ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.11.30 「再発患者の日々の生活を踏まえた診療へのニーズ」について思うこと

2016-11-30 21:27:13 | 日記
 先日、所属する患者会の会長さんから「再発患者の日々の生活を踏まえた診療へのニーズ」について、会報に載せたいという依頼があった。
 会報に載った後に、自分のブログにも記事としてアップしてよいでしょうか、と尋ねたところ、私のブログなので、いつでもどうぞ、というご返事があった。
 思いのほか長くなってしまったので、このまま会報に載るかわからないが、そこで書いたものの全文、私が再発治療へのニーズに関して思うことについてを、今日の記事にしたい。

※    ※    ※        

 2008年2月、再発・遠隔転移を機に初発治療をした病院から転院し、8年半以上通院している現在の病院、主治医を初め医療関係者の皆さんの対応には基本満足しているので、とりわけこれといったニーズはない。
・・・と言ってしまうと、この後が続かないので、そう言えるように至るまでのことを簡単にメモしておきたい。

 まず、再発治療を進める上で、自分にとって何が一番大切なのかを明確に意思表示することが大切だと思う。
 それがうまく先方に伝わっていないと、前提条件が不明確なままコミュニケーションにいちいち齟齬が通じ、要らぬストレスを感じるのではないか。
 初発治療は、再発を防ぐためにどうしてもやっておくべき決まった治療があり、辛くても徹底的に叩くのがセオリーだ。けれど、再発治療はエンドレス。いかに自身のQOLをキープしながらより長く延命するかということが目的になる。

 あくまでも自分の人生、残された人生を自分がどう生きたいのか、日々をどう過ごしていきたいのかを伝えずして治療は始められないと思う。
 もちろん、色々な治療を続けていくうちに若干の方向転換をし、微調整しながら進んでいくことは多々あるだろうし、最初に決めたことは絶対覆せない、というわけではない。けれど、自分として絶対に譲れないこと~私の場合は、出来るだけ長くフルタイムの仕事を続けること、細く長くしぶとく今の普通の生活を続けること~を明確に伝え、理解して頂くことが大切だと思う。

 だから、主治医にお任せします、というスタンスはありえないと思う。主治医から色々な治療の選択肢が示されると思うが、それが全くチンプンカンプンでは立ち行かない。自分で出来る限り勉強して、どういうことを言われているのか理解すること、(完全に理解するのが難しくても、どういう状況なのか提示された治療についてなんとなく判るくらいまでもっていくこと)するのが大切ではないか。
 先生のおっしゃるとおりに、と言いつつ、いざ上手く行かないとなったら、先生が言ったとおりにしたのに、というのはあまりにお粗末だろう。

 どんな名医でも、ある患者にとってこの治療が効くかどうかは、遺伝子検査に基づいたプレシジョン・メディシンのフルオーダーメイド医療でない限り、やってみないとわからないのである。
 最終的には提示された選択肢から自分が納得して決めたのだ、という姿勢でいれば、結果は自分で引き受けられると思う。
 自分のニーズだけを必要以上に主張するよりも前に、まず自分自身が自分自身の足でしっかりと立てる患者力が必要ではないか。

 乳がんの再発治療は他の部位のがんと違ってとりわけ長い。長期戦だからこそ、勉強する時間もあるし、考える時間もある。
 実はいかがわしい広告宣伝にしか過ぎないネット情報や、耳障りの良い情報にばかり引きずられることは精神衛生上も良くないと思う。

 患者であることに一生懸命になりすぎず、患者以外の自分の時間を是非充実させたい。
治療が長くなれば、歴の浅い医療関係者に遭遇することもあるが、それもまた今後の患者さんたちが少しでも困らないよう、練習台になってあげるような暖かい目で見守ってあげたい。

