ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2021.12.31 2021年総決算、どんな1年だったか

2021-12-31 23:26:07 | 日記
 2021年大晦日。
 今日は親子3人、6年ぶりに自宅で年越し。おかげさまで静かな年の瀬を迎えている。
 ようやく体調が復調してきて、心は穏やかになっている。とはいうものの、振り返れば今年も公私ともに色々なことがあった。
 昨年7月にスタートした新薬エンハーツ治療は、4回目からは2段階減量を続けてきたが、1年経過した7月、体調復活が難しく規定の3週間ごとから4週間ごとに投与間隔が長くなった。
 1週間元気な時間が増えた筈だけれど、長く副作用に苦しめられ、治療後の体調は極めて低空飛行が続いている。特に年の瀬12月は11月治療後の復調とほぼ同時に風邪をひいてしまい、体調不良が思いのほか長引いた。

1月  
 新年早々からエンハーツ治療再開、1月は年明け早々と月末2回の治療で体調不良の日多し。
 結婚31周年の旅行はコロナ禍のためツアーキャンセルでしょんぼり。
 「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第8回目。
 ホットヨガスタジオ移籍のため体験クラスに参加。

2月
 新しいホットヨガスタジオに移籍。
 がんサバイバーのために活動するLAVENDER RINGフォトブック『自分らしく、を生きていく。』刊行
 実家の母、スマホデビュー、以降指南のための長い道のりがスタート
 「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第9回目。

3月
 「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」第10回目、45分クラス最終回
 息子の帰省に合わせて、一家揃ってスマホをiPhoneに買い替え
 緊急事態宣言解除後、お花見のため夫と1泊で三島へ。
 
4月
 「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」リニューアル第1回目。
 「オンラインで学ぶ!ヨーガ・スートラ講座(第2章)」がスタート。

5月
 GWはひたすらお散歩三昧。母の日には息子が帰省して、初めて一緒にガーデンヨガにトライ。
 「乳がん患者さんのためのオンライン瞑想ヨーガクラス」リニューアル後の第2回目。
 母、夫、自分も含め、新型コロナウィルスワクチン接種予約が上手くいかず大きなストレスに。

6月
 無事還暦を迎える。誕生日記念は、家族揃って南紀白浜へ、パンダの楓浜に会いに。帰路は大阪経由とし、息子からホテルのフレンチディナーに招待される。
 
7月
 4回目のかつら卒業。
 新型コロナウィルスワクチン2回接種終了。2回とも発熱、頭痛、倦怠感等の副作用あり。
 息子帰省。
 リニューアル・オンライン瞑想ヨーガクラス第3回目。
 エンハーツ18クール目 さらに6割に減量14回目は採血結果により初の中止。

8月
 リニューアル・オンライン瞑想ヨーガクラス第4回目。
 月初と月末に治療があり、暑さも相まって長い不調の月。
 夏休みには息子も合流して三島に2泊。アウトレットモールでお買い物も愉しむ。
 
9月
 リニューアル・オンライン瞑想ヨーガクラス第5回目。
 Sさんによるオンラインキールタン講座スタート。

10月
 リニューアル・オンライン瞑想ヨーガクラス第6回目。
 夫単独で息子宅へ3泊4日。
 母を連れ、夫と3人で信州上諏訪温泉1泊旅。ちょっと贅沢に露天風呂付スイートルームのホテルに宿泊。
 
11月
 リニューアル・オンライン瞑想ヨーガクラス第7回目。
 夫と想い出のホテルに泊まる鎌倉の旅。翌日は江の島水族館を愉しむ。
 息子もともに名古屋3泊4日の旅。明治村や犬山城、水族館等へのショートトリップも愉しむ。

12月
 リニューアル・オンライン瞑想ヨーガクラス第8回目、風邪による喉の不調により泣く泣く初の中止。
 オンライン高校交流会でスピーカーを勤める。テーマは「私らしく、を生きていく。還暦を迎える迄の17年」。
 年末、四国旅行帰りの息子が帰省。

