ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.6.30 4か月ぶり全員集合!

2012-06-30 21:55:34 | 日記
 あっという間に6月も最終日。早くも2012年の折り返し点になってしまった。今日も梅雨空とは思えないほどのいいお天気で、日傘の手放せない日となった。

 今日は待ち遠しかったプチ虹のサロンの月例会。3月から体調不良のため、ずっと欠席だったTさんがお顔を見せてくださって、4か月ぶりに全員集合となった。

 午前中の用事が動かせず、正午スタートに大幅な遅刻をしてしまったので、なんだかあっという間にお開きの時間になってしまい、喋り足りずに不完全燃焼というのが正直なところ。けれど、とにもかくにも皆の顔が無事に揃ったことが何より嬉しかった。

 いつもはお部屋に備え付けの最新カラオケ機器を一切使わず、ランチとデザートを楽しみつつ、ひたすらお喋りだけで5時間(!)を過ごす。だが、今日は、これまでの会の様子を撮った写真を夫がDVDに落としてくれたので、それを鑑賞しながら、と趣向を変えてみた。
 思えばこの会は、一昨年11月、今日の会場であるパーティルームから始まった。それから先月行った初めての1泊旅行まで、これまでの写真をスライドショーにして眺めると、馴染みになったレストランやお花見スポット、あるいは、私のホームグラウンドに来て頂いたこと、美術館に行ったこと、写経に行ったこと等が懐かしく思い出された。
 夫はサービス精神旺盛で、メンバー分のDVDを作ってくれた。ディスクには記念すべき第一回の様子の写真が入って「プチ虹の会 写真集 アニバーサリー vol.1」とあった。曰くvol.2、vol.3・・・と続くように祈っている、とのこと。

 途中でスクリーンに「Happy Birthday to You」と映し出され、音楽が始まったかと思うと、「お誕生日おめでとう ○○さん(私)、○○さん(Tさん)」と書かれたホワイトチョコレートのプレートと、5本のキャンドルが飾られたデコレーションケーキが届けられてびっくり。
 私の誕生日は今月17日、Tさんは19日ということで、他の3人からのサプライズプレゼントだった。いつもは幹事席なのに、今日は奥の席であれこれと用意して頂き、すっかり甘えてしまった。でもちょっと落ち着かないので、次回はやっぱり幹事席がいいな、というのが本音。

 既に9月までの日程は決めているのだが、今日は鬼に笑われること覚悟で、来年1月の新年会まで日程を決めてきてしまった。この会で皆に逢うことが励みになり、一人じゃない、と治療に頑張っていけるのが何より心強い。
 8月から治療が変わって、どのくらいの副作用が出るかわからないが、もし体調が悪く都心に出てくることがきついということならば、私たちがあなたの住む街まで出向くから、とまで言って頂いて、本当に恐縮する。

 おりしも来週は七夕。一人ずつ願い事の短冊を頂き、皆、それぞれ願い事を書いてホテルエントランスに飾られた笹に付けてきた。
 私は「プチ虹のサロンがこれからもずっと楽しく開催できますように。」と。
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2012.6.29 最近のカラダスキャンの結果から

2012-06-29 20:50:43 | 日記
 ここ数年来、毎朝、「カラダスキャン」という体重体組成計に乗ることを日課としている。

 家族4人まで性別、年齢、身長、体重を登録出来る。
 夫はかつての痩せ体型が懐かしいのか、あまり乗りたがらない。私や息子からメタボだなんだと五月蝿く言われるのが嫌なのだろう。だが、体重を定期的に測らなくなる、体重計に乗るのが億劫=太り始める、は正しいと思う。
 体組成は10歳~80歳が測定出来、17歳以下では内臓脂肪レベルと体年齢は表示されない。16歳の息子は面白い部分が表示されないからか、スポーツクラブでもっと正確に測っているからよしとしているのか、これまたそれほど乗らない。

 我が家のカラダスキャンは、両手でハンドルを持ち上げ、素足で乗るもの。計測の際、両手に持った2つのグリップ電極,両足を乗せた2つのフット電極の計4カ所の電極から微弱電流が流れる。筋肉、血管、脂肪などのうち水分量の多い筋肉や血管は電気を通すが、水分を含まない脂肪組織は殆ど電気を通さない。これが微弱電流を流すことで体組成がわかる理由だという。つまり、同じ身長・体重であっても脂肪組織が多いと、電気が流れにくく電気抵抗が大きいわけだ。

 表示されるのは、体重、BMI(ボディマス指数:Body Mass Index)、0.1%単位の体脂肪率と12段階の体脂肪率判定、骨格筋率、1~30の内臓脂肪レべルと9段階の内臓脂肪レベル判定、測定したデータに基づいて算出された基礎代謝、そして総合判定としての体年齢。

