタリージェを飲むのも遅くなってしまった。何の得にもならない作業に身を挺して我ながらバカみたい、である。

 今朝は平日仕様のアラームが鳴ったが、また寝てしまう。夫がやってきて、起き上がる前にはLINEで知らせるようにと。なんだか夫の時間をすべて自軍に使わせているようで心苦しい。
 お天気が良さそうなので洗濯。といっても私がするのは洗い物をネットの袋に入れスイッチを押すだけ。

 今日は午後から福祉工具店のMさんが、ケアマネのOさんと2人で来訪。玄関前とリビングの支持棒と、背の高い歩行器を持ってきてくださる日。
 玄関前はフリーで捕まる所がなかったので安心だ。そして、リビングでも横になっている姿勢からゆっくり起きられるように、支持棒をつけて頂けた。すっくと立ち上がれなくても、これにつかまり立ちずれば一昨日のようなことはないだろう。
 歩行器は最新型、前のものよりかなり背が高くが高くなり、押しやすい。背筋が伸びる感じで前かがみにならないのが良いのでお借りすることに。

 朝たっぷりの食事で、お昼までろくに動かないのでお腹が空かないが、夫が肉うどんを作ってくれた。今日は生協から沢山届いたので手分けして納める。その中に笹の葉寿司が入っていたので、それもチンして頂いてお腹一杯。喉が渇いてリンゴジュースがぶ飲み。今日は時間通りにオプソを飲んだ。

 夕飯に、干し海老とキャベツの春らしいパスタを頂いている時に主治医から電話。昨日の検査で何かあったな、と直ぐに分かった。
 先生は「電話でおしらせするようなことではないかもしれないけれど・・」と恐縮されていたが、こちらとしては結果が気になるので、来週の診察まで引き延ばされずにご連絡頂けてほっとした。

 覚悟はしていたが、右後頭部に3.5cmの腫瘍が見つかったとのこと。だから左側が不調だったのだ。大きいのでガンマナイフで治療するが5日では終わらないかもしれない。腫瘍の廻りに浮腫みがあるので少しでも早く治療をしないと色々症状が出てくるとのこと。

 明日、緊急入院することなった。夫にはまた付き添いをお願いしなければならないし、夫は明後日はガンセンターの治療予約が入っているg,一人で行ってもらわないといけない。
 明日はヘルパーさんがお掃除に見える日、金曜日は作業療法士さんが見える日、月曜日は訪問看護師さんが見える日、とあれこれ予定が詰まっているので、メールでリスケをお願いしたけれど、本当にとろくてメール1本正確に早く打つことが出来ない自分にイライラするし、後ろで見ている夫が代わってやるからどいて、というのにも傷つく我儘な私だ。

 ということで、2012年アンスラサイクリン治療後の緊急入院以来12年半振りの緊急入院だ。ずっと通院で頑張って来たのが自慢だったが、今回はいた仕方ない。

 とはいえ、治療法はあるし、絶望することでもない。今は脳転移が起きても長く生きている方は沢山おられる。せめて来年、夫の治療が一段落するまでは、生きていたいと思う。


~お読みくださっている皆様へ~
病院では記事のアップが難しいかもしれませんが、メモは残して退院後にどなたかのお役に立てるように記事をっプ


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エスワン7クール15日目のこと 休薬2日 夫付き添で10年振り脳MRI検査へ疲労困憊で帰宅

2025-04-15 23:49:23 | 治療日記
 
 昨夜も割と早めにブログを書きあげ、それから入浴した。滑って転ばないように慎重に湯船に入る。タリージェとMSコンチンも飲んで、当日中にベッドに入れた。とりあえず、夜になってから足元が少ししっかりしてきた。

 今朝は平日仕様のアラームが鳴る前になんとなく目が覚める。そして朝ドラをベッドで視ていると、夫が「起きる時はLNEして。」というので、朝ドラを2回視たところで連絡したら部屋にやってきた。目離し出来ないのだろう。