 私自身、今は3週間に1度カドサイラの点滴を、6週間に1度ランマーク注射の治療を続けている。カドサイラの投与は来年2月で2年になる。副作用の悪化により10回目以降8割に減量しているものの、それでも薬が溜まってきているのか、今まで出なかった副作用も出ているし、マーカーも上昇、画像上の影が大きくなり続けている。けれど、がんそのものに起因すると思われる自覚症状はそれほどではないので、引き続き経過を注意深く観察しつつ、なるべく今のまま粘りたいと思っている。

 というのもこの後、まだ使っていないいわゆる狭義の抗がん剤がどのくらい効くのか、そしてどのくらいの副作用が出るのか、それにこれまで数々の治療によりある意味痛め続けてきた自分の身体はどこまで耐えられるのかは、やってみないとわからない。そうした不確定要素が余りに多いからだ。

 当然、日々の体調や服薬状況などはノートにメモしているし、治療日記は記録としてブログにも残している。再発治療開始以来、ノートは10冊目になった。これを診察前にざっと見直し、突出した症状や相談すべき事項を組み立てながら、診察に望む。3週間に1度、長くても10分あるかないかの主治医との大切な時間だから、無駄には出来ない。

 主治医の毎回の診察では面談だけで、触診されることは、ほぼない。けれど、それについても特に不満はない。主治医は乳腺外科医ではなく、腫瘍内科医なので、おそらく触診については専門科ではないからだ。これについては年に1度、職場の検診を利用しているし、本当に必要だと感じれば、自分から依頼すればよいし、主治医が必要だと感じれば、乳腺外科への受診がセットされるに違いない。そういう時はこれまでも対応してくださってきたので。

 これまで、治療の度にあれこれ出た副作用のために速やかに院内連携を取って頂き、皮膚科、婦人科、口腔外科、脳神経内科にもカルテがある。大きな病院だからこそ、のチーム医療に支えられていると感謝している。

 通院が長くなり、お世話になる化学療法室の看護師さんたちの異動も激しいが、以前お世話になった化学療法認定看護師さんが、病棟から出張してきて待ち時間に話を聞いてくださることもある。気にかけて頂けるということが伝わってきて、有難い。
 また、治療薬が変わるときには薬剤師さんも化学療法室にやって来て、説明をしてくださるし、様子も見てくれる。これも有難い。

 自分や家族にとって、自分はOnly oneの存在だから、どうしても医療者に対する要求が大きくなってしまう。これは人間だから誰でもそうなのだと思う。けれど、だからこそグッと堪えて、自分は患者のうちのOne of themだということをもう一度冷静に考えると、却って上手くいくような気がする。

 道理をわきまえないような我儘はそうそう出なくなるだろうし、もし自分が多忙な医療関係者の立場だったらどうするか、と想像を巡らせれば、自分のことが全て、自分を最優先に扱ってくれ、とあれこれ要求する患者さんに対するよりも、自分の立場をわきまえて、必要以上の無理をいうことなく、冷静に自分の希望を伝える患者さんに対して、私だったらより力になってあげたい、と思うだろう。

 突き詰めれば、人対人のこと。コミュニケーション能力を磨くことが必要ではないか。医療関係者も人の子である。だからこそ相手の立場を尊重しながら、徒らに声高に自分のニーズを振りかざし、それが叶わなかったら文句を言うのではなく、淡々と冷静に自分の言葉で繰り返し伝えること、これこそ長い再発治療を心穏やかに乗り切っていく極意のような気がする。
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2016.11.28 あるタクシー運転手さんとのこと

2016-11-28 22:03:32 | 日記
 先日のこと。思いのほか、買い物の荷物が重くなって、うーん、タクシーに乗ろうかどうしようかと迷った。最寄り駅から自宅までゆっくり歩いて15分。乗るか乗らないかは微妙な距離で、歩こうと思えば十分歩ける。

 普段お世話になるタクシー会社は決めていて、呼ぶ時は必ずその会社だし、タクシー乗り場で見かければ順番を譲ってもその会社の車に乗る。どの運転手さんも親切で丁寧だからだ。ただ、あまり台数が多くもないようで、いないことも多い。
 もし、あの会社の車がいなければ歩いて帰ろう、と思ったら、たまたま乗り場の控えの出車順番待ちのところに1台入ってきた。これ幸いと乗せて頂くことにした。

