ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.12.31 そして、大晦日

2010-12-31 10:12:04 | 
 昨日は名古屋到着後、駅構内の郵便局で2月10日の息子の入学試験料を払い込んだ。(わざわざ旅先で・・・、というのも昨日は大安だった。少しでも縁起の良い日に、という切ない親心である。)
 チェックインはまだ無理かと思いつつ、ホテルのフロントに行くと、もう準備ができています、ということで部屋に入ることができた。昨日送ったスーツケースも無事届いており、荷ほどきをしてしばし休憩。ホテルと直結した百貨店で遅いお昼をとった。
 やはり相変わらずの風邪ひきで、部屋に戻ってから、ベッドで読書をしたりうつらうつらしたりして夕方まで過ごした。

 夫と息子が名古屋駅に着いたのだが19時半過ぎ。友人とその息子さんには宿泊ホテルまで出て来てもらって1年半ぶりに5人で夕食をとることができた。
 2人の息子たちが初めて会ったのは、それぞれが4ヶ月、7ヶ月の赤ちゃんの時、ここ名古屋だった。息子にとっては初めての新幹線に乗っての大旅行。乗るや否や揺れがちょうど気持ち良かったのか、私の膝の上でずっと眠っていた。我が家の息子はようやくお座りができるようになっていたが、友人の息子さんはまだお座りもできない小さな赤ちゃんだった。その後、2歳でディズニーランドに行ったり、小学校に入ってユニバーサルスタジオに行ったり。去年の5月、友人の息子さんの中学入学祝で会ったのが、5人で会った最後だった。友人は、今年5月の第九の演奏会には来てくれたけれど、息子どうしの対面はならなかった。
 息子さんは去年会ったときに比べてとても顔つきが穏やかになり、自分の好きなことをちゃんと話してくれて、ほっとした。すでにそれぞれの親の背を大きく抜いているが、2人とも赤ちゃんの時の面影はしっかり残している。とても不思議な感じがした。

 さて、今日はいよいよ大晦日。息子は小さい頃から名鉄が大好きだった。今日は朝からハイテンション。いつもは決して1回の目覚ましで起きることがないのに、不思議なほどすんなり起きた。
 「まるごと1日乗り放題」のチケットを手に、意気揚々と出かけて行ったのを先ほど夫と2人、名鉄名古屋駅で見送った。なんでも岐阜から豊橋から全線乗ってくるとのこと。考えただけでぐったりきてしまう。
 そして、夕方6時に、中部国際空港(セントレア)で合流することになっている。(すっかり最近は“空港で観光”するのが我が家のマイブームである。)

 名古屋は朝から予想通りの雪。朝食を食べながら、どんどん横殴りに降ってくる雪にハラハラしながらの大晦日だ。
 今年1年、治療でいえば、前半はじわじわと腫瘍マーカーCA15-3が上昇を続け、レントゲンやCTの画像上でも影が増大し、胸部の痛みも気になるようになっていた。アロマシンから最後のホルモン治療薬ヒスロンHに変更してみたが、ほとんど効果が見られず、3か月で打ち切り。9月にはナベルビンに変更した。が、最初の投与時に中心静脈埋め込みポートの不調で薬が皮下に漏れる騒ぎがあった。ポートの再設置のため、急遽1泊2日で手術入院もした。その後、ナベルビン2投1休のペースに乗れるまで結構時間がかかった。ようやく軌道に乗り始めている年末だ。旅行も欲張ってこなしてきた。それがたたってかどうか、残念ながら風邪をひいたままでの年越しになってしまうけれど、とにかくこうして無事に大晦日もブログを更新できることに感謝する。

 今年一年、お付き合い頂きました皆様に心からお礼を申し上げます。来年もまた、細く長く書き綴っていきたいと思っています。どうか引き続きよろしくお願いいたします。
 皆様にとって来たる2011年が健やかで幸せな1年になりますように、お祈りさせて頂きつつ、今年最後の更新といたします。どうもありがとうございました。
 