 日記を遡ると、体調が悪く寝込んでいる時が間違いなく増えている。緊急事態宣言期間が長かったこともあり、オンラインでのイベントには参加しているが、出かける回数はめっきり減っている。在宅勤務や出張がリモート会議がデフォルトになったこと、外出自粛で今年も昨年に引き続きさらに家にいる時間が長かった。

 今年の3大ニュースは、①新薬エンハーツが副作用に苦しめられながらも、1度中止だけで23クール迄続けられていること。コロナ禍でも予定通り通院出来たことか。
 ②予約には大変な思いはしたが、7月中に無事2回のコロナウイルスワクチン接種が叶ったこと。
 ③コロナウィルス感染拡大による様々な影響を受けつつも、瞑想ヨーガクラスはオンラインに切り替え、4月からはグレードアップ、リニューアル継続が出来ていること、だろうか。
 
 読書量はやはり少なく50冊に満たない。さらに減ってしまった。本当に具合が悪いと残念ながら好きな本すら読めない。治療開始以来コンスタントに100数十冊、一番多かった頃は300冊を超えていた。そんな日はもう戻ってこないだろうか。いや、4月からは少し時間が取れるだろうか。
 今はレビューを書く時間もとれないが、そのために無理して睡眠時間を削ることはしない。当日の治療日記で、面白く読めた本の題名に触れる程度で精一杯。これで十分。

 映画は、コロナ禍の下、録画して観ることが多かった。WOWOWの録画が殆どで70本弱。昨年の半分以下であるが、具合が悪くても横になっていてもダラダラ見流すことが出来た。映画館で観たのは僅か10数本。観っぱなしで、レビューが書けていないのもこれ迄と同じ。何を書こうかと考えながら観てひたすら疲労困憊し、睡眠時間を削るという暴挙はしないと決めている。

 関西方面へ出向いたのは6月と11月。コロナ禍でもあり、外出は減っている。夫は単独息子宅泊があったので+1回。その分、今年も息子が良く帰ってきてくれた。学生時代も含めこんなに何度も帰省したのは初めてのこと、そして年末ゆっくり自宅にいるのは初めてではないか。離れていてもZoom飲み会やLINEもあるし、おかげさまで家族仲良くやれていると思う。
 
 14年以上通った地元のヨガスタジオはコロナ禍でプログラムが大層貧弱になったことにより、思い切って別のスタジオに移籍した。これまでとは違うスタイルだけれど、曜日と時間で担当のインストラクターが決まっておりクラスが安定的に提供され、予約も不要、ペナルティもない。体調に合わせて行けること、岩盤浴も出来ることで及第点だと思う。
  
 きつい治療を続けながらも、身体を動かせそうな時には出来るだけ身体を動かし、体力をなるべく落とさないように、体調をある程度コントロール出来るようになったつもりでいたが、本当にしんどいとそれも叶わない。治療を続けていく上で体力維持は必須であることは分かっているけれど、どう頑張っても動けないのだから致し方ない。
 筋肉を落とすと、抗がん剤は効きにくいということも分かっているが、ひとまずエンハーツが効いてくれて息切れや咳などの症状が緩和されているから、曲がりなりにもフルタイムの仕事を続け、片道1時間半かけての通院治療にも通えているわけだ。

 コロナ禍のせいもあり、土日に誰かと会うためにどこか遠くまで出向くことはなかった。お出かけはほぼ夫か息子とだけ。本当にこの人に会いたいと思えば、リモートでも会える有難い世の中である。けれど、やっぱりリアルに勝るものはなし、とも思う。

 治療後の体調不良の時間が目に見えて増えていて、何かするには物理的に時間が足りない。家の掃除も満足に出来ない。断捨離も仕事もちょっと根を詰めて行うと、すぐにグッタリする。家のことを健康な方たちと同じレベルでやるなどという無謀なことはもはや望んでいない。どう考えても欲張りな話だ。寝る時間を削ってまで家事をやる元気は私には、到底ない。

 これまで同様、クリスマスもお正月も、特段の準備もしなかった。普段の手抜き家事だけで既にアップアップしている。丁寧な家事仕事は全く出来ない。大掃除も特にしなかったが、カーテンを洗い、窓拭きをしただけでも上等だ、と思えるようになった。それが嫌なら仕事を辞めるしかないのだろうと思う。けれど、ともあれ定年退職まであと3か月である。なんとか元気に無事にその日を迎えたい。その日が来たら少し身の回りのことも、家の中のことにも構えるようになると信じたい。

