ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.2.28 如月晦日に思うこと

2019-02-28 20:50:28 | 日記

 このところ体調がすこぶる悪い。どうにも気持が萎える。
 こういう精神状態で記事を書くとネガティヴモードになってしまうのは想像に難くないので、ちょっとサボっていたけれど、あくまでも記録のため、ということで一応残しておく。

 主な症状は胸痛、咳、息切れである。
 ロキソニン朝昼晩3度3度、足りなくてコデインも飲んでいる。元気だったら行こうと予約していたヨガクラスも軒並みキャンセル。
 咳は一度出るとなかなか止まらない。涙目で咳き込むことが一日に何度となく。腹筋も痛いし、とても消耗する。酷い咳でますます胸骨に響いて痛む。咳で肋骨が折れることがある、という話も漏れ聞き、内心ヒヤヒヤしている。さすがにずーっと咳をしているので、職場でも皆、気の毒そうな視線。風邪ではないからうつりませんから・・・とお詫びをしつつ小さくなっている。申し訳ないことだけれど、止めようと思うとますます出る。いささかげんなりする。

 この辺りはアップダウンが多い土地なので、上り坂を歩くと直ぐに息が切れる。歩きながら喋れない。間違いなく息が続かないし、咳が始まる。仕事でやむなく階段で4階まで登った時には、休み休みだったのに、途中で本当に気が遠くなった。下り階段はノープロブレムなのだけれど。

 息子が帰ってきているのにろくな食事も作れない。食欲はあるので出されたものは頂けるけれど、台所に立って長いこと調理をする元気がない。
 息子には実家にご機嫌伺いに行ってもらったり、お友達と夕飯をしてきてもらったり、手抜きのレトルトを使ったり、で凌いでいる。

 遠距離通勤をする夫の負担が間違いなく増えているのが申し訳ない。
 それでも食事は摂らないわけにはいかないし、洗濯物は2人の生活の倍のペースで溜まる。生協のお届け物も量が多いから、運び込んで収納するだけで息切れ。休み、休みであるから時間がかかる。洗濯を取り込むのもそう。畳む前にすぐ横になりたくなる。

 入試の動員もあったのだけれど、想定外の屋外業務の割当てで、正直参った。なんとか頑張りたいと思ったけれど、声をかけたら咳をゴホゴホ、息も絶え絶え、の職員では受験生に申し訳ないということで、勘弁して頂いた。

 そんなこんなのトホホな状況である。
 日曜日で薬も飲み切り、今週は痛み止めしか飲んでいない。いわば無治療状態である。
 ああ、先の日程まで考えずに、昨日から新しい治療を開始していた方がよかったのか、と思うけれど今更そうもいかず。
 とにかく来週水曜日に治療を開始して、少しでも今の状況が改善されればいい、と願うばかりである。副作用だなんだと言っていられない。
 引越しと卒業、就職と、息子の門出が一段落するまではなんとか乗り切らなくては、と気持ちを奮い立たせているけれど、こうも調子が悪いと、ついつい弱気になる。

 4月以降も予定を入れてしまっているけれど、今の状況でちゃんとこなせるかどうか、全く持って自信がない。
 ヨーガの智慧のとおり、どうなるかわからない未来のことを考えても仕方ない。実際に治療を始めれば、この状況が改善されて元気になっているかもしれない。一方で、副作用が酷く出れば、これまでのように動き回れなくなることも目に見えている。

 下痢が酷ければ長い時間電車に乗っての移動も厳しくなる。吐き気は制吐剤でほぼ大丈夫だ、とそれほど心配はしていないけれど、骨髄抑制の発熱はロキソニンだけで抑えきれるかどうか。
 だからこそ動けるうちに、今出来ることは今、と衝かれたように先週から今週にかけて頑張りすぎてしまったかもしれない。
 相変わらず単純なのである。

