ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2022.6.30 水無月晦日の過ごし方

2022-06-30 22:46:40 | 日記

 木曜日。夫は休務日。依然として35度以上の猛暑日が続くという。天気予報の日本列島は真っ赤である。
 昨夜は冷房を2時間ほど入れて何とか眠る。今朝、いつも通りの目覚ましが鳴り、ちょっとベッドでグズグズするも、暑くて寝ていられなくなってリビングへ移動。BSで朝ドラを視てから、朝食の支度を終えて、夫を起こす。

 まずは昨日出来なかった洗濯。洗濯機を1回廻し、ベランダに干す。朝から強い日差しにクラクラする。あっという間に乾きそうである。
 留守中に取り置いてもらっていた新聞も、目を通さずにそのままになっていたので、ざっと読む。生協の注文書を記入しているうちに、一昨日ホテルから宅配便に出したキャリーケースが届く。早く到着してくれて有難い。早速開けて仕分けし、汚れ物を洗濯機に入れる。
 ベランダは洗濯物で一杯だ。朝1回目の洗濯物は早くもほぼ乾いている。熱風に晒されて、自然の乾燥機にでも入れられているかのようだ。

 その後、夫はクリーニング屋さんに出かける。昨日まで明日はクリニックに行く日だと言っていたのに、夜になって「あ、忘れた!」とのこと。喉元過ぎれば熱さを忘れる、という典型的なパターンの歯科医予約である。

 昼は冷凍庫を少し整理するために2人でレンチンランチにして簡単に済ませる。
 洗濯物を取り入れて畳む。それにしても暑い。朦朧としてくる。

 今日は某大学医学部のがん患者に対する研究への協力で、午後の1時間ほどZoomインタビューがあった。私は書斎へ移動して対応。夫はリビングを涼しくしてお昼寝である。
 たっぷり1時間のやり取りを無事に終え、買い物に出かける。

 先日お世話になった北海道の叔母に似合いそうなトップスを見つけたので、夫にも見てもらって買い求め、プレゼント包装にしてもらう。明日、写真等と一緒に夫とともに一筆書いて、宅配便で送ろうと思う。
 ちょっと外に出て歩くと、コンクリートの照り返しの熱風に煽られ、すぐに干上がる感じ。涼を求めて駅前のカフェでお茶休憩。ドラッグストアで買い物をしてから帰宅した。5,000歩弱。昨日は10,000歩弱、一昨日は15,000歩を歩いたと思えば、今日はかなり大人しい。

 帰宅後は母にDuo通話で安否確認だ。今日はデイサービスの日だったが、スタッフの方たちから「水分をたっぷり摂ってくださいね」と言われながら、スタッフの人出が少なかったのか、お茶を淹れてくれる人がいなかったそうだ。どこも人手不足で大変である。
 手首の青あざは大分黄色っぽく変色してきているという。頭のこぶは押せば痛いけれど、大丈夫とのこと。何でもないことを祈ろう。コロナワクチン4回目接種の予約も自分でコールセンターに電話して、来週早々かかりつけ医でお願い出来ることになったという。

 のろのろと夕食の支度。火を使うと暑さで倒れそうになる。ミールキットを駆使して1汁2菜を用意して食卓に並べる。はあ。
 夫が休務日のときは、何となく一緒にだらっとしてしまって、片付け等マイペースで出来ないのがちょっとストレスだ。特に今日はヨガスタジオも休館日だったから出かける先もなかった。
 来年からはおそらく毎日がこうなるわけだから、家に籠らず、自分の時間をうまく作っていかなければ。

 ということで、普段の年なら「早く梅雨が明けないかしら」、「あと3週間は無理かな」なんて会話をしている筈の6月最終日、既に梅雨明けから4日が過ぎ、明日からは文月7月が始まる。
 いよいよ2022年も後半に突入である。
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2022.6.29 今日も猛暑日、母の通院付き添いの後は

2022-06-29 22:56:22 | 日記
 今日は、左腎がん経過観察の結果を聞くために病院に行く母に付き添うことになっている。
 昨夜の体調では、もしかしたら母との約束を反故にせざるを得ないかもしれないと思うほどだったが、無理してブログをアップすることを諦め、早く寝たのが功を奏したのか、下痢も止まり、明け方1度目覚めたもののまた寝直すことが出来た。
 夫は可哀想にお疲れの中、出勤だ。いつも通りのアラームでリビングへ。