 振り返れば病を得てほぼ17年、大学卒業後37年近く、産休と6ヶ月弱の病気休職以外休みなく働き続けることが叶っている。とりわけ強健ではなくとも、それなりに健康な身体を授かったのだから、働くことで社会に少しでも還元することは、今も社会人として当然の義務だと思っている。
 高額な医療費で社会の皆様に助けて頂いているから、少しでも長く自分自身で掛金払い込みを続け、自分の保険証を持ち続けたい。
 今後いつまでエンハーツ治療が続けられるかわからない。必要以上に気負うことなく、心穏やかに潔く精一杯生きていきたい。私なりに、私らしく、細く長くしぶとくがモットーであることは命ある限り変わらない。

 明日からスタートする2022年はどんな年になるのだろう。3歳になったばかりだった1964年の東京オリンピックは全く記憶がなかったけれど、コロナ禍の中、ほぼ強引ともいえるやり方で無観客で実施した2020東京オリンピックは、後世なんと語り継がれることだろう。

 長々と書き連ねてしまいましたが、今年も一年お付き合い頂きまして、どうもありがとうございました。
 来年も気力・体力が続く限り綴っていきたいと思っています。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
 2022年寅の年を迎え、皆様がより健やかで穏やかでありますことをお祈りして、今年最後の記事としたいと思います。
 どうぞ良いお年をお迎えください。
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2021.12.31 エンハーツ23クール目、さらに減量19回目投与後9日目のこと 静かな大晦日の過ごし方

2021-12-31 20:12:11 | 日記

 4週間前の金曜日は、ようやく復調のタイミングで夫からもらった風邪で、延々と酷い目に遭う12月の幕開けだった。
 今回も体調不良はしっかり長かった。仕事も随分休んでしまったけれど、基本、家にいて無理をしない生活をすることで、大分復調した。
 
 たっぷり眠って今朝もブランチは夫任せ。
 息子は大学時代のお友達と都心で逢うと昼前に出かけて行った。

 私は夕飯の下ごしらえを済ませ、あとはのんびり夫とテレビを視ながら過ごす。
 掃除も気になるところを慌ててどうにかしようとは思わないし、寒いので洗濯もパス。見れば窓の外は雪である。寒いはずである。

 母からは夕方前におせち料理が届いたというお礼の連絡があったけれど、我が家はその2時間以上遅くなってからの到着だった。早く届いたら映画でも観に行こうかと言っていたけれど、もう上映時間に間に合わず、結局私は1日籠城蟄居、明日のお雑煮の下ごしらえをして過ごすことになった。

 夕食は息子が帰ってくるまで待ち、息子好みの豆乳坦々鍋にした。
 さて、今年もあと数時間。こうして無事3人で年越しが出来ることに改めて感謝の夜である。
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2021.12.30 エンハーツ23クール目、さらに減量18回目投与後8日目のこと 外の空気、ちょっぴり・・・

2021-12-30 22:29:56 | 日記
 木曜日、今年最後の治療から1週間余りが過ぎた。長かった体調不良が、少しずつ快方に向かっているのを感じられるようになった。
 今朝も通常通りに目覚ましが鳴ったけれど、再び寝直して起きられず。朝食の支度はまたしても夫にお任せしてしまった。雲一つないいいお天気だ。

 ベッドの中で急遽思いついたアイディアを実施することに。
 せっかく息子も帰省しているし、今日は特に何の約束もないようなので、彼も巻き込んでカーテンの洗濯と窓拭きはどうだろう。少しは大掃除した気分にもなり、新しい年を迎える準備になるのでは、と。
 朝食を摂りながら通常の洗濯物の洗濯機を廻した後、まずはベランダに干す。そして家中のカーテンを一斉に外し、2回に分けて洗濯機が活躍した。

 陽射しが眩しい。昨日までの寒さと打って変わって、今日は14℃まで気温が上がるという。私にはちょっと大儀な窓拭きも、背の高い息子(182㎝)には楽々である。夫と2人で外側と内側を同時に拭いてもらい、洗い終わって綺麗になったカーテンを吊り直したら部屋がぱーっと明るくなった。

