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東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

おがくず

2015-04-12 22:40:15 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

一見して割型から抜き出して乾燥させている粘土の左招き猫、、、。ではなくて、おがくずにつなぎを混ぜて練りこんだものなんです。
ですから、これらは「今戸焼」とも「今戸人形」とも関係ないものなんです。もともと昔のよい時代の今戸人形が戦前に廃れてしまったものを再現しようと始めたことなんですが、これまで郷土玩具畑のもので「今戸人形」ではないものを2つ手掛けたことがあります。「王子稲荷の紙からくり」と「鴻巣の練り人形」の招き猫です。王子稲荷のものは、昔、参道にある葛餅屋さんに今戸の「羽織狐」とか「提灯持ち狐」(大晦日の狐の行列に因んで)を置いてもらっていた頃、王子名物の紙からくりも作ってお納めしていた事がありました。「鴻巣の招き猫」については「丸〆猫」をはじめて作ったあと日本招き猫倶楽部という趣味の団体でとりあげていただいて、各地から「丸〆猫」や「招き猫の火入れ」とか「招き猫の貯金玉(尾張屋型)についてお問い合わせいただいて、待ってもらってお送りしていたんですが、中には色違いに塗ってはくれないのか、赤物のように真っ赤にできないか、ピンクに塗れないかという問い合わせもあり、「昔のよい時代の今戸焼の土人形を再現する」というスタンスなので「変てこなことはできないので許してください」みたいな返事ばかりしていた時期がありました。当時、芝原人形の左招き猫や鴻巣の赤物の左招き猫のもとになった今戸人形版の左招き猫を再現しようとしていて、そのついでに「鴻巣版の赤物」用の割型も作っておいて、ちゃんとおがくずで成形すれば、「赤く塗って欲しい」というご要望にも対応できるかと手掛けたんです。練り人形は当時やったくらいだったのですが、最近作って欲しいという方があり、「当時の割型はあるから待ってもらえるならやります」なんてお答えしたいたのがのびのびになって、去年は本当に忙しかったから、今になってやっているという始末です。

材料のおがくずにツナギを混ぜて練っているところ。何だかコロッケみたいにおいしく見えませんか?練り人形は土のように素焼きする必要がなく、出来上がりの目方がひどく軽いし、素焼きのように落としたりぶつけて割れるということがないので、製品を籠に入れて背負って行商して回って歩いた昔では商品管理が楽で結構需要があったみたいですね。張り子の人形は軽いけれどぶつけて「ぺこん」と凹んだりすることがあり、その点練り人形はおがくずに混ぜる溶剤として昔は「ふすま」を混ぜて使っていたので、あとあと虫が湧く、ネズミがかじるなどでダメになってしまうんですね。それと火事に遭えば消失する、地中に埋まっていればなくなってしまう、、などの理由で練り人形が近世遺跡から出土することはまずありません。

割型から抜き出したおがくずは陰干ししてから天日干しして、胡粉で地塗りをします。焼く手間がかからない代わりに、地塗りを余計に重ねないと肌のがざがさが消えない、、という手間がかかります。練り人形の魅力は土人形よりも彫りが甘く、胡粉の下地によるまろやかな感触とやわらかなアウトライン、やさしい照りのある肌合いでしょうか。赤物は特にスカーレット染料と膠による「縁日のりんご飴」のような透明感のある発色が楽しいですね。
鴻巣や大阪、金沢、渋江(山形)、加茂松原なんか知られていますが、浅草の練り人形もいいですね。

昔、「郷玩ゼミナール」という郷土玩具の会とは別に少人数で運営されていた会合のようなものがあって、それを芯になって運営されていた方が私に昔の今戸人形の見かたとか材質的なこととか出土品との比較とかについて意識を持たせてくださった師匠のひとりなんですが、この「ゼミナール」で鴻巣の人形屋や神社を巡って見学させていただく機会がありました。この時、鴻巣市内の神社や人形屋さんからみつかったという古い「今戸人形」があり、鴻巣に影響を与えていたという物証だな、と思いました。鴻巣の練り人形の一部に今戸人形の構図と同じのがあります。「おいらん」とか「左招き猫」「羽衣狆」「古今風雛内離」などそうです。それと今でもまだやっていらっしゃると思いますが「太刀屋」さんというお店では赤物の赤の発色の出し方について配合を教えてもらいました。

