ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2021.9.12 エンハーツ19クール目、さらに減量15回目投与後11日目のこと 今日もオンライン大活躍!

2021-09-12 21:59:08 | あけぼの会

 昨夜は起業をテーマとするZoom同窓会を1時間半ほどで抜け、夫のお誕生日のケーキタイム。夜遅く甘いものを食すのは身体によろしくないなんてことは一切考えず、今は“食べたいものを食べられるときに食べるだけ”という実にシンプルな食生活である。お腹がこなれてから入浴後、就寝。

 今朝は日曜日仕様の目覚ましが鳴り、ベッドで朝刊を一通り目通ししてからノロノロ起き出して夫と遅い朝食。食後は良く熟したゴールデンキウイが美味で、梨やシャインマスカットの甘さが霞むほどだった。

 今日も午後からオンライン講習会の予定が2件。それまではWOWOWで録画した邦画を観る。桜木紫乃さんの原作が良かった記憶があるが、映画はいまひとつだった感じ。

 昼からは、“料理たるもの必要最低限”をポリシーとする(!?)私にしては珍しく「夏バテ解消&腸活 ヘルシー和食お料理教室」に参加した。講師は管理栄養士の磯村優貴恵先生。1時間で2品の秋らしい煮物メニューを丁寧に教えてくださる。
 同時進行で一緒に作ることも可能だったけれど、今日は視聴のみ。1品は冷蔵庫に材料があるので挑戦してみようと思う。それにしても、料理教室だなんて独身時代に某カルチャーセンターにちょっとだけ通って挫折して以来のことだ。明日は雨かもしれない・・・。

 お昼は今年の夏頂き納めの素麺を夫が茹でてくれた。パパっと終えて、デザートにはこれまた今夏納めの栗水羊羹を頂く。
 午後からはあけぼの神奈川主催のZoom 医療講演会「乳がんの放射線治療」に参加である。講師は東京女子医科大学の唐澤久美子先生。毎年2回講演会を開催されてきたというが、このご時世でリアルの講演会は難しく、Zoomでの開催は初めてとのこと。全国から40名ほどの参加があった。

 「放射線治療はからだへの負担も少なく、手術のように傷跡が残ることも変形することもない治療です。放射線治療のしくみや種類など基本的なこと、乳がんの初期治療から再発治療、緩和治療までを最新情報を含めてお話いただきます。欧米に比べ日本ではがんの治療に放射線が使われることが少ないとのこと、世界の放射線治療事情についても伺いましょう。放射線治療を理解して上手に病気と闘うためにご一緒に勉強しませんか?皆さまのご参加をお待ちしています。」というHPでのお誘いの言葉に、有難く参加申し込みさせて頂いた。

 あけぼの東京支部は、私があけぼの会に入会してまだそれほど日が経たないうちに活動休止になってしまったけれど、お隣の神奈川支部はとても上手に運営をされているとかねがね拝見してきた。2008年に独立して“あけぼの神奈川”となって10年余り。今日の運営も丁寧かつ手慣れた様子で、代表とスタッフの方たちがとても良い連係プレーをされていて、さすがだな、と思った。

 講師の唐澤先生は、ご本人も乳がんサバイバーである。インタビュー記事等を拝読したことはあるが、リアルにお話しされている姿を拝見するのは初めて。
 司会から進行等の説明があった後、代表Mさんからの挨拶、先生のご紹介。そして1時間たっぷり最新の放射線治療についての講義があった。

 私が放射線治療を受けたのは2005年3月、初発の術後補助療法として1日2グレイを5週間、25回、50グレイのリニアック照射だった。再発転移している私がこれから放射線科にお世話になるとしたら、骨転移の疼痛緩和か脳転移のガンマナイフやサイバーナイフ、全脳照射ということになる。
 まあなるべく長くお世話にならずにいられれば、それに越したことはないだろう。

 そもそも初発は完治を目指す治療だけれど、再発では治す治療ではない。そして、再発治療の基本は全身薬物療法であるということも十分承知している。
 今日はそのあたりの最新情報を分かり易くお話し頂けたことで、ちょっと古くなっていた頭の中の情報を上書きすることが出来た。1時間の講演の後は10分休憩を挟んで質問会。