 今日は朝から冷たい雨が降った。一雨ごとに春が近づいているのを実感する。
 明日から弥生3月、治療も変わる。仕事は否応なしに繁忙期。先回りして処理はしているものの、少しでも体調が上向きになりますように。

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2019.2.23-24 通院用に買い求めた筈だったけれど・・・

2019-02-24 20:37:26 | 読書

 2月最後の週末だ。来月からは、これまで3週間に1度だった通院が2週連続3週目休み、と倍になることが確実になった。このところすっかりペースが落ちていた読書の時間も倍になる!ということで新刊の新書を数冊買い求めた。
 それが手に取ってみたら止まらなくなって、結局この2日で2冊を読んでしまった。

 1冊目は坂井律子さんの「<いのち>とがん 患者となって考えたこと」(岩波新書)。
 この朱色に黒のひらがなだけの表題がいきなり目に飛び込んできて、迷わず手に取った。既に著者が他界されているとも知らず。

 この本を読み始める前に、たまたま本書を紹介した朝日新聞の記事「がんとともに がんのTVディレクターが知った『死の受容の嘘っぽさ』」を読んで息を呑んだ。
1960年生まれで、私より1つ年長でおられるけれど、就職は1985年だから働き始めたのは男女雇用機会均等法施行前の同期社会人だ。我が息子より少し年長の一人息子さんがおられる家族構成も同じ。
 私は患者歴が既に15年近くになっているので、仕事に至っては細々と・・・のフルタイマーだけれど、この方は2016年4月に山口県への単身赴任を終えて東京に帰任後、ほどなくして進行した膵臓がんが発覚する。NHKのディレクター、文字通りバリバリのキャリアウーマンである。福祉や医療の番組を制作され、ライフワークは出生前診断をどう考えるかだったという。

 この本は、手術ときつい抗がん剤治療を乗り越えた挙句、再々発の告知を受けた昨年2月から亡くなる11月にかけて書かれた書である。あとがきは病室で口述したものを息子さんが筆記したそうだ。保育園の帰路に息子さんが好きだと言った「ホソイオツキサマ」のエピソードから、三日月の写真を撮影されたのも息子さんだという。
 2年半余りの、ご本人も書いている通りのジェットコースターのような闘病生活、復職はついに叶わなかった。けれど、TVの伝え手としてより正確に真実を記そうとしつつ、死を見つめる一人のがん患者としての揺れる思いに徹頭徹尾ノックアウトされた。

 副作用の味覚異常で、食べられたものリストでは酸辣湯や冷やし中華、ジャンクな味の濃い焼きそば等、あまりに似ていたので、勝手に、そうそう、と親近感を持ったり。都内とはいえ、自宅からは遠いのでまだ訪れたことがないが、一度行ってみたいと思っているマギーズセンターの様子を興味深く読んだり。
 5歳年下の友人カメラマンに乳がんが再発し、昨年6月に見送ったエピソードにも胸を揺さぶられた。遺影はスキンヘッドだったが、棺の中の彼女には2ミリ程度の黒々とした髪の毛が生え始めていたという。生きたかったんだろうと思う・・・、というくだりに目の前が見えなくなった。
 胸腺腫で亡くなられたお父様が最後まで治療法を模索しておられたことも。

 死の受容なんて嘘っぱち、きれいごと。本当にそうなのかもしれない。心穏やかに、潔くなどとわかったようなことを言っている私だけれど、死を受け入れてから死ぬのではなくて、ただ死ぬまで生きればいいんだと思うーという彼女の魂の叫びにも似た文章に、やられた。

 2冊目は片田珠美さんの「一億総他責社会」(イースト新書)。
 なぜ他人の幸福や、活躍が我慢できず、「自分だけがつらい」と訴えるのか。気鋭の精神科医が迫るという帯につられて、手に取った。

