ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.8.30-31プチ虹のサロンとリフレッシュの休日、3Dフィギュア完成!

2014-08-31 19:48:09 | 日記
 土曜日。
 いつものように、ベッドの中で連続テレビ小説を見るひと時が、至福な休日のスタートである。今日は2か月ぶりのプチ虹のサロンの開催日。
 予約時間が遅かったので、午前中ホットフラのクラスに参加してからの出席。フラはヨガとはまた違って、開放的で明るい気持ちになるので、大好きだ。が、何分平日午前中のクラスが多く、平日の夜と土曜日は月に1度あるかないか。
 だから、ヨガ歴同様フラ歴も長くなってきたけれど、実際にクラスに参加した回数は大したことない。この夏、遅ればせながらパウスカートをネットで買ってみたのだが、なかなか穿く機会がなく、残念に思っていたところ、ようやく今回デビュー出来た。12人の参加者のうち、スカートでない人の方がチラホラだったので驚いた。インストラクターの弁「スカートを穿くとテンションも上がるし、なんとなくそれっぽく見えますよ」は事実かもしれない。すっかり気分良く汗をかいてシャワーでサッパリした後は、都心ターミナル駅のレストランへ向かう。

 前回、新たな転移が見つかり、厳しい治療を終えたKさん。今回、元気に復活して参加してくださったのが何より嬉しい。思わずハグし合ってしまう。まずは4人で乾杯。
 私自身、前回からランマークが上乗せになったし、Sさんも来月から新しい治療を開始するとのこと。長いこと再発治療を続けているとつくづくいろいろあるなぁ、と思う。先が見えない中、ずっと気持ちをキープしながら治療を続けていくのは、口で言うほど簡単なことではない。落ち込むことも嫌になることもある、というのが正直なところだろう。
 皆、初発からは10年超えの方ばかり。再発治療についてもKさんはこの夏で10年を超えたし、もう一人のSさんも初発から15年、再発から7年になるという。初発から9年半、再発治療6年半を超えたとはいえ、メンバーの中では私が一番のひよっこである。
 話は尽きなかったけれど、あっという間に夕方になり、解散。次回の約束をしてお別れした。

 その足で、半月前に撮影した3Dフィギュアを受け取ってきた。カウンターには前回よりも見本が沢山増えていて、着物姿あり、ロングドレスあり、制服姿あり、と楽しかった。
 一体どんな仕上がりになるやら・・・と見る迄はドキドキだったけれど、思ったより良く出来ていて満足した。スカートのプリーツの感じも、肩にかけたバックの質感も結構リアル。多分映らないと思います、と言われていたブレスレットや時計も、皆ちゃんと出来ていた。我が身の後ろ姿を見るということはなかなか出来ないので、ふーん、後ろから見るとこんなふうに立っているんだ、と再確認。
 専用のドーム型のアクリルケースを現在開発中ということで、販売開始になったら連絡してもらうことにした。それまでは壊さないようにしっかりしまっておこうと思う。夫に見せると「ふーん、この角度から見ると、そっくりだな」などと言うが、だって、私だもの!という感じ。

 日曜日。
 今日も寝坊もせずに、朝一番からリフレクソロジーに向かった。ここ1か月のご報告をしつつ、いつものように下半身すっきりコースとハンドリフレ。今日のアロマエッセンスはユーカリかゼラニウムが選べたので、ゼラニウムに。オイルもサイプレスやゼラニウムブレンドのリフレッシュタイプにしてみた。
 前半はあれこれお喋りをしていたのだが、後半は殆ど意識が途絶え、あっという間に寝落ち・・・。気付けば、最後の深呼吸の時間になってしまった。今回は腰と子宮周り、腸が疲れているとのこと。タイケルブの副作用の所為か、すぐにお腹が緩くなってしまうので、暑くてもそれほど冷たいものを摂っていないのだけれど、施術中はお腹にホットパックを置いて頂き、随分楽になった感じ。足のむくみも取れて靴もゆるゆる。
 帰路もサロンの最寄駅まで送って頂く。駅ビルで軽食の後、午後は肩こり改善ヨガのクラスに参加。これまた久しぶりのクラスだったけれど、人数が少な目で丁寧に見て頂けて満足。肩も軽くなった。終了後は夫と待ち合せ、お茶と買い物。
 さぼっていた掃除や洗濯は帰宅後にチャッチャと片付ける。あっという間に暗くなってしまい、ああ、今日で8月も終了だ、としみじみ思う。世は夏休み最終日の夜である。
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2014.8.29心まで失ってはいけない