 行先を言って席に座ると、どうぞ、と懐かしいミルクキャラメルをくださった。「わあ、懐かしい、子供の頃からありましたね、美味しいですよね」と言うと、「80代くらいのおじいさん、おばあさんに差し上げても『子供の頃に食べた、懐かしい』と言われるんです。それで、いつからあるのか調べたら1913年、103年も経っていたんですよ」と仰る。「そんなに長いこと、第一次大戦前ですものね」としばしそのキャラメルの話で盛り上がる。

 そして、ふと思い出す。この光景、いつかも経験したような・・・。そう、父が亡くなって、斎場に納棺して帰る時に、やはりこのタクシー会社を呼んで、母と2人で乗せてもらった。その時には母も私も結構憔悴していたのだけれど、運転手さんから「飴ちゃん、どうぞ」とキャンディを頂いたのだった。その時口に含んだキャンディのほっとする甘さが凝り固まった心をほどけさせてくれたのを覚えている。そして、運転手さん自身、この斎場でおばあ様を送ったばかりだ、という話をされていたのだった。

 もしや、と思って「間違っていたらごめんなさい。運転手さんがみな、こうしてキャンディをくださるなどということはないですよね。実は夏に父が亡くなった時、斎場から母と乗せて頂いたのですが、その時にもキャンディを頂いたんです。もしかしてあの時の運転手さんではないですか。おばあ様を同じ斎場で見送られたというお話をなさっていたと思うのですが」と。

 ビンゴだった。「覚えていてくださって、ありがとうございます。僕です。」と。「確かに夏の間はキャンディでした。塩味だったかな」と。「あの時はありがとうございました。母も私も疲れていて、甘いキャンディに癒されたのですよ」と言うと、「色々大変だったでしょうね。亡くなったのは母方の祖母で、施設に入っていたのですが、自分の母は働きながらよく介護に通っていて、我が母ながらよくやっていると思ってみていたのですが、亡くなった後、あれもしてあげればよかった、こうしてあげればよかった、とよく言っていました。」と。

 そんな話をしながら家の前についてしまったのだけれど、「まだ亡くなる前に遺影の写真をあれこれ探していた母のことを思い出します。どんな気持ちだったんだろうと思うと身につまされて・・・」とのこと。まだ30歳になったかならないかの若い運転手さんである。お名前をチェックしたらKさん。

 「父は急なことだったので、遺影もひと月前にデイサービスで開いて頂いた誕生日会の写真を使いました。古い写真じゃなくて、本当に直前のものが使えたのですよ」と答えた。「だんだん、月日が経って気持ちが癒えますよね。お母様、どうぞお大事に。」と言われ、「またお世話になります」とお礼を言って車を後にした。

 乗っている時間は僅か5分。ずっと喋っていたので、頂いたキャラメルを口に入れる暇がなかった。「夫が好きなので、お土産にします」とバッグに閉まったら、「ご主人がお好きなら」と追加で数個のキャラメルが領収書とともに手の平に置かれた。

 こんな偶然があるのだな、ととても暖かい気持ちになった。不愛想な雰囲気の方も結構いる中で、タクシーでこんな気持ちになるとは、とても幸せなこと。
 やはりこれからもこの会社を贔屓にしよう、あの若いKさんがこれからも沢山のお客さんたちと素敵なやりとりができますように、と思う出来事だった。
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2016.11.26 瞑想ヨーガ指導者養成コース後期8日目、今日も充実!

