ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.8.31 9月を前にした憂鬱

2012-08-31 20:12:20 | 日記
 ここ数日間、嫌な感じの胸部の鈍痛、圧痛が断続的に続いている。
 再発以来、この痛みから解放されている時間は殆どないのだけれど、ある程度の痛みは自分としては既に当たり前になっており、薬を飲むほどでもなく、それほど気にならなくなって久しい。
 けれど、今回はやり過ごせないほど気になる。ずっと痛みと向き合っているとろくなことを考えないから、何とか気を紛らわすために、昼休みに散歩に出てみたり・・・を繰り返していたが、観念して、昨夜はロキソニンのお世話になった。
 もっと早く飲めばよいのに、もうちょっと様子を見よう、などと先延ばしにしたのが良くなかった。
 結局、すぐには効いてくれず、ただでさえ寝苦しい夜、痛みが鎮まって寝付けるまでずっと不機嫌に横たわっていることになった。

 そして今朝。夜中に痛くて目が覚めるほどではなかったが、目覚めてみると相変わらず痛みがとれない。
 リビングの温度計は6時前に既に30度をさしている。ここのところ、数年来で一番体調が良く、夏バテとも無縁!などとちょっと調子に乗りすぎたか。フルタイムで仕事をした後に、今月は3日と空けず、夜ヨガにまで参加してしまった。今週は予約がとれなかったこともあるが、さすがにセーブしている。

 それにしても、何年患者をやっていてもまだまだ、修行が足りないなあと思う。
 痛みが出ると、情けなくもこうしていきなり怯える。いよいよ増悪ではないか、と。
 ジタバタしてみても始まらない。来週の水曜日にはCTの結果も判り、今後の治療方針が決まる。
 これまでも、痛みが出たからといって必ずしも増悪に繋がらなかったこともあるし、痛まないから大丈夫、というわけでもなかった。今、もし・・・だったら、などと考えてみても、気に病んでみても仕方がないことは自分が一番判っている。

 楽しく過ごそうと、うじうじと悩んで過ごそうと、当然のことながら結果はもう変わることはない。
 せめて、明日明後日の、来週の診察前最後の土日は心穏やかに好きなことをして過ごそう。痛みがあるなら躊躇わず、薬の助けも借りてやり過ごそう。
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2012.8.30 事実と向き合い、うまくつきあう

2012-08-30 20:03:17 | 日記
 8月から読売新聞の医療サイトyomiDr.(ヨミドクター)で新しい連載が始まった。
 いつかもご紹介した高野利実先生のコラムだ。今回は「がんと向き合う~腫瘍内科医・高野利実の診察室」というもの。先週分と今週分、転載部分がちょっと長くなるのだが、ここでもう一度、私が今私の病と向き合っているスタンスが間違いではないということを力強くバックアップしてくれるものとして、掲げておきたい。

※  ※  ※(転載開始)

治らない事実と向き合う(2012.8.22)

 さる7月に、日本臨床腫瘍学会学術集会で、田原総一朗さんの司会による市民公開シンポジウムが開かれ、私もパネリストとして参加しました。テーマは、がん医療のあり方についてでしたが、「病気を治してほしいという患者さんの気持ち」と、「治らないという現実」のはざまで、患者さんと医者はどのようにコミュニケーションをとっていくべきか、という議論になりました。
 田原さんの、「患者は病気を治してほしいんだよ」という言葉はその通りでしょうし、治せる病気を治すのは、医者の大事な仕事だと思っています。でも、腫瘍内科医の扱うがんの多くは進行したもので、基本的に、治ることは期待できません。そのような「治らない病気」といかに向き合うか、そして、治らない病気と向き合いつつ何を目指すのか、を考える必要があります。
 治らないという事実を見ないようにして、治るつもりで治療を重ねていく、というのも一つのやり方かもしれませんが、そうすると、結局目標は達成できず、つらい治療のあとに得られるのは深い絶望だけ、ということになりかねません。
 私は、患者さんに、「治らないという事実」はきちんと伝えるようにしています。その上で、「治らないということは、けっして絶望ではない」「治らないけれども、目指すべき目標はあり、そこに希望もある」「あなたに対して医療にできることはたくさんある」ということをお伝えします。
 世の中には、病気を治すことに価値をおく風潮があり、多くの医者はそこにやりがいを感じています。でも、病気を治すことに価値をおく医者ばかりだと、治らない病気を抱えた患者さんは見捨てられてしまいます。私は、そんなふうに見捨てられがちな患者さんにこそ、希望と安心と幸せをもたらすような医療が必要なのだと思っています。私が腫瘍内科医を志した理由はそこにあります。
「治らないけど希望がある」というのは、「言うは易し」ですが、この難しいテーマについて、数回にわたって考えてみたいと思います。

