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昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

丸〆猫(まるしめのねこ)⑩

2010-03-24 22:11:55 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010269 既にほうぼうで紹介されているので、今さらの感じがなくもありませんが、この錦絵を参考にした、という意味で採り上げます。これはその丸〆猫屋の部分の拡大です。この錦絵のタイトルが「浄るり町繁華の図」(嘉永5年)全部で七枚ある大判錦絵のシリーズのひとつのようで、タイトルのとおり、浄瑠璃の登場人物を当時の市井の物売りや大道芸人に見立ててあるわけです。丸〆猫についてテーマで書いているので、全体よりも丸〆猫屋のことを先に見てみましょう。

はじめて見た時、坊主と遊女の組み合わせなので、おそらく西行と江口の君なのではないかと思いました。というのも、青い風呂敷包みのようなものを胸のところで結わえているのです。土人形でも西行の姿はよくあって、風呂敷包みがトレードマークみたいなものです。昔、西行の土人形を庭先の祠なんかに祀っておくと盗難除けになる。「首はとれても包みは離さぬ」といわれていたようです。歌舞伎の演目で「時雨西行」と舞踊劇があり、その登場人物です。江口の里で時雨の降る中、西行は遊女に出会いますが、実は文殊菩薩の化身だったという筋なのですが、この舞踊自体はそう古いものではなく、古い伝説から取材したものです。しかし、他に描かれている人物がすべて浄瑠璃の登場人物なのですから、この2人も現在は上演されない古い浄瑠璃に取材されたものなのだろうと思っていたら「軍法富士見西行」という竹本座初演の浄瑠璃だそうで、筋も知りませんが、その元は「吾妻鑑」に出てくる話で、頼朝から銀製の猫を与えられた西行が門前の子供にその猫を惜しげもなくくれてしまった、という話があるのだと、日本人形玩具学会のO先生から伺いました。この浄瑠璃は既に廃版となった国書刊行会発行の「竹本座浄瑠璃集」に収録されているそうですからいづれ読んでみたいと思います。

浄瑠璃の話にそれてしまいましたが、描かれた人物が浄瑠璃の登場人物の「見立て」ですが、描かれている様子は当時の風俗をそれらしく描いていると考えてよいのでしょう。嘉永5年というのも「武江年表」の話と辻褄が合います。描かれている招き猫の背面こそ見えませんが、構図は水野原遺跡の丸〆猫と同じと考えてよいと思いますし、暖簾や提灯に見える丸〆印もまた水野原の丸〆印と同じです。こうした床店(小屋がけの店)が三社様の門前にあったのでしょう。尾張屋春吉翁の証言に出てくる店もこんなだったのでしょう。ちなみに翁の話によれば、浅草の観音様の境内にあった床店は明治15年に取り払いになったということです。

丸〆猫に関する記事は①から⑭まであります。お時間ありましたら通してご覧くださると幸いです。

 

 

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