 BMIは身長160cm (1.6m)、体重50kgの場合、50/1.6の二乗なので約19.5となる。ちなみに日本肥満学会ではBMI22の場合を標準体重としており、25以上の場合を肥満、18.5未満である場合を低体重としている。体脂肪率からいうと、男性は25%以上,女性は35%以上で「体脂肪率が高い」(=肥満)と判断されるらしい。

 乳がんには肥満は大敵だし、長い期間ホルモン剤を服用していると、どうしても体重が増加傾向になる。
 見た目は痩せていても内臓脂肪が多ければ隠れ肥満であるから、やはり注意しておきたいところだ。

 51歳のくせに何をか言わんやなのだが、最近までは体年齢が29歳から31歳の間で推移していた。
 測定の後、「今日は31歳だわ~」「やった、今日は20代!」などと言うと、夫は「実年齢をおいて、一体何歳になりたいのか。そんなものは本当にいい加減であって信じられない!」と言う(かく言う夫は実年齢より10歳ほど若いらしく、それは是としているようだ。)。

 先月末にナベルビン投与を中止して以来、食欲不振はどこへやら、ずっと食欲旺盛。夫や息子に付き合って食後に甘いものを食べることも増えていた。案の定、体重は2㎏増。毎回、投与後の食欲不振で2kg落ち、休薬週に食べて戻してキープしていたのだから、当然か。先日初めて32歳が出るようになったかと思ったら、今日はゾロメの33歳に突入してしまった。

 一方、内臓脂肪レベルは、これまでずっとレベル1だったのが、2に。これは、内臓脂肪面積を30段階にレベル化したもので、製造会社独自の推定式によって算出されているらしい。内臓脂肪レベル1は、およそ脂肪面積10c㎡に相当。レベル値が高いほど内臓脂肪面積が大きい、ということになる。判定は3段階で、レベル1~9までが「標準」、レベル10~14までが「やや高い」、レベル15以上だと「高い」という診断だそうだ。10を超えた時は要注意で、いわゆるメタボの可能性が高くなり、生活習慣病になりやすいといわれているようだ。

 そこまで至る道程にはまだ余裕がありそうだけれど、油断大敵。これからも体調に留意しながら適度にヨガで身体を動かして骨格筋を減らさないように、加齢とともにダウンする基礎代謝値を下げないように、きちんと食べて体力を落とさないようにしていかなければ、と思う。

 昨日も今日も雨は降らず仕舞い。週末に降られるとそれはそれでまた憂鬱なのだけれど。
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2012.6.27 笑顔でくらすために・・・シンポジウム参加

2012-06-27 20:04:41 | 日記
 今日は午後から男女共同参画週間記念シンポジウム「笑顔でくらすために~仕事と子育て・介護の調和を考える~」 参加してきた。

 基調講演はNPO法人ファザーリング・ジャパン代表理事の安藤哲也さんによる「笑っているパパ、す・て・き!」 。終始テンポの良い子育て本音トークで、保育園時代を懐かしく思い出しつつ、沢山笑わせて頂いた。
 休憩後、パネルディスカッション「仕事と子育て・介護の調和を考える」では、安藤さんがコーディネーターを務められた。パネリストは、一昨年、自治体の首長として初めて2週間の育児休暇をとって話題となった文京区長の成澤廣修さん、介護・暮らしジャーナリスト、NPO法人パオッコ(遠距離介護支援団体)理事長の太田差恵子さん 、三菱UFJリサーチ&コンサルティングで少子高齢化の調査研究をされている矢島洋子さん。
 紹介文を拝見するに、コーディネーターもパネリストも1960年代の生まれだから、私と年が近い人ばかり。子育てが一段落するかしないうちに介護が加わるお年頃である。

 前半の男性の話は子育て中心で笑い一杯だったが、後半の女性の話では介護がクローズアップされて、我が身に繋がる重たい話でもあった。介護は情報戦・長期戦であり、一人で抱え込まず自分を大切に、将来の自分の老後も見据えつつ(誰も介護のために仕事を辞めず)、働き続けながらチームを組んで乗り切ることが必要だ。育児も介護も情報は自分から取りに行くもの、孤独は人を鍛えるが、孤立は良い結果をもたらさない、という言葉が耳に残った。
 閉会後、ロビーで安藤さんの著書を購入、サインもして頂いてラッキーだった。

 仕事だけ頑張っていればよかった独身時代から、結婚して家事が加わり、子供が生まれて子育てが加わり、そして今は義母が要介護5で施設に入っている。この後、いつ実家の両親の介護が加わるかわからない。歳を重ねるにつれて、ワークライフバランスはライフの方が重さを増してくるものなのだな、と改めて思う。