がんとうまく長くつきあうこと(2012.8.29)

 前回、進行がんの患者さんに、「治らないという事実」を伝える、と書きましたが、それは、重大な事実を押し付けるわけでも、絶望の宣告をするわけでもありません。むしろ、「治る」と「治らない」の線引きはあいまいで、その線引きにあまりこだわるべきではないということを説明します。
 そもそも、「治る」というのは、どういうことでしょうか?病気が体から完全になくなる、すなわち、がん細胞が1個残らず、体から根絶される状態のことでしょうか? そうであれば、確かに、進行がんは、「治らない」ということになります。でも、体の中にがんがあっても、それと共存して、天寿を全うした場合、それは、「治る」のと何が違うでしょうか?
 私は、こんな風に説明します。「がん細胞がゼロになることを目指す必要はありません。がん細胞が体の中に残っているということを受け止めた上で、それが悪さをしないように、『がんとうまく長くつきあうこと』を目指しましょう」。
 がんとうまくつきあいながら、自分の人生を生き切ることこそが、たとえその長さが他の人より短かったとしても、「天寿を全うする」ことだと言えるかもしれません。
 確かに、進行がんの患者さんの多くは、がんによって命を落とすわけですが、たとえば、糖尿病や動脈硬化も、「治ることは期待できず、いつかは死に至る可能性が高い」という点では、あまり違いません。でも、糖尿病や動脈硬化を告げられた患者さんよりも、進行がんの患者さんの方が、「あとは死を待つだけ」と思い詰めたり、絶望に打ちひしがれたりすることが多いようです。この違いは何でしょうか? 私は、一番の問題は、がんにつきまとう「イメージ」にあると思っています。
 がんの患者さんにとって、「治る」と「治らない」のイメージには、天と地の差があります。治るといえば、勝利であり、いいことであり、希望と安心と幸せを感じることができます。治らないといえば、敗北であり、よくないことであり、絶望と不安と不幸を感じることになります。「治らない」ということは「死」とイコールだという思い込みもあります。進行がんの患者さんの多くは、がんそのものよりも、このイメージで苦しんでいるのではないでしょうか。
 「治る」としても「治らない」としても、イメージに惑わされることなく、常に、希望と安心と幸せを目指すこと。それが、医療のあるべき姿だと思います。

(転載終了)※  ※  ※

 そう、私も今の病院に転院した4年半前、主治医から一番最初に「完治は難しい」ということを言われた(もちろん、言葉を選びながらとても丁寧に時間をかけて話してくださった。突き放すということでは全くなく。)。そして「そのこと(治らないこと)についてどう思いますか?」とも問われた。その時は不思議と落ち着いていた。「これまでそう(再発)ならないように治療を真面目に続けてきたつもりでしたが・・・こうなってしまったのだから、仕方ありません。」というような答えをした記憶がある。

 確かに「もう治らない」と言われることはエンドレスの再発治療を意味することだから、それまで続けていた術後の再発防止治療とは全くスタンスが異なる。そのことをきちんと理解しないまま治療を続けると、途中で心が折れてしまう心配があるからだろう。医師によっては、再発患者に対して最初に「もう治らない」と言うことは冷たすぎる、厳しすぎる、とおっしゃる方もあるけれど。

 もちろん、4年半を超えて再発治療を続けている今もなお、治るものなら治りたいというのが本音だし、治らないでいいと言っているわけではない。けれど、それが今の医療をもってしても叶わないというなら、やはり受け容れるしかないし、共存するのが唯一許された賢い方法だろうと思う。事実に眼を塞いだまま、見ないふりをしたまま治療を続けるのは精神的にかなり辛いものではないか。絶望することが病気の一番の敵のように思う。

