東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

どろめん三昧

2018-08-03 23:49:00 | 日々

 今日は千葉市のどろめんの研究家の田中和夫さんのご厚意ではるばる赤羽まで資料をお運びいただき、4時間弱の間、ひとつひとつの資料についてご説明をいただきました。わが家の中では整理が悪くてお通しできないので、町内の自治会館の一室を貸していただいてテーブルの上で拝見しました。田中さんの資料は全て千葉県内の畑から出土したものだそうで、40年近く拾い集められた集積で、私も若い分畑を歩いたことがあるので、その時の印象と重ね合わせてお話を拝聴しました。畑からはいかにも今戸の土色のどろめんに限らず、投網の重しだとかガラス製のおはじきだったり石蹴りだったりと、幅のある年代のものが表土に表れていたもので、なぜ、畑から出てくるようになったのかということについてもお話を聞いて目から鱗な内容でした。

 同じ地域にある畑でもこうしたものが出てくる畑とそうでない畑がある理由として、その当時畑だったところには豊作を願って土に埋める風習があり、牧場だったところはそうではなかったということです。また江戸市中の厠から汲みだされる肥に混ざって泥めんや人形のかけらが混ざって運ばれ、畑に播かれたものが結果として土製のものが地中に残ったという説を私も聞き憶えていたものですが、江戸の近世遺跡の遺構の厠から畑から見つかるような土製品がみつかるという例はないそうで、「肥に混ざって」という説はほどんど可能性がない、ということです。

 ガラス製のおはじき、めんこ、石蹴りの形状と製作方法、形の意味するもの、背景など、ひとつひとつ追及された内容をご紹介いただきました。興信牛乳の蓋だったという磁器製の破片もありました。

 昨日日どりが決まってお声かけした中から足を運んでくださったみなさんもありがとうございました。画像は「亀乗り童子」と呼んだらよいでしょうか。片面の人形で3センチ余りの大きさですが彫が細かくよくできた人形で、「どろめん」というより一文人形の一種というのでしょうか。フルコースのようにたくさんの資料を拝見した中で一番好きな人形です。

わざわざ運んで貴重な資料とその背景について丁寧にお話くださった田中さん、足を運んでくださったみなさんありがとうございました。まさに眼福、耳福の午後でした。


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