 現代社会の行き詰まり感、閉塞感に苛まれている人は多い。
「互いに被害者意識を抱き、刺し合う現代社会。ベテランと若手、正社員と非正規、家庭持ちと独身、男と女、夫と妻・・・。立場の異なるものが互いに『自分だけが損している』と訴え、相手の悪口を言う。ときには「自分は“被害者”なのだから、“加害者”である相手に鉄槌を下す権利があるはず」と信じて攻撃する。誰もが被害者意識を抱いて不満と怒りを募らせ「自分だけがつらい」と訴える現代社会の構造を分析する。実際に診察したケースや時事問題などの具体例を挙げながら、より弱い者に怒りを向け帰る「置き換え」となんでも他人のせいにする他責的傾向をキーワードに鋭く切り込む」~という惹句にあるとおりで、のっけから巻き込まれるように読み進めた。

 程度の差こそあれ、不平等を嘆き、妬み、羨むのは哀しいかな、人の性(さが)なのかもしれない。けれど、羨望の対象の失墜に熱狂する世間、弱った人をここぞとばかりバッシングする悪意に満ちた匿名のネット世界等のエピソード等、背筋が冷たくなる感じ。
 矛先がずれた無関係の相手に怒りをぶつけられてはたまらないし、怒りをため込んで病気になってもたまらない。

 過度に要求されるコミュニケーション能力、空気を読めという無言の圧力の結果として、鬱憤をぶつけられるサービス業の方たちは本当に気の毒だ。悪質なクレーマー、モンスター○○級の人たちの増加も恐ろしい。
 最終章では、こうした現代社会~平成から次の御代への過渡期~を生き抜く処方箋が記されている。
 身も蓋ないと言われても、魔法のような解決策はないというのは正直なところだろう。そして格差が拡大する中で、公平さを望みすぎるな、他人と比べるな、とあるが、つまるところそうなのだろうと思う。

 他人(ひと)と比べることはどんどん自分を辛くする。努力したら報われるならそれがベストだけれど、実際は必ずしもそういうわけでもない。それでもたゆまず腐らずコツコツと続ければ必ず見ていてくれる人はいる-これは間違いない事実だと思う。やっても無駄だから、と放置したって何も始まらない。事故だって病気だって、畢竟、運・不運の問題だ。自分の置かれた場所で自分が出来ることを精一杯やるしかない。
 自分自身の不遇を他の誰かのせいにして幸せになった人はいない・・・そのことを忘れてはならないという一行に凝縮されている1冊だった。
 
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2019.2.21 読みました! 大津秀一先生の「1分でも長生きする健康術」

2019-02-21 21:52:55 | 読書

 「2000人の終末期患者を診療した医師が教える 1分でも長生きする健康術」を読んだ。隠れファンを自認している緩和医療医・大津秀一先生の新刊だ。
 ベストセラー「死ぬときに後悔すること25」をはじめ、先生の著書や新聞連載等はこれまでずっと拝読してきた。今も先生のブログを愛読し、メルマガも登録させて頂いている。

 先生は早期緩和ケア(診断時やがん治療中からの緩和ケア及びがんに限らない緩和ケア)の普及・実践のため、昨年8月に遠隔診療を導入した日本初の早期緩和ケア外来専業のクリニックを開院された。機会を作ってぜひ一度伺ってみたいとも思っている(ミーハー・・・)。
 さて、先生のブログやメルマガでこの度新刊が出ると知り、早速ポチッとネットで購入。届いたのが昨夜のこと。今日は都心出張で読書タイムがたっぷりあったので、いそいそと持参し、往復でさらっと読み終えた。

 何よりとても平易で読みやすく、難しい言葉はない。ごくすんなり頭に入ってくる。帯には「科学的に証明された食事×運動法でお金をかけずに健康寿命を延ばす! 今日から!カンタンに!誰でもできる!」正しい情報に基づいた心掛けで“人生100年時代”はもっと長~く楽しめる」とある。