 4月に年金繰り上げ関係の書類を担当部署に送っていたが、ナシのつぶてでどうしたものやら、と思っていたところ、言われた通りに書いた書類で1か所署名とマル印が抜けていたということで、そこを補足して返送すべし、という郵便が届いていた。
 急いで書類を整え、朝一番都心のポストに入れてもらうよう夫に依頼する。
 朝食を済ませ、身支度をして予定通りの時間に家を出る。朝から暑い。今日も体温並みの高温注意報だ。少しでも涼しいと思われる格好をするが、何しろまだ夏物をすっかり出しているわけでもない。

 私鉄とJR、バスを乗り継ぎ、予約時間といっても2時間ほど待つのが常だから、その時間の1時間後でよいと母に言われた通りの時間に3分ほど遅れて病院に到着する。
 一緒に話を聞くから、もし早めに呼んでもらえても「娘が来るので」と、順番を後にしてもらうようにして待っていてねと何度も念を押していた。

 ところが、エスカレーターに乗って泌尿器科のある2階に到着すると、母の姿が見える。「今、終わって出てきた所」とシレッと宣う。「は?・・・」あれほど「私が来るまで待って、一緒に入るから」と言っていたのに、と憤慨する私。
 このところずっと先生にご無沙汰していたし、ようやく退職したので、休暇を取らずに付き添えるというのに、最初からこれで、カチンとくる。

 経過は安定しているとのことで、今日の尿検査も特に問題はなし。9月で術後3年になるので採血、採尿を行い、その後CTを予定している、とのこと。

 つまり3か月後も既に予約が入ってしまっている。私の治療日と重なったり、体調不良と重なったりすると、付き添えない。だから一緒に入りたかったのだけれど、後の祭り。予約表を確認すると幸いなんとか行けそうな日だったのでほっとする。
 母にはあれこれぶつぶつお小言を言い続けてしまう。会計は殆ど待たずにスムーズに終わった。

 病院の後は、近くにあるヘルパーセンターにも挨拶に行くことになっていた。予め担当のケアマネさんであるSさんがいらっしゃるか母が電話で確認をすると言っていたけれど、朝早かったので、しなかったとのこと。訪ねてみると、明日迄休暇ということで、持って行ったお菓子は別の男性にお預けした。
 コロナ禍でもあり、ケアマネさんが直接自宅まで訪問してくれることもなくなり、電話だけのやり取りになっていたようなので、一度ご挨拶をしておかなくては、と出向いたのだけれど、叶わなかった。

 それにしても暑い。日傘をさしていてもクラクラしてくる。そして母が歩くのがやけに遅いので、何度も振り返りつつ、立ち止まって待っている時間がやけに長く感じる。
 今日は病院帰りのご褒美にホテルのアフタヌーンティ―を予約していた。ところがまだ時間がとんでもなく早い。調整のために処方薬をもらいに薬局に寄ることに。
 それほど混んでおらず、すぐに受付してもらえたけれど、母がお薬手帳が見当たらないという。その場でバッグの中身を全部出して探し回ったけれど、出てこない。もしかするとヘルパーセンターに渡したお菓子袋に入れたかもしれないと言い出す始末。後日持参することにして諦める。
 前回から新しく加わった漢方薬が91日分、1日3回の処方なので(私も以前飲んでいた牛車腎気丸)かなりの量だ。「これが重いのよね」と母は言う。持っていたエコバッグに一式詰めて実家まで行くことに。

 実家に到着して父の仏前に挨拶の後、母が見てほしいという郵便物等を一通りチェックする。用事を終えたところで、まだ予約した時間まで大分ある。ホテルに連絡して前倒しで行って良いか確認し、OKが出たので、そこから30分ほどして家を出ることにした。

 ここでとんでもない事実が分かる。母の頭髪がかなり汗臭いのである。加齢臭もあり、これはデイサービスのスタッフさんや、ヘルパーさんたちに失礼では、とちゃんとシャンプーしているのかと訊いたところ、返ってきた答えが、「実は、黙っているつもりだったけれど、コケて頭を打ってしまった」と。
 「は?いつ?」北海道に出かけている間も毎晩欠かさずDuo通話でご機嫌伺いをしていたというのに。