 それにしても、今回は治療後ジッとしていた時期が長かったので、とにかくどこもかしこも身体がカチコチ。息子が首やら肩やらをマッサージしてくれて随分楽になった。あまりに調子が悪くて、お風呂上りに自分でケアすることがままならなかったのだ。

 遅いお昼は3人でカップ麺を啜る。年末の垂れ流しバラエティ番組を視るのにも飽きて、外の空気を吸いに行くことにした。振り返れば月曜日に半日出勤してから1歩も外出していない。
 アウトレットモールのとんでもない人出を横目に見ながら、駅前のカフェでひとまず一服。歳末でこれまたとんでもない混雑度のスーパーに入り、ストレス満載の中、最低限の買い物を済ませ、2時間弱で帰宅した。
 マジックアワーの空と一番星がとても綺麗だった。

 久しぶりに4,000歩ほど歩いた。こうして治療の度に丸々数日間殆ど動けなくなることで、どれほど筋肉が落ちるのだろうと思う。ヨガスタジオも28日で終わってしまい、新年は4日からとのこと。結局、半月以上いけないことになる。
 最終日、岩盤浴だけでも行けると良かったのだけれど、とてもそれどころではなかった。

 帰宅後は昨日からコトコト煮込んだおでんを3人でつついた。2人はビールで乾杯である。大鍋一杯が瞬く間に空っぽになった。いつもは1合も炊かないご飯も、2合炊きがあっという間に空っぽになる。若い胃袋は素晴らしい。こちらもついついつられて頂いてしまう。

 母に連絡したら、今日もデイサービスでお世話になれたという。新年も三箇日からスタートだそうだ。年末年始もなく、有難いことである。
 2016年に父が亡くなって以来、実家で母一人越年させるのは可哀想なので、例年、ともに旅先か近場のホテルで年越しを、と続けてきた。けれど、今年の年末はわたしの体調が思わしくなかろうということで、年越しを一緒に過ごすのは勘弁してもらった。
 明日にはお節料理が届くように手配して元旦は頑張って一人で過ごしてもらい、息子が帰阪するのに合わせて1泊ともに過ごす予定である。
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2021.12.29 エンハーツ23クール目、さらに減量18回目投与後7日目のこと 元気な人たちはニクの日だけど

2021-12-29 22:40:05 | 日記
 昨夜、卒業以来の高校クラス会に参加した息子は、案の定終電でのご帰還だった。クラスの3分の1以上が参加し、現在地方在住組も結構いたという。数人はもう結婚していたり籍を入れていたり、だったそうだが、総じて髪の毛の黒い勤め人だったようだ。早めに抜けたため最後に撮る筈の集合写真にも加われずじまいだったという。

 コロナ禍で、以前走行していた日付が変わってからのライナーが運休になり、終電が1時間以上早まってしまったようだ。帰宅をずっと待っている元気もなかったので、入浴を済ませLINEで先に休む旨連絡した。
 ベッドに入るまではちょっとしたタイミングで咳が出て、一旦出るとなかなか止まらず、嫌な感じだった。けれど、眠ってからは咳込むこともなく再び熱が上がることもなかった。

 今朝は通常通りの時間に目覚ましが鳴ったけれど、しっかり消して眠り直す。朝ドラも昨日までだし・・・、と二度寝を決め込んでいたら、夫が「総集編をやっているよ」というのでそのままダラダラと視てからのろのろ起きる。
 朝食の支度は夫にお任せ。3人の食卓は賑やかだ。息子の喋りが止まらずなかなかテーブルが片付かない。
 息苦しさも咳もとりあえず収まったようでとにかくほっとした。コデインも飲まずに済ませられた。昨日はエンハーツの最新副作用情報がアップされたのを見て、急性増悪の間質性肺炎があっという間に死に至ることもよくわかり、かなり焦っていた。

 たっぷり眠った筈なのになんだか疲れている。体力回復はまだまだの感じだ。まあ、年内は吐き気止めや疲労止めのお世話になっているわけだから致し方ないのだけれど。
 今年最後の生協のお届け品が届く。男2人が取り入れてくれて私は収納だけ。随分楽ちんだった。

