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生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信273 ・他国の水を奪ってきた日本の食糧事情

2009-09-05 20:51:11 | 日記
おはようございます。
生き生き箕面通信273(090823)をお届けします。

・他国の水を奪ってきた日本の食糧事情
 世界で多くの人々が水不足に苦しんでいることは、テレビなどでもよく取り上げられるのでかなり知られるようになりました。その苦しみを与える加害者の立場に日本があることも指摘されています。しかし、一向に事態を改善しようとする取り組みははじまりません。

 世界的にみると、現在8億6千万人の人が、安全に飲める水がない。2025年には、世界48カ国で40億人が水不足に悩まされる。そんな見通しが出されてからも随分経ちますが、有効な対策は出されていません。霊長類の最高の位置にあると自負していながら、人間さんは水不足にはただ手もこまねいているかの感さえあります。水不足対策には、国連が何をできるのか、水紛争の多発に国際司法裁判所は機能するのか。

 水不足の地域では、多くの子どもたちが、半日かけて水汲みに行っています。学校に行く時間はありません。これも放置されたまま。あるいは、上流でかんがい施設を作ると、下流には水が流れてこない。世界有数のカスピ海はほとんど干上がってしまいました。

 日本は、牛肉輸入や、とうもろこしなどの食糧輸入の形で、バーチャル・ウオーター、つまり仮想水の形で世界一の水輸入国になっていることは、以前にも触れました。牛肉1kgのためには水10万リットル、とうもろこし1kgには1800リットルと、育てるまでに相当の水を必要とします。日本の食糧自給率はよく知られているように41%(カロリーベース)にすぎません。従って、輸入食料に頼らざるを得ないとして、仮想水の輸入量は年間50億立方メートル。これは日本人4000万人分の年間使用量に匹敵するそうです。

 だから、この輸入量を減らせば、その分、その国に水が残る計算になります。

 日本は、コメの生産では世界最高水準の技術を持ち、世界一おいしいコメを作れます。ところが、コメの国内消費量は年々減少し、減反を長らく続けています。愚かなことです。「私はパンが好きだ。コメはきらいです」という贅沢をまかり通しています。わたしたちは、自分の食生活を全般的に見直す必要があるのではないでしょうか。「この国の形」は、国民の食生活のありかたが根幹になります。できるだけ世界に迷惑をかけないで自立した食生活を考えなければならない段階へ来ています。



生き生き箕面通信272 ・インフルで「どれだけ死んでもいいか」の判断が大切

2009-09-05 20:43:37 | 日記
おはようございます。
生き生き箕面通信272(090822)をお届けします。

・インフルで「どれだけ死んでもいいか」の判断が大切
 厚労省が新型インフルエンザに対して、「流行シーズン入り」を宣言しました。死者も沖縄、神戸、名古屋と広範囲にわたっています。

 今年前半のときは、まず「水際作戦」と称し、最大の力を空港に集め、病原菌が入ってくるのを止めようとしました。いまでは「笑止千万」でした。空港で止められるわけがない。次は、国民の防衛が大切として、「うがい、手洗いの励行」「電車のなかは全員マスク」「大勢が集まるイベントは中止」となりました。その挙句、東京では「関西からの出張は不要」というお触れが出たり、関西は関西で「患者はしかと(無視)」といじめの対象になるなどの現象が起こりました。

 問題は、こうした現実を総括して、秋からの第2波、第3波に備える態勢をどう整えたか、ですが、これが目も当てられない有り様。厚労省はこれから「対応できる患者用ベッド数、医師の体制を調査する」といっています。今頃です。この間、何をやっていたのでしょうか。舛添要一とかいう大臣様が、前回も「水際で止める」と記者会見などでひとり高揚していた姿が思い出されます。

 今回は「冷静に対応して下さい」です。「冷静に対応する」とは、どうすればいいのでしょうか。インフルと診断されたら、ワクチンは提供されるのでしょうか。とても足りないそうです。重症で入院が必要だったら、ちゃんと入院できるのでしょうか。イベントは、粛々と開催しても問題はないのでしょうか。学校は患者数を見て、休校すればいいのでしょうか。

 危険なのは、「一人でも死んではいけない」という発想です。これを守ろうとすれば、社会的な活動をほとんどストップして、じっと家に閉じこもるしかありません。企業も学校も、役所もほとんどストップすることができるでしょうか。電車も飛行機も動かします。当然、保菌者が動き回ります。インフルの広がりを完全に止めることは不可能であるということをまず共通認識として持つべきだと考えます。そうすると、重症患者も出てきます。そうした患者への対応を一生懸命やらなければならないのは、当たり前です。しかし、その上でも死者が出た場合は、やむを得ないとするしかないと思います。

 つまり、社会活動を継続しながら、インフルの犠牲をどれだけ少なくすませられるか。中世のヨーロッパでは黒死病(ペスト)で人口の三分の一が亡くなりましたが、そのときに交わされた挨拶は「メメントモリ(死を想え)」というものだったそうです。社会活動を継続しながらできる対策はしっかりと実施し、その上で出る犠牲は受け入れるほかありません。「どれだけ死んでもいいか」を超えたら、社会活動をストップして、パンデミックの上限対策を実施する。それは軍隊を出して、都市を封じ込めるわけです。

 国民が、病原菌対策をきちんと把握できることは、核兵器対策と同様、これからは欠かせない安全保障の問題です。いずれ化学兵器対策、病原菌テロ対策も世界的な課題としてもっと切実になってきます。

 新政権は、こうした問題にも機敏に手を打たなければなりません。そのことも、「この国のめざすべき安全保障の形」と密接不可分です。

郡山 吉雄
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