 訊けば、日曜日の夜、暑さで3日間一歩も外に出なかったので足が萎えるから、涼しくなってきたところでこれから駅前ショッピングセンターまで一回り散歩してくる、と言った日のことだったと。
 玄関で靴を履こうと片足に靴ベラを入れてもう片足を、と思ったところで靴を履いていない方の足がずるっと滑り、玄関で尻餅をついてお尻と手首を打撲し、さらに下駄箱に後頭部をぶつけたという。

 母は、父が転んで頭を打った時のことや、私が迷走神経反射で夜中に倒れて前歯を折ったことを思い出して、びっくりしたが、気を失ったわけでもないし、すぐに氷で冷やしたとのこと。
 ちゃんと病院に行って診てもらったのか、と訊くと、翌朝、デイサービスで看護師さんに診てもらって、青あざとたんこぶになっているが、大丈夫と言われたので、行っていないと。ただ、洗髪するのはちょっと怖かったので、シャンプーをしていないから汗臭いのだと思うのことだった。

 アフタヌーンティーはキャンセルしてこれから病院に行こうか、と誘ったが、アフタヌーンティーは楽しみにしていたし、大丈夫だという。まあ、やり取りはしっかりしているので、様子を見て、バスに乗ってホテルに向かった。

 しこたま私からお小言をもらってしょんぼりしていたけれど、病院から自宅に帰ってくる時とは別人のように家からホテルまでの足どりはしっかりしていて、3段重ねのアフタヌーンティーセットを見るとすっかり元気になっていた。現金なものである。アフタヌーンティーは数量限定で、完売御礼の札がかかっていた。

 それにしても、朝病院に向かう時、駅前にある温度計は既に34度だったけれど、日中は37度あった。微熱である。6月とは思えないこの暑さで頭がぼーっとしてしまう。
 ホテルのラウンジは程よく冷房が効いており、快適な中、母はオードブルからケーキ迄すっかりたいらげていった。昨日酷い下痢をしたし、普段は冷たいものは頂かないのだけれど、あまりに暑くて、母も私も最初のワンドリンクは氷少な目のアイスレモンティーにした。その後はダージリンやレモンハーブのポットティーをたっぷり頂いてお腹はちゃぷちゃぷ。

 2時間たっぷり滞在して、母と別れ、再びJRと私鉄を乗り継いで最寄り駅まで戻ってきた。ちょうど時間に間に合ったので、ウエア等は借りることにしてF先生のビューティヨガのクラスに参加。
 30人ほどの参加者でクラスがスタート。暑いので無理しないで休んでいいですからね、ということだったけれど、湿度55パーセント、温度40度のスタジオ内と外はあまり変わらないような気がした。たっぷり汗をかいてシャヴァーサナでは1時間のクラス内容がしみこむ感じにスッキリした。

 帰宅すると生協のお届け物がどっさり。ドライアイスはまだ溶け切っていなかったので、急いで収納する。あれこれ片付けているうちに夫が帰宅する。
 今日の母とのことをあれこれ報告してからミールキットでグリーンカレーを作って頂く。

 ということで、6月とは思えない猛暑の日、母とのひと悶着あり、これからいつまで一人暮らしを続けられるものやら、と思わずにはいられない夜である。
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2022.6.28 旅の最終日、無事帰京した後は、暑気あたりでダウン

2022-06-29 22:40:17 | 

 札幌最後の夜、夫がHさんから情報を仕入れてきて、ホテルから近い、函館が本店のうにのお店に繰り出した。Hさんの奥様はわざわざ函館まで召し上がりに行くとのこと。
 時間はそれほど早くなかったのに、それでも3組ほど並んでいた。何とか入店することが叶い、夫は白ワイン、私は梅酒もどきのノンアルコールをソーダ割にして乾杯。

 蟹サラダや雲丹グラタン、じゃがバターの塩辛やらアラカルトで注文して、最後はお食事、雲丹丼である。ちょうど6月から解禁になった利尻・礼文のエゾバフンウニが頂けるとのこと。「塩水うにと無添加生うにの食べ比べも出来ますよ」とお店の方から勧められるがまま、雲丹ラブの私は贅沢だけれどそれをチョイス。夫は雲丹、イクラ、サーモンの三色丼を。舌の上に載せるとふんわりとろけて甘いことといったらない。ほっぺたが落ちるとはこのことだ。すっかり堪能して満足してお店を後にした。