 だから、確かに今は治らないと言われているけれど、希望を捨てずに今の生活(仕事も家庭も趣味も治療も!)を続けながら少しでも病と長く共存していくこと、を目指しているわけである。そして、そのことは先生がここで主張されていることと同じことだと理解している。
 これからも細く長くしぶとく病とつきあいながら、自分なりの人生を生き切ることを目指したい。健康な人たちに比べて少し短い人生になるかもしれないけれど、比べても仕方ない。それは間違いなく私の「天寿の全う」なのだろうから。
 「治らない」ということは決して「死」とイコールではない。そして「敗北」でもない。がんだけが特別なわけでもない。治らなくても希望も幸せもある。本当にそうなのだ、と改めてその思いを強くする。

 今日も終日暑かった。昼休み、ちょっと外を歩いただけで、本当にクラクラした。ここ数日暑さがますますパワーアップしているような錯覚に陥る。けれどこの暑い中、日傘を差しながらではあるが、汗をかきかき自分の足で歩ける。好きな所に行ける。なんて幸せなことだろう、と思う。

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2012.8.29 明るく人生の終い方を考える

2012-08-29 21:45:17 | 日記
 葬儀の形が実に多彩になっている。

 かつて結婚式がその流れに変わっていったように、人生の終い方もお仕着せのものでなく、自分らしいものを、ということか。亡くなる前に自分でプロデュースしておく人も少なくないと聞く。エンディングノートを用意することも以前に比べタブー感は小さくなって、言うなれば遺される人たちになるべく負担をかけないためのエチケットとして浸透してきているのではないだろうか。
 悲しみの中、病院と提携した葬儀社の車に有無を言わさず載せられて、あれよあれよと・・・ということではあまりに切ない。故人の遺志を尊重するようなお別れの式が出来るならそれに越したことはない。

 私自身、葬儀は要らないかな、と思っていた。けれど、全く何もないと五月雨式にお別れの方が来て下さったりして、遺された家族にとってはその対応が葬儀以上に負担になる、ということを何かの本で読んだ。
 さすがに全くけじめをつける機会がない、お別れを言ってもらう機会がないというのでは、却って失礼にあたるのではと思い直し、出来るだけ簡素に、祭壇等は要らないから好きな色のお花で飾って送ってもらえれば、それで十分。葬儀というよりはちょっと長めのお別れ会(だって、どなたともいずれはあの世でお逢いするんですもの!)のような感じで、と思っている。

 先日、ある方とお話した時のこと。
 ご主人を亡くし、お子さんもいらっしゃらないので、お墓は建てずに葬儀もせず、海洋散骨にすることに決めた、とのこと。2人で旅行した思い出の海に、専用クルーザーを出しての散骨式が可能だという。散骨は昔のイメージが強く、何となく法的に難しい気がしていたのだが、現在では規制対象外だそうだ。
 なるほど、ネットで検索してみたら、すっかりパッケージ化しているのに驚いた。遺灰を粉末化し水溶性の紙に包み、沖に出て、養魚場・養殖場を避け、セロハンで巻いた花束を禁じ、花びらだけにする等の節度を持った方法で、母なる海に還すセレモニーであるという。土に還る樹木葬もしかり。こうして情報が簡単に入手できるのも、それだけの需要があるということだろう。

 随分前のこと。実家の両親は、一人娘は病気だし(あてにならないし)、一人しかいない孫に墓守をさせるのも酷と考えたらしく、何の相談もなく都立霊園の共同埋葬墓地に申し込んで、準備万端整えてしまった。
 それを聞いた時は、随分水臭いんじゃないかと、ちょっと憤慨したけれど、今、冷静に考えてみれば英断だった、有難い、とも思う。

 夫の郷里にある先祖代々のお墓と、新たに建てることになる実家の両親のお墓、さらには勢い(!)で新しく建ててしまった私たち夫婦のお墓。今後、これらを全て息子に一人で守っていかせるなど、あまりに非現実的だ。さらに息子が結婚したら、妻方のお墓まで加わるわけだから、お墓参りだけで1週間が潰れてしまう。

 と、そんなことを悩んでいても仕方ないけれど、髪の毛があるうちに、皺くちゃになる前に、と遺影も撮ったことだし、こういうことを考えられるのは元気な証拠!とつらつら明るく考える夏の日の夜である。

 夕方の風は涼しくなってきたが、日中は相変わらずの残暑が続いている。8月も余すところあと2日だというのに。
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2012.8.28 自分から「末期」とは言わない