2016-11-26 23:01:45 | ヨガ
 昨日は吐き気に悩まされ、毎食前にドンペリドンのお世話になった。学内のレストランでランチの約束だったけれど、仏頂面で食が進まないのでは皆さんに申し訳ないので、キャンセル。一人で軽食に出かけた。夜は夫が宴会で夕食不要ということで、これまた一人適当な夕食。

 そして、今日は瞑想ヨーガ指導者養成コースの後期8日目だ。今日が終われば12月の実習、総まとめやテストを残すだけとなった。
 お天気は良いが、相変わらず冷え込んでいる。明日は雨だという予報なので、洗濯を干してから夫を起こし、念のためドンペリドンを飲んで朝食を済ませ、家を出た。
 予定通り20分ほど前にスタジオに到着。今朝もまずはガネーシャ像へのお祈りを済ませる。陽だまりの暖かそうな窓際、ガネーシャ像の隣のマットに陣取った。

 出席を取りながら、Sさんからタイの結婚式のお土産話が披露される。まずは、ハスタームドラー(手のムドラー)により身体の活性化を図る。先日の夜のクラスの復習になっており、いい感じ。太陽、蓮の花、鷲、火の4つを通しで行った後、すんなり瞑想の後、気持ちよくシャヴァーサナでリラックス。クリシュナのキールタンを歌ってすっかり身体が暖かく幸せな気分になる。

 休憩後は、指導者のための研究と実践6。自分自身を深めるトレーニング、哲学編ということで、「バガヴァッド・ギーター」に触れる時間である。バガヴァッド・ギーターとは「神の歌」という意味で、“インド古典中最も有名でヒンドゥー教が世界に誇る珠玉の聖典であり、古来宗派を超えて愛誦されてきた。サンスクリット原典による読みやすい新訳に懇切な注釈と解説を加えた”という岩波文庫が課題図書で、今日までに読破してくるのが宿題だった。なんとも難解な書である。登場人物が多すぎて、それぞれの名前が覚えられないし、家系図も頭に入らないし、字面を追うのがやっとで、何度も途中で挫折した。

 ところが、Sさんの解説の判り易いといったらない。バガヴァッド・ギーターとはジュニャーナヨーガ(正しい知識を以て真の自己に至る)、カルマヨーガ(結果に執着しないで愛を以て全ての行為を行い真の自己に至る)、バクティヨーガ(神の献愛を以て真の自己に至る)という3つの教えが中心であるという。全てが本当かどうか1つ1つわからなくとも、自分の人生で使いたい教え、自分にフィットする教えを使えば良いとのこと。

 皆でディスカッションしながら、「人には各々役割(ダルマ:義務)がある」、「真の自己はカルマ(行為)の影響を受けない」、「世界はクリシュナ(神)から出来ている」これらのことが分かれば(逐一読まなくても)大丈夫ということで、4人グループに分かれて読んできた感想をシェアしあう。

 お助けプリントが配布される。バガヴァッド・ギーターは、インド思想では従来真の自己に至るには禁欲が一般的だった中、自身の世俗的な行為を全うしながら精神的な至福に至ることが出来るという斬新な提案をした書物であるという。この教えはSさんのスタジオの目指すところでもあり、自分の役割(仕事等)に専念しながら(人として)良くなっていく(インドの山奥に籠って修行するわけではない)のである。
 あまりに見てきたように生き生きと物語をお話されるので、いつもながら感心する。これなら帰ってからもう一度読んだらもっとスイスイと読めるだろうな、と思った。

 そして、お待ちかねのランチタイム。今日は前回のメンバーにHさんたちも加わって、またも暗黙の了解のうちに5人でタイ料理レストランへ。残念ながらテーブルが3人と2人に別れてしまったが、今日も待つことなく入れて、ゆっくり食事が出来て満足。吐き気止めのドンペリドンを飲みながらタイ料理をたいらげるなんて、我ながら大したものである。

 午後のカリキュラムは、同じく指導者のための研究と実践7、「指導者のためのアーサナトレーニングとアジャストメント」と称して、前回に引き続きM先生がゲスト講師。自分自身を深めるトレーニング:アーサナ編の続きで、上級者向けアーサナの実践練習をしながら、クラスでよく見かけるアーサナが取り辛い方へのアジャストメント、練習法の提案という興味深い内容だった。