 やっと仕事を終えてのんびりライフスタートの筈が、妻の介護と家事生活が始まり、申し訳ない限りだ。新年度が始まっていきなりの退職だったので、色々な方から心配するメールやら電話やらが朝から随分入ったようだ。
 今朝は、ベッド脇の握り棒を掴んで起きようと足を降ろすと、昨日のようなふらつきはなく、なんとか掴まりながら普通に起き上がれた。廊下を伝い歩きをしながら夫が後ろから歩いてくる。洗面で長く立っているとふらつくので、ゆっくり確認しながら。朝食もゆっくり摂る。今日も夫の用意してくれたものだ。これから食事の支度も洗濯も、全部夫にお願いすると思うと本当に申し訳ない。

 午後から検査があるのでお昼は摂れない。昼過ぎにタクシーを呼んで出かける。これからは、どこかに出かけるとなるとタクシーが頼みの綱である。平日の昼ですんなり贔屓の会社の車が来た。
 杖を持ち、階段を降りるのが怖いので、これもゆっくりゆっくり注意しながら車に乗り込む。予定の電車に乗るのにたっぷり時間があるが、何があるかわからないので、頑張って歩いて早めにホームへ降りる。無事乗車。
 夫がずっと手を貸してくれるが、ちょっとヨロヨロすると一挙手一投足に言葉が飛んでくる。「ほら、左、左、右気を付けて。」等々。放っておくと、どうしても右に寄っていきがちになる。
 自分の正面から右の方向しか見えていない感じなので、ついそちらの方に突進する。人とぶつかりそうで危ないのである。

 予定通り乗換駅始発のJRに乗り換え席を確保する。今日の車内のお供は阿川佐和子さんの「老人初心者のたくらみ(中央文庫)。」阿川さんの作品だし、題名が面白そうなので手に取った。眠いのでウトウトしながら少しずつ読む。
 ウトウトしながらいつの間にか病院最寄り駅に到着する。「お昼は遅くなるけれど検査後、駅ビルで何でも好きなものをご馳走するからね。」、と言ってタクシー乗り場に行く。駅から病院まで普通に歩けば10分もかからないので、17年以上移院しているがタクシーに乗ったのは初めてだ。
 病院の受付は並んでいなかったけれど、私がモタモタして予約票等をばらまいてしまい、夫に拾わせることになった。とにかくやることが遅いし、あれこれ漏れがあるので、夫はたまらないだろう。
 順序通りにしていた書類もバラバラになってしまう。自分で拾えないくせに、である。

 今日は放射線検査なので受付は地下。10年前に検査して以来なので行き方が分からない。なんとか地下に降りて受付を探すが、迷路のようでなかなか見つからずかなり歩いた。
 それでも検査の30分ほど前に着くとすぐに待合室に通される。中には長いソファと着替えのためのロッカーが並んでいる。MRIで金属は全てNGとのことでカツラのクリップもダメなので入る前に外し、先日ホテルの浴室で滑ってしこたま打ち付けた右の脛に貼っていた湿布も剥がされた。
 結局、ほぼ裸の状態迄脱いでの着替え。今は片足立ちも出来ないので、もたもた椅子に腰かけてパンツを脱いでいたら、よろついて怖かった。空港での検査のように金属チェック。


 そこから検査室に入る。CTとよく似ているが若干違う。耳栓を頂き右手にルートを取り、20分ほどはリラックスしながら工事現場の音のような煩い音が続く中で動かずに撮影。続いてドクターがいらして造影剤の注射をして、様子が変わりないのを確かめてから10分間撮影。顔を動かさないように言われる。
 ようやく終了して開放される。ルートを外し、止血を確認してからロッカーで着替え。殆ど全部脱いでいるし、厚着をしているのでお隣さんはいなくともかなり時間がかかる。  