 まあ、ステージⅣ歴患者を10年以上やっている私が人生100年は欲張り以外の何物でもないけれど、それでも学ぶところは沢山だ。先生の仰る長生きの鍵は3つ。「情報」・「食事」・「運動」だ。
 なるほど、今は情報戦の時代。PCをちょっとクリックすれば、それこそ玉石混交の情報がどーんと押し寄せてくる。何が正しくて何が誤っているのか。それを見分けるリテラシー、取捨選択する力がないと本当に痛い目に遭う。限られた時間、後悔先に立たず、である。がん患者の弱みに付け込む詐欺まがいの治療情報を流す輩がいるのも悲しいかな、事実。だからこそ科学的根拠に基づいた信頼できる情報をセレクトしないといけない。
 あまりに安易な話、シングルイシュー化されたファストな言説~いわゆる手軽で便利なもの~こそ私たちをダメにしている、と先生は書かれている。

 2人に一人ががんになる時代。基本、がんにはなると思っておいたほうがよい、というのも実に明瞭な論法だ。つまり、あなたと私がいたら、どちらかがかかるのですよ、ということ。そして、がんになってからでも健康の基本は食事と運動である。バランスの良い食事をし、適度な運動をする。これはがん患者に限らず誰にでも通じること。○○を食べるだけでよい!なんて偏ったことがある筈はない。
また、“ヨガでもラジオ体操でも「続けられる運動」を”とある。ハイ、やっています!と思わずにんまりする。
 何事もやり過ぎは良くない。ほどほどに、バランスよく。笑顔で美味しく感謝しながら食事をして、適度に体を動かしてきちんと疲れて心地よく眠る。そんなの当たり前だ、と言うなかれ。それこそなかなか万人が出来ることではないのだから。

 「抗がん剤治療のキモは、将来やってくる痛みや不調を出来るだけ先延ばしにするために今、ある程度の不調を受け入れることであり、それが理解できていないと辛い。今がんによる自覚症状が出ていない人は、辛い副作用を受け入れ難いのではないか。その点、私は現にある痛みや不調が治療によって軽減された体験を持っているから、ある程度辛い治療も受け入れることが出来、ある意味幸せなのだと思う。」とこのブログでも書いた記憶がある。まさしくがん医療が不信を生じやすいのはそういうことだ、と先生も書いておられる。

 ともあれ書き出すともうきりがないけれど、とにかく読み終わってとてもすっきり。今の感じで進んでいけばいいのだな、という確信が持てて再び治療に前向きになれそうだ。

 今日は、先日撮影した遺影の写真を受け取ってきた。前回EC治療の脱毛前に撮った遺影から既に6年以上が経過し、あの写真を使ってはもはや詐欺でしょう!と思って再び撮影し直したのだ。この後「あら、また6年経ってしまったわ~、撮り直さないと」と笑って言えるかどうかは神のみぞ知る。
 人は生まれてきたからには必ず死んでいかなければならない。がんであれ、別の病気であれ、老衰であれ。だからこそ、最期まで笑って今ここにある幸せを感じながら過ごせたらこんなに素敵なことはない。 

 1分でも健康で長生き!この本をまた指南書としてこれからの日々を送ってきたいと思う。お薦めです。
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2019.2.20 採血後腫瘍内科診察 本日ハーセプチン中止、再来週より治療変更

2019-02-20 22:50:03 | 治療日記

 昨日は仕事を終え、帰宅。夕食の支度をして夫の帰りを待ち、夕食を済ませてから病院最寄り駅に近いホテルに向かった。夫は一昨日の夕食を摂っている時に、何かの拍子で前の差し歯が抜けてしまい、夕食を中断。昨日朝一番で歯科クリニックに飛び込んで仮歯を入れてもらったものの、朝も昼も殆ど水分のみしか摂れず、ハラペコで憔悴していた。そんなわけで、いつもなら駅まで送ってくれるのだけれど、その元気もなかった模様。