 お昼過ぎ、2人は母と焼肉ランチのため出かけた。家の中がしんと静かになる。
 途端にドッと疲れてリビングに横になったら、2時間そのままぴくりとも動けなかった。母と無事合流して焼肉屋レストランにいる写真が送られて来るのを見るのさえ大儀だ。

 意を決して夕食の支度をのろのろと始める。久しぶりに料理をした。ひたすら野菜を切るのは瞑想だなあとぼんやりと思う。
 1時間台所に立っただけで、ぐったりとしてしまい、貧血気味。またリビングで横になる。食事を摂って腸が動き出すと、胃が痛くなる。ずっと胃の重いのが気になるので、ついつい食べるのが億劫になる。

 3人はたらふく食べて母を帰りのバスに乗せて別れたようだったけれど、私がようやくお腹が空いてレンチンランチをお腹に入れたのはもう夕方近かった。
 夫は、せっかく書いて出すだけになっていた年賀状を忘れて出かけた(信じられない・・・)。元気なら近くのポストまで代わりに出すくらい何のことないのだけれど、それさえもハードルが高すぎて出来なかった。

 夫と息子は私鉄を乗り継いでみなとみらい地区まで移動し、暮れなずむ一番良い時間帯にロープウエイに乗って帰ってきた。
私はずっと一人の時間があった筈なのに、洗濯も掃除もせず、夕飯の支度とお風呂洗いをしただけ。とにかくすぐに横になりたくなる。母にDuo通話で今日のお礼を言う(2人は母にご馳走になった。)が、まだ不調だと早々に切る。

 昨日に続き1歩たりとも外に出なかった。今日からは夕刊もないので、階下の郵便受けにさえ出なかった。
 2人が帰宅してから夕食。ちょっと多すぎるかな、と作り過ぎた感満載だった夕食は息子のお陰で綺麗に片付いた。
 北海道の叔母から頂いた日本酒を片手に2人で楽しそうだった。飲めると楽しいのだろうなあ。

 それにしても今クールのこの体たらく。1週間経っても目に見えて回復の兆しがあまり見えない。いつもは仕事だから強引に回復したことにしてしまうが、休みとなるとこのザマなのかどうなのか。
 食事は大分摂れるようになったけれど、とにかく全くやる気が出ない。何にもしたくない。
 今年も残すところあと2日。12月に体調が良かったのは一体何日あったのだろう、とため息交じりのニクの日の夜である。
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2021.12.28 エンハーツ23クール目、さらに減量19回目投与後6日目のこと 心配事は今日のうちに・・・

2021-12-28 21:16:56 | 日記

 昨夜は夫が作ってくれたポトフを有難く頂き、その後、クラクラしながら年賀状のコメント書きを頑張る。もう悪筆以外の何物でもなかったけれど、とりあえず無味乾燥な印刷だけの賀状だけは避けたい、と殆ど意地である。
 
 息子は四国に別れを告げ、上り新幹線にうまく接続し、思いのほか早く帰宅出来た模様だ。せっかく予約出来た数室しかない夜行寝台をふいにしたのは残念だったけれど、これも天候不良だから如何ともしがたい。ゆっくり自宅のお風呂で手足を伸ばせたのは良かったのではないか。またいくらでも乗車するチャンスはあるよ、と慰める。

 もろもろ片付けて眠りにつけたのは日付が変わってから。あまりに寒いのとコメント書きで頭と手を使ったせいかなかなか眠れない。普段は入れないエアコンを入れたら、今度は暖まり過ぎて空気が乾燥。喉が心配になった。夫も同じだったようで、自分で夜中に起きて消していた。

 そして今朝。夫は仕事納め。私は昨日午後から引き続きの休暇である。夫には、昨夜なんとか用意した年賀状の投函を託す。元日に着かなかったらどうかお許しあれ、という気持ちだ。
 息子は朝の新幹線で帰京するというが、何分この大雪の状況で遅延は想定内だという。それでも日本の新幹線は実に素晴らしい。30分の遅延で無事東京駅到着という連絡があった。
 とんでもない大雪の米原付近を過ぎたかと思ったら、今度は快晴の浜名湖から富士山が見える素晴らしい車窓の風景が送られてきた。