 おりしもビル内で実施中の抽選が今日までのこと、うにのお店で頂いた抽選券を持って、あと10分で終了のタイミングで抽選会場へ。お中元手配の時も夫につきがあったので、先にトライしてもらったら、いきなり3等お食事券1000円が当たる。
 それ以外は私も含めてすべて外れだったけれど、グッジョブである。まあ、明日の昼にはここにはいないのだから、1等の10000円が当たったらそれはそれで困ったことになったね、と言う夫。

 ホテルに戻り、満ち足りたお腹を抱えて入浴後、すんなり眠りについた。

 そして今朝。平日通りのアラームが鳴る前に目が覚める。お天気は曇りだけれど、昼前から雨の予報。チェックアウト前にお土産等必要な買い物を済ませる予定で、さっさと浴槽足湯や身支度、パッキングもほぼ済ませ、朝ドラを視終えてすぐ、朝食を頂くことに。
 一昨日同様、階上の和食レストランで、今朝は夫が和食膳を私は海鮮重を頂く。食後の珈琲紅茶を頂いて、部屋に戻る。

 札幌に到着してすぐお友達とランチをしたお菓子屋さんに、朝一番に入れるように早めに出発する。抽選で頂いたお食事券を無駄にしないためベーカリーでパンもゲット。開店2,3分前に到着したが、一番乗りどころか、既に10人近い人が並んでいてびっくり。
 オープンとともにどんどん混んでくる。店員さんたちのお菓子を数える速度が凄まじい。無事必要なお菓子を手に入れて、いったんホテルに戻り、一服してからチェックアウト。荷物を預け、キャリーケースを宅配便に出して、身軽になってホテルを出発。

 夕方の便なので、昼食を摂ってからこちらを出発で十分間に合う。私は晴雨兼用傘を持って出たが、夫は雨が降るのが分かっているのにホテルでビニル傘を借りてこない。地下道を通れば大丈夫と豪語する。
 地下道には2030年の冬季オリンピック招致のポスターが延々と貼られていたけれど、うーん、札幌市民は本当にやりたいのかしら、と思わずにはいられなった。

 特に見学をしたい場所もなく、街中をウロウロするのは今回初めて。夫が狸小路まで足を延ばそうというので、テクテクと地下道を歩きながら、地上に浮上すると、もう雨が降り出している。予報より早い。
 そして二条市場という夫がラブの市場もある。海産物やラーメン店、お菓子屋さんが軒を連ねている。冷やかすだけで、濡れないアーケードを潜り抜け、再び狸小路を行ったり来たり。なんだか足の裏がビリビリと痛み、調子が悪いので、ベンチで一休みしている間に夫は何やら掘り出し物だという、ジャズのCDをゲットしてきた。

 狸小路には狸のマスコットが「まもなく外国から観光客がいらっしゃいます。札幌にとっては、大切なお客様です。笑顔で迎えてあげてくださいね」という看板を掲げていたが、結構シャッターを閉めている通りもあり、コロナ禍にインバウンドが来られなくなったおかげでクローズしたお店も多いのでは、と思った。
 朝食をしっかり頂いたので、お昼を過ぎてもそれほどお腹が空いていない。夫がお茶をご馳走してくれるというので、カフェで一服し、ホテルに戻って早めに空港を目指して空港でランチを摂ることにする。
 雨が次第に強くなりそうな気配だ。東京は相変わらず猛暑日だというのに。
 
 ホテルで荷物を受け取って、快速エアポートで新千歳空港まで小一時間。
 今日のお供は姫野カオルコさんの「ケーキ嫌い」(光文社文庫)。帯には「女はケーキが好き・・・なのか? 食にまつわるエピソードからおいしい“ヒメノ式”レシピまでぎっちり詰まったエッセイ集」とあり、表紙はイチゴのショートケーキである。お酒にピッタリの創作レシピから「ロンパールーム」の牛乳等、懐かしの思い出まで縦横無尽の食にまつわる話題を楽しく読み進めた。解説を平松洋子さんが書いておられるが、なるほど、さすが、の視点である。

 預ける手荷物もなく、チェックイン後は、ラーメン道場へ。これもHさん情報で“えびそば”が流行っているとのこと。見回してみると、並んでいるのはえびそばのお店だけのよう。では、と列の最後尾につく私たち。私はえびしおをチョイス、夫はえびみそを。えびの濃厚な味に舌鼓を打つ。
 食べ終わったら、エビおにぎりをドボンとスープに入れるリゾット風にするのがお薦めとのこと。夫が追加で注文し、血圧を気にしつつも珍しくスープ全部飲みをして、すっかり悦に入っていた。私もスープをこんなに美味と頂いたのは初めて。