 M先生から「体の内面に集中しつつ、リラックスして気楽に楽しく、怪我をしないように体を動かしましょう」と最初にお話しがある。より繊細に自分に向き合うことが大事で、身体に無理が多すぎると怪我に繋がる。何段階かに分けてアーサナがとれるように提案するので、やってみましょう。自分の身体と仲良くなり、コントロール出来るようになるととても楽になります、とのこと。

 思えば、これまでの私は自分の身体をきちんと見つめ、コントロールするようなことはしてこなかったのだな、と改めて反省する。
 身体を傷めないように、痛くならないように練習することが一番である。痛みはストレスになるから、どうやれば大丈夫で、どうするとダメなのかを知ること、痛みを知れば、痛みがある相手(生徒)の気持ちに寄り添えるので、をれを知ることは指導するために大切だという。

 バカアーサナ(鶴のポーズ)をチャレンジしていくために、背骨を伸ばし、股関節と腿を引き寄せるスクワットを練習。ブリッジ等の後屈は腰痛を引き寄せないために腰を反らせないで股関節を前に出すことで行うなど、判り易い説明にどんどん引き込まれる。私は背筋を伸ばすルックアップのポーズが苦手で嫌いだが、嫌いなポーズこそ大切とのアドバイスを頂く。

 後半は橋のポーズから始め、ペアになってアジャストメントを体験。少しでも相手の身体に触れたらエネルギー交換が始まるので、一緒にポーズを取っている気分で行うように、クリアな気持ちで触れないと、イライラした気分も相手に伝わります、というお話になるほどな、と思う。ブロックを使って胸を開くポーズも練習し、その気持ち良いことといったら。最後のシャヴァーサナではM先生のマントラを子守歌にウトウトしてしまった。

 これでゲスト講師によるクラスも終了。最後はM先生を真ん中に皆で胸を開くポーズを取って記念写真撮影。

 今日も充実した学びの1日が終わった。スタジオを後にする時にM先生にお礼を言う。「向き合い方がとてもいいと思います。またご一緒しましょうね」と言って頂き、「はい、是非!」と大感激。Sさんにも「今日もとても楽しかったです。ありがとうございました。また来週宜しくお願いいたします。」とご挨拶して、HさんやNさんたちと駅までご一緒した。

 昨日までの不調が不思議なくらい元気になった。自分の身体に向き合い、身体を正しく使うと、身体が心地よく疲れ、喜んでいるのが感じられる。これまでこんな感じを経験することはなかった。とても幸せなことだ。

 さて、留守番をしてくれた夫は、私の実家に出向き、用意していた荷物を届けながら、母の寝室のテレビ配線工事やら何やらをして、和室一部屋で快適に過ごせるようにレイアウトも変えてきてくれた。器用自慢だとはいっても3時間以上かかったという。かなり大掛かりな作業だったようで有難いことである。
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2016.11.24 採血後診察、カドサイラ(T-DM1) 30回目(減量20回目)窓の外は雪!

2016-11-24 21:48:37 | 治療日記
 昨日は仕事が終わってから病院最寄り駅に移動、常宿に前泊した。

 そして今朝。未明から雪の予報だったが、窓の外は雨か霙かという感じ。それでもかなり冷え込んでいて窓の結露がすごい。雪に変わるのは時間の問題の様相。夫にモーニングコールをした後、恒例の浴槽足湯を済ませ、カフェで朝食を済ませてからチェックアウト。病院へと急ぐ。

 前回の通院時に、次回は祝日の翌日なので、患者さんが多いですから混雑を覚悟で、と言われていた。せっかく前泊しているのだから、といつもより15分ほど早く出かけた。自動再来受付機では殆ど並ばず。受付を開始したばかりだが、採血は電光掲示板で7分待ちと表示されており、10数人待っている。それでも、コートをサブバッグに収め、濡れた傘を始末して態勢を整えているうちに呼んで頂けた。