2014-08-29 21:22:07 | 日記
 全盲の男性が連れていたラブラドルレトリバーの盲導犬を刺した人がいる、という記事を読んで言葉を失った。

 報道によれば、フォークのようなものが凶器に使われた可能性が高いという。腰付近に直径約5mmの大きさの穴が等間隔に数個並んでおり、深さ2cmの傷もあったそうだ。
 先月末のこと、男性は自宅を出て最寄駅近くのコンビニ経由で職場に到着した後、職場の同僚の指摘で愛犬のけがに気付いたという。コンビニの防犯ビデオには犬用のシャツが血に染まっていたこの盲導犬が映っていた、とあった。

 盲導犬は人間社会の中で自らの勤めを果たすため、無駄に吠えないように訓練されている。そう、盲導犬はたとえ刺されても痛みを堪え、吠えないのだ。聴力には自信があるが、全く気付かなかった、と男性は言ったそうだ。それほどの傷を負いながらひと鳴きもせず、横にいるパートナーに気づかれることもなく、目的地まで同行し、どれだけの痛みを我慢したことか。
 それを判っていて、なんと卑劣な犯行だろう。

 男性は現在、事件前と変わらず電車で職場に向かい、仕事を続けているそうだ。刺された雄犬“オスカー”は「素直でお茶目で人間が大好きな性格」といい、傷が癒えて、再びともに歩み出したという。男性にとってもオスカーにとっても、どれほどショックな出来事だったかと胸が痛むが、彼らの前向きさと信頼関係に頭が下がる。

 盲導犬は、将来盲導犬となるための訓練を受けるために、生後2か月から1歳迄は、仔犬飼育ボランティア(パピーウォーカー)家族の一員として愛情をたっぷり注いでもらいながら、人間社会のマナーやルールを学ぶ。その中で、人に対する信頼感を身につけていくという。
 が、信頼していいパートナーなんだよ、と教わったにもかかわらず、こんな酷いことをする人間もいるのだ、とオスカーの記憶に刻まれてしまったとしたら・・・なんとも切ないではないか。
 一体誰が、何のために、と憤る。人としての心を失ったとしか思えないが、やりきれない。

 生きていくことは、思うに任せないことが多い。病を得ることもしかり、この男性のように光を失うこともしかり、である。皆が、その中で一生懸命生きているのである。
 何の罪もない自分より弱いものに対してこうした暴力を振るって一体何になるのだろう。
 たとえ身体は病んでも心まで失ってはならない。
 せめて名乗り出て、彼らにきちんと謝罪し、二度とこんなことを繰り返さないことを望みたい。

 ようやく金曜日になった。今日は仕事を終えた後、夫と待ち合わせて予約していた美容院でシャンプー・カット、アロマの香りのヘッドスパで癒しの時間を過ごしてきた。さっぱりして週末を迎えられそうだ。
 とはいえ、長雨続きのはっきりしないお天気で洗濯物がパリッと乾かないのが冴えないのだけれど・・・。

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2014.8.28 緩和ケアについて思うこと

2014-08-28 20:20:36 | 日記
 毎日新聞のシリーズ記事が昨日で終了した。
 一昨日、「より良い治療を受けるために」に掲載した勝俣先生のインタビューでも緩和ケアに触れた部分があり、それに関して思うところを書いておきたかった。が、普段から長文の嫌いがあるこのブログ、いかんせん長くなり過ぎるので、回を改めることにした。

 記者さんに「(勝俣先生の記事が)とても良かったので、また紹介させてください。緩和ケアについても日を改めて書きたいです」と連絡したところ、「最終回は緩和ケアで、緩和医の先生もとても素晴らしい先生でした!」とのお返事を頂いていた。
 そう、最終回はそのものズバリ、“緩和ケア”がテーマだ。以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

がん・ステージ4を生きる:笑顔で過ごしたい/6 「生活の質」支える緩和ケア(毎日新聞 2014年08月27日 東京朝刊)