 口直しにアイスクリームを。折悪く、5人分のトリプルだかダブルだかのパフェだかを作っている最中。研修中の店員さん、お気の毒に。大分待ってようやく注文することが出来た。
 大昔、友人のHちゃんがこの系列のお店でアルバイトをやっていて、腱鞘炎になりそうと言っていたのを思い出し、労う。

 食後、まだ小一時間あったのでラウンジで一休みしようかと覗いたら、入場制限とのこと。連絡は貰えるとのことで名前を書いては来たものの、諦めて搭乗口まで移動。
 定刻より若干遅れて搭乗機は出発。雨風が酷く、到着した時と同じ荒天となった。途中遅れや揺れがあるかも、とのこと。晴れ女が発つとやはり天気が崩れるのかしら、と思う。
 結局、10分ほどの遅れで無事羽田に到着した。飛行機を降りた途端のいきなりの熱気にのけぞってしまう。まだ31度あるという。

 今回の旅で会った2人の友人に無事到着のLINE。そして母にDuo通話で連絡を済ませた。リムジンバスのチケット売り場もすっかり変わっており、人の手を介しての購入はなく、すべて券売機になっていた。3年来ないうちに空港も様変わりである。

 出発まで40分ほどあったので、買っておいたパンをお腹に入れてからバスに乗り込んだ。乗った時は涼しくてほっとした車内だったけれど、渋滞で2時間近くずっと冷やされているうちに寒くて気持ちが悪くなってくる。暑さと寒さが交互に来て体温調整が出来なくなっている感じ。終点の最寄り駅に到着し、すぐにタクシーに乗って帰宅した。札幌空港で飛行機に乗り込んでから4時間半近くが経過している。

 鍵を開けると、普段はひんやりしている家の中がムッとしている。そしてあれだけ丁寧に水切りをして長持ちの薬を入れていった夫からもらった花束も、しょんぼりする状態になっていた。嗚呼。
 夫は急いでプランターの野菜やお花に水をやってくれる。部屋を開け放して空気を入れ替え、部屋干しと浴槽に干しておいた洗濯物を畳み始めるが、どんどん気分が悪くなってくる。生唾が止まらない気持ち悪さ。
 GWに不老ふ死温泉で湯あたりした後、夕食が摂れなかったような状態だ。リビングのソファで横になるが、今度は腹痛になり、ヨロヨロしながらお手洗いを往復。あっという間に水様便が4回。お腹は空っぽになる。気持ち悪くて動けない。

 気づけば1時間ほどウトウトしてしまう。ブログアップどころかお風呂に入る元気もなく。
 ようやく気を取り直して最低限の片づけをして、さっと入浴を済ませ青と赤のヨーグルトだけ飲んで就寝した。
 せっかく元気に5日間過ごせた、と思ったらいきなりの暑気あたりでダウンするとは、トホホである。

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2022.6.27 夫婦揃って旧友に再会を果たす

2022-06-27 18:51:56 | 

 昨夜は歩き疲れたせいもあり、入浴後、日付が変わる前に眠りにつけた。夜中に1度お手洗いに目覚めたものの中途覚醒にならず、寝直しに無事成功。
 今朝はいつも通り平日のスマホアラームを消してちょっとだけ、と寝直してしまい、次に目覚めたのは朝ドラが始まるちょっと前。やはり疲れているかも・・・足が重い。

 今日から新しい1週間、月曜日である。朝ドラを視てから浴槽足湯。もたもた身支度しているうち、階下のブッフェレストランに到着したのは朝食提供終了まで残り1時間を割ってしまった。
 早起きの人たちはとっくに朝食を済ませてお出かけだろうから空いているかしら、と予想したけれど、そんなことはなく、一昨日よりむしろ混んでいる感じ。

 一昨日、気になって頂かずに終わったものと、美味しかったので再度チャレンジのものをちょっとずつ取ったらかなり沢山になってしまう。焼きたてパンケーキもオムレツも美味だったし、朝から甘エビやサーモン等のお刺身も頂く。昨夜あまり食べ過ぎないで良かったね~、と夫と言い合う。
 今日もお茶まで頂いたらクローズの時間に。部屋に戻って、食休みである。

