昨夜は今朝に備えて早々と記事を書き上げ、入浴を終え、薬を飲んでベッドに入った。寝つきには少し時間がかかったものの、無事6時間睡眠を取れる予定だった。
ところが、あろうことか2時半過ぎにお手洗いに目が覚める。寝ぼけていたせいか、起き上がって右や左にふらついてごつんごつんとぶつかった。こんなことは春以来のこと。手摺に捕まりまがらちょっと怖くなった。
そしてその後、眠れない。痰が絡んで咳き込みが始まる。目を瞑って瞑想を試みるが、どうしても眠れない。せめてあと1時間は眠りたいと思ったけれど、ダメだった。アラームが鳴る前に諦めてリビングへ。夫も30分ほど前に起きていた。
どう考えてみても寝不足だ。6時のニュースを視ながら(一体この時間に朝食を摂るのはどのくらいぶりだろう。)朝食を摂り、身支度をする。タクシーを呼ぶが、贔屓の会社はもとより二番手の会社も迎車には時間がかかるようで、結局GOを呼ぶ。
5分ほどで到着したが、なんとも不愛想なドライバーさんで、朝からなんだかなぁのスタートになった。
外は早くも熱い(暑いよりも適している。)。ホームに降りるとアスファルトの照り返しで茹で上がりそうだ。予約したライナーに乗り、無事ターミナル駅に到着。息子夫婦とはJRのホームで待ち合わせしている。
酷暑の中、このところずっと家に籠って殆ど外を歩いていない私は、たった3か所の階段の昇降ですっかり顎が出る。ライナーを降りる寸前に気合を入れるためのオプソを飲んだというのに。
息子たちとはすぐに合流し、今日は彼らに従ってモノレールで空港に向かうことに。しっかり席も確保してくれてラッキー。いや、立ったまま30分電車に揺られるのはかなりきつかっただろう。モノレールに乗るまではただ息苦しくて口が利けなかった。こちらも慣れた2人に従って、うまいことボックスシートを確保して終点第二ターミナルまで。
つい5か月前にトルコから悪夢の帰国をした以来の羽田空港である。あの後の1か月半は実に怒涛の日々以外の何物でもなかった。
フットワークの良いお嫁ちゃんが、ささっとインフォメーションセンターに走って車椅子を借りてくれる。乗せてもらったらもう楽ちんである。夫が押してくれて菩提寺と従弟宅へのお土産をゲット。そのまま保安検査も優先レーンでスイスイと。
相変わらず庄内便は搭乗口が一番端っこ。延々と歩かなければならない。これはとても息切れや咳き込みなしに歩けなかったと思う。お嫁ちゃんの交渉により、飛行機のドアまで車椅子移動が叶い、体力温存が出来た。それにしてもどれだけ体力がないのだろう。情けないことこの上ない。
所要時間は1時間だが、実際に飛行しているのは30分ほど。上がったと思ったらすぐに最終着陸態勢だ。眼下には月山をはじめとする出羽山地の山々が広がり、間もなく緑のグラデーションが美しい田んぼの風景が近づいてくる。機内は満席。親子連れ、赤ちゃん連れも多く、着陸間際は泣き声の大合唱だった。
到着空港でも車椅子に乗せて頂くので、機内を降りたのは一番最後。荷物も預けていなかったので、そのまま到着ロビーを抜け、レンタカー事務所まで我が家4人貸し切りのシャトルバスで向かった。今回初めて触れる夏の庄内の風は熱風である。最高気温35度。東京と全く変わらない。纏わりつくような暑さだ。日本で涼しい場所はあるのだろうかと思ってしまう。
私たちが空港に到着する時間と、義妹夫婦が新幹線と特急を乗り継いでJR駅に到着する時間は若干タイムラグがあったが、待ち合わせ場所は中間地点にある評判の良い麵処。混雑していたが、小上がりのお座敷席で無事合流して名物の麦切りや天ぷらを美味しく頂いた。