 雨は霧雨が弱く降っている程度。明日は天気が回復する予報なので折りたたみ傘にした。行きの車内で白石一文さんの「記憶の渚にて」(角川文庫)を読み始めた。3部構成でかなりの長文だが、面白い。あっという間に引き込まれた。ホテルにチェックインした後も閉じられず、早く寝ようと思っていたのに、第1部を読み終えて、ゆっくり入浴し、結局日付が変わる頃に眠りについた。

 明け方一度お手洗いで目覚めたが、また少しトロトロした。モーニングコールが鳴る前に目が覚め、夫にモーニングLINE。身支度を整えてレストランへ。いつもどおり新聞片手に焼きたてデニッシュや野菜スープの朝食を済ませ、朝の連続テレビ小説を視てからチェックアウト。今日は18度まで上がるという。4月上旬の気温だそうだ。

 外はなんとなく靄っているが、湿度が結構高い。今月2回目の通院である。
 到着後はIDカードを通して受付を終え、採血へ。待合い椅子はほぼ一杯だ。10人ほどの待ち人数で待ち時間は7分と出ている。コートやストール等一式をエコバッグに詰め態勢を整えると、ほどなくして採血室に入れた。今日は何度かお世話になっている看護師Kさん。フル検査なので5本だが、最初の針刺しは殆ど痛まず、途中管を替える時と抜くときはちょっとチリチリした。止血したまま向かいの腫瘍内科へ移動する。
 今日も待合椅子はそこそこ混んでいる。席を確保して受付を済ませ、飲み物を調達してから読書の続き。採血結果が出るまでに1時間は優に待つ筈だ。予想通り1時間たっぷり待ったところで、「中待合へどうぞ」の電子掲示板に番号が出た。今日も読書に夢中になっており、慌てて血圧測定。104-69、脈拍は85。
 中待合で40分ほど待ち、先生から呼んで頂いた。やはり病院到着から2時間はかかっている。本が面白くてちょっと閉じるのが辛い。

 「また、3週間が経ちました。どうでしたか?」と訊かれ、「やはり胸痛は続いています。今回はロキソニンを昼夜足したことはありましたが、なんとかコデインは飲まずに済みました。ただ咳が酷く、一度出るとなかなか止まりません。」と応ずる。先生が「痰は絡みますか。」と訊かれるので、「いえ空咳です。」と。
 PCには9月撮影と今回撮影のCT画像が並んでいる。11月からホルモン治療に変えているので、正確に言えばホルモン剤アリミデックスのみの効果測定というわけではない。輪切りの自分の身体を見るのも大分慣れたが、やはり一目で影が大きくなっているのがわかる。そして「やはりマーカーが上がっています。」と。

 ああ、再発が分かってこの病院に転院した11年前の最高値に迫る勢いである。まあ自覚症状もあるし、予想通りだ。先生はなるべくなだらかなカーブに見えるようにグラフの目盛りを調整してくださっている(自宅で作っている表はもうグングンアップの様相を呈している。)。
 そして、CT画像をスクロールしながら一緒に見る。ああ、どこもかしこも肺の影が大きくなっている。先生がおっしゃるには、咳が出そうな位置ではなさそう、とのことだが、影が全て腫瘍の塊なのか、それとも無気肺の状況のものもあるのかまでは分からないらしい。「(骨の)痛む位置は?」と訊かれ、「喉の下からバストの間あたりです。」と答えると、上方ですね、と骨の影を見ていく。まあそれほどクッキリと差があるわけではなさそうに見えるのだが、放射線の読影ドクターによれば、骨の皮質のフチがはっきりしなくなってきている(つまり骨転移が進行している)のだそうだ。いずれにせよ、もう治療変更だ。痛みも咳もしんどいし、これはもう観念するしかない。

