この画像昨日今日ではなくて、GW中西新井大師まで自転車で出かけた折、帰り道で撮影したものです。
昔足立区内に勤めで毎日通っていた頃に見つけて以来気になっていたのを思い出して今回も立ち寄ってみたのでした。
ここは江北橋と鹿浜橋の中間にある堀之内という町内で、荒川土手のすぐ下、上には首都高が走っていますが、ここだけタイムスリップしたかのような牧歌的な雰囲気が残っています。
屋敷のお稲荷さんなのだろうと思います。東京での煉瓦歴史が今戸焼との関係があるみたいですね。その煉瓦で積んだ祠です。もっと川下には小菅があり、かつて小菅の刑務所の中で煉瓦が焼かれていたとか、亀有あたりにも煉瓦工場があったとか聞いた憶えがあります。
浅草奥山の十二階(凌雲閣)も煉瓦積だったはず。
今から20数年前に葛飾お花茶屋にいらした今戸焼白井家の本家善次郎家の白井和夫さんにお邪魔してお話を伺った折に、和夫さんの祖父の善次郎という人が名人であったという話、この方は煉瓦つくりにも携わっていて、浅草の吾妻橋の土台になっている煉瓦を焼いたとか、丹那トンネル建設の際、出向いて指導したとかいう話を聞いたように思います。
東京駅の煉瓦は埼玉県深谷市のホフマン窯で焼かれたという関係で現在の深谷駅舎は東京駅を小さく縮めたサイズで煉瓦の外観でできています。旧今戸八幡の狛犬の台座に刻まれている「深谷」姓の名前がありますが、もしかしたら、深谷出身なのでそういう姓なのか勝手に空想してみたりするのですがどうなのでしょう。深谷辺りでも火鉢とか蚕用のボウズのようなものも作られていたようです。
ここ堀之内の川上の鹿浜にも神社の境内に煉瓦に祠があったように思います。こんど確かめに行ってみたいと思います。ちなみにこの祠の内部は画像はありませんが、千住の吉田絵馬屋さんの経木の絵馬が納められていました。これもいかにも地元ローカルな感じでうれしくなってしまいました。(でも鉄砲狐はありませんでした。)
昔今戸で作られていた蔵の形の貯金玉のようにも見え、まるいはダイヤブロックやレゴのようにも見えませんか?ここより北にある鹿浜町内の神社の境内にもよく似た祠があるのです。土台のブロックは後補のものではないでしょうか?
こうした祠を街で見かけると、うれしくなってしまいますね!