 「もう治療法はありません」。そんな言葉によって、患者は絶望のふちに突き落とされる。しかし、たとえ使える薬に全て耐性ができて効果がなくなり、抗がん剤治療が続けられなくても、「緩和ケア」という治療がある。緩和医療は「ステージ4」のがん患者に何ができるのか。
 ●積極的治療と並行
 「積極的治療ができなくなったら緩和ケア、というのは誤った認識です。医療者にもまだ誤解が多い」。緩和ケア医で、神奈川県にある湘南中央病院の在宅診療部長、奥野滋子医師(53)はそう話す。
 緩和ケアの重要な仕事は、痛みなどのつらい症状をとること。進行がん患者には、がんの増殖や骨転移、炎症など、さまざまな原因で痛みが起こる。痛みをコントロールするためにはモルヒネなどの医療用麻薬も有効だが、偏見を持つ人が多く、使うことを拒否する患者もいる。「痛みを抱えるのは、患者本人だけではなく家族や周りの人もつらいもの。症状がピークに達する前に受診してほしい」
 がんの再発転移を告げられると、患者は大きなショックを受ける。その段階から今後起こりうることを整理しつつ、治療や生活の方向性を一緒に考えるのも緩和ケアの仕事だ。積極的治療と緩和ケアは相反するものではない。
 病状が進んだ場合も、痛みや吐き気、倦怠(けんたい)感や不眠などのつらさをとることで、食欲が戻ったり、気力が湧いたりする。症状が軽くなれば、患者は希望を持ち、新たな楽しみを見つけることもできる。ただ衰弱する一途ではなく、再び普通の生活を取り戻すことができるのだ。
 同じ痛みでも、厚いケアを行うホスピス病棟では、薬の量が半分で済む場合がある。痛みに有効なのは薬だけではない。「一言で言えば、寄り添う力でしょうか」と奥野医師。患者の話を聞き、家族の相談にも応じる。医師だけではなく、看護師に薬剤師、事務員。在宅の場合は、さらに介護士、ケアマネジャー、ソーシャルワーカー。それぞれが情報を共有し、患者をサポートすることが望まれる。
 ●「応援団」増やして
 一方、患者は自らの状況をよく知ることも必要だ。抗がん剤は、腫瘍を縮小させるためだけでなく、症状緩和のために使う場合もある。今、受けている治療の目的が何なのか。「自分にとって最悪のシナリオもイメージしつつ、前に進むことを考えなければ」。病状が進んでから、ようやく治らないことを自覚する人も多いという。
 「治すための治療で、財産をほとんど使ってしまう人もいます。いざ終末期に入っても、満足なケアを受けることができなくなる」。そのような事態を避けるためにも、早い段階で緩和ケアを受けることが望ましい。自分がかかる病院に緩和医療科がなければ、生活圏の中で探してもいいし、地域のかかりつけ医が担当してくれる場合もある。「できるだけ応援団を増やしましょう」と奥野医師は話す。
(中略)
 ●日々重ねる大切さ
 がんは不思議な病だ。まだまだ解明されていないことが多く、治る病気になる日が来るかどうかも分からない。西洋医学以外に、がんを治す方法があるのではないか。ステージ4患者である私自身にも、正直、その思いがよぎることがある。
 病が「治らない」と自覚するのはつらいことだ。人はいつか死ぬと頭では理解しても、いざ命の期限が目の前に迫ると、冷静でいられる人は少ないだろう。がんを「克服」などできなくても、患者は何も悪くない。心の強さも弱さも人それぞれだ。思いを巡らせながらも、日々の瞬間を大切に重ねること。そこに、薄日が差すように希望の光が見えてくると信じたい。【三輪晴美】=おわり

(転載終了)※  ※  ※

 そう、ステージ4の患者にとって化学療法―狭義の抗がん剤治療-だけが全ての治療ではない。そして、緩和ケアは終末期にのみ行う治療でもない。毎日ロキソニンを飲みながら痛みをコントロールしている私だって、既に日々是緩和ケアを実践中なのである。だから「もう治療法がありません」という言葉も「最後に緩和ケアに移行しましょう」という言葉も正しくはないのである。