 若い時は無理が利いたけれど、歳とともに体力に衰えが出てくるのは当然だ。そんな状況で、守備範囲が広く重くなってくるというのだから、冷静に考えれば手を抜けるところは手を抜いて、うまくバランスをとっていかなければ、スーパーマンでもない限り身体がいくつあっても足りない。あれもこれも完璧に、はとても無理な話だ。けれど、ライフの部分は仕事と違って自分の役割の代わりがいないから、どれも手を抜けないことばかり、となると、ライフが成り立つ前提となる財政面を獲得するためのワークを、いかに限られた時間内でうまく捌くかということ、つまるところタイムマネジメント力がものを言うということだろう。

 子供の頃から単純で、「文武両道」とか「○○と○○の両立」とかいう言葉に弱かった。そうか、よし、両方とも頑張らなくては、と。息子が小さかった頃、家事と育児の両立どころか共倒れ・・・と、下を向いて唇を噛んだことも一度や二度ではない。でも、これってもしかするとお尻叩きにうまく乗せられていたってこと?とも今更ながら気付いてしまう。

 その点、母に似ていない息子は結構冷めていて、実にマイペース。大したものだ。学校が「文武両道」を強く推奨しているから、どうもそういう生徒さんばかりがクローズアップされているのだけれど、そんなのは学校の情報操作以外の何物でもない、そうだ。なるほど、皆が皆文武両道を実践出来れば、学校としてはPRの上で怖いものなし、なのかもしれないけれど。

 今日も昨日に引き続き、梅雨の晴れ間のいいお天気。この時期にお天気の良い日が2日続くとなんだかとっても得をした気分だ。単純なお天気猫の私としては、何となくにこにこしてしまう。
 こんな小さな幸せを感じて、笑顔でいられることは素直に有難いことだと思う。
 久しぶりに都心に出かけた日が雨降りでなくて良かった。帰路はまたも私鉄の人身事故に遭遇し、出張先から迂回して帰宅した夫の方が先の帰宅になってしまった。
 平日に夕食の支度をしてくれているとは、これまた感謝。笑顔で暮らせて幸せである。

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2012.6.26  そんなに生レバ刺しを食べたいものか

2012-06-26 20:22:30 | 日記
 来月1日から生食用牛レバーの提供が禁止されることに伴い、反対の声に加勢する論調のマスコミが喧しいように感じる。
 この辺りは夫の専門分野なので、言いたいことは山々あるようだ。

 昨年、焼き肉店でユッケを食べ、O157の感染で男児等5名もの方が亡くなったことは記憶に新しい。“リスクを承知で美味しいものを食べたい”というのが個人の権利というならば、その権利ばかりがやけに大切にされてはいないだろうか。リスクを承知の上で食べた本人だけが病気になって、それで万事おしまい、というのなら自己責任と言えるかもしれない。だが、腸管出血性大腸菌は二次感染を引き起こすものだから、本人だけでは終わらない。周囲の人にも感染させる危険がある。それに、こうした食中毒が発生することで、病院や行政機関など、その後処理をすることになる人たちのことは全く眼中にはないのだろう。

 そもそも私自身は肉食系女子でもなく、もはや草食系中年になってきている。牛肉は殆ど食べないし、いわんや生肉を食べたいとは思わない。夫も息子も焼き肉には目がないが、生肉は食べない。私もこれまで食べた記憶がないから美味しいかどうかもわからない。抵抗力のない小さい子どもに自分が食べたこともない生肉を与えようとは思わなかったから、これまで息子に食べさせたことはなかったし、当然のことながら現に危ないということが分かっている今、あえて食べさせてみようとも思わない。腹痛や下痢で終わらずに命を失うほどの病気を引き起こすということがわかっているものを、ただ美味しいからといって、果たしてそんなに食べたいものだろうか。

 「提供禁止は過剰介入である」として食肉業界が反発しているとか、「新鮮だから安全だ」と謳っている飲食店を取り上げる等、正しくない報道もあるようだ。テレビではレバ刺しファンがインタビューされて「美味しいから大好きで、今まで必ず頼んでいたのになくなるとは残念」等と答えているところをクローズアップするのもいかがなものか。

 ここまでくると、命を大切にはしたくないのですか、としか思えない。新鮮なものなら安全だという勘違い、つまりは無知から起きることなのではないか。(食べたら死ぬかもしれないけれど)美味しいから子どもにも食べさせたい等と判断する親がいることが、私には到底理解出来ない。
 食べたことのない、その美味しさを知らない私が言っては一方的な意見かもしれないが、レバ刺しは美味しい、食文化を守ろう等と、リスクを熟知せずに一方的にコメントすることは果たして・・・と首をかしげるものである。