でも特に有名でもあり、人気のある「左招き猫」が今では鴻巣では作られていないというのは勿体ないというか残念というか、、。だからうちなんかへ問い合わせがくるんでしょうね。新宿区「水野原遺跡」出土の「丸〆猫」が「最古の招き猫」としてはじめてテレビに映ったNHKの「美の壺・招き猫」では、出土品については情報提供しましたが、出来上がった番組で招き猫の色の意味みたいなコーナーがあって、鴻巣の練り人形の猫が並んで映ったんですが、観てびっくり。その中にうちで作ったのが混ざっていたんです。何も事前に知らなかったからびっくりしました。
「美の壺」の画像ありました。→ 真ん中のがうちのです。
余計な話になりましたが、とりあえず抜き出して乾燥させる間、また土仕事をすすめていきます。

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8 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
おがくず (karat)
2015-04-13 10:12:51
おはようございます。
おがくずを固めたものというのは、イメージとしてなんだか崩れそうですが、強力なつなぎ剤を使っているのですね…?文章を拝見すると行商で商われていたというので、結構丈夫だったんですね…。もしかして木目込み人形の中身はそれかな…?と思いましたが。
また、あえて赤くする招き猫というのも初めて知りましたが(お土産屋さんで、色々カラフルなのが並んでいるのは見たことがありますが)、赤い招き猫は昔から何か意味があるのでしょうね…?何も知らないもので、疑問がわいてコメントさせていただきました。
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Unknown ()
2015-04-13 11:43:25
わぁ、写真見ました。可愛いです。今、鴻巣の招き猫は前向いた、普通のやつばかりですね。
太刀屋さんでだるまを干しているのを見ましたが、あの、張り子と同じ、ドロドロにして型に吹き込む方法のようで、表面はつるつるでした。
絶対一つ欲しいです。私疱瘡になっちゃっているので、優先的にお願いします(笑)。
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おがくず (いまどき)
2015-04-13 18:32:10
karatさま
コメントありがとうございます。
おがくずは生で練りこんだ状態だとおからよりちょっともさもさしたみたいな感触で乾かないと押したりすればボロっとするくらい頼りない感じです。焼く前の火の入っていない握ったハンバーグみたいといういうか、、、。でも完全に乾燥すればカチンカチンになります。もちろん中が空洞ですからその昔「象さんが乗っても壊れない筆箱」のCMみたいにはなりません。仰るとおりで、木目込み人形のキットなんかに入っているボディーは同じような作りです。昔の人形とかおもちゃには「赤物」と呼ばれるものがあって朱色とかのちには真っ赤に塗られていました。医学の発達していないかった頃はお呪いとか神頼みなことで病除けしようとしたそうで、昔、子供にとって最も恐れられていたのが「天然痘」(疱瘡)で、疱瘡の病神様は赤い色が好きなので、子供に赤い人形玩具を与えておけば、子供にとりつかず赤い人形玩具についてくれるとか赤だけで刷られた「赤絵」でできた「鐘馗様」だの「金太郎」だの「みみずくや鯛」の絵もそのような役目を担っていたようです。滑稽な発想ですが、昔はそうやって祈るしかなかったということですね。
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練り人形 (いまどき)
2015-04-13 18:48:04
春さま
ありがとうございます。昔のきねずかで十数年ぶりにやっているという状況です。鴻巣の「太刀屋」さん「吉見屋」さん「臼井」さん「秋元」さんと「鴻神社」の見学はそれより遡ることでした。ずいぶん出かけていないので鴻巣の現状ってよく知りませんが、当時でさえ今戸型の「左まねき」もそれより小さい「右招き」も作られていなかったと思います。