 標準治療を選択しつつ、西洋医学こそ最善だと思っているわけではない(実際、日々漢方薬のお世話にもなっている)けれど、自由診療となる最先端医療や免疫療法について、私は今のところ、使おうとは思っていない。それはまだ使える薬があるからだろう、と言われるかもしれない。けれど、これらの治療が治験を経て、多くの患者さんたちにとって本当に効果があるものと実証されれば、早晩これらが標準治療となり、保険適用になるべきであると考えているからだ。
 本当はもう短い時間しか遺されていないのに、そうした高額な治療でお金も時間も使い果たしてしまう、というのではやはり哀しい。そうであるならば、その時が近づいたなら緩和ケアを上手く使い、体力を温存させながら緩やかに逝きたいと考えている。
 もちろん抗がん剤は魔法の薬ではない。どんなに良い薬でも耐性が出来てしまうことは、哀しいけれど理解しておかなければならない事実だろう。けれど、その限界をよく分かっている医師にかかることが出来れば、これ以上抗がん剤を使っても効果がないと思われる場合、投与しないことを勧めてもらえるという。今は、それをうまく伝えられない医師が多いから、亡くなる寸前まで辛い抗がん剤治療を続けてしまうのだ、と。その現実がやるせない。

 どのタイミングで抗がん剤治療を止めたらより穏やかに最期の時間を過ごせるのか-とても難しい選択だ。やってみなければわからない。けれど、2度死ぬわけにはいかないから2回試す事は出来ない。私自身は最期の最期まで、ギリギリまで抗がん剤治療を続けようとは思っていない。今の主治医から止めることを提案されれば、それはそういうことなのだろう、と受け入れたいと考えている。
 もちろんそれは「何もせず、絶望の果てに手をこまねいて死を待つ」ことではない。体力の限界まで抗がん剤治療等を続け、止めた途端に遺された時間もお金も殆どない、というのではなく、痛みを取りながら、寄り添う力を持つ「緩和ケア」をしっかりやって頂きつつ、穏やかにソフトランディングをしていけたら、と思う。一昨日の記事で「緩和ケア」をしっかりやることで、抗がん剤ひとつ分の延命効果があるというデータに裏打ちされた“緩和ケアは治療のひとつ”という発言に、その意を強くした。

 余命などは誰にも判らないし、あえてそれを尋ねる必要もないだろう。今回、広島で発生した土砂災害で突然命を絶たれた沢山の方々の無念を思うと、あらためて生きているということは“宙ぶらりん”以外の何物でもない、という厳然たる事実を突き付けられる。

 だからこそ、最後の〆にある言葉が胸に響く。私の体中に広がってしまったがん細胞は、もはや他でもない私の身体の一部である。だから、克服など到底できない-つまり治らないということを自覚している-と思っている。けれど、それががんに白旗を揚げたこと、恥ずかしいこと、とも思わない。勝ち負けではない。出来るだけ長く、大人しくしていてもらうように、お互いに静かに生き長らえるように共存していきたい。徹底的に闘い、がん細胞を打ちのめそうとするのではなく。
 そのために出来ることは、日々の瞬間を大切に重ねることなのだ、と改めて思う。

 さて、昨日ランマークを開始した後の体調のこと。
 主治医から1日3度まではロキソニンを飲んでOKと言われたので、迷わず服用している。おかげで昨夜は発熱に至らなかった。が、身体中の骨がギシギシと痛む-特に転移箇所である胸部の痛みが酷い-のはゾメタの時と同様だ。効いてくれている、ということだと信じよう。発熱がないので通常通り出勤。
 あと1日、もうひと踏ん張りだ。
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2014.8.27 採血レントゲン後、診察 CT結果~胸骨転移増悪によりランマーク開始

2014-08-27 20:36:43 | 治療日記
 今日は、先週のCT撮影に続いて2週連続の通院日。
 昨日あたりからいきなり、秋ではないかと思うほどの涼しさ。朝から秋雨のようなしとしと雨が降っている。いくらでも眠れる、と言っているわけにいかず、いつも通りに起床、夫を送り出した後、予定どおりの時間に家を出る。乗換駅でも電車は順調。ラッキーにも席を確保して、読書タイム。今日のお伴は窪美澄さんの「晴天の迷いクジラ」(新潮文庫)。