2012-08-28 20:46:41 | 日記
 相変わらず朝から良いお天気で、暑い。
 昨日は夫が代休、息子は夏休み最終日。朝からまったりする2人を横目に私だけ通常通り出勤した。終日胸の鈍痛と圧痛が鬱陶しかったが、帰宅すると宿題も無事終わって、懸案事項の部活の乗車記も完成していた。お昼は夫の指導のもと、息子は調理実習もどきをしたようだ。有難いことだ。

 そして、今朝。40数日ぶりにようやく通常の朝のひと時が戻ってきた。
 お弁当の作り方を忘れた感じで、支度にもたついてしまったが、とにかくなんとか2人を送り出してから一人の時間が小一時間。何にも替え難い貴重な時間である。

 さて、これまでも何度かご紹介したことのある朝日新聞アピタルから、日野原先生の連載記事で気になるものがあったので、以下、転載させて頂く。

※  ※  ※ (転載開始)

「緩和」「末期」 暗い響きを見直す  日野原重明 100歳・私の証 あるがまゝ行く(2012年8月27日)

 がんの患者さんで、がんが進行し、心身ともに痛みを感じている人たちが入院する「緩和ケア施設(PCU)」(英語でpalliative care unit)がいま、日本には244施設(4836床)あると言われます。PCUのある病院に入院すれば、身体的な痛みやその他の症状はモルヒネで取り去ることができ、精神面では、不安を軽減する薬を処方したり、音楽療法などで心を静めたり、といった対策が取られます。
 とはいえ、このような「緩和ケア」を受けている患者さんで、たとえ痛みが和らいだとしても、やはり死が近づく足音を心に感じて、思い悩みながら生活しているケースがあります。「自分は『緩和ケア』を受けている」ということが常に気になり、「死が近いのではないか」と心の中でおびえる患者さんが、決して少なくないのです。
 そんな問題がある中、2007年に米国テキサス州ヒューストンにある、がん専門病院「MDアンダーソンがんセンター」が、「これまでの『緩和ケア』という言葉は、がん患者に何となく暗い感じを与える」として、新たなシステムと名称を考案しました。がんに関する外来、入院、コンサルテーションを統合して、これを「サポーティブケア」と呼ぶことにし、PCUについても、「サポーティブケアセンター(SCC)」という名称に変えた、というのです。
 私は1993年、日本における独立型ホスピス「ピースハウス病院」を財団法人ライフ・プランニング・センターの一施設として、神奈川県中井町に開設しました。この財団法人で今年7月半ば、国際フォーラムを開き、その講師に、前述のMDアンダーソンがんセンターのサポーティブケアセンターから、スリラム・イェニウー博士を招いて、導入の経緯や成果についてお話しして頂きました。そして、日本各地から集まったフォーラム参加者の間でも、「末期ケア」「緩和ケア」といった呼び名は改め、「サポーティブケア」か、それにふさわしい日本語を考えてはどうか、という意見でまとまりました。

(以下略)(転載終了)※  ※  ※

 かつて、緩和ケアはターミナル(終末期)ケアとして主に末期がん患者等に対して行われ、治癒や延命ではなく、痛み等の身体的、精神的な苦痛の除去を目的とした医療を意味する場合が多かった。が、近年では、がん診断初期から積極的治療として並行して行うべきであるとされ、さらにはがん以外の疾患への拡大が行われるようになっているという。つまり診断の時に始まり、根治治療、保存的治療、症状緩和治療へと治療目的が推移するごとに、段階を経ながら緩和ケアの役割を大きくしていくことが推奨されている。

 このブログでも何度も書いているが、痛みがあるとどうしても前向きになれない。だから闘病を続けていく上で、取り除ける痛みは取り除くのが一番だ。末期に限らず、痛みをコントロールしながら治療を続けることは、私たち患者にとってとても大切なことだと思う。私自身は「緩和」を「痛みを取り除く」という意味で捉えているので、その言葉自体にはそれほど違和感はない。

 けれど、「末期」という言葉はいかにも暗くて、救いがない。確かに多臓器に遠隔転移があるわけだから、いわゆるがんの病期としては最終ステージのⅣ期であるには違いない。そして、完治は非常に難しい進行がんであることも事実で、そのことは自分でも受け容れている。けれど、決して強がりではなく、自分が末期がん患者であるとは思っていない。