 途中、パンツを穿く時に右左を間違えて(最近、子どもの時でもしなかったようなミスを平気でする)ちょっと手を伸ばして捕まろうとしたらバランスを崩して崩れ落ち、椅子も杖も倒して大きな音をさせてしまった。夫は隣の部屋で待っているけれど、女子更衣室なので入ってこられない。看護師さんに「大丈夫ですか?」と声をかけられる。
 ひとまず着替えを終えて夫のところへ。随分時間が経ったような気がしたが、検査開始から45分しか経っていなかった。どッと疲れた。頭痛がしてきたのでロキソニンを飲んで良いか確認して頂き、OKが出てお礼を言って受付に出向き、それからは地上に上がって総合受付へ。

 ここは慣れた場所の筈なのに、右左を間違えて夫から声が飛ぶ。番号札を頂いて15分か20分ほど待って、夫が代わりに支払いに行ってくれた。
 喉が渇いてお茶がしたかったが、おそくなるのでそのままタクシーに乗り込む。病院から最寄り駅まで乗るのも初めて。駅についてエレベーターに乗り、これも慣れた場所なのにウロウロして、夫から「そっちじゃない。」と声が飛ぶ。

 さすがに4時を過ぎてランチは終わっており、5時からのディナータイムにも中途半端。うろうろした挙句、夫がずっと食べていないという中華料理店に入った。以前から食べたいと思っていたネギチャーシューそばをチョイスしたが、思った味よりかなり濃くて辛くて半分でダウン。
 夫も焼きそばや点心等のセットを摂っていたが美味しくなかった模様。オプソを飲む時間なのに、持ってきたのはカラ袋。はあ。


 「美味しくなかったね。」と言いながらお店を後にして電車に乗った。もう通勤時間帯。ヘルプマークを付け、杖を突いていても席は譲ってもらえなかった。まあ、そんなものかと思う。
 4、5駅過ぎたところで、真ん前で目をつむっていた若い女性が降りたので席を確保する。乗り換え駅に着き、ベーカリーでサンドイッチを買う。もう夕食は軽くていいよね、ということに。最寄り駅前のスーパーでスープも調達して、タクシーで帰宅した。家を出てから帰宅したのは6時間後。以前よりフラフラ感が強まっている。 
 22日の検査は友人が付き添ってくれ、23日の診察日とMRIの結果説明の日は夫が迎えに来ると言っている。もう頑張り過ぎずに甘えたいと思う。


 帰宅して慌ててオプソを飲み、母に電話。検査で夫がついてきてくれたけれど疲れた、と話す。母は「もう立つことも出来ないのか。」と思っていたらしいが、ヨチヨチ歩きならできるけれど、長いこと立っていられないと話す。
 いきなりこんなことになって母もそうだろうけれど自分自身が驚いている、原因が判って治療が出来ればよいのだけれど、自力歩行が安全にできないと本当に厄介なことである。
 明日は工房のMさんが午後から見える。手摺を持ってきてくださるので、リビングで起き上がるための支持棒もお願いしたいと思っている。


 


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2025.4.14 エスワン7クール14日目のこと 今夜から休薬 朝から酷いふらつき 立ち上がれず 医今日で洗濯干しから撤退を決意 夫は最終出社日 素敵なフラワーアレンジメントを持参して帰宅

2025-04-14 22:57:08 | 日記

 昨夜は早めにブログを書きあげ、それからゆっくりお湯が張られるのを待って入浴した。お風呂のお湯が張ってあっての入浴である。2 タリージェとMSコンチンも普段より30分ほど早く飲んでベッドに入れた。

 今朝は平日仕様のアラームが鳴る前に目が覚める。ところが、ベッド脇の握り棒を掴んで起きようと足を降ろした途端にふら付きが酷くて転んでしまった。四つん這いになって膝小僧を擦りむいた感じ。
 もう一度トライしたけれど、やはり立てずに崩れて転ぶ、気づかなかったが、夫が左ひざから血が出ているという。家の内でカーペット等を厚く敷いているところで転んでこうだから、外で転んだら大変だ。


 そこから廊下を右左と伝い歩きするが、酷い揺れで怖いことといったらない、。明日の脳MRIで何もなければよいが、逆に何もなくてこの症状は、本当にMSコンチンの副作用だけなのだろうかと不思議に思う。