 病院最寄駅で下車。僅か3日前に息子の住む京都から帰ってきたのだが、今回向かう先は新幹線ホームでなく、病院である。
 自動再来受付機前にはそれほどの列はなくスムーズ。採血受付へ移動するが、受付カウンター前の椅子は空いている。ピンクの番号表を受け取り電光掲示板を見ると、今日は待ち時間7分と出ている。お手洗を済ませて態勢を整えていると、ほどなくして自分の番号が点滅。中に入る。
 今日は初めての看護師さん。丁寧で、好感が持てる。刺すときの痛みも、抜く時の痛みもそれほどでもなく、ラッキーだった。今日も腫瘍マーカー等全て測定なので3本の採血。
 
 止血部分をしっかと押さえながら、エスカレーターで2階に上がってレントゲン受付へ移動。こちらでもあまり待たずに、スムーズに撮影して頂いた。終了後、再び1階に降りて腫瘍内科受付へ移動。ここ迄で病院に入ってから40分。
 受付でも殆ど待たない。先週のCT撮影時に保険証チェックも済んでいるので、そのままファイルを頂いて待合椅子に腰を下ろす。

 採血結果が出る迄最短でも1時間はかかる。態勢を整えて読書を再開。自動血圧測定機で計測した結果は106-61、脈は74で、概ねいつも通りだ。
 その後“中待合へどうぞ”のランプが点くまでにやはり1時間かかった。中待合に入ってからも読書を続ける。もう、ヒリヒリするようなストーリーにどんどん惹きこまれ、頁を繰る手が忙しい。ふと顔を上げると、針刺し名人のOさんの姿が見え、ご挨拶。今日も注射は大丈夫!と思う。その後30分ほど待ち、先生が診察室からお顔を出されて、名前を呼ばれた。

 さて、5週間ぶりですね、ということで、ノートをめくりながらおおよそ元気でした、とお話しする。副作用の下痢が5,6回酷かったが、相変わらず快便過ぎるほどの快便が続いていること、胸部の鈍痛・圧痛に加え、左鎖骨がしくしく痛み出しており、こういうお天気だったり、寝不足だったりすると特に痛みが気になること。ロキソニンを日に2度、3度飲んだのが5,6日あったことをご報告。診察室での検温は6度5分。

 採血の結果、白血球数は3,300、好中球は40%で概ねいつも通り。腫瘍マーカーCA15-3は先月に比べて減少。偶然6月と同じ値になった。先生がおっしゃるには、上昇傾向が止まったかのか否かはわからないが、まあ安定傾向とのこと。既にCTの画像が2枚並んでいる。見れば、肺の腫瘍の影が一回り違う大きさになっている。どちらだろう、と目を凝らすと、12月に比べて今回がやや小さくなっており、心臓に接しそうだった丸い影が少し離れてきたように見える。先生が「2点あります。右の肺の腫瘍茎はやや良くなっている。が、もう1点、骨の影は濃くなっています。それ以外に新たな転移はありません。」とおっしゃる。確かに胸骨の影が広範囲に濃くなっているのが分かる。「肺は良くなっているし、マーカーも安定している。レントゲン上ではあまり変わらないので、治療薬を変える必要はないと思う。」とのこと。

 昨年5月、奥歯の不調によりゾメタを一旦中止したが、その後、夏には上顎骨壊死が起こり、これまで期限を決めずにずっと休んできた。「そろそろこの治療を考えた方がいいでしょう」とのこと。歯科検診は今も3か月に一度継続しており、次回は9月の初めであることをお話しする。
 薬の活性からすると、これまでのゾメタよりもランマークの方が良いと思うが、低カルシウム血症が進み、気付かないまま死亡した例があるという副作用が報告されている。そのため、症状が出る前からカルシウム剤とやビタミンDを併用する必要があるという。ゾメタは3~4週間に1度だが、ランマークは4週に1度。が、半減期が4週間(1か月)ということなので、5週間でもほぼ半分の値が保たれる。そもそもメインの(抗がん作用の分子標的)薬ではない補助的な(骨の)薬なので、厳密に4週間にこだわることはなく、次回は5週間後でOKとなる。

 今日、骨の治療薬を追加するというのは想定外だったので、ちょっと迷ったが、「今日からやりましょう」ということなので、お願いする。副作用対策のカルシウム剤とビタミンDはこれまで別々の薬だったが、今日から両方が一緒になっている新しいチュアブル錠を出します、とおっしゃる。
 ということで、慌ててランマークのパンフレットを頂き、診察室を出て、中待合で待っている間にざっと読む。かつて、ランマークが発売されてすぐに勉強したのだが、随分時間が経っており、細かいことはすっかり忘れている。点滴でなく注射であることは思い出したのだが・・・。いずれにせよ、このままタイケルブは次回まで続行。レントゲンや採血で経過観察を続けながら、CT撮影も何もなければ6か月後でよいとのことになった。