 8つほど事前に寄せられた質問に対して、先生は実に歯切れよく簡単明瞭にお答えになる。私が2005年に放射線治療を受けた時、肌の保湿について担当医からのアドバイスは一切なかった。皮脂腺も汗腺も少なくとも2年は元通りにならないので、治療中から保湿が必要だという情報があれば、こんなに皮膚がガサガサにならなかっただろうな、と改めて思う。

 今は手足の保湿のためにヒルドイドローションを使っているけれど、当時はこの薬の名前すら知らなかった。治療後、夏になっても放射線を当てた胸回りは汗が出ないな、やけにサラサラだな、と思った。先生が仰るには、人によっては2年どころか一生そのままの人もいるらしい。私もホットヨガを始めるまでは左胸には不思議なほど汗をかかなかった。

 その他皆さん随分色々な心配事があるのだな、と思う。再発してしまえば、逆にこうした不安からは解放される(実際の治療になり、仮定の質問ではなくなる)というのが皮肉で逆説的なことなのだけれど。
 チャットの質問等も含め、全ての質問が終わって代表の挨拶、先生からメッセージを頂き、お開きになったのは開始から2時間経ってからのこと。久しぶりに勉強らしい勉強をしてちょっと頭が疲れた感じ。
 賢い患者とは、という質問に対する“自分の病状を理解し、自分の希望をはっきり言って民間療法に惑わされない人”というお答えに共感を覚えた。

 講演会後はリビングに戻ってアイスクリームで一服して脳に糖分補給した後、夫とぶらぶら駅前まで。お天気ははっきりしない曇天だけれど、アウトレットモールは相変わらず人出が凄い。そして驚くべきことに、マスクをしていない若者のグループが路上で歌を歌って、かなりの人垣が出来ている。うーん、どこが緊急事態なのか、もはや平時である。

 ファストフードでお茶をして夫と別れ、私はA先生のアロマビューティヨガのクラスに。今月のアロマは、夏から秋に向かって崩れがちになる自律神経を整えるべく、ベルガモット、ラベンダー、リツエアクベバのブレンド。45分のショートクラスだったので、開始前に足首や踝等を解しながらすぐにスタート。肩や肩甲骨、股関節周りをよく解した後のダウンドッグが心地よかった。あっという間にシャヴァーサナ。シャワーを浴びてすっきりして帰宅した。

 今日もDuo通話で母にご機嫌伺いをした後は、夫が用意してくれた鍋物を頂く。
 さて、明日からまた新しい1週間が始まる。体調がようやく元通りになり仕事に行くのが憂鬱ではないと思えることが有難いことである。
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2018.10.14 あけぼの会創立40周年記念大会参加・・・そして銀ブラ

2018-10-14 23:42:30 | あけぼの会

 今日は乳がん患者会あけぼの会創立40周年記念大会だ。サブタイトルは「私たちは何を変えたか、そして未来!」だという。
 38歳で乳がんに罹患され、その後あけぼの会を立ち上げ40年に渡り運営されてきた会長さんが今回で勇退を決められた。

 2009年6月の誕生日に入会して足かけ10年になった。こうした大会に参加するのは6回目だ。
 会長さんから「ご主人も連れて来てね」というお話を頂き、今回は最後だし、悲しいことにご一緒する仲間もいないし、一度夫にも聞いてもらってもよいな、と、ともすれば引きこもり系の夫に同行を願った。

 11時開場だが、満員御礼でお断りもしていると漏れ聞き、開場直後にはホールに到着するように早めに家を出た。
 予定通りほぼ開場時間に到着する。今回の大会は、就職して通勤のため毎日通った場所に近いホールでの開催で、3年ぶり-昨年は熱海宿泊、一昨年はもう少し小規模な都心の別ホールでの開催-だったが、私がここに来たのは5年ぶり。