 「末期」という定義は難しい。一般的には他臓器転移があり(Ⅳ期)、治らないから即「末期」ではなく、積極的な治療が出来なくなり、予後が2-3カ月とされた時に「末期」というようだ。けれど、余命1カ月と言われつつ何年も治療に頑張っていらっしゃる方は沢山いる。余命なんぞ誰にも決められないし、結局のところ誰にもわからない。

 言葉だけ明るくして何の意味があるのか、とおっしゃる向きもあるかもしれないけれど、言葉の力は決して侮れない。自ら「末期」などと言ったら、免疫力もドーンと落ちそうである。それが「サポーティブケア」と言われれば、症状の有無にかかわらず一人じゃない、支援してもらえるのだ、と再び前を向いていけるのではないか。

 使っていない治療薬は残っているし、仮に薬の選択肢が底をつく日が来ても、何とか粘って凌いでいれば、新しい薬の恩恵を被ることだって夢ではないと思う。だから決して自分から「末期」と名乗りたくはない。
 しつこい保険の勧誘電話があると、これまでは「末期がんの治療中なのですが、それでも加入出来ますか?」と言っていたのだが(これで必ず相手は息を呑んで電話を切ってくれる。確実な撃退法だ。我ながら嫌な奴ですが・・・。)、最近は「進行がんで治療中なのですが・・・、」と言うようにしている(ちなみに病院での点滴等指示書や処方箋には“再発・進行乳がん”と記されている。)。
 聞く方にとっては、こちらがこだわるほど大きな意味をもたないかもしれないけれど。

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2012.8.26 土曜日はハワイアンナイト、日曜日はコリアンナイト

2012-08-26 22:17:01 | 日記
 昨夜のハワイアンナイトのご報告から。
 夫が撮ってきた写真と動画によると、施設の中庭に特設ステージが出来ており、全席指定席で入所者の高齢者はすでにテーブルについてお待ちかね、「○○様ご家族様○名様」と家族の席もお願いしておいた人数分用意されていたという。参加者は皆、カラフルなレイをかけてもらって、気分はすっかりハワイアン。
 舞台では、近隣のフラ・サークルの方たちのフラダンス、施設の職員有志のフラダンス、そしてプロの方たちの歌と踊りなどの催しがあったようだ。アロハシャツを着た職員の方たちが100人以上総出で、カレーやかき氷などが上げ膳据え膳で、縁日のような楽しいお食事会だった様子。抽選会では、300人中30人の当選者の一人に義妹が入ったという。
 2時間ほどのイベントだったそうだが、義母は食欲旺盛で、出された食事も美味しそうに全部たいらげたという。夫も何とか昨日のうちに無事帰宅することが出来た。

 そして、今日。来週の火曜日が学校の始業式で、そのまま平常授業の息子にとっては、あっという間に夏休み最後の日曜日となった。

 大物らしく最後まで朝寝坊をして、息子は10時過ぎに塾の模試に出かけた。
 こちらは青空のもと、掃除・洗濯・断捨離と順調に家事をこなし、昼から夫と映画を観に行ってきた。それにしても今日も暑い。日傘をさしていても照り返しがジリジリと肌を焼く。もちろん日傘なくしてはとても外を歩けないほどだ。
 映画の後は買い物をして、夕方からメディテーション・ヨガに参加してきた。25分の瞑想の間、途中で何度も眠ってしまいそうになり、体がゆらゆら揺れてしまったが、目を閉じて頭の中を空っぽにして、最後の安らぎのポーズを終えた後、気分はいつになくすっきりして、とても満ち足りた気持ちになっていた。

 一方、夫と息子は夕方から予約していた美容院でそれぞれカットを済ませた。さっぱりしたところで3人で合流。昨日の数学検定に続き、今日の模試お疲れ様会ということで、息子のリクエストどおり焼肉食べ放題の夕食。
 夫も息子も焼肉には目がないが、私は普段、焼肉はパスしているので、本当に久しぶりに付き合った。私が焼こうとすると、こちらに任せろ、と夫が焼肉奉行を引き受けてくれた。ついついあれもこれも、とお腹いっぱい頂きすぎてしまった。 

 すっかり風が涼しくなった帰り道、空は澄み、ちょっぴり太った半月と星がとても綺麗だった。こうして夏休み最後の日曜日、夫と息子の大好物の外食にお付き合いすることが出来て、幸せなことだと思う。
 明日もいいお天気になりそうだ。8月最後の1週間が始まる。
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