 6年半前、初めてゾメタを点滴した夜は、発熱するかもしれない、と言われて帰宅したのだが、案の定高熱が出て、体中がギシギシと痛み、頭痛と筋肉痛であたかもインフルエンザに罹ったかのようだった。翌日まで起き上がることが出来ず仕事を休み、これからもずっとこうだったら・・・と落ち込んだ記憶がある。実際は初回だけの発熱だったのだけれど・・・。
 「今回も、同じ副作用でしょうか」と訊くと、「うーん、そうなる人もいるようです」と。「まあ、熱は出るなら夜からでしょう」ということで、ロキソニンを昼から前倒しで飲んで対応することにした。
 次回も5週間後でよい、ということで9月は通院なし!である。狂喜乱舞!!である。
 タイケルブ1日2錠、下痢対策に毎食前の小建中湯・毎食後のラックビー各々5週間分、痛み止め(+解熱)のロキソニン、低カルシウム血症対策のデノタスチュアブルをそれぞれ処方して頂いた。
 「これからランマークを取り寄せますので、ポートフラッシュもしていってください。」と言われ、ご挨拶して診察室を出る。 

 中廊下で呼んで頂くまで待つ。今日も針刺し名人Oさんだと思うと、大船に乗った気分。
 15分程待って、Oさんから化学療法室の一番手前のベッドに案内される。化学療法室は今日はそれほど混雑していないようだ。
 「注射とポートフラッシュとどちらを先にしますか」と問われ、どちらでも、と応えると、「では注射からにしましょう」とのこと。ランマーク120mgは皮下注射だ。右上腕部に注射。さすがに薬が入ると痛む。薬量が多いのだそうだ。まあ、Oさんが刺して痛いのだから、これは誰がやっても痛いだろう、と納得する。
 「ゾメタ(で40分+生食、計1時間点滴に繋がれるの)と、ランマーク(注射で痛いのと)どちらがいいですか」と訊かれ、「最近楽をしすぎているので、この位ならなんのその、ですかね。」とお答えする。

 ベッドに横になって、ポートチェックのため生理食塩水を流す。毎回のことだがOさんの針刺しは本当にお上手。一瞬チクリとするだけで、抜く時も衝撃が殆どない。有難いことだ。あっという間に終わって、小さい絆創膏を貼って頂く。
 Oさんの小学生のお嬢さんは夏休みが終わって、もう学校が始まったという。最近は9月1日開始でない小学校が増えているのだな、と思う。

 会計が出来るまで15分ほど待ちながら、夫や友人に報告メール。そして自動支払機で支払を済ませる。今回は、薬価5万円弱のランマークが追加になったため、2万円弱。

 外に出るとまだ霧雨が降っている。院外薬局へ移動すると、それほど混んでいないのだが、毎度のことながらなかなか呼ばれない。後の方たちからどんどん抜かされる。30分過ぎたところで、薬剤師さんがこちらにいらして、「新しいチュアブル錠の飲み方が、一般的な方法と先生の指示と違うので、確認中です、今しばらくお待ちください」とおっしゃる。結局、その後30分近く待って薬局滞在が1時間になってしまった。新しい薬は在庫が少ないということで不足分は別途郵送してくれるとのこと。エコバックを取り出して袋一杯の薬を受け取る。今日の支払も前回同様4万円弱。

 今日は、病院と薬局併せて滞在時間は4時間強。駅ビルで昼食を摂りながら、読みかけだった本を読み切って、帰宅した。
 最寄駅では雨が降っているし、今日は夫が宴会で夕食不要というので、適当に夕食を調達して、フラフラとタクシーに乗ってしまった。
 今晩、熱が出ないと良いのだけれど、なんとなくだるくて熱っぽい。


 
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2014.8.26 より良い治療を受けるために

2014-08-26 19:39:10 | 日記
 先日、私の取材を掲載して頂いた毎日新聞のシリーズ記事。今日、5回目は腫瘍内科医のインタビューだった。
 記者さんからは「勝俣先生に話を聴いてきました、課題山積です」と伺っていたので、記事を楽しみにしていた。長文ではあるが、以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