 「さて、治療をそろそろ変えた方がいいのですが、何をするか、です。」と先生が口火を切られる。「前回イブランスのパンフレットを頂いたのですが・・・」と言うと、「うーん、ホルモン剤はとっておいて、抗がん剤を先にした方が良いのでは、と思います。1度ガツンとやって押さえておきたい。イブランスは今のところホルモン陽性、HER2陰性の患者さん用なので、これを使うとなると、これまでHER2陽性乳がんと書いてきたものを通常の乳がんに戻さないといけない。まあこれは技術的な問題ですが。実際、HER2陽性の患者さんへの効果検証もスタートされているので、じきに使えるようになると思います。」とのこと。うーん、ちょっとぬか喜びしてしまった。

 「では、何を使うか、ですが、ハーセプチンにパージェタ(唯一まだ使っていないHER2陽性の分子標的薬)、プラスアルファで組む抗がん剤はドセタキセル(タキソテール)なのですが・・・嫌ですよね?」「はい、ちょっともう(タキソテールでは)死にかけたので・・・」「いや、本当にそうだったので、避けましょう。では100歩譲ってパクリタキセル(タキソール)とすると、治療が毎週になってしまう。痺れもきつい。3投1休としてもハーセプチンとパージェタが3週に1度なので、休めない。では、あとはハーセプチンやパージェタと相性がいい抗がん剤は、というとハラヴェン、ナベルビン、ジェムザールとありますが、できれば今まで使っていないものが良い。となると、ハラヴェンになりますね。今の選択肢としてはこれが一番良いように思います。」とのこと。

 それでもしつこく「ハーセプチンとパージェタだけではだめですか。」と言ったところ、「ガツンと最初に叩いて、副作用を見ながら安定したら抗がん剤を外すということも出来ますから」とかわされた。いずれにせよ、タキサンの2剤はキーになる良い薬なので、いずれはまた使用することも考えておられる様子。
 ということで、ハラヴェンとパージェタのパンフレットを頂く。ハラヴェンは好中球が下がり(発熱する)、脱毛もありそう。パージェタはかつての患者仲間から下痢が大変だったと聞いている。

 「ハラヴェンで白血球が下がって2週目が出来ないときには1週おき等になりますか」と問うと、「いや、そうすると3週に1度のペースが乱れるので、次からは減量して2クール目でいいと思います。」とのこと。仕事を続けるうえで、毎週の通院は避けたい。さらには、採血結果によりその都度スケジュールがグチャグチャになって病欠を取る日が確定できないのは避けたい、という思いが通じている。
 「今から口に出すと本当にそうなっちゃいますよ~」と言われ、下を向く。確かに言霊、要注意である。けれど、先生自身「いつものように副作用を全部引き受けてしまわないか、それが一番心配です。」と仰る。

 「で、いつから始めましょうか」になるが、さすがに今日からというわけにはいかない。高額な薬なので、予定外の準備はしていないそうだ。「来週からならOK」と言われるが、来週、再来週と投与して白血球が下がり切ったヘロヘロの週末に関西で息子の引っ越しを手伝うのは、避けたい。
 そのことも先生に伝えると、では今回まで同じ治療をして3週間後にスタートにしましょうか、と。手帳を見ると、今度は仕事の都合で休むのが難しい日に治療日が重なってしまう。ああ、年度末!なのである。

 うーん、どうしたものか。ふと、再来週からスタートすれば、まだ白血球が下がり切る前に引っ越しが終えられるのでは、と言ってみる。なるほど、先生も「あ、その方がいいですね、ではそうしましょう。」となった。
 ということで、2週間後からハーセプチン、パージェタ、ハラヴェンの3剤併用レジメンスタートである。今日のハーセプチンは3週に1度のサイクルを崩すため、中止。残っている4日分のアリミデックスを飲み切って、今回の治療終了である。