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2010.12.30 無縁社会どころか・・・

2010-12-30 07:04:32 | 日記
 NHKの番組で「無縁社会-私たちはどう向き合うか」を見たときの衝撃は大きかった。(以下NHKのサイトより転載)

 (転載開始) ※ ※ ※

 12年連続で3万人をこえた自殺、最近さらに深刻化する児童虐待、そして若い世代に広がる孤独死。私たちは、こうした問題を別々の事柄として日々取材してきました。しかし、そこには、何か共通するものがあるのではないか、そう考えて、議論し、さらに取材を続けました。そして、見えてきたのが、家族、ふるさと、そして会社とのつながりが急速に切れている社会でした。私たちは、こうした社会を「無縁社会」と呼ぶことにしました。

  ※ ※ ※ (転載終了)

 本当に他人事ではない・・・と強く思った。高齢にならなくても病気で孤独死はいくらでもあり得る。早く見つけてもらわなければ、人としての尊厳ある死の形からどんどん遠ざかってしまう。家族があっても、どんなきっかけで突然一人になるかわからない。取材班による単行本が出版されたようなので、読んでみたい、と思っている。

 同じくNHKの番組で先日放送された、山谷地区でご主人と2人でホスピスを運営している看護主任さんの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見、涙がこぼれた。
 いろいろ大変な人生だったけれど、それでも最期はここに来られてよかった、と穏やかに亡くなっていく姿がそこにあった。

 一方、今、私は本当にいろいろな不思議なご縁で日々生かされているな、と思う。
 血縁・親戚関係はもちろんのこと、職場、大学、高校、そして患者会の方たち・・・。一期一会。眼には見えない沢山のこうしたご縁は自分が大切にたぐりよせなければそのまま切れてしまう細いものもある。そんなことに今まで気付かなかったのが実に傲慢だったのかもしれないけれど、今は不思議とこの糸は切ってはいけないと感じると、その細い糸がちゃんとたぐれるような気がしている。

 再発して、情けないことに人との関わりやお付き合いに後ろ向きになっていた時期もあったけれど、今、こうしたご縁を大切にしたい、という前向きな気持ちになれたことに感謝である。この年になって新しく友人を作ることはとてもハードルが高いような気がしていたけれど、とんでもないということを実感した。ただ自分から線を引いていただけだったのだ。
 お節介かもしれないけれど、出来るときに出来ることを、ちょっとの勇気をもって一歩踏み出して、どなたかのお役に立ちたいな、と思うのである。

 そんなわけで、今、現在はこのブログではコメントを受け付けない設定にしているけれど、来年からは受け付けてみようか、と考えている。もちろん、全てのコメントが応援だったり、共感だったり、というわけではないだろうけれど、それもひっくるめて、2011年の私の小さなチャレンジである。

 今日は、夫と息子は早朝から青春18切符を持って出かけた。中央線・飯田線・東海道線と乗り継ぎ、およそ12時間かけて夜遅くに名古屋到着予定。私は昼前に病院の最寄り駅から新幹線に乗って、午後に名古屋入り。そのままお昼を食べてホテルにチェックインする。夜には久しぶりに友人に会う予定だ。


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2010.12.29 今を繋いで、今をしっかり生きる

2010-12-29 10:42:25 | 日記
 先日来ちょくちょくお邪魔させて頂いているひよこさんのブログで、闘病中のお友達の訃報に接したり、クリスマスイブの検査等で頑張れない、と書いておられるのを拝見し、辛い気持の中、コメントを寄せたところ、私の言葉「今を繋いで、今をしっかり生きる」がまさに(私たち再発患者の)闘病そのものだ、というお返事を頂戴した。

 それにしても、私ときたらナベルビン投与の翌日から、寒波が来ているという道北地方に急遽出かけたりして、今しかない・・・、と、かなり刹那的と思えるほどの生活をしている。その結果かどうか、すっかり風邪をひいてしまったのはまさしく自業自得である。

