掃除していたら出てきた昔の木版画。自分でどこかで求めたものですが、いつ、どこでだったか思い出せません。
描かれている役者さんの取り合わせから、昭和10年から15年頃のものではないでしょうか。
というのも右上の二代目市川左團次が昭和15年にこの中で一番早く亡くなっているので。「勧進帳」の富樫ですね。烏帽子の紐が白。橘屋は紫だったとか。楽劇らしく堂々とした風格のある富樫だったそうですね。
その下は記録映画として残っている七代目松本幸四郎の弁慶です。この人は昭和24年に亡くなっていますが、晩年までスタミナのある力強い舞台だったそうです。
その下が「花の橘や」と言われた十五代目市村羽左衛門の源氏店の与三郎。昭和18年疎開先の信州湯田中で不遇にも亡くなられた役者さん。立派な横顔高い鼻。父親はフランス人だという噂があったそうです。パリの旅行した際、ミロのヴィーナスを観て「手の切れた女に用はねえ」と言ったとか、、。与三郎といえば橘屋で、録音もたくさん残っています。戦後SKDの川路龍子さんが橘屋張りの演しものを盛んにやっていたそうで、うちの母が川路さんのフアンでした。
左上は六代目尾上菊五郎の鏡獅子の前ジテお小姓弥生。幸いにも小津安二郎監督による映像が残っていて、踊る姿を観ることができます。六代目の役者さんがあまたいる中で、「六代目」といえば尾上菊五郎の代名詞となっています。昭和24年没。
その下は初代中村吉右衛門の河内山宗俊。「~左の高頬にひとつの黒子.」「ヤッ」。というところ。これも録音が残っていて名調子を聞くことができます。この中ではこの人が最後まで残っていたので映像もいくつか残っています。
その下は「六代目」の髪結新三でしょうか。「おべえは ねえと 白張りの~」と永代橋のところでしょうか。これも録音が残っています。
6つの枠に5人の役者。それも「六代目」が二度描かれているのはやっぱり当時の劇界の人気のため?それとも絵師が音羽屋びいきだったのか?
この木版画、シールのように切り抜いて、ひいきの役者さんの顔を貼ったりしたのでしょうかね。