 夫と出会ったのもこの街である。庁舎が移転してから四半世紀以上経つので、駅周辺は様変わりしており、かつて勤めた庁舎も既に影も形もない。けれど、変わらぬ果物屋さんやら中華料理屋さんなど、懐かしさで一杯になる。
 大会は12時から16時までの4時間の長丁場。お昼を摂る時間もないので、途中のコンビニで軽食を調達してホールに到着。ショッキングピンクのTシャツに身を包んだ事務局の方たちや、お手伝いの各支部の方たちに迎えられ、広報でお世話になった事務局のSさんや、重複がんの治療から復帰されたカメラ片手のKさん等何名かの方にご挨拶。

 ホールに入ると既に席は殆ど場所取りが終わっている。最前席の前には補助椅子がギッシリ。700名を超える参加者がいるようだ。かろうじて前方右寄りの席を2つ確保してから、ロビーで軽食を摂る。ソファは一杯で、立食になった。ロビーには「会長さんに一言メッセージを」のコーナーがあり、夫とともにブルーの付箋に感謝の言葉を書いてきた。

 そして定刻通り会がスタート。司会は事務局のSさんだ。
 正面の舞台にはピンクの文字で今回のテーマが掲げられた看板と、会のスローガン「再び、誇り高く美しく」がスライドで写されている。
 黒い帽子を被りショッキングピンクのスーツに身を包んだ会長さんが開会のご挨拶。これまでの歴史を述べられた後、ご自宅で会を立ち上げた当時6歳だった息子さん、8歳だったという娘さんが、それぞれロンドンや広島から駆けつけてご挨拶された。可愛らしいお孫さんの姿もあった。ご主人がALSを患われ、数年にわたりロンドンを25往復しながら介護する傍ら会長を続けてこられたのだ。ご家族の支えにも本当に頭が下がる。

 そして全国各地から集結された6名の錚々たるドクターによるオムニバス形式の講演がスタート。
 愛知県がんセンターから岩田広治先生が「新しい治療法の開発―臨床試験には患者さんの協力が不可欠ですー」、がん研有明病院から大野真司先生が「未来を拓くーICT時代の乳がん医療―」、日本医科大武蔵小杉病院の勝俣範之先生が「再発しても希望を持って生きるーがんとうまく付き合っていくには?-」、数年前の会のシンポジウムでご一緒させて頂いた紅一点の清水千佳子先生が「サバイバーシップを科学するー新しい医療の創出―」、京大病院から戸井雅和先生が「トランスレーショナル研究―がんと宿主の特性を理解するー」、トリにはメルボルンから今朝帰国されたばかりという昭和大病院の中村清吾先生が「乳がんの予防はどこまで可能かー遺伝性乳がんのことなどー」という演題でお一人15分の持ち時間を目一杯使って熱弁を奮われた。

 それにしても10月の乳がん月間、お忙しい筈の著名な先生方がよくもここまで揃われたものだ。途中メモを取りながらさすがに情報過多になり、ちょっとオーバーフロー気味で酸欠状態。

 15分ほど時間が押して、休憩時間になる。
 水分と糖分補給のため、ソファに腰掛ける。お手洗いの行列が凄い。そんな中、先日の瞑想ヨーガ教室に参加してくださったお二人にバッタリ。お互いにびっくりである。笑顔で挨拶出来る方がいるという有難さを思う。

 お手洗いを済ませ、予定より5分ほど遅れて第二部開始。
 パネルディスカッションでは会長さん、新副会長さんと清水先生が司会進行をされ、6人の先生方がずらりと並ぶ。今回は、会長さん勇退ということで駆け付けられたであろう、既に治療は終えられた乳がん卒業生の方が多く、(再発)治療中の方は少数のように見受けられた。

 ギャラリーから患者からの要望なども受けつつ、先生方にお応え頂く。治療選択肢が複数示されても、一つしか示されなくても患者は悩む。主治医との人間関係や相性、コミュニケーション能力等問題は多岐に渡り、なかなか一筋縄ではいかない。難しい問題だ。それでも先生方の日々の忙しさを思うと、患者自身も勉強し、たとえ短い5分くらいの診察時間でも、それを最大限に活用できるようにその都度真剣勝負で臨まなければならないように感じている。