 夫は大学時代のお友達Hさんが1時間後を目指して車でホテルまで迎えに来てくださるとのこと。
 私は午後から大学合唱団時代のお友達、今年になってから文通を続けているIちゃんとホテルでアフタヌーンティーである。
 Hさんとは結婚式に来て頂いた後にも1度はお目に掛かっていると思うけれど、いつだったのか・・・定かではない。夫自身も、Hさんが前回上京されて以来数年ぶりとのことだ。ホテル前到着の連絡があり、ご挨拶に伺い、2人のツーショットを撮って車を見送る。

 さて、私は約束の時間までまだ2時間ほどある。部屋に戻って清掃が入るまで読書を楽しむことに。
 手にしたのは水木悦子さんの「ゲゲゲの娘日記」(角川文庫)。
 いわずと知れた水木しげるさんのお嬢さん(次女さん)のエッセイだ。帯には「お父ちゃんの子どもでよかった!鬼太郎の生みの親『水木サン』の子育てとは?心に沁みる愛情たっぷりのエッセイ、文庫書き下ろしも収録!祝!水木しげる生誕100周年」とある。子どもの頃の写真や想い出なども満載で、ご両親への深い愛を感じつつ、あっという間に読み切った。気づけばもうそろそろ出かけてもよい時間だ。

 ATM等に寄りつつ、道庁を見学。残念ながら工事中で建物全容は見られなかったけれど、池の睡蓮がとても綺麗で思わずパチリ。
 早めに道庁に隣接するホテルに到着し、お手洗いを済ませ、「少し早いのですが・・・」と席に通して貰う。このホテルは21年前に叔父叔母の家にお世話になった後、家族3人で宿泊したホテルだ。

 席に着くと、IちゃんからLINE。「張り切って着いてしまいました(笑)。ラウンジの前のロビーにいます」とのこと。「気づかずにごめんなさい、どうぞいらしてね」とお返事。
 結婚式に来て頂いて以来32年ぶりかと思ったら、彼女が北海道に引っ越す前に合唱団の数名でお別れ会をして、そのとき以来だという。いずれにしても30年ぶりのこと。
 そして、その時に私がお渡ししたハンカチを今も使わずに大切に持っている、と見せてくれた。どんなものだったか私自身が忘れているのに(汗)・・・どうぞ使ってね、と改めてお願いした。

 働きながら、お義母様を手伝ってお義父様の介護をし、今は職を辞して、お義母様の介護をされているIちゃん、本当に頭が下がる。
 強引に誘って申し訳なかったけれど、お会い出来て、少しでも外の空気を吸えて、気分転換が出来たなら良かったな、と思ってしまう。

 3段重ねのアフタヌーンティーを頂くのが夢だったと仰る。2人でダージリンやホテルブレンドの紅茶を沢山頂き、お腹がちゃぽちゃぽになった。沢山の綺麗なスイーツやスコーン等を頂きながら、語り合い、お腹も心も満ち足りた気分。
 文通をしているおかげで、お互いの状況が分かっているので前置きが要らなかったのも良かった。瞬く間に2時間半ほどが過ぎて、方向音痴だと言うIちゃんを地下鉄の改札まで見送った。

 一人でぶらぶらと歩いてホテルに戻ってきた。夫はHさんにあちこちに連れて行って頂いた模様。大倉山ではスキージャンプの疑似体験をしたり、Hさんが現役の頃に手掛けたという、イサム・ノグチ設計の広大な公園を訪れて苦労話を聞いてきたようだ。
 私が部屋に戻ってきてからも、これからお茶をして帰るとのLINEがあった。お互い旧交を確かめ合うことが出来、良い訪問になった。

 ということで、気づけば4泊5日の旅も終わりに近づいている。今夜は札滞在幌最後の夜である。
 ニュースによれば、各地で梅雨明けという。6月中の梅雨明けとは、ちょっと記憶にない。そして東京は3日連続の猛暑日とのこと。Duo通話をした母からも開口一番「暑いわね~」(いや、こちらは21度で、長袖のワンピースに薄めのジャケットを羽織っています・・・)と。

 明日、帰るのが恐ろしい・・・。

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2022.6.26 今日はオフ日、先人の苦労に想いを馳せた後は・・・

