このところ浅草の被官さま(浅草被官稲荷神社)へお納めすべき鉄砲狐の抜き出しから素焼きの焼き貯めに明け暮れていたためご無沙汰していました。一回のお納め分の素焼きまでは今やっと済んだところです。
まだ手がけていないもの、手がけたいもの山ほどあってうずうずしていますが、実際早く仕上げておかなけならないものを優先させなければならないのでちょっと難しいところです。そんな中、自分の欲求解消のためにもやってしまいたかったのがこれ。「豪徳寺の招福猫」(昭和戦前風)です。
この白黒画像は西沢笛畝 著「日本郷土玩具事典」(岩崎美術出版社)の東京の項に掲示されているものです。以前からずーっと気になっていました。
しかしこの猫の現物に接することは未だもって機会がありません。我が物にするということが形を把握するためには最善の方策ではありますが、それにばかりこだわっているわけでもなく、所蔵されているところがあればお願いして見せてもらう、写真に撮らせてもらいたい、、と思って所蔵先をいろいろお尋ねしていたのですがまだわからないままです。少なくとも笛畝さんのコレクションには含まれていたからこそ、こうした画像が残っているわけです。
笛畝さんのご生前は板橋の常盤台近辺にお住いだったそうですが、後に埼玉県越生に越生梅林に「笛畝記念人形美術館」という形で公開されていたのが閉館に至り、その所蔵品の一部はさいたま市に納まり、現在岩槻に人形博物館を開館する準備中ということで準備にあたっている学芸員の方にこの猫の存在についてお尋ねをしたものの、含まれていないようです。他にも調布市立博物館や世田谷区代官屋敷資料館などにも問い合わせたりしたもののまだ出会うことは叶っていません。
結局のところこの一葉の白黒画像しかなく、寸法やモデリング、色彩など全くわからない状況ですが、だからと言って待っていても始まらないので想定して作ってみました。そんなに大きなものではないだろうということは確かだと思います。実物が猫本体(前後の割り型)と台座になっている盥(たらい)状のパーツを接合してできているのは画像からわかります。猫本体のモデリングについてはこの画像から割り型の前面は想定して作ってみましたが、背面は類型的なイメージで想定しました。
いうまでもなくこの猫は正面向きに招いていて江戸東京の例えば今戸焼古来の横座り顔だけ正面向きのポーズではなくて、西日本由来の正面招きです。豪徳寺は招き猫の産地ではなくて、瀬戸や常滑などよその産地から取り寄せて授与してきたので、今戸の古式とは違うのは当然かもしれません。しかし、この猫に限ってみると筆の枯れた表情といい今戸風な描彩の雰囲気に近いものを感じて、それがこうやって作ってみたいという気持ちの原動力になった訳です。実際のところどこで作られたかという情報は知りえないので、、。
配色についても白黒画像から推定しながら選んで塗ってみてはいるもののどうでしょうかね。白黒画像から推定すると、首輪は昭和のはじめなので「赤」や「紅」系統なんだろうと思いますが(江戸時代の調子だったら丹(朱色系統)、明治の調子だとコチニールとかスカーレット染料とか新洋紅って感じに赤系統の色でも時代で異なります)、口や耳の発色はもっと淡い感じに写っているので白を混ぜた桃色みたいな色なんだろうか????しかし桃色だと甘くなってしまうので、丹(朱色系統)ぽい色で、。正面胸に見える「招福」の文字は首輪並みにはっきりと発色して見えるので首輪と同じなのか?それとも墨なのか?色の変化という意味で群青か????とも考えたのですが、古い白黒画像の常として群青色は画像ではもっと淡く写るものなのでパス。寺社仏閣由縁のものならば、丹(朱色系統)で文字入れしたほうがしっくりするだろうという判断で入れてみました。文字の崩し方も枯れた感じで「五体字典」で調べてみるとなるほどこういう崩し方か?という例もあって真似したつもりですが、難しいですね。