 最後に6人の先生方が、何を考えて乳がん患者のためになさっているか、その情熱の源を伺って、時間通りシンポジウムは終了。
 後半はお待ちかねの「全国からようこそ」のコーナー。北は北海道、南は鹿児島までの36道府県の支部長さんが舞台にずらりと並び、各県からの参加者人数が司会から報告され、参加者はその場に立つという、参加者にとってこの場にいることが実感できる大切な時間だ。東京からは200人弱の参加者がおり、私もその場で起立した。
 韓国のソウルからも会員がお一人いらしていてご挨拶をされた。

 いよいよ閉会の時間が迫ってくる。次期の副会長さん4人と会長さんの自己紹介に続き、製薬会社さんや新聞記者さん等関係者のご挨拶も。そして同行されたご主人たちもスタンドアップ。隣に座っていた夫も起立して拍手を頂いた。
 舞台の上の4名の事務局の皆さんからも一言ずつご挨拶があり(残念ながら事務局の方たちはこれでご卒業のようだ。)、最後は戸井先生が全員の三・三・七拍子の音頭を取られてお開きとなった。定刻の4時。

 かなり密度の濃い4時間。到着時間から引き続けば5時間近く。うーん、これは元気でないと治療中で体調がイマイチの患者にはかなりハードな時間である。かくいう私もかなり疲労困憊、であった。
 いつものように帰りはエスカレーターの脇で会長さん自らがお見送りをしてくださる。夫と2人で順番を待ち、ご挨拶と握手をしてホールを後にした。

 それにしても、医療者に対しても家庭でも職場でもともすれば立場が弱くなり得る患者に寄り添い励ましてくれた会の存在意義は大きい。会を立ち上げた会長さんには心から敬意を表したい。
 私がこうしてブログを綴るようになったのも会長さんの後押しがあったからである。感謝してもしきれないものがある。
 会長さん、長い間本当にお疲れさまでした、そしてありがとうございました。

 さて、水分補給と疲労回復のためにカフェに入って一服。せっかく銀座にいるのだから、といつもお世話になっている百貨店のショップでコーディネートのお手伝いをしてくださる店員さんが、今月から銀座の百貨店に異動されたので、差し入れを持ってご挨拶に。あいにく丁度休憩時間で、あと15分ほどで戻りますというので、時間調整をしたのが運の尽き。目の保養のつもりで売り場に言ったところ、夫のスーツを新調することになった。まあ無事店員さんにはご挨拶出来て、とても喜んで頂けたけれど。

 こうして何年振りか夫婦で銀ブラを楽しみながら、夫の出身県のアンテナショップで故郷のお菓子や漬物等の買い物を済ませた後、その2階にある、県産の食材のみをふんだんに使ったメニューが評判のレストランで、予約していたフルコースディナー。お昼が軽かったのでお腹ペコペコだったけれど、さすがに最後はお腹がはちきれそうになって別腹の筈のデザートを残す、という事態になってしまった。さくらんぼを餌に育ったというさくらんぼ鶏のパスタや、ダチョウのタルタルを添えた“雪若丸”米のリゾット、だだちゃ豆の餌を食したという仔羊のロースト、和梨のパンナコッタ等々とても美味だった。

 そんなわけで帰宅したのは朝家を出てから実に12時間後。充実した長い長い日曜日となった。
 明日からまた1週間が始まる。途中でガス欠にならなければいいけれど・・・。

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2016.10.23 あけぼの会秋の大会 患者と医師の対話集会~乳がんを賢く治すために~参加

2016-10-23 21:39:36 | あけぼの会
 今日は、患者会の秋の全国大会に、2年ぶり5回目の参加をした。昨年は実家のもろもろで参加を見送ったのだった。穏やかな良いお天気で、遠方から参加する会員の皆さんにとっても優しい日和となった。