 「ロキソニン等痛み止めはまだ大丈夫ですか?」と訊かれる。「胃薬タケプロンは今朝で飲み切っています。」と言うと、「ロキソニンを頻繁に飲むなら出しましょうか?」と言ってくださるが、今のところ胃は丈夫そうなので、次回で大丈夫です、とお答えする。というわけで今日は薬局による必要もなくなった。

 心エコーも2週間後に予約を入れて頂けた。治療開始に先立ってマーカー以外の採血の後、治療開始だ。帰りにまた身長・体重を測って帰るように、と言われる。
 先生にご挨拶して席を立つときに期せずしてため息が出てしまい、「あ、申し訳ありません・・・」と言うと、「いや、お気持ちよくわかりますから」と言って頂く。本当に色々お気遣い頂いて、かたじけないことである。
 というわけで、あれこれお話しをして頂いたので、今日は30分近く診察室にいたことになる。中待合いで待っておられる患者さんたちは長いなあと思ったことだろう。申し訳ない。

 中待合でエコーの予約表を頂くのと測定のために呼ばれるのを待つ。10分ほどしてクラークの方が見えて、別受付の方へ。風袋ごとで48.7Kg、身長は165.7㎝だった。
 荷物をまとめて会計に行く支度をしていると、化学療法室のKrさんが、「ああ、間に合った!」と追いかけてくださった。途中まで診察室で私と先生のやり取りを聴いていらしたのだ。「どうなりました?」と言われ、かくかくしかじか、とお話しする。「そうですか、このタイミングで(大変でしたね)・・・。でもパージェタとハラヴェン、1週目からすぐに高熱が出たり、ということはないと思いますよ。」と言ってくださる。

 「所要時間はどのくらいですか。」と訊くと「3剤投与の日は2時間半くらいで3時間はかからない」とのこと。ハラヴェンだけならステロイドプラスしても30分程度らしい。これからはまた読書の時間が確保できるということだ。かつらの準備についても相談すると、ECの時のように一気にではなくて・・・ということらしい。2回脱毛して、3回目は(おそらく一生になりそうだから)避けたい、と強く思っていたけれど、2012年の秋の2度目の脱毛から地毛に戻って5年近く、良く粘ったと思う。そして今の自覚症状-痛みや咳の辛さ-を思うと、それが軽減するなら脱毛しても身体は辛くないから、と思い始めている自分がいる。ちょっとびっくり。まだ生きていたいんだなあ。

 総合受付で会計。混雑している。40分ほど待ってようやく番号が出て支払機にIDカードを通し、採血の3割負担で5,000円弱カードで支払う。病院滞在時間は3時間半ほど。

 まだお昼前だ。なるほどもわ~っと暖かい。ストールは手提げに入れたが、コートは荷物になるので着込んだらあっという間に汗ばんだ。それほど空腹を感じていなかったので、そのままJRに乗って途中駅で下車してからお気に入りの紅茶専門店でランチ。これからまたきつい治療だ、まずは体力からガッツリ食べなくては!とデザートまでたっぷり頂き、本の続きを読んだ。

 夫が宴会で夕食は不要というので、乗換駅のスーパーでお弁当を買うことはせずに、最寄駅に到着。今日は結果的に採血と診察だけだったし、荷物も増えていないので、タクシーに頼らず徒歩で帰宅。
 生協から配達された食品を運び入れ、一通り収納を済ませる。来週から息子が帰ってくるのに対応して注文しており、いつもより品数が多い。

 今月2回目のお花も届いていた。ムギが3本、レースフラワーが2本、八重やちょっと変わった花びらの形のチューリップが濃淡のピンク、黄色、赤と4本とドラセナの葉。花言葉はそれぞれ「富」、「可憐な心」、「恋の宣言」。本当に春が来た感じ。ため息交じりだった気持ちがちょっぴり華やいだ。来月からは第2、第4の月曜日のお届けになるそうだ。忘れないようにしなくては。
 一人適当に冷凍食品の夕飯を済ませた。
 明日はまた都心横断の出張だ。今日も早めに休むことにしよう。
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2019.2.16-17 ごくごく平穏な2日間