2022-06-26 21:58:11 | 
 昨夜は入浴してベッドに入れたのは日付が変わってから。今朝は朝ドラもないし、夫も私も友人との約束もうまく入らず、今回唯一のオフ日になった。
 朝食を頂き損ねない程度にゆっくり寝ていて良いのに、結局いつもと同じ時間に目が覚める。そこからなんとなくグズグズとベッドにいたけれど、隣の夫は起こすまでよく眠っていた。
 
 今日は昨日より雲が多めだけれど、良いお天気だ。気温は少し低めで30度には達しないという。浴槽足湯を済ませ、今日は階上の和食レストランへ。
 クローズまで1時間ちょっとで、どうやら最後の客のようだった。内側の半個室の空調があまりに効き過ぎて寒かったので、窓側の席に移動させてもらう。夫は海鮮重を、私は和食膳をチョイス。昨日はお腹の調子が良くなく、朝から何度もお手洗いを往復し、出かける間際にはお腹を壊してしまい、一日怖々と過ごした。
 今日はお粥を選べてラッキー。ちょっとずつ色々、朝から充実した贅沢なお料理を愉しめた。

 さて、街中にいるよりは、と夫の発案で野外博物館「北海道開拓の村」を訪れることに。まずはJRの快速で1駅、その後、バスに20分ほど揺られて1時間弱で目的地に到着した。
 明治村を彷彿とさせるテーマパークだが、広さに比して来場客数の少ないことといったら、贅沢極まりない。54.2ヘクタールの敷地に明治から昭和初期にかけて建築された道内各地の建造物を50ほど移築復元・再現している。

 エントランスまでは長い階段を上り(ここでちょっと息切れする。)、旧札幌停車場の紅白の瀟洒な建物が迎えてくれる。青い空によく映える美しさだ。
 階段の両脇には黄色いセイヨウタンポポと、オレンジのコウリンタンポポ(初めて見たが、北海道に多いのだそうだ。)、シロツメクサが咲き乱れている。
 入場料金も良心的で、かつシルバー料金が適用されて夫は無料だった。なんという太っ腹なこと。

 さて、散策開始である。ビジターセンターを兼ねている白と緑の旧開拓使札幌本庁舎をざっと拝見し、お手洗いを済ませると、レトロな建物が並ぶ町並みを国内唯一の馬車鉄道が走ってくる。時間が丁度良かったので、そのまま乗っていくことに。
 最初は私達夫婦と女性2人連れ2組だったけれど、出発ぎりぎりに孫3人連れのおばあちゃんが乗り込んできて10人の定員一杯に。それは賑やかな末っ子らしい3歳の女の子がこちらの席に立ったりあちらの席に座ったり、行ったり来たり飛び跳ねたりの大騒ぎ。馬に触って、一緒に乗れなかったパパに写真撮影をせがみ、大変なことになっていた。

 馬は5歳のばん場馬の雄、リキ君でおとなしくて力持ち。優しい目をしている。10人を乗せて安定した足取りでどんどん進んで行く。
 終点の旧ソーケシュオマベツ駅逓所でリキ君と写真を撮り、農村群の旧農商務省滝川種羊場機械庫から見学開始。旧田村家北誠館蚕種製造所を見た後は、開拓当初に作られたという開拓小屋を見て、のけぞる。
 茅や藁で作られた掘っ立て小屋以外の何物でもなく、これでよく北海道の寒い冬を越すことが出来たという代物だった。
 複数の旧農家住宅は移住者の郷里の建築様式が垣間見られ、だんだんと進化して暖がとれていく様子にほっとする。

 紫外線が強く、日傘は手放せないが、緑が美しく、風が涼やかだ。カラスもなんとなくのんびりと羽を休め、鳥の声も聞こえる。どこか北欧の雰囲気が漂っている。ラベンダーやハマナスの花を愛でつつ、ああ、北海道にいるのだな、と改めて感じられる。
 当時の人々の心の支えだったという旧信濃神社でお参りをし、火の見櫓のある旧山本消防組番屋を過ぎ、喉の渇きを潤すのに丁度良いタイミングで自販機を見つけて一休み。

 続いてニシン漁で栄えた日本海沿岸の漁労施設が並ぶ漁村群へ。
 海や池を模した造りのスペースに旧漁家住宅やはねだし小屋等が並ぶ。朝ドラ「マッサン」の撮影で使われたことのあるというニシン御殿は流石に立派だ。シルバーボランティアの男性からのお話も伺えた。
 展示されたニシン船や漁具からは往時の浜の賑わいが感じられる。