 途中のカフェで軽食を摂っていると、プチ虹のサロンのSaさんから、私の分まで席を取ってくださったというLINEの連絡が入る。有難くも恐縮して会場に向かった。
 去年は大きなホールでの実施だったが、今回は、一昨年シンポジウムに登壇させて頂いた時と同じ、定員250名ほどのこじんまりとしたフロア一体型の会場。満員御礼、熱気でムンムンの開催となった。

 13時から16時半までの長丁場、その後は場所を移してパーティ。例年のことながら企画・準備から後片づけまで、会長さんはじめ事務局スタッフの方々のご尽力には本当に頭が下がる。

 さて、今回は表題のとおり、患者と医師の対話集会~乳がんを賢く治すために~というテーマだ。
 Part1とPart2の2部構成で、いつものように事務局のSさんがショッキングピンクのTシャツに身を包み、元気に司会を務められる。まずは会長さんのご挨拶。お風邪を召しておられて殆ど声が出ない中、著書である「がん患者に送る愛と勇気の玉手箱」の中から“がんのあと潔く生きる10か条”をお披露目される。
 例年冒頭にサプライズゲストとして永六輔さんが登場されてきたのだが、7月に旅立たれたのは周知のとおり。その追悼のお言葉もあった。

 来賓挨拶もなく、すぐに3名の先生方の講演に移る。
 お一人目の演者は「乳がん医療の未来~夢と希望を叶えるために」と題して、がん研有明病院・乳腺センター長の大野真司先生。アメリカはオバマ大統領の“がんムーンショット計画”のお話から始められ、新薬の開発状況、人工知能AIの話題まで、長く再発治療を続けていてもまだまだ希望を捨ててはいけない、ということを改めて思わせて頂ける嬉しいお話だった。

 お二人目は「ブレストケア科の目指すもの」と題して、埼玉医科大学総合医療センタ―・ブレストケア科教授の矢形寛先生。沢山の笑いを取りながらテンポ良い口調でブレストケア科のPRに加え、小江戸という地域を巻き込んだ様々な活動を明るく紹介された。

 三人目は「治療に従事してきて今、強く思うこと 治療方針の決定 Decision Makingは誰がする?」と題して、一昨年Doctor of the Year2014に受賞された国立がん研究センター中央病院・乳腺腫瘍内科外来医長である清水千佳子先生。再発転移がんの治療原則から始まって、日々命と向き合い、ともすれば終末期等重い話題が多くなる腫瘍内科ならではのお話。真面目な先生らしく淡々と進んだ。

 そして休憩。あまりの熱気で酸欠状態になってしまい、ホール外に出て、気分転換を図る。ロビーではかつて東京支部でご一緒したEさんやMさんたちのお顔も拝見出来て、懐かしかった。もう一人のMさんやOさんの姿は、残念ながらもう拝見することは叶わない。定期的に開催してきたプチ虹のサロンも、昨年末SaさんとSiさんにお目にかかって以来、なかなか集まることが出来ずに今日まできてしまっていた。メンバー各々の家族、自分自身の状況がなかなか厳しく時間を取ることが難しいのだ。退院されてまだそれほど時間が経っていないSiさんのお顔も見られて、本当にほっとした。

 後半は「患者はなぜ有名病院へ行きたいのか」というパネルティスカッションがたっぷり1時間以上。実際に有名病院の3人の先生方を前にして、フロアからは自分の体験や、支部として相談を受けた内容などの発言が続く。文字通り参加型のパネルディスカッションだ。

 私自身は、初発ではクリニックから紹介された地域の総合病院にかかり、再発転移した段階で、長い治療を続けるにあたり避けて通れない化学療法の専門家である腫瘍内科医に診て頂けるものなら、とセカンドオピニオンを得たのち、転院した。
 とはいえ、特に有名病院志向であったわけではなく、出来れば通うのに近い病院という条件で、今の病院を選んだ。

 幸いなことに、これまで8年半の治療のおかげでこうして延命して頂きながら、主治医との信頼関係も築けており、節目節目で納得した治療が受けてこられている。そのため、正直なところ、今回のテーマは特に身を乗り出して聴きたいというものではなかった。