 なんとか伝い歩きをしながらリビングに行くが、今日が最終出社日の夫が私のその姿を心配して「一人でどこか散歩に行こうなんてダメだからね。一日静かに家の中にいること、洗濯もしなくていいし、何もしなくていいから、危ないから。」と言って出かけた。玄関までいかずに声だけでお見送り。ひどい妻である。 
 この1週間ほど、朝起きてすぐと、夜寝る前に酷い頭痛になる。我慢せずロキソニンを飲めば落ち着くのでそうしている。今朝も頭痛。リビングに横たわってウトウトしている間に洗濯機を廻す。
 国会中継をBGMにゆっくり洗濯物を干し始めたが、ベランダで立っているとグルングルンして引っ張られる感じで怖い。ロープや何かに掴まっても、体重でそちらが持っていかれるアンバランスさだ。
 なんとか干し終えたら1時間半もかかっていた。夫に手伝ってもらっていないとはいえ、30分もかからないで出来たことが倍どころか3倍とは・・・。いよいよ唯一出来ていた家事である洗濯からも撤退するタイミングかと思う。これでは本当に何も役に立たないけれど。ひっくり返ったら元も子もない。
昼すぎにピンポンが鳴る。今月1回目のお届けだ。伝い歩きでなんとか玄関まで行き、お支払い。黄色と赤のミックスチューリップが4本、、ピンク、うす紫、スターチス、うす紫のスカビオサ’マツムシソウ)、サンデリアーナの葉が数本。ガラスの花瓶に投げ入れて玄関に飾った。

 それだけでもぐったり疲れて横になる。今日は本当に怖かった。夫から「倒れて頭でも打ったら一巻の終わりだからね。」と脅されるが、満更嘘ではないかもも・・・思ってしまう。お手洗いに行って座ったかと思うと、身体が斜めになってずり落ちる。
 ダイニングテーブルに掴まったつもりが、きちんと立てずにぐずぐずと頽れて尻もちをつくこと数回。あちこち打ち身があり満身創痍だ。


 明日は検査通院だが夫が付いていくというので安心だ。今日は家の廊下で杖を突きながら歩いてみたが、よろよろして右左にごっつんごっつんだった。杖をカーペットの上に置いておいて後悔した。尻もちをついたら痛かったので。なぜこんなに急激に具合が悪くなったのだろう。来週検査結果を伺うとともに先生と相談である。

 その後、またウトウトと寝てしまい、お昼もとうに過ぎて夕方近く。本当は冷凍のおうどんでも頂こうと思ったが、レンジに立って火を使うのが怖いのでレンチンでピザパンを温めて頂く。もっちりしすぎて喉の通りが悪くイマイチだった。

 夫に言われた通り、食洗器も廻さず、夕食の支度もせず、ベランダで洗濯物を取り込もうと手を伸ばすとバランスを崩して倒れそうなので、取り込みも畳みもせず、本当に何もしないでウトウトしていた。

 夫はいつもより小一時間早く帰宅した。素敵なフラワーアレンジメントを2つも抱え、沢山の方からお餞別やお手紙を頂戴し、病気平癒のお守りは私まで頂戴した。長きに亘り夫が伸び伸びと働かせて頂けたいい職場だった。
このまま病気が見つからず、自覚症状もなく年度末で退職という選択肢もあっただろうと思うと、検査をするように背中を押した私は、却って夫にとんでもなく辛い思いをさせてしまったのでは、と責任を感じてしまうのである。
本当に本当に長きに亘りお疲れ様でした。これからは一緒にいたわりあってゆっくり暮らしましょう、である。

 母にMeet通話、具合が悪いことを告げて、明日は病院で脳の検査に夫の付き添いで行くことも報告。
母は「今日はヘルパーさんがいらした以外は何もなかったし、明日も何もない日だが、私は大丈夫だから、気を付けて良く休むように。」とのことだった。


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2025.4.13エスワン7クール13日目のこと 息子夫婦来訪、遅いランチからお茶コースを堪能