昔ながらの練りであればおがくずを型から抜いて乾燥させるものですから干している状態なら細かなざらざらは出るはずですね。どろどろというのが想像できませんが、もしかすると真空成型といわれる張り子だるまの成形法だと昔ながらの反故紙とか張り子紙ではなくて、どろどろのパルプ繊維の粥を使いますから、鴻巣でもそういう成形法が中心になっているということでしょうか。鴻巣の練りのだるまは結構出ていますね。それらの成形が昔の2枚型のとは違うやり方になっているのでしょうかね。おがくずも粥にして成形するようになっているんだか、、。だるまなんか割と安価にでていますから、昔風の成形では割に遭わないでしょうね。
昨日久しぶりに抜いただけなのでこの先乾燥も含め地塗り、彩色に案外時間がかかります。色は白(きら)、真っ赤(スカーレット染料)、樺色(オレンジ染料)、鉛丹(または朱)風などやったことがあります。赤系だと鉛丹(または朱)系が一番古風な色だと思います。ずっと先になるかと思いますが、どんな配色をご希望かお伝えください。
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練り人形 ()
2015-04-13 20:07:38
いまどきさん、迷います。今風なスカーレットも好きです。鉛丹は、裃雛の衣装の色ですか?「美の壺」のはスカーレットでしょうか?というわけで、できたら鉛丹とスカーレット、両方お願いします(笑)。
「美の壺」の写真は招き猫ミュージアムのもののようですね。古作が坂東・荒川の本に載っています。いまどきさんは、右手あげはつくらないのですか?
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赤い招き猫 (karat)
2015-04-13 20:25:49
ありがとうございます。赤い色の意味が分かりました。春さんが何で疱瘡になっちゃって優先なのか分かりました。(^^)
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Unknown (いまどき)
2015-04-13 23:51:28
春さま
スカーレット染料も現代というより明治から使われていたので、歴史はあるんですね。今戸焼の裃雛も明治中ごろくらいには袖がスカーレットになっています。おっしゃるとおり鉛丹とか朱は天保頃から使われていて、その後樺色になるっていう感じでしょうか。有名な会津の赤べこもスカーレット以前は樺粉だったといいます。鴻巣の右招きなんですが、そもそも練りにチャレンジした当時、あっちも型を起こそうかどうか考えたんですが、おそらく「丸〆猫」の型をもとに変形した姿なんだろうとは思っていました。それが今戸の中で変形してああいう風になったのか、今戸かた鴻巣に移入されるところでああなったのかどっちかわかりません。確かうちにもぼろぼろになったあの手の右招きがあったのですが、どこにしまったのか覚えていません。すぐ手元にあればすぐにでもモデリングして型は起こせそうなんですが、、。そういえば山形の渋江の練り人形の古いものに「丸〆猫」それも出土の嘉永安政風の構図のものがあります。後ろの「丸〆」の陽刻はないんですが、よく似たモデリングです。渋江の創業は浅草辺りで修行したとか言うので、浅草の練り人形の系譜だと思っているんですね。ある人は古今雛の「原舟月」の系譜を組んでいるんじゃないかと思うと言ってます。だからこれは想像でしかありませんが、「丸〆猫」の大流行した嘉永5年から数年間当然今戸で作られていたんだけれど、浅草の練り人形でもそうしたものを作っていて、それが渋江に伝わったんじゃないかと思っているんです。かなりの空想なんですけどね。
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赤い招き猫 (いまどき)
2015-04-14 00:04:10
karatさま
木目込人形のボデイーのことなんですが、ご存知だしょうが、木目込みの源流は京都の加茂人形だといわれてますね。
加茂人形の時代には顔も体も木彫を磨いて、布を貼り付ける部分の端に布を押し込む谷間状の彫を入れていたんじゃないでしょうか。御所人形ももとは芯から木彫で、上物は木彫なんですが、途中からおがくずの練りが始まったようです。それと今でもお雛様の頭はおがくず製があり、石膏製やソフビ製みたいなものもあります。手先もそうですね。西洋にもコンポジションドールといっておがくずで練った頭や手のがありました。現在の木目込みの中には上物の木彫のボディーや頭のもあるのか知りませんが多くはおがくずでしょうか。
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