私たち夫婦は義妹夫婦に会うのは昨年秋の息子の結婚式以来だったが、息子夫婦は先月泊りに行くなどすっかり打ち解けて話が弾んでいる。調子に乗って喋ると苦しくなるのでじっと我慢。
お腹を満たしたところで、仏花やお供えのお菓子、果物などを調達するため、ショッピングセンターへ向かう。私はとても広い店内を歩けないので、入口付近のベンチに座って皆にお任せ。役立たずの嫁である。そして、ホテルへ向かいひとまずチェックイン。
以前から泊まってみたかった水田に浮かぶようなデザインのホテルは、庄内初上陸のお嫁ちゃんも泊まりたかったところだという。息子が早々と予約してくれて宿泊が叶った。
それぞれの部屋に散り、ぱぱっと喪服に着替え、夫の菩提寺に向かう。既に夫の従弟は到着している。暑い中喪服を着て頂いて申し訳ない。16時からの法要は境内での読経、焼香、墓前での読経と続く。法事は滞りなく済み、庫裏で冷たいお茶を頂きながら暫し歓談。一時は墓じまいも考えていたのだけれど、息子が今後は墓守をしてくれるという決意表明があったので、ありがたくも頼もしいこと。ご住職に連絡先をお伝えしてきた。
四半世紀以上前、義父の法事で息子が菩提寺を訪れた時、太鼓を叩き、銅鑼を鳴らし好き放題やったという黒歴史(息子曰く)を皆から何度も言われて照れ臭そうな息子ももはや妻帯者である。
賑やかなことが好きだった義母は、皆が集まってくれてきっと喜んでいることだろう。不肖長男の嫁も13回忌まで生きて参加できたのだから上等か。6年前の7回忌は、私が治療の副作用の体調不良で参加出来ず、夫と従弟、義妹夫婦の4人で少し寂しかったという。
さて、私の葬儀にはこのご住職に出張して頂くことになるのかどうか。戒名も読経も要らないとは思ってみても、夫や息子のことを思えば、そんな身勝手もできないのかもしれない。
普段引き籠っているせいか、暑い外気に当たるだけでかなり消耗する。墓前の読経時にはふらついて怖かった。念のため杖を持ってきたが、支えがあって本当に良かった。
夜の会食時間まで小一時間。公園を散策するという当初の予定は、出来れば喪服を脱ぎたいという皆の意見が一致していったんホテルに戻った。とにかくカツラを外して5分でもいいので横になりたかった。
実際横になれた時間は5分にも満たなかったけれど、喪服を脱いで一時でもカツラを外せて少し元気になった。
そこから会食会場へ。かつて義母とも一度来た事のある蔵のレストランだ。前回は1階の個室だったが今日は2階の個室。ヘロヘロしながら上に上がる。コース料理は一口ずつ味見をするだけでも普段の夕食の一体何食分だろうと思うほどの量になった。お腹はパンパン。途中でとてつもなく眠くなり、皆の会話に入れない時間もあった。2時間ほど堪能して解散。ホテルに戻ってきた。
温泉、サウナなどスパも充実しているようだけれど、飢餓の子どものようなこの裸体を大風呂で晒す勇気はなく、今日は部屋のお風呂で済ませることにした。夫は息子と一緒にお風呂に出かけ今しがた帰ってきた。
明日は皆朝から精力的に動くようだが私はお留守番。朝食だけ一緒に摂りたいのだが、はて私はそんなに早く起きられるだろうか、まったく自信がない。 お掃除の時間以外は部屋で晴耕雨読ならぬ晴読雨読で過ごしたいと思う。読みかけの文庫が何冊もあるのに、全然進んでいない。今日も眠気と疲れで一頁たりとも本を読むことができなかった。通院がなくなったら本を読むことがなくなるとは、なんとも皮肉なことである。