 けれど、最後のまとめで会長さんが「このテーマを選んだのは、患者にとって有名病院、名医にかかることよりも、主治医を信頼して良い関係を築けることがベストである。有名病院は治療の節目、セカンドオピニオン等のタイミングで上手く使うことが大切、ということが言いたかった」とおっしゃった時に、我が意を強くした。ああ、間違っていない、私はこれからも今のまま治療と向き合っていけばよいのだ、と力を頂いた。

 お馴染みの「ようこそコーナー」では全国から出席している会員紹介。北は北海道、南は九州の方たちまで、今年も沢山の会員さんたちが出席されている。お揃いの衣装を着て、元気に手を挙げたり、アピールしたり。実にパワフルである。最後は会場前方に支部長さんたちがずらりと勢揃いして、永さんを偲び「見上げてごらん夜の星を」を全員合唱してフィナーレ。歌い終えたところで終了時間となった。

 お開きの後、Saさんと久しぶりに最寄り駅までご一緒し、カフェでお茶をしながらお喋りをして帰途に就いた。そう、2年前の大会でも出席できたのはSaさんと私だけだった。その前の会では5人揃ってお茶をしていたのにね、と昨年のお正月、10月に相次いで亡くなったメンバー2人のことをしみじみと思い出す。

 想えばこの1年、本当に色々なことがあった。これからもきっと山あり谷ありの毎日が続いていくのだろう。けれど、こうして日々を精一杯、そして愛おしく過ごせることに改めて感謝しながら、明日からまた新しい1週間を過ごしていこうと思う10月の夜である。
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2014.10.12 あけぼの会秋の全国大会参加

2014-10-12 21:52:42 | あけぼの会
 連休2日目。今日は、5月に開催された春の大会と同じ会場で、所属する患者会の秋の全国大会が行われた。去年までの大きな会場から、一回りこじんまりとした会場になったが、一体感がアップしたように思う。

 12時から16時までという4時間の長丁場、その後は場所を移してのパーティ。準備から後片づけまで、会長さんはじめ事務局の方々のお骨折りには例年のことながら本当に頭が下がる。
 さて、今回も実に盛りだくさんの内容。
 Part1、2の2部構成で、前半の会長さんのご挨拶の次に、サプライズでパーキンソン病のキーパーソンと自称される永六輔さんが登場し、皆で大拍手。そして、今年のゲストは評論家の大宅映子さん。80歳で乳がんを患ったお母様が100歳で大往生されたお話や、生命への畏敬の念を持つことの大切さ、病と闘う上での意識として、そういう畏れの気持ちがどこかにあればよいのでは、という有難いお話を頂いた。ノー原稿で15分のお話はさすがであった。
 続いてDoctor of the Year2014の表彰。今日の講演者である清水先生が目出度く受賞された。

 前半のラストは、昨年来の大会で好評を博したチェロやピアノのクラシック音楽による癒しの時間。若いピアニストのソロにも酔いしれた。

 後半は講演、全国から出席している会員紹介、講師の先生方への質問、全員合唱でのフィナーレと続く。

 後半の講演は、春の大会でのお話がとても興味深かった国立がんセンター中央病院 乳腺・腫瘍内科医の清水千佳子先生が再登壇。春のおさらいから始まって「乳がん医療を育てる―新薬と患者会への期待」をテーマに、30分の講演時間ではとてもとても・・・というほどのてんこ盛りの内容。
 最新の治療がより良い治療ではない、治療の価値は医療者だけでも患者だけでも決められない。患者と社会とともに考えるもの、というサバイバーシップに関する研究に注力されておられることに頷いた。
 次に「抗がん剤―開発・審査承認・薬価設定までの至難の道」と題して、国立がん研究センター 執行役員・企画戦略局長である藤原康弘先生が講演された。実際に使えるようになるまでに四半世紀、300億から1,000億という膨大な時間とお金がかかる新しい抗がん剤の説明に会場からはため息。自分のため、ではなく次の世代のための治験参加であることに納得する。がんワクチンや免疫療法、治験参加に際してのポイントなど興味深いお話が聞けて大満足。

