東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

秋のお彼岸・お参り(今戸〜清川)

2019-09-25 19:32:12 | 日々

 お彼岸の入りの翌日9月21日、最後の生粋の今戸人形の作者だった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年〜昭和19年)のこ墓所のお参りのお許しをいただいて自転車で今戸まで出かけてきました。午後3じ過ぎの遅い出発でしたが、お寺さまの開門中に間に合い、無事お参りさせてもらうことができました。

 その帰りに寄った昔の今戸河岸の現在。焼きものの燃料となった薪などかつては茨城の利根川沿岸域から水運で運ばれてきて、ここ今戸河岸でにあげされていとか…。また出来上がった製品がここから積まれて出荷されていたとか。上流に広重の錦絵にも描かれた橋場の渡しがあったそうです。その橋場には銭座があったといいます。

 またかつて尾張屋さんのキセル窯があった場所にも寄ってきました。

 続いて清川の玉姫稲荷さま。

 夕暮れ時、境内で地元の子ども会が花火大会をしているところでした。

 御本殿横にお祀りされている口入稲荷。今戸人形の口入狐に由縁のお稲荷さまです。

 

 春吉翁と同じ時代まで今戸町内長昌寺そばで焼き芋屋の傍ら家業の今戸人形作りをしていた屋号「あぶ愡」の鈴木たつ という人がここ口入稲荷奉納用専門に狐を作っているそうです。現在は素焼きの木地を仕入れて彩色のみこちらの奉職されている方々がされているものが並んでいます。羽織狐の股引きの部分を黒く塗りつぶしているところなど「あぶ愡」の彩色を意識して塗られている感じがします。 

 ガラス越しに撮影した内部の様子です。


石膏鉢

2019-09-25 00:23:57 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 夏以来、それなりに人形の抜き貯めを繰り返してきたので、材料の土の回転も早く、なくなる前に次に使える土を間にあわさなければなりません。吸水させるための石膏鉢の中である程度固形になってきた土は大きなタッパーへ移し、吸水マットの上で鉢の水分を飛ばしてから再び水簸(すいひ)を繰り返して濃くなってきた泥漿(でいしょう)を盛り込んで吸水を促します。

 最初と2番目の画像はいちばん濃くなっているバケツの中。ここから泥漿を掬い出して石膏鉢へ移し、蓋をして寝かせます。

 真夏は過ぎつつあるので乾きは遅くなりますが、他の作業で忙しくしているうちに、水気が飛んでいきます。