 万歩計は着実に数を重ねている。さすがにだんだん草臥れてきて、入り口広場にある食堂を目指しながら、旧龍雲寺でお参りをし、旧北海中学校の廊下に並ぶオルガンの数々に目を見張り、旧有島家住宅を感動しつつ歩く。
 入館から2時間半ほど経ち、開拓の村食堂で遅いランチタイムだ。座るとびっくりするほど汗が噴き出してくるが、マスクが外せてほっと一息だ。

 夫はニシン蕎麦を、私は芋餅と豚汁を頂く。思いのほか汗をかいたせいか、濃いめの味付けの豚汁が美味だった。食事を終えて外に出ると、雨がパラパラ。私は日傘を雨傘代わりにするが、夫はエントランスでビニル傘を借りてくる。
 市街地群のメインロードを往復すると、山村群を除き全てコンプリートだ。

 旧来正旅館からスタートし、旧三ます河本蕎麦店、旧武井商店酒造部、旧廣瀬写真館、旧近藤医院、旧太田装蹄所、旧藤原馬橇製作所等々・・・だんだん外観だけ見て、靴を脱いでの内部見学をパスし始める。疲れてきた証拠だ。
 最後にピンク色の美しい洋館、旧浦河支庁庁舎で写真撮影したら、山村群の炭焼き小屋や旧札幌農学校寄宿舎等の見学はパスでいいよね、という感じになった(本当は寄宿舎・恵迪寮を見ておきたかったけれど)。予定より1台早いバスに乗ってホテルに戻ることに。

 定刻にバスが来て、乗ったら最後、終点まで夫も私もいきなり船を漕いでこっくりこっくり。JRの乗り換えも旨く行って無事ホテルに戻ってきた。
 昨日叔母からお土産に頂いた“赤い妖精”というネーミングの真っ赤で大粒な苺と、夫が買ってきた和菓子でお茶。私は夕飯に出かける前に記事を書いていたが、その間も夫はベッドでお昼寝だ。あっという間に鼾をかいている。本当に羨ましい寝付きの良さである。
 母にDuo通話をしたら、今日も35度とのこと。いやはや、本当にお疲れ様である。暑さで一歩も外に出なかったけれど、ようやく涼しくなってきたので、ちょっとお散歩に外に出ようと思っているとのことだった。

 夕食は、夫が予約してくれたサッポロビール園でジンギスカンを頂きに出かける。なんとか今日は落ち着いているお腹がまたしてもびっくりしないように抑え気味に頂く予定で。
 駅のターミナルからビール園直行便のバスには結構な人達が乗り込む。ものの10分足らずで到着。なるほど雰囲気のある赤煉瓦の建物群が並んでいる。

 まずは夫が総合窓口へと急ぐ。予約した時間より20分近く前だったけれど、受付を済ませるとどうぞ、とのこと。同じ建物内のミュージアムはあいにく休館だったけれど、ショップをちょっと覗いてから予約しているガーデンテラス棟へ。
 窓際の一番奥の良い席に案内される。ほぼ満席でホール担当は大忙しといった感じ。夫は以前、中学生だった息子と北海道一周2人旅をした時に、今回とは別のホールでここを利用したのだそうだ。夏休みであり、大混雑だったという。

 空調と換気が効いていて、ブラウスの上に羽織ったストールが手放せない。まずはジョッキビールの夫とグレープフルーツジュースの私で乾杯。5種類のラム肉食べ比べに加え、夫の趣味で黒毛和牛が加わり、焼き野菜をたっぷり頂く。ラム肉は柔らかく、匂いもそれほど気にならず美味だった。
 夫に好きなだけ食べて貰おうと追加オーダーをしたけれど、何やらうまくオーダーが通っておらず、待たされた挙げ句に結局来ない品もあり、忙しいのはわかるけれど、なんだかなぁだった。夫は白ワインのお伴に注文したソーセージが頂けず、気の毒だった。

昼間に比べて大分気温が下がり、夫も私も一日持ち歩いたジャンパーやニットを着込み、最終バスから2番目の直行バスで再び駅前まで。ドアツードアで15分ほどでホテルに戻ってきた。本日の万歩計は14,000歩超え。
 明日は夫も私もそれぞれ大学時代の友人と再会を果たすことになっている。 
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