 今日はマーカーの測定があるので4本の採取。何度もお世話になっている検査技師のYさん。前回と同じアンパンマンマスコットの採血台だった。スムーズに針刺し、抜針が済んで、無事終了。止血しながら向かいの腫瘍内科受付へ移動した。

 受付開始時間前ということで、番号札を取って待つ。ほどなくして受付が始まり、定位置の待合椅子に腰かけ、読書を開始した。
 今日は新書と文庫の2冊読んだ。1冊目はNHKスペシャル取材班による「キラーストレス 心と体をどう守るか」(NHK出版新書)。
 6月にNHKスペシャルでキラーストレスの番組が放送されたのは記憶に新しい。マインドフルネスや瞑想等も取り入れられていて、指導者養成コースのメンバーとも話題になったのだった。

 第1章ではストレスチェックを試すことが出来、第2、第3章はストレスがどのような方法で、体と心をむしばんでいくのか最新の知見が集められている。後半は、各種ストレス対策の紹介だが、時間の制約から番組では取り上げられなかったものも含まれており、あっという間に一気読み。

 1時間ほど待っているうちに読み終えたので、 “中待合へどうぞ”の番号が電子掲示板に出ないうちに血圧測定。99-65、脈拍は85。
 その後15分ほどして中待合に入り、30分ほどで先生がお顔を出され名前を呼ばれた。普段は水曜日が診察日だが、今日はイレギュラーで木曜日。診察室が元の慣れた部屋だったので、そう言うと、ああ、木曜日はこちらが使えるのですよ、とのこと。

 開口一番、「今朝は雪で大変でしたね」と言われる。「はい、それを見越して前泊してきました。」とお答えする。「雪、といえば(私が住んでいる市は)必ず中継されますものね」と冷やかされる。そして「さて、お加減いかがでしたか?」と問われ、「概ね元気ですが、寒かったり気圧の変化があったりで痛みがありました。10日ほど前、土日にちょっと無理をして片づけをした翌朝、いつにも増して胸の痛みと息苦しさがあり、やり過ごすのに往生しました。」とご報告。

 「肩や腕が痛いということはなかったですね?」と確認されたが、「そんなことはありませんでした。」とお答えする。そして、「前回の投与後は、やはり2日ほど気持ち悪さがあり、ナウゼリンを数回飲みました。手持ちがなくなったので、今日は処方して頂きたいです。」とお願いする。ずっとムカつきはなかったのだけれど、「抗がん剤が入っていますから(出ても不思議ないです)ね」とのこと。

 採血結果は特に変わったこともないとのことだったが、気になる腫瘍マーカーCA15-3はまたも1割の上昇。「すぐに薬を変えるほどではないし、粘れるだけ粘りたい。ただし、いつまで粘っていいものかわからない。次に使うつもりの薬がとても良いというわけでもないので」と前回と同じお答え。

 薬を替えるケースと替えないケースの予後を自分のコピーロボットで試すわけにもいかない。粘りたいのは私自身の希望でもある。悩ましい。グラフは目盛りを大きくとればかなりの角度で上がっているように見えるし、目盛りを小さくとればそれほど急カーブで上がってもいないように見える。とはいえ、8年前、再発後初めて投与した抗がん剤タキソテールを始める前と同じくらい大きな値である、すなわちここ8年で最も高い数値であることも確かだ。

 ひとまず、次回3週間後はレントゲン撮影の予約が入り、腫瘍マーカーも測定することになった。その結果、よほどのことがない限り年内は今と同じ治療を続行する。ここでじたばたしても仕方ない。結果によってはまた年明けに仕切り直しである。
診察室での検温は6度7分。

 「では、今日は予定通り治療しましょう。」と仰り、前回同様2種類の漢方とデノタスチュアブルを3週間分、ロキソニンに加え、ナウゼリンのジェネリックであるドンペリドン(なんだかシャンパンのような名前でびっくり)内服薬を処方して頂き、ご挨拶をして診察室を後にした。