がん・ステージ4を生きる:笑顔で過ごしたい/5 「最善最良」の治療、見極めて 勝俣範之医師に聞く(毎日新聞 2014年08月26日 東京朝刊)

 ◇日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授・勝俣範之医師
 治癒が難しいステージ4のがんに、今の医療は何ができるのか。患者は、どうすればより良い治療が受けられるのか。ステージ4の治療は抗がん剤の投与が中心となる。抗がん剤を専門に扱うのは「腫瘍内科」だ。日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授の勝俣範之医師に聞いた。

 −−「ステージ4=末期がん」というイメージがあります
 ◆それは正しくありません。ステージ4でも長生きする人はいるし、中には治る人もいます。近年、ステージ4で特に治療成績が上がったのが、乳がん、腎臓がん、皮膚がんの一種の悪性黒色腫(メラノーマ)など。分子標的治療薬の開発が進み、生存期間を延ばしました。従来のタイプの抗がん剤も良い薬が増えていて、特にステージ4の大腸がんも、ここ10年でかなり治療成績が上がっています。
 ●副作用対策に差
 −−「抗がん剤は副作用も多く、使うべきではない」と主張する人もいます
 ◆確かに副作用はつきものです。しかし個人差が大きいですし、近年は、かなり抑えられるようになりました。抗がん剤は、本来は副作用対策に精通した腫瘍内科医が扱うべきですが、欧米に比べて日本は圧倒的に人数が少ない。したがって外科医が処方する場合が多いのですが、医師によって知識や技量に差があります。
 例えば、乳がんなどに使われる「タキソテール」という抗がん剤では、爪が剥がれるなどの副作用があります。投与中に、専用のグローブをはめて手を低温に保つとかなり防げるのですが、がん拠点病院でも備えていないところがあります。
 ●「最先端」への誤解
 −−治したい一心で「標準治療」以外の治療を受ける患者も多いと聞きます。効果のほどは
 ◆まず、標準治療は「並」の治療と誤解されがちですが、そうではなく現段階での「最善最良」の治療ということを分かってほしい。「最先端の治療=良い治療」ではありません。
 例えば、放射線治療の一種である「陽子線治療」や「重粒子線治療」は「先進医療」です。先進医療とは、厚生労働省が安全性や有効性などを確認したうえで承認した治療ですが、まだ研究段階で、保険が利かずに高額です。日本は「皆保険」の国ですから、きちんとしたエビデンス(科学的根拠)が出れば、保険適用になります。
 高額で、かつ先進医療に指定されていない治療は要注意です。近年、話題の「免疫療法」も、多くは指定されていない。クリニックのホームページなどに治療効果を示すデータが掲載されていることがありますが医学的見地から見ると有効なデータではありません。
 −−医師の告げる「余命」は正しいのでしょうか
 ◆余命についても誤解が多く、安易に口にすべきではないと私は思います。余命は同じような症例の「平均値」だと思われがちですが、医師が告げる場合はほとんどが「中央値」です。100人のデータがあれば、50番目に亡くなった人の数値。それよりもっと早く亡くなる人もいれば、何年も長く生きる人もいる。かなりばらつきがあります。「余命を超えても生きている」というのは、何ら不思議なことではありません。
 ●緩和ケアで延命も
 −−積極的治療のやめどきというのはあるのでしょうか
 ◆抗がん剤の限界をよく分かっている医師なら、これ以上使っても効果がないと思われる場合は、投与しないことを勧めます。しかし、それをうまく言えない医師が多いので、亡くなる寸前までつらい抗がん剤治療を続けてしまう。
 一方、やめることを提案すると、「何もせずに死を待つのですか」と言う患者さんもいる。それは違います。「緩和ケア」をしっかりとやることで、抗がん剤ひとつ分の延命効果があるというデータがあります。緩和ケアは治療のひとつなのです。
 −−医師と意思疎通ができずに悩む患者も多いようです
 ◆そのことが、医療不信にもつながっていると思います。特に勤務医は激務なので、余裕をもって患者さんの話を聞くことができません。とはいえ、医師はコミュニケーション能力を磨くべきで、今の医学部は患者との面談法を教えています。
 「インフォームドコンセント」という言葉があります。本来は、患者が十分に理解し、納得したうえで医療を受けるためのものですが、現状では、医師が一方的に説明して、後の選択は患者にまかせるということが横行しています。そうではなく、患者とよく話し合い、患者の「生活の質」を考慮しながら、両者で最善の治療方法を決めるべきです。
 −−地域や病院によって医療格差も大きいようです
 ◆格差をなくすために国もいろいろと対策を講じていますが、現場が追いついていないのが実情です。主治医を代えるのは勇気が必要かもしれませんが、疑念を持つならセカンドオピニオンをとり、病院を替えるのもひとつの選択肢でしょう。【聞き手・三輪晴美】=つづく