2019-02-17 20:25:24 | 日記

 土曜日。朝の連続テレビ小説を視てから、二度寝。週に1度、目覚ましが鳴った後にまた眠りにつける贅沢を満喫。痺れを切らした夫から「先に朝ご飯食べるよ~」と声がかかってしぶしぶ起き出す。
 午後にヨガのクラスを予約している以外は何の予定もない平穏な土曜日。胸痛からは解放されないし、何かの拍子で咳が出るとなかなか止まらないので、不要不急の用事のためにお出かけすることもない。家でダラダラするに限る。

 撮り溜めたドラマをリビングで見て、ランチは夫が久しぶりに作ってくれたパスタを頂く。その後リラックスヨガのクラスへ。まったりのんびり深呼吸をして身体を伸ばし、レッスン後10分ヨガの鵞足ほぐしのワークにも出席。レッスンが終わると、皆が一斉にシャワーを目指して争奪戦になるため、このミニレッスンはその緩和策としてもなかなかの優れものだと思う。
 汗をかいてシャワーを待っている間に身体が冷えてしまうより、こうして時間差があれば、無駄な待ち時間もないというものだ。ということで、待ち時間なくシャワーを済ませそのまま帰宅。

 帰宅後は洗濯だけ済ませて夕飯も夫が準備してくれた。有難いことである。ゼローダの手足症候群もすっかり軽快したので、洗い物も出来るようになった。我が家のルールは(食事を)作った人は片付けない、なのだけれど、一時は“作ってもらって片付けない”という実にかたじけない時期があった。
 ということで地味な、でもだからこそ貴重な土曜日が終了。一方、息子はサーカスを観てきたそうで、楽しかったらしい。若いっていいな、である。

 日曜日。今日も穏やかな日。昨日ほどの寝坊は出来ず、月に一度のWさんサロンへマッサージの日である。今日は夫がなかなか起きてこなかったので、先に朝食の支度と夕飯の下ごしらえを済ませる。
 予約時間どおりにWさんサロンへ到着し、先月からの体調やら何やらをひとしきり話して、あとはウトウトの幸せな時間。足先が冷えていたけれど、アロマトリートメントで浮腫みもすっかりなくなって足の甲の血管がスッキリ見えるようになった。バレンタインで自分のために買いました、という珍しいチョコレートとハーブティを頂き、次回予約を済ませてサロンを後にした。

 駅ナカで軽食を済ませ、骨盤均整ヨガのクラスへ。今日もレッスン後は仙腸関節を解す骨盤分割の10分ヨガに参加して、腰回りがスッキリ。シャワーも混雑なく、ストレスフリーでスタジオを後にした。
 2日間一歩も外に出ていなかったひきこもりの夫が、外の空気を吸うために迎えにきてくれるというので、最寄り駅のスーパーで合流。食料品を買い足して、お茶をご馳走になった。日が長くなり、春が近くなってきたな、という実感。
 帰宅後は洗濯を済ませ、また後回しになってしまった拭き掃除を済ませる。
 土日は任せて、がすっかり定着し、夫が用意してくれた夕食を有難く頂く。

 こうしてあっという間にお休み終了。早くも2月は余すところ10日ほどになった。来週は通院があり、出張があり、だ。1月は行き、2月は逃げて、という言葉どおりになりそうである。
 何のことない平穏な土日は来週限りで、月末には息子も帰省する予定。その後は引っ越しやら何やらで、3月も去っていくのが早くも視野に入ってきた。
 大したネタもなく、読み手の方からすれば面白くもなんともないだろう日々を、あくまで自分の記録として記事にアップしている。けれど、ネタが満載ということは、つまりは良きにつけ悪しきにつけ波乱万丈ということに違いない。だからこそ、ごくごく地味で平穏な日々を綴れることは、私にとっては感謝に値することなのである。 
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