今日で霜月も終わる。喪中欠礼が舞い込む季節になった。
先日届いた喪中欠礼状で、今を遡る26年前、新規採用の時、一番最初に配属された職場で直属の係長だった方が5月に亡くなっていたことが分かった。
ちょうど私と同じ年の一人娘さんがいらして、私の父より1つ下だったから、「娘よ」という感じで、可愛がって頂いた。朴訥な方だったが、周りからの信頼はとても厚く、「○○さんが言うなら仕方ないよな。」と言わせるような、いかにも技術屋の係長だった。
数年前からがんを患っていたと漏れ聞いた。いつだったか、十数年ぶりで電話でお話した時は、「病気で、もう自由に外出が出来ないんだよ。」とおっしゃっていたのを思い出す。
その時、「私も同じ病気で闘病中なのです。」とは言えなかったけれど。
それでも、元日に懐かしい筆跡の年賀状を頂戴すれば、ああ、まだお元気なのだ・・・と思っていた。今年はとうとう奥様名での喪中欠礼状を受け取ってしまった。
頂いた欠礼状には友人、知人、職場関係者等からのお父様、義理のお父様等に交じって、40代のお姉様というものもあり、息をのんだ。
ご病気だったのか事故だったのか・・・80代以上の方の訃報を知らせる葉書に感じるところがない、というわけでは決してないが、まだ現役世代の若い方のものを受け取るのは本当に胸が痛む。どれほど無念でおられたことか。お子様はいらしたのだろうか・・・、などつい我が身に引きつけてしまう。
ご冥福をお祈りしたい。
そして、こうして喪中欠礼状を準備されるご遺族の気持ちを想うと、これまたいたたまれない思いだ。ついつい、私の喪中欠礼状を準備する夫を思い浮かべてしまう。
昨日、遅ればせながら11月16日の「アピタル乳がん夜間学校」のアーカイブを見た。毎月第3水曜日の当日、ライブで見るのは通院日の夜なのでなかなか厳しいが、後から好きな時に何度でも見直せるというのはとてもありがたいものだ。
今回8回目の講義は、校長先生である埼玉医大の佐々木先生が抗がん剤の講義をされていた。今朝頂いたオリーブさんのコメントを拝見すると、奇しくも彼女も同じものをご覧になり、勉強になったとのことだった。
埼玉医大では、再発後30年という患者さんがおられるそうだ。再発から30年、治療が奏功し、生存している方がおられるという事実はとても力強い。もちろん、その患者さんご自身は、他の人たちには伺い知ることの出来ないほどの大変な30年間を過ごされてきたのだろうけれど・・・。
そう、自分の喪中欠礼のことなど思い浮かべず、とにかく前を向いて治療が少しでも長く奏功することを信じて(目指せ、再発治療30年!と言ったら喜寿も夢ではない。そうはいっても、ちょっと気が遠くなるくらい長い年月だけれど・・・)、明日からの師走を迎えたい。
先日届いた喪中欠礼状で、今を遡る26年前、新規採用の時、一番最初に配属された職場で直属の係長だった方が5月に亡くなっていたことが分かった。
ちょうど私と同じ年の一人娘さんがいらして、私の父より1つ下だったから、「娘よ」という感じで、可愛がって頂いた。朴訥な方だったが、周りからの信頼はとても厚く、「○○さんが言うなら仕方ないよな。」と言わせるような、いかにも技術屋の係長だった。
数年前からがんを患っていたと漏れ聞いた。いつだったか、十数年ぶりで電話でお話した時は、「病気で、もう自由に外出が出来ないんだよ。」とおっしゃっていたのを思い出す。
その時、「私も同じ病気で闘病中なのです。」とは言えなかったけれど。
それでも、元日に懐かしい筆跡の年賀状を頂戴すれば、ああ、まだお元気なのだ・・・と思っていた。今年はとうとう奥様名での喪中欠礼状を受け取ってしまった。
頂いた欠礼状には友人、知人、職場関係者等からのお父様、義理のお父様等に交じって、40代のお姉様というものもあり、息をのんだ。
ご病気だったのか事故だったのか・・・80代以上の方の訃報を知らせる葉書に感じるところがない、というわけでは決してないが、まだ現役世代の若い方のものを受け取るのは本当に胸が痛む。どれほど無念でおられたことか。お子様はいらしたのだろうか・・・、などつい我が身に引きつけてしまう。
ご冥福をお祈りしたい。
そして、こうして喪中欠礼状を準備されるご遺族の気持ちを想うと、これまたいたたまれない思いだ。ついつい、私の喪中欠礼状を準備する夫を思い浮かべてしまう。
昨日、遅ればせながら11月16日の「アピタル乳がん夜間学校」のアーカイブを見た。毎月第3水曜日の当日、ライブで見るのは通院日の夜なのでなかなか厳しいが、後から好きな時に何度でも見直せるというのはとてもありがたいものだ。
今回8回目の講義は、校長先生である埼玉医大の佐々木先生が抗がん剤の講義をされていた。今朝頂いたオリーブさんのコメントを拝見すると、奇しくも彼女も同じものをご覧になり、勉強になったとのことだった。
埼玉医大では、再発後30年という患者さんがおられるそうだ。再発から30年、治療が奏功し、生存している方がおられるという事実はとても力強い。もちろん、その患者さんご自身は、他の人たちには伺い知ることの出来ないほどの大変な30年間を過ごされてきたのだろうけれど・・・。
そう、自分の喪中欠礼のことなど思い浮かべず、とにかく前を向いて治療が少しでも長く奏功することを信じて(目指せ、再発治療30年!と言ったら喜寿も夢ではない。そうはいっても、ちょっと気が遠くなるくらい長い年月だけれど・・・)、明日からの師走を迎えたい。