(転載終了)※  ※  ※

 いずれも興味ある内容で、結局、全て転載させて頂くことになってしまった。
 冒頭から“ステージ4は末期ではない”という希望に溢れた言葉である。そう、確かにがんには0期から4期までの病期しかなく、5期が存在しないのは事実だ。けれど、一言で4期といってもかなり幅があるということを、日々実感している。遠隔転移していても命に即関わらない、薬(それも抗がん剤でない)で穏やかに長期間コントロールしていける転移事例も沢山ある。4期は進行がんであるには変わりないけれど、今の私を見て、ああ、末期がんの患者さんだな(可哀想に・・・)とは誰も思わないだろう。こと予後の長い乳がん患者にはそういう方は多い。皆、病気と上手く共存しながら、治療も仕事もプライベートも、長期間にわたってこなしている。

 そして、抗がん剤=悪、と声高らかに言う一部の医師の罪はやはり重いのではないかと思う。医療は日進月歩、私が病を得た10年前に比べ、続々と新薬が登場していると同時に副作用対策も格段に進歩している。ここで取り上げられているタキソテール副作用対策のアイス・グローブも、私が6年前に治療を受けた時にはまだ登場していなかった。そのため、手足の爪は全て脱落したけれど、今ならそれは避けられそうだ。そして、大昔に見たドラマのイメージ-嘔吐が酷くてバケツを抱えたままベッドの上で過ごす-のようなことは、そうそうないと思う。
 もちろん個人差はあるのだろうけれど、実際、私はこれまで吐き気が酷いという抗がん剤を使った時も、強力な吐き気止めを数種類処方して頂き、実際に嘔吐に苦しんだことはない。抗がん剤はもちろん、様々な治療を経験したから言えることだけれど、ホルモン剤や分子標的治療薬に比べれば、抗がん剤の副作用はキツいことには変わりない。けれど、実際に奏効するというエビデンスがあるからこそ標準治療なのである(インタビューにもあるが、標準治療という言葉の“標準”はどうも響きが悪い。松竹梅でいえば並、“梅”のイメージがある。実は現段階では最善の特上“松”であるのに・・・。)。
 抗がん剤治療=悪魔の薬、と何も知らない人々を必要以上に恐れさせ、騒ぎ過ぎているのではないか。副作用でボロボロの廃人のようになって・・・ではない。作用があるから副作用がある。両者を天秤にかけながら、患者は自分自身の身体の声に耳を傾ける。そして、出来る限り延命効果のある処方をするのは何より主治医の腕の見せ所だ。もちろん一人一人の患者により、さじ加減は異なる。それこそ患者との間のコミュニケーション作業によるものだと思う。

 やはり餅は餅屋。化学療法がメインとなる再発治療開始のタイミングで、外科医から腫瘍内科医を主治医に変え、転院することが出来た私は本当に恵まれている。日本ではまだ数少ない腫瘍内科医に全ての患者がかかれる環境ではない、ということも承知している。多忙で激務な医師に全てを求めるのは酷であるとも思う。
 それに、私は東京に住んでいるからこそこうして転院が叶ったのであり、地方在住であれば、セカンドオピニオンを取りに行くことは出来ても、結局、地元に戻って治療を続けざるを得ない患者さんは数えきれないのだろう。命の重みを“地域格差”と一言で片づけてしまうには、やりきれない思いである。

 さて、昨日は疲労と頭痛が酷く、家で寝たり起きたり。一歩も外に出ずじまいの一日になってしまったが、今日は無事復活した。やはり出勤しないとシャッキリしない。ダラダラ・ウトウトしてしまってダメだなあ・・・と思う。

 明日は通院日だ。先週撮影したCTの結果も聞いてこなければならない。気付けば8月も残り5日である。
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