 続いて「講師の先生がたに聞く」ということで、会長さんとかつて再発者のサロンでご一緒したこともあるMさんとともに、私も再発患者として登壇させて頂いた。始まる前に少しリラックスということで、お馴染み北は北海道、南は四国まで(残念ながら九州の方たちは台風のため飛行機が飛ばずご欠席)の多くの会員さんたちのご紹介がある。そして、会場全体がすっかり打ち解けた雰囲気になり、ディスカッション開始。

 会長さんは初発で完治されたサバイバーであるが、Mさんと私は現役の再発治療中患者だ。Mさんは私より人生でも大先輩、再発治療歴も13年という方。いつもパワフルで鮮やかな衣装に身を包み、小柄でおられるのを感じさせないほどの存在感。元気一杯でおられる。
 予定より時間は押して始まったが、残り僅かな時間でスケジュールは滞りなく終わり、各県の支部長さんたちが舞台前にずらりと勢揃いして「千の風になって」を歌い終えたところで終了時間となった。

 お開きの後、先日お世話になったイデアフォーのNさんともご挨拶も出来て良かった。
 今月のプチ虹のサロン開催は大会の後に、としていたので、Sさんとお茶へ移動することに。Kさんは風邪でダウンされ、もう一人のSさんも残念ながら出席が叶わず。既に4時間もの大会参加で草臥れているにもかかわらず、久しぶりにお目にかかったEさんたちと合流し、大人数になって、カフェへ。いつもながらなかなかお喋りは止まらず・・・。
 Sさんと最寄り駅までご一緒し、来月の再会を約束してお別れした。

 さて明日は、来週日曜日に控えたホームカミングデーの合唱本番前最後の合同練習の日だ。勤務する大学では祝日開講日にあたっているが、私は来月の祝日開講日に出勤するため、今回はカレンダー通りに三連休。練習に参加出来ることになってほっとしていた。が、またもや台風が近づいていて(今回7回参加した練習のうち3度目の台風直撃!である。)、普段より先生の練習開始時間が1時間早い。

 夫が「夜に都心から帰って来て、次の日の朝また都心に出かけて行くより泊まった方がいいんじゃないの?」と背中を押してくれた。ありがたや、では遠慮なく、ということで、急遽、練習場所の最寄駅前のビジネスホテルを予約した。
 それにしても、山手線内というのはどこへ行くにもなんと便利なことか。大抵のところは30分以内でドアツードアだ。

 そんなわけで、また独身貴族の夜をまったりと過ごさせて頂いている。明日の練習の復習に励みながら秋の夜長、贅沢に読書も愉しみたいと思っている。


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2014.5.17 あけぼの会春の大会 「自立する患者たち」参加

2014-05-17 23:01:34 | あけぼの会
 朝から雲一つない良いお天気だ。お天気の休日!というと単純に大量の洗濯がしたくなる私は、今日も目いっぱい3回洗濯機を回す。そうこうしているうちに、早くも出かける時間になった。慌てて家を出たものの、坂道を少し歩き出したところで携帯を忘れてきたことに気づく。泣く泣く戻って出直す羽目に。予定していた20分に一本の特急に乗り損ねてしまい、朝からトホホ・・・である。

 私鉄と地下鉄を乗り継いで会場最寄駅に到着。夏のような陽射しの中、日傘が強風で飛ばされそうだったが、なんとか集合時間の5分前に会場に滑り込むことが出来て、胸をなでおろす。

 今日は患者会・あけぼの会初めての春の大会だ。会場は昨年8月に「乳がん・再発を生きる」の講演会が開かれた時と同じだ。控室に案内され、会長さんやお世話になる事務局の方たち、今日ご一緒するパネリスト、三重県から来られたNさんご夫妻にご挨拶。パネルディスカッションの打ち合わせの後、軽食を頂く。本番で急にお腹の調子が悪くなどなりませんように、と祈る。

