生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信266 ・「核」に対する「この国の形」

2009-08-16 08:05:49 | 日記
おはようございます。
生き生き箕面通信266(090816)をお届けします。

・「核」に対する「この国の形」
 「日本のこれから――”核廃絶”は可能か」を掲げた3時間番組が昨夕、NHKで放映されました。結論的には、「核が核抑止力を持っている」という現実論が、「核はなくさなければならない」という理想論に一歩も退かぬところまで勢いをつけてきたように感じました。それほどこの日本でいわゆる核アレルギーが薄まり、「北朝鮮の脅威が現実にある以上、非核3原則の見直しもやむを得ない」という考え方が幅をきかせるようになったのです。驚くべき変化といえます。

 しかし、よく考えてみると、この国は長らく安全保障の問題を「アメリカさん任せ」できましたから、そのツケがいま回ってきただけです。いやむしろ、これまでアメリカさんは「日本は防衛問題は考えなくてよろしい」と、むしろ”思考停止の勧め”を「日本属国化」の基本戦略としてきました。それが、アメリカにとって安全であるうえ、鼻ずらを引き回すことができて好都合だったからです。日本の保守政権は、半世紀以上前の立党のとき以来、アメリカさん(とりわけ当時のCIA)から資金提供を受けたいきさつなどのしがらみもあり、アメリカ追従の外交政策を脱することはできませんでした。

 ところが、アメリカにも日本はお荷物になってきています。アメリカのオバマ政権が中国を「戦力的パートナー」と位置づけてからは、日本の利用価値が著しく低下したわけです。もともと夫クリントン政権のときから、中国びいきだった、妻ヒラリー・クリントン国務長官は、「米国債を購入してくれる中国」と仲良くしなければならない地政学的国益があります。その中国と、例えば尖閣諸島の資源問題などで先鋭化しかねない日本は、アメリカにとって「核の傘」で守り切るとはいいたくない状況になってしまいました。

 もちろん北朝鮮を脅威に感じる日本の立場は理解しますから、日本にいったん緩急ある場合は、「核の傘の提供」を言明はします。しかし、この言明の本旨は「日本が核武装に踏み出さないように止めておくこと。仮に日朝間で有事が発生しても、それがアメリカ本国に波及しないかぎり、日本の責任で処理させる」という割り切り方です。

 そのため、民主党政権になった場合、日米安保条約の見直し、つまり日本側からいう日米対等の原則は「望むところ」、「防衛は日本の自己責任ですよ」とやっかい払いできるのです。

 ただ、日本が独自に「核」を持とうとすれば、なんとしても阻止することに変わりはない。それでも日本が核で独自路線に踏み出そうとすれば、かつてのABCD包囲網を想起させる手段で、石油はもちろん食料の輸入もままならないようにしてきます。

 そうして大きな状況のなかで、私たちが取るべき「この国の形」は、日本国憲法の精神をより具体的に進めることだと確信しています。めざすべき理想を求めて努力する、それが国づくりのあるべき姿であることは、これからもことあるごとに強調したいと思っています。とりわけ、「日本国憲法の世界的先進性を私たち自身が過小評価しているのではないか」という点にもっと目を向け、憲法を再評価する作業が重要ではないでしょうか。