2025-04-13 22:18:36 | 日記


昨夜も這う這うの体でブログを書きあげ、夫から入浴するように言われてお風呂に行ったら、またしても浴槽は空っぽ。浴室暖房は入っていたし、お風呂の栓も抜けていなかったが、お湯を入れるのを忘れていた模様。お湯を入れながらの入浴になったので、寒い思いはしなかったが、更に就寝とMSコンチンを飲む時間が遅れた。


 減薬の効果なのか朝は何となく目が覚めるようになってきた。それまでは夫に起こされても全然びくともしなかったのだけれど、最近はちゃんと対応できるようになった。症状が悪化せずに減薬の効果が出てくれているのなら嬉しい。

 朝から冷たい雨だ。今年の冬は一体いつまで続くのかと思う。寒がりの身、早く毎日安定して温かくなってほしい。
 午後から息子夫婦が来ることになっていたが、到着時間が予定より遅れるとのこと。
一緒にお昼を食べるつもりでレストランに連絡したが、お目当てのソファー席は予約できないとのことだった。30分ほど遅れて到着した息子夫婦とそのままレストランに。駐車場は一杯。入れないかも、と思ったが第二駐車場を案内され、奥のテーブル席に取り合えず陣取る。、途中でソファ席が空いたので移動。


 残念ながら、寒い日に嬉しい一推しのコトコト煮は完売。個数限定なので仕方にけれど、2人に食べてもらいたかったなと。
 夫はお手洗いでインスリン注射を済ませ、ハッシュドビーフのMサイズを注文。お嫁ちゃんははSサイズ、息子はチキンカレーのSサイズ(朝ごはんが遅かったらしい)。私はそば粉のガレットにした。どれを食べても美味しいので気持ちがほっこりする。

 外食は久しぶりだし、皆でお喋りするのも久しぶり。いい気分転換になった。食後ケーキを選ぶ、夫は可哀想だけれど、ブラックコーヒーのみ。私は4層のレアチーズ、息子はバナナタルト、お嫁ちゃんは苺タルトをそれぞれチョイスしてジュースや紅茶も頂く。
すっかりお腹一杯になってお店を出るが、雨は止む気配がない。寒い。、足元が悪いので杖を突きながら気を付けて歩くがヨタヨタとして恥ずかしい。が、仕方ない。

 帰宅して、息子が結婚式を挙げたホテルのダージリンティーを頂く。お嫁ちゃんからは苺とハーブテイをお土産に頂いた。
明日からまた1週間仕事の2人をあまり引き留めても、ということで夕方名残惜しく見送った。転職して東京に戻って来た時、こんなに頻繁に夫婦2人で顔見せに来てくれるとは思っていなかったので、有難いことである。


 夕食はまた夫が作ってくれてもう食べ過ぎの感じ。今朝は39.7キロだった。40キロ、せめて42、3キロにに戻したい。
 母にMeet通話をしたら、朝から雨なので選挙に行くのは止めたそうな。一日中家にいて寒かったとのこと。窓の外の桜が咲き始めた、と上の階の方の声が聞こえて覗いたら、なるほどピンクの花が見えたそうな。
 息子とお嫁ちゃんが2人揃って退院後の夫と私の様子を見に来てくれたと言って通話を切った。
お嫁ちゃんは夫が入院中に見舞いが出来ず、今年になってから会っていないことを気にしてくれていたらしい。思いのほか2人とも元気でほっとしました、とのこと。いい娘である。


 さて新しい食洗器は図体は以前の物より大きくなったけれど、とても使いにくい。入るお皿の大きさも枚数も全然前のものに及ばない。時間をかけて乾燥してもイマイチ水の切れも悪いし、20年前に作られた物より明らかに退化している。ビルトインのものが増えて、こうした据置型には力を入れなくなったというが、本当に困ったものだ。

夕食を頂いたら少しお夕寝。明日は夫が職場に退職ご挨拶に出勤する日。セレモニーがあるらしいので、寝坊をしていられない。
本当にお疲れ様でした、である。


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