東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

丸〆猫(まるしめのねこ)⑫

2010-03-30 23:29:23 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

P1010058 なかなか不勉強で、ついこの頃まで知りませんでした。「藤岡屋日記」。これは幕末、江戸の外神田御成街道に書肆を営んだ藤岡屋由蔵の手記で、内容的には文化元年に始まり慶応4年に至る65年間に亘るもの。身辺の出来事を綴るだけでなく、公私の事件に関する文書の写し、巷談街説を聞書したもの、或いはそれに関する瓦版の転載などからなっているということです。

現在、出版されていますが全巻揃いでとても高価なため図書館で閲覧してきました。その5巻 第37~第46(嘉永5年~安政元年)の記事に丸〆猫に関する記事があるので記します。

○嘉永五子年春  浅草観音猫の由来

 浅草随神門内三社権現鳥居際へ老女出で、今戸焼に猫をならべて商ふ、是を丸〆猫共、招キ猫共いふなり、是ハ娼家・茶屋、其外音曲の席等へ余多の客を招き寄候とて、是を求メ信心致ス也、又頼母子・取退無尽等ハ壱人ニテ丸〆ニ致候とて是を信じ、又公事出入・貸借等も此猫を信ズル時は勝利となりて丸〆に致し、又々難病の者、此猫を求メ信心致し候時ハ、膝行ハ腰が立て親の敵を討、盲人ハ眼が開き目明しと致し、又ハ脚気症等よい々ニて歩行自由ならざる者も、此猫を信ずるがさいご忽ち両足ぴん々と致し、余り退屈だから昼飯ニ小田原迄初鰹を喰ニ参り候との評判ニて、飛脚屋□京都へ三日限の早飛脚を頼まれ、余多の貸銀を丸〆としたるとの風聞□、欲情の世界なれバ、我も々と福を招きて丸〆々。

丸〆に客も宝も招き猫  浅草内でこれ矢大臣

○右猫之一件

浅草寺中、梅園院境内  市右衛門店、ひねり人形渡世 藤作  同人妻 こと

 右琴儀、数年来飼置候白ぶち猫、或日□□世話ニ成候方に飼置候駒鳥を取候故、□□立腹致し、先へ申訳無之間、此猫を何処へ成共捨べしと妻へ申付候処、こと義、手なれ候猫故捨候を残りおしく思ひ、猫ニ向ひ申候ニハ、巳来鳥を取候事急度慎ミ候ハバ我等先方へ参り詫び言致べし、此以後ハ、おとなしく可致候様申含候処ニ、猫も首をたれて恐入候様子ニ付、ことハ先方へ参り詫言致し、ぢゝハ捨候様申付候得共、猫へ右之義申聞候処、恐入候様子、咄し候ニ付、先方ニ而も不便ニ存じ、畜生の致す事なれバ、無是非も、捨るニハ不及と申候ニ付、こと大きニ悦び、内江帰り候処ニ、猫ハ何方へ参り候哉、姿見へず候間、所々相尋候処、行衛相知れ不申候間、是を気ニ致しぶら々病ひ出候処、□□□□仲間の人形職人、或日琴が病気見舞ニ来り候処、猫の咄し致候故、職人申候ハ、然ば我等其猫の代りを一ツ拵へ持来り、遺し候処ニ、老婆大きに悦び、猫ニ布団三枚敷、平常鯡を好物ニ付、毎日このしろを上ゲ候処、ことへ申候様ハ、是迄段々御厚恩ニ相成候処、私義、恩返しも不致候上ニ鳥を取、申訳無之、古井戸へ飛込死し候間、此以後ハ御恩報じニ御身の上を相守り候間、薬御用被成候ば早速全快仕候と、夢ニ見候処ニ、其後近処之者脚気を煩ひ候処ニ、猫ニも性有之候間、信心致し候ハバ、直るべしと、願懸致し候処、早速全快致し候ニ付、是□近辺ニて評判致し、浅草近辺の芸人多ク色々の事申、右猫の誂物閙ヶ敷、手廻り兼候間、後ニハ沢山ニ拵置候間、差支候義無之よし。

登場するのはやっぱりお婆さんですが、武江年表の話とは全然違いますね。「梅園院境内    市右衛門店 ひねり人形渡世 藤作 同人妻 こと」というのが、そのお婆さんのようですが、この能書きで売り出していた一人なのかもしれませんね。武江年表の話は、別の販売人による能書きのような気がしてきます。他にも別の話があったのかもしれません。販売者の数だけ話の内容が、、、?三社様の脇で猫を売っていたお婆さんもひとりだけではなくてあちらこちらにいたのかもしれません、或いはひとところでも日替わりのお婆さんがいたのかなあなんて変な想像もしてしまいます。「梅園院」というのは浅草寺塔頭のひとつで現在は本堂の裏手、言問通り寄りにありますが、往時は仲見世左側にあったようです。今も仲見世と交差する伝法院通りの一本手前の通りを左折すると「梅園しるこ」がありますね。この店はかなりの老舗のようで、震災前の絵葉書で見るとハイカラな塔のある店構えだったみたいです。そもそもは「梅園院」の境内で創業したそうなので、現在の「梅園しるこ」と浅草寺幼稚園との間あたりが「梅園院」だったのでしょうか?その境内でひねり人形の商売をしていた、という記述も見逃せません。ひねりの丸〆猫もあったんだろうか?古いひねりの土人形は現存するし、ひねりの箱庭細工の招き猫も残っています。 

それにしても難病が治って足腰丈夫となり親の敵を討つ。眼病が治る。脚気が治って両足ぴんぴんとなって退屈だから小田原へ昼飯に出かけ初鰹を食べ、評判になって飛脚屋から京都まで三日限りの早飛脚を頼まれてあまたの財を丸〆する。 すごいパワーを持っていたんですね。 さすが丸〆猫。  すごすぎる!

武江年表の原文は丸〆猫(まるしめのねこ)③に記してありますのでお暇でしたら読み比べてください。  

丸〆猫に関する記事は①から⑭まであります。お時間ありましたら通してご覧くださると幸いです。


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