 化学療法室へ移動し、待ち時間は恒例で、夫やお友達に報告LINEやメールを打つ。10 分ほどしてSさんから窓側のリクライニング椅子に案内される。外は雪。かなりの勢いで降り続いている。帰りは足元が大変なことになりそう、と憂鬱になる。

 席で態勢を整えるが、混んでいるのかなかなかどなたも見えない。20分ほどして、初めてお目にかかる看護師さんが見える。「初めまして」とご挨拶すると、前回おめでたが分かったKbさんが異動され、その代わりに先週からこちらに異動になったという。Mさんだ。初めてなので、ということで針刺しの前の消毒だけして、Okさんが付き添ってくださるまで待つことに。胸元を開けたままで放置は長い。

 漸くOkさんがお見えになり、Mさんが一つずつ確認しながら、慎重に針を刺してくださったけれど、やはりちょっと痛む。

 その後10分ほどして「薬が届きましたので、点滴を始めます。」とMさん。点滴をセットするのも不慣れな様子で、緊張が伝わってくる。こちらまでちょっとドキドキしてしまう。生理食塩水で満たした後、カドサイラ(T-DM1)。順調に点滴も読書は進み、1時間半で終了する。

 終了時の血圧測定と抜針もMさん。100-61、脈拍は59。抜く時もOkさんの立ち合いのもとで。ここでも真剣さが伝わってくるが、衝撃が強く、痛んだ。「慣れるまで大変ですね。」と労ったけれど、かなりストレスが溜まっておられるだろうなと思う。皆、そうやってだんだん慣れていくしかないのだろうけれど、化学療法室はやはり大変な職場だと思う。

 診察までは順調だったが、化学療法室ではかなり時間がかかった。看護師さんたちにご挨拶して部屋を出た。今日も計算時間を見計らって自動支払機へ移動したが、混んでいたのかかなり長いこと出来上がらず30分ほどかかった。採血と点滴の3割負担で12万円弱のカード支払い。

 外に出ると、少し雪が弱まっている。足元が悪く、慎重に歩くと肩が凝る。荷物も多いし、傘を差しているし、コートも身体も重く感じる。薬局へ移動して、それほど混雑していないように見えたが、薬剤師さんが少ないのか、なかなか呼ばれない。後からの方に抜かれることはいつもどおりで、30分ほどしても番号を呼ばれず。ナウゼリンのジェネリック薬の説明があり、「気持ちが悪くて・・・」とコメント。2,000円弱の現金払い。

 今日は前泊のおかげで病院到着を1時間半近く早められた。それでも、昨日の祝日の影響や雪の影響もあり、結構な時間がかかった。最寄りの私鉄は遅れたというし、自宅から出かけていたらいったい解放されるのは何時になっていただろう。病院と薬局の滞在時間は合わせて5時間半強。駅ビルで早速ランチの前にドンペリドンを飲んでからゆっくり控えめに食事をし、本を読みながら帰路についた。

 2冊目は鷲田清一さんの「人生はいつもちぐはぐ」(角川ソフィア文庫)。
 “朝日新聞「折々のことば」の哲学者がつむぐ日々の思考、「これで死ねる」と最後にいえるその日まで”という帯に惹かれて手に取った。裏表紙には「まなび、痛み、しあわせ、自由、弱さなど、身近な言葉を起点に広がってゆく哲学エッセイ」とあったが、どれもこれも、胸に響く言葉がちりばめられていた。うーん、生きていくって大変だけれどやはり素敵なこと。随分昔のことになってしまったけれど、“これから学ぶなら哲学だ”と言って再び学位を取り直した職場の先輩の言葉を思い出した。

 それにしても寒い。ライナー付きのトレンチコートに厚地のストールを巻いていたけれど、身体が縛れる感じに寒い。ランチの間、窓の外は吹雪のように雪が舞っていて、どうなることかと思ったけれど、最寄り駅に到着すると既に止んでいたのでほっとした。