 私は相変わらず吐き気が続いている。そして今朝は腹痛で目が覚めた。お腹が下痢に向かいそうな気配である。ナウゼリンを飲んでなんとかほぼ普段通りの朝食を摂ったら、もうそれだけで一仕事した感じで疲れてしまう。
 せめてダイニング周りはと片づけを始めるが、一つの作業をすると倍の時間休みが必要というくらい疲れやすい。すぐに横になりたくなってしまう。何もかもなかなか捗らず、滅入る。

 息子にはせっかく都心にいるので、話のタネに都内180か所で開始したという無料PCR検査場が見つかったらトライしてみたら、と投げかけたところ、途中のドラッグストアに立ち寄ったそう。けれど、昼前の段階で夜までの受付分は全て終了の看板が出ていたそうだ。実に使えないものである。
 
 そして心配事が。やけに咳が出る。昨日の暖房でのどを痛めたのか。ずっと収まっていた胸痛と圧痛、息苦しさが増している感じ。先般の風邪ひき以来、調子づいてコデインを飲まずに過ごしていたのだけれど、どうしたことだろう。
 エンハーツで発熱したのは今回が初めてだ。SPO2値は十分あるにせよ、万一間質性肺炎の症状だったら、待ったなしかもしれない、これは病院に連絡した方が良いかもしれない、と迷った末、病院代表のダイヤルを回した。

 腫瘍内科の外線に回して頂き、一昨日からの発熱、今日の息苦しさや咳等についてお話ししたところ、主治医に相談の上、折り返し電話をしますとのことだった。
 ほどなくして連絡があり、このまま症状が酷くなるようなら近隣のクリニックでレントゲンを撮って相談してほしい、それでもやはりこちらの病院へ、というならまた連絡を、とのこと。

 つまり、様子見で酷くならなければよいのだ、ということが分かってちょっとほっとする。やはり自己判断で放置しないで良かった。このまま年末年始休暇に入って、救急外来にでも行くようなことになったら、夫だけでなくせっかく帰省した息子にも申し訳なさすぎる。

 恐々動きながらお昼はレンチンで適当に済ませ、その後、申し訳程度の拭き掃除をした。これで動いていつもより酷い息切れや息苦しさになるのなら、いつもと違うことが分かると思ったからだ。
 それにしても、これが我が家の年末の大掃除かと思うと、情けないけれど、ない袖は振れないというか動けないのだから仕方ない。なんとか悪化しないで済んで胸をなでおろした。

 息子は気をきかせて、お昼を済ませてから帰宅してくれた。
 大きなスーツケースを抱え、まずはお土産を沢山テーブルに並べ、あれこれ説明してくれる。紅茶とお菓子を摘まみながら旅の思い出話が止まらない。
 こちらはだんだんまっすぐ座って受け答えするのがしんどくなってくる。

 洗濯物もスーツケース一杯持参なので出させて廻す。洗い上がったところ、手伝ってくれた(といってもほぼご本人のものではあるが)ので助かった。
 その後は、なんだか疲れてしまって、リビングでまた横になる態勢。母に、息子が無事帰宅した旨Duo通話で知らせる。明日は夫と息子と母で焼肉ランチの予定である(私は、そもそも焼肉はあまり得意ではないし、とても本調子ではないので留守番要員である。)。

 息子は都心で高校のクラス会とのこと。出たり入ったり大変なことだが、卒業以来集まるのだという。まあそれに合わせて帰ってきたらしい。それなりの人数になるようなので、気を付けて、と送り出した。

 夫も気を利かせて美容院を予約し、夕食不要とのこと。私は昨日食べきれなかったポトフを再び有難く頂き、夕食とした。

 相変わらずなんとなく咳が出るし、痛みがあるので夕食後はコデインを飲んだ。治療6日目、体力が落ちているのは否めない。特に今回は発熱も加わっているし、回復途上が少し長引いているのかもしれない。
 焦らず労りつつ過ごしていくしかない年末休暇である。
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