以前に、『木のいのち木のこころ 天・地・人』(西岡常一・小川三夫・塩野米松著、新潮文庫、定価900円)を読んで、非常に感銘を受け、西岡常一棟梁の人生を再度巡ってみたいと思い、
『宮大工西岡常一の遺言』 (山崎佑次著、彰国社、定価1890円)
を読みました。
法隆寺の宮大工の3代目として生まれ、幼少の頃から祖父に英才教育を受けました。口伝を一つずつ、意味もわからずに暗唱させ、砥ぎの作業は体で覚えるまでやらされました。小学校卒業後、本来なら工業学校へ父は通わせたかったが、祖父の厳命で農学校へ入学。宮大工の扱うのは木です、その木のことを知るには土壌を知らなければならないので、農学校で基礎を積んだことになります。
棟梁となって、法隆寺の昭和の大修理に立ち向かい、解体してその木の使われ方などを研究すると、飛鳥建築の工法を理解することになり、そういう意味では1300年を超える時空を巡ることになります。当時の職人の木造建築の思想には圧倒されました。自然を畏怖し、木の命をいかにして永らえさせる工法にするかが徹底的に考えられています。自然に則った建築が行われてます。
「生涯、木のいのちの深さに触れる旅をつづけてきた」
「仕事を通して社会への責任を果たす、時代からも己からも逃げなかった」
「棟梁の死は、キザに言えば、美しいニッポンの死だった」
現代人のように、自然から離れるとやはり軽い人間になるのでしょうね。