生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信262 ・「海軍400時間の証言」と「空気」

2009-08-12 06:46:27 | 日記
おはようございます。
生き生き箕面通信262(090812)をお届けします。

・「海軍400時間の証言」と「空気」
 NHK総合テレビが昨夕までの3日連続で「海軍400日の証言」というスペシャル番組を放映しました。貴重な「証言」を発掘して世に出したNHKディレクターの「仕事ぶり」を高く評価するとともに、こうした番組が放映され続けるよう、NHKあてにコメントを送信しました。こうした番組を制作するスタッフを守り、さらに今後の仕事につなげるには、視聴者の支持が社内での発言力に決定的に大きな支えになるはずだからです。

 第一部(9日)は「・将校たちの告白・開戦・知られざる真実にほんのエリート         集団はなぜ暴走・失敗したか」
 第二部(10日)「悲劇の神風・人間魚雷・明かされた特効の真実・なぜ若者た         ちは死地へ将校の告白」
 第三部(11日)「東京裁判での極秘工作・上層部を戦犯にするな・マッカーサ         ーの密使・真実の行方」

 旧日本帝国海軍中枢にいた軍人たちは、戦後11年間に130回にわたって秘密の「反省会」を開き、そこで得られた証言をテープに残していました。そうした「反省会」が開かれていたこと自体、世間には知られていませんでした。もちろんテープが残っていることも一部の人以外、全く伏せられていました。

 驚くのは、「開戦」自体が、戦争を最初から最期まで仕切った海軍軍令部によると、「戦争に向かおうとする時代の空気に抗しきれず、流された」という総括です。生き延びた高級将校には、真摯な反省もザンゲもありません。(中国大陸は陸軍)

 ただ、「空気」ついていえば、当時の世論形成に大きな影響力を及ぼした新聞がこぞって「開戦やむなし」と太鼓を打ち続けたことも事実です。「朝日」をはじめ各紙がそろって、「米英何するものぞ」と勇ましい紙面を連日作り、部数を伸ばす競争にのめりこんだのでした。最後まで「1億総玉砕」と太鼓もちをしたのが、当時の新聞の真の、そして無様な姿なのです。そこには「こんな紙面をつくっていてはいけないのではないか」というジャーナリズムに欠かせない自己点検機能が働かなかったことを付け加えておく必要があります。軍部から厳しい統制をうけていたこともありますが、むしろ国民を積極的に戦争へ狩り出し、協力するための「洗脳機関」に自ら進んで成り下がっていた面が強いのです。

 神風特効作戦も、闘う武器も作戦も尽き果てた軍令部が、「こうなれば人間をぶつけることでしょう」「一機命中ですよ」といとも簡単に「特効作戦」を採用し、潜水服を着て敵艦に体当たりする「伏龍」と名付けた「思いつき兵器」までが真剣に実験までされたのでした。この段階ですでにまともな作戦能力は崩壊し、「行き当たりばったり」しか対応のしようがない無能力振りをさらしていました。それでも、「戦争をやめよう」という勇気ある声は出さなかった。番組では「やましき沈黙」という表現でした。

 神風特攻隊の成功率は、米軍がすぐに艦砲射撃作戦で対抗したため2%という極めて低率だったにも関わらず、軍令部はこだわり続け、新聞も「赫々たる戦果」と大本営発表をそのまま垂れ流しました。「人間の身体そのものを兵器として使う」ことは、「越えてはならない一線」です。どんな作戦でも「必ず生還の道」が残されていなければならないものです。

 戦後の戦犯を裁く東京裁判では、海軍は軍令部の生き残りが「上層部を守り、責任は戦争現場の下部に押し付ける作戦」を立案、その中心となったのが「二復」でした。復員軍人の受け入れ事務に関わる一方で、上層部の弁護のために「口裏合わせの作戦」を広範囲に行い、その結果、死刑判決が当然視されていた嶋田繁太郎大将は死刑を免れたのでした。他方、現地で指揮をとった大佐クラスは「死刑」に処せられました。このあたりは映画「私は貝になりたい」でも知られているところです。

 要するに、エリート集団といわれましたが、その実態は「ひ弱な武器所有集団」にすぎなかったのです。「国の形」として平和に徹する決意のないまま、いままた「座して死を待つわけにはいかない」という一見勇気があるかの如き言辞をもてあそび、「敵基地攻撃論」をさもさかしらに振りかざすやからが登場しつつあります。単に「KY」、空気が読めないどころではありません。しっかりしなければ私たちの方こそ、また「空気」に流されかねない危うさのなかにあります。