 そうこうしているうちに開会の時間となり、ホールへ移動。まずは会長さんのご挨拶の後、第一部は癒しのクラシックアワー。昨秋の全国大会の時にとても好評だったチェロとピアノのミニコンサートだ。今日は関係者席に座らせて頂き、演奏者の息遣いが聞こえるほどの前列で、一時間弱にわたりアンコール曲を含め6曲を堪能する。

 休憩時間には、出張先から直行してくれた夫が到着。
 第二部の前半は国立がん研究センター中央病院 乳腺・腫瘍内科の清水千佳子先生による講演「乳がん治療―誰に、いつ、どの薬を、どう使うか」だ。
 治療のいわゆる5W1Hについて、とてもわかりやすくお話し頂いた。あらためてこの10年の乳がん治療の著しい変化を実感する。そして、最近相次いで使えるようになっている新薬がいかに高価なのかも(冗談でなく1年多剤併用すれば家が買えそうだ!)一覧表で目の当たりにすると、やはりため息が出てしまう。
 そして、「治療を続けていくうえで、自分にとって何が重要であるか-自分は各々の治療によってどのメリットが享受したいのか、どのデメリットなら受容出来るのか、をきちんと心に決めて治療を受けることが大切だ」という先生のお話しに共感する。また、「決して医師任せにせず、常に対話をしながら納得して治療を続けていくのがベストである」というお話しを伺い、自分がこれまで選択しながら続けてきた治療は決して間違っていなかったな、ととても心強く思う。

 そして、後半。パネルディスカッション「再発治療を続けながら、仕事も続ける」に登壇させて頂いた。
 冒頭、少しリラックスするために・・・と、恒例となっている、会長さんによる日本全国からの出席者のお名前がご披露される。その中に、なんと昨夏、花火大会でお世話になった新潟県のYさんもいらした。思いがけないことに驚くとともに、舞台の上から会釈させて頂いた。
 そしていよいよ会長さん、清水先生、会員のNさん、Hさんと私の5人でのパネルディスカッションのスタートである。会長さんから、私のこのブログのご紹介をして頂き、お読み頂いている沢山の方々が挙手をしてくださり、くすぐったいけれど、とても嬉しく、自然と御礼の言葉が出る。

 それぞれ長く治療を続けているわけで、3人とも、語りたいことを沢山持っている。私も普段から思っていること、感じていることを自然にお話し出来たら、と思っていたが、うまく伝わったかどうか。
 もしも、再発して仕事を辞めようかしらと思っている方がいらっしゃるなら、どうか踏みとどまって欲しい。なぜなら治療は長丁場になり、治療費もかかるから。こうして6年半近く、再発治療を続けながら仕事にしがみついている私は、職場の理解、制度、家族の支えによって今がある。このことについて感謝したい。
 自立する、というのは決して治療費を自分で払って経済的に自立するということだけではく、治療について、自分で考えて決める、自分で動ける、これを含めての自立である、という会長さんの閉めのお言葉に心から賛同した。
 そして、これからも決して諦めず、新薬の恩恵に被ることが出来るように“細く長くしぶとく”をモットーに、自立した賢い患者でありたいと思う、と最後のメッセージを言わせて頂いた。
 気付けば終了予定時間となり、ご挨拶して無事閉会。

 その後、いつものプチ虹のサロンのメンバーとお茶をして今月の月例会に。夫も特別参加させて頂き、お開きの後は最寄駅までSさん、Kさんと一緒にブラブラ歩き。帰りは夫とターミナル駅で買い物し、夕食を摂り、先ほど遅い帰宅となった。
 なんとかお役目が果たせただろうか。

 会長さんをはじめ事務局の方々、ご一緒したパネリストのNさん、Hさん、清水先生、大変お世話になりました。
 かつて取材を受けたことのあるライターのSさんにも、4年ぶりで再会することが出来ました。記事のコピーをくださったUさん、お名刺を頂いたMさん、本をくださったKさん、遠路はるばるお運び頂いた方々、そして、何より、私達の話に熱心に耳を傾けて下さった皆様、本当にどうもありがとうございました。


 
 
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