 それでも、今、病状が落ち着いている中で、思い切って行かなければ次回はないかもしれない、来年の冬も今のように悪い細胞がおとなしくしてくれているかどうかは神のみぞ知る、で、もう行けないかもしれない・・・、と思うと、信じられないパワーが出るものだ。これぞ火事場の馬鹿力というのだろうか。

 今回の旅行では、集合写真もずうずうしく最前列に陣取ってにっこり笑って写ってきた。こんな集合写真を撮る旅行に参加したのは本当に何年ぶり。小さかった頃、こうした集合写真では必ず最前列で旗を持ちたがった息子も、数年経ってみればすっかり反抗期・思春期真っ只中で、こっそり後ろで写りたい、出来れば写りたくもない、と全く状況が変わっていた。そのため、息子からは「出しゃばり!」と大顰蹙をかったけれど・・・。とにかく、今、この時、精一杯生きている、という何らかの証が欲しいのだ。

 通院の合間を縫って旅行も行って、仕事もして、家事もあれもこれも完璧にやりたい、というのはさすがに無理だから、一番皺が寄るのはやはり家事(!)かもしれないけれど、それはもう片目(いや両眼か)をつぶるしかない。今日、頑張って大掃除もどきをすれば、また明日からお出かけするのだから(パソコンを持っていくのでブログはちゃんと更新する予定です。)、本当にキリギリス一家ではある。

 そういえば、今年2010年は国民読書年だった。
 今年読めた本は、今日現在317冊。昨年が315冊だったから、少しテンポアップしたようだ。それにしても読んだ先から忘れているから、同じ本を2回手にとって読み終わる頃に気付く、ということがあるのも前に書いたとおり。どのくらい頭にとどまっているか、と問われればとても大きなことは言えないけれど。
 そして、今年見た映画は28本。昨年は25本だったからこちらもアップテンポ。

 病気になってから6年近くで読んだ本は907冊。
 初発で入院したときに、この後、死ぬまでに1000冊読めるだろうか、と思っていたけれど、なんとか達成しそうだ。やはり間違いなく再発後、読書のテンポは大きくアップしている。(2005:116冊、2006:30冊、2007:50冊、2008:79冊)当然ながら、毎週の数時間の点滴時間など通院日が増えたことによるけれど。

 映画もそう。かつて息子とアニメ、夫とアクションものを細々と見ていた時よりも、一人でふらりと行くことが多くなった。(2005:12本、2006:19本、2007:18本、2008:14本)そして食わず嫌いも言わず、新しい発見があるかもしれない、と時間が合えば2時間の異次元空間に乗り出せる。通院のため、なかなか遠距離の長期旅行が出来なくなったことにもよるかもしれない。画像を見ることで、世界旅行、日本旅行、時間旅行までが出来るのだから。

 そうして私は、今を繋いで、今をしっかり生きたい。
 今年もあと2日を残すのみとなった。今朝は6度台に下がったものの、鼻水と鼻づまり、咳は相変わらず。午後から年内最後に行こうと思っていたピラティスもキャンセルした。大洗濯はしているが、恥ずかしいけれど大掃除はとても出来そうにない。

 私なりに精一杯の2010年だった。そしてまた、来るべき年も精一杯の2011年にしたい、と心から思う。
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2010.12.28 何はともあれ仕事納め

2010-12-28 22:17:30 | 日記
 昨夜は7度8分の発熱。結局夕食も作れず食べられず、ご飯だけ炊いて夫の帰りを待ってベッドへなだれ込んだ。(そんなわけで昨日はブログの更新もできずじまいでした。訪れてくださった方たちには大変申し訳ありませんでした。)
 おかげでしっかり汗をかけて、夜遅くにアイスクリームで風邪薬を流し込み、今朝はとりあえず平熱に戻った。あいかわらず鼻水と咳は出ているけれど、今日は何はともあれ仕事納めである。

 休暇が残っていれば今日も思い切って休んでしまう、ということもありだったかもしれないけれど、今日こなさなければならない仕事があるし、年明け早々の〆切りものも片づけておかなければならないし、なにより年休は風前の灯状態・・・。夕方だけ1時間早退することにした。それでも不思議と出勤すればそれなりにシャンとする。