 それでも病院周辺に比べて、かなり積もっているのに驚く。11月とは思えない。まだ銀杏もカツラも紅葉しているのに、雪の重みで枝がしなっている。明るいうちに帰宅できたが、とにかく寒い。ああ、エアコンが無事についていて本当に良かった、来月まで待っていたらとんでもなかったと思った。

 シャーベット状の道をへっぴり腰で歩いて帰宅したせいか、ぐったり疲れてしまった。ムカムカも続き、生唾がひっきりなしに出て気分もすぐれず。それでも休み休み頑張って夕食を作った。治療の翌日、明日一日頑張れば土日である。今日は早く休みたい。
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2016.11.22-23 暖かかったり、寒かったり・・・

2016-11-23 21:59:53 | 日記
 昨朝。もうそろそろ起きなくては、というタイミングで地震が起きた。ベッドに横になっていたせいか、じわじわと振動がやってきてじわじわと引いていくまで実に長く感じた。しばしじっとして息を殺し、揺れが収まるのを待ってゆるゆる起き出してニュースをつけた。
 「津波警報です。今すぐに高台に非難してください。命を守るために、5年前の震災を思い出してください。」とアナウンサーが声を枯らしてずっと叫び続けていた。

 東日本大震災からあと3ヶ月余りで6年が経過する。
 今回の地震は最大規模の余震だという。もちろん逃げ遅れて津波がやってきたら大変なことになるのは重々承知しているけれど、「震災を思い出してください。海を見に行くのはやめてください。」と連呼され、却って恐怖で動けなくなってしまう方たちはいなかったか、と胸が痛んだ。

 仕事を終えてから、Sさんの瞑想ヨーガのクラスに向かった。夕方も日中の暖かさが残っている。Sさんは義理の弟さんの結婚式でタイから帰国されたばかり。お湯や電気がない、タイ語が通じない、ラオスとの国境に近い地域のエピソードに興味深く耳を傾けた。

 13人の参加者のうち、指導者養成コースのメンバーが10名、あと3人も常連さんということで、昨日はすんなり瞑想に入った。初めてのムードラ(手指の仕草)やアーサナ、キールタンが沢山あったが、とても充実して幸せに満ちたクラスになった。
 大地に感謝と敬意を込めてマントラを唱えながら、大地の怒りが落ち着くことを祈った。

 帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。休暇をとっていた夫が投げ入れしてくれていた。このところ2回ほど自分でやってみて、お花を長持ちさせる極意を会得した、と威張る夫。とっくにやっていることなのだけど、まぁ言わせておくことにしましょう、これでまた一つ自分で出来る家事が見つかったのだから。

 届いたお花は黄色とオレンジのLAリリーが合わせて3本、ピンクのアルストロノメリアが3本にロベヤシの葉。花言葉はそれぞれ「威厳」、「凛々しさ」だという。
 夕刊にはM7.4という大きな数字が踊っていた。それでも先の震災を教訓に被害は最小限であったように見えた。この後も余震に注意、ということだけれど、どうか鎮まってほしいと思わずにはいられない。

 今日は勤労感謝の日。
 祝日授業開講日のため、通常通り出勤だ。朝からどんよりと厚い雲に覆われた冬空。暖かかった昨日より7度低いというが、もっと寒く感じる。
 そして、明日未明から降雪の予報。実際に降れば1962年以来54年ぶりの11月の降雪になるという。かくいう私も生まれてはいたけれど、当然記憶には残っていない。大半の人が生まれて初めて、と感じるであろう東京の初雪だろう。

 事務室は最低限の出勤者。この広さにこの人口密度ではちょっと寒々しいが、電話も少ないし、窓口も静かだ。仕事が捗ることは間違いない。普段出来ないファイリングなど気になっていたことが片付いた。

 明日は通院日。雪に弱い路線に乗るので、大事をとって今日も軟弱に前泊である。
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