問題の盥(たらい)の色と内側の強い感じの色について、、。そもそも何でこの猫はこういう台座に乗っているのか???、、、という疑問から考えているのですが、当時の確かな状況についての解説文など何もわかっていないので、仕方なく自分で推定して塗ってみました。なせ盥(たらい)に入っているのか。行水している?盥舟(たらいぶね)に乗って浮かんでいる?いろいろ考えたのですが、豪徳寺との結びつきととしてしっくり来ない。豪徳寺は禅宗のお寺だからご本尊は釈迦牟尼仏(お釈迦様)で、お釈迦様のお姿は施無畏印(せむいいん)与願印(よがんいん)のポーズの立ち姿、座り姿はよくあるのですが、花祭り(灌仏会)の誕生仏の姿というものもあり、それならば甘茶をかけるのだから仏様はお茶を受けるための器のようなものにお乗りになっている。つまり花まつりのお釈迦様のお姿になぞらえて「天上天下唯我独尊」という感じに似せてパロディーみたいにしていると考えれば豪徳寺と猫の姿とのつながりのようなものがあるように見える。それなら盥(たらい)は黄色系統の色で内側は「甘茶」になぞらえた色、ということで、実際の甘茶の色は緑がかった黄色ですがお茶というのを強調して深い鶯色、深緑系統と考えて塗ってみました。色のコントラストを考えれば群青色だともっと映えるんですが白黒画像では群青色はこんなにはっきり写らないとおもいますし、、。
ということで塗ってみました。
盥(たらい)の形が丸っこすぎて点心の「エッグタルト」とか「ココナッツタイル」みたいになってしまっていますが、片面型で抜きやすくと考えて角を落とし過ぎたので、今後更に改良できるかな、、?とも。
一体全体に関するデータが皆無なので、今後わかればそれにあわせて直すしかないかと思っています。どこかで持っている人がいらっしゃれば是非見せてもらいたいものです。
戦前の豪徳寺の招き猫にはいろいろな産地からいろいろな姿のものがあったようですが、その中でもこの白黒画像のものが一番面白いと思います。但し、戦前の豪徳寺の猫全てに共通するのは胸に「招福」という文字か「丸〆猫」ならぬ「丸に福」と描かれていることです。戦後はこうした特徴は忘れ去られてしまい現在のものに至ります。
今戸焼とはいえないものですが東京っ子のひとりとしてこうしたものも作ってみたかったのです。「とんだ勇み足」といわれてしまうかもしれませんけど、、。
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ありがとうございます。
自分で感じる常として、捜しているとみつからず忘れているとひょっこりみつかったりする。というケースって結構多いように思います。どこかにあるのを観ることができる日が来てほしいです。ずーっと昔、今戸人形を再現してみようと思い立った頃は戦前のお手本ひとつ捜すのも難しいと感じていました。
でも、そういう物をこつこつと探していくのも楽しみの一つかも知れません。
実際に出会えたとき、今回、ご紹介があった猫さんと、どのように違うか、同じか・・・についても興味があります。
ありがとうございます。正面招きなので今戸ではないのでしょうが、一見、今戸人形の一文人形にも通じるようなラフで枯れた筆がすばらしいですね。すぐに真似できるものではないと思いますが、、。「盥に乗っている」とかけて「豪徳寺」。その心はというと「お釈迦様」「誕生仏」「花まつり」というとしか思えないんですが、どこかの文献に記されているんでしょうか。もしわかったらご教示くださいませ。
ありがとうございます。
やっぱり盥ですね。でもお手本画像のようにすっぱり薄手で箍(たが)までついているようには今回できなくて、というのも1枚の型から抜き出すにはこのようにエッグタルトみたいに丸っこくしないとうまくできなさそうで、箍があるとひっかかってしまうので。でも何かやり方があるはずです。盥の内側のざっくりした感触いいですね。ざらーっとした感じに筆もひかかっているって材質感あっていいんですがどうやっているんでしょうか。
ブログを拝見して、何を作っておられるのだろうと思っていたら、豪徳寺にこんなおもしろい猫があったんですね。
西澤笛畝さんの本、読んでいたつもりでしたが、気づかなかったです。あの本も、他では見ない不思議な玩具が結構載っていますよね。
豪徳寺と誕生仏と招き猫、突飛過ぎる組み合わせに呆然ですが、捉われない自由さがあって、昔の玩具は本当におもしろい。「念ずれば通ず」で、この猫さんも必ずどこかに残っていると信じます。
猫さんの脱力し切った表情が素晴らしい。こんな風情のある人形を甦らせてくれるいまどきさんに感謝!!です。
それにしても白黒写真の猫、盥(笊?)の中身がずいぶん乱れていますね。
甘茶猫は、みんなで川遊びしているようで、かわいいです。豪徳寺には何も残っていないのですかねぇ?