 来年は年休が年休として使えるので、大分息がつけるようになると思う。
 今年は「病気休職が明けたら、その後1年間は同じ病気で病欠を取ることが出来ない」という規程に則って、1月当初に30日弱でスタートした繰越年休を使いながら病欠がとれるようになる6月まで、全て年休で通院しなければならなかったので、本当に綱渡りだった。
 毎週の通院だけで自動的に1ケ月4日から5日は休暇が減っていく。6月になるまでには土曜日出勤の代休等で振り替えもしたが、病欠を取り始めるまでに既に20日以上の年休がなくなっていた。
 息子の保護者会や合唱祭、午後のCT検査等を加えれば、6月の初めの段階で既に、年内使える年休の残日数は7日という状況だった。本当に風邪をひいてうっかり休む、ということすら危うい状況。それでも夏休みも数日は通院に充てたりで、何とかかんとか12月まで過ごしてきた。

 何はともあれ仕事納め。
 一昨年は5月まで病気休職だったので、当然その年の勤務実績が8割に満たなかった。そのため、今年の年休は来年に繰り越すことが出来ない(実に複雑な制度ですが)ため、今年はすっぱり使い切って来年は繰越ゼロ、正真正銘年休20日からのスタートになる。

 それでも職場関係者の方たちのお力添えがあって、今日までなんとか通院しながら勤務することが出来た。本当に感謝である。もちろん、家族の支え、患者仲間の支えもとても大きかったのは言うまでもない。

 来年も多くは望まない。特に無理せずこのペースで通院と勤務が叶う1年が過ごせれば十分に嬉しい。

 さて、昨夕、月初めに受診した婦人科検診の結果通知を受け取った。婦人科は診察所見、コルポスコープ診とも異常所見なし。子宮頸部の細胞診クラスⅠ(陰性)。あわせて異常所見なし。乳腺科は診察所見では、(右)異常なし(左)術後所見、超音波断層撮影では、(両側)乳腺腫瘤(疑い)(これは昨年と殆ど変化なし。引き続き通院治療を、と言われたので問題ないと思う。)ということで、管理・治療継続の診断だった。

 予想通りの結果だ。年明け早々の通院で主治医に診て頂こう。

 結局今日も午後からふらふらしてきて、夕方はまた熱が上がってしまった。夫にメールして風邪薬とお弁当を買ってきてもらうように依頼し、私はベッドへ。ようやく今しがた起きて夕食をとり、薬を飲んだ。

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2010.12.27 心穏やかに

2010-12-28 22:11:36 | 日記
 日々、あれやこれや心配したりイライラしたりすることなく心穏やかに過ごしていれば、免疫力もアップし、病気もおとなしくしてくれるのだろう。プチ虹のサロンのKさんがおっしゃることは本当にもっともだ。そして、心からそうありたい、と思っているのだけれど、そうは問屋が卸さないのが日々の生活の常である。

 先日、息子は携帯ゲーム機を夫に回復不能にされた、と書いたけれど、その後日談。
 学校が休みの日のことだった。夫も私もいつものように仕事に出てしまい、この日は塾も午後2時からということで、午前中、息子は学校の課題をやっているはずだった。それでも眠くてすぐにベッドとお友達になってしまうので、夫に頼んで、少なくとも塾には行くように電話を入れてもらった。私も時間差で連絡したのだが、留守電。ようやく1時過ぎに電話がつながった。食事はちゃんとしたのか、遅れないように行くように、と言ったところ、全く変な様子はなかった。

 が、2時半を回ったところで塾から私の携帯に電話。かなり長いこと鳴り続けたけれど、会議中だったので出られず、3時過ぎに電話をしてみると、「時間に来なかったので電話をしましたが、その後すぐに来ました。」とのこと。(何をやっているのだろう)と訝しく思っていた。

