東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

鼻毛がのびる

2015-11-11 18:43:25 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

この時期毎度のことながらどたばたします。現在最優先なのが浅草の被官さま(被官稲荷さま)へお納めすべき鉄砲狐。

 この夏、生まれてはじめて入院したということもあり型抜き成型の作業の出だしが遅れたものの、一回目にお納めすべき数の素焼きは終わっているので彩色して荷造りしてお納めするというところです、昔だと奉納用の狐の素焼きの人形をやすりがけして表面の地肌を整えるということはしていなかったんじゃないかと思うんですが、やっぱり少しでもがざがざな肌を押さえて仕上げたいという思いでサンドペーパーをかけて、濡れ雑巾で拭ってから胡粉の下地塗りをします。

 これって結構鼻毛がのびます。あとだんだん寒くなったり空気の湿度が少なくなると肌がかさかさになりますね。

 同時進行で水簸して水気を抜いた粘土をブリッジにして更に水気を飛ばしています。

  最優先は鉄砲狐の仕上げなんですが、そのあとに続く干支の準備や羽子板市向けの準備も裏で進めてはいます。新年の干支である申(猿)なんですけれど今回の場合、今戸焼の古典的な人形の中には種類が多すぎるくらい多いので無理な創作をする必要はない反面、種類がありすぎて全部手がけるのは無理そうです。現在のところ前回の申年に出した「御幣猿」(オリジナルは昭和4年頃亡くなったという市川梅次郎という今戸人形の作者、或いはその師匠だといわれる「人形屋勇次郎」という作者によるもの)の型があり、実際の伝世品には「左手持ち」のが圧倒的に多いんですが「右手持ち」も残っているんです。そこで今までの「左手持ち」に加えて「右手持ち」の型も準備して抜いています。他に遺跡から出土している猿を2種原型起こしにかかっています。他に最後の生粋の今戸焼の人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになっていた猿があり、それもやってみたいですが間に合うかどうか、、。遺跡からのものには面白いのがたくさんあるんですが、、。

 思いばかり先走ってしまいひとりでの作業ペースがもどかしくもあり、鼻毛がのびる今日この頃です。