 結局、全てにおいて無知により失うものは大きいのだろう。

 転じて、がんという病気も無知からくる誤解が多いのではないかと思う。今や初発の時にきちんと治療をすれば完治する病になってきているし、不運なことに再発しても、薬でコントロールして長期間、ごく普通の生活を送り続けることが出来る。もちろん決して甘くみてはいけない病気であるのは紛れもない事実だけれど、きちんと知った上で共存を図っていこうとすれば、もとは自分の細胞であるわけで、いたずらに恐れる必要はない、と思う。
 けれど、“良く知らない”ということが何やらこの病気に即、死を連想させるのだろう。一方、その恐ろしさを“良く知らない”まま新鮮なら安全だと食べたところで、一つしかない命を落としていたら始まらないではないか。

 今日は梅雨の中休み。今週で一番良いお天気という予報どおり。久しぶりに青空を見た気分だ。朝から洗濯機を2回回して大洗濯。すっきりしてから出かけることが出来た。
 お昼休み、高原のように爽やかな風に誘われて散歩に出た。紫外線はかなり強かったので、日傘とともにではあったが、カラリと晴れた空の下、深呼吸しながら心地よいひと時が過ごせた。有難いことだ。

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2012.6.25 福島を訪れて思うこと

2012-06-25 19:54:23 | 日記
 昨日、バスツアーで訪れた福島。私が居眠りをしていた間に、夫は車窓から浪江町から避難された方たちの仮設住宅を見た、と言っていた。東日本大震災発生直後の原発事故から1年3か月以上が経過したが、現地の方たちはいまだご自宅に戻れないままだ。

 さくらんぼ農園の方は「ここでは放射能等の問題はありません。」と言っていたし、事実、何の躊躇いもなくお腹一杯のさくらんぼを頂いてきた私だ。
 だが、帰りに立ち寄った土産物店を見るにつけ、何とも複雑な気持ちになった。
 日曜日の午後のことだ。私たち16人のツアーのメンバー以外は店員さんだけ、という閑散とした店内。どのくらい沢山の空席が並んでいただろうか。大食堂を有する昔ながらのドライブインだったが、その後、喫茶のためツアーバスが立ち寄ると見えて、一番入口に近い席に1列だけ紙皿にのった小さい洋菓子とプラスチックのコーヒーカップがポツンと並べられていた。
 昼食の時間帯に多くの観光客で賑わっていたのかどうかはわからない。けれど、ざっと見たところ広い施設の大半は埃をかぶってしばらく使われた形跡がない。
 また、お土産ものの品揃えは言葉は悪いが、何やらとても投げやりな感じで、お世辞にも触手を動かされるような土産物はなかった。

 やはり観光客の足は戻っていないのだろうと思う。
 今回のツアーは「東京在住、通勤・通学者には助成金が予定されています」とパンフレットに記載されていたが、果たして功を奏しているのか。

 東北の南端県、福島。昨日訪れた裏磐梯の他にも会津、猪苗代湖等、風光明媚な観光地が数多くある県だ。東北出身の夫曰く、冬も他の県と違ってそれほど雪に閉ざされないから暮らしやすい土地なのだ、という。

 自分のために一つだけ小さなお土産を買った。
 「転んでも転んでも起き上がるところから、身体は小さいが健康、忍耐をあらわし、いつも元気で働けるよう、また家族や財産が増えるようにとの願いが込められています」とあった説明書きに心を惹かれたのだ。“起き上がり小法師”という会津地方におよそ400年前から伝わる民芸品(男女ペアでカゴに入っているもの)で、起姫(おきひめ)ともいうそうだ。この地の方たちにとっては「赤べこ」の次に馴染みのある郷土玩具だそうで、稚児をかたどった可愛らしいものだ。何度倒しても起き上がる事から「七転八起」の精神を含有し、縁起物としては「無病息災」「家内安全」などと言われているとされる。
 その精神のもと、福島の方たちが必ずや起き上がれるように、このまま悪循環に陥ることがないことを願いたい。

 土日ともフルタイムで出かけた後の月曜日。
 さすがに今朝は長時間バスに揺られていたせいか、身体中がバキバキ痛むし、わずか30分ほどの遊歩道の散策だけでふくらはぎが張っている。
 お天気はいかにも、の梅雨空ではっきりしない。気温も低めのままだ。こういう天気だといつにも増して胸骨の辺りがしくしく痛む。今日も早く寝て、疲れをとってしまわなくては・・・。
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