 そして仕事を終えて帰宅。塾のスタートが遅れたので、私の方が帰りが早いだろうと思いきや、既に息子は帰宅していた。なんと用意しておいた昼食がそのまま残っている。「お昼はどうしたの?」と聞くと、「おばあちゃんちに行ってきた。後で電話があると思う。」と。全然聞いていないし、いきなり電話もせずにふらっと出かけて、2人が家にいたようだからいいようなものの・・・、と言いつつ、実家の母に電話をした。
 やはり父も母も用事で出かけていたそうだ。たまたま途中の公園でばったり父に会い、二人で駅前でお茶をして母の帰りを待っていたらしい。母がお昼を食べてから帰るように言うと、私が用意したお昼があるし、午後から塾だから早く帰らなければいけない、と家には行かず、途中駅までは定期があるので、帰りのバス代だけもらってそのまま帰ったのだという。わずか2時間くらいのことだったようだ。
 「おじいちゃんからお小遣いはもらっていないでしょうね。」と言うと、「お年玉に1万円もらったから預けておく。」とお金を渡してきた。また、1時過ぎにはちゃんと帰ってきており、塾に遅れたのは家のカギをかけ忘れたから、というのが本人の弁だった。
 それで終わりかと思っていた。

 が、その夜、夫が帰宅するとどうも様子がおかしい。私は夕食の支度をしていたのだが、息子の部屋で夫が「何か隠していることはないか。」と詰め寄っていた。なんと先日壊されたゲーム機を買ったレシートを見つけたらしい。それでも自転車のかごに入っていた、とかあくまでしらばっくれる様子だったが、私が「みっともないから出しなさい。」というと、案の定、新しいゲーム機を出してきた。本当に脱力した。わずか数日前に自分のせいで壊され、その時に受験までは我慢する、と言っていたものを。夫は「ここまでコケにされて、お前はもう殴る価値もない。」と言い放った。
 実家に連絡して、状況を聞いたところ、やはり内緒でさらに2万円を渡していた、とのこと。旅行に行くと聞いたから、そのお小遣いのつもりで渡したのだが、とは父の話。

 夫が殴る価値もない、勝手にしろ、と言ったところで、私の気持ちがはじけた。
 私は子供の頃、父から結構手を挙げられていたのが、子供心にとても嫌だったので、自分に子供が出来たら、絶対に手は挙げない、何があっても口で判らせるようにする、と心に決めていた。だからこれまで15年近く、息子に手を挙げたことは一度もなかった。それでも、どうしても平手打ちはできなかった。ほっぺたをつねり、うそをついた口元をつねったところ、皮膚が柔らかく、私の爪が薄いのでめり込んでしまった。手を離したら血がにじんでいた。
 それでも、(息子は)私の気持ちをわかってなんかいない、と夫から言われ、あまりに情けなくて、悔しくてそして自分が誓ったことを守れなかった自己嫌悪で本当に何年振りかで声をあげて泣いた。

 そして夫から「お前はおじいちゃんのところにお金をせびりに行ったんだな。これでお母さんの具合が悪くなったらお前のせいだぞ。」と言われると、「そこまで言われるなら。」と自分で2つに割っていた。泣きながら。
 わずか数時間の命だったゲーム機。
 それでも見つからなければ、隠れてゲーム三昧のつもりだったようだ。
 なぜ、そこまでして我慢できずにそういう行動に出るのだろう。

 翌日、学校の友人には「転んで傷つけた。」と言ったそうだけれど、ほっぺたと口元の傷はいまだちょっと残っている。最初で最後にしてほしい、と願っているのだが。

 父から詫び状が届き、あわせてゲーム機は処分してほしい、と言われたけれど、自分から2つに割ったことを告げた。

 嘘をつけば嘘が嘘を呼び、自分が辛くなるだけなのに。もちろん大人になればあえてつかなければいけない嘘もあるけれど。

 こうして今日も心穏やかに、と思いつつドタバタな日々を送っている我が家である。

 さて、今日は久しぶりの出勤で仕事がたまっていた。年末なので仕方ないけれど、どうも午後あたりからだるくて鼻水がとまらない。帰宅して熱を測ると7度8分、まずい。明日は何が何でも出勤しないと、本当に休暇がないのだから・・・。
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